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鈴屋 - 2009年分

選出作品 (投稿日時順 / 全15作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


給水塔の上で

  鈴屋


住宅では繋がれた犬が叫んでいる 
畑では白菜とキャベツが腐っている
僕は職業をさがしにいかなければいけない
それだから歩いている
切れ切れに飛んでくる黒い煙の
来し方見れば
給水塔の上で女が焼けている
 
黄ばんだ空にムクドリがつぎつぎ刺さっていく
電柱とビルディングが反りかえる
アスファルトのひび割れが刻々と近づいてくる
台所の小窓を閉めたかどうか
ガスストーブを消したかどうか
「アナタノイッサイヲアイシテイマス」
出がけにテレビが言っていた
郵便受けには極彩色のチラシが溢れていた
僕は職業をさがしにいかなければいけない

こめかみの方角
給水塔の上で女が焼けている
道路では街路樹が捻れている
路上に点在している人々が
バサリバサリとすれちがう
太陽はうす汚い
月は透けている
ふいの梅の香は
心底身に余る
この世は単純だ
僕が終われば
風景はない
僕は息をしている
風景を愛している

給水塔の上で
女の黒焦げの四肢が虚空を掻きむしっている
そのかたちのまま固定される
白いビニール袋が路面を滑っていく
2トントラックに轢かれ
しかしなにごともなく滑っていく
燻ぶりつづける女の
真っ赤な内臓のことをしきりに考える
舌がかってに口の中で動き回る
唾を吐く
僕は職業をさがしにいかなければいけない
それだから歩いている


恋歌連祷 11(仮題) 

  鈴屋

そしてすべてが黒い

恋人よ いまあなたはこの世界の人である 2007年9月
東京 立川市曙町の舗道であなたはケイタイを耳にあててい
る あなたの唇の端から笑みが広がり手をふる プラタナス
の葉がいっせいに翻る そしてすべてが黒い 河だけが光っ
ている 恋人よ いまあなたはこの世界の人である 曙町の
アパートの三階の窓からあなたが呼ぶ 笑顔が翳る 河だけ
が光っている かぼちゃのスープおいしい? わたしは肯く
スプーンの手を休め わたしはわたしのあなたへの愛につい
て説明する あなたは指先のマニキュアを見つめながら頬笑
んでいる ルージュが伸び縮みする 鉄橋を電車が通過する
そしてすべてが黒い 河だけが光っている 立川市曙町の舗
石の隙間に一本の螺旋形にねじれた草が生えている 岡野歯
科クリニックの前であなたのヒールの尖り具合についてから
かう あなたはわたしの脛を蹴るまねをする わたしたちだ
けが笑っている 恋人よ いまあなたはこの世界の人である
アパートの三階の窓からあなたがわたしを見送っている 恋
人よ わたしはいぶかる あなたの顔が指に見える 指紋が
渦巻き そしてすべてが黒い

曙町は普通だ
河だけが光っている


  鈴屋

 郊外へ向かう電車に乗っている。街が河のように流れていく。どこへいくのかは考えていない。仕事は休んだ。朝、始業前に会社に電話を入れると、林崎久仁子が出た。「風邪だと思う、熱がひかない」と理由を告げてから同僚への連絡事項をたのんだ。「お大事にいぃ〜」と語尾を流しながら切られた。
 川を渡る。車輌の床を鉄橋の柱の影がジグザグによぎる。川面で無数の光の粒が踊っているのが見える。やがて人家がまばらになり畑や森が目立ってくる。風邪などひいていないが、座席に深く座り襟を立て、風邪ひきの気分にひたってみる。 
 
 田園地帯が続いている。停車するたびに靴がぱらぱらと舗石の上に降りていく。もう昼を回った頃か?昼食後の林崎は工場の裏手の日溜りでメンソールタバコを喫っていることだろう。林崎か、人の視線を無視する女だ。丘陵の連なりが見えてくる。狐の嫁入りだ、日差しの中に雨が混じる。野山の緑がゴムびきのようにぬらぬら光っている。遠くの尾根にぽつんと立っている送電塔がけぶっている。いったいこの電車はどこまで行くのだろう、かまいはしないが・・・。
 
