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游凪 - 2017年分

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


優しい残響

  游凪

路地裏の電柱の下にしゃがみこんで
空色の吐瀉物を眺めてる
パクパクと口を動かしてみる
ここから出たものは汚くも美しい
飛ぶ鳥であり枯れかけの花である
その生温かい声を拾い集める
無造作にポケットに突っ込むと
小銭とコンビニのレシートが音を立てた
錆びた看板の店の前には
欠けたプラスチック製の植木鉢に
名前の知らない植物が並び
アルコールとネオンを咀嚼している
ポケットは心臓くらいの重さになった
残った吐瀉物は風に吹かれていった
届けられることのない遺失物
夕闇がそれを見ている
懐かしい記憶のように、或いはこれから見る幻のように

路地裏を出た先の公園で
野良犬のように徘徊する老人を見ながら
ペンキの剥げたベンチに座る
もう残り少ない煙草に火をつけて月が出るのを待ち続けた
それは一瞬のような永遠
月は優しい残響
太陽の残り香のする遊具は静まり
薄く脱色されていく
街頭に集る虫たちも声をひそめた
煙草は美味くもないが
吐き出したという行為が目に見えることが重要だった
何も残らない残せないこの存在の

薄い雲の向こう月は響く
嫌いだった喧騒も実は羨望の裏返し
塗れたかった手垢は古い詩集で掻き集めた
街に溢れてる言葉には目を瞑って耳を塞いだ
涙が浮かぶのは煙が目に染みるからって
ヘビースモーカーになっていった
ポケットをまさぐって
空色の吐瀉物を取り出す
これは自分自身か最早わからない代物
すっかり温度を失い
手のひらを徐々に冷やした
ぎゅっと握りしめると
僅かな光が拳から漏れ出た
これは飛ぶ鳥であり枯れかけの花である

拳を開いたら電球が切れるように消えた
しかし消失でないのは知っていた
吐瀉物は空色の鉱石であった
それは飛ぶ鳥であり枯れかけの花であった
それは空を映す脈打つ心臓であった
それは温度のある獣の声であった
何度吐き出してもそれは空を映すだろう
汚くも美しい生命の色を
誰もいない公園を出て
切れた街灯の下、夜空を見上げれば
月は優しくを今を照らしていた

* メールアドレスは非公開


火、ノ 懐胎

  游凪

月星のない静寂から夜が満ちる
溢れた金属音と女の嗚咽
あらゆる穴から垂れる体液に塗れた
肢体はまだ幼さを残す
覚醒した野性は眼を瞑ったまま
裸体の女は翅を閉じていく
てふ、てふ、てふ、てく、てふ、
固く閉じた蕾の名前を知らないように
逸失で異質で遺失であった
深い藍色に揺蕩う流木の破片は
放浪者の道標となり
設定しない目的地へと足を運ぶ
転がった眼球が事の顛末を記録している
以下、それを記す

漆黒の森で白い女は堕胎する
幾つもの爆ぜた火の粉を天へと散らし
掻爬されて舞う炎
切り離されて落とされる
細切れの燃え盛る胎児(のようなもの)
ただ此処にある風に受け止められ
回収される幻影、或いは不確かな実存が
小さく積み上げられる
保たれた均衡に
臓腑は緊張と緩和を繰り返す
込み上げる汚濁の愛おしさ
胎内は丸い空洞になり
生温く対流する(これは風ではない)
喪われたのは本当に胎児(のようなもの)であったか
それとも流星であったか
触れられることに抵抗する発光と熱に
ひきつれた風のケロイドは美しく
闇夜の皺となる
ドレープ状のオムライスに似た
規則正しいそれは、
太陽の聖骸布
瞑ることのない瞼に
燃え続ける履き違えた愛の残骸
上がりすぎた熱に冷たい汗が滲む
微かに雨の匂いをさせて
女は蒸発していく
その最中、滑らかな軽薄さで
風と抱擁して新たに孕んだ生命の種

白白と明ける空に
不在のまま焼失した月と星の灰が降る
さながら陽だまりの埃のように
全ては自然であるように焼き尽くされて
風はその重力のまま沈黙した
鴉に攫われたガラス玉のような眼球
煌めく宝箱の中に閉じられる
封印された、時の記録
途切れていた虫の音が辺りを浸す
熱い呼気を吐くものはいない
何も語ることもない深淵の森は
ただ一つの痕跡を残す
隕石に似た炎の痕
それは、蒼い星そのものであった


放熱

  游凪


とくとくと途切れない雛鳥の鼓動について
無垢な夕闇と電波の悪い話をする
温かな臓器をおさめた柔らかな腹の上で
金色に光っていたうぶ毛も
今は感触だけを残し
薄い輪郭は静かに上下して
お前の優しい声を思い出す
柔く撫でる手のひらの重力
その為に月は満ち欠けを繰り返す

