#目次

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尾田和彦

選出作品 (投稿日時順 / 全123作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


見つめないで下さい

  ミドリ



モガディシオの海岸に

その美しく輝く君の裸体を寝かし

TBSからカメラ一台をかっぱらって

世界中に生中継したい

時代は1970年代が良い

ベトナムでコーンフレークの缶詰を開く茂みの黒人に対して

あるいはサルトルがもの欲しげな指を組合わせる

サンジェルマン・デプレのカフェテラスにおいて

穏やかな心を取り戻す為のすべての人々の戦いの為に

夏の終わりのJR中央線

乗り遅れたおっさんが

ドアーに挟まれて言った言葉がそれで

「あまり見つめないで下さい」

多分そのおっさんは51歳で商社に勤める

肩書きは次長で

東大を2浪して入った卒業を間近に控えた息子が一人おり

普段から家族に憎まれ

生きてきた50年とやらの歳月に自信をなくし打ちひしがれ

挟まれたドアーの中で告白してしまったのだ

「あまり見つめないで下さい」

多分日曜日の朝

選挙に行くと言って戻らなくなるタイプが

こんなおっさんだ

例えば美しい女を見かけると

俺はDNAを駆け上がる激しい血の流れを感じてしまう

そしてアンドロメダの流星群に向かって祈りを捧げてしまう

大事なのは死ぬ前の愛だ

人の言葉はロゴスの祭壇を駆け上がるえくりちゅーるの勝利であり

カラの言葉を狂い抱く重層な音楽だ

地球からは今争いはなくなった

戦争はテレビの中でしか起こらない

君らはみな丸腰で愛に満ちている

愛について語り合うための

十分な長い夜もある


教会

  ミドリ



動物を律するのは不可能だ

赤むけの腹がふくらんでいる

魚を見たときそう思う

その教会の内部は

ラス地のモルタルの壁で

口の利けない神が

野菜倉庫かなにかみたいに

佇んでいる

きっと2、3人女が寄れば

想像力を妊娠してしまう

そんな神がいて床に疵

何をするにも頼りなく記憶に縋り

人の壁に突き当たる

入り組む陽射しに指を組み

格子の椅子に腰に壁

自分を迎える為の

十分な時間を与えたはずなのに

少しの準備もなく

弁明にまわる

藁のごとく座る

人と神


僕と麗子

  ミドリ



僕らは梯子が欲しかった
やがて起こるだろう戦争に
発狂しないよう
小さな子供を昇らせる

剃刀に
血を走らせながら
三億年の未遂を窓から開け放つ

きまって麗子はバルコニーにいる
水銀のように身体を抱えこみ
頭部まで昇らせる
掌握された共有者が
自殺を従わせる太陽の下

受話器を取り上げながら
死んだ時のために連絡を取るダイヤル
きまってその顔は
初期社会主義体制下の
スターリンのような顔で
まるでムッソリーニに話しかけるように
あどけない緊密な会話を取り交わす

だが誰もがロボットとは違う
官庁オフィスのどの部屋にもかけられている
時代との癒合という鍵を回せば
僕や麗子の中に住まう国家が
ひと独り分のスペースさえも
ないことに気づけただろうに


ヴェガ星

  ミドリ




今ヴェガ星へ飛び立つ為の、小さな宇宙船を用意しています。
シャワーを浴びているとき、ムクムクと股間が競りあがってくる感じで。頭の中にある、創造的アイディアを、電子レンジでチンすること約3分間。ガンマ線が大脳新皮質をキャッチした瞬間の値が2000デシベル。
人が電波から逃れられなくなってから刻んだ生活の歴史が、問題なくヴェガ星への道程を示しています。
時々マンションから10分のところにあるコンビニへ、わざわざジョージアを買いに行き、そこで一日に必要な本数分だけ、マルボロのメンソールを買い足し、後で必要になるだろうローリエと単三のアルカリ電池と、それから0.3ミリのシャープペンシルを買います。
同義的な選択肢から、宇宙船はエンパイア・ステートビルの屋上で待機しています。
そこから見下ろせばユダヤ教とキリスト教が、良いチームメイトとしてベースランニングの良い走者のように、市場経済というグラウンドを走り回っています。
ところでこの宇宙船にはまだ、リチャード・ニクソンのようなヴェトナムを指示する、タフなやり手が乗り込んでいません。
無人のコックピットを待避させる宇宙船は今、彼と二人きりになれる瞬間を、まるでヴェガのような輝く目で、待ちわびているのです。


追悼 焼きそばパン

  ミドリ




ローソンで僕らは
ポケットの中のつり銭を握りあう

地下鉄のトンネルの
心のスキマを煮詰める対流から
溢れだした 泡のようなティーンエージャーたちの
コンビニ前のたむろ

都議選のラウンドスピーカーは 
彼らの胸をつく高さになく
エビアンの
凍結するような一気飲みが
サボテンたちの
言葉だ

知り合いをもたない顔の
街たちが少しずつ似ているせいか
携帯の中の
「愛している」たちが
一組ずつ空中でイク
ガンガン激しく 空が破けるほど腰をふり
いまシテイルけれどまたシタイ
一組ずつ輪になって空でイク

トーキョーでリビドーが
ガンガン岩盤を突き上げる
シブヤでシマネ出身のロッカーが
摩天楼を6弦の指にまわし
イスラエル出身のマチルダが 六本木で
黒人のベンに9秒台の大陸間弾道弾を打ち込まれ
日本人の僕らは
すしバーでサイダーと中トロからはじめる

中指を世界の中心で垂直に立て
サンクスに寝巻きのまま買出しに行き
賞味期限切れの焼きそばパンの前で
サンブン的な行列をしよう
アキハバラの電子記号の中に
ネイションのキセキを聴こう
カブキチョウの片隅で
メソメソしている華僑をみつけたら
肩に手をまわし
円の皺をていねいに引き伸ばし
シュウマイのようにくるんで差し出そう

トーキョーからマンハッタンへ
ロンドンからソウルへ
デリーからマラケシュへ
行列の先頭は
いまセブンイレブンの焼きそばパンの前にいる
明日の君かもしれない


♂ゴール記念日

  ミドリ



ブラウスのボタンをはめながら
舞ちゃんはいった
「コンドーム付けてなかったでしょ」

とてもわかりやすく 僕はうろたえた
さっきまでの幸福感は
まるでモネの静物画のように 静止している

舞ちゃんお目は怖かった
いつものような
愛にパトスを送る
恋愛のフィールドに
ファンタジーを与える
あの優しい目ではなかった

それでも
結婚とか どうなのよとか
そのへんのややこしい事情を
持ちださないのが
舞ちゃんの性格だ

とりあえず僕は白いブリーフをもち上げ
気をとり直して
お茶のむ?
なんて言ってみるが
まるでバルチック艦隊のように
横っ面の銃砲が
こちらを向いているのがわかる

あーそうか
やっぱコーラか
普段は反米反帝である僕も
こういう時には
合衆国の偉大なカルチャーの力を借りる


夕べ舞ちゃんと2週間ぶりに 飲みに行った
仕事がうまくいっていないだの
金欠だの
みっともない愚痴を
ダラダラ言っていた気がする

しかしホテルにチェックインしたのが
10時前だとすれば
舞ちゃんにはまだ
終電というものがあったはずだ
最初から僕とえっちする気で来たのか

とにかくそれが
付き合いはじめて4ヶ月目の
僕らの♂ゴール記念日だった

ホテルで向かえた朝
すっぴんで寝ている舞ちゃんの浴衣

ウーム

僕はタバコを咥え
コトを終えた狼らしく
深々と煙たいものを肺に送りこむ

しかしだ
子供ができたらどうするんだ?

「それが未来だとは思えない」と
舞ちゃんが起きてきたら
泣いてみようか
それとも今度はゴムをしっかり付けて

ダメ押しのゴールを
舞ちゃんに決めようか


牛飼い

  ミドリ



アメリカのポートランドで
夜はバンドでドラムを叩き
昼間はバスの運転手

昼下がりの公園で
君と目と目が合った瞬間に
大事なことが
僕の胸ん中で目覚めたんだ

恋人をつくることも
酒を飲むことも
無駄ではない
確たる結論を
僕らはきっと
生きていたんだ

ポートランドの午後11時
地下鉄でサラリーマンが
長椅子に座って
欠伸をかみころしている

彼はきっと牛飼いで
スラム化した現代の
人々の胃袋にヒレ肉を送り込む
店舗マネージャーにして
スーパー営業マン

鉄筋コンクリート19階建ての
その1階にフックされた店内を
せかせかと歩き回る牛飼いは

時計の真ん中で
まっすぐに12を指し示し
立ち上がる長針たちの
放牧マネージャー

タミル語とイタリア語と
ベンガル語とカンボジア語の入り混ざる
店内の
文明を預かる
まるで梵語研究者

そして僕らはそのミシガンという店で
ブルーノ・ノッリの曲をサラダ料理にして
即興で曲を叩く
まるで街は錆付いた沈殿物を
底で抱えるように変身していく人々の顔は
その止まり木のような店で
音とリズムを南へ運んでいく

人々はまた懐かしがって
アインシュタインというカクテルや
ベートーベンというジンを分厚い手で握りこみ
いかにもクールに
そして突発的に
その手つき口元へ次々に運んでいく


ダチョウの足元に気をつけろ

  ミドリ



鉄くず工場で
僕らはビックバンに台風の目を埋め込む
ボイラー労働者

まだ幼いコドモをステテコに背負い
女教祖がM字開脚する
その黄泉のつぼみへ
ハートのBボタンを16連射

星でNASAが盗撮した
ジャージ姿の宇宙人の
ハレンチでオーボーなタレこみネガを
金ゴテで焼き

最終兵器を念力で操れる
C組ののぶ子ちゃんの
ブラ姿を見たさに居残る
体操服 黄昏時の放課後

カブトガニの甲らを
やや深めにかぶり
黒電話のダイヤルに
しがない人差し指を鍛える
しろたえのエクトプラズム

ブチックが3軒できれば
銀座通りと名づけられた田舎の商店街の街で
いまものぶ子ちゃんの入れたての
ぬるいスープのバイブレーションを感じる

校庭の楡の木にみんなでのぶ子ちゃんを縛った
僕らはみんながガンダムのようにヒーローで
バッファローマンのキン消しを
国語の時間に後ろ手にまわしあった

生徒会長のまさのぶの
チヤクラを啓くような朝礼の独演
僕らは中間テストに
孕んでいく記憶をカズノコのように
次々と産み
たこ焼きのような整然とした
教室の40マスの一つ一つに
それぞれの飽和を
ピクリとも動きやしなかった

マラソン大会でいつも宇宙と交友するように
先頭を駆け抜けて行ったやすしは
今年も資生堂のアンカーだろう
彼はいまも風のスコラ哲学を両足で駆け抜ける
マンタ

どこかで何かが崩れていた
C組ののぶ子ちゃんのランドセルに入れた
僕らのバイブなたて笛は
今も怪しげな光沢を放っている

あの駅前のインベーダーゲームにためらい
そしてゲームオーバーを叫んだ
のぶおの祈祷のようなベイブな表情が
白痴を噛むような
僕らの表情のどこかで
後ろ側からヘッドロックを
今もしっかりと入れている

日本からアイルランドへ流れる
進化の動きをくいとめなければならない

自慢の前歯にレジスタンスを喰いとめ
赤信号に立ち止まるダチョウの群れの背を押し
唐突な平和への降伏を極限状態へ追いやり
JRの駅長さんが誘導する
中心への無条件降伏の朝を
バーゲンセールの前かごの利他行為を見張り
異端とみなされないための
斜め45℃体温を背に持ち
連合国側の不発弾の眠る
ジョシコーセイの体を
65歳 定年後のにわかオタクたちを
すみやかに
そしてゲンジュウに包囲せよ


舞ちゃんのこと

  ミドリ



舞ちゃんは
しののめ高原鉄道に ひとりで乗っていた

かわさきにいた頃から 白血病で
彼女をあいする男はみな
無口でなければならなかった

そして一緒にねむる時は
ミッソーニのパジャマを着て
クマのプーさんの絵本を
ていねいな物腰で
朗読しなければならなかった

もう明日の朝には
舞ちゃんの魂は
この世を
さすらってしまうかもしれないのだ

「本当に会いたい人とは
 ついに会えなかった・・」
というのが舞ちゃんの口癖で
その時 君の丸顔は
とても怖いほど 正直なカタチをしていた

死ぬ3日前

一人で外出したいと言った舞ちゃん
その大きな瞳の
星空のような目や
流星群が堰きとめられたような和音

いつものアダージョなキスをして
生まれたてのこどもが
裸で必死に這い上がろうとする
あの勤勉な頬のゆるみを残し

少女がこの世に譲っていったものを
僕はうっかり
奪うことができない


宇宙船のさっちゃん

  ミドリ




宇宙船がひまわり畑に着地した
宇宙人たちは
30分で着替えを済ませ
ハッチをしっかり閉じ
キーホルダーをポケットに仕舞った

クリーム色の彼らの肌は
人目を引く

チュー坊と言われたひとりが
ハンカチで額を拭きながら
「ちょっとウンコしたい」と言った

リーダーのポン太が軽く目配せすると
チュー坊は茂みの中にしゃがみ
ひとときの思いを過ごした

さっちゃんという女子中学生が気を利かし
そっとティッシュを手渡してやると
チュー坊はすまなそうな顔でそれを受け取り
きっちりと拭き取りながら
「悪いね」と言った

リーダーのポン太が重要な発表を仲間たちにした
「地図 持ってくんの忘れた・・」

カバちゃんという受け口の男が
交番に行っておまわりさんに訊けばいいと提案
彼は一度地球に来たことがあって
みんなから頼りにされている

「みんなで手分けして交番を探そう!」
ポン太はテキパキと仲間に指示を下した

果てしなく続く
カラカラの夏
宇宙人たちには汗腺がない

チュー坊は
星に残してきた妻子を思っていた
そう言えば上の子は今年 小学生だ
妻にいつまでも
内職の仕事をさせてすまないと思った

さっちゃんが
ふらりとソープランド街へ入って行くと
客引きがもの珍しそうに店内へすっこんで行った
茶髪のスカウトマンがホープを咥えてやってきて
さっちゃんに
「ねえーちゃん エエ乳しとるやんけ」
と軽くジャブを打つ

さっちゃんはビックリしてホッペを赤くした
彼女は農家の娘さんで
夜這いとかで
色んなえっちも経験済みだが
お金で体を売ることについては 両親も反対している

「まー 事務所で茶でもどや」
という誘いにまんまと乗った
押しの弱いさっちゃんは
宇宙人の
地球での就職組 第一号だ


「サヨナラ」の言葉

  ミドリ



冬の西日が射し込む病室で
みっちょんが見舞いに来てくれた

「朝一番の新幹線で
 大阪から来たんだよ
 お見舞いには何がいいか
 オカンと喧嘩しちゃった」

そう言って笑ったみっちょんに
サイドテーブルの林檎を掴んで
投げた

「40度近くも
 熱出たそうやね」

器用に果物ナイフを回しながら
涙声で言った

親の監視を逃れて
会っていた学生時代が懐かしく
これが同じふたりだと
思えないくらいの
今があった

自称 非行OLのみっちょんは
一週間の有給を取って
靴下とパンプスを脱ぎ
ベットの上にあがり込んで
「何しようか?」
なんて言ってる

「あした東京タワーに行ってくる」
クリスマスの準備の始まった
街のイリュミネーション
僕らはサンタクロースの
ラッピングされた人形みたいに
横になって
テトリスみたいに
体位を変えた

学生の頃は
朝までスーパーファミコンをして
東京の会社に
内定の決まった朝も
ふたりのマリオは
クッパと闘っていた

白いウサギのポシェットから
みっちょんは
東京のアルバイト求人誌の
広告の切り抜きを取り出し
「へへへ」と
気味の悪い声で笑い
「あんたと生きたいの」と
言った

「手術せにゃイカンだろ?」と
体を通る
カテーテルの熱量が増す
みっちょんの看護婦さん宣言に

僕は「サヨナラ」の言葉を
少しずつ
探し始めていた


間隙

  ミドリ



バスタブにはった湯
地方都市のホテル
モジュラージャックを抜いた
壁のカーテン
テーブルの上のミネラルウォーターが
温度を上げていた

駐車場にバックで
車を止めると
梅雨が明けたばかりの海
シーリングファンの
揺れる部屋
身体が疲れ果てていて
南風に伝ってくる

シャワーを浴びた舞が
濡れた髪を梳かし
タオルを巻いて出る
クッと背を衝かれるように抱いて
またキスをする

煽られて取れた
胸に巻いたタオルが
足元に落ちて
カマンベールチーズに
ゆっくりと指を入れた
ガブリと頬に膨らむ
カツサンド

5年前
会社の酒宴で
向かい合わせになった舞と僕
悪戯っ子のような笑みを浮かべ
僕の顔を覗き込むと
シャンパンを抜くみたいに
話かけてきた

2本の足をブラブラさせ
パーカーフードを被ったその瞳は
ピンク色した頬を
髪を顔にうずめ
銃ていで叩くように
テーブルにつっぷした

六本木で飲んだ後
ふたりは初秋の夜風を
ポケットに突っ込んだ

その場所で
星屑を寄せ合うように
ふたりは唇を重ね
そして突き放すようにして
交差点で別れた

ドンとふたり
仰向けになったビルの屋上
「会社を辞める」といった舞の
その五感をくすぐる声が
緊張の割れ目から
突き刺さったみたいに
空を見ていた

舞はバックから
リゲインを2本取り出し
パキッとあけて
「うっせー やつらだぁ!」と
大声で叫んだ後

ガブガブ飲んで
空になったピースの箱を
ヒョイとビルの隙間に向かって
思い切りスローイングした


寝顔

  ミドリ



リモコンで冷房を止めると
舞はサングラスを外し
主食のサプリメントを口に入れる

白いタンクトップの下の
ブラを外すと僕は
乳房をつかみ
強くキスをする

そのまま二人はベットから落ち
椅子で頭を打ち
テーブルの下で
パンツを下ろして
古本のように積み重なる
アルファベットのBみたいに
強く抱く

抑制の効かなくなった体がふたつ
互いを求め合い
ギュッと抱きしめあって
キスばかりしている

電話台で
ファックスの音がして
咳き込む舞が
身を離した瞬間

僕らは群集の中にいた
排気ガスを吹き付けるバス
交差点で立ち止まり
広告の看板の文字が
人々の行動をレイアウトしていく
ローティーンの少女たちが
アヒルのように
ミスタードーナツに入っていく

レジスターがあき
つり銭をジャリと掴む
店員の指
カフェバーでコンサバの女が
薬入りのカクテルを飲まされ
便所で輪姦されている

ソープランドで働き始めた舞は
帰るなりヒールも脱がぬまま
座り込んで泣いている

僕は舞の着替えを手伝って
身体を拭いてやる
タバコを吸った後
少し吐いた舞を
ベットに寝かしつけ
灰皿の上で
火をもみ消した

防音ガラスの中で
ビリビリと耳を這う
地下鉄の工事が
束ねた髪の
舞の寝顔を
乱暴に寝かしつけている


  ミドリ



窓をあけ
洗濯物をサッととりこむ

旧式の黒電話を
ガチャンと切る

髪の毛を
ポニーテイルにしてみたり
変な格好をしてみたり
古びたノートの上に
点々と
「なぁに?」と書き込んでみたり

フレアスカートのポケットに
砂糖を入れ
くもったカフェの隅の席で
そっとカップの中に
塊りを半分落とす

私はそうやって
少しずつこの街を
占領していく

カップにミントを入れ
踏み倒した公団住宅の家賃の
架空の領収書に数字を入れる

私はそうやって
この国を
少しずつ占領していく

扉があくと
関係に区切りをつけるように
新幹線の扉は
またみんな閉まる

品川から列車は
私とヘブンスモーカーを乗せて
煙をたなびかせて運ぶ
男は
セブンスターを
背広の内ポケットから取り出し

差し戻すように
名刺入れに重ね
隣の女の手を握ったあと
また唇にはさむ

壊れたプライドが
打ち消していく言葉を
手のひらで持て余すように
唇から煙を吐き出す

日常の殺風景な景色の中に
消し込んでいくSOSの発信機が
ブルブルとテーブルの上と
椅子の下と
膝の間でふるわすように

女のガーターベルトをたくし上げ
そしてズッキーニを突き上げるように
男は私の中で
果てる


那覇

  ミドリ



国際通りを歩いていたら
みるみる空が曇ってきて
あわてて喫茶店へ駆け込んで
濡れた髪のままコーヒーを飲む

待ってる間に電話を掛けて
那覇で待ち合わせできる時間を答えて
平屋の吹きぬけの
畳の気持ちの良い部屋でハジメと会う

海とか空とか太陽とかに
すっごい魂が混じっている気がするんだ
死んだり病気したりすることが
この空の下で
生きてことが感じられるんだ

ミサトから電話が掛かってきたのは
ひめゆりの塔と首里城を見て
ハジメと一泊する民宿の窓
気持ちの良い風の中

週末はナイトマーケットになる
色とりどりの屋台の道
立ち食いのブラジル料理をふたりで食べて
小さなゲップをした後
生ぬるい夜風の中
ハジメの肩にもたれかかって

公設市場の棚の上にある
ゴーヤーを一本掴んで
タンクトップでサンダルの
私の見えない心を掴む


そしてハジメとふたりでトイレに入って
好ましくない格好で抱き合い
ガンガン ビールをあおって
本能の行方を追うような
濃厚なキスをした後
ミサトの着信へリダイヤルする

言葉にできるほどの
いま確かなものがここには無くて
さらに遠くなっていく気がする

<さよなら私の街 ミサト>


アトリエ

  ミドリ



紙をこする
チャコールの音が響く部屋
モデルに雇われた猫は
ねむたそうに欠伸をしながら
裸体をテーブルの上に広げている

デイバックから化粧道具をとりだし
バスタオルを巻いたもう一匹の猫が
テーブルの上に座る
ワンピースの猫と目をくみかわし
モデルを交代するワンレングスの猫
東京出張のとき
新宿でつかまえてきた猫だ

トートバックから
BALのトゥモローランドで買った
黒いカーディガンを羽織り
ほかの猫のすきまにお尻をいれる
人間で言えば
高校生くらいの彼女

緩いウェーブの髪を
ひとつに纏めた猫は
先月 栃木から家出してきたばかりで
まだ右も左もわからない京都で
途方にくれていた
五重の塔の縁先にねぐらを構え
夜の7時になると
京都駅八条口でアコースティックギターを奏でる
その曲に集まる
まばらなサラリーマンの目

昼間はスーパーの山田屋でレジ打ち
夜は男のアパートで洗濯もん
深夜には
信じられないほど乱暴に抱かれたあと
ポテトチップスうす塩味を指先でかじりながら
深夜放送を観て三角座り
「大事なことが見つかった」
そう残して去った男の背中を
アトリエの窓枠の外に見つめつづける22歳

時々 信号で車をとめて
歩行中の猫のあとをつけて行く
鼻先に煮干をつんと近づけてやると
たいていは5秒から6秒のあいだに落ちる
小脇に猫を抱えこむと
車の助手席に放り投げ
あとはアウディのアクセルを強く踏み込む
猫の瞳のなかに映りこむ街角や世界を
センターラインの向こう側へ
徐々に傾けながら


喫茶店「ハル」

  ミドリ



喫茶店のカウンターをデスクに
宿題のドリルをする女の子の指先から
ミサイルが5発飛ぶ
床に敷きつめられた石肌に落下
爆撃地は女の子の
スニーカーのつま先5センチ先

女の子の髪はピンクで
コットンキャンディー色の服と
なすびのようなぽってりとした身体
カウンターでモカを
彼女の母は挽いている

消しゴムでこする音と
モカをかき混ぜる音と
客のくわえタバコにともる火
冬には
誰かしら わかるはずもないけれど
なにかしら「わけ」を瞳の中に持ち
肩をすくめている
ひとときがある

カフェの名前は「ハル」
出窓には精巧なヨットの模型
ガラス磨きのクレンザーが
フタの開いたまま立っている
目を瞑ると
会社帰りの勤め人も
宿題をする学校の女の子も
店の看板を切り盛りする一人の女も
なにかしら「わけ」を
抱えて生きていることがわかる

今日もつま先で
爆撃がくりかえされた後
レコードから針を下ろすように
町は静かにターンし
闇をダッフルコートに包んでいく


希望/運命

  ミドリ



目を閉じてみても
時の奥では
果てがないんだね
いつもそばに居てくれて
ありがとう

高すぎるビルディングに
だんだん僕らの背丈は
猿に近づいてくるようだ
潔くえっちしたいと
彼女に言おう
戦うことは
守ることだ

心が決まったら
運命が僕たちを飛びこえて
走り出してくるかもしれない
だからほらもっと
先へ走り出さないと

商店街を駈けぬけて
高崎さんちの垣根をこえて
公園のスベリ台でジャンプ
砂場の団地妻
703号室の女のキャミソールを
トゥーと跳びこえ
晴れわたった
君との約束で
運命を待ちましょうか

傘なんかいらないさ
雨が一番
僕らの優しい
希望なんだから


東京で暮らす君への手紙

  ミドリ



君は多分 いまキッチンで
3時間保温した炊飯器の中から
おばあちゃんが出てきたものだから
きっと驚いたことだと思う

しかもジャージ姿で
NHKの朝のラジオ体操を
踊りながら出てきたものだからね

それもそのはず
それはまだ君のよく知らない
君の父方に当たるおばあちゃんなのだよ

僕もおばあちゃんを
うっかり炊いたままにして置いたことを
君に謝るよ

しかし昨晩
君が和式のトイレに流してしまったものも
また君のよく知らない
君の母方の方に当たるおばあちゃんなのだよ

君はまたいつもの癖で
いま僕の手紙を
ハイライトに火を点しながら読んでいるここと思う
しかしいま
君の部屋の片隅に流れていった
あのベージュのカーテンの袖に隠れていった紫煙も
実はまだ君のよく知らない
父方のおじいちゃんなのだよ

そして君がこれからバイクで向かおうとしている
コンビニエンスストアの
駐車場にあるコンクリート製の車止めも
実は母方のおじいちゃんであることを
よく覚えていて欲しい

君が家賃4万円のアパートで
一人暮らしをしたいと言ったとき
僕はいつもそのことを考えていた

君が僕の家から出て行ったときに履いていた
あのスニーカーのゴム底で
いつもしっかりと
君の故郷を踏みしめていられるようにと

僕は東京タワーのてっぺんから
僕と君を生んだものたちの記憶について
まるでポリバケツでもひっくり返すみたいに
すっかりとばら撒いておいたのだよ


舞の涙

  ミドリ



老舗のホテルで寝ている舞は
魚みたいで
息もしていないのに
きれいに見えた

お互いどんなしくみで
そうなってきたのか わからないのに
仕方なくそう抱き合って
迎えた朝のような気がした

愛情に問題があったのか
人生に何かが足りなかったのか
とかく大きな問題を残して
迎えた朝のような気がした

ふたりはいつも真剣勝負で
まったく嘘のない世界にいたはずなのに
それが全然 息苦しくもなく
むしろ癒されている自分がいたりした

アフリカのどこかの部族では
女の子が生まれると
木彫りの男の形をした人形を
ひとつ与えるのだそうだ

そういえば昨晩
無神経にゆがんだような
舞の両腕の力が
僕の背中を彫刻刀のようにつかみ 握りしめ
そして彼女は自分自身の身体の中に
僕を押し込めようとしていたような気がした

それはとっても
時間をかける必要のあることのはずなのに
舞ってば 一分一秒をそれを急ぐように
何度も僕の背中に
力を込めていた

「痛いよ」と
僕が言って ふたりが身体を突き放すと
そこにはとても空っぽな
空間が広がっているような気がして
痛ましかった

形だけタオルを胸に巻いて舞は
太もものアザをさすりながら
この夏 最後の海だもの
うんとたくさん
あしたは泳がなきゃ
そう言って
テレビをパチンとつけて観ながら舞は
「うんうん」ってひとり 
頷いている彼女がいた

「舞はね
 昔からこの世界を知って
 生まれてきた気がするの
 ずっと不幸を
 背負ったまま死んでいくことも
 わかっているの

 でもね
 たったひとつだけ
 生きてきた証を残して
 死んでいきたいの

 ただそれを
 一緒に探してくれたり
 体験してくれたりしてくれる
 ボーイフレンドが
 欲しかっただけ」

そう言って
少し日焼けした横顔の舞は
顔も上げずに
肩をぐずぐずさせながら
浜辺を見下ろす海みたいに
泣いていた


「ラフ・テフ」の切符

  ミドリ



誰かが部屋のドアをノックしたのは
その町に引っ越してきて 3日目の日の朝だった
コンクリートで敷きつめられた 廊下に背の高いカンガルーが立っていて
「ラフ・テフ」行きの切符を 僕に差し出した

カンガルーはすぐに荷物を纏めるよう僕を促し
木製のドアにもたれて スモークを一本吸いだした
僕は図書館に勤める母に電話を入れ
カンガルーが「ラフ・テフ」行きの切符を持ってきたんだと伝えた
母は忙しいからと 折り返し「ラフ・テフ」へ直接連絡を入れると言って
「ガチャン」と電話を切った

すすけたキッチンを ぼんやり見つめていると
カンガルーがぴょこぴょこ部屋の中に上がりこんできて
僕のケツを蹴っ飛ばし
「グズグズするな」と尻尾をひん曲げながら言った

新しい町に引っ越してきたばかりで
これから彼女が部屋にやって来るんだと カンガルーに告げると
面倒みきれんなといった調子で 首を振り
30分だけ待ってやるよと言った

カンガルーはお腹のポケットから
スモークをもう一本取り出し
半開きのカーテンから差し込む 陽光に目を細めながら
プファーと煙たいものを部屋中に撒き散らした

彼女が部屋にやって来たのは
それから18分後のことで
「チャオー」なんて言いながら
いつもの調子でトートバックを ベットの上に放り投げると
「なんだお客さん?」と
愛らしくカンガルーを見上げながら言った

きっと いつもの習慣で
コンタクトレンズをし忘れているのだ

カンガルーは 横目で彼女を見つめると
「今からこの男を連れて行く」と僕を指差し
ドスの利いた声で言うと
「ほーお」っと彼女はカンガルーと少し 距離を置くように言い
「これからマイ・ダーリンと私はデートなのだ!」と 言うが早いか
コップとか皿とかトランプとかデッキチェアだとか
手あたりしだいにカンガルーの頭にぶっつけた

「オイ、このアマ!」と
カンガルーが体中でぶち切れた瞬間
僕の体中の血流がどこかへ流れ出し
重力に引っ張られていく感覚が神経を縛る

何分か後かにあとに
ゆっくりと目を開けてみたらば
きっと どこかの国の海辺に立つ
芝生のある大きな施設の庭の中にいた

庭では芝生でランチをとる
テリア犬やシャム猫や オウムやトカゲやなんかが居たりして
ハンバーガーやピザや チキンナゲットといった
ジャンク系の食べ物を
ひたすらパクパクと両手で口にしていた