 *

 プラットホームに降り立ち自販機で桃のネクターを買って飲む。雨はやんでいる。缶に口をつけたまま空を仰ぐ。日はどの辺にあるのか、雲の隙間の明るみがあちこちで蠢いている。私が乗ってきたエンジ色の電車がプンッと警笛をならし、私を残して出発してしまった。テールランプが左にカーブして見えなくなった。ひとつ隔てたホームに停まっていたカラシ色の電車が動き出し、アーチの橋を渡り草ぼうぼうの丘のむこうへのめりこむように消えていった。頭上では高架線が斜めに交差している。そこを突然明るいクリーム色の特急列車が流れる帯のように通過して、すぐトンネルに吸い込まれる。隣のトンネルから同じクリーム色の特急列車が飛び出してきて反対方向へ通過していく。プラットホームや駅舎は四角い筒型の跨線橋や通路で連絡され、斜めだったり水平だったり捩れていたり、いったいどこをどう行けばいいのか複雑に絡み合っている。エンジ色とカラシ色とクリーム色の電車が激しく行ったり来たりしている。
 
 ホームのふちまで歩を進めて下を窺うと、線路の向こうは眩暈がしそうな深い峡谷だ。白い糸くずのような谷川が見える。山の中腹から山肌に沿って二本の太い管が谷川の四角い箱型の施設まで下っている。水力発電所だ。眼下で一羽、茶褐色の鳥が翼を張ったままゆっくり旋回している。足許を冷たい風がすくう。ようやく私は踵を返す。
 峡谷の反対側は二つ向こうのプラットホームからいきなり険しい断崖が聳えている。その崖の上、暗い雲におおわれた空を背景に一軒屋が建っている。そのひとつの窓に私が住んでいるのが見えた。
 
 *

 はじめ私はここに一人で住んでいるのだとばかり思っていた。襖を足先で開けて、缶ビールを両手に林崎久仁子が入ってきたとき「ああ、そう、そうだったんだ、私たちはここで暮らしていたんだ」と納得し、それはすぐ普通になった。
 私たちは缶ビールを片手に窓際に座り、ゆっくりと変化していく雲や向かいの山岳や眼下の駅を眺めた。もう夕方と呼ぶべき時刻なのか、雲のふちが黄ばんでいた。身を乗り出して真下の崖を覗くとざわざわと蠢くものがある。蔦が生長しているのだった。あちこちで赤っぽい芽が上へ上へと虚空をまさぐり揺れている。それに連れて夥しい数の葉が星を半分に割ったような形ににらにらと開き、壁面を隙間なく埋めていく。じきにこの窓にもとどくだろう。「気持ちわるい」と私がいうと、久仁子は「なにも」と答えた。私は久仁子の肩を引き寄せ押し倒した。ビールが畳にこぼれた。仰向けの久仁子は窓の外の薄闇を横目で眺めていた。 
 私たちは畳の上でじかにセックスした。考えてみれば私たちはこの家でセックスばかりしてきたのだった。セックスしているとき久仁子は真っ暗な空洞だった。その空洞の中にいて私は、これからもこの崖の上の粗末な一軒屋で林崎久仁子とともに暮らし、そして生涯を終えるのだろう、と思った。悪くはなかった。
 


問題はない

  鈴屋


電柱が並んで立っている(問題はない)
白いミニバンが曲がっていく(問題はない)
三月、休日、曇り、午後三時半、コーヒーショップの窓際(問題はない)
宅配の車がマンションの前でハザードランプを点滅させている(問題はない)
人が通る(問題はない)
ここまで問題はない(問題はない)

 
コーヒーを飲みほす
カップの底に薄茶色に染まった砂糖が残っている
スプーンで掬って舌にのせたい、と考える
客が出入りするたびにカロンカロンと鈴が鳴る、耳に障る
タバコに火を点け、また外を眺める
女が通る
「女」という一字がこめかみに浮かぶ
BMがよぎる、Mスポーツだったか
BMは好みだ、中古屋の志村に相場を訊こうとおもう、4・5年落ちのセダンでいい
今のインテグラには五年乗っている、これも中古
先月、リアバンパーの左角を潰した
ジャケットのポケットでケイタイがはしゃぐ、雀荘からだ
「須藤さん、見えてるわよ」
志村は?と訊くと、今日は一度も顔を出していないという
窓ガラスに顔をよせ空模様を窺う
雨の気配はない
「雨」という一字がこめかみに浮かぶ
胸元のパン屑を払い、灰皿にタバコを圧しつけ席を立つ
通りに出て、気分を計る
こんなものか


