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鈴屋 - 2008年分

選出作品 (投稿日時順 / 全11作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


恋歌連祷  8

  鈴屋

   
 
   8
  
  
   給水塔の上
   キジバトが世間を見ている
   
   十月 あなたはあなたの街を散歩する 散歩に希望はい
   らない? あなたは見る 青空がかぎ裂きに裂け宇宙の
   黒い欠片が降りしきるのを みどり色の芋虫が路面電車
   よろしく体を波打たせながら坂を馳せ下りてくるのを
   レストランのアクリルケースの中で薔薇とパスタが埃に
   まみれているのを 海鼠のプラットホームの上に佇み芋
   虫の愛らしいマスクを待ちながらあなたは吐く なんど
   も吐く 遠くであなたの母が笑いながらたしなめている
   あなたはしもた屋のガラス戸を開け土間の奥の畳敷きに
   上がる 唇が異様に紅いバカそうな少年が入ってきてあ
   なたを押し倒す あなたの上で少年は嬉々として暴れ犯
   しはじめる あなたは白壁のグリーンランドに似た染み
   を見詰めている 畳の埃で頬がさらさらする 母に会い
   たくてまた吐く 遠くで母が笑いながらたしなめている 
   砂漠の町の静かな広場で男が男を壁に押しつけ刺してい
   た なんどもなんども刺していた 男が崩れ落ちて死ぬ
   とまた最初から男が男を刺していた なんどもなんども 
   刺していた 男が死ぬとまた男が男を刺していた 刺し
   た男はオートバイよりも速く地平線まで逃げた 死んだ
   男は陽の下で死につづけた

   プラタナスの葉裏が光る
   紅茶は紅い
   
  
   


恋歌連祷  9

  鈴屋


 
 
道ばたの草が汚れている
タールの新鮮な飛沫
 
あなたを連れていく 雨に濡れながらあなたを連れてい
く バターのようなぬかるみ道をあなたの腰を抱いて登
っていく 手をからめ脚をからめ毛髪をからめ目や舌や
息をからめ体液をからめあらゆる性愛をからめあなたを
連れていく 登りつめれば頭上の大いなる天の蓋を切り
裂きさらにさらに登っていく 雨に濡れながら連れてい
く 天国だの地獄だの わかっているだろう そんなも 
のは ない あなたを連れていく 人が創ったちゃちな
書物と建築 言葉と音楽 そんなものは ない 信仰は
人の悪い癖 信仰の代わりも悪い癖 戦争?やってろ
平和?やってろ そんなものは ない あなたとわたし
のあらゆる突起と穴をギシギシギシギシ圧しつけあって 
雨とぬかるみと血にまみれ もうもうと湯気をのぼせ
性愛しながら連れていく 世界? 宇宙? わかってい
るだろう そんなものは ない 生きても死んでも そ
んなものは ない
 
窓の
明るい雲
電子レンジが呼んでいる 


恋歌連祷  10

  鈴屋

10


岸辺にいると不安なので
内陸へ向かう

わたしが愛するあなた あなたを捨てにいく あなたの
首はなだらかな丘の頂にそっとおく あなたはけっして
ふり向かない木になる あなたの腕と脚は束ねて括って
寂しい駅のベンチに忘れてくる 学校帰りの少年がひと
り美しい眉をひそめる あなたのコスモス色の10の爪は
ティシューに包んでポケットにおさめる あとではじい
て遊ぶ あなたの眸は秋の曇り空に投げ入れる ときど
き瞼をあけては道行く人の背後を見詰める あなたのト
ルソーは湖に立たせる 千年昔の悲しい恋の伝説になる
あなたの唇はポスターにして街中の壁という壁に貼る 
万人があなたの唇を買い求める あなたの血液のことご
とくはわたしが吸いつづける わたしの永い逃避行の糧
とする あなたの女性器は荒れ野の枯れ木に吊るし北風
に晒す わたしはその荒れ野で泣きながら夕日を見る 
わたしが愛するあなた あなたを捨てにいく あなたの
すべてを捨ててしまえばわたしは旅を終え紳士服など買
いにいく

ドアミラーの中の青空
はるかな送電塔の数列  


花冷え

  鈴屋

あなたがふりむく 春
花冷えに二の腕をさすり あなたにこどもを生ませる 春
いきるきもちもてない? 春 
桜なんて紙くずじゃないか
窓のそとのどこかの空でヘリコプターがとんでいる 春 さわらないで
水のませてくれ
 *
歩いていく
バイクがたおれている 発泡スチロールのカケラが目のまえを転がっていく
あなたの二の腕の鳥肌のザラつきに触れようとする
春 タイトスカートの裾から赤ン坊が降りてくる
あなたがふりむく  
洗面台の上の小窓が閉まらなかった 蛇口の雫が止まらなかった 春
さわらないで 紙くずじゃないか 
スカートの下に赤ン坊をぶら下げている
あなたの歩きにくさを忖度する