僕の後ろの
すぐ背中の近くに立っていたあのカンガルーが
そっと僕の肩を掴まえて
「ここがどこだかわかるかい?」訊ねる
ゆっくりと 首を横に振ると
カンガルーは柔に笑い
「ラフ・テフ」だよと そう言い放った

「彼女はと?」
僕が刹那に彼に問うと
「探して見ればよいさ もし彼女が見つかれば”ここに居た”ということだ」
そんな謎のような言葉を残して
カンガルーは施設の入り口の
正面玄関のガラスの扉の中へと ひょこひょこと前つんのめりに
姿を消していった

ふと目を足元に落とすと
テリア犬のかかとが
僕のスニーカーのつま先の上に乗っかていた
そしてじっと彼女は
黒い眼差しで
僕の顔を覗き込んだまま正視している


「ラフ・テフ」という場所

  ミドリ



「ラフ・テフ」では みんな仕事を持っている

トカゲはアリンコを捕まえて
せっせと 袋詰めにする作業をしていたし
オウムはカフェバーで
カタツムリの背中にチョンと腰をかけ
一心不乱にジャズピアノを弾いていた

カナリナの店長が
厳しく従業員の動きに目を配っていて
ウエイトレスの文鳥が トナカイの紳士に粗相をすると
慌てて飛んで行って 一緒に頭を下げていた

シャム猫は海の写真ばかり撮っていたが
誰もそれについて咎めなかった

テリア犬は 僕のスニーカーをギュッと両足で押さえ込んで
「ここを離れないように」と
そんな目で彼女は訴えていた

太陽が西の方へ徐々に傾いていくと
芝生で被われた大きな施設も
周りは広大な 砂漠に囲まれていることが分かった

「日曜日はもう終わるのかな?」

テリア犬にそう訊ねると
彼女はぐっと僕の手首を引っ張って
海の方を指差しながら 付き従うようと
ぷいと首と尻尾を振って歩き出した

浜辺へ通じるブッシュ道の途中で ふいに歩みを止めたテリア犬が
楔をのように僕の目を見つめる

夜の浜辺に
マッコウクジラが尾っぽの付け根辺りから
砂浜に大きな胸を反らせて喘いでいる
「プシュー」と弱々しく何度も潮を吹きあげ
夜空をチラリと揺らすたび

このクジラと施設に暮らすどうぶつ達が
何かとても大きな秘密で関係しているような気がしていた
ブルブルと母から電話がケータイに着信する

「いまラフ・テフにいるよ」
僕はじっとテリア犬の目を見つめながら
少し上ずった声で 母にそう告げていた


滅びた小鳥の唄

  ミドリ




ダンボール箱に
セーターが届きました
それと靴下とTシャツと
滅びた小鳥の唄とです

いま欲しいものは
マフラーとトランプ
そして君の穿き古し下着が欲しい

いま僕は病院のベットで寝ている
でも君はこの時間もどこかで起きている
寝返りを打ちながら僕は
いつもそのことを考えてる

昨日200リットルの血が抜かれました
その血がいまどこかで保管されているのか
あるいはどこかへ流されてしまったのか

僕はなんだか
ぶよぶよの犬みたいになってくみたいで
困っています

看護婦さんに
天ぷらが食べたいと言ったら
首をすくめて
注射をもう一本打ちますよと 言われました

8月には君とブラジルへ行きたい
サンパウロの町をふたりで歩きたいんだ
僕はあきらめて
いつか偉くなるという野心も
いまではすっかりと切り捨てています

時間が欲しくて
泣きたいくらいですが
ただ寝っころがっているだけなのに

思うに
病室のベットに寝っころがりながら
社会のことを考えていたりする
そしたら体中がサボテンみたいになり
目に映るすべての事柄について
トゲトゲしい感情しか生まれません

でもいま君がここに居てくれたら
そっと手を差し伸べることができたなら
それらのことについて
和解することができると思うのに

この小さな手と足で
こんな味気ないものを掴み触るような
この病室のベットの湿ったシーツのことを
滅びた小鳥の唄と僕はそう呼んでいるのです


アンドロイドのアーリー

  ミドリ




晴れた午後の
プールサイドに僕らはいた

ここの海岸は砂が白く
夏の一時期
それなりに賑わうのだけれど
町には人が少ないのだ

仕事場にはチャリで通っている
いつも真帆ちゃんという
同僚を後ろにのっけて
急な坂道をうんと強く
お尻を上げ ぐいぐい踏み込んでいく

真帆ちゃんは35歳で
いつも浮かない顔をしていて
ときどき笑うときも
少し首をかしげる癖がある
でもその腫れぼったい目は
どうやらいつも 寝不足のようだ

仕事場には
アーリーという
マンチェスターのアンドロイドがいて
僕らはほとんどこの3人で
野菜の出荷をしている

真帆ちゃんはお昼休みには
決まって焼却炉の近くにある
クローバーの咲く場所があり
そこでいつも一人でお弁当を広げている

アーリーと僕は
近所のコンビ二までチャリで行き
お弁当とお茶を買い
海の見晴らせる高台で腰を下ろし
しばしそこで物思いに耽る

アーリーはお昼ご飯を食べた後
いつもタバコを一本吸い
そして仰向けになってぐぅぐぅ寝てしまう

僕は額のジトッとした汗を拭いながら
両腕に軍手をぎゅっと嵌める

そして持ってきたドライバーで
寝息を立ててるアーリーを分解し始めた
一つ一つネジをほどいていく
30分ほどでアーリーは胴体だけになった

肝心の首を取り外すのに
少し手間取りはしたが
一時間もすれば
アーリーはただの部品の
鉄くずの山になった

解体したアーリーを
リュックにぎゅうぎゅうに詰め込むと
僕はチャリに乗り
町に一つだけあるプールに向かった

夏の避暑地になっているこの町の
観光客とちらほら すれ違いはしたが
誰も僕に奇異な目を向ける者はなかった

プールに着くと
真帆ちゃんがいて
潮風に長いフレアスカートを翻しながら
セミロングの髪を押さえ
「ほら」って
四葉のクローバーを僕の鼻先にツンと差し出した

ガチャガチャと鳴るリュックを肩に担ぎ
真帆ちゃんの手を引っ張って
コンクリートのプールサイドを歩いた
僕ら汗ばんでいた
真帆ちゃんはなぜかしら空を見上げている

きっと失望よりも安堵にに近いんだろう
この町に存在する
最後のアンドロイドの アーリーを
真帆ちゃんとふたりで
もう使われなくなったプールの水底に
「ドボン」って
リュックごと思い切り沈めた

ブクブク泡立つ気泡が
水面に消えるのを待って

ふたりはチャリに乗り
再び仕事場に向かった

いつもよりうんと強く背中にしがみつく
真帆ちゃんの腕の力が
なんだか愛らしくってさ そんでもって
とっても痛かったよ


赤い傘の中で

  ミドリ




「あなたの体温計になってあげる」
そう言って彼女は 僕の脇の下の 隙間に入り込んできた布団の中
「37度5分」と 僕がそう言うと
ふたりは笑った

ふたりは服をするすると着て
雨の町の中へでた
赤い傘は彼女のもので
僕は彼女の耳元で
傘の柄をぎゅっと握り締める

なんの迷いもなかった
町は軽やかな心地よい刺激に溢れている

想像していた

彼女が僕の幸福のすべてだった
赤信号を無視して渡るとき
ぎゅっと手首を握り返して 怒っている彼女の顔も
駅の改札口で
切符をなくしたと
大袈裟にあわてて振り乱す彼女の髪も

”恋愛映画が観たいよ”
”いやホラー映画にしようぜ”と
断固対立するふたりの深刻な
価値の亀裂の狭間で
結局「ドラえもん」を観にでかけて
ポップコーンを食べながら
ラストシーンで泣けているふたり

家が欲しいと
彼女が言ったとき
僕はためらった
30年のローンを抱えながら
こいつのために まるで馬車馬のように働かされるのか?

あなたってやっぱり変よ
「おかわり」も「ちんちん」もできない子犬をたしなめるように
彼女は言った
「もうこれからは キスの仕方の巧いだけの 男じゃダメよ」と

赤い唇の彼女の口から ふわりと開く未来
まるでドラえもんのポッケのように
なんでも出てくるふたりの気持ち

「結婚しようぜ 君と同じ道を歩きたいんだ」
「はん なにそれ?また新しいギャグのつもりかい?」
冷たいコートの彼女を 両肩で抱きよせる街路樹の下
息をしていない ふたり

「笑っていいよ 今のは新しいギャグだから」と耳元で囁くと
笑えないし 泣きたくなるの 変なギャグだよって 彼女は言うんだ

雨の町の下の 赤い傘の中では
いつもこんな風な
ためらい合う愛や
未来をゆるし合おうとする とても小さな一歩たちが
肩を寄せ合い 今も抱き合っているんだ


職人とブタ

  ミドリ



湾岸を行く高速道路を 車で5時間くらい走っていた
後部座席ではブタが眠っている

100円ショップで買ったブタだが
カフェオレもトーストも 毎朝きちんと食べるし
寝巻きと着替えの服と 歯ブラシを
いつもリュックサックに入れている

海峡を横断するあたりで彼のケータイに着信があり
ちゃんとブタには彼女だっているのだ

しかしブタには帰るところがない

サービスエリアで トイレの脇にあるゴミ箱に
ブタを右手で深くつかんで 投げ捨てようとしたが
丸顔のくせにけっこうヤツは 恐ろしい目をして

「俺をそのゴミ箱に投げ捨てるのはいいが
 それにあたって俺にもさ
 ちゃんとした十分に納得する説明や
 それを受ける義務と権利がある
 つまり インフォームド・コンセントというやつだねと」

マルボロを吹かしながら ゴミ箱の上で
ブタは上目使いに僕を見上げながら言うのだ

サービスエリアのレストランで
僕らは向かい合わせになって昼食をとった

嫌な食べ方をする
ブタはまるでポリタンクだ

食後のコーヒーを飲んだ後
僕らは再び車に乗り込んだ

バックミラーでブタを確認すると
彼はヘルメットを被っていた
そこにはゴシック体の文字で
「安全第一」と そう書かれていた

160キロほど出ていた車のスピードを
アクセルを少し緩めると
彼は再びヘルメットを脱ぎ
ぐうぐうと物凄いイビキを立てて眠り込んだ

目的の街に着いたのは
予定より遥かに遅かった
陽はとっくに暮れていたし
メインストリームの商店街のシャッターも
ほとんど閉まっていた

車を止めると僕は眠っているブタを担いで
知り合いの工場に向かった

油のしみついた店の壁と
乱雑に転がるいくつものコイルのある工場
施盤やボール盤 グライダーや金型などがあり
立てかけてある壁の試作品

「すまんが コイツを”溶接”してくれないか?」
僕は担いでいるブタを 背中で揺らしながら
知り合いの職人の男に頼み込んだ

「不可逆的で絶望的で 世界との繋がりに遮断された断絶
 死の観念だけが残り 意思や感情が 完全に消えうせ
 信仰や疑いすらもない つまりそいつを俺に ”溶接”
 しろってことかい?」

僕はゆっくりとブタをコンクリートの上に下ろした
そしてブタの体に
愛や真実が この工場の中で
溶接され 溶かしこまれていく様を

深夜の2時頃に至るまで
横で一緒に 付きっ切りで見守っていた

仕事を終えた職人の男は
「明日の朝
 こいつが ブタが目を覚ますまで
 俺たちも少し眠ろう」

彼はうす汚れた軍手をギュッと脱ぎ捨てながら
こちらに顔や目さえ向けずに
僕にそう言い放った


「ラフ・テフ」の晩餐

  ミドリ



「オイ!お前 バナナを鍋に入れたのかね?」
カンガルーは僕に 偉そうに威張って尋ねた

いま厨房の隅っこで うずくまっているエプロン姿のメンドリが
彼女がさばいて入れたのだけど
「はい 入れましたよ」と 僕は答えた

すまないが俺も一緒に その鍋に入れてくれないかと
カンガルーは僕の目をまっすぐ見つめて言った

「構わないがアンタ 体重は幾つだ?」というと
カンガルーは目を伏目がちにして
自らフライパンの縁に足を掛けた

「ちょっとスマンが お尻を押してくれないか」と カンガルーが言ったので
僕はボンって カンガルーのケツを踵で蹴飛ばしてやって
鍋の中に押し込んでやった

バナナの皮に包まれたカンガルーは
サラダ油にまみれ グツグツと煮込まれて目を瞑っている

メンドリがコンロの傍にツタツタとやってきて
火力のつまみを右手でギュッと全開にひねった
ボウっと上がる火の前で
メンドリは僕の目をみて キュッとウインクしている

その晩
「ラフ・テフ」の住人たちに振舞われた料理は
「バナナとカンガルー」のソテーだった

「ラフ・テフ」の 大きな施設の中庭で
動物たちの歓談に 華が咲いている

僕は見ていた
アルマジロがカンガルーの背肉にナイフを
起用に差し入れて
パクリと口に運ぶのを

そして建物の中央玄関のガラスドアーの前で
メンドリとテリア犬が女同士 額を寄せ合って
何かをコソコソ 話ししているのを

カフェバーでピアノ弾きたちの椅子係を務めていた
あのカタツムリが
ノソノソと僕の傍にやってきて
耳たぶ裏側で 舌打ちのようにつぶやいた

「サイコーだろ 彼女って」
「へっ?」て 僕が振り向き 訊きかえすと
カタツムリはあの厨房で働いていた
エプロンのメンドリのあどけない顔を 遠い目で見つめながら
なんだか にやついていやがる

「妊娠してんだよ アイツ」と
カタツムリはそう言ったあと
少しうつむいて 「今の仕事じゃくっていけないんだ」と
奥歯をかみ締めるように 悔しそうに言った

建物の前で
メンドリと別れたテリア犬が
中庭の芝生を突っ切るように
まっすぐ僕に向かって走ってくるのが見える

僕の胸にボンって彼女はぶつかり 跳ね上がった
前髪を上げて「ごめん」って言った

「何だいって」僕が訊きかえすと

昨日のクジラのことと それからカンガルーのこと
まだ みんなに「シーっ」てしててほしいの

彼女は僕の顔も見ないで
複雑な瞳の中に照りかえる光の
中庭に一面に広がる 青い芝生を

瞼の裏側に閉じ込める様に じっと
少しも動かないで ずっと うつむいたまま
黙り込んでしまった

中庭の中央に目をやると
さっきのカタツムリがアルマジロに
グゥーでみぞおちあたりに 軽くボディーブローを入れる真似事をしている

「アイツ等 飲みすぎなきゃいいがなー」と
誰かが僕の後ろで 肩に手を置いてそう言った

振り返ると
あの背の高いカンガルーが スモークを斜に咥えながら
煙たいものを 僕の鼻の頭に 
プッハーと撒き散らすように吹きかけいく

カンガルーの
彼の目の奥の表情は 濃いサングラスの中で 何を見ているのかしれなかった
ただ お腹のポケットの端っこから サラダ油がヒタヒタと零れ落ちる音が
乾いた音で 芝生を鋭角にヒタヒタと叩きつけていた


「ラフ・テフ」番外編 ゆっこのキリン(プリントアウト用)

  ミドリ



シャワーの栓を戻し
前髪を上げ
ゆっこはコンタクトレンズを外した
ブラのホックも外し

彼女は浴衣を脱いで
素肌のまま布団に滑り込む
見知らぬ男の前で
裸になるのはこれが初めてだった

ホテルの一室は
まるで火袋を滲ませて浮かび上がった 
焼け爛れたソウルのようだった

ぼくは部屋の窓を開け
引絞った弓矢のように夜天に放たれて
漆黒の星屑を 蹴散らしながら跨いでいく とても大きな
キリンの滑空を見ていた

「きれいね」って言う
彼女の声で振り返ると
もう ゆっこは
布団を頭に深く被って
眠りに就いていて
うわごとでそう言っているのだ

真紅のベロアの椅子に腰を掛け
ぼくはタバコを吸っていた

もう窓の外に
キリンなんてみたりはしない

きっとあんまり大きな声で
それも寝言で
ゆっこが彼のことを何度も言うものだから
キリンはどこかへ隠れてしまったらしい

「キリン キリン」って
また彼女がまたうわごとで言う

一晩中 窓を開け放して
おきたい気分だったが
ゆっこが風邪を引くようなことが
あってはいけないと思ってやめた

その代わりぼくは
ホテルの部屋の南側の白い壁に
キリンの絵を描き始めた

それから バスタブや天井にだって
テーブルの上にも 湯のみ茶碗の裏っかわにさえ
腕の力がなくなるくらい
フェルトペンで描き殴った

朝 ゆっこをゆすった 夢の中でみていたキリンが
実在するんだって証明するために
ぼくは力の限り描き殴った

街ん中のビルとビルの隙間から
朝陽が差し込むころ

ひとつのベットの真ん中で
ふたりは部屋中に描き殴られた
キリンたちの絵を見て笑いあった

「アホやな 仕舞いにおこられるぞ!」
「でもほら あのキリン 目が三つもあるじゃない」

「主体の形成をめぐる 重大な露呈だな」と
ぼくがいったらば
ゆっこは僕の太股をギュッとつねる
「イテっ!」

「それは客観の形成をめぐる 重大な汚点だよ」と言って
ゆっこは ぼくの額を軽く小突く

彼女はベットの上にある
受話器を取り上げて
フロントへダイヤルをまわす

「すいません!アフリカのサバンナから
5匹もキリンがこの部屋に逃げ込んでいますっ
どうか・・・今すぐ・・」

すっぴんのゆっこの唇にぼくは指をさし伸ばし
唇を押し開け 人差し指でそれ以上しゃべれぬように
彼女の舌をギュッと押さえ込む

それからふたりは背筋と首をギュッといっぱいに伸ばして
とても高い木の上の 赤い実でもついばむようにして
抱き合った

「いま キリン居る?」
そう言ったゆっこの髪が ぼくの頬にさらりと触れて
胸ん中のとても堅いとこに
ドンドンって何度も 何度も

サバンナを駆けるキリンの蹄みたいに
土くれを蹴っ飛ばしてくる


一つ屋根の下

  ミドリ




星が普段どおりに頭上にあって
いつもと変わりのない夜だった

カモミール茶のために お湯を沸かしていると
キッチンで女が 後ろから抱きついてきた

「子供を産む」と 彼女は俺の背中で言った

南の島で出会ったこの女と
俺は自然に 終われればいいと思っていた

素朴な暮らしがいいと
ワラビーの目みたいにこちらを見つめ

女は
「もう お腹の中にいるかもしれない」と言った
彼女がいつも胸に突きつけてくる問いや疑問は
俺にとっちゃ いつもささいな問題であり

適当にあしらっておけば
その会話の流れは また自然な時間を見つけ出し
納得済みの日常へ
いつでも心軽く 帰れることができた

世界がきっぱりと
ある時点から変わることがある

女の体調がどうもおかしい
営業事務の仕事も休みがちになり
昼ごろまで布団に入っていることが多くなった

仕事が生き甲斐で
いつもきちんと部屋を片付けていた彼女が
ある日を境になにもしなくなった

部屋から出てこない
激しく吐くような嗚咽が
何度も部屋の奥から聞こえてくる

女は
これまで何を考え 思い生きてきたのだろう
とても辛かろうことや
人のにはとても真似のできないことを
易々とこなしていくような女だった

その彼女が
いま部屋から引きこもり出てこない

会話を交わすことさえ
困難になり
この先 人生をともに過ごすつもりもない女との
こうして一つ屋根の下での暮らしが
始まりを告げていった


この愛に満ちる星たちへ

  ミドリ



あの人の店のそばにあった
公園の緑の匂いがとてもつよく
茶色のオフタートルにジーパンの
彼女はいつも笑っていた

窓ガラスを揺らす
バスの後部座席にふたりで腰を掛け
曇った朝の日の通勤の
つよい風を窓の外にみていた

静かに沈んだ声で
「なに考えてるって」って
彼女が言うものだから

今日は会社をサボって
このまま海へ行きたいと言った

ちょうど私も
そう考えてたところって
ウインクで返す彼女は
ちょっとおませな
小学生みたいに見えた

5秒くらいぎゅっと手をつかんで
キスしたい衝動を抑えながら
僕らはバスを降りた

街に暗闇が落ちてきて
ポツリポツリと雨が降り出す
手を離すと
ふたりは離れ離れに
はぐれてしまいそうな気がして

サンドイッチみたいに肩を寄せ合い
傘を立てた

スクランブル交差点をすり抜け
街の頭上でヘリコプターの音がする
世界にぎゅっと詰まった力が
体中に押し寄せる

この星に愛が生んだ奇跡だと
ジンと体の奥で感じる

「海まで行ける」って
そう 耳元をそばだてる彼女の声と
ブラウスの袖をまくる
体温の弾んだ感触

僕らは街と海を結びつける
グレイの瞳を奥に引き締め
それぞれの職場に向かう

ワイングラスに
時の甘い声を響かせるような
ローヒールの彼女の足取り

街は恋人たちを遠回りさせ
孤独に押し込み 外の世界を
明るく照らし出す

それが僕らが生まれるずっと以前から
なにひとつ変わりやしなかった
ただ一つの メッセージ


リジーの農場

  ミドリ




農場のメンドリは 
疑いようもない事実で
彼女は家庭におさまるような タイプではない
タマゴの産み手としては一流だが
誰の助けも借りずに彼女は 一人でタマゴを産む

シンディという名前のそのメンドリに
メロメロになっているのがリジーだ

リジーはやたらと態度がデカくて
ヘビや昆虫を捕まえるのも 得意だったが
農場の責任者に就いたその晩
リジーはシンディーを酒場に誘ってプロポーズした

彼女は態度を保留し
その場で不用意な発言を慎んだが
リジーをじっくり観察していた

「まるで何事にも無頓着な ヒツジみたい・・」
シンディーは心の中でリジーの事をそう思っていた

リジーは農場の経営を
ライバル会社から守った手腕を買われ
異例の抜擢をされた

大手には出来ない事をやる
リジーはジンの入ったコップ強く握り締め
シンディーの目を見つめた


農場で深刻な問題が持ち上がったのは
効率的な経営の為の戦略づくりに のめり込むあまり
農場を営んでいく 本来の目的を忘れてしまったからだ

ある日の午後
労働省から来た役人と
リジーは接見した

農場で悪質な違法行為が行われていると
匿名の通報があったと 役人は語った
通報が事実であるとすれば
場合によっては重い処罰が科せられる事でしょうと
役人は重々しく言った

それまで一言も口を開かなかったリジーが
ソファーから立ち上がって言った
好いでしょう
全てをオープンにしますよと 両腕を広げて言った

気の済むまで農場を見て行って下さい
農場の経営は
法を遵守した上で
すみやかに行われています

彼は晴れやかな顔で
役人の目を見つめ返してそう言った


夕方 執務室のドアをノックしたのは昼間の役人だった
「ミスター 通報は全てデマだったようです
 大変 失礼しました」

リジーは役人のその言葉に背を向け
窓の外に 西日の集まる畑を見つめていた
「今度 もし どこかでお会いするご縁あるとしたら
 もっと 好い話をしたいもんですね」
役人は
恐縮して頭を垂れて 部屋を出て行った

リジーはすぐに内線で秘書のクィーニーと連絡を取り
全従業員を今すぐ会議室に集めるよう
指示を出した

リジーの机の上には バラの花瓶と一緒に
シンディーの写真が 一番目に届きやすい場所に置いてある

彼女は シンディーは
俺がどんなことをすれば 喜んでくれるだろうか
そしてあのプロポーズに
いつかその承諾を与えてくれるだろうか

彼の頭の中のドライブ回路が
ブンっと強く回転し始める

仲間と親しい人たちを守りたい
それがまだ 街のゴロツキに過ぎなかった頃からの
今も変わらぬ
唯一無二の リジーの信条だ


心の庭

  ミドリ



街を見下ろせる ガラス越しの喫茶店で
小さな椅子に腰をかけ
ふたりはよくそこで コーヒーを飲んでから仕事へいく
まだあどけない少女だった頃から
彼女を僕は知っていて

なんの変哲もない会話の中に
ふたりだけの小さな
緑に満ちた楽園があり
なにかしたことで笑いあったり
ちょっとした仕草を触れ合わすだけで
心のヒールに届くような
感情が生まれてくる

その滾々と湧き出る泉の中で
ふたりはコーヒーカップと 言葉のつぶてで過ごし
「時間だね」
そう言って 腕時計と互いの目を見つめ合わせて
店の扉を後にする

彼女が結婚したのは僕の知らない男で
とても背の高い
陽に焼けた青年だった

知らせをもらったとき
ふたりだけのあの小さな庭はもう
この世には存在しないのだと僕は悟り
でもそれは とても綺麗な顔をもった
世界から配達された手紙のような気がして

鉄の錠前のしっかり掛かったあの小さな庭を
僕は胸の中に閉じ込める 
きっとどこかしらに いつもそんな場所がたくさんあり
必ず交代で人たちは其処へやってくるのだろう

ビルとビルの隙間に
霞んで埋もれそうになっていても
人はそこに足を踏み入れずにはいられない
そんなポケットの深いところにぎゅっと心を突っ込んで

今日も雑踏の中の見知らぬ顔たちの
肩の間をすり抜けながら
人は道すがら帰るべきその庭へと 靴底を踏みしめていく


扉を叩く ゆっこの恋 (プリントアウト用パート2)

  ミドリ

荒っぽく玄関の扉を叩く
それは「事件」のはじまりだ

ゆっこの ブロンドに染めた髪も 胸のタトゥーも
アレストブレッヂのアパートメントも
日常的に吸引しているマリファナも
この街にある炭鉱用の
掘削用のタワーの残骸も
真冬にはマイナス30℃までに下がる
それはこの街に閉じ込められた
とても小さな物語だ

ダウンタウンから3キロほど離れた
農家の納屋で
日ごと行われるパーティーも
ほとんど家に寄り付くこともない
十代のジャンキーたちの溜まり場だ

最近 生まれてはじめて
ウェートレスのバイトをはじめたゆっこも
その溜まり場の一人だ

このパーティーに集まってくる 女の子たちの間でも
とびきり綺麗なゆっこが恋をした相手は
ピンドンバックとあだ名される
ボクシングをやってる
男の子だった

ゆっこは彼に
バーボンをラッパ飲みしながら訊いてみた
「人を殴って なにが楽しいの?」

赤い髪のピンドンバックは
マリファナを咥えながら
「本能だよ」と
軽く 弾けるように腰を回しながら
優しい笑顔でそう言った

「今度の試合 観に行ってもいい?」
ピンドンバックはそれには直接答えず
シュッ シュッと シャドーを何度も繰り返しながら

「テレビでも観ていてくれや」
知り合いが来ると手元が狂っちまう
リングの中央には神がいるんだ」

フォーリー フォーリーと
彼は笑いながらワン・ツーを突き出し
こうやって神と交信するんだとキュッととウインクしてみせた

サイドステップと
ウィービングで相手のパンチをかわす
まるでバイブルを読んでいるみたいに
ひどく 気持ちが揺さぶられるんだ
でさ
この時だって瞬間に
相手の死角に飛び込むんだよ

じっと息を殺して
マットに這いつくばった 相手の肢体を見下ろし
なにが勝敗を決めたかなんて
殴り倒した野郎の血の付いた
横っ面を見ていたって俺にもわからない

だからいつも
そいつを悟られぬよう
俺はコーナーポストに静かに戻るだけ

そんな話を聞いていると
ゆっこなんだか
胸が苦しくなって
涙が止まんなかった

扉が叩かれたのは
それは夜中の3時半
アパートに戻ったゆっこがベットの中で
キッチンをぼんやりと横目で見ている時

扉の前にピンドンバックが立っていて
照れながら彼はこう言った
「心の支えが欲しい
なんだかさ
あれからとても気になって
魂や精神を永遠に支えてくれる
バネのような支柱が欲しいんだ」

ゆっこは寝癖にパジャマのまま
ツカツカと枕をぎゅっと掴んで
彼の顔を目がけて思い切り投げつけた

「この野郎!ドラックの やりすぎなんだよ!」
 


ゆっこの乳母車(プリントアウト用パート3)

  ミドリ


僕らは知り合った
京都駅の構内
売店でタブロイド誌を買い

37歳 無職男性に誘拐された
子供の記事などを読み

眉間に皺をよせ
退屈そうに足を組み
人たちを乗せて揺れる 

京都駅発 奈良行きの電車の中で
アヒルを乳母車に乗せて
通路を歩く
ゆっこと出会った

「いい子にしていたよ
 今日は全然 おしゃべりしていないもん」

アヒルは乳母車の中で
首をいっぱいに後ろへひねり
母親のゆっこに話しかけると
ゆっこは肩をすくめ
アヒルの頭を撫でてやった

彼女はアヒルの腰を捕まえて
乳母車から降ろし
ひざ掛けの上に乗せると
胸の中で強く抱きしめた

みんながわたしたちのことを
まるで知っているみたいな顔でこっちを見ている
きっと君が
アライグマやペンギンだったとしても
そんな風に
みんな君を見るんだろう

この町で君は生きていかなければならない
ゆっこはアヒルの頬に耳を寄せると
もう一度強く抱きしめる

「ママ」って アヒルは小さくつぶやき
車窓の外側の空に
小さな雲をひとつ見つけると

「ほら見て 
 あの雲さ パパの顔にそっくりなんだよ!」
そう言って ゆっこの膝の上でポンポン弾むと

「ママの顔は どこにあるのかな?」
アヒルの顔に頬を寄せ
窓外を下から透かし見るように
空を見上げるゆっこに

アヒルは大きな口を尖らせて言うんだ
「ママの顔なんて どこにもないよ!」って言うんだ

僕らは知り合った
京都駅発 奈良行きの電車の中で

アヒルの大きな嘴からこぼれた
とても小さな声と
それを胸ん中で 必死に抱きかかえる
ゆっこと出会ったんだ


冬のデート

  ミドリ



わたしは子供を産む気はまったくなかったし
生理不順で婦人科の台にのって
股をひらいたことは一度だけあるけど

幸い恋人はあまり したがらない人だし
わたしもセックスが愛情のベースになってるなんて
考えたこともない

冬の京都で
恋人と「マ・ベーユ」というお店で向かい合って座っていた
ツナペーストをフランスパンにぬって
ふたりでホッとするあたたかいコーヒーと
手のひらの中の 立ち枯れのプラタナスとを
ふたりは肘をつき 窓の外に眺めていた

その晩 わたしは彼にホテルでレイプされ
血のついたシーツをみせて
「処女膜が破れちゃったよ」って言ったら
彼はタバコに火を付けて
ベットサイドからタオルを投げてよこした

その目のそむけ方や仕草で
めんどくさいって 言ってんのが伝わってくる

世間にはいろんな歪みがあって

例えばスーパーマーケットの パック詰めの肉は
お墓のない動物たちの 死体の群れだし
子供なんか 絶対産みたくないわたしは
子宮や膣を 大きな鍵でガチャンと閉じた
けっして母親になることのない女だ

街を歩いていて
お腹の大きな主婦を見て
妊婦なんてサイテーだって彼にそういったら
耳に触れてるわたしの髪に ツンっと鼻を寄せ
海のイルカの匂いがするねって 彼が言う

わたしはわたしが
イルカだってことは 十分ありうるな
なーんて 考えながら歩いていたら
横断歩道が青だよって
彼に背中をツンツンってせっつかれる

現実の時計の中にしか 彼の時間には流れがなくて
わたしには夢で得た 人生しかないんだ
そう思ったらちょっぴり

さっきの妊婦のぽってりとした
あの大きなお腹の膨らみに
甘いものが きちんと保たれている

なんて 思ったりも するんだよ


ランディの海

  ミドリ

生命のないものに
かたちが宿るというのは
とても不思議なことだ

夫はすでに会社に行ってしまっていて
私はパジャマのまま
ソファーに座っている

雨が目まぐるしく 窓ガラスを打ちつける
小骨の多い魚みたいに 私は部屋にいる

雨が少し小降りになると
玄関からのそっと
とても大きなクジラが入ってきて
私の居る部屋のソファーの隣に座る

「話し相手になってくれるのかい?」って
クジラに話しかけると
彼は甘い鳴き声を上げて
チェストの上に置いてあった
時計とか 鏡とかを
ぶるんっと振るわせた
彼の体の尾びれに弾かれて飛ぶ

とても手ごたえのある
そのとても男っぽい動きに
私はうっとりして
彼の肩に頬をのせた

「気にしないでいいの 壊れたものは
 また買えばいいのだから」って言うと

私は彼の大きな背中に抱きついて
この大雨のせいで
君もきっと
あの海からやってきたのね

私も去年
そうやってこのうちに来たの
だから一緒だねって言うと
彼の胸の中の
とても大きな鼓動がコトコトと
甘いラブソングみたいに聴こえた

そうだ!
これから君がやってきた
あの海へ行こう
車に乗って
これからドライブするんだよって
耳に囁くと
彼の男前の顔が
わずかに歪んだような気がした

雨の中
ぱっと傘を差し出し
ワゴンに彼のお尻をギュッと詰めこみ
窮屈そうな助手席の彼を尻目に
車のギアをドライブに入れる

ダシュボードの下に
ビスケットとチョコレートがあるから
好きなだけ食べてって
言うが早いか
彼はそれらをぺロっと一口に
平らげてしまい

あまりのその行動に
あきれた私の大きな丸い目を
キュッとかわいらしく見つめる彼の目

それから私は彼を
ランディと名づけることにした

車はとても底力があった
ドスンっと とっても重たい彼をのせて
よく走ってくれた
海に着いたのは 午後の3時前
そこは人気のない海辺で

わけのわかんない感傷にとらわれてる場合じゃないって
きゅっと眉を上げ
ギュギュっと彼の尾びれを引っ張り出した

車から彼を降ろすと
バイバイって
軽く手を振った

ほら
そこが君の帰る場所だよって 指をさすと
彼はずん胴の体をくねらせて
海の方へ向かっていく

その大きな肩と 背中とが
人で言う うなじの辺りとかが
なんだか
夫に似ているような気がして

私は思いきり
「バイバイ」って 手をあげて
つま先を持ち上げ ランディと海に向かって
思いきり叫んだんだ

バイバイって 
思いきり 叫んだんだ


センチュリーハイアットホテルとブタのブギ

  ミドリ

じりじりと陽にやけ付く夏の
車のフロントガラスに目を覚ましたとき
高速道路のパーキングエリアは
巨大なトレーラーで埋め尽くされていた

プーマのロゴでプリントされた
スポーツバックを肩に担ぎ
小ぶりのブタが
フロントガラスの真正面を横切る

下っ腹の出たそのブタは
缶コーヒーをグビっと横目であおると
ツカツカとこちらへ寄ってきた

ロックされたドアをガチャガチャと揺らし
「乗っけてくんない?」と
いわれなき言葉を僕に吐く

ウィンドーガラスをおろし
「どこまで行くの?」と訊くと
「ジャカルタまで」

冗談だろっ!

