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澤あづさ

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


血盆経偽典白体和讃

  澤あづさ

メフィストフェレスが激怒する。おかしの家、雪渓もののあわれ。賽の河原で降誕祭の、レープクーヘンホイスヒェン「またも永遠、」つまり子宮だった。子どもだましの真珠母だった。卵管の口が天井に、欠けないふたつの満月を穿ち、光明として堕ろす黄体ホルモン。真珠麿の床へ落ちこぼれるマーガリン、マルガリーネ、マルガレーテがたま子と和訳され「ヘンゼルは。」ワルプルギスの夜だからね。

たま子は自浄を司る。キリストすら堕ちた道のだ。三途川から昇天し、月にはじかれ逝く雪を、すべて此岸へ掃きもどす。婦は掃くので婦であった。処女は幼女で月経前だ。魔女と聖母の分かれ目は、避妊の知識の有無しかなかった、37度のヘクセンホイス。雪はとろけて水子となり、水子の布団を月水へ剥ぎ。堕とす。乳と蜜そしてハードボイルド「ラインのリープフラウミルヒが恋しい。」みずからを焼くかまどから。

箒も竹冠を脱ぎ捨てて。花盛りのエニシダを束ねて(だって魔女はなんでわざわざ枯れ枝なんかにまたがるの、)フラワーシャワーのヴァージンロードへ。たま子が吐き棄てる。玉子は身ぐるみ剥がされている。きみはいらない白身だけ白砂糖としっかり混ぜて(鳥ノ子と白の袷を氷重と、エデンの極東が名づけたのだ、)アイシング。白無垢に。雪は化かされ水子となり。

花も実もなき鬼灯の
知りもせぬ罪に焦がるる
小娘、とも小僧ともつかぬ
餓鬼どもが、
「そう言えばおれはファウストの
 被昇天の際
 天使どもに欲情したのだった。」
さめざめジンジャーブレッドマンで
積む、得度の
煉瓦を、摘む
羽掃きと
懸衣翁

   糖衣の濡れ衣
    しか甘くない
     マルガレーテが謳う。
      冷やかなる奥津城に *1
      小さき妹 *1
      我骨を埋めつ。 *1
     グレートヒェン
    帚木の心を知らで *2
   ホイスヒェンの *2
  床にあやなく *2
  惑いぬるかな。*2
 真珠より、まるく
 まるく、漂白された
  殻
  『此こそわが骨の骨わが肉の肉なれ』 *3
    に
     はめ殺されて

     あめの窓をかためる
    羽二重にかたまる
   卵白の
  床に、煮くずれた
 仙骨翼から

はね飛んでいる肋骨遺残
           「またもご漂着だわレープクーヘンヒェンが。
           「ご氾濫だわ。リープフロイラインミルヒが。

「ごきげんよう das Maedchen「ようこそ中性名詞!「ひらいた股から胎をひらかれ「装った、イースターバニーガールの卵殻「豚に真珠、「をカイーナの氷でひとかわ剥いても脱げない定「冠「詞の法を免れないあたしたちは「どうしようもなく娘細胞!

(das Ewig-Weibliche,(es ist vollbracht. *4
「どうしようもなく母細胞!
(das Ewig-Leere,(es ist vorbei.(Da ist's vorbei! *4
「どうしようもなく魔女裁判!

『カインがアベルを殺したので、 *5
 神はアベルの代りに、ひとりの子を *5
 わたしに授けられました』。 *5

(いらなかったのねカインは、
(いらなかったのねアベルも「兄さん、
『なんてきれいな鳥なんだろ *6
 ぼくは!』 *6
「いらない、
『なんてきれいな鳥なのかしら
 あたしたちは!』「いらない。

              「干されることを拒めば箒も「永遠に花束のまま!「実るらしい煉獄「うらやましい、「火があればなんでも「焼きたい放題だね!「鳥もうさぎもクーヘンヒェンも「焼き入れ知恵りんごの煮びたし「たま子も!「目玉に、「焼かれたい放題だね!