雲が薄く張っている、日がクラゲのように泳いでいる
狭い舗道、老夫婦らしき二人連れが前にいる
男のほうが「いつつつ、いつつつ」とかなんとか、愚図っている
いっこうに進まないので追い越す 
石段の上に出る
歩をとめて市街を眺める
空と地面のあいだで住宅やビルや塔や電柱や広告や女や事務所や樹木のたぐいがベタベタ横たわっている
くだらねえ、と考える
木とか空とか人とか地面とか雲とか住宅とか犬とか雨とか電線とか窓とか腑分けして呼んでいること
呼んでつなげて知らず知らず文脈など考えていること
くだらねえ、と考える


薬屋に寄ってドリンク剤を飲む
財布を覗いて札の数を確認する
その先
パブスナックのドアが開いている
暗がりの中、男がくわえタバコでモップ掛けしている
その角を曲がる
路地の奥で明るいうちからアクリルの看板が光っている
うす緑の地に赤く「麻雀」と抜いてある
にわかに、血がめぐりはじめる
皮膚に、指先に、頭蓋に
血がめぐりはじめる
今日、はじめて肉が新鮮になる
二階に上がる階段めざして、おのずと
歩が速まる


道のはた拾遺(1.2.3)

  鈴屋

1.電柱


一叢のカタバミ
埋もれた茶碗のかけら
蟻の巣など
道のはたの
一隅
灰色の棒、電柱が立っている
剥がし残したビラが
風になびき
突き出ているボルトをたどり
腕金
トランス
碍子
黒い
   線 線 線
   線  線  
    線  線
    線     
青空

はるかな
虚無に
ジクジク
刺さってゆく
光る棘
曳く
一すじの
飛行機雲
昨日死ぬべき者は昨日死んだ、今日死ぬべき者は今日死につつある
線をよぎる
  鳥
      鳥
苦情受け付けます




2.田園 


春のひと日
はからずも
ここまで来た

町の外れ
造成地は放置され
土ほこりが道を這う
日がな歩き暮らすほかない、わたしは
労働者だが、無職だ
おお、無職、このさびしく歪んだ呼称を愛す
この自由のさびしさを愛す

野に出でて
日差しに背が汗ばむころ
菜園と草野が青々と広がり
とおくちかく、緑わきたつ森に囲繞され
はるか電柱がならんでいるあたり、道はつづいていく
雲は光り輝き、とうとつに
風が狂えば
畑も森もいっせいに白々、世界をひるがえす
おお、無職、この五月の田園のただ中で
わたしの無職は雄雄しいか

泥をふみ
草をふみ
道はたによれば
雀、ツメクサ、ベニシジミ 
スイバ、カナヘビ、蜂、ハルジオン
おお、無職、不吉な人影よぎるとも、かれらは
わたしにしたしいか




3.河 


杭が立っている
女が立っている
犬が舌を垂らしている
 
杭と女と犬が動いたり動かなかったりしている
世界にはこれぐらいのことしかない
じゅうぶんだ

木が枯れていく
砂が水を吸っていく
わたしは人をやめ、夕日になるつもりだ
いや、枯れ木でもいいし、犬でもいいし
河でもいい

日と鳥が空に固定している
魚と貝が水に固定している
そのはざま、木と草と虫と獣が陸に固定している
世界は壁の痕跡であり
人についても、どこかに掻き傷くらいあるはずだ
といって、どこにも記憶などありはしない

杭が立っている
わたしが立っている
いや、わたしは流れているのであり
河だ


道のはた拾遺 4.