本気だよ
この車なら
この先にある30分ほどの
おり口から下りて
国道へ出ればいい

そこでルナって女を拾って欲しいんだ
ルナだよ 間違えないでくれ
「とりあえず後ろ? いいかい」

ブタはアシックスのシューズで
後部座席に踏み入ると
プーマのバックをポンっと放り投げ
どっかりと腰を下ろした

「何だか俺たち 笑えるよね」と
ブタは大きく背もたれに肘を掛けながらいった

「ハァ?」って
あきれた顔で振り向くと

ブタは葉巻を咥え
キューバ産だぜと
片目を瞑りながら
葉巻を挟んだほうの指を 軽くあげて見せて

さて
これからドライブだ
ルナとの待ち合わせは
センチュリーハイアットホテルの
スィートルームだ
もちろん
そのまま国道へ出てくれればいい

「悪いがブタ君 僕はこれから
 女の子を迎えに行くとこなんだ
 すぐに降りてくれっ
 今すぐにだ!」

ブチ切れた僕はブタの目を真正面から
見据えていうと

ブタは葉巻に火をつけて
とても静かな物腰でこういった

ここから日本海はとても近い
耳をすませば
海風をこの手でつかめる程の距離だ
ゴォゴォってさ
まるで絶滅した世界の果ての後
子供たちが互いに抱き合って
脅えたて泣き喚く声のようだよ

とりあえず5分くらいの力で
ブタの胸倉をブン掴んで
グゥーで殴り 気絶させたあと

センチュリーハイアットホテルへ向かって
車を走らせた

後部座席にクタッと
ブタは気持ちよさげに
眠っているかのように 目を瞑っていて

ホテルに着くとスィートルームには
ブタの名前ですでにチェックインはされていた
3時間くらい待ったが
ルナという女は
とうとう現われはしなかった

気絶したままのブタを
ふかふかのベットに寝かしつけ

センチュリーハイアットホテルを後にした
バックミラー越しに夜景の傾いていく
ブタと居たこの街を残して
僕は再びインターへと車のハンドルを切った

センチュリーハイアットホテル
そこは
ブタとスィートルームと
ルナとジャカルタの在る街だ


8月の海

  ミドリ


8月の海は穏やかな顔をもっていて
遠くのそらで潮騒が横切っていく

「いつもそこにあった海が
 いまもここにあるんだね」って
ポツリと彼が 隣でそういう

休日のドライブも遠出も
どこまで遠くへ行ったって
現実から離れられるほどの距離はない

ここはとても日差し美しい街だ
海の家やカラオケBOX
それに古い商店街とホテル

どこにでもありそうで
ここにしかないものたちが
この街にもある

遠くのそらを見つめながらアタイはいった
「夏はキライ」だと

彼はタバコに火をつけて
「わかるような気がする」といって
まっすぐに煙を吐いた

「でも少し隙間のあるくらいの
 こんな夏が
 人の温かみがわかってよい」と
彼はいった

違う違うと
アタイは大きく首をふって

「やっぱり夏はきらいなの
 だって空がたくさんみえて
 空気がきれいで
 まわりが明るくって
 はしゃいでて そんな夏が
 アタイはキライなの」

そういうと 彼は笑いだして
「変なやつだよ」といったきり
黙り込んでしまった

言外の言葉を読み取れないほど
彼は若くはない

アタイは冷たいものが食べたいといって
かれの手を引っ張った
その温かい手が
いつもと変わりのない強さで
アタイを握り返す

アタイの小さな胸の痛みを
ゆっくりと抱きしめるような
強さで


ポーたちの湖

  ミドリ


「ここらで動かなくちゃいけないね」

ポーはセバスじいちゃんのコップに
ポットの紅茶を
なみなみと注ぎながら言った

ふたりの乗った
ボートが沈みそうに たゆたっている
湖岸に繋がれた クジラたちの群れ

冷え切った湖の
ピンっと張りつめた静けさの中
ポーは じいちゃんの目を
じっと見つめていた

この湖畔にたつ街が
やがて暗闇に覆われると
ポーとセバスじいちゃんは
ボートを湖岸から離し
クジラたちの群れを誘導した

まるで怪物の中の
胃袋の中みたいだ

櫂を握り
ふたりは真っ暗な湖の
真ん中を 
力強く突っ切った

「クジラたちは 見える?」

ポーはセバスじいちゃんに訊いた

「あぁ ちゃんと後ろに居るよ」

街の人たちに
気づかれちゃいけない

舳先を跨いで
ポーは海に流れ着く 方向を探った
バランスを崩しそうになる

「ボートが熱くなってる!」
「なんだって?」

ポーはセバスじいちゃんに尋ね返した

「ボートがまるで生き物みたいに
 熱を持ってるんだ!」
「そんなバカな!」

バリバリという音と共に
ボートがムクムクと
怪物の毛に覆われていくのがわかる
ふたりの握った櫂は 手と足になり
舳先には吐息のように 白いものがくぐもって見える

「バフン」っと一発
ボートがくしゃみをした
ふたりは怪物の背の中で ひっくり返った

「バカな!」と ポーは言った

ボートは舳先で呼吸をし
櫂はその怪物の手足となり
体をのたうたせ自由に湖を泳ぎだしている

「ぼくらを案内してくれるらしい!」

目を大きく見開いたポーは
大きな声で叫んだ
セバスじいちゃんは腰を抜かし
ひっくり返ってしまった

首と顔をもったボートが
ポーの方へクルリと目を向けて
キュッとウインクしてみせた

怪物は大きな背中で ぐぃぐぃと
ポーとセバスじいちゃんを乗せ
クジラたちを引っ張っていく

薄暗がりの
湖畔の街を背にして
その小さな頭を前方に
くぃっと折り曲げ

一掻きごとに
クジラたちを率いて
怪物は 海を目指した


愛だろっ 愛かも?

  ミドリ


街中の子どもたちが
寝静まる夜半
夫婦は夜の営みをしていた

「アンっ トム!」と
妻が嗚咽をもらすと

夫は 俺はトムじゃない タケシだ!

「トムじゃないのね もっとも・・」と妻がいい
てんぱったタケシの腰の動きが
いや増して激しくなると

今度は「ボビー!」っと
妻は夫の背中に爪を立て
強く抱いて悦楽する

アホか!俺はボビーじゃない ミノルだ!

「ボビーじゃないのね ミノルなのね」っと
妻はまた冷静にいい
ミノルの舌の動きが
パチョんこにテクニカルになると

「あァ そこよホセ!」っと
妻は胸を反らせながら声を張り上げた

ボケっ!俺はホセじゃない ワタルだ!
頭にきたワタルが
激しく強くそして美しく 
妻の唇に舌を絡ませ 胸を揉むと

「クリストファー・・」と喉の奥を
しめつけるようにして
妻は背中をのけぞらせる

とうとう夫は怒り出した

「お前はガイジンばっかりかい?」

そこ 突っ込むとこなの?っと
妻がケロッとした顔でいうと
夫は
すまない 穴の位置を一個間違えてた
「すまない・・」

そういって夫は
ベットの上で正座をして
妻の目を見つめた

「トム」って
妻が小さく唇を尖らせながらいうと

「キャサリン」って
夫が囁きかえす

夜中の3時半
セミダブルのピンクのベット上に
ふたりは寄り添って

またたった一つの愛を
奪い合うようにして
ふたりはひとつになった


ピンクのリップ

  ミドリ


机に足を投げ出して
エスプレッソを飲みながら
ぼくはタバコを咥えてる

日曜日の夕暮れ
気だるい西日が ブラインドの隙間から
射し込んでくる

缶ビールをパキッと開け
キッチンの妻の姿を
ちらっと 横目で見つめる

6時を過ぎたが
彼女はまだ遠いところを踏み抜くような
冷たい床に
スリッパも履かぬまま
テーブルにうつ伏せになっている

黒猫のような
ペロンとした素材の
プリントのワンピースを着ている彼女

ピンクのリップをそばだてる
生温かい息が
彼女の肩から 唇から漏れている

ぼくは思う
ポットの中の保温された熱湯
冬の外気の
冷たく
ツンと鼻をつく匂いが
窓ガラスにへばりつく

いつも胸が痛くなって
帰ってきた後の
2人きりの
マンションの一室
ぼくらいつも繰り返す

真新しい白い靴下を履いている
彼女の足元で
ゴディバの箱がへしゃげてる

ひっくり返されたままの
つぶれたチョコレートにへばりつく
キッチンの床と
まだ真新しい彼女の 白い靴下


南極縦断鉄道 中央駅前 寿司バーにて

  ミドリ


フィットネスクラブの一室に設けられた部屋に
ペンギンの赤ちゃんが預けられていて
マナチンコを見たいあまり 胸の気持ちが抑えられなくなり
まなみはいつの間にか
ペンギンの紙オムツをといていた

前つんのめりに
揺りかごに頭を突っ込む まなみ
それはまるで煮込みすぎた肉じゃがのようであり

まなみは将来
きっと皇帝ペンギンのいっぱしの男前を捉まえて
この子のようなペンギンの赤ちゃんを 産みたいと思った

まなみの母親は言った
これからの時代
女の一生もやっぱり
自分の力でバリバリと切り拓いていった方が好いのだと

転勤願いはいつか 海外にしょう
できれば南極支局がいい

関西生まれの彼女は下町で育ち
渋谷の一等地に いま勤める彼女は思う
どうせ悲しいことや 辛いことがあるのなら
もっと楽しく過ごせば好いのに この人たちって
東京の人たちは
やっぱり 冷たいところがあるから

昨年買ったばかりのマンションに
仕事から帰ってベットに入るとき
どこか胸のあたりがズキズキとする

空気がうんっと綺麗な
ゼラチンの中のような南極で
皇帝ペンギンの彼と暮らし
広い庭には野豚や烏骨鶏を放し飼いにし

南極縦断鉄道 中央駅駅前の
小洒落た寿司バーで
まだ小さなペンギンの赤ちゃん連れて彼と3人で
トロやアナゴや セロリの軍艦巻きを食べながら
彼はこう言うだろう

やっぱ俺はチャーハンが好かったって
「帰ったら作ってあげるよ!ねっ」
なんて言うようなものなら 彼はきっとこういうだろう
「お前のチャーハンはマズいからな」って

大体
家にはフライパンもないじゃないかって
そしたら私はこう言うんだ
この間 ヒルトンホテル前に百貨店ができたんだよ
チラシが入ってたから
オープン記念セールで とっても安いんだよって

そしたら彼はそんなことに興味を失って
息子のハルとジャンケンをしている
ふたりはペンギンだから
グゥーとかチョキとかは出せないから ムリだから
ずっとパーばっか出し合って

「あいこでしょ あいこでしょ」って やってる

それが私には
「愛はこうでしょって」「愛はこうでしょって」
何度も胸のずっと奥でつんざくように 聞こえるんだ


ヨットハーバーと小さなアルバム

  ミドリ

ハーバーから出て行く
ヨットの数がたちまちに増えていく春
その背泳ぎのような船の航行に
季節の匂いがする

昼ごはんを食べ終えたマチコが
海を見たいといった
ぼくは灰皿を取り替える
ウェイトレスの赤いマニュキアに目を走らせ
それからマチコのスッピンのままの
唇に目をやった

ショートケーキの生クリームが
彼女のほっぺたに付いている

いまはもう想像もしない
明け方の彼女の寝息とその横顔
ベットサイドの窓際で
東から登り始めた 陽の光だけを頼りに
読書するぼく

ベットに横たえる
彼女のからだ以外に
馴染める存在がいない こんな朝
ふたりきりでいることに
こんなにも深い甘美な 孤独を感じることはなかった

逗子駅前は とても明るくって
コンクリート真下に 埋められた地面の熱気が
街をムッと包んでいるような気がした

そんな春に 彼女と聴いた
カーラジオから流れてくる
DJのくだらないおしゃべりも流行の音楽も
今は記憶の切れっ端として 残っているだけ

彼女と出逢ったのは
ぼくがまだ青年期の暗いトンネルを
抜け出したばかりの
25歳
ふたりの間にはいつも
絡みつく舌の
濃厚なキスのような 会話があった

いったいあの頃 あの時
その日その一日を 彼女とふたりで
どうやって生きていたのか わからないほどに
思いだせないほどに

夢中になって何かを抱きしめようとしていた
指先や両腕の 強い抱擁だけが
そこにはあったような気がした

胸の一番奥に 大切しまい込まわれた
決してひずませることのない
心の中の小さなアルバムが 
今もぼくの心の中に しっかりと残されている


仔猫のアリーと二切れのビスケット

  ミドリ


目を閉じてママ
ピアノの鍵盤の上に ほら猫がいるから

わたしはビスケットを持って仔猫を捉まえに行く

「目を閉じていればいいのね」
ママはそういって
読みかけの本を パタンっと閉じた
光の射し込むリビングの縁側

「アリー アリー」って 静かにわたしはそういって
つま先立ち 仔猫に近づいていった
あと一メートルってとこで

アリーは不意にジャラン!っと
ピアノの鍵盤を 指で弾き鳴らしたかと思うと
器用な指先で
バッハを弾きはじめた

それからジャズだ
THESE FOOLISH THINGSだとか
BODY AND SOULだとか そんな曲たちだ

それから仔猫のアリーは すべての曲を弾き終えると
満足そうにこちらをチラリと見て
それからわたしの右手に握られた
二切れのビスケットを見て 微笑んだ

わたしは思わずその二切れを自分の口の中に
思い切り放り込んだ

ママは可笑しそうに 笑ってる

仔猫は右手をポケットに突っ込んだまま
左手でグッと肩を抱き寄せて
わたしの唇にそっと小さな
そして大胆なキスをした


まなみのハーフコート

  ミドリ



ハーフコートのポケットに
両腕を突っ込んで
まなみは神社の中を
ぐるっと一回り 散歩する

鳥居をくぐって石段の
すぐ奥がお稲荷さんだ
1月の風は穏やかで
住宅地の匂いを ここにも運んでくる

この近所にある
老舗の和菓子屋の三代目が
まなみだった

「モカをもう一杯下さい」

よくランチを食べに来る
まなみの店の
常連の青年

彼女はにっこり笑って
灰皿を取り替える
小さな粉雪が
街に降りだした

テーブルの一番隅っこに
座っていた その青年が
読んでいた新聞を斜にして
窓の外に 雪をみる

「いつもこの席ですね」

まなみが声を掛けると
タバコに火を点けた青年が
まなみを見つめて言った

「ここが好きだから」

えっ?て
尋ね返すまなみに
青年はタバコの火をボウっと
大きく膨らまして 
また言った

「この場所が 好きだから」


ナオミから もう一人のナオミへの手紙

  ミドリ

ナオミ
明日の午前11時に成田まで
誘拐犯があなたを 迎えにいくから
電車賃も忘れずに
ちゃんと早起きしていくこと

それから東京中の名所を リストアップして
メモにして渡してあげること
そして彼の好物はコロッケ
もんじゃは厳禁
だって彼は生粋の関西人なのだから

雷門とかで記念写真を撮りたい?
それもダメ
彼は札付きの写真嫌い
それに
ナオミを誘拐したことへの 足がついちゃう
わたしたちは彼を
警察に引き渡すわけにはいかないの

それから彼に会っても
恋に落ちちゃダメ
たとえ1ミリだってダメ
彼はバナナの房から
まるで見境なく一本丸ごと
ぺロっと皮でももぐように食べちゃうような
女ったらし

いい?
成田に着いて
青いパパイヤのスーツケースの
背の高い
陽にやけたサングラスの
ハンサムな青年をみつけたら彼よ

軽く目でお辞儀して
黙って彼の後に ついていきなさい
パークハイアットホテルのスィート・ルームが
彼の部屋

ブラウスはなるべく 清楚な感じのものを着ていくこと
スカートのミ二とかは 絶対にダメ
それに生足も
トートバックと口紅も
落ち着いた色を選ぶこと

あした
わたしたちの彼が
あなたを誘拐しにやってくるから
そしてきっと何かの伝言のような
わたしたちの事件が
夜のTVニュースを賑わすはずよ

思いきり力をこめて言います
最近 コンパニオンの仕事を増やしているようだけど
もうそろそろ
よい年齢なんだし
それに明日からあんたは 彼の人質



       ナオミから もう一人のナオミへ かしこ


追伸 そして彼も わたしたちの人質


プラットホームの女の子

  ミドリ

夕陽をグラスにかざして 汚れをふき取ると まなみは
白い指先で静かに ワイングラスに 赤を注いだ
黒い瞳が どこを見ているのかわからなくて 窓の外の
高速道路の明かりが 光の点滅をフラッシュさせながら
闇を切り裂いて 空の向こう側へ走り抜けていく 世界は 

何のために回るのか 地軸の回転がふたりの座ったソファーに
重みを加えているような気がした晩秋の黄昏 まなみが
バックから取り出したのは ふたつに綺麗に折りたためられた
離婚届けだった ぼくはペットボトルの水を飲み干すと
その夜 二年ぶりに まなみを抱いた

十tトラックのブンっと走り抜ける音 取引先の会社の駐車場で
ぼくは営業車のシートを倒して タバコを吸っていた まなみが
夜の商売をはじめたのは多分 ぼくの知る限り この半年くらいの
ことだ 窓の外に まなみに似た女を見て 思わずタバコを
落としてしまった 火の付いたままのタバコが 車のシートを
ジュっと焦がした 人違い そうに決まってる

アポのあった10時に 会社の受付をくぐると 5階の会議室で
横田専務と 打合せに入った サンプルとデータを見せて
ランニングコストの比較を説明していると 専務は 唐突に
仕事とは関係ない話を繰り出した 

「二木君 一週間前に 娘が家出をしてね 帰ってこないんだよ」
「はぁ」
「仕事をしていても いつもそのことが頭から離れなくってね 
 でもね ぼくは仕事一本で 家庭を顧みなかったかもしれない
 家族の為だった それは妻や娘たちにとって 言い訳にしか
 聴こえないんだ まだ若い君には ピンとこないかもしれないけど」

その夜 ぼくは会社の帰り道で 同級生とバッタリ出会った 真っ赤な
マフラーに 厚手のダッフルコートを着て駅のホームの端っこ設けられた
喫煙コーナーでタバコ吸ってる女の子 寒そうにかじかむ手を白い息で
温めながら 彼女は 電車を待っていた ぼくが彼女の前に立つと
不思議そーな顔でぼくを見た にわかに記憶が蘇ったのか 「二木君!?」
なんてパッと急に顔を明るくして 驚いた目をパッチリと開けてぼくを見る

「久しぶり」
「元気〜ぃ?」
「まぁ なんとかね」
「二木君ってさ ほらこないだの同窓会 こなかったじゃない?!
 でもなんだ 地元に戻ってきてたんだ」なんて

彼女はまじまじとぼくを見た でもぼくは 彼女の名前が思い出せなくて
スーツのポケットから名刺を取り出して 彼女に渡した

「あっ 名刺の交換ね」

彼女は鞄から ゴソゴソと名刺入れを取り出して ぼくに手渡してくれた

「なおちゃん」
「んー わたしの名前 忘れてたんでしょう? きっと美人になって
 見違えちゃった?! なんてところかな〜」なんて

くりくりした目で ぼくを見つめる
不意にぼくは 彼女の肩を抱きすくめた 「何?」って
ちょっと脅えた声で 彼女は言った 誰かを必要としている でもそんな時
そこに誰もいなかったとしたら
ほんの少しでいいから 君の小さなぬくもりを 分けてはくれないか
ぼくはギュッと強くなおちゃんを ずっと強く 抱きしめていた


マリコの宿題

  ミドリ



この街にやってきて
一番に変ったことといえば
ママが朝ごはんを作るようになったこと
冷蔵庫が新しくなったこと
そしてわたしが 17歳になった

ママは英語の教師をしていて
7時半には家を出る

わたしは鞄にお弁当を詰めて
行ってくるからねっていうと
化粧台の前のママは
ひどく濃いアイラインを引きながら

「マリコ 忘れ物ないの?」

なんていつもの調子で言う
本当は
このまま学校へ行くつもりは なかったから
曖昧な相槌を打って
家を出た

朝の街
通勤や通学途中の
忙しない人の流れに逆らって
わたしは郊外へ30分に一本出る
バスに乗った

このままどこへ行こうか?
腕時計を何度も確かめながら
わたしはこの日も
青い空を
バスの窓枠から見上げていた

軽い喪失感と
インモラルな気分に包まれた朝
ひどく傾きながら
走り続けるバスに
わたしは鞄にギュッと 
爪を立てて握りしめた

長福寺という
停留所で
若いサラリーマンが乗ってきた
わたし以外に
誰も乗っていないバスなのに
彼は通路を挟んで
わたしの座席の 真横の席に座る

そして忙しなげに
ケータイで仕事の話をはじめる
鞄から書類を取り出したり
スーツの裏ポケットから手帳を取り出しては
メモを取ったり

ずっとわたしは
そんな彼の横顔を見ていた

三つ目の停留所で彼は降りた
わたしも背を押されたように
彼の後を追って バスを降りた

何もない田舎の風景
日差しはすでに高くなっていて
背の高い彼を見上げると
薄っすらと
首筋に汗が滲んでいた

「ここは どこですか?」

おずおずと わたしは彼に尋ねてみた
彼は横目でわたしをチラッと見て
こう言った

数年前 
ここはダムに沈んだ 村なんだよ

わたしは彼の言ったことの意味が
よくわからなかったけれど
その深刻そうな
彼の横顔を見上げていると

この場所と
彼の心の中の
とっても大きな気持ちとが
強く結ばれているような気がして
その彼の言葉に
二の句を継げないでいた


ガンガーを抜ける

  ミドリ


これがインド洋ですよ そこに座っていた老人が
指をさして言った
さすが広いですねぇ
人っ子一人いやしない
ユリはジーンズの裾を捲り上げて
サンダルのまま 海の中へ入って行った

バラナシ空港に ユリが着いたのは
午後の2時半だった
空港から外へ出ると
ムッと吹きつけてくる風が
体を包んだ

200ミリのズームをいっぱいにして
ファインダーを覗いていると
空港からホテルへ向かう人通りの中に
一匹の仔犬がいた
彼は一軒のレストランの前で躊躇し
立ち止まって座り込んだ

強い日差しで
額の辺りから
汗がこぼれる

私は”ボーイハント”のつもりで
仔犬に声をかけた

ご飯でも一緒にどうですか?
仔犬は私を見上げると
おねーちゃんは中国人かい?って訊いてきた
日本人だよ
見てわかんない?

インドの暦で
3月と8月の11日は
1年のうちでもっとも重要な日なんだ
つまり今日
6月21日は この大切な日にあたる

腹はへってないからさ
一緒にガンガーへ行くかい?

ガンガーってなによ?
仔犬は私の手をギュイと掴んで
ズンズン歩き出した
有無を言わさない感じだった

街を突き抜けると
ふいに巨大な階段が立ち現れ
とても大きな
建物とつながっていた

何よ?此処
やーよ って私言うと
仔犬は私をにらみつけ
お前さっき日本人だって言ったよな
うん
だったらこいよ
ギューっと 引っ張られた私は
建物の中へ引きずり込まれた

なんだ此処 ラブホテルじゃないの?って仔犬に訊ねると
違うね
ファッションホテルって言うんだ
私たちはレセプションで手続きを済ませると
306号室に入った

ピンクの回転ベットと鏡張りの部屋
むかし大阪のミナミでタカシと行ったラブホテルとそっくりだ

ちゃっちゃと服脱げよと仔犬が行った
あなたから先に脱いでよ
俺はもう裸だよバーロ
ポコちんだってこのとーりさ
確かに・・・

私はもうブラを外すしかなかった
仔犬は器用に私の前ホックを左手で外すと
唇を押し付けてきた
やだっ
私ったら もう感じちゃってる!