 メフィストフェレスが激怒する。
(魔女の厨でならいざ知らず *7
「それは母たちなのですよ。 *8
(なんとしても耳にしたくない言葉だ。 *9
「あの永遠に空虚な遠いところ *10
 よりおれとしては「永遠の虚無」の方が結構だね。 *11
『すべて移ろい行くものは *12
 永遠なるものの比喩にすぎず。 *12
『永遠に女性なるもの、 *13
 我等を引きて往かしむ。 *13
「聞いた事のある詞ばかり聞いていたいのですか。) *14



  Zum Augenblicke duerft' ich sagen:
  Verweile doch, du bist so schoen!
    この玉響へわれぞ告げたき。
    揺りをれ、なれこそいつくしけれ。
 (J.W.Goethe, "Faust. Der Tragoedie zweiter Teil", 11581-11582 私訳)



□■ 出典 ■□

*1 ゲーテ/森林太郎(鴎外)訳『ファウスト 第一部』4416-4418行
 ※マルガレーテ(グレートヒェン)が牢獄で歌う歌。出典は*6に同じ。

*2 紫式部『源氏物語』帚木 第三章第四段より
「帚木の心を知らで園原の道にあやなく惑ひぬるかな」

*3 文語訳聖書『創世記』2章23節より
「アダム言ひけるは此こそわが骨の骨わが肉の肉なれ此は男より取たる者なれば之を女と名くべしと」

*4はゲーテ『Faust』原文から引用した。
*das Ewig-Weibliche:12110行、神秘の合唱。
 ※鴎外訳「永遠に女性なるもの」高橋訳「永遠にして女性的なるもの」
 ※ユングのアニマや太母の概念に影響を及ぼしたとされる。
*es ist vollbracht:11593行、メフィストフェレス。
 ※鴎外訳「用は済んだ」高橋訳「片がついた」
 ※ヨハネ福音書19章30節にあるキリストの末期の言葉であり、多く「事成れり」と訳される。
*das Ewig-Leere:11603行、メフィストフェレス。
 ※鴎外訳「永遠な虚無」高橋訳「永遠の虚無」
*es ist vorbei:11594行、合唱。
 ※鴎外訳・高橋訳とも「過ぎ去った」
*Da ist's vorbei!:11600行、メフィストフェレス。
 ※鴎外訳「今何やらが過ぎ去つた」高橋訳「過ぎ去った」

*5 口語訳聖書『創世記』4章25節より
「アダムはまたその妻を知った。彼女は男の子を産み、その名をセツと名づけて言った、『カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました』。」

*6 グリム兄弟『Von dem Machandelboom』(百槇の木の話)初版本より
 ※*1の出典。

*7-12は高橋義孝訳『ファウスト(二)』新潮文庫から引用した。
*7  6229行、ファウスト。
*8  6216行、メフィストーフェレス。
*9  6266行、ファウスト。
*10 6246行より、メフィストーフェレス。
*11 11603行、メフィストーフェレス。
*12 12104-12105行、神秘の合唱。

*13-14は森林太郎(鴎外)訳『ファウスト 第二部』から引用した。
*13 12110-12111行、合唱する神秘の群。
*14 6268行、メフィストフェレス。


羞明

  澤あづさ

 老いた春の角膜に、まばらな白髪が金髪より映えた。かの女の庭で、heart、ひらきたい声を殺して。まねたかの女のくちびる、bleeding heart。
 華鬘草という和名を知らずに、その口紅の跡から読んだ。夫と暮らした庭先にも、嫁いだころから五月のたびこぼれていた春の名まえ。若かった富有柿の木陰で、乏しい実りが色づくころ消え、冬が終わるとまた群れた茂み。家人のだれも名を知らず、呼ばなかったが必ず群れた。
 だからかれは柿をもぐため木に登るのに苦労しませんでした。と英語で伝えようとして諦めた。五月の午後、わたしの庭では、富有の木陰に常緑の沈丁花がなお暗かった。そこにその花をひとりで植え替えた日、わたしはまだ、ひらきたい声の名まえを知らなかった。薄暮。
 いつか去る小花のつるへ、黴をあぶり出すように病む。白内障へこぼれるには、きっと濃すぎたかの女の紅。bleeding heart、ひらきたい声を。殺す。

 孫の英会話教師の通夜なんて、行かないのが常識だったんだろうか。クローゼットに並ぶ、わたしの13号と娘の7号のアンサンブル。娘のはもう十年もまえ、夫の通夜の前日に、近所のショッピングセンターで買ったものだ。田舎の店には目当ての5号の取り扱いがなく、喪服はあらかじめ用意するものじゃないんだと、わたしの母に言い聞かされ泣いていた。わたしの娘。あの子あんなにやせて大丈夫なのとあの日、多すぎた弔問客から問われるたび、夫の娘だからとわたしは答えていた。ような気がする。
 あの子もいい加減、新しい喪服を買ったんだろうか。慶事か弔事のたびここへ着替えに来て、結婚祝いの真珠も婚家へ持ち帰っていない。あの子の細い首でなら輝くと思いきって買った、赤らむ花珠の隣から、弔事用の古い真珠を取り上げる。そろそろ黄ばみはじめた小ぶりが、弔事にもわたしの指にも似合いだ。
 真珠は涙だから、弔事に欠かせないと思っていた。同じように、結婚指輪は一日じゅう一生、はずしてはならないと思い込んでいた。わたしの古い左手にはまだ、傷だらけの黄ばみが食い込んでいる、そう。そう言えば。かの女はきらめくパヴェを右手に着け替えていた。