 *
歩いていく 自販機がある
カーディガンの袖で手をつつみ あなたにこどもを生ませる 春
まえをゆく尻の下で皺が左右にはしる
あなたの膣の熱をおもう 風が濡れ匂いたつ 春
ツーツーツー どこかで配送車がバックしている 
あなたがふりむく 桜なんて紙くずじゃないか
こどもは腹にもどっている いきていける? さわらないで
春 小銭をいれる
ウーロン茶でいいのか?


日暮れまで

  鈴屋

せめて喉をひらくほどの
風がほしい

倒れかけた一本の杭が
有刺鉄線にかろうじてぶら下がっている
足もとの草むらから椋鳥が飛び立ち
驚いてみることも救いなのだと
顔をあげれば、電線から垂れている紐の類

  あのひとの部屋で
  あのひとの裸体をステンドグラスみたいに
  区分けしてきたんだ

道のゆくての黄ばんだ空に
家や木立や電柱が、切り絵のように立てかけられて
歩いていっても崖、明日なんかない

蚊柱に立ち止まり
とある一匹を目で追っていくのは
存外たやすいことがわかる、けれども電柱にじゃまをされ
「耳鼻咽喉」って、どこの言葉?
踏み込んでしまった水溜りの
油膜の暗い虹
吸殻
ボルト
曲がっているのは釘?
ミミズ?

  あのひとの部屋で
  あのひとの内臓や管のひとつひとつを
  十二色のパステルで塗り分けてきたんだ

薄闇のなかに
ひとむらの小手毬がしろじろ浮かんでいる
住宅の閉ざされた窓々のひそやかさ
レジ袋を満載したママチャリにぬかれ、それきり
路上に人が絶えて、ふいの
風のように
学園のチャイムが中空をめぐり
放浪の予感?
ふりむけば
巨大な夕焼けが逆巻いて


恋歌連祷 6(仮)

  鈴屋

月は高く
植物は帰化する

あなたと手をつないで秋の花を観にいく 河原に泡立草と
芒を観にいく 明けるのか暮れるのか雲が垂れ込めいつま
でも仄暗い 対岸の丘陵の中腹にゴミ処理施設の煙突が見
える 鉄橋を電車が渡っていく なぜいつまでも暗いのか
クレゾールが臭う 河原一面泡立草と芒の金銀の斑がぼう
と浮いている 土手から河原に降りる 芒の葉陰であなた
の口を吸う あなたの顔が風に掃かれ白々瞬く 足許で人
が死んでいる 川岸でも半身を水に浸しながら人が死んで
いる その爪先が浮き沈みしている 土手の草の上で人が
死んでいる あちこち累々と死んでいる クレゾールが臭
う 上流の空の果てが傷口のように爛れている ゴミ処理
施設の床にも煙突の中にも死体が詰まっている 電車のシ
ートにも床にも死体が転がっている あなたと手をつない
で死体を見ていく 橋脚の下でわたしの母が死んでいる
波際であなたの姉が腐っている 姉の右の乳房が陥没して
いる 泡立草と芒の中に分け入り わたしたちは向かい合
ってしゃがむ あなたの口を吸う あなたの顔が風に掃か
れ白々瞬く 花を観に来たのだから 仕方がないのだから
わたしたちも死ぬ準備をする

尾長が叫ぶ どこかで
今日が始まる


あなたの行方(1〜5のうち1・2・3)

  鈴屋

1 広場


五月の透明な日差しには純白のワンピースがよく似合う
あなたはわたしとの約束の場所、広場のとある片隅に佇んでいた

雑踏のなかにわたしを見つけたときの微笑のために口許をととのえ
ビーズのストラップを下げたケイタイを右胸のあたりで握りしめ
ときには舞い立つ鳩のゆくえを追って
ビルの稜線に狭められた青空を仰ぎ見ることもあった
あなたはあなたという少女の見かけほどに幸せであり、あなたからすれば
目のまえの人々の行き交いも同じていどには幸せなはずだった

あなたがぼんやり眺めているおびただしい頭の群れ
メガネ、ピアス、ケイタイ、開いたり閉じたりしている唇
振られる手、つないでいる手、ザラザラ過ぎていく靴の右左
たえまなく吸われ、吐かれる空気
あなたがぼんやり眺めているおびただしい群集、黄色い人種の多彩な休日