仔犬はピチャピチャと下腹部へ舌を滑らせる
ホテルの窓の下の
路地を走り抜ける 人と牛と車のリキシャが
行きかう音に私の胸と呼吸は荒くなった

仔犬は私にヨガみたいな格好をさせたり
ハーレーダヴィットソンに乗るような格好までさせた
そしてマンゴージュースのような
ねっとりとしたキスまでくれた

そしてその夜
私たちはガンガーを抜け出した

青い火葬場の白煙を上げる
井桁を組んだ薪のまわりに
十数人ほどの白い服を着た人たちが
丸い円をつくって
燃えついていく遺体をじっと眺めてる

私の手を強くグッと握りしめて仔犬言った
此処がガンガーだよ
胸の内っかわを膨らませる
最高の喜びの場所だよと
仔犬は焼かれていく遺体を指差して言った

私はフレアスカートの裾を捲り上げ
ブラウスのボタンを外し
腰を屈めてパンティーを脱ぎ
腕をグッと掴んだ彼が耳元で囁くのよ私に 
最高に 君は綺麗だよって


サカテカスの殺し屋

  ミドリ

サカテカスの路地を
さちはトボトボと歩いていた
やっと思いで辿りついた
この町の丘の上にある宿の
スプリングの弾けたベットに 彼女はグッタリと横になり
スーツケースとパンプスを投げ出して
細長い部屋に白く塗られている
天井のペンキを見つめていた

あしたのバスで
メキシコシティまで 行こうかな?
なんてぼんやりと 思いながら

さちの泊まった宿は
サカテカスの町から 丘の頂上へと続く
舗装された道のどん突きにあり
部屋の窓からは
町がよく見渡せる
古くって
美しいはずのサカテカスの町が
なんだか
やるせなく見えた
公園や広場や 教会が眼下に広がり
まるで中世のヨーロッパを思わせるのに

そう さちが思ったとき
部屋のドアが ガンガンって
けたたましく鳴った
風かな?
なんて思ったけど
そんなはずはない

さらに何度も 何度も強くドアを叩く音がする
「誰?」
さちは恐々と声に出してみた
よくわからないスペイン語で
少年らしいその声の持ち主が 何かを叫んでる
さちはゆっくりとドアを開けた
ん?
誰もいないじゃん・・
そう思ったとき
冷たいものがさちの首筋に触れた

「アミーゴ おとなしくしな!」

背の高い男がさちの背後にまわり
ドスの効いた声で彼女を脅しつけ
首にアーミーナイフを突きつけてる
声も出なかった・・
男はゆっくりとした調子で言った
今夜 ティアナの森で集会がある
お前も一緒にきてもらう

だって あのすいません
あたし・・
そう言いかけたとき
男はさちの体を離した
乱暴して悪かったよ
俺はソルトといって
要人の暗殺を専門に手がける殺し屋だ
勿論 ソコんとこ暗号ネームだから心配すんな
さちは思い切って訊いてみた

「殺し屋さん ソルトさんでいいのね?暗号ネームだけど
あたしに一体なんの用があるっていうんですか?」

彼は押し黙って
胸のポケットから葉巻を取り出して
その質問には答えられない
おとなしく従ってくれ
それ以外の要求は俺からはしない
それが俺の仕事だからね

さちは 男の顔をじっくりと見ようとした
「一本でんわを入れるから 窓から離れて
立っていてくれ」
男はそういってケータイを取り出し
早口でまくし立てた
「何?」
不穏な空気に さちの背筋は震えた
でんわを終えると男は
ソファーに深々と腰を掛けた
そして葉巻にマッチでボっと火を灯した

「今 ピザを頼んだところだよ
トマトとピクルスは抜いてあるから
心配すんな」
「なんであたしの嫌いなもの知ってるんですか?」
さちがそう言うと
殺し屋は不敵な笑みこぼし
指に挟んだ葉巻を軽く上げてみせた
キューバ産だぜ

「質問してもいいですか?」
「答えられる範囲ならな」

「人を殺めるって
とっても悪いことだと思うんですけど・・
あなたは」
そう言いかけた時 殺し屋はさちの質問を遮った
「その質問は後回しにしてくれ」

葉巻の煙をくゆらしながら男は
ポケットから取り出した
レイバンのサングラスを素早く掛けた
そして浅めの位置へ腰をずらすと
ソファーの中でニヒルに笑った

「じゃあ いいいですか ソルトさん」

彼は大袈裟に両腕を広げ
かまわんとジェスチャーで示した

「好きな女のコのタイプとか教えて下さい!」

ソルトは葉巻の煙にゴホゴホとむせ込みながら
「俺は女に興味はない」
「じゃ ホモってことですか?」
「ホモとか言うな コラっ!?」
「だってホモじゃないですか?」
「・・・」
「ホモっ!」
「アミーゴ 俺は14んの時に 初めて女を抱いた
マリアと言って 姉貴のダチだった・・」

「すいません その話し
全く興味がないんで 次の質問に移らせて頂きます!」
「・・・」

「休日とかは どうされてます?」
「そうだな〜」 ソルトは気分を取り直して
グラサンのブリッジを何度も中指で押し上げながら
メッチャ 遠〜い目をして 静かに語り始めた

「まずはアレだな 教会へ行って 牧師の説教を聴く
遠い故郷の母に 強く想い馳せながら近所の湖畔を散策する
それから自宅プールサイドで 哲学書を読みふける
そして行きつけのバーで テキーラを煽りながら・・」

「すいません その話し長くなりそうですか?」
「タブン」
「じゃー もーいいです もう結構です!」
「・・・」 
「では次の質問に移らせて頂きます」
ソルトは眉間に皺を寄せた

「ソルトさん 暗号ネームですよね」
「暗号だ!」
「じゃー 本名を教えて下さい」
「アミーゴ 俺は世界を股にかける
チョー大物の殺し屋だ」
「だからなんなのよー」
「・・・つまりだなっ」

その時 部屋のドアがバンっ!と乱暴に蹴破られ
5、6名の男たちがダっと!なだれ込んできた

「CIAだ!ソルトだなっ!」

男たちは一斉にソルトに向かって拳銃を身構える

ソルトは微動だにせず 葉巻をくゆらしていた
そして彼はさちの方へ顔を向け
「つまり・・俺には時間がないってことだ」とそう言った

「ソルト!その女から離れろ!」
CIAの一人が低い声で言った

彼がサングラスを外し
ゆっくりとソファーから立ち上がると
複数の拳銃から一斉に 鉛の弾がソルトに向かって飛び出した
さちは その轟音にギュッと目瞑った

ここがティアナの森だよ
さちの肩の上で 男が言った
見上げるとサングラス掛けたあのソルトが キュッと前を見つめていた
さちが彼の目の先に視線を移すと
真っ裸になった男女が 丈高に組まれた櫓の周りを取り巻き
その数ときたら
ザっと百万人はくだらない感じだった

「アミーゴ 君も裸になれよ」
「やーよ」

ソルトはさちのブラウスのボタンに手を掛けた
「ヘンタイ!」
さちは彼の頬をパンっと叩いて サングラスが飛んだ
ソルトは地面に落ちたサングラス拾い上げ
さちの肩をグッと抱いて 「いいパンチだ」
そう言って唇を重ねてきた
その力強い感じに さちは抵抗できないでいた
彼の胸の隙間からさちは言った

「あなた鉄砲の弾に当たったんじゃ・・」
彼は例の不敵な笑みを浮かべながら

「俺について 君が知りたい
最後の質問のことだが」
「人を殺めること?」
「だったよな」
「そんなこと もうどうだっていいよ・・」
そう言ってさちは
彼の胸ん中に強く ギュッと頬とおでこを うずめていた


時のない街

  ミドリ

ポップコーンを奪い合う
スニーカーを履いた犬たちで賑わう通り
そこはタータンチェックの
ミニスカートを穿いた女の子たちの足元に広がる街だ

牧師はいつも
教会の前のデッキチェアに寝そべりながら
コーラを飲んでいた

赤いスニーカーの犬が
牧師に時間を尋ねると
決まって彼はこういった

「菜の花畑で そろそろ彼女が
鍬を手にする頃だ」

犬は腕時計に目をやりながら
ぜんまいをキリキリと巻いて 
その時間に 時計の針を合わせるのだ

この街では
ポップコーン屋はいつもごった返していた
買い物カゴをぶら下げた犬たちが 
奪い合うようにして
カゴの中にポップコーンを詰めこむのだ

牧師はいつも
教会の前で
その光景を見ていた

彼の奥さんはクジラで
この街ではあまり見かけないタイプの動物だったが
牧師は夕刻になると酒場へ行っては
犬たちにそのことを自慢していた
料理が上手いだとか あっちの方も最高だとか
犬たちは黙って聴いていたが
あまりよい顔をするものはいなかった

一匹の犬が
牧師に尋ねたことがあった

「あの奥さんとどこで知り合ったのですかい?」

牧師はいつものように
こう答えた

「菜の花畑で そろそろ彼女が
鍬を手にする頃だ」

犬は黙って頷き
腕時計のぜんまいをキリキリと巻いて
その時間に 時計の針をあわせるのだ


花火

  ミドリ

空は
とても静かな森だと
まなみは感じた
病室の天井を飾る
オレンジ色や青や 黄色や赤やらが
ぶつかっては消えていく音

まなみはサイドテーブルから
果物ナイフを取り出して
刃先を天井に向けた

自分でも何をしているのか
よくわからなかった

でもなんとなく
そうやって果物ナイフの刃先を
天井に向けて突き立てていると
まなみの腕を
誰かがグッと掴んだ気がした

「誰?」って
声を潜めて彼女が訊くと
「俺だよ」って声がした
「あなたは誰?」

  *     *

病室の窓から見える空は
いつになく澄み切った色をしていて
ベットに固定された首から
まなみがようやく覗くことができるのは
この病室の白い壁や天井ばかりだ

「バカ」って書かれた紙くずが
いくつもベットの下に転がり込み
風が窓から入り込むたびに
カラカラと音を立てた

今日は
街の花火大会だ
明かりの消えた
病室の天井を見て
まなみは影に溶け込んでくる
打ち上げ花火の色と音を じっと聴いていた


待ち合わせ

  ミドリ


成田空港で 待ち合わせをしている
クマに逢うために
まなみは化粧室でリップをひいていた
ボストンへ出張していた彼が 帰ってくるんだ
ボブヘアーになっている私を見て
きっと彼は驚くわと
まなみは思った

飛行機の到着時間は
予定通りだった
人ごみの中
一際背の高いクマが 彼が
ゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた
彼はネクタイを緩め
サングラスを胸のポケットに仕舞い
はにかんだ笑顔で私をグッと抱きすくめた

「お帰り」
「ただいま」

半年ぶりに出逢う彼の胸の中のぬくもりに
思わず
涙がこぼれそうになった

「元気そうだね」
「あなたこそ」

そういうと彼はまるで
勢いよくプールに飛び込むみたいに
私にキスをくれた

「色々あったよ」
そう言って ウィンクする彼に
私は少し不安を覚え
「全部 全部その話を聞かせてよ」っていうと

「全部を語りつくすには
一生かかっちまうよ」
そう言っておどけてみせた 顔をする彼の肩に
私はギュッて
思い切り抱きついた

通りすがりの子連れの母親が
「クマだ!」って
彼を指差すわが子に
「見ちゃいけません」って注意をしている

彼はポケットからチューインガムを取り出し
子供に手渡した
「何だクマのくせに!」って
その子は彼に悪態をつき
ガムを床に投げ捨てた

母親はあわててキュッと子供の手を引っ張り
その場をそそくさと立ち去ってしまった

ガムを拾い上げる
指先を見つめる悲しげな彼のその横顔が
私には
この世で 一番美しいもののように 見えた


黄色いキャロルのクマ

  ミドリ



駅前に黄色のキャロルを路上駐車するとクマは
ポンっとドアを叩きつけ 身軽に外へ出た

わたしは険しくなってる顔を 上げないよう
キュロットの裾を握りしめた
1時間もよ!

「待った?」
「ううん」
「ヨシっ 乗った!」

そう言ってクマは わたしの背を乱暴に押すと
キャロルの助手席に押し込んだ

クマはスーツのポケットから指輪を取り出して
さっきから 弄んでいる
彼が 夜の海に向かっているのがわかった

高速に乗るとすぐに
窓を開け放ち彼はその指輪をポイっと投げた
たぶん
カルティエかブルガリかハリー・ウィンストンの
ダイヤの指輪だ

窓をギュイっと閉めると彼は
わたしを見て
決心が鈍ったと
そうつぶやいた

「なんのこと?」
「場末のホステスみたいだぜ」

わたしの顔をじっと見るなり
彼はそう言った

「お気の毒サマ!」

そう言うと ふたりはグッと押し黙って
車の中の空気も うんっと重くなった

「もうすぐね」
「え?」

そう言って彼が振り返ると
目の前にフワっと海が広がった
キャロルがスリップして止まると
夜の海が
とても静かで
綺麗だった

わたしたち・・
ここから始められる?
ハンドルを握ったままの彼はとても静かで
さっきまでの悪態が信じられないほど
きれいな横顔をしていた

そしてわたしの肩をグッと抱き寄せると
とても優しいキスをくれた

「指輪 もったいなかったね」

唇を外してそう言うと
彼はその言葉を打ち消すように・・

もっと強いキスを
わたしにくれた


ラッターナ・プーロ・プット(ラフ=テフ外伝)

  ミドリ



ぼくがこの素晴らしい海をみつめていると
カンガルーの船長があらわれ
彼はぼくがいることに気づかぬ様子で
一連の天体観測を始めた

一息つくと
彼は照明の真下のテーブルに肘をついて
じっと 夜の海を眺めていた

ハイランド号の数名ほどの水夫たちが
けたたましく甲板を昇り降りする音が 外で聞こえた
ナムジー海岸に近づくと
曳網が船上に巻き上げられた
それはトロール網の一種で
大きな袋網が
一本の浮桁と下網とを繋いでいる鎖とで
網は 口が大きく開かれたまま船上に引き上げられる

我々はもうすぐ運河に入るよ
カンガルーの船長は
横目でチラッとぼくを見ていった
ハイランド号は運河に入ると間もなく
スクリューの推進力と潜水翼を傾けながら
運河の底に船体を沈めていった

この海底には
5億艘の幽霊船が沈んでいる
カンガルーはアメリカンチェリーとボルドーを片手に
ソファーに深々と腰を掛け
葉巻を吹かしながらいった

ナムジーの街の人たちは
この事実について知らない

君にはこれから大事な仕事に取り掛かってもらう
濃いサングラスを咄嗟に掛けながら彼は ぼくにいった
海洋学者のモリッツによると
このナムジー海岸一帯は 特殊な地形を成していて
その海底には
人間の暮らすことのできる肥沃な大地が広がっているという
伝説だよ
カンガルーは少し上ずった声でいった

それはぼくの専門外ですね
論文を読んだよ
彼は科学雑誌を ぼくの目の前に放り投げてみせた

「ラッターナ・プーロ・プット」

それは古代語で”青い大地”を意味する
運河の底は完全に闇に閉ざされていた
スクリューの不気味な回転音だけが
ぼくらの沈黙を見守った

海底に流れ出した火山灰
溶岩の絶え間ない堆積
海面に噴火山が出現し
地殻変動を示す 絶え間ない海鳴りが今も
このナムジー海岸沖を異常な振動で揺るがすことがある

「船長」

何かとてつもない夢想に耽っていたカンガルーが
ハッと 我にかえりサングラスを外すと
ぼくはすッと 彼に手を差し伸べていた
カンガルーも強いグリップでぼくの手をギュッと
強く 握り返してきた


チョコレートいるかい?

  ミドリ

色々やったさ
何年喰らっても おかしくないようなことをいっぱいね

チョコレートいるかい?

いや いいんだ 気にしないでくれ
一度ガールフレンドに 左目を打ち抜かれたことがある
拳銃でさ
病院の廊下を ストレッチャーで運ばれてくんだ
大したことはなかったよ
3日後には退院してたからね
もちろん深夜に非常階段から こっそり抜け出してさ
友だちにひどいアル中がいるんだが
そいつのアパートに転がりこんだ
俺が知ってるやつの中で 一番サイテーのやつさ
俺が転がり込むなり
やつはこう言うんだ
歴史の本で 首は吊れないものだろうか
マルクスの本なら可能かもよって言ってやったら
そんな本もあるのかって言ってたな

チョコレートいるかい?

オーケー 気にしないでくれ
あんた金持ちそうに見えるけど
俺に奢る気あるのかい?
どうやったらそんな高そうな服が買えるんだい?
まぁ いい
そこにマクドナルドがある
俺は字を読むのが遅くってね
数字もまったくダメで 手先も不器用ときてる
他人に暴力を振るう瞬間だけが
自分の尊厳を保証してくれる

チョコレートいるかい?

2年前に弟がパクられた
ブチこまれたんだよ無期懲役さ
大したことはしてやしない
どうやら神様は
善良な人間と悪人を時々間違えるらしい
人はみんな
幻を飲まされて生きてるんだ
わかるだろ?
毎日ショピングだ
食料品にトイレットペーパー
寒くなれば上着がいる
擦り切れた靴下に穴があけば 替えも必要だ
レジへ行って金を支払う
愛じゃ買えないものばかりだ

チョコレートいるかい?

今日は映画を観に行ってきた
その後 ストリップ小屋に少しね
知り合いの女の子がそこにいるんだ
仕事の合間
彼女にカレンダーを買いに行かされたよ
忙しいんだってさ
予定を書きこむ 空白がもうないんだって
ヒステリーを起こすわけさ
カレンダーに15分刻みの予定を書きこんでいく
メモ帳が入るような服を 彼女は持っていない
ポケットがないんだよ
笑えんだろ?
もっと楽しくやれる仕事が見つかればいいんだが
幸せを見失った後じゃ もう遅いんだ
一年なんてあっという間さ
カレンダーの空白は 少し大き目がいい

チョコレート いるかい?


パティオ

  ミドリ



ぼくは プライマルスクリームを聴いた
リズミカルなストロークで腰を振り
右っかわの乳房を
ぼくの口に含ませるまなみ

磁気嵐のようなホワイトノイズが
彼女の喉から
胸ん中から漏れる
それはまるで150億年前の
ビックバンの残響に
耳を当てている感じで
その亀裂という亀裂から 孤独が溢れ出し
ふたりは融合し
ギュッといつまでも抱きしめていたい
亀裂の中に ふたりは居た

世界は異なるものを出会わせるパティオだ
彼女は左の道から来た ぼくは右の道からだ
すべての出会いは パティオだ
世界はパティオであり
異なるものを出会わせる場所であり 力だ

ベットの中に
ふたりは7時間ばかり居たろうか
コロナビールが2本床に転がっていて テレビでは
隣国のミサイル実験の ニュースが流れ
彼女は裸のまま浴室へ入っていった
そしてそのすべてが
ぼくの目にはクリアだった


小さな町

  ミドリ


小さな町での暮らしは嫌いだ
この町では農場は広くなっていき
農家の人数は減ってきている
農民がいなくなれば
この町もお仕舞いだ

”新しい血をもたらす必要がある”

商工会議所でマイクを握っていた老人が
そう言っていた

    *          *         

ぼくらはコーヒーとケーキで休憩しようと
車を止めた
まなみは対面ショーケースからタルト指差し
ぼくはモンブランを注文した
カフェは畑の匂いがした
ハイウェー沿いの店の周りは一面 
畑だから
ぼくらは窓ガラスの向こうの
畑を見ながら
コーヒーを飲んだ

    *          *         

ペンキの看板の文字も風雨に晒され
ろくに読めなくなっているカフェ
この夏はとても蒸し暑かった
ロッキングチェアーに 手編みのクッション
ピンクのクマのぬいぐるみに カウンターで
ジーンズ地のつなぎを着て豆を挽くマスターは
昔は自動車の修理工だったけど
体力的に長く続けられる仕事じゃないと言って
笑った

    *          * 

ぼくらがこの小さな町に引っ越してきた夏
ジャイアンツの4番打者の一振りが
リーグ優勝を決めた
東京ドームの一塁ベースを
蹴ったところで
右手のこぶしを高々と突き上げる彼
まなみのお腹には新しい生命が宿り
小さな町は
ぼくら夫婦を
黙って迎え入れてくれている気がした

”簡単に決めないで欲しいな 引越しなんて”

そう言ったまなみの言葉が 
この先もずっとずっと
ぼくの中に
残っていくような気がした夏    


地上に眠る恋人たちの夢は

  ミドリ

車は夜道を飛ばしていた

明かりの点いたホテルの 初夏の夜のプールサイドに
まばらな人影があり
彼女が視線を窓に移すと
男に言った

彼が事故に遭ったのはここよって
ひっつめたロングヘアーと細い体はまるでバレリーナだ
”彼”って誰だい?
男がそう聞き返すと 彼女は肩をすくめた

仕立てのいいスーツに 撫で付けた髪の男の名は ハジメ
今の彼女の
つまりまなみの恋人だ

まなみがベニグノの教会で結婚式を挙げたのは3年前
”彼”ってのは
まなみの前夫だ

     ∞

まなみの前夫とは会っていた
ぼくはメーカーの人間で 彼はうち代理店で働いていた
ぼくらは
3ヶ月に一回の
会議のあるときに顔を合わせていた

ひょっとしたら2次会で どこかのスナックで
あるいは どこかの料亭で
グラスの一つくらい 合わせていたかもしれない
こんなとき
ぼくの記憶は あまり当てにはならない

     ∞

車ん中で ぼくがタバコを取り出すと
彼女は横で咳き込んだ
”彼”はタバコを吸わなかったって言う
うん
でも俺は吸うんだよ
身体に悪いのに?
まなみは眉間に皺を寄せている
ぼくはスーツのポケットにタバコ仕舞った

     ∞

まなみは時々 ノートとペンを持って
机に向かっている
何をしてるんだい?って
肩越しに覗くと
見ないでって ノートを伏せる
決まってその時 シャープペンシルのパチンっと 弾ける音がする

とにかく変わった女だ
例えばセックスの最中
闘牛の話をはじめる
スペインのか?
石垣島のよ
俺も見たことあるけど・・・
コーフンものなの!
うん わかるんだけどさ

     ∞

昨日はバスルームで
鋭い呼び出し音が3度鳴った
まなみの携帯電話だ
ベルは3度鳴った
でも会話は聞こえない

心配になって覗きに行くと
まなみはバスタブの中ですやすやと眠っていて
彼女の膝の中で 携帯電話が
ゆっくりと沈み込んでいくのが見え
ボイスメール・メッセージが ディスプレイに表示されていた

まるでそれは
彼女の世界の中にあって 入り口と出口とが
あべこべになっているようだった

     ∞

その日はいつもように
彼女は週末の仕事に出かけた
音楽を聴いているぼくのイヤホンをむしり取り
行ってきます!
なんて
耳元で大きな声を張り上げる
何を聴いてるかとおもいきや なんだ!? ツェッペリン?
まぁね
終わってるわね・・・
何がやねんっ!

そうよ
あなたのそういうとこ
私 結構好きよ

ロングのひっつめた髪をほどいて
まなみは唇を寄せてきた
ぼくはそっと抱き寄せた彼女の肩越しに見えた
脱ぎっぱなしになっているまなみの
ジャージを 片付けなきゃ 
なんて
その時ぼんやりと 思ってた


トロゼの街のブタ

  ミドリ

トロゼの街のアパートメントに
一人で住んでいたブタは
ある晩
幸運にも女管理人と一夜を共にすることができた

その日ブタは地下鉄の駅に
新聞を買いに走った
途中で通行人の肩にぶつかり
「コノ野郎!」と罵声を浴びせかけられ
やっとの思いで地下鉄にたどり着いたブタに
店員は哀れな目を彼に向け
「(新聞は)売りきれましたぜ」といった

「新聞をくれ!」と
ブタは店員の襟首をつかみ怒鳴った

「ねぇーもんは ねぇーんですわお客さん」
ブタは歯を喰いしばって
「新聞をくれ!」といった

「それなら私の家に一部ある」
「どこだ!」とブタは店員にいった
「10分くらいのこった しかしその間アンタ
店番してくれるかい?」

「10分だな?」と
ブタは念をおした

「あぁ10分だとも」と店員はいった
店員が自宅に新聞を取りに帰る間
ブタは店番をすることになった

仕事帰りの
赤いブーツを履いた女が一人
チューインガムをブタに差し出した
「これを一つ頂戴」

ブタはレジの扱い方を知らない

「すまんこったお客さん
そのチューインガムは賞味期限が切れとりましてね
売れんのです」といって一難を切り抜けようとした

「あたしはいつも此処でこのガムを買ってるの
賞味期限切れなんて そんなことないはずよ!」
女はプリプリしていったが
ブタは「もう10分待ってくれ!」といった

「怪しいわね あなた・・・」
女はブタに疑わし気な目を向けた
「10分待ってくれ!」とブタは繰り返した
「警察呼ぶわよ?」
「どの辺が怪しいんだ!」と
ブタは逆上した

「全部」

女はこともなげにいった
トロゼの街の夕暮れも 足早に過ぎ去り
通行人もまばらになったころ
店員が戻ってきた
ちょうどブタが女にビンタを喰らい
鼻血を出して路上に倒れているときだ
ブタはもつれた足でフラフラと立ち上がり
女にもう一発ビンタを喰らうと 気絶した

ブタが目を覚ましたのは午前の2時だった
クロック時計の横で アパートメントの女管理人が
ブタを心配気に見つめていた

「ここはどこです?」
「あなたの部屋よ」
テーブルに擦り切れた新聞が一部あった
ブタはそれをぼんやり見つめ
そして激しくすすり泣き肩を震わせた

「マルタ」
マルタはブタの名だ
「あなた路上に倒れていたのよ
昨日も一昨日も その前の日も
この一週間 ずっとよ」
そういって女管理人はすすり泣くブタの肩を
強く 強く抱きしめた


ココナッツマン!ワンダーランドの町を出る

  ミドリ


そこはアパートメントというよりも、防空壕のようであった。
うなずけないことではない。
ココナッツマンにとって、世の中は戦場のようなものであり、いつ黒い嘴を持ったステルス機による、絨毯爆撃があってもおかしくはないのだ。
爆撃?ステルス機?それはココナッツマンの妄想に過ぎないのではないか?

ほら、ココナッツマン。外へ出てごらん、町は平和だよ。
彼は言う、分厚いスクラップブックに綴じられた、黄ばんだ新聞記事の切り抜きを見せて、ここは半世紀前、戦場だったのだと。

アニーはココナッツマンを助けようと思った。アパートから出て、酷く落ち着きのない、ココナッツマンを、アリーは無理やりキャデラックに押し込み、キーをブルンとひねり、アクセルをグンっと踏んだ。

「スピードの出しすぎ!」

ココナッツマンは思わず叫んだ。
アニーは、スピード狂だったのだ。
道端に転がっている干上がった鼠の屍骸を踏み、ポンっと跳ねが上がるキャデラック。
カーブでは、対向車の、ヤー系のおっさんを驚かすほどのギリギリのステアリングでハンドルを切り。
助手席のココナッツマンは、上着のポケットからタバコを取り出し、震える手つきで、落ち着こうとしたが、マルボロの箱から出てきたのは、萎びたマカロニだった。
仕方なくココナッツマンはマカロニに火を点け、思い切り煙を吸い込んで、咳き込んでしまった。

「チェッ!こんな悪戯をするのは、カーマイクルのやつだな!」

ココナッツマンはキャデラックの天井に頭ぶっつけながら、アニーの横顔を見た。
亜麻色の髪と、大理石のような白い肌。
アニーの目が突然輝いた。ワンダーランドの町出たのだ。

「やったね!」

アニーはガッツポーズした。
しかしココナッツマンははっきりと見てしまった。
アニーがラバソールの白い靴を履き、全くアクセルを緩める気配のないことを!


海とカンガルー

  ミドリ

擦り切れた絨毯の上に、一匹の黒猫がいた。
カンガルーはホテルの風呂に浸かり、ドアノブの隙間から、
客室係に厳しく朝食の注文をつけている。

朝、ベットに入ったまま、カンガルーはかつて栄えたこの海岸沿いの、
リゾート地のことを考えていた。
タオル地のガウンにくるまり、部屋の電灯の下でクロワッサンを頬張る。
テーブルの上の、市街地図に目をやると、カンガルーは持っていたコーヒーを
思わず零してしまった。

窓ガラスの隙間から潮騒が入り、匂いが、鼻腔をついた。
彼がこの日エージェントと会うのは午前の11時だ。
腕時計に目をやる。
黒猫がカンガルーの膝の上に飛び上がる。

電話がなった。

「あたしだけど!」

女の声だ。

「なんだ!」

カンガルーは答えた。

「あんた今どこにいるのよ!」

ノックもせずに、客室係が入ってくる。
「小エビのポタージュでございます」

カンガルーは眉間に皺を寄せ、女にこう言った。

「海さぼくと君の海さ、胸の中に、ちゃんと居るよ」


カンガルーのポケット

  ミドリ



カンガルーはハーバーを見下ろす見晴し台の方へ、身ごなしも軽く入っていった。

海から吹き上がってくる、風のざわめきが聴こえ、ヨットが揺れている。
ハンドブレーキを、ギューイっと、引いた黒猫が車から降りる。
赤いピンヒールの彼女はサングラスを掛け、メンソール入りの細いタバコに
火を点けた。

「そこの道路は、ペンキの塗りなおしが終わったばかりだね」

って、カンガルーは黒猫に言った。
彼女は聞いているのか、いないのか? アンニュイな仕草でロングのおろした髪に、
指を入れた。
カンガルーがこの島に滞在して4日目。太陽は燦々と輝き。
黒猫のマリーはカンガルーをこの海岸に誘った。

レセプションの支払い、飛行機のチケット、食事代。それらを現金で精算する、
カンガルーのポケットは小銭でポッコリと膨らんでいた。

防波堤で区切られたビーチは、いずれの区画もよく似ている。
カンガルーは見晴し台から、砂浜で小ぶりなパラソルの下に座っている、パンダを。
見ていた。

雲間に太陽が隠れつつあった。水着姿の黒人が数名、パンダに近づいた。
上半身裸の男が、拳銃を片手にパンダを小突き始めた。
膝の上の編みかけのセーターを握り締める彼女を、男は拳で何度も、何度も、
パンダを殴打する。

カンガルーは葉巻をポケットから取り出し、眉間に皺を寄せた。
黒猫はカンガルーの胸に寄り添いその光景を見て。赤い唇を尖らし、「酷いわね」って言った。

砂浜に頭からのめりこんだパンダはぐったりとしている。カンガルーは、
黒猫のマリーの肩を抱きすくめ、耳元で囁いた。「寒くないかい?」

マリーは羽織っていたカーディガンをグッと深く肩に引き寄せた、そして。
「ええ、少し風が強いだけよ」って、そう言った。カンガルーの横顔を見上げながら、
・・・少し、風が強いだけなのよ、って。

黒猫のマリーは、カンガルーの胸に頬を深く預けて、そう言った。


新婚生活 (ラフ=テフ外伝 パート2)

  ミドリ



間もなく激しい雨が降り出してきた。

バルコニーのプランターを小走りに部屋の中に取り入れるまなみ。
電話が鳴る。
夕暮れの晩夏の窓辺に並んだ、ビルディングが雨の中に霞みはじめる、
猫の額ほどのふたりの小さな北向きの部屋。
まなみはそこでクマと一緒に、暮らし始めた。

クマが受話器を上げると、
「俺だ」というくぐもった声がする。
明らかにオッサンの声だ!
ブチ切れたクマは
「”俺だ”でわかるかっ!こらオッサン」っと怒鳴った。
オッサンの声はさらに続けた。
「まなみに取り次いでくれ、新しいカモノハシが二匹手に入ったと」

プランターを取り込み終えたまなみが、
「誰?」
なんて涼しげな顔で訊いている。
「知らないオッサンが!カモノハシがどーとか言ってるぞ!」
クマはブチ切れたまま、まなみに言った。
「そんなにすぐブチ切れないでよ、まるで輪ゴムみたいに・・」

クマから受話器を受け取ると、まなみはオッサンと楽しげに話し始めた。
「うっそー!?カモノハシが二匹?マジでー、見た〜い。о(><)о」
みたいな会話を、クマは右手の親指を咥えながら、1時間も聞いている。
さらに2時間たったろうか、漸く話が一段落つき、まなみが受話器を置くと、
クマは目に涙を溜めながら、ソファーに横たわってグーグーと寝ていた。

「風邪ひいちゃうぞ」
そう言ってまなみは彼に毛布を掛けた。
「今ね、カンガルーさんから電話だったの。船の上からよ!あなたに、
一番逢わせたい人なの」っと。
彼の寝顔に頬杖をつきながら話しかける彼女。

夕立はなおも強く、マンションの窓ガラス激しく震わしていた。


アフリカの匂いがする

  ミドリ



フランスというのはダチョウの名だ
ダチョウは車のサイドミラーの角度を直すと
振り向いてぼくにこう言った
慣れたか?
えっ?!
この土地に慣れたかって訊いてんだよ
車のキーをまわすと彼はマクドのドライブスルーで買った
フィレオフィッシュバーガーにかぶりついた そして
コーヒーを一気に飲み干すとダチョウは アクセルを踏み込んだ
車は穏やかに加速していった 9号線

この時間はまだすいている方だよ
信号で止まると彼は振り向いて言った
しきりにフライドポテトの塩のついた指先を舐めている
鴨川が陽の光を浴びて反射している
彼はサングラスを掛けた
どこに向かってる?
ぼくが座席を乗り出して訊くと
ダチョウはこともなげに言った 俺んちだよ
車はあきらかに 動物園の方へ向かっている

通学鞄を背負っている子供の傍を通り過ぎた
結婚しているのかい?
何?
結婚しているのかい?
野暮なこと訊くなよ 嫁さんと子供は故郷に残してきた
出稼ぎだよ 俺が京都に来たのもつい2年くらい前さ
日本語がうまいな
大学で勉強したからな
ちょっとガソスタ寄ってくよ
彼はシビックのハンドルを切った
ダチョウは給油口の位置を間違えて 車を二度ほど切りかえした

やれやれだな
彼はレギュラー満タンっと ロン毛のアンちゃんに言うと
カードを手渡した

ケータイが鳴るとダチョウは聞いたことのない外国語で
ぺちゃくちゃとしゃべった

受話器の向こう側で年増の女の声がした
きっとそれは長距離に違いない
ダチョウの逞しい首筋から
ポロシャツの襟首からポロリと 

アフリカの匂いが ツンとした


ママとパパのこと

  ミドリ




カウンターにはママがモデルだったころの写真が額縁に入っている。白色の照明灯の下で、妖精のように笑っているママ。

ママがパパにプロポーズを受けたのは烏丸御池の駅の入り口の傍だって。
階段の前でお別れしないといけないんだ。
パパはママと離れたくなかったのよ。ママは鴨川を見つめながら言った。
でもママはパパだけじゃなかったとも付け加えた。
パパは写真家だから、ずっとママの傍にいるわけにはいかなかったの。

ママはどこにいるか知れない人のことを思い、心を痛めるのが嫌なの。
そういう女って、どんどん下品な顔つきになってくものだから。
ママはパパに三つの約束を守るように言ったの。
写真家を止めること。私たちを孤独にしないこと。それから三つ目は、子供の私にはまだわからないよと言って笑った。ママのいじわる!