  鈴屋


4.日暮れ


闇が
畑野や町を
慈愛のように潤して
まだ暮れのこる茜空

血の雫が
てんてんと
長い坂を馳せおりて
外灯の明かりのもとにしゃがみこみ
はげしく放尿した
女になって爛れたかった
明るい眸で

街道をゆくトラックから
塩漬け肉が
もんどりうって転げ落ちて
はげしく泣いた
男になって腐りたかった
澄んだ口笛ふいて

町で一つの
駅舎に灯がともるころ
着いた電車から
蛆がいっぱい這いだした
路地の闇にちりぢり潜りこんで
世間になりたかった
病気の

朧月夜の田舎道
血の雫の女と
塩漬け肉の男が
より添いながら町を出た
深い森のまんなかで
女は男に犯罪をねだった
血よりもきつく
匂いたつ


川は流れた

  鈴屋

川は女だった
川は流れた
女は林崎久仁子と言い
夜、電車で鉄橋をわたり帰郷し
翌朝、実家近くの土手で青い矢車草を摘んだ
河原にしゃがんで流れる水を眺め
林崎は川とともに流れ
浮いたり沈んだり、目の前を通過する自分の裸体を見た
他日、川が
「わたしには寄る辺がない」と言うので
「それはわかるが・・・」
と私は川に言い、両岸の土手の効用を説いた

川は上流で妊娠し
河口で中絶し流した
川が流れる平野の町では人々がよく労働した
ある日戦争が済んで、つぎつぎに屋根がはびこり、道は網目となり
銀行は貨幣を出し入れし、電車はめまぐるしく回り
私は正しく修正主義者となり、いくたりか女と情をかわした
電車は鉄橋で瞬き、夕日は何度でも落ち
川は流れ、流した 
林崎は流れた
私は歩いた

林崎久仁子の実家の靴箱の上で青い矢車草が枯れ
林崎は流れた
父母は庭でインゲン豆を育て、父は長々しく理屈を言い、入れ歯を洗い
母は無言で草をむしり、芋虫を踏み潰し
林崎は流れた
私は休日のたびに河川敷に草野球を見に行き
そのときも川は流れ
センターフライを追いつづけ
白球は空で孤独な穴になった
「わたしは川底の下でも流れているのよ、知ってて?」と川は言い
私は笑いながら首をふった

林崎と私はアパートの二階で暮らした
畳の上で林崎は流れ、私は競艇の予想紙に赤鉛筆で印をつけた
窓からは色づきはじめた枇杷の実と
青空に刺さっているジェット戦闘機が見えた
夜更け
闇の中に横たわり
鉄橋を渡る電車の響きを聴いた
耳もとで水の音がすることもあった
川は流れ、流した
眠る林崎は流れた
闇夜の山岳、丘陵、平野を流れ
上流から下流まで全体が光って浮上し川は流れた


侘び住まい・六月

  鈴屋

雨期がつづく 
耳のうしろで河が鳴っていて、困る
部屋にひとり座し
壁など見つめていれば
列島を捨てて大陸へ行きたく、はや 
赤錆びたディーゼル機関車が原野を這う 
地平線のむこうから
雨、雨雲、山岳、狩る人、狩られる獣、村、など
風景がひりだされる

自分の顔を知らず 
片手で鷲掴みしてみる 
このヌルとした凹凸 
手指は私だが、まさぐる顔は他国者
指のすきまに小窓が見え、つかのまの青空
十字格子にかかる
白い月の
そのなけなしの清しさは、さあれ
苦もなく黒雲に仕舞われる

流し台の蛇口の先から
蛇がこちらを覗いている 
かわいい
縞蛇の女かもしれない
喉元の青白い鱗から絶えず雫が滴っていて
パッキンを取り換えねばならないが  
雑貨屋があるのは町の東
ディーゼル機関車は西へ西へ

無人駅のまわりには
ルビー蝋貝殻虫の集落がこびりつき
そのはずれに、角蝋貝殻虫が三つ四つ
白蝋の屋根を寄せ合っている 
その一つに私は寄宿し
雨の日は 
清潔を好み、幸福を好み
ふたつながら得ている

耳のうしろで河が鳴っていて 
鉄橋を機関車が渡っていくので、よけい困る  
「召しあがれ」と、窓辺に
姫沙羅の花を添えて
枇杷が置かれ、隣家の小さい傘が去る 
雨期がつづく
平野では河が溢れ、湿地帯に草が茂り樹が茂り
やがて石炭が出来る