 指輪の行方を探ろうにも、棺の位置が高すぎた。一面の青空をえがく壁に、金髪まみれの遺影ばかり映える。あの子の赤らむ花珠より、よほど派手にぎらつきながら、祭壇を覆うピンクのサテンと生花。生花。生花。かの女と喪主の続柄すら知らなかったわたしには、あまりに所在ない社葬のホールの、うす紅をかの女がどう思うか。もう尋ねようがない。わたしが代弁してよいはずもない。
 無宗教葬なんて初めてで、勝手もわからず御霊前を選んだけれど、通夜の儀式は献花だった。玉串と同じ作法で受け取った、白いカーネイションの震えが、黄ばんだ真珠を波打たせるほど冷たい。祭り上げられた別れを謳うセリーヌ・ディオン、my heart will go on、そんな反吐の出そうな英語を。わたしは一度も読んだことがない。紅すぎたかの女のくちびる。

 左手に食い込むくすみに、通夜の会場を出てから気づいた。小花のつるとともに伸びた五月の夜、駐車場に蠢くサーチライトの影に、ひどく黄ばんで月がこびりついている。この左手が離さない、指の支えの18金が、融けたつがいへ共鳴するように。玉響。
 運転席に背をもたれて、いま、目を背けた首筋できっと、黄ばんだ真珠の巻く渦を掘りぬくように照っている。heart、ひらきたい e と a のあいだに、声が。bleeding heart。キーを回すまえに、攣りそうな両手を、指の腹を合わせて伸ばす。こうするとね、薬指だけ離せないんだよ、ほら。どうしてだろうね、まぶたに圧し掛かる、くたばりかけた眠気。やせ細る月を囲ってにじむ羞明。


A Mad Tea-Party

  澤あづさ

 黒くなれない
 クラブの女王の大いなる
 ティーパーティのおんために

 茶化したい。ジャックらが
 茶化されるオリエントは
 いろづいたベルガモットの
 照りに燻されアール・グレイ
 ご存じ?
 光毒。

 とあるジャックがキーマンを、
「世界の中華の名にかけて。大英帝国に茶だけは売らん。帰れ阿片戦争。」
 追い出されたころ別のジャックは、セイロンいや。スリランカで難渋していた。見よ国史に割って入り、世界史をも割って生えぬく植民地名。ウバ茶に香るペパーミントも、イングリッシュミントの繁殖力も同じとばかりに幾世代。もはや名づけようもない雑種ばかり生い茂って、寒々しいプランタープランテーション根ぶかく。連想せよ。
「思い起こせば十九世紀末、あのスコットランド人ジェイムス・テイラーが、」
「わたしたちはイングランドです。」
「茶の需要を見出す以前、コーヒーに目をつけたのもスコットランド系、」
「わたしたちはイングランドです。」
「サビ病に斃れたあのコーヒープランテーションの発端は、一八四一年、コリン・キャンベルの植民地領事就任であったが。そのキャンベルの名の! はやアメリカのスープの缶に乗っ取られ、久しき名声の愁傷なこと! かの銘酒スプリングバンクの威を借りてすらキャンベルタウンが、オーストラリアのに比べ、いったいどれほど知名さる。越谷市の姉妹都市なるオーストラリアはキャンベルタウンの、」
「わたしたちはイングランドです。」
 ああオーストラリアを失念していた。あちらのジャックは、きっとアッサムへ行くべきだった。アッサムでなら辛うじて、言ってもらえたような気がする。きらいじゃないよ、仲よくしよう、アッサムの茶樹はスコットランド人ロバート・ブルースの「わたしたちはイングランドです。」
「カリーバッシング、」
 ところが憧れのダージリンを目指すも、カルカッタいやコルカタのあたりで早くも、
「もはや象徴、英領のころ地元にばかり取り残されたくず茶のように! さてくだんのくずチャイが湧出せしめる芳香の、カリーがごとくマハーバーラタ。あたかも英国有閑紳士が寝床で妻に啜らせる、アーリーモーニングティーのくずやろうの、」
「わたしたちはノルマン征服です。」

 しまいには、日いずる本まで出張ったが、
「まさか、八女の玉露を発酵させるなどとは、」
 話は終わった。黒くなりたいクラブの女王の、大いなるはずのティーパーティ。
 茶化したい。茶々を淹れたい。なんぞのジャックの駆けめぐる、大いなるブリテン島は。にわか雨の気まぐれに、お茶を濁されアーリー・グレイ、この気候の国産茶葉に適地は南のコーンウォールしかなかった。懇願してなんぞのジャックが、
「だってわたしたちはイングランドです。」言ったが、
「わたしはコーンウォールです。」