その言葉は
あなたではなくあなたの唇の唐突な発見だった
「あなた方を愛さない」
あなたの眸が広場のすべての人々と数羽の鳩、そしてあなた自身をかき消した
  
あなたはどこへ消え去ったのか
いつの日もハンカチを干していたあなたの小さな窓を
わたしが訪れたときにもあなたはいなかった



2 雨期


あなたは雨が降りつづく内陸を旅していた
水漬く草と森、髪と皮膚、ひとすじどこまでも伸びていく道を
ぬかるみも厭わずあなたは歩きつづけた
降る雨が昼も夜もこんなにも銀色に光るものとは
たえず濡れていることがこんなにも清潔なこととは
前方のぬかるみの輝きを見つめ、空を仰ぎ、顔に水の粒を打たせ
歩いていくことがこんなにもすがすがしい所作とは・・・

あなたは自分の肉体の重みを憎んだ
たっぷりとタールを内蔵しているような重みを憎んだ
憎みきって、頭蓋を開き、胸を開き、腹を開き
豪雨に打たせ隅々まできれいに洗い流してしまえば
身は軽くいよいよ旅は快適となり
丘陵の上の雲間の明るみから
草はらの上に淀んでいる巨大な黒雲に至る大空の繊細な諧調
その美しさをこころゆくまで楽しんだ

あなたは丘陵の頂から頂へと伝うひとすじの細い道を歩いていた
霧雨なのか霧なのか
それ自身光の粒を含んでいるかのような
明るい乳白色の大気が眼下から濛々と立ちのぼり、あなたを包んでいた
永い旅の末、疲労はあなたのなにを蝕んだろうか
頬はこけ、眼差しは呆け、先の定かではない道の危うさを気づかうでもなく
ふわりふわりと浮いているような足取りは影も曳かず
消えかかり、やがては消え失せる幻影と化して・・・
だが、あなたは
視界を閉ざし染み入るようにまとわりつく大気の温みのなかで
生きることに深々と染まり満ち溢れ、
やはり歩を進めていった



3 革命


それは蜃気楼のようにも見えた
地平線に長々と横たわる群集の帯

委員会はいつも風が吹きすさぶ大地で開かれた
紙もペンも押さえるより速く
テーゼも戦術も討議も声になるより速く吹き飛ばされ
あなたはあなたでサンバイザーとサングラスとスカートの裾を交互に押さえていなければならなかった
評議会はいつも地平線まで伸びている鉄路の上で開かれた
レールがカツンカツンと鳴りはじめ警笛が聴こえるたびに
あわてて椅子とテーブルを両側に運び出さなければならなかった
通過する車輪の隙間に、なにやら怒鳴っているアジテーターの振りかざす拳が見えたことも
あなたの片方のパンプスが運悪くレールの上に脱げ落ち、轢かれたこともあった

あなたの真摯な眸とキイロスズメバチとママコノシリヌグイの花束が革命に向かった
あなたの尖った剥きだしの乳房とヤマカガシと廃線の電気機関車が革命に向かった
地平線の果てまで落ちている硬いもの柔らかいもの、石や瓦礫や寝具の類
地平線の果てまで立ったり並んだり倒れたりしているもの、電柱や杭や広告塔の類
それらすべてが革命に向かった
あなたは電気機関車のデッキに立ち、それらすべてに向かって叫んだ
「われわれは名もない遍在であること、名もない孤独であること、
名もない日常、名もない事物、名もない死であること
それら名もない集積の名もない革命であること・・・」


あなたのゆくえ(1〜5のうち4・5)

  鈴屋

4 花 


夜、星たちが暗黒に天蓋の形をあたえた
昼、太陽が天蓋に軌道をひいた
灼熱が地平のわずかばかりの禾本科の草を枯らし
驟雨と夜がまたわずかばかりの発芽をうながした
あなたは細い水脈を見つけては水を手のひらにすくい、すすり
ただちにそれは汗となって薄い衣服を濡らし、乾いては塩の染みを跡づけた
日に日をついで大地を蛇行していくあなたの足跡が、まだしも、けものの証なら
神の名を知らぬまま、未明の空遠く鳴いてみることも