  鈴屋

額にあてた手を顎までしぼって汗をぬぐう
ベンチに座って
親指と人差し指の爪を立て
桃を剥く
噛みつくように食う
陽は錆びついたまま動かず、空は地平よりも暗い
02年、夏
「ブッシュ、バカよ」とイラン人が言った
「ブッシュ、バカよ」と私が復唱した
私はトヨタの99年式ランクルをイラン人に売った
 
桃を食う
すする
果肉を歯と舌でねぶり、つぶす
遠くの丘陵の崖が崩れ赤い土が剥き出しになっている
崖の上で樹木が風にあおられている
私もあおられ頁が繰られるように薄くなっていく
翼竜が空を渡っていく
立ち上がって、丘のむこうへ消えるまで見届ける
プテラノドンだろう
手の中の桃がぐちゃぐちゃしているのを思い出し
あわてて手の甲のほうから汁をすすりあげ、座りなおす

指も口辺も濡れる
甘いな、甘いな、甘いな、と喉がごくごくするが
舌の根もとが、わずかに苦い
夏風邪かもしれない
複葉機が空中戦している
レッドバロンのフォッカーがソッピース キャメルを追い回し、撃墜する
黒煙を曳いて丘の中腹に激突する
目の前を、刻々と時をうつしながら
零戦がゆっくり過ぎていく
プロペラの回転、胴体の日の丸がくっきりしている
悲劇の戦闘機
なんのことだか、かまいはしないが

指も口もべとべと
私は零戦が好きだ
踏み切りのむこうで日傘の女がこっちを見ている
知っている女のはずだが・・・
捨てたか捨てられたかした女のはずだが・・・
笑っているようにも泣いているようにも見えるが・・・
コンテナ貨車がよぎる
いや、アパートの二つ隣の奥さんかもしれない
急な支払いに「持ち合わせがなくて」と言って
ひと月まえに六千円借りにきた、一万円渡したがまだ返さない
道で出会っても会釈をよこすだけ、金のことは一言もない
日傘をかたむけ変幻自在、小首かしげてルージュが伸びきり、みごとに頬笑む
回る日傘が遠ざかる
銀色のタンク貨車がよぎる
シェルのマークがつぎつぎよぎる
亭主のことを「十七ちがうの」「わたしだけがたよりなの」
訊きもしないのにわざわざ言っていた
また借りにくるはず
 
09年8月1日 米ドル/円 94.25円
欧州ユーロ/円 134.50円  ポンド/円 155.32円  
桃を食う
すする
果肉を歯と舌でねぶり、つぶす
汁が指の隙間から肘へ伝い、汗まじりの雫がサンダルの爪先の先に落ちる
砂が吸う

あるかなきか命がけ
の味がする

パイプがむき出しの蛇口が見える
そばの日陰で犬が寝そべって上目遣いしている
犬は空を絶対に見ない
三つ四つ蟻の巣がある
黒い点があちこち動めいているのがわかる
まだ果肉がくっついた赤紫の種を放ってやる
蟻よ
集まれ
蛇口まで手と顔を洗いにいくつもりだが
指と顎を垂らしたまま
ぐずぐずしている


道のはた拾遺 6.

  鈴屋

6.自転


いちめん、浅黄は刷かれ
しのんでいく、晩秋の柔毛の
密集に落ちていったのか、椋鳥と椋鳥

警笛を湛える湖、あなたは形式をうそぶき
頬笑みを匙かげんする
上唇と下唇の隙間で高速回転する衛星歯車
かなしいのです
と、あなたは告げる

閃く額、暮れる唐紅
くるぶしが、カッ、カッ、削られ、こぼれ
見ひらく瞳孔に引込線が出入りする
丘に佇み
回っています、と、あなたは耳をそばだてる
自転のはるかな轟き、地の擦過音

木々やあなた、向こうのなにかの尖塔
立ち尽くすものは
傾いては立ち、傾いては立ち
修正する


夜歩き

  鈴屋

 
 昼間は壁に染みて休息しています。壁ならなんでも良いというわけではありません。古い壁ほど染み込み易いし居心地が良いのです。たとえば築四・五十年以上経ったモルタルの壁とかコンクリートの擁壁とか・・・、近頃ではめったにお目にかかれませんが、旧家の土塀などは染み込み具合が最高ですね。それで、日が落ちてすっかり暗くなったのを見計らい、そろりと壁から染み出し、夜毎の夜歩きに出かけるのです。  
 