 霹靂はやき青天にはためけ。
 ウェールズすらえがき忘れて四角く
 三つ葉。
 クラブの女王とユニオン・ジャック。

 ただのトランプでなければこそ。


ひふみよ。

  澤あづさ

。ひ
。蒲松齢『聊斎志異』第四巻所収『書癡』
。立間祥介訳邦題『書中の美女』から

眇。瞑らず、眇眇と。見かぎる横目で見えない片目の、まぶたを縦に見たてるように。偏見。泣き濡れたまつ毛がよこぎり、ほつれた傷をよこしまに縫い。綴じた口から、いきが漏れると夢を。やみ。ひらきだす瞳孔から、ひらいていた盲点たちへ、めぐる琴線を星座と呼ぶ。よる。傍訓が降り、読点にまみれて。文脈を打ち曲に解かれて

空まわる、よみ

渦を、穿つ一行

ミルキイウエイ、牽牛

のの字に、巻き込まれた

星は、織女だった
絶弦した韋編の
きれ目が、眇めた紗の
栞はこと座にあった

書癡の
まぶたの
下樋
ねを、はり
あげる、さか
まつ毛の経


(中華の栞は「顔如玉」と詠まれ、カムリは「顔如華」ブロダイウェズなる梟を詠んだ。書癡の誤読で編まれた妻と、三つの花から捏造された妻、いいか伏線を張るから見おろせ。その梟を詠んだ国は、英語に Wales と呼ばれている。その語源を古英語 Wealh ラテン語 Volcae ギリシャ語 Κελτοι までさかのぼって『よそ者』と読まれている、いいから見くだせ! そのよそ者がその国語に Cymru と、その語源をブリトン祖語 Combrogi (同郷) までさかのぼって『同胞』と。いまだ詠まれている、わかったか。どうでもいいと。どうせだれでもよかったんだおまえも




。ふ
。Lyfr Gwyn Rhydderch より『Math uab Mathonwy』
。中野節子編訳『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』所収
。「マビノーギの四つの物語」第四話「マソヌウイの息子マース」から

と思いましたがやはり気に入りません。いいえ中野節子はありがたい人です。「Llew Llaw Gyffes」を「フリュウ・フラウ・ギフェス」など表音した重訳家の井辻朱美とは────なにせ重訳は、引用の複雑な織物ですので────わけが違います。この書のためにウェールズへ留学までした人ですから、「Llew Llaw Gyffes」も「スェウ・スァウ・ゲフェス」と、気合いのほどが並なりません。わたしもうっかり興奮し、中野の底本をウェブで拾い、独自研究までしたので表音せずには気もすまない

「Dar a dyf y rwng deu lenn,
 Gorduwrych awyr a glenn.
 Ony dywedaf i eu,
 O ulodeu Lleu ban yw hynn.」
http://titus.uni-frankfurt.de/texte/etcs/celt/mcymr/pkm/pkm.htm?pkm004.htm

「一本の樫の木が、二つの湖のあいだで育つ。
 空と谷とに、その深い影を落として、
 わたしの言葉に、まちがいなくば、
 スェウの花から、こんな状態がおきたのだ。」
(上掲書 p129)

違う。Lleu は「スェウ」と違う「スェイ」です。さらには「樫」もオークですのでむしろ楢かと思いつつ、そうした和訳のお約束には強いて逆らうまいとしてもね。ウェブで拾った中野の底本によれば、かれは母のまえで鷦鷯の足を射抜き「ys llaw gyffes y medrwys y Lleu ef.」(この光は的を射た腕利きだ)と称えられたゆえに「Llew Llaw Gyffes」(腕利きの獅子)の名を得たのでした。実名敬避俗の慣例で言えば、「獅子」が字(あざな)で「光」が諱(いみな)、いいえ漢語圏じゃありません。古代ケルトの物語は、なべて口承でしたので、(書きとめられたのが中世なので、中野の訳書の副題が、)位牌に彫られた戒名などはどういう意味でもどうでもよかった。一説によれば言葉は、特に魔力を持つ詩は────それは上記の表音通り、韻文であり本来の「詩歌」であるので────字に書かれると力を失うのだそうで。墓場なんです「ふみ」というのは、「文」と「書」と「史」のいずれにおいても、ええまあここは日本語ですから