やがてあなたは色濃い草と森に沈む村に辿りついた
炎天のもと、静まりかえる畑中の道、よどむ溜池、生垣から覗く庭、
なぜ人は花を植えたがるのか、あなたが怪しむそこここに夏の花は咲き
よそ者ふぜいを隠しもせずとぼとぼと過ぎていくとき
蓮華、露草、昼顔、山百合、金鶏草
あなたを訝るすべての花が
あなたに強いた
「もだせよ」と
小道のわきには百日草がならび咲き
土塀をなぞる指がふと空をおよいで、あなたが覗き見た庭には
沙羅、合歓、花魁草、凌霄花
花かげの奥の座敷で、花よりも紅い女と
花よりも蒼白な男が
死よりも哀しくまぐわい
あなたが見渡すすべての花が
あなたに強いた
「もだせよ」と

百日紅の根方の石にあなたは座した
足許の先に六つ七つの蟻の巣穴が散らばり、
運び出すもの、運び込むもの
旅に出るもの、帰還するもの、交渉するもの、連絡するもの
蟻の集落の殷賑をあなたは飽かず眺めた
周囲には酢漿草の花が明かりのように咲きそろい、さらに鳳仙花、葉鶏頭の森が囲んでいた
なつかしい民族のように彼らの言葉を音楽をかすかに聴きながら
幹にもたれ、日暮れへさそう風にわずかに花冠をゆらす芙蓉を
見るとはなしにいつしか眠った
それは誰だったか、肉親がひとり
あなたが忘れていたあなたの名をしきりに呼んだ




5 広場


秋になった
わたしはあなたを失った広場に佇んでいた
あれからいくたびか雨が降り、いくたびか日が照り、舗石はしろじろ洗われ、清潔な風がふきわたり
舗石の隙間という隙間に針金のような帰化植物が生え
あちこち鼠色の穂ををつけているのもあった
ビルの壁には四角い青空が整然とならび、そのなかのひとつが思いがけず日を弾いた
  
地平線は目の高さにあった
点と見えたものが短い縦軸になり、ゆらめく紡錘形となり
それはわたしにむかって歩いてくるあなたの姿だった
あなたは歩を止めると、両手を垂らして立ち尽くし
その眸はわたしを、それともわたしの背後を、いや、なにひとつ見ないかのようにさ迷い
やがてわたしが聴いたのは、たしかに懐かしいあなたの声だった
「批判につぐ批判、払拭につぐ払拭、変遷につぐ変遷、草をはむこと、石をけること
落ちているものを拾い、手のひらにのせ、見つめ、捨てること、歩いていること、川をわたること、そしてなお、けっして成就しないこと・・・、そう、だから、わたしはあなたに言う、さようならすべて・・・
キイロスズメバチが死ぬまぎわ、嗤いながら言ってた、地上の解放は人の消去だって、わたしはかれを笑って見送った
眠り、目覚め、水をのむこと、日をあび、風にさらされ、ときに生に、ときに死に至ること
そしてなお、けっして成就しないこと、・・・そう、だから、わたしはあなたに言う
さようならすべて
さようならすべて
さようならすべてがすべて」
 
地平線は目の高さにあった
あなたの後姿はゆらめく紡錘形となり、短い縦軸になり、地平線に交わる点となって消えた
わたしは舗石の上に落ちているホワイトパールのケイタイと片方のパンプスと
キイロスズメバチの屍骸を拾い、ベンチの上にならべ
手をはらいネクタイを締めなおし、広場からオフィス街に向かう広い鋪道を歩きはじめた
振り向かずともたしかに、背後で人々やバスやタクシーが行き交い、鳩が舞ったりしているのがわかった、はやりの唄や靴音やクラクションが聴こえてきた
わたしはわたしが給料生活者であることを思い出し、それはゆくりなくも
「嗚呼」という声とともに空を仰ぐほど新鮮だった


わたしが歩いていく

  鈴屋


電柱が並んで立っているのはわかっている
灰色の円筒形を給水塔とよぶこともわかっている
ガードの上をいずれ電車が通ることもわかっている
そこまではわかって、そのあとがよくわからない
見えているのに、だ
 
風景のなにもかもがよく見えている
よく見えてはいるが金属的に光っている 
金属の平たいピースを嵌めこんだようだ
そのひとつひとつが独自に光っていて
それらを何々と名指すことができない
そのことについては
ふむふむと頷きながら事実としてわかっている
  
女の部屋に向かっている 
別れてくれ、と云われるのはわかっているし
それはそれでかまわないし
好都合だとも云える
未練がないわけではない、とも云える

彼女の像はすぐ思い浮かぶ
へんなものだ
それが女の肉体であるというのはすぐわかる

歩きながら
壁、とか、電線、とか、反射、とか
瞬間的にそんなふうにわかることはたまにはある
梅澤眼科、とか、漢字が読めてしまうこともごくたまにはある

目のまえのなにもかもがよく見えている
なにもかもがよく見えているとき
おもいだす昨日が無いのがわかり
自分が他人だ、ということがつくづくわかり
歩いていくが
なにひとつ名指せない