 もちろん明るいのは苦手ですから街の賑わいは迂回します。闇を求めて路地から路地へ、有刺線をくぐって空地を横切ったり、機械油のような硫黄のような臭いがのぼってくる掘割に沿うたり、工場裏の万年塀に沿うたり、人通りの少ない場所を択んで歩きます。橋の上ではよく一服します。窓明かりなんかが黒い水面でとろりとろり揺れているのを欄干にもたれていつまでも眺めます。私にもあるんですよ、そんな所でぼんやり想ってみたい来し方が。

 塔の類、送電塔だの給水塔だの鐘楼だのは好きです。夜空に聳える黒い影を巡りながらときどき立ち止まっては見上げるのですが、考えてみれば私が夜空というものを見上げる機会はこんな時くらいしかないような気がします。つまりこれは私がいつも俯いていて、星とか月とか天体というものにまったく関心がないということの証左です。
 角を曲がったところで歩を休め、行く手を見やると、暗い道の一隅が古ぼけた外灯にそこだけ丸くぼうと照らされていたりします。遠くから眺めながら、私はうっとりしますね。なんといいますか、そのささやかな蜜柑色の光の輪の中に不在の幸福というものを見るのです。いやおうもなく私はその場所へ向かいます。灯の周りを羽虫や蛾がひっきりなしに舞っているのを、何が面白いのかいつまでも見上げています。ただ、ただ、何ごともなく・・・、わかっていることですが。 

 闇を求めて歩くといっても、油断していると車のヘッドライトに顔を掃かれることが、ごく稀にあります。そんなときは、とっさに人の顔をします。世間の顔ということです。光が過ぎ去ればすぐ夜顔に戻りますが、その時のふたたび闇に深く吸われていく感じはうれしいものです。この夜、私だけが生きて動いている、そんな感じです、住宅の明るいあの窓この窓、窓の中の家族という泥人形、無花果の形した土気色のがん首たち、実に私だけが肉に血を奔らせ生きて動いている、そんな感じです。
 私は木立のあいだの闇の奥の奥が無性に懐かしいのです。 夜の大気の水の匂いを嗅ぎわけられるのです。だとしたら私は獣になれるでしょうか。夜行のゆく手にたち現れる黒い物象どもを名付けたりしない、まして自分の名など呼んだりしない獣に。

 夜が深まるにつれ、夜は捻られ、いびつになり、繁殖していきます。坂を上れば下る裏側を歩かされ、十字路を右に曲がれば、左に曲がっていく背がある、線路沿いを歩けば頭上の跨線橋を渡り、見知らぬ街を行けば向こうから見知った街をやってくる、私は複数を生きています。もはや異性という同伴者の存在は忘れました。どんな形だったか、匂いだったか、声だったか、忘れました。自分の陰茎を腫らすいとしい血も忘れました。しかし、そんなことがどうだというのでしょう。この巨大な都会で私は単独を択びながら、しかも夥しい数を生きているのですから。
 やがて私は闇よりも濃い影になりおおせ、憑かれたようにさまよいます。このころになれば、このあてない一夜の旅を、何の意志か何の慰めかも問わず、被服と皮膚の狭間に燐のようなものを奔らせ、自分を歩き潰すまで歩きつづけるほかありません。昔、私が眠った酸っぱい寝床は夜空の見えない高みに吊られ、凍っているのでしょう。もうそんなところには還るわけにはいきますまい。さて、そろそろ空が白みはじめるようです。またどこか古壁を探すとしますか。


あなた、と、わたし

  鈴屋


ピンクと白のコスモス飾って
晴れやかな、朝
あなた、と、わたし
唇すぼめ
ティーカップのふちを、ふっ、とふく

ひと粒、ふた粒、口にふくむ
葡萄の粒
紅茶に、あうかも
この仄かな、しぶ味は

明るい出窓の
レースのカーテンが、ふわり 、 、 、 ふわり
ボーイング767が庭から飛来
ひとしきり部屋をめぐって
あなたの、こめかみに
激突!
あなたの唇が、あっ! と、丸くあいて、瞳がふたつ、ななめ上にそろう