松原通りの角でパパの車を待った。パパはコンビニでタバコをワンカートン購入し、ママの機嫌を損ねた。男のひとが女のひとの機嫌を損ねて、オロオロする姿ってかわいいと思う。
ママにそう言うと、そこに愛が存在するうちはねと言って、きゅっと片目を瞑った。
ママは時々、哲学者になる。

パパはママをエスコートしている時が一番楽しそうだ。
まるでママのしたいことをみんな知っているみたいなスマートな身のこなし。リビングでパンツ一枚になってテレビを観ている時とは大違いだ。
車の運転はいつもパパがする。
ママは助手席で憂鬱そうに頬杖をつき、時々パパが口にするジョークに笑う。

ママが私を産んだ日の夜。パパはずっとママの手を握っていたんだって。そしてパパはママにありがとうって言ったんだ。それはママがパパにもらった、永遠を誓う約束なのよ。そう言ってママは私のおでこにたくさんのキスをくれた。
パパがママに誓った三つ目の約束の意味がその夜私にははっきりわかった気がしたの。

だから私はパパに言ったの。我が儘なママのことを宜しくねって。パパは少し顔を歪め、ママは我が儘なんかじゃないよと言って、私をぎゅっと強く抱きしめた。
タバコの匂い、男のひとの哀しみに少し触った気がしたその日の夜。私は、ママより少し早めに、眠りについたの。


「穴」を巡る証言

  ミドリ


壁には一つの穴が開いていた
ただの穴じゃない
罪深い穴だ

ぼくはこれからこのたった一つの穴が
いかに”罪深い”ものになっていったか
それを語らなければなるまい

その前に少しコーヒーを
(´−`;)y−”

しかし今日ここに集まったみなさんの中には
たった一つ穴が(たった一つの穴ぼこがですぞ!)
それがどうして歴史的証言になりうるのか?
そういう疑問を持たれる方もおられるかもしれない
ひょっとしたら?
大半の方がそう思われているかもしれない

情けない話ですナ (><)

しかし当セミナーでは
3万円の会費が必要です
つまりみなさん方はおのおの3万円(一部の裏口の方を除いて)
払って私の講義を聴きにこられている

「穴」についての話で

(会場は爆笑!)

しかしこの穴がベルリンを東西に仕切っていた壁を
崩壊させたものだ あるいは
アポロ11号を月へ送り込んだものだと言ったら
みなさんは信じるだろうか?
前列の右から三番目のご婦人がズイブンしらけた顔をしてらっしゃる

(会場はまた爆笑!)

少しコーヒーを
(´−`;)y−””

みなさんにはこういう思い出がないだろうか?
子供のころ父親の運転する車の助手席に座っている
普段あまり会話のない父親と車の中で二人きり
話題に事欠いて気まずい雰囲気になる

こういう時
まず思いつくのがカーラジオ
車の中でのつかの間の父子のひと時
ラジオが家族の愛を支えるとは皮肉なものです
しかしラジオなどなければ
もっと言えば
車などなければ
そこにはもっと違った
しかるべき愛の形があった筈です

それではみなさん
「穴」についての話を始めましょう


クリーニング屋さん

  ミドリ



口にいっぱいヘアピンを咥え
髪をとめていた母を思い出す
クリーニング屋さんに 行くところ
その夏の日の午後
食べ過ぎて丸々と太った男の子が
わたしとぶつかった
いつかのことを思い出してしまう
その夏の日の午後のことを

わたしは生まれて初めて
エレベーターに乗った
男の子は赤い髪をしていて
どこか他の子と雰囲気が違っていた
とても生意気な感じだった
夕方の6時台
彼はマンションの屋上で犬を抱いていた
わたしは空がとても高いことを知った
マンションよりもずっと上の方
座る場所を確保するとわたしたちは
ポテトを頬張った
一言も口を利かなかった気がする
たくさん しゃべった筈なのに

赤い髪の男の子は
犬をぎゅっと抱いていた
そしてとても小さく
小刻みに震えている
今にも雨が降り出しそうだと
わたしたちは空を見て
空がとっても
近いことを知った
マンションの上の ちょっと先

口いっぱいにヘアピンを咥えた母を思い出す
クリーニング屋さんに向かうとき
その晴れた空が夕立に変わるころ
わたしはまた誰かに
ぶつかってしまわないかと
いつかのことを
思ってしまう


Tシャツ

  ミドリ




今朝 部屋にふたりの警官がやってきた
警官は「おまえ、中でクマを匿ってるだろ?
隠すと為にならんぞ!」とぼくを脅した
そして警察手帳になにやらシコシコと書き込んで帰っていった

クマはグレーのTシャツにジーンズを穿き
リビングのソファーでTVを観ていた
「今、警察が来たよ」とクマに話すと
ポテトチップスをピーチのジュースで流し込み
「お前なんか悪いことしたのか?」と真顔で訊いた

ぼくがクマと出逢ったのは偶然といってよかった
南の島の離島を旅していたとき
寂れた居酒屋で話しかけてきたのが彼だった
クマは都会の出身だと言った
そして街を出て 田舎で暮らす良さを懇々とぼくに説いた
そこで握手し分かれたきりのある日の3年目

マンションの隣室で男女が言い争っている声がした
ドアがガンっと開き もの凄い音がしたので表へ出た
水色のワンピースの可憐な少女にグーでのされ
ぐったりとテラコッタタイルの床に横たわっているクマがそこに居た

ぼくは少女に訊いた「どうしたんですか?」
彼女は凄い目でぼくを見た
そしてバン!っとドアを閉め部屋の中に入ってしまった
ぼくはクマを背中に担いで自分の部屋に入った
ソファーに担ぎ上げると
ぐったりと力の抜けきったクマの体はいやに重たく感じられた
200kgはあるだろうか?
腹の周りのお肉がぶよぶよで 
どうみてもメタボ?って感じだった

クマが目を覚ましたのは翌朝だった
ぼくらは
テーブルを挟んで朝食を摂った
トマトとレタスにゆで卵 そしてトーストに牛乳
ぼくはクマに言った
「そのTシャツ、少し小さいね」


ロッキー山脈

  ミドリ


アラームが鳴った
クマはスヌーズボタンをポチっとな押すと
結論から言うとどうなんだ!と部下に迫った
青年は手元の資料にじっと目を落とし
固まってしまった

窓の外はすっかりと暗くなっていた
湿った強風は渦巻き
ロッキー山脈にぶつかってすでに南下していたが
積雪は例年と変わらない
クマは目を閉じ腕を組んだ
ピッタリと閉じられたブラインドをさっと上げ

数字がないなら所感だけでもいいと
クマはゆっくりと青年の肩に手を回した
震えているのがわかる
この男には無理かもしれない
そう思った刹那クマは自分の若いころを思い出した

猛吹雪の中
スリップした車を押して顧客を回った
本社に何度も電話し教えを乞うた
会社の前で立ち止まり言い訳を考えた
不器用だった俺が
今こうして部下の肩を叩いてる
そう思えて笑えた

青年の不安げな顔がさらに歪む
何一つ無駄じゃないさと
咽喉元まで出かかった本音を
ゴクリと飲み込む
もう一日やる!
そう言ってクマはオフィスをバンと出た


島の女

  ミドリ

砂糖黍畑の間を
女と歩いた思い出がある
二車線の道路に
茶や緑の葉っぱがせり出し
そよいでいる
陽光に放たれたその道は
とても荒れていた
一時間歩いても
車は通らなかった
サングラスを外したぼくは
女に言った
戻ろうよ
待ってもう少し
一時間だぜ
時計を見た
もうすぐ東シナ海だから
汗が頬を伝う

女は
町で働いていた
いわゆるホステスだ
昔は農協で働いていたの
声を潜めるように言った
あぁ農協な
面倒なところだ
女は眉間に皺を寄せた
夜の女の
言葉は信用ならない
昼間食べたソーキそばが
腹にもたれはじめる
麺の上に乗っかってた
生焼けの肉のせいかもしれない

すべてに嫌気が差したころ
海が見えた
ほらね
女は子供のように
目をくりっとさせて言った
あぁ海だ
間違いない
するりと腕を回した女が
ぼくの手をぎゅっと引っ張った
海風よりも強く
確かな感触だった
放置されたユンボやブルドーザーが
浜の近くにあり
ぼくらは幾度か植物の根っこに躓きながら
浜へ出た

スニーカーを脱いだ
ホットパンツからするりと伸びた
女の白い足が
はじめて目に入った
ねぇ綺麗でしょ!
ここから見る眺めが
一番スキなの!
ぼくはサングラスを掛けなおし
女に言った
確かにオジサンにも
悪くない景色だ
なんだ
ノリの悪い人!
そう言うと
ぼくにくるりと背を向け
女は
裸足のままで海に近づいて行った

拝所の中に眠る
まだ陽の昇りきらない朝の
白いコーラルの道に
海風に塵埃がパッと散る


クマの名前はヘンドリック

  ミドリ



クマは冷蔵庫をパチっと開けると
缶ビールを取り出し
プルトップを上げた
裸足で踏むキッチンの床はとても冷たく
クマがノコノコ歩くたび嫌な音がした

「ベルト買わなきゃ」

クマはぼくに言った

「お前みたいな腹回りのやつに
ピッタリくるベルトなんてないだろ」

クマはポッコリと膨らんだ自分のお腹を見つめ
悲しげな指先でそっとお腹を撫でた

「ダイエットしなきゃ」
「その前に昼間からビールは止めろ!」

クマと暮らして3年になる
彼の名はヘンドリック
免許証にそう記されていた
性格は悪くないが
役に立たないのがたまに瑕だ
何しろ炊事洗濯が全くできない
皿を洗わせりゃ しょっちゅう割ってしまうし
炊飯器の保温と炊飯のボタンの
区別もつかないありさまだ
但し
アイロン掛けはべら棒に巧かった
襟の皺をささっと伸ばし
袖口をすっとあて
袖のラインをパッチリと合わせ注意深く
皺にならないように
繊維に合わせすすっと伸ばしていった
ステッチのラインも綺麗に作った
誰にでも特技があるもんだ

昔クリーニング屋さんで働いていたことがある
ヘンドリックは遠い目をして言った
五月の海に二人で行ったことがある
二羽のカモメが遠くで鳴き
人は誰もいなかった

「泳げるか?」
「ああ よく晴れた気持ちのいい八月の海ならね
アメリカ大陸にタッチして戻ってきてやるよ」

ヘンドリックは自信たっぷりに言った
どうせデマカセだろう
ぼくは彼の横顔を見た

夜中 冷蔵庫の唸る音が聴こえる
ぼくはベットを這い出してキッチンへ向かった
クマがチルド室に頭を突っ込み
中の野菜を漁っている いやヘンドリックが
明かりをパチンとつけると
「何してるんだ!」と怒鳴った
「ビールは?」
ふやけた顔をしてヘンドリックが頭を上げた
「明日にしてくれ!何時だと思ってんだ!アル中かお前は!」

ぼくはプリプリして寝室に戻った

キッチンの床を裸足で踏むたびに思う
そこはとてもひんやりとしていて
そしてジンジンするくらい・・・イタイ


P・S ジャスミン

  ミドリ



ある晩のことです。リビングの戸がすっと開くと、一匹の猫がわたくしの顔をじっと見てこう言うのです。
「貴方、おやすみなさい・・・」

カーニバルは終わったばかりでした。家々の窓や露台に人々がひしめき合い、町を騒々しく染め上げたお祭り騒ぎも終わり、樹蔭の多いわたくしのアパートメントの建つ通りも閑散とし、少し虚しく思っていた夜でした。

猫は扉をパチンと閉めると楚々とにじり寄り、わたくしの肩にもたれ掛かりこう言うのです。
「旦那様、寂しい夜ですね」

よくよく見ると、猫は上半身裸でスカートを一枚穿くのみ、肉付きの良いムッチリとしたフルーツのような艶やかな肌を寄せ。
「旦那様は罪を犯すのが怖いのかしら?」と、小指を絡ませてくるのです。
わたくしは少し疲れをおぼえ。読んでいた本をパンと閉じると、猫の耳元で囁きました。
「君は誰だい?」
猫は目をパチクリとさせ、しじまに流れる沈黙の重さに耐えるように目を閉じ、わたくしの背にノシっと頬をあずけるのでした。

わたくしは猫を摘み上げると窓の外に投げ捨てました。

そしてガン!と窓ガラスを閉じると、パチンと鍵を閉め、やれやれした気持ちになりました。

そうです。あれはちょうど3年前のあの夜のことです。町に行き倒れの猫がいると大騒ぎになり、地元の新聞は一面の大見出しでそのことを報じました。
わたくしは翌日、電車の中でその記事を読みました。

猫はアンダルシア出身の修道院の娘で、名はジャスミンと言い、ジプシーだったそうです。

昨晩、寝つけずにわたくしは部屋を出て、通りを眺めながら煙草を吹かしておりました。立木にもたれ、向かいに建つ花屋の真紅の薔薇を見つめていたのです。
いつ果てるかしれない長い夜になるな、そう思ったことを憶えています。

ふと気づくとあの猫が薔薇の花束を抱えこちらにやってくるのが見えました。わたくしを見て、震える手つきで猫はその薔薇の花束をわたくしに差し出しました。

人影のない通りトハープの町、月が雲に隠れ真白な猫の顔はよく見えませんでしたが、わたくしは花束と一緒に彼女の体をヒシと抱きしめていたのです。
そう、ジャスミンを。

そこから先のことはわたくしの口からは申し上げることはできません。
ジャスミンは元気でしょうか?
せめてこの手紙だけでも彼女に届けて下さい。

P・S ジャスミン。もう、間違ったりはしないから。


あの日のブタと

  ミドリ


ある日ぼくはコンビニでブタと出会った
黄色と白のストライプの入ったパラソルを握り締め
成人雑誌コーナーでブタは立ち読みをしていた
彼の背中とすれ違うと
どんなに待ったと思う?
ブタは唐突にそういった
立ち止まると彼は横目でぼくを見た
ブタに話しかけられるのはこれが初めてじゃなかった
3年前
バカンスでコルシカ島に行ったとき
地元のブタに話しかけられたことがある

ブタは手にしていた如何わしい雑誌をぼくに手渡し
これ一冊買っとけといった
見も知らぬブタにタメ口をきかれぼくはムッとしたが
あまり相手にしない方がいいと思って
黙って買い物カゴにそいつを入れた
ブタはぼくにきゅっとウインクしたが
はっきりいって 気持ち悪かった

買い物を済ませるとぼくは愛車のアテンザにキーを差し込み
ブルンと捻った
缶コーヒーのプルトップをパキっと起こし
一口飲み干すと
さっきは悪かったな
後部座席を振り返ると
コンビニのブタが縞々のパラソルを差したままぼくの顔をじっと見ている
ブタ!今すぐ降りろっ!
おいおいブタって失礼だな
彼は肩をすくませ 半笑いで応じている
そして短い足をきゅっと組み
後部座席にもたれかかり
これからどこへ行くんだとかトボケたことをいっている
家に帰るんだよ!
なんだ?お前一戸建てか?
つまりそのなんだ?両肩にローンを30年分背負ってるってわけだな
つらい身だなーお前も
怒りを通り越して笑いがこみ上げてきた

ブタ君よ
これが読みたかったんだろ?
ぼくはさっきの如何わしい雑誌を袋から取り出し
後部座席に放り投げてやった
一瞬
ブタの目蓋に暗い影が差したような気がしたが
彼は陽気にこう言い放った
おいおい 何だ?俺がこいつで一人でアレするとでも思ってんのか?
カストロもびっくりだよな
カストロって何だよ
キューバ革命の英雄だよ
お前そんなことも知らんのか?
でもスカトロとかなら知ってんだろ
そんな顔してんもんなお前
いいからブタ!ちょっと降りろや!

ぼくは車のドアをバンと叩きつけ
ブタを引きずり出し
グゥーで2、3発殴ると
ブタはアスファルトの上にだらしなくのめりこんだ
止めの一発に蹴りを入れてやると
ぼくは素早く車に乗り込み
ブルンってエンジンをかけた

なかなかいいパンチだったぜ
お前むかし格闘技とか習ってただろ
振り返るとまたブタが擦り切れた顔から鼻血を出したまま
例のパラソルを立て 後部座席に座ってぼくの顔をじっと見ている

何が欲しいんだ?
ぼくは呆れて彼にいった
できれば 愛とか?へへっ 
ブタはまた下品に笑った


記憶

  ミドリ

腕に雪白のネコを抱いている男の子は
黒縁の眼鏡をかけた
青白い顔をした青年だった
マンションの廊下から出てきた彼は
5階の手摺からネコを中庭に投げ捨てる
まるでトートバックを
ポンと放り投げるように

ネコは空中をくるくると回り
芝生の上に潰れるように落ちた
雪が
とても多く降った夜だった

ねぇ
心の底で思ったことがある?
何をさ
憎しみから誰かを
殺したいと思ったこと・・
あぁ 多分 あるさ
きっと何度だってね
何度も? じゃ
そのうちの一人に
あたしも入ってる?
彼は少し目をしかめて
わからないと言った
12月15日の朝に
彼は通勤電車に飛び込だ
もう7年前の話

きっと誰の身の上にも
命が少し
軽く感じられる瞬間があるんだと思うの
確かに
あたしにだってあった

ビールの栓を抜く音
グラスの触れ合う音
マンションで槙村くんがTVのチャンネルを
パチパチとかえる
転勤が決まった
来年の4月だよ
辞令が出たの?
それからあたしは黙って炬燵に足を
深く突っ込んだ
槙村くんも
何も言わずにサッカー中継を観てる
15分たって
ハーフタイムに入った時
槙村くんはあたしの肩を抱き寄せ
あたしにキスしようとした
その腕を強く押し返したあたしに 槙村くんは
傍にあった新聞紙を 投げつけた
テーブルの湯飲みがパチンと激しくこぼれ
あぁ 全部
きっと全部終わっちゃったって
その時 強く思った 
時々 そんな風に思う
君もあたしも独りで
独りと独りだから一緒にはなれないのって
だから 全部終わりなのって

何日も
雨が降り止まない梅雨の午後に
一匹のネコが
あたしの部屋のドアをノックした
彼は雪白のあのネコで
7年前にあたしを見たっていった
ヴェロアを張ったリビングの椅子に
彼は深く腰を掛けると
葉巻に火をつけた
なんだよ
この家はお茶も出ないのか?
彼はエラそうにそういった
出て行って下さい! (><)
あたしは彼を睨み付けてそういうと
眩しげに眉間に皺を寄せ
悪くない味だ そういって
指先につまんだ葉巻を彼は見つめる

ねぇ 出ていって
警察呼ぶわよ?
雪白のネコは足を組みかえ 
あたしにこういった
お前 昔とズイブン変わったよな
どこがよ?
髪型とかマスカラとかシャンプーの種類とか
そのへん
当たっり前じゃない!
7年もあたしを放っておいて 何よ!
ふいをついて出た言葉にあたし 涙が止まらなかった
時間が今 あたしに優しく寄り添っている
そんな気がしたから
だからあたしは泣きながら彼に
出て行って!って 叫んでた
胸が激しく引き裂かれるほどに強く
彼に向って叫んでた

お願いだから 出て行って・・


「またね」

  ミドリ


今はっきりと定義できることがある
グラスを突き出したミミに
ぼくは言った

バーの窓から見える
道端の畑に
馬鈴薯の花が開いているのが見え
ミミの目は
潤んでいた

彼女の赤いふくらみに
指を差し入れることができるのは
ぼくをおいて
他にいない

ミミの肩から
ストールがはらりと落ち

まるで砂漠に日に一本通う
満員のバスに乗ろうとして
取り残されそうになり
不安げな顔をしている
小さな少女のように見え

それがぼくが躊躇う
本当の原因だということを
まだ
何も知らない小さな女の子のように

ミミは
他の子とは
どこか違っていた
それを説明するのは
とても難しいことだ

バーの喧騒から
たった一つだけ
音色の違った声が
ぼくの耳に届く
それを説明することができたなら
ぼくはきっと
詩人になっていたことだろう

またね
そう言って
グラスをカチンと合わせる
それがぼくとミミの関係を定義できる
唯一の言葉だということを
説明することすら
ぼくにはできない
ついぞ繰り返される
ありふれた風景の中のふたりに

また産み落とされる
「またね」と
「じゃあね」が
ホロリと床に砕け落ち
涙のように潰れては消える

ミミ
聴こえるかい?
ココロとキオクは違う
オモイデも
ココロの一部でしかない

だから
明日を約束しよう
またね
うん じゃあねってさ


クマのヘンドリックの「才能」

  ミドリ

窓ガラス越しに
空を透かして見てたとき
クマのポケットから
バナナがポトリと落ちた
つっかけの ビーチサンダルの上に

なんだお前 バナナなんか持ってきたのかよ
島のバナナは最高さ

指先でバナナをつまみあげると
彼はそいつポケットに戻した
ペンションから眼下を見下ろす
南の島の緩やかな坂道は
なだらかに海へと向かう
ぼくらが出逢ったのは
この集落に一軒だけある居酒屋だった

浜辺へ降りるとクマのヘンドリックは
海水に手を伸ばし
ギュイと魚を掴んだ
青い小さな魚の群から 一匹だけ
彼には妙な才能がある
長く一緒に暮らしていると
時々驚かされることがある

あるとき仕事で一緒に大阪に行くことなった
満員の地下鉄でヘンドリックはつり革につかまっていた

初めてかい?
ギュウギュウじゃないかっ

ぼくらは小声で囁きあった
満員電車の中で
大柄な彼は
お腹まわり人ふたり分の空間を占め
苦しそうに肩をすぼめてた

こんな仕打ちを受けるなら
一緒にくるんじゃなかったよっ

吐き捨てるように彼は言った
どのみちヘンドリックは
どこへ行ったって不満を口にする

あぁ確かに人間の乗り物じゃないね

クスリと笑いながらそう言ってやると
ヘンドリックは鋭く毒を吐いた

今の明らかに差別的発言だろ!

その時だ
小さな女の子が ヘンドリックを指差し
ママ!クマさんがいるよと言った
母親は困った顔をし
次の駅で降りましょって 眉をひそめた

ドアが開くと女の子は
母親のバックにしがみつき
こちらを見ながらヘンドリックに手を振った
ヘンドリックもまた
女の子に手を振りかえしてた

彼は
何もわかっちゃいない
おかしな奴だ
一部始終をそれとなく見ていた
周りの乗客たちが
顔を伏せ
笑いを押し殺しているのがわかった

ヘンドリックは
ドアが閉まって
電車が動き出した後も
女の子の小さな背中に向かって
手を振っていた


マリエロの海

  ミドリ


牛乳ベースのスープにレチェが入った鍋に 
菜箸でつまんだカモノハシを一切れずつ入れる

黒いショールを纏い
髪をぞんざいにまとめたデニムのパンツに皮のブーツの女が
カモノハシに続いて鍋の底へ右足から入っていく

女が鍋の中で肩を震わせ
さめざめと泣いた後 鍋は十分に沸騰し
カモノハシも中までじっくりと煮込まれた

鍋底には
アスファルトで舗装されたばかりの幹線道路が一本通り
グァバ菓子工場へと木箱を作りに行く女の子たちが
郊外へ向かうバスに乗り込んで行く

<それはきっかりと 朝の7時半のことだ>

マリエロの港に
十数名ほどの密出国者のグループが居ると言うので
早朝からぼくらは見に行った
彼らは小さな漁船に乗り込み
かしぐ波間で
祖国に残していく家族や親類や友人たちと手を取り合い
熱く抱擁を交わし
涙を流している

カモノハシとぼくは
波打ち際のテトラポットの縁に腰を掛け
ポテトチップスをゆび先で摘みながら
ハンカチをギュッと握りしめ
そいつを見ていた

その日も
夕刻に近づき
マリエロの繁華街に立ついつもの娼婦たちが 
畑帰りの農夫のニンジンやジャガイモを握りしめ
「遊んでイカナイ?」などと耳元で甘く囁き巡る時間に

牛乳ベースのスープにレチェが入った鍋は
香ばしい薫りをさらにたて
グツグツと煮込まれていく

カモノハシとぼくとが
交互に鍋の蓋を開けて仕上がり具合をみると
わっと湯気がキノコ雲のように広がり
キッチンから見える西の空が茜色に染まる
守るべきものと 愛するべきもの全てを
一望のもとに眺めることができた

<女は煮えきったカモノハシの肉を 菜箸の先っちょでまだ執拗につついている>

ぼくはそいつを眺めながら
葉巻に火を灯し
茜色に染まった西の空の意味について
カモノハシと語り合っている

牛乳ベースのスープにレチェの入った女の手料理が
このマリエロの海のように
全てを穏やかに 受け止めるわけではないことについて


種グマのヘンドリック

  ミドリ


妹が妊娠したんだ

リビングで毛づくろいをしていたヘンドリックが
突然そう言ったので
ぼくはビックリして振り返った

おまえ妹が居たのか?
いちゃ悪いのかよ
悪かないけど
そんな話一度も訊いたことがないぞ
昔モデルとかしてたんだけどな

ヘンドリックは少し自慢気に言った

会いたいか?
会いたいっておまえの妹だろ?

素直に会いたいって言えばいいんだよ
おまえ今モデルってとこに食付いたろ?
大体 顔を見ればわかるよ
目がエロいもんな

妊娠って一人じゃできないよな?
まぁ 普通はな
相手の男は?結婚してるのか?

      ∞

夏至を過ぎた
6月の末頃の話だ
喫茶店で待ち合わせたぼくらは
エアコンの壊れた喫茶店で
アメリカンを注文し終えると
スポーツ新聞をひらいた

今年はジャイアンツが独走だな
舌打ちしながら
ヘンドリックは呟くように言った

ぼくは時間が気になり
しきりに腕時計に目をやったが
彼女が姿を現すはずもなく
それもそのはずだ
ぼくらは約束の時間の2時間も前に
この喫茶店に着いたのだから

ヘンドリックは新聞の風俗欄を
小マメにチェックしていた
時々彼が そんな店に出入りしていることは
知っていたが
なんだってこんな時にまで!
ぼくは激しく憤りをおぼえ
ガン!っと席を立った

鼻くそをほじりながらヘンドリックは
間抜けな顔をしてぼくを見上げると

どうした?しっこか?
などと言うので
ぼくは言った

ああ しっこだ!
ついでにクソもしてくる!

ちゃんと拭いてこいよ
時々湯船に実が浮いてることがあるからな
世話焼かせんなよ
などとふてぶてしく言った

       ∞

約束の時間の
午前11時になると
背の高い男が現れた

店内をしばらく見渡すと
こちらをギュッと見つめて
躊躇なく向かってきた
怒気を含んだ顔に
殺気がみなぎっているのがわかった

ぼくらは身構えた

ヘンドリックってのはそのクマ公かァ あんッ?
失礼じゃないですか 自己紹介もなしに
ぼくはふたりの間に割って入った

男は少し冷静になり
悪かったな 坊や
そこどきな
そう言ってぼくの肩をガツンっと押した

そして男はヘンドリックの胸倉をガッと掴むと
こう言った

おまえかァ?
俺の嫁に手を出して
孕ました変態っていうのは アンっ?

まさかとは思うが
ヘンドリックは
時々そういうことを
やりかねない男だった


朝の風景

  ミドリ


犬はポケットにキャンディーをねじ込んだ

勤め先に向かう途中
彼はいつもここでコーヒーを一本買う

車道を行きかう車もまだまばらで
陽光もまだ淡色の光しか放っていない 朝の6時台
タバコに火をつけると犬は目を細めた
オフィスに入るにはまだ早すぎる

その時 犬の肩をポンポンっと叩くものがあった
彼が振り返ると
色白の猫が立っていて

この間はどうも

そう言ってロングの髪の猫は お辞儀をした
少し距離を保って
犬は記憶を探した
タバコの火が ゆっくりと膨らむ
そんな彼を見かねて
クスリと笑いながら 猫は

ほら この間の合コンで・・

そういえば
左耳のピアスに見覚えがあった

サチコちゃん?
ほら 一人だけお酒が苦手な子がいたでしょ
あたし 憶えてる?