打ち上げられた鯨の骨の中で揺られながら
煌めく砂礫に埋もれる偶蹄類の夢をみた
乾いた音を立てて崩れていく残骸の始まり
捨てられたものに残る熱を
宝物みたいに扱っている
冷めたらただのゴミ屑に成り下がる
僅かな時間に野良猫のような愛を囁く

退屈しのぎに見つめ合った鳥は線を引いて錆びた森に帰った
白々しいほど美しく
灰色に映る月明かりは沈黙している
雲は次々に死んでいく
眠りの浅瀬で瑞々しく横たわるお前を静かに反芻する
滑り落ちる魂を転がしてその跡を愛おしむ

消えない光が遠くなっていくのは
関節が外れていくからだ
ひたひたと溢れる窒息しそうな水溜まり
そこに満天の星空が落ちているので
幾つもの星に届いてしまった
かつて一滴の冷たい雨を温めた手
遠くの海の底に沈んでいく痩せた老犬は少し白濁して消える

黴臭いシーツの上で分厚い本を開き同じ頁を繰り返し捲っている
お前はこんなに饒舌なのに
文字は蝶となって飛び立っていく
「気はとうに狂っていた」
耳元で呟かれた羽ばたき
ちらちら光る埃が絡みついて歪んだ天井の染みに張り付く
痣のようなそれに触れたいと思った


湖底の朝顔

  游凪

一晩で枯渇した湖の底を歩く
横たわる群青色の夜の匂い
静寂を行方不明の影が彷徨く
湿った老犬が自らの大腿骨を齧っている
浮草がへばりつく泥濘と
点在する緩やかな水溜まり
朧気に映る二つの月の共鳴
先祖返りした朝顔が咲いている
螺旋する蔓の青さ、揺れる燐光
濃霧の中で仄かな光だけがしる、し
浮かぶ美しき想い出に眩暈がする
左腕が引き攣る
噛み過ぎたかつての傷痕が

深淵の監視者に拉致された、
あの甘美な孤独の日々
低い天井には僅かな星のみが瞬く
交わらない生、の生臭さ
持ち合わせの欲求に嫌悪して
痩せていく心臓は静かに漂流する
曖昧な境界は容易く一線を越えて
解き放たれた重力の足枷
骨の浮いた身体は重く沈み
浮遊する魂と冷たい星屑
手放す意識の切れ端が滲んだら
呆気なく太陽は死んだ
感情のない体液を垂れ流す、
これは正しく病気である

日々はやがて乳白色と混じり
病んだ猫の粘膜を優しく拭った
長い長い夜の果てに揺らめく小さな焔
そこから生まれた恒星は
星座を描き、月となり太陽となった
満たされた湖に揺蕩う月光
瑞々しい群青色の夜の匂いが
微かにさざ波立つ湖面に浮かぶ
その畔に佇んだ名前を持つ影
褪せることのない想い出は湖底へと沈めた
螺旋する蔓の青さ、揺れる燐光
今も水底に朝顔が咲いている


永遠

  游凪

雨が嫌いになったのはきっと君のせい
降り出す前の灰色の憂鬱
ひきつれて爛れた美しい傷が痛む
鼻腔の奥で煙草とコーヒーの匂いが混じる
小さな魚が飛んで跳ねて
厚い雲の上でクジラになった
遊泳する巨大な白い塊は
潮を吹き上げて雲を散らした
空は近くなって手を伸ばすことを躊躇った
滑空する燕と軌跡をなぞる指先が
唇に触れて柔らかな熱をもつ
伝導する心臓と同じ温かな鼓動
メトロノームの刻むリズムは
洗われた野良犬のお腹
弱々しい光に照らされて
やがてくる夕暮れ
遥か上空に漂う海の蒼さを忘れて
瀕死の太陽は落ちていく

音もなく雨は降り出し
最初の一滴を今日も取り逃した
残されたスクランブルエッグの気持ち
生まれたての今に触れたくて
遮るものは厚い雲だけだった
クジラは名も無き星になっていた
湿った身体は震えている
怯えたように強ばりもする
君も少しだけ冷えていて
二人だけのやり方で
互いの温度を確かめ合った
何も必要ではなかった
ただ君という熱があれば
鼻を擦り合わせて宇宙を見つめる
瞳の奥で光る流星群
飽きずに天体観測の記録をした
星図は新しく描き変えられた

壊れかけの玩具がラベンダー畑の中を歩く
紫色の幻想と褪せない夜の夢
誰かを追っていた気がする
誰かに追われていた気がする
視界が僅かに上下して
揺らめいては滲んでいく
音もなく急速に色を失っていく
煌めいた星の最期を看取った
交わした約束を無くしても
その痕が完全に消えても
少しも涙は出なかった
形はもう意味を成さない
変わりようのなさに安堵して
雨の中やっと眠ることができる
死のようなこの眠りを永遠と名付けた

文学極道

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