わたしはハハハと笑い
バンドエイドを貼ってあげ
テーブルの惨状を
かたづけ

おもいだすのは、ゆうべのこと
お腹にしるされた葡萄色
サハリンそっくりの
ほそくてながい
痣、が
好き

昼下がりの
窓は、銀糸のこぬか雨
あなたをさそって、午睡する
 
あなた、と、わたし
脚のつけ根にたばさむのは
ほんとうは、ベッドより
藁のむしろがふさわしい、東洋の
くすんだ性器

言葉はかわさなくて、目をつぶり
つかのま、いろいろな
ことに

さようなら    、   さようなら


あなたの街の夜

  鈴屋

あなたをさがしに、地平をさ迷い
散らばるあなたを区分けする
 
眸は暮れ、唇は雲に刷かれ
空を噛むあなたの歯形が街になった、つきない嘘が窓をならべた
そ知らぬふりをしているので、外灯の灯が坂を駆けのぼる 

高架電車の窓明かりがリボンのように結ばれ、ほどける
夕闇に浮かぶ噴水、一瞬、静止する水の粒の煌き
かつてあなたは化石の子宮を博物館にあずけた

垂直に裂けているあなた、その滲む血と微笑を私に与えることなく 
とおく立ち去りながら、ささやく

 「冷たいタクシーにお乗りなさい
  知らない街の冷たいバーで、知らないわたしにするように、冷たいウォトカをなめなさい」

地平線のふたつの乳房を十三夜の月が照らす 
横たわる裸体の、額から爪先までのはてしない距離
林立する白蝋の街、芒ヶ原、道のはたの霜枯れの菊花

足許から延べられていく、あなた
あなたの土と砂

夜空の高み、電飾の娼婦が神をいだく
街角が影を曲げていく、靴音が耳の回廊をめぐる
壁という壁でひとりの女の舞踏が乱れる
ついに私はあなたの液体を知らない

たどりつけない星空の凍るベッドで
あなたがあまりに死に近く眠るので、街は浸水する
人や家具や犬、鼠や虫や木、るいるいと浮かび、安らぎ、憩う

明けやらぬ街に満ちていく霧の寝息


窓をあければ

  鈴屋


「窓をあければ、港が見える」* 
と、父と母が唄って
この島国は生まれた
1945年、四方を潮のしぶきが洗った

ふたたび日は昇り、日は落ち
タールまみれの群衆が湧きだし
行列し、行進し、ひしめきあい
海にこぼれる者も汽車に轢かれる者もいた

やがてわたしが生まれ
はやりの唄が子守唄
海のむこうの戦争がおとぎ話だった
夕焼けと食い物のほかに人に語るほどの少年時代はなく
大学を出た

通勤電車から見える西日のあたる丘には
牡蠣殻のように屋根がひしめき
身をかがめ、車窓から眺めるたびに
そのひとつに私が棲んでいるとは
なんとふしぎなことだったろう

回る目玉がなかなかそろわず、いつも口紅がはみ出している妻と
三角形の赤いスカートをはいてさかあがりする娘と
四半世紀暮らした
人並みに、思えもして
幸せだった

そして、それから
どうしたものか
近しいことはなにひとつとして思い浮かばず

窓をあければ、電線のうえ
青空のひじょうに高いところ
さらさらとすじ雲はながれ
窓をあければ、生きてゆきたい


 
   * ・・・・・ 「別れのブルース」 淡谷のり子 唄


荷札の顔

  鈴屋


電柱がかたむいていて
煙りもかたむいてのぼる田舎の町で
女が荷札の顔して
ひとりくらしてた 
路地には蜆の殻がしいてあって
木のサンダルがばちばち鳴った
晴れた日には
顔がかわいてめくれるから
頬に両手をあててた
雨がふると
蟹が畳にあがってきて
彼女の足うらの垢をけずって食べた
裏庭のむこうをはしる
ディーゼル車の警笛を聴いても
なにもおもわないで
毎日しずかに
くらしてた

ぼくがただ一度きり彼女をみたのは
ディーゼル車の窓からだった
戸口にかたむいてたって
どこかをみてた
そのときも
ちいさな荷札の顔してた

文学極道

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