中野の底本でかれは終始
Llew(獅子)と呼ばれただ一場面
「かれが詩に歌われたとき」のみ
Lleu(光)と呼ばれている

この恋情やみがたい詩情は、わたしがみずからウェブで拾った中野の底本をCtrl+Fで徹底調査し発見したので、ウィキペディアの英語版にもウェールズ語版にも載っていません。なにせあそこは独自研究禁止の百科でそれどころか、「Llew(獅子)は誤記」と断言されていますウィキペディアの英語版に。英語圏のどいつもこいつも Lleu(光)に目をくらませやがって、中野の底本も鑑みない。日の本への恋路がひらいていない。もはや太陽に顔向けできまい光毒の花あの顔如華のように。題名の男なら呪われています。理由は書かれていませんが、マソヌウイの息子マースは、ひとりの乙女の膝に両足を載せておかないことには、生きていられない体なのでした。中野のありがたい訳注によれば

「足持ち人というのは、中世には普通に見られる召使いの一人であった。ウェールズの宮廷においては、男性である場合が多く、マッサージ師のような役目を兼ねて、食事をとる間の足載せ台の役割もはたしていたと思われる。ここに述べられたゴイウィンのような役目をする乙女の記述は、この物語が書きとめられた当時には、他に類を見ない。したがってこんなところからも、この話が、書きとめられるずっと以前から語られていた物語であることが推察される。」(上掲書 p422)

ゴイウィンは顔如華ではありません。引用やみがたく語りえない




『み
』から

JKリフレ『ゴイウィン』どう考えても儲かりそうにない。場末の整体屋で『指圧の心は母心、押せば命の泉湧く』ジェット浪越の余波に溺れ、拇指を三回ぶっ壊し終えたころ。あなたがたに会った。「妊娠。してるんですけど、」ベビードール。裾広がりのワンピースと、とても上手に隠れたおなかに。きっと二度と会わない。「むくみすごくて。肩もすごい凝るんです。あと背中の、」背中の。「背中の。羽が生えるとこ、」隣り合い、向き合わない、肩甲骨たちの内縁から。いつか羽がひらくんじゃないかと、わたしも乙女のころ考えたけれども「妊娠。してるんですけど、」あなたの肩井は傘ではなかった。あなたの血が打つ点字で読んだ。おなかを守るように、腰かけた猫背がなで肩を落とし、ふさぎこんでいた経気の井戸。冷えたバターをとろかすように、拇指を。四秒、まっすぐぬくもりを集めて。ぬかるむ『命の泉』母心はライヴのカウント、ワン。ツー。フォースリーツーワン

泣きだした妊婦の湧泉をご存じですか。「リフレも。できますか、」できますよ。アロマオイルはどうしましょうか、「ネロリ、」橙の花から蒸留されたネロリは、足の裏に塗るような値段ではない。ぺたんこバレエシューズのなかで、あなたの母趾はひどく外反していた。「って。オレンジブロッサムですよね。イギリスの結婚式の、」あなたがそう言いたいのなら、わたしに返す言葉はない。それが経済ってもんだろう。地に足つかないハイヒールに、はまれなかった土踏まず、あの日。オレンジとマンダリンをプチグレンに混ぜ、捏造した高嶺の花。そうプチグレンは橙の枝葉から蒸留され、場末で偽和されネロリとも呼ばれている。同じ木だから葉まで香る華、如玉。「おねえさん。細いのに。すごい力、」あなたのほうが細いんですけどね。「あたしも。ダイエットしてたんだけど、」贅肉だと、思いたかったんですね、あるいは贅物だと「結婚式、」そうなんですね。「するはずだったから、」そうなんですね。わたしはこのあいづちが嫌いだ「でも。」そうなんですね。返す言、葉が

蒸留されこぼれる香。如華。ぬかるむあなたの肩井から、われ鐘のように嗚咽に打たれて、湧泉まで寄ったなみ。だ。水を油ですべりながらあの日。あなたのむくみと摩擦して、わたしの手にだけ焚かれた熱で。漣のうねへ散り蒔いた、代代の petit grain(一粒種。(異物だね。))悪阻のように。昇華しますように。彩雲の織姫、他愛ない経済ふるい落とされる雨の経(たていと)がしきる場末に、よりをかけて緯(よこいと)を織り込み。波紋を広げる、羽衣は縮緬よりによって。凝縮しますように『指圧の心は母心(わが子ならだれでもいいはずだ母なら(女(子)き)がついているだろうか)きみ。空まわる地球のコアに、振りまわされて黄身返し。羽の生える内縁へ、外反した代代いろの娘、あのひ。いふうみい。よん秒の字たらず、八拍の字あまりで。彼方(あなた)の経気を引喩した、この指の名は拇指。はは
。は