犬はポケットからキャンディーを取り出し
今度は口の中にねじ込んだ

あぁ これから仕事かい?
えぇ 偶然ね
少し早いからさ 折角だしお茶でもどお?
あー 朝マック?(><)
このへんマクドがないから そこのファミレスでどう?
いいわよ

外資系に勤めてるんだっけ?
うん
景気はどうさ
食品関係だから あんまり影響ないかも

犬は買ったばかりの缶コーヒーを
スーツの上着のポケットに
ギュッとねじ込んだ


「ミドリさんがやってくるわよ!」

  ミドリ

風見鶏が緑色のカラーベストの屋根の上で、くるくると回っている。なだらかな勾配の屋根の上で、三毛猫が一匹寝そべっていて、陽はとっくに空の一番高い場所で、燦々と中庭の緑の芝生を照らしつけている。ぼくらはこの街で一番の名士であるクジラ氏と会食をしていた。話題はおそろしく多岐にわたり、ここでそのすべてを紹介することは難しいかもしれない。ぼくらはカベルネ・ソーヴィニヨンを酌み交わし、ワインについての話題は特に興が乗ったものになった。いうまでもなくカベルネ・ソーヴィニヨンはボルドー地方を代表する高級種であり、そのスパイシーな香りとバランスの取れた酸味と渋味が味わい深いワインを生み出す。とりわけクジラ氏はワインの歴史に造詣が深く、世界中に12のワイナリーを所有し、その品質管理にも尽力してきた人物だ。彼はその大きなお腹を揺すりながら、ワインは非常にデリケートな酒であり、高温や温度差の激しい場所に置くと風味が低下するなどと語り、これを彼一流のウィットでこう結んだ。「ワインの様なデリケートな人間に政治はできやしない。それは恋愛だとて同じことだよ」例によって彼は大きなお腹を膨らまし、馬鹿でかい声を張り上げて笑った。それはまるでこの見上げる様な青い空を、丸ごと包んでしまう錯覚さえおぼえる様なブルブルとした振動を響かせ、ぼくらの鼓膜を劈いた。またクジラ氏が愛犬家であることが話題になった時、彼は人間にとって一番大事なことは忠誠心であり、犬は完璧なまでにその美徳を備えていると言い切った。ぼくらの中で一番年若い青年が、不満気にその意見に異議を唱えると、彼は咥えていた葉巻の火をボウと膨らまし、その青年に逆にこう問いかけたのだ。「では君にとって君に反対するものは敵ではないのかね?」青年は戸惑いを見せた後、少し間をおいてからクジラ氏に向き直りこう切り返した。「昨日の淵は今日の瀬という歌があります。ぼくは反対するものの意見にこそ学ぶべき教訓がある考えますよ」そういい終えると彼はグラスの中のワインを一気に飲み干した。ぼくらの中には若輩者の甘い考えだと笑うものや、「今日の情は明日の仇って言葉もあるぜ」などと「ヒュー」という甲高い手笛とともに失笑するものさえいたが、クジラ氏は満足そうにフォークをローストビーフに直角に突き立てると、豪快に口の中に押し込んだ。そして彼は、誰彼に問うこともなしに、「危険なやつだ!」そう言ってまた豪快に笑うのだ。ところでぼくらの街ではある問題が市民の暮らしを脅かしていた。ちょうど今から5年前の6月21日の話だ。ぼくは勤め先である第九区街の目抜き通りをオフィスに向かって車を走らせていた。その日は大きな商談があった。ぼくは朝からソワソワし、鏡の前で3度もネクタイを結び損ねるほどナーバスになっていた。それもその筈で、約3年がかりで進めていた交渉が、成約するかしないかが決まる日にあたっていたわけだから、その日のことはよく覚えている。出社したのは7時半のことで、ビルの管理会社の男が駐車場の車止め脇にある、ささやかな花壇に緑色のホースを使って放水していた。「おはようございます」ぼくはいつも通りの挨拶をした。だが、男が不思議そうな顔をしてぼくの顔をマジマジと見るので、思わず立ち止まり。「今日は晴れるそうですね。いや、最近の天気予報はあんまり当てになりませんけど・・」などと当たり障りの無い会話を向けると、彼はこのぼくに向かって、驚くべきことを口にしたのだ。

       ∞                      


そしてこの日以来、ぼくらの街は全てが変ってしまったのだ。この「全て」。という言葉を、この言葉をこれを読む我が最愛の読者諸君は、文字通りの意味として受け止めて欲しい。なにしろ。何一つ昔の姿を残すものものなく、あらゆるものが、一気に全てを飲みつくしてしまうあの恐ろしい天変地異の様に姿を変えてしまったのだ。この街の事件は、あまり世界では知られてはいないらしい。数年前。とある外国のジャーナリストと名乗る女性が(仮にここではモニカ氏としておく)がこの街に一度取材に来たことがある。その時、彼女に最初に対応したのが、前述したクジラ氏であった。その内容はこのようなものである。

       ∞

クジラ氏「あなたは信じないかもしれないが、これは事実である」
モニカ氏「”事実”の同定は私たち仕事であり、あなたたちの主張ではない」
クジラ氏「我々は”主張”するものではない。事実はあなたの目で見て欲しい」
モニカ氏「あなたたちは”隠して”いる!」
クジラ氏「何一つ隠し立てはしていない。あなたに真実を直視する勇気がないというだけの話だ!」  


注記:上記の会話はクジラ氏の(※当時)秘書の議事録から一部を抜粋したものである。尚、転載についてはクジラ氏の  
   同意を得たのもであり、この場を借り、改めてクジラ氏に謝意と感謝の意を捧げる。
   
                
   
     ミドリ(著)「ミドリさんがやってくるわよ!」(株)文学極道
                   2012年6月21日第一刷発行

            


30ページ+5分20秒

  ミドリ


隣国がミサイルを発射した夜。ぼくらはベットの中で、一つになっていた。恋人たちの愛の巣になっている、このベイエリアに在るホテルを、ぼくらはいつしか、愛おしいと感じるようになっていた。電波の悪いテレビの音声や映像も、ティーバックに煮出された水っぽいお茶も、排気ガスにくすんだ夜景の煌きも気になりはしなかった。

ぼくが女を抱きしめるとき。この地上に足跡を残していった、数多の死者たちのことを考える。女も、同じことを考えるだろうか?強く抱きしめながら、彼女の顔を覗くとき、ぼくの脳裏を過ぎるのはいつもそのことだ。躊躇いがちに彼女の瞳の奥を覗き込む。
「何考えてる?」
「別に・・何も・・」
ぼくは生温かい彼女の中に身を沈めながらキスをする。できるだけ深い、魂に奥まで届くような強いキスを。多分、ぼくらが考えるよりずっと、魂は深みで繋がり合っていて、ぼくらを守護してくれている。
愛を何度も繰り返した夜。朝はぼくらが隠していた秘密の全てを、明らかにしてしまう。むろん、スッピンの彼女の顔は、夜に見たそれよりもずっと美しい。ただ在り来たりの日常にふたりがいるこの奇跡に、涙が溢れそうになる。

       ∞

戦争が起きたらぼくも兵隊にとられるんだろうか?そう彼女に問いかけると。
「もっと若い人達を選ぶわ。20代の若い子達。あなたはちょっと年を取りすぎているわ」
ぼくは不思議な気分に襲われた。
「日本の若者なんて、ヒツジみたいなもんだろ?ただ囲いの中で飼われてるだけさ」
「でもあなたはいいのよ」
「いや、戦争が始まればぼくも銃を取るね。相手がちょーせん人だろうがべーこく人だろうが祖国を守る為に銃を取る。そしていっぱい殺すんだ。きっと国から勲章をたくさん貰って英雄になって君の元に帰ってくるよ」
ぼくは誇らしげに言った。
「そうね。そうならない事を祈るわ。戦争なんて絶対に嫌だもの」

ぼくはタバコを一本を取り出して、市街戦で銃を手に取り戦っている自分を想像してみた。塹壕の中で、狙いすました標的に向かい引き金を引く。敵国の兵士が、まるで犬ころのように路上に転がる。愛する家族や恋人を守るためだ。そしてこのぼくの体に、魂ってやつを吹き込んでくれた祖国のためだ。ぼくはきっと、とても冷静に引き金を引くことができるだろう。
そんな考えに耽っていると、彼女、藍子がぼくの手を強く引っ張って。
「ねぇ、遊園地に行こっ。行こうよ!」そう言った。

       ∞

「いいかい?外交交渉ってのはそんな甘いもんじゃないんだ」
ぼくはスポーツセダンのハンドルを握りしめながら、まだ、戦争の話をしていた。
「いつかきっと戦争になる。ぼくは銃を取って勇敢に戦うよ!」
「あっ、そこ右!」
話に夢中になって交差点を曲がり損ねたぼくに、藍子が声を張り上げた。
「あぁ、わかってるよ!次の交差点で曲がればいい。全ての道はローマに通ずるさ」
ぼくはまだ、興奮した調子で話し続けた。

       ∞

女って生き物にはいつも、不思議に思うことがある。ぼくらに比べてとても感情的に物事を判断するくせに、ことお金の事になると途端に論理的な判断を下すのだ。とは言っても、彼女たちが使う”数学”は、足し算と引き算の2種類であり、論理に秘められたもっと奥深い真理についてとても無知なのだ。問題はむしろ、彼女たちの感情の方だ。
朝が明けると街は次第に人と車で込み合い。騒音の洪水で埋め尽くされる。
「なぁ、早めに出て正解だったな」
ぼくは藍子に話しかける。都会はまるで巨大なタービンのようなものだ。始終、空気がピリピリと振動を繰り返し、人を不快にさせるもので溢れかえる。
例えば。体をプルプルと振るわせる老人が杖をつき、その覚束ない足取りでバスに乗り損ねる風景は日に必ず5回は目の当たりにするし、小さな子供が母親と逸れて泣いていても素通りする通行人の数は一日に延べ2,562万人もいる。
もっと不快なのは、バービー人形みたいな女の子達の振る舞いだ。頭の中に教養の切れッ端一つさえもないことが、例えば皿の上のソーセージをフォークで突付くその手つき大体わかるってもんだ!
いいだろう!ぼくはぼくを不快にさせるものさえ愛することに決めている。たとえこの場所が宇宙一危険な場所であったとしてもだ!ここがぼくら生きていく世界であるあることに変わりはない。

       ∞

話を戻そう。
ぼくらは隣国でミサイルが発射された日の夜。ベットの中で一つになっていた。初めて女を抱いたとき。まるで砂漠で一握りの砂粒をかみ締めるような、苦い思いに襲われたものだが、それはきっと、ぼくがまだとても若くて、この豊穣な大地に抱かれる愛の素晴らしさを知らず、まだ旅に出る前の、ほんの小さな痩せっぽち少年に過ぎなかったからではあるまいか。
今ならわかる気がする。ぼくはじっと藍子の目の奥を見つめながら、彼女の背中を強くかき抱くように抱きしめた。この地上に足跡を残していった、数多の死者たち思いに心をはせながら。

       ∞

ぼくは藍子の中に、愛を放った。


思い出

  ミドリ


藍子の話をしよう


始まりは
   市民プールの
      プールサイドだった

彼女はまだ高校生で
当時流行の 花柄のビキニを着ていた

ユルい風が
  右から左へと流れ
   植え込みのパンジーを
       たなびかせていた

俺たちは/晴れた真夏に陽盛りに
プラスティック製の/ベンチの上で
寝そべっていた

「オネーちゃん!片乳がはみ出してますよ!」

その時
俺たちの周りの空気が
一瞬にして凍りついた

ブーメランタイプの
    モッコリ水着
      俺たちのモノも
        同様に硬かった・・・(*^^*)b

藍子はハミ出たものを
厚手のビキニのパットの中に
右手であっさりと押し込むと
まるでコウモリのような顔で
俺たちを睨みつけた

コウヘイに杉下によっちゃんに 
そして俺を

「見たの?」
「見たよ」

俺たちは上ずった声を合わせて答えた

「何を見たの?」
「色々」
「イロイロだよな」
「おー いろいろだ」
青くなった顔を見合わせ
てんでに答えた

事態を重くみた市民プールサイドは
              午後の1時に
南面のプールを全面封鎖し
そして俺たち4人は  その後
藍子の事情聴取を受けた

「まず」
と藍子が口を開くと
4人は固唾を呑んだ

「名前と住所と それから血液型と星座
所属する団体名を答えなさい」と彼女は言った
隣の杉下の顔を見ると
今にも泣き出しそうに見えた

「そこのゴボウみたいな君!君から・・」

藍子は手帳を開くと
ゴボウと名指しされた
つまり よっちゃんに目配せをくれた
よっちゃんが俯いて黙ったままでいると

「おい そこのゴボウ!ブツは上ってんだよ!」

その藍子の罵声に
俺たちは縮み上り
そして心の中で
”ブツって何やねん”と
密かなツッコミを入れていた

30分くらいして
藍子の友達の
千春がやってきた

「あー!藍子 コイツ等?」

”コイツ等はないよな”と
また俺たちは小さなツッコミを
当然のごとく胸の中で入れ
千春は藍子の隣の席にガンと座ると
メロンフロートを注文した

「スイマセン俺たちも何か注文していいっすか?」

俺たちの中で一番根性のある
コウヘイが切り出すと
他の3人は
肝をつぶした(><*)

バン!と
藍子は思い切り丸めたコブシでテーブルを叩いた
「別にいいじゃん藍子
  ねぇオジサン!カツ丼4つ!」

”あのスイマセン
 何が欲しいか訊いてくれません?”
みたいな/しごく真っ当な要求を
口にできるものは/いなかった・・
俺たちは/激しく俯き
強く/強く/下唇を噛み締めた

杉下なんかは
  噛みすぎて
    血を流していた )))

「ゴボウはもうどうでもいいから
  次の そこの何だ?ナスビ!(><;)」
藍子は杉下を睨んで言った

”おい/また野菜系かよ”みたいな
俺たちはまたソコで激しくツッコミを入れていたが
店の時計が5時に差しかかろうとも
誰一人として口を割るものはいなかった

      団結は/固かった

藍子の隣で千春がアクビをしていて
「そろそろ2次会?」
みたいなことを言っている

あの 
  スイマセンけど
     そのへんのノリ的なところ
          統一してもらえません?

みたいな
真っ当なことを口にできる勇気のあるものは 居なかった

「しのぶと美香とかも呼ぶ?」
みたいなことを千春が口にする

俺たちはその夜
さらに取調べが強化されること知り
恐怖のあまりに
テーブルの下で
両膝をブルブルと震わせていた


”クラッカー”

  ミドリ


いいかい?

問題は連中が風変わりな帽子を被っているってことなのさ。この際はっきりさせようじゃないか。ドレッシングのたっぷりかかったサラダを一掴みすると、クラッカーと呼ばれた男はカウンターに肘を付き、大袈裟に肩をすくめてみせた。

連中はその帽子を一体どこで手に入れるんだい?

初老の紳士が小さく顔をしかめ、その質問を終えると忙しなげに体を左右に揺すり、クラッカーを見つめた。

生まれた時から帽子を被っているのさ。驚いたね。ソーセージみたいなもんだろ?チクワに穴が開いてるのと一緒さ!そりゃ幾らなんでも問題だろ?問題はそれだけじゃない。というと?

むし暑い夜だった。シーリングファンが俺たちの頭上で静かに回る。そっちの窓を閉めてくれないか?クラッカーは少し神経質に苛立ちながら言った。あぁ、用心してくれ・・・。クラッカーは額の汗を右手で2度拭った。

黙って聴いてくれ。驚いたりするなよ。ああ、驚くもんか!驚いたりするもんか!クラッカーは俺たち一人一人を順番にゆっくり見つめると。声を潜め、やはり彼は、俺たち向かって、驚くべきことを口にしたのだ。バーに一台だけある。カウンターの向こうの霜付きの台下のSANYOの冷蔵庫の中に、腐りかけのレモンが一切れと、チーズが一箱しかないのが見えた。

俺たちはその夜のことを、誰にも漏らさないと口々に誓い合い、夜中の3時半には、てんでに帰路についた。あの夜からもう3年と4ヶ月が経つ。風変わりな帽子を被った連中は、相変わらず俺たちの街に居坐り続けたし、クラッカーが街のバーに入り浸ることも変らない。ただ一つだけ言えるのは、秘密の共有がこの街の人々の間で急速に進み。生活は何一つ変らないままだという、この奇妙な事実が、俺たちの生活に今も、重くのしかかっているということだ。

クラッカーのその後について、もう少し詳しく話さなければならないだろう。世界中に偏在するバーナキュラー建築がその土地の風土に適した形に適合するように、彼が俺たちに語る風変わり帽子の連中に纏わる秘密も、時間の変遷とともに形を変えていった。

深夜のファーストフード店でクラッカーは、フライドポテトをつまみながら誰かに電話をしていた。ショップの店主によると、彼は酷く落ち着かない様子で身振りを交えながら激高していたという。

クラッカーは公衆電話の受話器を乱暴に戻すと、残りの小銭を数枚ポケットに突っ込み。トレイをダストボックス投げ込むとショップのドアを乱暴に押し開き、前のめりになって車に急いだ。彼は何度もポケットの中のキーを握りしめ、その顔は蒼白に青ざめていたという。

俺たちの街では。彼の噂を言外に持ち出すことは暗黙の不文律として、タブーであると認識されている。なぜか?俺たちは本当のところ。彼、いや”クラッカー”を信用しちゃいないのだ。こんな話がある。誰にも言っちゃならないことだが、実はクラッカーも風変わりな帽子の連中の一味であり、バーに入り浸り、酔っ払った市民から本音を引き出し。俺たちをスパイしているのだという話は、まことしやかに囁かれる噂だ。

なぜなら、あんな恐ろしい秘密を大っぴらに喋れるのはこの街で唯一クラッカーだけであり、風変わりな帽子の連中に睨まれることをもっともおそれる俺たちにとって、畏怖すべき存在であると同時に。疑わしい存在でもあるのだ。物事には常に二つの可能性がある。それはコインの表裏の関係だ。3年と4ヶ月という月日が、俺たちと、俺たちの暮らすこのちっぽけな街の中にも流れた。その時間はとても多義的であり、俺たちの目の前に投げ出された、まっさらな運命をいっぱいに描きこめる一枚の白いキャンバスとて、それは同じことなのだ。


エメラルドグリーン

  ミドリ


一本の道は、果てしなく続いている。振り返るとそこには、蹴散らされた砂埃の中に轍が見え、エメラルドグリーンの海が広がっていた。

旧盆の初日が暮れようとしていたその日に、伝い歩きはじめたばかりの娘が、借家の縁先から落ちた。
真っ先に電話したのが彼だった。

小さな子がいるのに、パーティー?
そんなことできる筈もないじゃない。ってさ。ミノルに食ってかかりたかったのかもしれない。電話口の背後で、トランスした若い男女の声や、けたたましい音楽が聴こえる。

えっ?子供?なんだ!今すぐ出てこいよ!

わたしはガチャン!って。受話器を力いっぱい叩きつけた。
壊れるかと思った。

心も。電話も。全部。

       ∞

島に引っ越して半年。
知り合いもいない。家族も疎遠になった。娘の父親だって、どこにいるやら知れない。わたしは娘を強く抱いた。言葉はまだ話さないけど、それ以上のぬくもりが娘の体から伝わってくるような気がした。わたしは幸せなんだろうか?それとも、みじめなんだろうか。

ある日島のオバァが、うたきに連れて行ってくれた。乳母車に娘を乗せ、食料品店に買い物へ出ていたときのことだ。クバ帽を被ったオバァが、泣き出してきかない娘の顔を覗き込んで「ナチブーね」って、あやしてくれた。
オバァは一生独身通し、子供を産んだことがないという。娘を抱き上げると「ヴァチクァイヤッサー」といった。
オバァの体の匂いには、どこか鼻腔の奥をツンとくすぐる懐かしいもの感じて、わたしはその時、店の外へ目をやった。
なんでここの空はいつもこんなに、真っ青を晴れるんだろうって。

オバァとわたしたちの生活が始まったのはこの日を境にしてのことだった。オバァが娘を預かってくれるので、わたしは仕事に出ることができた。サトウキビ畑とスーパーのレジ打ち。時給がおそろしく低く感じられるのは、都会で暮らしていたわたしの感覚なのだろう。誰にも、愚痴は言えなかった。
そういえば、島の北部にはユタが修行する場所があると聞いたことがある。

オバァ?オバァは、神様とお話ができるの?
神様ねえ〜、あたしも偉くみられたもんだねぇと、オバァは笑う。

あんたの後ろに、へんな霊がついてる。なんてオバァに言われようものなら、わたしはきっと、信じたかもしれない。

       ∞

彼から電話があった。

どこにいるんだ?
引っ越したの
島から出たのか?
ううん
仕事は順調?
まぁね
ショップをオープンしたんだ。クラブだよ。なぁ、こないか?

彼は本気じゃない。電話だと、声の調子でそれがよくわかる。

さよなら・・
えっ?なんだって?

ガチャン!

       ∞

白い砂地の、一本の道は、果てしなく続いている。
振り返るとそこには、いつも変わることなく輝き続ける。
エメラルドグリーンの、大きな海が、見えるんだ。


さっちゃんの卵 

  ミドリ


その街についたとき、ぼくらは人々の言葉が全く理解できないことに気づいた。微妙なイントネーションからしてどこか違うのだ。
ロートアイアンで装飾された看板のショールームに入ると陽気な笑い声をあげる人々で込み合い。シェード付きのランプが取り付けられた入り口で立ち止まっていると、コニーさんの方から話しかけてきた。
彼は面長の七面鳥で、鳩の卵を売っている。

コニーさんは作業用の白手袋を脱ぎ捨てると、ぼくらに近づいてきた。顔は笑っているが目は笑っていない。

「やあ!」

コニーさんはぼくらを見つけると手を振った。何しろ室内はおそろしく込み合っている。5メートル進むのに3分も掛かる有様だ。

「すごい盛況ですね!」

ぼくは思わず声を張り上げた。

      ∞

「紹介しますよ」

ぼくは連れて来た鳩の手を引っ張って、コニーさんの前に押し出した。

「名前はなんていうの?」
「この子ね、少し知恵が遅れてるんですよ」
「卵は産めるのかい?」
「バンバン産みますよ!」
「そりゃー良かった。うちは実力主義だからね」
「さっちゃん。これから世話になるオーナーのコニーさんだ。挨拶なさい」

ぼくは唇を尖らし、さっちゃんに厳しい調子で言った。

「サチコです。宜しく」

さっちゃんはペコリと頭を90度に下げて、そのまま30秒ほど固まってしまった。

「さっちゃん、もういいよ。頭を上げなさい」
「もういいよ、さっちゃん頭を上げなさい」

彼女は90度に折り曲げた体を戻すと、ぼくの言葉をそのまま反復した。

「おいおい、大丈夫かね?」

コニーさんは上着のポケットからハンカチを取り出し、額に浮き上がった汗をぬぐった。さっちゃんは、大きな笑顔でコニーさんを見つめると。

「おいおい、大丈夫かね」と。

また例のごとく、彼の言葉を繰返した。
コニーさんとぼくは目を合わせ、苦笑した。

       ∞

「ここがこれから君が働くことになる仕事場だ。いいね」

コニーさんはさっちゃんの肩を抱き。指先であちこちを指し示しながら工場の中の事を、丁寧に説明していった。どうせ、さっちゃんにはその言葉の意味や難しいことは理解できないだろうが、コニーさんは必死だった。何しろ需要に供給が追いつかず、猫の手も借りたいほど忙しいのだ。
そして従業員の鳩たちは色んな地方から集められ、会社が用意した寮から通うものが殆どだ。

中には外国から来ている鳩もたくさんいて、そこで飛び交う言葉はさながら国際色豊かな交易都市の様相を呈していた。そしてバイヤーの中には、地球の裏側から出張して来るものも少なくない。そのコストを差し引いても、引く手あまたなのが、コニーさんの商品なのだ。

成る程ここで話されている言葉の意味がわからないわけだ。むろん従業員同士のコミュニケーションも、きっとままならないだろう。この職場に紛れ込めば、知恵遅れのさっちゃんも、彼らと同等の扱いを受けられる筈だ。

仕事は至って簡単。卵を産めば良いだけの話なのだから。

ぼくはコニーさんがさっちゃんに工場の説明をしている間。表へ出て煙草を一服吹かした。煙ばかりが空へ抜けていき。あまり味がしなかった。このままコニーさんとさっちゃんに挨拶しないで帰ろうかと思った。さっちゃんは何て思うだろう?
ぼくがさっちゃんに「バイバイ」って言うと、きっと彼女はいつも様に「バイバイ」とぼくの言葉を反復するに違いない。「お別れだよ」と言うと、彼女はいつもの笑顔で「お別れだよ」と、ぼくの言葉を繰返すに違いない。
そのままぼくがさっちゃんに背を向け、遠ざかって行けば、彼女はいつもと違う何かを察知して、ぼくの背中を追いかけてくるだろうか。

煙草の火をもみ消し、振り返ると。

工場の入り口で「談笑」する。
さっちゃんとコニーさんの姿が。ぼくの目頭から不意に溢れ出た熱いものの中で、滲んで、見えたんだ。


クマのヘンドリック、ラーメン屋さんでアルバイトをするの巻!

  ミドリ




3丁目のタバコ屋さんの角を曲がった
ラーメン屋の入り口で
刃物を持ったヘンドリックが泣いていた
しかもガラスの自動扉に挟まって
動けないでいたのだ

とっぷりと太ったお腹がギュッとへっこんで
痛そうだった

何してるんだよ
見ればわかるだろ!

ヘンドリックは声を張り上げた

ドアに挟まってんだよ!
お腹へっこめれば出れんじゃねぇーのか?
ムリだよ!(><;)
ムリなことあるもんか
本人がムリだって言ってるんだからムリなんだよ!о(><;)о

ぼくはヘンドリックの手をギューっと
引っ張った

痛いだろっ!
ガマンしろ!男だろっ!

夕方の
帰宅ラッシュの時間
夕日ヶ丘の駅の改札口から
ダッと人の流れが押し出される

ママ!クマさんがドアに挟まってるよ!

5歳くらいの女の子が
母親の手を引っ張った

見ちゃいけません・・

そりゃそうだ
刃物を振り回しながら
自動扉に挟まってるクマなんかみたらトラウマだ

よし もう少しだ!
んーーっ о(><*)о
・・・スポンっ!!

ヘンドリックのお腹が弾けた瞬間
ぼくらは勢い余って歩道に投げ出された
ヘンドリックはエビ反りになって
顔面からアスファルトにめり込む
手にした包丁は
右手にしっかり握ったまま・・

ヘンドリックは1ヶ月ほど前から
このラーメン屋さんでアルバイトを始めたのだ
怒られてばっかりなので
定休日のこの日
こっそりと包丁さばきの練習に来たというわけだ

間が抜けているが
彼にしてみれば感心なところもある

救急車呼んでくれ!
大袈裟だな
包丁なら俺が教えてやるのに
お前に教わるくらいなら
死んだほうがマシだ!
バカ言え・・

ぼくはハンカチでヘンドリックの血のついた
顔を拭ってやった
全く
バカなやつさ


口紅

  ミドリ


電話のベルが鳴る
ぼくのペニスより
数センチ短いサイズのケータイだ
女はそれを握り締め
かすれた声でこう言った

面倒だから後にして

必要なものか
不要なものかなんて
たった数センチ数ミリの差に過ぎないと
その時ぼくは思った

とにかく
彼女はひどく腹を立て
でんわを乱暴に切った

ため息をつき
化粧ポーチから
リップスティックを取り出すと
タバコを灰皿に押し込み
パサついた髪をかき上げ
パンツを穿き
ジッパーを上げた

今日は楽しかった
またね


女が出た後
一人取り残された部屋で
テレビの電源を入れた
ぼくのペニスより
数センチ長いリモコンを握り締め

喧嘩を理由に別れる恋人たちもいれば
理由もなくセックスする他人同士もいる

ぼくらは
量や長さの観念を
言葉にするとき
愛や憎しみや諦めの強さが
はるかに人間を超えてしまうことを知るんだ

数センチ数ミリ
そのささやかな差に滲む
コーヒーカップのへりに
彼女が残していった 赤い口紅の色


青いクジラ

  ミドリ



あれは確か
8月の日の最後の日曜日のこと
海辺に打ち上がった
クジラの噂で
町中が持ちきりになった

青いクジラは
夏の太陽の光を反射し
焼けてグッタリと
眠っていた

ぼくらはまだ小学生で
親に買ってもらったばかりの
新品の自転車の後ろに
メイちゃんを乗せて
浜に急いでいた

彼女はぼくの背中にぎゅっとつかまり
固く目を瞑っていた

クジラ
見たいだろ?

メイちゃんは
大きく頭を揺らし
恐いと言った
ぼくは彼女と一緒に
クジラを見たかった

恐くなんか
ないさ
浜にでっかいクジラが
打ち上がったんだ
こーんなに
大っきい
クジラなんだ

ぼくは見たこともないクジラの話を
メイちゃんに
一所懸命に話した

浜へ通じる
なだらかなカーブを
ぼくらは
下って行った

綺麗な海と空と
緑に輝く樹木が
ぼくの心を
弾ませた

ねぇ!
引き返してよ!

メイちゃんは
ありったけの力で
叫んだ

それがぼくには
聞こえなかった
もうすぐ
クジラのいる浜だ
ブレーキなんて
少しも
必要なかった

ぼくの
青いクジラと
メイちゃんの
青いクジラは
あのカーブの入り口で
永遠の別れを
告げていった

あれは確か
8月の日の
最後の日曜日のことだった


星空の下で

  ミドリ




ローソンの袋から
ひょっこりと顔を出した
りすが
夜空を見上げながら
しんみりとした調子でぼくに話しかける

こうしてさ
息をころしながらさ
今も俺は
夢を見てるんだよ
おまえも
同じだろ?

おい
あんまり袋の中で
ガサゴソ動くと
ポッキーが折れるだろ
ぼくがそう言うと

りすはこっちをジッと見つめて
おまえ
ポッキーと俺と
一体どっちが大事なんだよ!

彼の顔が
みるみると赤く
硬直してくるのがわかった

ポッキーだね(´ー`;)y−゛

そう言うとりすは
肩を震わし
メソメソと泣き出した
男のくせに女々しいやつだな

違うよ!
ポッキーの箱の角っこがさ
ずーっと背中に当って痛いんだよ(><。)/

アホか!
さっきからおまえ
柿ピーつまみ食いしてんの
ちゃんと知ってるんだぞ
コソコソしやがって
まったく

ケータイが鳴った
りすはポケットからそいつを取り出すと
電話に出た

何だ嫁ハンか?

