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ためいき

選出作品 (投稿日時順 / 全7作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


水の旅

  ためいき

水で作られた駅から
街の下層に眠るもうひとつの街へ
幾つかの顔が消えていった

そのひとつが見上げた空
青黒い雲の層の上に
放射状に光の線が広がる
夏の終わりだった

交差点の
古いハイヤーの社屋にだけ
雨が降り続いている
「雨竜」という地名にふさわしく?
ひとつの顔が首を横に振る

顔のただれた娘を抱いて
「新十津川」の漢方の治療院へ
ひとりの母親が、
そこでハイヤーに乗った
雨の声に追われるように

寄り添うように流れる
雨竜川は
水の列車
交差できなかった
時を遡るように
窓に浮かぶひとつの顔は
思い乱れるようにうつむいていた
秋の空の高さを抱いて
雨の声に声を重ねて


  ためいき

   夜


増殖する緑の液体が
部屋の壁に這い上る
電話が鳴り響き
妹の死が知らされる

部屋の隅で
顔のある植物が窓を見つめる
何処までも暗い空
静かに進む喪の儀式

深夜
疲れ果てた家族が
部屋に帰ってくる

自分が死んだことも知らずに
妹は静かに微笑む
植物は苦しみを頬に浮かべながら
いつまでも夜の窓を見つめていた



   緑の群像


微光に包まれた境界に
その道は消え去る
その道は失われる
夜を繁殖し続けた緑が
幾つかの顔を織り上げたことも
やがて忘れ去られるだろう
これを朝だと告げるためには
針の声がすでに
光の萌芽を貫いていた
祭りの後の荒れた道は
まだ夜を分泌する裏通りへ
ゆるやかな曲線を描いていた
最後の言葉は
腐敗した妹の陰部のために
織り上げられた
死の網目の向こうから
不意に曲がってくる声
鏡の破片
ざわめく緑を半身に透かしながら
わたしの足跡は微光に途切れる


秋のオード

  ためいき

冷え切った唇に青空が映る
そこから降りしきる落ち葉
川沿いの小道を
影だけが通り過ぎる
鉄を打つ音が遠く響き
河原の白い石がまろやかに濡れている

光が前よりも暗くなったの
そう呟いた彼女の前で
何も変わらない空を見上げた午前
古い石塀が何処までも続く道を
乳母車を押す若い母親が
ゆらゆらと遠ざかっていった

その夜
枯葉に覆われた沼を
古い街灯だけが照らしていた
あなたと行くことはできない
その言葉を半ば信じないように
苦しげに微笑んだあと
それじゃ、また
そう呟いて遠ざかる後ろ姿を
ただ、見つめつづけた

夜明け
青黒い霧がたちこめて
時を告げる鐘が鳴り響く
道の上に佇む人影
そこから黒々と鳥たちが舞い上がる
鉛色の硝子の向こう
太陽のようにのぼる贖罪の歳月よ
・・・待っていたんだ
人影はぼんやりと振り返る
そして
まるで傷口が閉じるように
薄れていってしまうのだ


帰還

  ためいき


別れる今になって
はじめて
あなたに出会えた気がする

子供の頃
学校を早退した帰り道
灰色の淋しい空間に入ったまま
途切れていた時間

お帰り、と裏口でささやくのは
顔のない母の影
長い
旅だったね

眩しい光りの下
白い病棟に歩むあなたが
不意にわたしに手を振る
・・・ありがとう
こんな男には
過ぎた報いだよ


黒いコート

  ためいき

夕方の暗い空から
静かに降る雪
納屋の前の黒いコートは
わたしが待つ男のため
彼はコートを被り
納屋の隅で
安らかに眠るだろう
古い農機具に囲まれ
屋根裏からは
子猫の鳴き声が聞こえるだろう

深夜
母がわたしを起こしに来た
低い感情のない声で
「誰かが首を吊っている」と言う
隣の空き部屋
幼年のがらくたが埃をかぶる上に
黒いコートがぶら下がっている
わたしは低く呻き
ドアを閉ざした
「朝早くに始末するよ」
階段を軋ませながら
母はゆっくりと降りていった

あの閑散としたスナックで
影の薄い中年のママが差し出したビール
顔を上げられずにいた彼は
望みのない愛情を抱いていた
理由をたずねる度に
くるしく微笑んだ横顔
・・・彼は
もう一度
生まれようとしていたのかもしれない
かすかな石の匂いのする
あの胎内から

彼は始末され
それでもわたしは
生き続けなければならない
おそらくは
この冬を越すことのない子猫を
朝の光のなかに抱き上げる
輝く毛のなかから
目だけが大きく迫り
遠い雪の上に
燃えている炎
あの黒いコートを
燃やす炎だ


幻想領域

  ためいき


わたしたちは
わかりあうことが
できない
互いに未知な
存在であることも
できない
何ひとつわからない
そう叫ぶことすら
できない

夢の円周に
黒い風がめぐっている
丈低い草が乱れ
泥川が丘のふもとを濡らす
鉛のように垂れる雲
枯れ始めた木々
あなたの追憶

わたしの十字架は
あなたの骨片で
できている
あなたの喪服は
わたしの頭髪で
できている

青く凍った乳房に
木の男根が枝を伸ばす
開かれた唇の奥
赤い咽喉に蜜が滴る
遠い空は
永遠の灰色
陸橋から小学生の見下ろす
銀色の線路の上に
あなたが

  星ノ光ニハ
  潮ノ匂イガスル
  ススキガ波ウチ
  金ノ人形ガ
  浮カンデハ消エタ

見失われた歳月から
こぼれおちる砂
いったい
誰が孤独なのか
誰が愛されているのか!

・・・夜明け
死児を抱いた
あなたの写真が
霧のように燃え尽きる
透明な風が低く吹き込み
時間はいくつもの層にわかれ
まだ目を閉じたままの夢のために
まだ眠りを許されぬ震える指のために
一滴の光が・・・

わたしたちは
愛しあうことが
できない
心を閉ざし雲を追うことも
できない
わたしはただ
見つめる
なすすべもなく
見つめ続ける

今 生まれおちようとする
あなたを


  ためいき


切断した蛇の首
山水の流れに踊る胴体
光る鎌を持って
それは
真夏の真昼のこと

背丈より高い草を分けて
時折意味もなく鎌を振り回し
貯水池へ
青緑に濁った
忘れられた場所へ

(アナタハオ忘レカモシレマセンガ、
アノ石油ショックノアト、
革命モヒモ同然ノ生活モ出来ナクナッタト首ヲ吊ッタ男ハ、
アノ辺リニテントヲ張ッテイタコトガアリマス)

(彼女ガ、
祭リノアトノ空虚ノナカデ、
線香花火ヲ見ツメテイタノハ
確カソコカラ町ニ続く細イ道ダッタネ)

迷い込んだ森
燃える陽光に撃たれたように
無数の蛇が枝から落ちてくる
殉教すらない道程に

鎌をふりまわして
もうひとり鎌をふりまわす誰かの気配とともに行く
森から出て、垂直の光りに焼かれると
繁茂する笹のなかに光る水面

三十年前と何も変わらない
その貯水池の上に
水鳥の羽ばたき、光りの水滴、そして
静寂

文学極道

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