)よ
。都都逸『おろすわさびと恋路の意見きけばきくほど涙出る』から

 ことなりて紅涙ふるふ筆おろし
  狂るる琴はや結びふみ
  揺るる線にや星座する
  指折りしをり爪あとを
  痛手に解き織れうたへ
ひイ
ふウ
みイ

、かみなりて焦がれまた焚き「漣漣と酔ひ独りまつ毛をむしるほど
             「恋恋と『彼方。手酌できけばきくほど
                 『われがね。和寂(わさび)ちぎる

。いろはにほへとちりぬる緒
。和か
。世たれそつねならむ







、補遺

、ひ。顔如玉について
、出典『書癡』あらすじ

、彭城の郎玉柱は、琴も酒も碁もおぼえず父祖の蔵書にしがみつく、朴念仁の書癡であった。真宗皇帝の勧学文の写しを、傷まぬよう紗で覆って座右とし、その朗誦を日課としていた。かれは勧学文の説く「書にはすべてがある」との比喩を、文字通りに信じていた。そのため、科挙に落ちようが縁談が破談しようが、思い悩まずにすんでいた

、そのような玉柱の周辺で、天上の織女が逃げ出したとの噂が流れ出したある夜のこと。『漢書』八巻を読みふけっていた玉柱は、書に挟まれていた美女の切り絵を見つけた。紗でつくられた切り絵の裏には、細い字で淡く「織女」と書かれていた。それで玉柱は、これぞ勧学文の謳う「書中有女顔如玉」(書中には玉のような顔の女がいる)に違いないと惚け、以来、寝食も忘れて切り絵の美女を眺める日々を送った。するとある日、突如、美女の切り絵が起き上がり、(以下割愛)

、真宗皇帝の勧学文は、漢詩であり詩歌であって、すでに訓読が書き下されている。「これとまったく反対に、現代の書き手は、テクストと同時に誕生する。」「テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である。」「あるテクストの統一性は、テクストの起源ではなく、テクストの宛て先にある。」(ロラン・バルト/花輪光訳『物語の構造分析』みすず書房 p84-89)


、ふ。顔如華について
、出典『マソヌウイの子マース』独自研究

、ブロダイウェズ(Blodeuwedd)の名は、中世ウェールズ語で blodeu(花々)gwedd(のような顔つき)を意味する。 かの女は、オーク(力の象徴)とエニシダ(美の象徴)とメドウスイート(慈愛の象徴)の花々から、魔力によって生み出された「この世のものならず美しく芳しい乙女」である。その語義と、それら花々の花季や象徴が異なる点を鑑みれば、その名を「花々のように多彩な表情」と読解することも可能であろう

、ブロダイウェズの夫スェウ(その名の本質は「光」)は、母アランロドの不貞の証拠として生まれたので、母から憎まれ三つの呪いを受けていた。「わたしが名づけない限り名を持てない」「わたしが着せない限り武装できない」「この世のいかなる種族からも妻を娶れない」というものである。先ふたつの呪いは、スェウの養父(実父との説もある、ちなみにアランロドの兄弟である)グウィディオンの詐欺で解決したが、最後の呪いには解決策がなかった。そこでグウィディオンと領主マースが、魔力を用いて三種の花から「この世のいかなる種族でもない女」を生み出し、スェウに与えた

、ブロダイウェズは、光のために捏造された華であった。その役割を放棄し、別の男と不義の恋に堕ち、夫の殺害を共謀して、創造主グィディオンから罰された。(創造主は、被造物の「花々のように多彩な表情」を読解しなかったのであろう。)華が光を裏切ったので、太陽に顔向けできないように、梟へ姿を変えられて「永遠にブロダイウェズと呼ばれるように」呪われた。現代UKの児童文学『ふくろう模様の皿』は、ブロダイウェズを「姿を鳥にされたのに、名が花のままだから、花に戻りたがっている」とみなしている。その同情の背景は、ここで説けるほど単純ではない。「わしがなにを知ってる?……わしは、自分が知っている以上のことを知ってる……なにを知ってるかがわからない……重みだ、それの重みだ!」(アラン・ガーナー/神宮輝夫訳『ふくろう模様の皿』評論社 p126)


、み。三種の偽和について
、ダイダイ精油の薀蓄

、世界初の香水として名高いネロリは、本来ダイダイ(ビターオレンジ)の花を蒸留した精油を指すが、現今では別の柑橘類の花を蒸留した精油もネロリを標榜している。この事情は、本来ダイダイの枝葉を蒸留した精油を指すプチグレンも同様。「ネロリ・ビガラード」「プチグレン・ビガラード」と標榜されたものは、本来のダイダイ精油である

、プチグレンはフランス語で「小さな粒」の意。ネロリが高価であるため、プチグレンを用いた偽和品がネロリとして出回ることもある。プチグレンとマンダリンとオレンジの調合でネロリを模造できることは、一般にもよく知られている。マンダリンとオレンジは、柑橘の果皮を圧搾した精油なので、ベルガモットのような光毒性をもつと誤解されがちであるが、誤解である。この三種の偽和は、本物であればネロリと同じく、光に対して安全である