横目で見た

今夜は真っ直ぐ帰るよ
今ローソンの袋の中だから・・
おねーちゃんの店?
ちがうよ(><。)。

りすも大変だ
今夜も言い訳の数だけが
このまるい夜空の下で
星屑の数ほど
ぼくらの口元から
こぼれ落ちていくんだ


不可能な交換

  織田和彦



地下室で生物学の実験をするのが私の日課である。

ネズミのあそこにゴム手袋を嵌めた指を突っ込み。コンクリートの塊りを引きずり出すのである。ピンセットで慎重に運河や国道をつまみ出すと、モルタルはあらゆる都市と惑星に繋がり、ロンドンやパリやホーチミンといったものがリアルに出てくるのである。

引きずり出された都市部や惑星の群体は、弁膜の開閉音とともに、例えばホーチミン人民委員会庁舎の銅像は半分に割れて崩落し、ウエストミンスター駅前のビックベンは、南米コスタリカの正午の時報を美しい調べで奏でる。

セーヌ川はむろん太平洋と完璧に接続するのだ。

ネズミの胃袋はバッテリーのように熱を持ち。私の手によって新しいものへと交換される。

今夜私は友人の田村が収容されている留置所をネズミの腹にブチ込む予定である。田村とは中学時代からの友人であり、大学時代には徹マンをした仲間である。田村の嫁と私は週2のペースで不倫をしてる。しかし留置所にいる田村をネズミの腹にブチ込む計画を立てたのは田村の嫁のぶ子である。

のぶ子は私たちが情事を終えたあと、セミダブルのベットサイドでパンツを上げながら留置所にいる田村の身を案じ、私の実験に田村を供することを申し出たのである。

私はネズミのあそこを大きく開き、田村がぶち込まれた留置所を中へ押し込んだ。留置所を中に入れるのは初めてのことだ。

私は額の汗を懸命に拭った。

留置所は何度押し込んでも戻ってきた。私はネズミのあそこに念入りにグリスを塗り込み、鉗子を使いながら無理やり留置所を押し込んだ。のぶ子は田村の名を呼んだ。「浩一!」「聴こえる筈もない・・・」私はニヒリスティックな調子でのぶ子の馬鹿げた言動を鼻で笑った。「グリスが足りないんじゃない?ほら、もっと奥まで!」のぶ子は叫んだ。

      ∞

麦わら帽子のネズミはオリオンビールを片手に自衛隊に封鎖された国道脇のコンビニエンスストア前で、私の目の前に、彼は自分のあそこを大きく開きながら、意味ありげに笑った。

ネズミは明らかに保菌者だ。

私はツナギの防護服のジッパーを首元まで引き上げ、素早くマスクをした。「見てくれや。世界中の留置所はあんたの御蔭でみんなこの中さ」ネズミは大袈裟に首をすくめ、両手を広げてみせた。自衛隊の男が銃をこちらへ向けた。ネズミは皮肉な口元で「鉛の弾もここらじゃ今や信頼の証ってわけさ」と言った。

銃声が一発鳴ると弾丸はネズミの眼球を貫通し、タバコの自販機に当たって跳ね返った。ネズミが血を流すと自衛隊の男は舌打ちしながら向こうへ行った。

私はぐったりとした麦わら帽のネズミを抱え上げると、車の後部座席に彼を押し込んだ。ゴムマットの上にホーチミンの銅像の一部とセーヌ川が勢いよく滴り落ちた。私はそこに田村がいないか探したが、助手席ののぶ子は手鏡でルージュをひきながら、この先のラブホテルに早く行きたがった。

      ∞

ネズミは湯気を立て、便臭のする息を吐き散らしながらオリビアの時報を鳴らし、のぶ子の顔を見つめた。

ネズミは明らかに発病している。

明治通りに面した西早稲田の古い3階建の執務室のテーブルの上で、のぶ子はネズミの腹から半分はみ出た留置所の一部と田村の半分を引きずり出した。田村は白目を剥き仰向けにソファーの中に倒れた。のぶ子は服を脱ぎ捨てると田村に股がった。留置所の先端がのぶ子の中に入る。田村の腰の上でのぶ子はゴマアザラシのように目を瞑った。


ネズミハハツビョウシテイルノダ


      ∞

ネズミの陰嚢の中に挿入されたままの田村の頭を引き抜くとサマルカンドをゆくマラカンダのカールヴァーンと雌ラクダ十数頭が26秒間のストロボで私の中で灼けた。ギンギンの太陽が頭上に昇る頃。8月の日曜日。私はアパートの鍵を閉め、早稲田通りへ出てインド大使館前を通り、映画館の前でタバコに火を点けた。

遅れてのぶ子がやってきた。


「待った?」
「今来たところだよ」
「旦那は出張だから今日は大丈夫」

のぶ子がなんだか浮き浮きして晴れやかな顔をしている。私は地下室に残してきたネズミの干からびた死骸を思い出していた。揮発したホルマリンの匂いが左手についている。その手で私はのぶ子と手を繋いだ。


のぶ子は柔かに笑っている。

ネズミハハツビョウシテイルノダ


ヘンドリックの最後

  織田和彦


肉屋の軒先で 雨宿りしながら
ぼくはグラム398円の値のついた
ショーケースの中の
肉の切れ端を見ていた


タバコに火をつけた


ヘンドリックが
食肉になって
世の中に貢献したいといったとき
ぼくは反対しなかった

食肉処理場に
向かう車の中
不安そうに
身を屈めながら
彼はこう言った

「最後のタバコを一本くれないか?」

ぼくは上着のポケットの中のマルボロを引っつかむと
彼に手渡した
するとヘンドリックは
立て続けに3本のタバコに
火をつけた

「おい、体に悪いぞ」
「バカ言え・・」

ヘンドリックは
3本目のタバコを吸い終えると

「世話になったな」と
ぼくの肩に手を置いた

「今ならまだ引き返せるぞ」
「バカ言え、俺は意志が固いんだ」

涙ぐみ
コブシをまるめる
彼の横顔を少しだけ見た

食肉処理場のおじさんに
ヘンドリックを引き渡すと
ぼくは見上げた空の青さに
少し目を細め
ヘンドリックがすべての検査に運良くパスし
立派に市場に出回ることを祈った

さっきまでヘンドリックが座っていた
助手席のシートのくぼみを見つめると
空色の
夏みかんの匂いが少ししたような気がした
どこかにようやくたどり着いたような
どこかにまた新たに向かって歩き始めるような
不思議な気持ちがした

肉屋のおじさんに
806円のお釣りと
300グラムの肉をもらうと
雨降る街ん中
ぼくは
小走りに出て行った


ブリキの感情

  織田和彦



仲間を欲しがる人間の
不安と恐怖を責めてはいけないと
愚かな武装をした大人たちから
うっかりと聴いてしまったものだから

ぼくらはまた抜け目のない罠を
今日もまた一つ
職場のコピー用紙の裏側に
そっと書き置いてきたわけだ

誰かが背中を押してくれるなら
いつでも飛べる場所にいるのよと
うそぶいた女は
今日も職場に
家庭の粗大ゴミを持ち込んだ

ずる賢い人間たちの
嘘と虚栄を憎んではいけないと

愚かな武装をした大人から
うっかりと聴いてしまったものだから

抜け目のない優しさで
人の弱さに
手を差し伸べた

失ったものは
安っぽい感情とちっぽけな自尊心だけ

優しくしたせいで
ずるいと言われ
また憎まれた
その憎しみが深いほど
この痛みは確かだと感じられた
この先の

まだ見ぬずっと向こうの先に
人間がいる
途方もない
静かな痛みをかき抱く
人間だけを増やせ

人間だけを増やせ


日常

  織田和彦





ぼくは相変わらず独りだった
「独り」という意味の
もっとも正確な意味においてだ

そして陰謀家のように
アイディアが盗まれやしないかと
いつもびくついている

ほんの5分も前のことだ

ぼくはスーパーで大根としめじを選んでいた
形や色を念入りに調べながら産地と値札を見る
その行為はもはや理想でも現実でもなく
奇術のごとき行為なのだ

例えば歯磨き粉や食料品を買い込む人たちの行列がレジにできる
エプロン姿の無表情のソリストたちが
音階のない鍵盤を叩く
客が手にするのは僅かなお釣りと数枚のレジ袋

アリガトウゴザイマシタ/マタオコシクダサイマセ

レジ袋を断り
エコバックに食料品を詰め込むと
ぼくは悲しみと狼狽の絶頂を否応なく味わうことになる

駐車場へ戻り
キーレスで車のドアを開けると
陽に灼けついた空気にどっとくるまれる
ぐったりとシートに体を沈める
車のサイドミラーに映った自販機
買い物袋を片手に
幼稚園児を連れた妊娠した女が横切っていく
30分前の時刻が印字された駐車券を見つめる

この絶対的な“権力”に従わされる人々は
あたかもそれが自然のことのように受け入れ
興奮も沈思もないままそれを受け入れているのだ

信じられるだろうか?

車はいつものルート
つまり一方通行の道を右折し
県道へ出て
ドラックストアへ向かう
まるで美術館で絵画を見て回るように
ショップを回るわけだが
ピカソもシャガールも写楽も工場で大量生産される
資本主義社会では
公平さと差別化が同時にスローガンとなり
人々を分裂的に引き裂いているのだ

信じられるだろうか?

ぼくはもっとも取り澄ました群衆の中の独りだが
同時にいま静かに進行しつつある
革命のデモ隊の先頭を歩くひとりでもあるのだ


救急室3

  織田和彦




朝から、あおぞら総合病院は混み合っていた。8時15分。既に気温は25度まで上がっている。受付開始は8時20分からだが、蛇行する人々の列が、今にもあおぞら総合病院の外側にまで溢れ出そうだ。

「受付される方の最後尾はこちらです!」

黒縁眼鏡でスーツ姿の小柄な青年が、大きく手を挙げて、患者を誘導している。羊のように誘導に従う患者の列。実に秩序正しく、割り込みなどのマナーを失した行為は一切ない。

ぼくは財布から保険証を取り出し、列に並んだ。8月14日。お盆の真っ只中に、病院がこんなに混むなんて思わなかった。見たところ、8割くらいの人はどこが悪いのかさっぱり見分けが付かない。世の中と同じ、病は内部に深く潜み、表面にはそうそう現れないのだ。
などと思っていると、

「何科を受けられますか?」

と、唐突に黄色いシャツを着た少女に声をかけられた。顔に発疹が出ていること。頸部のリンパ節の辺りが腫れていることを告げると、看護師に相談してきます。そう告げると、病院の廊下を駆けていった。実際、どこの科を受けるのが適切なのか、よくわからなかったのだ。

走って戻ってきた、黄色いシャツの少女は、少し息を切らしながらも、嫌な顔一つせずぼくに一枚の紙切れを渡し「内科を受けてください」とそう言った。

その紙切れには、「11」という番号と、カタカナでぼくの名前が書かれていた。

その紙切れをもらうと、ぼくは何故かホッとした。

問診票を受付に提出した後、内科の診察室の前に置いてある黒いレザー貼りの長椅子に腰をかけ、病院内を観察しはじめた。足取りの覚束ないヨボヨボの爺さんが、さっきから内科の前をウロウロし、女性の看護師に声をかけては「今日は下痢が酷い」と訴えている。“今日は”と、いったところ、おそらく毎日通ってくる、病院しか行くところのない“困った爺さん”なのだろう。困った爺さんは、また違う看護師を掴まえては“病状”を訴えて回っている。

「下痢をされているんですね。大丈夫ですよ」

その一言をもらうと爺さんは安心したのか、内科の前をうろつくのを止め、病院の奥の廊下に消えた。

すると今度は目の前のエレベーターがドスンと開き、ストレッチャーに寝巻きのままぐるぐる巻きされた足の無い、80歳くらいの、別の爺さん運ばれてきた。白髪の坊主刈りで、よく太っている。ぼくの目の前を通り過ぎていくその爺さんの染みだらけの顔を見ていると。左の目から涙が流れ出しているのが見えた。

「私たち長く生き過ぎたのね」

正面玄関の、テラス側の廊下で、車椅子の婆さんたちが話しているの聴こえた。

「ジュウイチバン オダサン! オダカズヒコサ〜ン」
「はい」
「どうされました?」
「顔に発疹と下顎の辺りにシコリと腫れがあります」

ぼくほ問診票に書いた通りの説明をした。

内科の診察室の中から、長椅子に腰を掛けるぼくのところにツカツカと歩み寄ってきた、おそらく看護師と思わしき三十代後半くらいのその女性は、ぼくを診察室に招き入れるわけでもなく、ぼくの腫れた頬っぺたを触りながら、廊下で「診察」をはじめたのだ。

「ここ、痛む?」

多分、ぼくと同級生くらいと思われる女の看護師は、ショートカットの髪を茶色に染め、少し濃いめのブルーのアイシャドーを入れていた。

「おたふく風邪かもしれないわね」

如何にも世慣れた風な彼女は、ポケットからマスクを取り出し、「これ、しといて」とぼくにマスクを手渡すと、手招きをし、歩き出した。彼女はぼくが、ちゃんとついてきているかどうか確かめるように、二度ばかり後ろ振り返った。

「救急室3」と札の掛かった病室につくと、ぼくをその部屋に押し込んで、カーテンレールで間仕切りされたベットに案内し、「先生がくるまで、ここでしばらく待ってて」と言ってカーテンをピシャリと閉めた。

そして、カーテン越しの向こう側で「きゃっ!貼っちゃった」と言って出て行った。

何を「貼った」のか?カーテンを開けて見てみると「内科 オダさん」とだけ書かれたメモがカーテンの表側に貼り付けられていた。

多分、楽しい性格の看護師さんなんだろう。

そう考えて、ベットにしばらく寝転がることにした。熱もないし、特にしんどいわけでもない。しかしなんで彼女はぼくを救急室なんかにつれてきたのだろう?おたふく風邪とか言っていたので、感染症を疑い、院内感染を避けるための措置なんだろうか?説明がなかったのではっきりはわからないが、おそらくそうなんだろう。

さて、することがなくなったぼくは天井のトラバーチンの穴ぼこの数を数え始めた。スマートフォンは病院の駐車場に停めた車の中だし、“楽しい”看護師さんはさっさと出て行ってしまったし、ぼくは病室という隔絶されて世界の中に今一人取り残されてしまったのだ。そしてトラバーチンの穴ぼこの数を数えるという作業に意義を見いだせなくなったぼくは、ベットに横たえた体から全部の力を抜き、このまま眠ることにした。

どのくらい眠っただろうか?

5分か10分くらいのことかもしれない。
隣のベットからうめき声が聞こえはじめたのだ。

その声からすると50代くらいの、中年の女性のものと思われる。カーテン越しに光を透かしてみると、微かに見える影から、女性は点滴をしていることがわかる。さっきまで考えもしなかったが。この病室にいるのは、どうやらぼくだけではなさそうだ。さらにその向こう側のベットからは、若い女性が嘔吐いているのが聞こえた。

なるほど、人間、そう簡単にひとりになれるものではないな。ぼくは妙に納得した。人は、たとえどんな境遇や世界にあっても、仲間になれそうな他の誰かを必ず見つけ出すことができるのだ。

しかしだ、ぼくの放り込まれたこの「救急室3」は、重症患者が多いらしく、胃腸炎でひたすら嘔吐き続ける16歳の女子高校生、熱中症で倒れ運び込まれた主婦や、始終ストレッチャーで運び込まれる患者が出入りし、カーテンで塞がれてよくは見えないが、なんらかの「応急処置」を施されては緊急の往来を繰り返しているらしいのだ。泣き叫びながら嘔吐する女性が、数人の看護師に抱きとめられ「大丈夫!大丈夫だよ」と励まされている声がずっと聞こえる。

さながら野戦病院のごとき様相を呈しているのだ。

ぼくをここに連れてきた看護師のことを考えた。左手の薬指に指輪はなかったし、彼女と話せば、このあおぞら総合病院の事が、もっとよくわかるかもしれないな。

「オダさんって方はどちらですか?」

初老の紳士といった感じの小柄な医師が、黄色いシャツを着た丸顔の若い女性を伴って「救急室3」のぼくのベットに入ってきた。医師は神妙な面持ちでぼくの顔を覗き込んだ。患部を触り、幾つかの質問をしたあと、「ヘルペスですな、ヘルペス一型ですよ。皮膚科に案内しておきます」そういって、そそくさと出て行った。「皮膚科の先生を呼んでくるので、そのままそこでお待ち下さい。寝ていてくださって結構ですよ」丸顔の黄色いシャツの女性は頬を少し紅潮させながら言った。まだ見たところ、学生といった雰囲気だ。

少しガッカリしたぼくは、カーテンに貼られた「内科 オダさん」のメモを乱暴に剥ぎ取った。その裏側には、見知らぬ女性の名前と11ケタの数字が、まるで暗号のようにぐるぐると書きなぐられていたのだ。


愛と死

  織田和彦





死というものを体験しない限り
本当のことなんてなんにも判りやしないと思う
いっぺん死んでみないことには
生きていることの本質なんて
誰にもわかりやしないのだ
いつしかぼくの頭の中を占拠し
離れなくなってしまった想念だ

だから毎日死ぬことばかり考えている
死ぬといってもあなた
本当に心臓が止まっちまったら
こっちに戻ってこれない
戻ってこれなくなっちまったら
生きる意味だとか?
本質だとか?
儲け話だとか
スケベでエッチな話も
ヘチマもへったくれもない

心臓を正常に作動させながらも
ちゃんと死ぬわけだ
いいかい?
心臓だけはちゃんと動かしな

それから
その他の生きるための活動を全部止めちまいな
全部はちょっと辛いな
一部だけでもいい

そうだな
例えば
血と汗と涙の結晶である
あのバカ安月給をだな
会社から受け取ることを断固拒否する
月末に振込まれるはずの給料が
りそなの口座に振り込まれない

死ぬということの意味は
たとえばそういうことだ
その意味について
少しでも触れることができたなら
あなたもぼくも
もう少し生きることについて深く感じることができるはずだ
生と死の間に横たわる
絶対的な服従と断絶と不条理と禍々しさを

生きていれば
ぼくももあなたも
あの少しばかりの
バカ安月給でもさ
美味しいものを食べに
女の子をデー卜に誘って
夜景の綺麗なホテルで
ロマンティックに過ごしていたかもしれない

死とは
そういったことの全てをなかったことにする

いいかい?
死を経験するんだ
心臓をちゃんと動かしながら
生に対する羨望の眼差しを持て!
同時にそこに蔓延るまやかしや悍ましさもちゃんと
その目と耳と心に刻むんだ

死というものを体験するたびに
生きるということがどうあるべきなのか学べるはずだ
手初めにあたなが今夜死んだと仮定するとき
生きていれば手にできたはずの
何か一つでも返上することだ

死はあなたから
あなたのものであった筈の命を切り離し
容赦なく多くのものを奪っていく

例えば今夜でいえば
あなたの愛するあの女性からの告白きっぱり断ることだ
生きていれば知り得たかもしれない地上でただ一つの愛を
あなたはあなたの死によって粉々に砕け!

あなたはあなたの愛によって粉塵となった死を暴け!


飼育法

  織田和彦



水槽でメダカを飼い始めたのが今年の5月
10匹いたうちの7匹はすでに死んでしまった
ペットの飼育に詳しい同僚の早川君に
7匹のメダカの死因をたずねたら
きっと子供をたくさん産んで力尽きたのだろうと言った
会社では毒舌で通っている彼だが
本当のところは根が優しく他人思いだということは皆が知っている
ぼくはきっと水槽の水の換え方を間違ったのだ
ぼくの方が彼よりも2歳年上だが
今年の9月に早川君はぼくよりも先に次長に昇進したのだ
先に偉くなる人間と取り残されていく人間
目的意識が高く責任感の強い人間が先に社会的地位のある場所へ行く
そこに何も不公平はない
あるのは個性という名の不平等とめぐり合せの運不運なのだ

ところでその早川君が11月から会社に出てこない
蒸発してしまったのだ
社内では派遣の若い女の子との不倫が原因だと噂されているが
彼ほど家庭を大事にする男はいない

実はぼくが早川君を殺したのだ
だが殺したことはまだバレていないので社会的には早川君は蒸発したことになっているのだ
10月31日にぼくは早川君を殺した

その日二人は今出川から鴨川の土手沿いをほろ酔い気分で歩いていた
どちらからともなく飯に誘ったのだ
アルコールが入っていたことは間違いない
ぼくが早川君の出世を妬んでいたこともある
人を殺す動機としては軽すぎるのではないかと疑う向きもある
しかし伏見にあるぼくの単身者用賃貸マンションに着いた時
早川君はぼくの飼っているメダカの水槽を見たがったのだ
水槽は寝室の出窓に三本設置してある
水量60リットルが2本と45リットルのものが1本
早川君がそのうちの一本の水槽を覗き込んだときぼくは彼の頭を水槽の中に押し込んだ
ぼくは早川君の頭を押し込みながら
テメェーが8匹目だ!
と叫んでいた
ブクブクと泡が立った
白点病に犯されたメダカが苦しみに歪んだ早川君の口の中へ次々と入っていく


放心

  織田和彦



ギタアを持って、
ふかふかと歌う。
森の中で
死んだ子の、
眼の中に落ちた世界。
君は本当は欠けているものの代表であろう。

タバコの先に見える夜景の横浜。
浴衣一枚に、
下着もつけていない
素肌の麻衣子。
一篇のメルヘンのような思い出は、
何もかもが、
もの悲しい。

鳴くように満ちる、
麻衣子の体を抱き。
擦り切れたぼくの体は、
渦巻く銀河のごとくに、
暗黒の星となる。

夜食に買ってきたコロッケを齧る。
君もいるかい?
首を振って、
いらないと言う麻衣子。
彼女はテレビのニュースを見ている。
テレビには、
一度だってほんとうの世界が映し出されたためしがないなどと、
悪態をつきながら。

麻衣子とふたり、
ホテルで抱き合って、
眠った夜に、
骨を食い破って入り込むほどの、
“ほんとう”があっただろうか?

JRの改札口で、
ぼくはヘンドリックと一緒に、
麻衣子を見送った
ヘンドリックは鼻くそをほじくりながら
麻衣子に手を振った、
そのヘンドリックの大きなお腹は、
怠惰と、
全体の調和を表しているようで、
可笑しなことだが、
ぼくにしてみれば、
もっとも文明の原理に即した、
人間なるものの象徴なのだ。

ギタアを持って、
ふかふかと歌う。
文明の中で、
生まれた子の、
眼の中に落ちた世界。
君は本当は満ちゆくものの代表であろう。


春と食欲

  織田和彦



春の中で眠っているものは
悲しい想いなのです
どうにかこうにか
空に登ってゆく自転車
ギコギコと
悲しみばかりが満ちてゆく頃
人間は静かに死ねる

氷砂糖のような個体の優しさや騒々しさ
その弾き出された言葉は
弾丸のように隣人を撃ち
社会に字板のペンキでルサンチマンと落書きされるのです

人間の根っこを引っ張り
やがて膨らみもつれたものが頭部と呼ばれるものになり
ビルとビルの隙間で
ネクタイを締め
電卓の中の数字を覗き込んでいる人種が
サラリーマンと呼ばれた時代
春は朽ちてゆくだけ
自らも不幸を製造する工場となるのです

妬み深く
犬の遠吠えのように白々と開けていくのが都会の夜
ゴミを漁っているカラスは
深く繋がれた業のように
希望とも絶望ともつかぬ嘴を持っている
人間が捨てたものによって繋がっている命を目の前で見る悍ましさ
あの黒い鳥は
羽の先の一枚一枚までが人間のゴミでできているのさ

だからあんなに艶っぽく黒い色をしているのかい?
いや違うね
ゴミが甘いだの旨いだのと誂う前に
食べることを止められない成れの果てが
ぼくらだってことさ


脱皮

  織田和彦




HONDAのオデッセイの後部座席で
ブタは酷く退屈していた
短い足を組み
ボテ腹の上で
指を組む

彼は失望していたのだ
ガイドブックに載っていた○○○はすでに廃墟と化し
○○自殺した庭鳥の群れが
LANケーブルの中に半分以上剥き出しになったまま抱卵し
突っ込まれている

おまけにそこは
帰化申請した○鮮○人達の巣窟になっていたのだ
これではこの界隈で顔のきくブタとて
○○○○する術も気にもなれないのだ

ところでブタは藤代物産の山下と馬淵に会う約束をしていたのだが
山下の○○が○○したため
馬淵と○○になってしまったのだ
その上やっかいなことに
○○ときている
この調子ではいくらなんでもブタも(´・_・`)なのだが

文明の創世以来
人々はブタのことを
その物珍しさから修正主義だとか性的倒錯者だとか
諸技芸のあいだを架橋する
独創的な方法で呼んできたが
ブタにはある種の
魔力的な仮面に似せられた悪魔が入り込んでいたのだ

それが21世紀には
モラトリアムや引きこもりやアスペルガーなどと呼ばれたが
それは事実ではない
ブタは国道1号線沿いのガストに車を停めさせた
弾けた調子でブタはオデッセイから降りると
非の打ち所のない仕草でタバコに火を点け
すぐさま揉み消した

ちぇっ!

舌打ちしたブタは
運転席の庭鳥の鶏冠を引っ掴み
こう言った

「○○!」

ブタにとって○○は○○意味し
それはブタのような野卑な○○にとってさえ
必要最低限な

○○○であるのだ

人間の惨さ
苦しみ
死や孤独の内に存在する
哲学的な情熱の恍惚と興奮とでも呼べばよいだろうか?

ブタの体を人間のフォークで突き抜けば
それはただの肉だ
肉が歴史や哲学のように
インターネット回線の中を通り抜けられる筈もない
希望を敗北させた資本主義の擬態と民主主義の脱皮
歴史とは事故なのか事件なのか
あるいは何らかの申告漏れなのか・・・
ブタはオデッセイの助手席でバックミラー越しに脱皮していた
生春巻きの中に
右足を突っ込みながら


近江舞子 草津 N市のO病院とヘンドリック

  織田和彦





湖西道路を京都から湖北に向って車を走らせた。近江舞子には海水浴場がある。ぼくらはザ・グラン・リゾート近江舞子という会員制リゾートクラブのホテルに来ていた。ヘンドリックとぼくはロビーにどっかり座り、8時に朝食を食べて出てきたばかりで、まだ朝の10時過ぎだというのに、もう腹が減ったなどといって中華丼を頼んで食べていたのだ。麻衣子は呆れてぼくらを見ていたが、彼女はホットコーヒーを頼んだ。

ロビーから海水浴場が見え、平日だが夏休みの子供たちを連れた家族が散見できた。8月に入ったばかりなのに、もう秋を思わせる鱗雲が快晴の真っ青な空を覆っていた。ヘンドリックがオークラという会員制リゾートクラブを経営する会社と会員契約を結んだのは去年のことだ、麻衣子とぼくはヤケに羽振りのよくなったヘンドリックを少し怪しみもしたが、女の子にちょっかいを出して痛い目に合うことがあっても、会社の金に手をつけるなど、お巡りさんのやっかいになるようなことはだけはしないと信じていたのだ。

明日はぼくらも仕事だし、今日はホテルももう満席だ。宿泊はしないが、ヘンドリックは部屋を見たいとレセプションの従業員の女の子に声を掛けた。3階に特別な部屋があり、MJのアルファベットで始まる会員番号の客だけが泊まれる特別な部屋がある。ホテルの女の子は最初はやや訝しげな様子でぼくたちを見ていたが、ヘンドリックの陽気なキャラクターに開放されたのか、訊いてもいない場所まで案内してくれた。ぼくと麻衣子とヘンドリックが一緒に暮らし始めて3年目になる。時間が合えばぼくらはあちこち出掛けた。

草津市立水生植物公園みずの森、近江舞子から161号線を南へ下って近江大橋を渡る。ヘンドリックは車を運転できないのでぼくか麻衣子が運転する。カーナビは一応ついているが古いタイプなので地図上に表記されない場所がある。そんな時。最近スマホを買って操作を憶えたヘンドリックが助手席から、覚束ない指先でスマホを弄りながらなが、烏丸半島前の信号を右、右だよ!何してんだよ!おまえ!だいたい、運転できないくせに、偉そうに言うな!歩いて帰るよ降ろしてくれ!お前の運転なんか危なくて命がいくつあっても足りないんだよ、ボケェ

ヘンドリックは我儘だ。

だが麻衣子とぼくが世間から彼を匿いながら暮らすことにはとても大きな意味があった。ヘンドリックには2つ違いの妹がおり、O病院に入院している。O病院とはN市のサナトリウムに隣接する国指定の難病患者ばかり集めた病院だ。ぼくらは週に1度彼女の見舞いに行くが、他の患者に見舞いの客人が訪れることはまずない。彼らは皆、国からも、家族からも見放された人々だ。そしてヘンドリックも本来ならばO病院に入院し、あるいは隔離されるべき難病患者のひとりであるのだ。

釣りがしたいというヘンドリック。その日ぼくらは湖岸緑地へ車を滑り込ませ、ベイトリールを藻ばかりが深い琵琶湖に遠投するヘンドリックを日が暮れるまで飽かずに見守ったのだ。


ロープと完璧な列

  織田和彦



真夜中の0時に
セルフのガソリンスタンドで
車の給油口に
ホースを突っ込んでいる人を見ていた

斜め向かいのローソンで
金髪に髪を染めた少年たちがたむろする
真夜中の307号線

ぼくはポケットに手を突っ込んで
マルボロに火を点けた

3日ぶりの煙草に頭がクラクラする
パッケージに見つめる
8ミリグラムの表示

若くて金が無く
行き場所が無かった頃

思いつめてよく夜の街に出た
田んぼの中に
コンビニの明かりしかない
田舎の街だ

犬のように信号のない道路を渡り
壊れかかった心が
胸からこぼれおちてしまわないよう
時々心臓を押さえた

10キロでも20キロでも歩いた
知り尽くした街の
何度も歩いた場所をぐるぐると

今はもう
同じことはできない
20年前に抱えた絶望は
ぼくの体の一部となり
新たな希望を産んだ

途絶えたDNAの一部は
まだ過去に生きている

まるで人生の修理屋さんのように
様々なパーツを抱えながら
こっちを見ている


つり革と病院

  織田和彦



ペンギンみたいに
体を凍てつかせながら
通勤電車に乗っている
つり革の輪っか
まるで手錠みたいだ
一度そこに首が通らないか
試してみたことがある
猫じゃあるまいし
通るわけもなく
誰が触ったかしれないあの輪っか
汚ねえったら
ありゃしない
あんなもん
公共の場所にぶら下げて置くんじゃねぇ

仕事だの労働だのが
鬱陶しい朝
会社じゃ真面目で通っている部長さんが
女の子のスカートの中に手を入れた
満員の電車じゃ
間の悪い場合もあるし
部の悪い場合だってある
女の子のスカート丈だって
太腿の半端なく上の方だ

人生とは恐ろしいもので
行き着く場所は必ず墓場
生まれた場所も必ず母さんの腹の中
大概どちらも病院を経由する

「人はどこから来てどこへ行くのか」

そいつはとっくに答えの出た愚問で
人は病院から来て病院へ行くのだ
このあまりに実存的すぎる答えに
眉をひそめた貴方
社会主義革命を成し遂げたキューバでは
医療費はとっくに無料なのだ

ぼくらが子どもの頃から
馴染んできた日本の文化は
限りなく同調圧力の高い社会で
他人と違うことを
「落ちこぼれ」だとか
「浮きこぼれ」だとか言っていた

仲間に対する責任を全うすること
それが生活の100パーセントになったら
そいつはもう
立派な全体主義社会だ
ムッソリーニも
ヒットラーもいないファシズム
独裁者はぼくらの頭の中に存在する

幻想の国
ニッポンだ


ラフ・テフ/ヘンドリック=世界の秘密

  織田和彦

「アフリカの匂いがする」
http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/133.html#20080603_533_2806p

「ヘンドリックのいた夏」
http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/215.html#msg4310

「ラフ・テフの切符」
http://bungoku.jp/monthly/?date=200602#a04

= ===== ======= ====== =

タバコを燻らしながら
食事をしていた
テラスに通じる掃き出しの広い窓から
朝陽が差し込む
麻衣子はバイキング形式のホテルの朝食を
トレイに乗せ
テーブルについた
そしてぼくに
昨晩はよく眠れたかどうかたずねた

直射する太陽のお蔭で
麻衣子の表情がよく見えた

   ∞   ∞

長い廊下を渡り階段を通る
トップライトから陽の差し込む
とても大きな部屋に入った

荒縄でぐるぐる巻きにされた
ダチョウとヘンドリックが横たわる
弁護士が
係争中の裁判は
11月の会期もって終る筈だといった

ヘンドリックはぼくの顔をギュッと睨んで
人権侵害もいいところだ!と憤慨した
入り口にいる憲兵が
ぼくらの方を眠たげに見た

この国はどうかしてる

ダチョウは新聞の差し入れをぼくに頼んだ
アラビア語の新聞がいい
ダチョウに葉巻を渡し
火をつけてやると

いや
やっぱ新聞はいい
面倒だからな

俺たちの仕事(事件)は大々的に出ているかい?
役人と財閥が癒着しているこの国じゃ
俺たちのような英雄は
いつも泥棒扱いさ!