秋の散歩

  鈴屋

ネコジャラシが風を批判している

 *

こいびとよ
秋はあなたのひかがみのさびしみ 
日の当たる縁側をあなたの足うらはひそかにかよい
綿ぼこりはまろび、ドアのむこうは青空 
崖上からふみだす歩のかるさ
秋は散歩のたのしみ 
通りすがりの一つ家の孤独な火災をやりすごせば
爪ではがした昼の月と恋の瘡が煙にさらわれ
失うことのさわやかさ、見返り美人をこころみる 
秋は花と血のたのしみ 
すすきをなぎ曼珠沙華をふみしだき 
日がな一日肉を斬りあう無頼が二人 
一人がかなしく死に
一人がかなしく生きのび
二つながら 
あなたの恋がまたはじまる、こいびとよ
踏切の警報機が鳴り
黒と黄の縞々模様の棒が横たわるむこうで
ガス器具販売店の幟旗がはためき 
郵便配達の赤いバイクがジグザグに遠ざかり
老婆が門扉のあたりを掃くそれらのながながしい時、時
鉄の車輪が瞬き、去り、棒があがり
人けのない道に、黄金の
金木犀一樹
二秒、一秒
あなたは世間から醒める
こいびとよ
秋は角を曲がる、秋は全体的に角を曲がる、秋は軋む、秋は軋みながら全体的
に角を曲がる、秋は傷つける、秋は軋みながら全体的に傷つけ角を曲がる、秋
は現世を運ぶ、秋は軋みながら全体的に傷つけ、現世を運びながら全体的に角
を曲がる、こいびとよ 
縁側の陽だまりはうつり 
帰宅したあなたの足うらはひそかにかよい 
綿ぼこりはまろび 
あなたはふるび、ふるび色づくあなたの 
秋はさびしみひかがみの秋
こいびとよ

 *

雲とコスモスと
「マー君」という叔母の犬


空き室

  鈴屋

曇ってる
いつだって曇ってる
昼下がりの駐車場には青い2tトラックが一台だけ
そのむこうのモルタル壁のアパート
そこに住んでた女をつけたことがある
臙脂色のスカートの腰ばかりを見ていた
足が悪いのかもしれない、変則的にゆれた
ヒッコリ、ヒッコリ・・・、そんなふうに口ずさんだように、おもう
横顔しか見なかった

 *

鉄の階段をのぼる
足裏にかすかな共振をかんじる
2階の屋外通路に上がってあたりを見わたす
電線が急に増えている
駐車場の四角い網柵沿いに雑草とコスモスがいっしょに生えている
路面の白線が浮いている、道にも住宅にも人がいない、動かないから写真みたいな景色
二番目の部屋のノブをまわす、軸があまくなっている
うしろ手に閉めて板の間に上がる
ぬぎ捨てたスニーカーを見かえす、片方がひっくり返っている
ステンレスの流し台が乾いている
クレゾールがにおう、気がする
クレゾールのように美しい、というおもい
トイレを開けてみる
ごくうすく水ぎわの形に黒ずんでいる
板の間から畳の部屋へ
押入れはすべて開け放たれている、その空っぽの床に落ちている
ピンクのセロハンに包まれた二個のナフタリン
半月のように欠けている
柱の釘の黒い頭、点々とある釘やフックを抜いた黒い穴
畳はあんがい傷んでいない
女はそのように歩いた
カーテンのない窓を顔の幅に開け外を窺う

降りだしそうな空の下に一面の野菜畑、そのむこうに
私鉄の架線だけが見えている
溝みたいなところを走っているらしい
窓を閉めて部屋に向きなおる
壁に跡づけられた家具の幻影
にわかに動きはじめる空気
じっと見つめる
人型が板の間のほうから入ってきて立ち居ふるまいする
腰のあたりを目で追う、ヒッコリ・・・
あとをつけたことがある、自涜に駆られる眩暈
畳に尻から落ちて仰向けに寝る
外の音をさぐる、なにもしない
ドーナツ型の蛍光灯が真上にある
遠く、警報機が鳴る
背中に寒い湿り気をかんじる
横顔しか見なかった
電車の音がする
密生するサトイモの葉の上をパンタグラフが蟹みたいにシャカシャカ滑っていく
窓に立たずとも見える
好きな景色

文学極道

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