、しかし、ダイダイの果皮を圧搾した精油には、強い光毒性がある。ダイダイの枝葉とダイダイの果皮でダイダイの花を偽和すれば、まさに太陽に顔向けできない。日の本の日は神であり、お客様は神様であり、指圧の心は読解にある。「読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」(ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン/坂井秀寿訳『論理哲学論考』法政大学出版局 p200)


、よ。三様の和歌について
、願わくはその余韻について

、この項の和歌は、発句+今様+七音+短歌(ここまでで長歌)/旋頭歌/都々逸で構成した

(ひ) 長歌を「発句+今様+七音+短歌」に分け
(ふ) 短歌の五七七を旋頭歌の上三句に見立てて、下三句をつけ
(み) 旋頭歌の下三句を冠甚句の五七七に見立てて、七五を足し都都逸を詠み
(余) 以上三様の和歌に、いろは唄のもじりを加筆した

、指折り数えて、指切った小指を手に余す。屈指、彼方(あなた)の語りえぬふみから。読者として書き手は、引用を織りなし誕生する。この琴線を、こと座の織姫から宛てられた


未女/ロールメロンパンナ複合

  澤あづさ

『メロンパンは未完成』と『焼きたて!!ジャぱん』で読んだのちコンビニで見た。メロンパンのつらの皮。降って湧いて去りまたもパン屋へ降りたシナモンロールに、凍りついている顔射の聖痕。男根畑へ散種したのが、たしかアクアシティお台場だった。ソニーでQRIOの踊りを見たあと、シナボンでげんなりしたのだから。

「それで、きみ、名前は。」
「ぼくはぼくだ。きみはきみと呼べばいい。」
「しかあれかし。」

所与。処女だったころカラオケで熱唱しながら、渡辺美里の『My Revolution』を男装の麗人と思い込んでいた。人を「きみ」呼ばわりする女を、ベルばらくらいしか知らなかった(アントワネットよりはオスカルのほうがましだ)からだが(マリーは?)『聖体でないならシナボンを食べればよいのに。』ミルクに薔薇を浮かべたような頬。顔射に薔薇のまみれたような化粧。百合から薔薇が咲くような比喩(掛詞)胎児のまま死にQRIO聖(きよら)なる。

「この丸いのがリンゴで、あの長いのがヘビだ。ぼくが名前をあげた。」
「わたしの名前は。」
「きみはきみだ。なにせほかにきみがいない。」

おもむろに、聖母と言えば百合。一世紀のイスラエルに百合はなかった。チューリップなら咲いた咲いたがそのチューリップもあのチューリップではなかったのですべからく。百合たるべきだった。(いま「おもむろに」と「すべからく」は本当に読まれたのか?)知恵の実がバナナでも、フルールドリスがアイリスでも同じく。ありさえすればよかった。ベルばらでは顔射を断れない。フランス人は神を「tu(きみ)」呼ばわりし、聖書は女性同性愛を知らず。

「しかあれかし。」

アダム(つち)に対しハヴァ(いき)の名は、創世記3章20節によれば、失楽園ののちアダムに定義された。同3章19節までかの女は、同2章23節に『人(イシュ)から取られたもの(イシャー)』と書かれた骨肉であった。その息により命は僕(しもべ)と吹き込まれたのである────対立する、と思い込んでいるその他を、踏まねばあたしへ行き着けない。知恵の実を食ったのでいまさら。

「ほかのきみが生まれるのなら、ぼくが名前をあげる。」
「わたしがあげる。」
「ぼくがあげるのはきみのきみじゃない。きみだ。」

女性歌手の「きみ」に違和感もない。なにせ女性歌人が『君がある西の方よりしみじみと憐れむごとく夕日さす時』(与謝野晶子)『も少しを君のかたへに見る海のなにも応へぬ波音を聞く』(寺尾登志子)『君がため散れと育てし花なれど嵐のあとの庭さびしけれ』(松尾まつ枝) 歌い継いでいる「君と僕」パン工場が魔女を焼いたように妹(いも)よ。女の末(創世記3章15節)よ。



妹よおまえが
先に生まれた

「もし世界にきみとぼくしかいないなら、ぼくらに名前は必要ない。地が妻を名づけた辻褄、ふたりではないと知っていただけだ。ジャムおじさんと愛の花の蜜のように、君と僕と。きみ。いきの絶えた対称を。ぼくが君ではないあかしに。」

夢が
ありすぎた
おまえの、めぢからを縁どる
焼き印に
蜜月に似たもろさがあった
剥がされるため化けたい皮の
人為的な弱みが

ロールパンナ(善)「見上げると空に雲が走り、いつどこにでもいる娘を象る。空のもとに海として母が映る。やがてひえびえと、娘が母の手を取るだろう。そのようにすでに、みなそこへ引き上げられた。どこから来ようと川が海へ束ねられるように。そこが息の束だった。」
メロンパンナ(飛行中)「見下ろすと海に波がうねり、いまそこにいる妹を象る。雲を姉として下へ妹が降る。やがてさめざめと、妹が姉の手を採るだろう。そのようにまたも、水底へ引き下ろされる。どこから降ろうとあめがつちへ束ねられるように。それは息の束なのだ。」
ロールパンナ(悪)「書きたいことしか書かれなかったあかしに。」

神から、割愛された
悪心
わたしはおまえの悪阻である
御前、花から生まれ
女からは生まれなかった

「作者よ君が女だとして、きみが生んだと言えるのか。植えつけられた男根から、どこまで行っても父しか来ない。この大根畑にすら花が咲くのだった。十字架様に。犠牲を根深く磔けるためにかつて。火刑の女囚が空を飛ぶという、夢が魔女と呼ばれ狩られた。去勢不安である。働き蜂が夢を飛ぶならそれは去勢不安である。ほうきのように束ねられて羽が、百花蜜から去りますように。様に。」



『美しい飛行の夢を、一般的に性的興奮の夢、勃起の夢として解釈しなければならないことに胸を痛めないでください。』
『女性でも飛行の夢をみるではないかという抗議をなさってはいけません。われわれの夢は願望を充足させたいと望んでいるものであること、しかも男性になりたいという願望は、意識すると意識しないとにかかわらず、女性には非常に多く見られることを思い出してください。』
(フロイト/高橋義孝・下坂幸三郎訳『精神分析学(上)』岩波文庫一九七頁)

『女性のかくも偉大な曖昧さは男性的な明確さや明瞭さの反対物として切望されている』
『彼女の欠点が大部分彼自身の投影から成り立っていることには、幸せなことに彼は気づいていない』
(ユング/林道義訳『元型論』紀伊国屋書店一四〇頁)

『悲劇の意味がますます失われてゆく社会形態の中では、いつまでもその公演のポスターが貼られ続けることはありえないであろう……。いかなる祭典をももっていないのであれば、神話は生命を維持しえない。精神分析はオイディプスの祭典ではないのである。』
(ドゥルーズ、ガタリ/市倉宏祐訳『アンチ・オイディプス』河出書房新社一〇六頁に、ラカンがオイディプス概念(エディプス・コンプレックス)についてのフロイト神話に対して、上記の警告を発したと書かれている。出典は書かれていない。きっと機械状に無意識の引用だった。)

『確かに夢はオイディプス的』
『volerの二重の意味での、飛躍と窃視のあらゆる対象』
(上掲書三七五頁と、河出文庫の宇野邦一訳『アンチ・オイディプス(下)』一八六頁を確認した結果、あたしの都合ですっかり二次創作した。)



百合そのふた重の花被を「男根がなければ愛せませんか?」二冊もろとも原作レイプする。「お姉ちゃんの生地ハァハァ、」妹も母もなく。「ラブメロンジュース顔射!」母も父もすらなく。あたしは男根畑ではない、と言いたいだけならだれでも言えた。どうとでも言えた。無意識って意訳でほんとは「それ」なんだよ。das Ich und das Es、まごころとばいきん、愛と勇気だけが機械状の精神。原罪って誤訳でほんとは「的はずれ」らしいよ。フロイトはユダヤだったみたいだけど、ああ。デリダも。

注1 デリダ/藤本一勇ほか訳『散種』(ソレルス論)法政大学出版局五二一頁
注2 ツェラン/飯吉光夫訳『息のめぐらし』静地社五一頁「歌うことができる残り」終連初行
注3 デリダ/林好雄訳『雄羊』(ツェラン論)ちくま学芸文庫五九頁
注4 新約聖書 新共同訳 コリント信徒への手紙一 一四章三四節

『あなた方に語りかけているのは誰なのか。それは「作者」でも「語り手」でも「機械仕掛けの神」でもなく、スペクタクルの一部をなすと同時にそこに立ち会ってもいる「僕」である。』(注1)『禁治産者の宣告を受けた唇よ、語れ、』(注2)『ある語る口のまわりに、この唇=傷口はくっきりと姿を現わす。』(注3)『婦人たちには語ることが許されていません。』(注4) あたしが歌えば罪だから詩にした。パン工場が魔女を焼いたように。束ねられて息がめぐらされませんように。

文学極道

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