吐き捨てるようにダチョウはいった

ダチョウさん
私たちのヘンドリックをもうこれ以上変なことに巻き込まないでくれる?

ワタシたち?
きみらもひょっとしてこいつらのまわし者か
ダチョウは訝しげに憲兵の方を見つめた

ねぇお願いだからもうヘンドリックは解放してあげて
馬鹿なことを言うなよ
ダチョウは麻衣子を睨んだ

部屋の隅で二台のスタンド型の大きな工場扇がブンっと唸りを上げて回る

ヘンドリックはぼくらの顔を見て安心したのか
鼻くそをほじりながらグゥーグゥー寝ている

  ∞   ∞

守衛がぼくらを見送り
差し入れを約束したダチョウと
ヘンドリックに別れを告げ
黄昏がおりてきた
刑務所をあとにする
    
  ∞  ∞

海岸を散歩しない?
海岸線の丘陵地帯に立地するホテルから歩いて10分
ダチョウの弁護士からの手紙を
麻衣子はぼくに手渡した
ダチョウは看守から手酷いリンチを受け
別の刑務所に移送されたこと
ヘンドリックは素行不良で
独房に移された事が書かれた手紙だ

ヘンドリックは
他の囚人と折り合いが合わず
すぐにトラブルを起こすらしい
浜の砂の熱くなりすぎ太陽
規則的に脈打つ海鳴り

ぼくたちの前を
数人のアラビア人たちが取り囲んだ

背中に撃鉄をくらい
目の前が暗くなった瞬間
ぼくはラフ・テフに居た

どこか
とてつもなく遠い国の
海辺に建つ
芝生のある大きな建造施設の中庭

テリア犬やシャム猫や 
オウムやトカゲやシャチなんかが居たりして
ハンバーガーやピザや 
チキンナゲットといったジャンク系の食べ物を
ひたすらパクパクと両手で口にしている

ぼくは彼らの中にヘンドリックがいないか探した
麻衣子はまたテリア犬に姿を変えられたのだろうか?
ぼくは中庭から動物たちの間をすり抜け
施設の中央を目指した

海の匂いのするテラスの
吹き抜けの大きな螺旋階段から
ひょこひょこと降りてきた
一匹の
サングラス掛けた大柄なカンガルーが
ポケットから葉巻を取り出し
ぼくにすすめた

カンガルーはサングラスの奥でニヒルに笑みを浮かべぼくに言った
警戒線を突破するのは
昔から死刑囚と決まっているんだがねぇ


 


しゃべるオレンジとウサギの女

  織田和彦





ここに死体を置いていこうと
カンガルーは言った
ウサギの女は死体に毛布を被せ
手を合わせた
何してる
グズグズするな!
カンガルーは中指でレイバンのサングラスを押し上げ
ポケットから煙草を取り出し
忙しなく
ウサギの女を叱責した

サングラスの奥で
目撃者が誰もいないことを確かめると
カンガルーはジープ・チェロキーにウサギの女を押し込み
電気にでも触れたかのように
車を出発させた

  ∞    ∞

てめぇ
気が変になっちったのかよ!
カンガルーの兄はカンガルーの弟を怒鳴った

ダチョウとクマを同時に殺っちまったんて!

カンガルーの兄は小刻みに
少し震えているように見えた
ウサギの女はハイヒールを脱ぎ
ソファーの上に素足を投げ出した

   ∞        ∞

ぼくはカンガルーから用意された
白い漆喰い仕上げの
まだらに剥げた壁の
開きドアの
一番下の丁番が
完全にへしゃげて壊れしまっている
ビス類の散乱した小さな
とても
とても小さな部屋と
簡易式ベットをあてがわれ
しゃべるオレンジという名の男と一緒に押し込まれた

しかししゃべるオレンジとは名ばかりで
彼はとても無口だった
しゃべるオレンジは
スプリングの壊れた
簡易式ベットの脇にある
サイドテーブルで
どこで手に入れてきたか知れない
ラム酒にオレンジを絞り込んで入れていた

彼のポケットに
アーミーナイフがチラリと見えた
ぼくはこの隣人に一抹の不安を感じ
その焦りを紛らわせるために声を掛けた

そのカクテルはなんていうんだい?
できるだけ
陽気で
そしてフレンドリーな調子で

しゃべるオレンジはぼくの方をギトリと睨むばかりで
ラム酒をちびりちびりと舐め始めた
やがてしゃべるオレンジはアルコールが回ってきたのか
ベットにその巨体を横たえると
地鳴りのようなイビキをかき始めた

    ∞   ∞

ぼくはしゃべるオレンジのポケットに手を突っ込み
アーミーナイフを盗むと
部屋をでた
あの調子でイビキをかかれたんじゃ
とても寝つけやしない

ラフ・テフの
巨大な施設は
おそらく著名な建築家の手になるものらしく
様々な
実験的なとも言える空間の配置がされているようだった
しばしば
自分がどこに居るかを見失い
出口に近づいたかと思えば
元の場所に戻った

ぼくはその夜
麻衣子とヘンドリックを探すことを諦め
しゃべるオレンジの
大イビキのきこえる部屋に戻った

暗闇の中に
誰かがいるのが見えた
白くてモコモコとしたものが動く・・

赤い目をした女が
月明かりの中
窓辺の下でぼくの方をじっと見ているのがわかった

  ∞    ∞

君は誰だい?
ウサギの女よ
ここじゃみんなにそう呼ばれてるわ

しゃべるオレンジがもんどりを打つような
寝返りをする

しゃべるオレンジの仲間か?
馬鹿ね
カンガルーのこれか?
ぼくは小指を立てた
馬鹿ね

女と見れば誰かの愛人
馬鹿ね
あたしはウサギの女
あなたは確か・・
クマの人とここへ来たのね
ヘンドリックのことかい?
ヘンドリックはどこさ?
麻衣子は!?

いっぺんに質問しないでちょうだい
せっかちな人ね
ウサギの女はまるで遊郭の花魁のように
スプリングのハジけたベットの上で
艶っぽく足を組み替えた

あたし
クマの人とここへ来た人
初めて見たの
だからあなたに興味が沸くの
だけど言っておくわ
クマの人はカンガルーの弟が拳銃で撃ったわ
あなたの知り合いかどうかはわからないけど
ダチョウと一緒のところを
ラフ・テフの砂漠で撃ち殺したの

あれはラフ・テフで行われた最初の殺人よ

あたしってばさ
全部見ちゃったのよ
そういうと
ウサギの女はさめざめと泣き出した
ウサギの女の目は
みるみるうちに異様なまで赤みを帯び
ぼくはしゃべるオレンジの大きな後頭部を
ただじっと見つめている他なかった


  織田和彦






ひどく気分が折れ曲がっていた
一日中
言葉という言葉が俺の中を通り抜けていくが
残るものは一語もない
体中がふわふわして
生きている感じがしない
とても不快だ
「掴め!」
と頭の中で鋭く刺すような声がするが
何をどう掴めばよいかわからない
とうとう俺も迷子になってしまったのか?
フロイトやユングが無意識と呼んだ
あの深い森の中へ
俺も絡め取られてしまったのか?

何が起きたのか?
病棟で魚たちが手厚い看護を受けている
見れば俺も魚の体をしている
鰓と鱗でパサパサしている
水が欲しくて看護士を呼んだが
口はパクパクし
泡が出るばかり
となりのアンコウに話しかけてみる

「気分はどうだい?」

アンコウはバカにされたと思ったのか
憤慨してこういった

「見ての通りだよ!」

見ての通りか・・
となりで見ていてもあまり状態はよくなさそうだ
しかし人の心配もしていられない
この場合
魚か・・
俺はベットの上が苦しくなり
思い切り背を反らせた
そしてジャンプ
頭が天井に届きそうだった
あるいは思い切りぶつけたのかもしれない

俺はまな板の上にいて
にんにくの臭いを思いきり嗅いだ
どうやらここは中華料理店の厨房らしい
すると隣にある包丁は俺を捌くためのものか?
待て・・
その前に
横っちょにある玉葱がグルグル剥かれるかもしれない
魚と野菜
種族は違うが俺は玉葱に同情を寄せていた
玉葱と魚がまな板の上に乗っかってるなんて
人間にしたら素晴らしい眺めだろう
ましてやここは優秀な料理人が揃った有名な中華料理店だ
よく整理整頓されたこの厨房を見ればわかる

俺は息が上手くできていることに気がついた
病棟にいたときは酷く喉が渇いたが
今は違う
少し首筋の辺りから背中にかけて寒く
厚手のコートが欲しい
できればカシミヤのパリッとしたやつだ
そう思うと同時に俺は体をまな板の上を滑らせるようにして
思いきり捻った
玉葱に肋骨を思いきり打ったような気がする

ここはどこだ?
どこからか声がした
君はいま言語学者のノートの中にいる
つまり君はとうとう言葉になったのだよ
おめでとう

バカ云え
俺はさっきまで魚で
中華料理店の厨房で捌かれそうになってたんだ

そう
君は「魚」という言葉になったのだよ
気分はどうだ?
今日から君の意味は
この辞書が全部保証してくれる
安心しろ
この辞書の持ち主も非常に頼りになる言語学者だ
彼らのような人間によって君たちの生命は
100年先まで守られる
OK?
わかったらそのノートの中で大人しくしてるんだ

俺は隣にある
机の上の言語学者が使用しているらしい
擦り切れた辞書を横目で見た
さっきまな板の上でぶつけた
肋骨がジンジン痛む
俺はそっと手を伸ばし
「玉葱」という字を探した


映画館

  織田和彦




トカゲはフリードリンクの
オレンジジュースにストローを突っ込んだ

駅から遠く
海に近い
このファミレスでトカゲはオニオングラタンスープをすすりながら
同時にオレンジジュースのストローに手をのばした

女が
さっきから
お天気のこととか
乗り物の揺れ具合いだとか
くだらないことばかりを話している

4年前だ
トカゲは女と結婚した後
インド大使館近くのマンションで生活をはじめ
小市民的な生活を築き上げてきたわけだが
ここにきて
仕事上のトラブルを抱え
女に言えないまま休日を過ごすことになったわけだ


そうだ
観たい映画あったの
アメリカ映画か?
ハリウッド映画だよ
ハリウッドはアメリカだろ
そうなの?
そうだろ?
とにかく評判のラブコメディーなの
タイトルは?
"パワハラ上司とうまくやる25の方法"っていうの
どう?
内容はラブコメディーなのか?
そうだよ
お前ラブコメディーの意味知ってるのかよ!
あなた時々あたしを馬鹿にするでしょう?
・・・
じゃ決まりね

トカゲは映画のスクリーンを眺めながらポップコーンに手を突っ込み
オレンジジュースをすすり上げた
女の顔を横目で見ると
肩をゆすり
ケタケタと大きな声をあげて笑うその目尻のシワが
ずいぶん増えたな思う

面白いか?

トカゲが女にそう訊くと
聞こえたのか聞こえないのか女はトカゲに一瞥をくれると
またケタケタと笑った

よく笑うやつだ
トカゲは心の中で不可思議な安堵感をおぼえた
そしてポップコーンに手を突っ込み
オレンジジュースを氷ごと思い切りすすり上げ
トカゲもケタケタと笑った

女の顔をまたこっそりと横目で見ると
目尻のシワに
一雫の涙がこぼれ落ちていた


キャバクラの女

  尾田和彦(←織田)






12月の暮れに
俺はミナミの立ち飲み屋で小便みたいなビールを飲んでいた
もしそれが確実だというならば
金曜日の夜に
その悲劇が
何もかもを台無しにする筈だ
よいだろうか?
他人も自分と同じような憂鬱な気分に引きずりこみたければ
これだけを憶えておけばよい

開けっ放し便所の壁の落書き
壁紙の剥がれ落ちたリビング
幅木の引きはがされた床板
空き家となって
廃墟と化する住宅地の雑草の中で生まれる野良猫
日本の貧民街で
産声をあげたばかりの赤ん坊が母親に殺される
本当だ

俺は低い声でしゃべり続けた
今年のタイガースの新人がどうだとか
シーバス釣りが趣味の上司の話だとか
事務のあの子は俺のタイプじゃないが嫁にするなら多分良いだろうとか
酒場の時計が4時をさすころ
俺はキャバクラの女を抱いていた

日本橋にあるブレンダというラブホで
干しぶどうのような彼女の乳房を揉んだりしゃぶったり
年増の女の性欲には死の影が常に漂う
まるで井戸の奥深くから
薄くなった水を
滑車でタライに汲み上げるように俺たちは急き立てられるように貪った
おそらく
互いの体の中からは何も出てきやしないし奪えない
最早快楽すらもない

人間の社会から
堂々と正義を奪ったものたちがいる
君と俺とが
同じ時代に居並んで
ベットサイドのテーブルに腰を掛け
気怠く女がブラのホックを留めながら言った
きっと私たちも
もっとずっと前に滅んでもおかしくはなかったのよ
最後の希望を失った人間も
セックスとかするのかしら?


裂け目

  尾田和彦


怒りのあまり
首の上に乗っかってる
頭が
今にも吹き飛びそうだった

苦痛というものは
人間を
深く地中に封じ込めておくものだ

うつぶせになったヘンドリックは
朝から熱し始めた太陽の光に晒され
砂を掴み
ヒリヒリと肩と背を焼かれ
海水の塩水に浸された顔は真っ赤になっていた

海辺のホテルに
男から電話がかかってきた
ヘンドリックは我々の捕虜になった
今から
九日間のうちに身代金を用意できなければ容赦はしない
男は低い声で言った
ヘンドリックはお前の分身だ
そいつを見捨てておくことは
どういうことか
お前が一番知っているだろう

あの感覚がまた戻ってきた
衰弱からくる恐怖
体の中から気力が失われ
生きることへの希望と信念が
やがて苦しみに変わる
ココ椰子の葉陰
遠くの海の匂い
生暖かい啓示

地面にカービン銃を下した兵士がぼくを見つめていた
鉄線の向こう側に
一匹の図体のでかいクマを運んだ
名前はヘンドリックだ
兵士は澄んだまなざしでぼくを見つめた

今は浜でグッタリしていることだろう
でっち上げられた現実が
また違う方向に向かい始めている
太陽は無関心さの象徴として空に張りつき
ぼくはカービン銃の兵士と
浜辺でリンチされている図体のでかいクマの話をしている


果てなき旅

  尾田和彦




その男は
全く欲ばかりで
気味の悪いことには
自分が正しいという話ばかりをしている
人を非難する言葉で
自分を正しいと言っている

怠け者か
世間知らずか
人食い人種か
眠ったまま
とうとう起きない
陽気なモラトリアムか
泥棒か

カーブミラーの
向こう側に広がってる
豊岡の日本海を見下ろすことができる
断崖の展望台
ぼくらは車を停めて
外国人と
学生さんのグループに紛れて写真を撮った
母さんが
ぼくと父さんに言った
3人での旅行は
これが生涯で最期かもね

マリンワールドがとても小さく見える
良く晴れた日の
ゴールデンウィークだが
シャツ一枚の薄着じゃ
ちと寒い
風が強いので
帽子が飛ばされそうになる

地上に人が誕生したとき
神様たちは
示し合わせたように
果てない旅を
人間に与えたに違いない
ぼくは尽きないものを願い
デジカメのシャッターを切った
カメラのレンズに
沈む景色
愛を結べなかった者たちの景色が
5月をうつす

人食い人種も
陽気なモラトリアムも
泥棒たちも
ひしめく夜の
星たちも
船荷の倉庫をいっぱいにし
やがて銀河にばら蒔く時を夢見てる

たかだか人間の感情などで
燃やせるものを世界と呼んだ傲慢と不遜とを
信じるか
愛せるか 


夕陽の沈む向こう側

  尾田和彦




賭け(人生)に負けたやつだけが知っている
俺は町の灯りを見上げた
煙草の煙が
因縁に変わる
逃れられやしない宿業
道頓堀に雨が降る
赤い傘のカップルを
黒塗りの個人タクシーが
次々と落としていく
まるで戦場の
最前線に落とされていく落下傘部隊のように
欲望の町
何万人という人間が
突き落とされただろうその場所に
お前もまたポケットに
ちっぽけな(ふくらみ)思い出さえ持たずに
「行ってくる」と言った朝に帰れないでいるのさ

世界中の時間は少しずつ狂い
やがてパリと東京の時計は子午線の上で衝突するだろう
俺たちは昔のまんま無名で
ひとりの女と人生を愛する他に何も所有はしない
愛をねじ込んだ水道栓から
欲しいだけ出す
可笑しな男と暮らしたもんだと明美は言った
俺のトランプは53枚
全部スペードにかえてある
理由は簡単だ
カードはくらないで済むし
いかさまも防げる

破産したり自殺したり
友達はみんな不幸になったが
俺は死神の待ち伏せを知っていた
夜の町には
死神がわんさといる
人間の姿をして
君の隣に
偶然を装って今日もいるのさ
馬鹿なやつさ
死神を恋人にして
ラブホで一晩中ってやつもいる
愛か情か知らねぇよ
憧れってやつかもしれない
翌日にはすっかりと精気を抜かれちゃって
三か月後に
癌を宣告された友達もいる

賭け(人生)に負けたやつだけが知っている
シャンパンの
よく回った頭で考えてみな
金もない
地位もなく
唄もない
あるのは命きり
たった一つの
命だけ
負け続けて遺されたのは
命だけ


サボテンと砂袋たち

  尾田和彦





仕事帰りにはいつもコンビニに寄る
たいていは
駅の近くにあるサークルKだが
サントリーのウォッカと明治のチョコレートを買い
帰りの電車を待つ何分かの間に
ストレスで固まった神経をアルコールと糖分で和らげるためだ

重たい砂袋のようになった体のどこかに
まるで
経年劣化できた
穴でも開いているようだった
反対側のホームのサラリーマンも
虚空をみつめながら
同様の思いでいるらしい
この島の人間は
働くことが好きなんだろう

あいた穴からポタポタと零れるのものを
愛おしんでいるのだ
砂袋の中にできた生傷を
愛でているのだ
でなきゃこんな自虐的な生活のどこに
使命を抱くことなんかできるだろうか
ぼくはこの運命共同体の中に隠された哲学と理念に
人々が繋がっているとは思えなくなっていた

つまり都会は調子の狂った時計を回し続け
鉄とプラスティックの歯車の中に生物と無機物を同時に閉じ込める
牢獄かブラックホールのようなものになり下がり
そしてサボテンたちが血を滲ませながら歌う唄をも飲み込んでいくのだ
満員電車の中に詰め込まれた砂袋たちがつり革につかまって吐き出している泥土が唯一
思考を止めてしまった人間から吐き出された思考なのだ

隣の砂袋がぼくに話しかけてきた
ギリシャと中国のせいで
大損さ
ぼくは肩をすくめてウォッカとミルクチョコレートを口に含ませた
この島では
市場はもっとも信仰を集める宗教だ
神の値打ちを値踏みする砂袋たちも
ホームの縁を千鳥になって歩くサボテンも
JRの動く宗教施設に乗り込むと
まるで記憶を遡るように
都会の中心へ戻っていった

砂袋をナイフで切り裂くと
ギリシャの空とミルク色のチョコレートが
プラスティック製の時間とサボテンたちを乗せて
大阪の駅をすでに発射していた


ヘンドリックと青い空

  尾田和彦



湿気を含み
じりじりと指先に迫る煙草の火のような不快な暑さが
ぼくたちのクーラーのぶっ壊れた車内を
熱によって歪ませていた

「この夏の異常な暑さ」

ラジオの気象予報が繰り返し注意を呼び掛けていた

高速道路は帰省者たちの車で埋まり
ちょっと近所に遊びに行くだけの
ぼくらの時間まで奪っていく
その暴力的な非論理によって

都市的な風景を
ひそやかな不安によって
重層的かつ無根拠な宙吊り状態に置き
そしてそれによってぼくらは車内から真っ青な空と


どこまでも膨らんでいく入道雲を見上げながら
昼食までの憂鬱な時間を過ごさなければいけなかったのだ

この種のトランジット状態を密室で味わう羽目になるのが
ぼくたちが未だ構造さえ描くことのできない都市の姿なのだ

明美とぼくとヘンドリックは
高速を降り下道を走った
ヘンドリックは憤慨して云った
これじゃ2時まで昼飯にありつけないな
お前が高速に乗るって言い出したからいけないんだろ?
バカ言え!俺のせいか?
なんでこんなバカみたいに車ばっかなんだよ!
お盆だからよ
明美が優しく云った
お盆だからな

盆だからなんだって云うんだよ!
ぼくらはあまりにもうるさくヘンドリックが騒ぎ立てるので
近くのセブンイレブンでコーヒーでも飲むことにしたのだ
セブンイレブンの駐車場もすでに一杯だった
ぼくらは2メートルほどあるブロック塀ぎりぎりの端っこに車をとめ
ヘンドリックにアイスコーヒーを買ってやる約束をして
明美とぼくは店に向かった
車の窓
あけてきた?
ああ
全部全開にしてきたよ
じゃなきゃ
ヘンドリック
ぼくらが帰ってくるころには干からびて死んでるよ
ホントね
おバカなクマさんだから

明美はぼくをそそのかしてきた
ねえ
そろそろヘンドリックを手放さない?
手放すってどういうことさ
動物園とか?
ほら・・
ほらって
彼にふさわしい場所
きっとあると思うのよ

最初は冷たい女だと
ぼくは明美を疑いかけていたが
彼女は真剣にヘンドリックのことを
考えていたのだ
そうだ
ヘンドリックを甘やかし
彼をちゃんと自立させてやれないのは
ぼくのやり方が間違ってるからじゃないか?
ぼくらはポテトとピーナッツとコーヒーを買い
車に戻った
ヘンドリックは助手席を倒し
ダッシュボードに足をかけ
グーグーとイビキをかいて寝ていた
呆れた
よくこんな暑いところで寝れるもんよね
どこでも寝れるのがこいつの唯一の特技だからね

どこまでもモクモクと膨らんでいく入道雲
太陽と青い空
ぼくは明美に云った
目的地
変更するか?
どこに?

さあね
動物園とか


マチ子とブタと病室で

  尾田和彦



ジプトーンの天井を見つめながら
病院のベットに横たわったブタは云った
俺には心臓が無いんだよ


看護師のマチ子はブタの脈をとった
どういうわけかしらね?
ブタはもう一度云った
俺には心臓が無いんだ


ブタの白くて柔らかい肌には黒い斑点がいくつもあった
ついでに云っとくが
俺には血管もない
採血しようたって無駄だぜ
看護師はなにかというと血をとりたがる
俺には流れる血もない

マチ子はメディカルバックを窓際にやった
ブタ君
怒らないできいてくれる?
君はもう死んでるわ
残念だけど・・

ブタは錯視の眼でレモンに齧りついた
孤島の村の
病室の窓からは
白い浜辺が見える
バカ言うな
俺は生きてる

何なら今ここでお前を抱いてやったっていい
警察呼ぶわよ
死体を逮捕する警察なんているかよ
あなた
気分を害するかもしれないけど
人間の世界ではあなたのことを
「死」と呼ぶの

ブタはマチ子の唇をふさいだ
ブラのフロントホックを左手で弾くと
ブタはマチ子の上にのしかかった

雲が
動いていた
真っ青な
空の
8月の入道雲が
病院の窓から
見えた

心臓の無いブタの
ブヒブヒいう啼き声と
すすり泣くような女の声が
ミンミンゼミの鳴く声が
アブラゼミの声が
ブタの泣く声と
女の鳴く声

そして時々
女は
愛してると云った

死んでるワ あの人
マチ子は漆喰の板壁に背をつけ
驚いたような顔をしている
ブタはたった今
死んだよ

警察の人がきて
脈を診ていった

ブタから流れた血は
一滴もなかったって
警察のひとが
ちゃんと 云ってたよ
マチ子は漆喰の板壁に背をつけ
驚いたような顔をして

警察の人がきて
あの人が云ったように
あたしたち
最期まで
逮捕もされなかったわ


裏側

  尾田和彦




透明な午後を開いていく
アコーディオンカーテンのような
週末の白昼夢を(イオンのショッピングモール)に
隙間なく分け入る人々の足を
横断歩道を
宮崎県道10号線を
ぼくは鹿児島方面へ車を走らせる


都会も田舎も変わらない孤独を抱えている
ニンゲンという
この甘く鋭い
大根のような
ふくらみの中で
呼吸をしていると
ぼくは
「都会」や「田舎」といった概念も
ニンゲンが作り出した
やっかいな括りの一つだと知る


世界の歪みに
心が摩擦音を立てる

これはきっと
動物の鳴き声が
ニンゲンの言葉に変わった瞬間に違いない
日常とは言葉の生まれる瞬間なのだ
ぼくらはいつもその立会人だ


言葉とは
憎しみの唄
摩擦音なのだ
優しさを踏みにじる
傷跡なのだ


ウィンカーの
チッカ チッカ チッカと鳴る音
ハンドルを切ると町並みは一転
山の景色に変わる
田んぼや畑や整備不足の農道を
車をボンボンを跳ね上げながら走る


絶え間なく生産される命
待てよ



ぼくらは
死後の世界にいるのかもしれない
ここはきっと
裏町の表側なのだ


車の中で
ぼくは存在に触れる

世界の仕組みの中に入り込む


直ちに秩序は意味を亡くす
夏の虫は力尽きて鳴き声を失う
車体を突き抜ける音は
表側の世界の人々の声だ
セミの抜け殻は始点の場所を示す

ここは意識の裏側


光と目の邂逅は
隙間だらけのフェルトの様だ
風も光の音も匂いも抜けていく
人間の命を抜けていくのだ
ハイウェイの様に
高速でビュンビュンと
魚のように背鰭を揺らしながら
前進をし続けるのだ

ニンゲンはビルディングの隙間で肩寄せあいながら
または畑の中のビニールハウスで
星図の中に示される宇宙のように
後景に遠ざかる

「この町ではね
変死体が多く出るって
有名でね」



助手席の同僚がぼくの耳元に囁いた
「田舎」へ行くほど
死の匂いが強くなる
都会ではそれが芳香剤と化学物質の放散によって消し去られ
死は悪となり
狂気は正気の世界に取り込まれる
狂った集団が朝陽の中ビルディングに飲み込まれていくのだ

畑仕事をしている農夫の指先は
土の裏側に表の世界の営みを感じているのだろうか?

通学路を
スカートの裾を翻しながら
自転車を漕ぎいだす女子学生
下着が丸見えになっているが
それは都会の配列とは違った意味の体系であり
ぼくらは新しい記号の乱立に
失った世界の
何分何十秒後に居るのかを知るのだ
君が今イオンの食品売り場で買い物カゴに野菜を放り込んでいる間にも
残された時間がニンゲンの血にしみこんでいくのだ


病みはじめた世界に癒すべき海がなく

  尾田和彦


http://toyokeizai.net/articles/-/166770

地中海に展開する
米海軍の2隻の駆逐艦から
59発のトマホークが
シリア政府軍基地へむけて発射された夜

世界の不幸が始まった
米国の狂気は今やむき出しになった
人間が滅びることは
悲しい出来事ではないが
一息で引き裂かれた正義には
ひと欠片の尊厳もなかった

ぼくらの都市が
何万
何十万年後かの
新しい生命たちによって
発見される日の為に
奏でたい唄がある

今やぼくらの思考形態や行動様式は
地中深くに発見される
骸化した古代人のそれだ
再び発見されることを待ち
ただ地中の奥深くに眠る
沈黙のそれだ

ある街に現れた商人が
こともあろうに
政治家になったわけさ
彼はテレビのリモコンをかえるみたいに
ミサイルのスイッチを押すことができた
忽ちのうちに暴力と憎悪が世界を覆った
亀裂は地球を真っ二つにし
宇宙を飲み込んだ

夜中に目が覚めると
ヘンドリックは冷蔵庫を開け
単板張りのフローリングをギシギシ軋ませ
サントリーの金麦RICH MALTのプルトップを起こす
グラスになみなみと注がれる黄金色の液体
何してるんだ!
こんな夜中にそんなもん飲むと
また肥るぞ!
せっかくダイエットが成功したばかりなのに…

バカ言え
今に世界もどうなっちまうかわかんない
ダイエットも糞もあるもんか!
俺は本能のままに生きるんだ!
ごくごくと
喉を鳴らしながらビールをあおるヘンドリック

昨日
米国がミサイルをぶっ放した
西部劇のガンマンよろしく「インディアン」にむけてさ
ロシアも黙っちゃいないだろう
プーチンだってとことん狂った男さ
中国のあの小太りの男はなんていうんだけ?
あいつが一番紳士にみえてくる
全くバカげた世界に居合わせたもんさ

しかし何時からヘンドリック
そんな政治に興味を持つようになったんだい
そういうと
すでに5本目にのプルトップに指をかけたヘンドリックが
ぼくを横目でにらみ

俺の姿を見ろよ
クマだ!
人間の世界で
クマの見た目で生きていく辛さが
お前にはわかんないのか!?
子供のころから差別を受けてきた俺が
政治に興味を持たないわけがないだろう

一瞬
それももっともな話だと思いかけたが
しかし
ヘンドリックはクマの姿でこの世界にやってきたのだろうか?
ぼくは彼の生い立ちについて
何も知らない事に気付いた
おい
ヘンドリック
ひとしきり管をまいた後
ヘンドリックはリビングのソファーで
グゥーグゥーと鼾をかき始めた



この島を昔は小鳥が訪ねて来たもんだ
もう飛んできそうな気配もない
千里の道をおれは証明にのためにやってきた…
国もない 水もない ・・・・・・・愛もない
               ―ウィスタン・ヒュー・オーデン―

世界の終わりについて
語るのが
わりと好きだった
子供頃から
終わりの話について
ロマンチックな気分を持っていた

人類の
最後の世紀に
ぼくは居合わせるつもりだった
というか
ぼくが死んだあとの世界を
信じることが
できずにいたんだ
言葉は人間の発明とされているが
言葉はまだ人間を発見していない

人が増えるたび
希望も一つ消えていく
一人の錯乱した男を
「神」と名付けた辺りから
歴史は怪しくなった
ゆえにデモクラシーもファシズムも同じ目的を有する
「悪」の排除
正義による支配
どちらも同じ人の好さげな顔で
ぼくらに近づいてくる


ヘンドリックと青い空

  尾田和彦



僕は窓から一匹ずつ振り落とされていく虫ケラを見ていた
まるで人間のように叫びながら
石畳の上に落ちて
潰れていく

何万匹といるだろう虫を
僕はマッチを擦りながら
もたれる壁に
映し出した

長すぎる影が
まるで海岸線のようにどこまでも続いていく


明け方に僕は
クマの背中を見ていた
そいつの名前は
ヘンドリック
12年前から
一緒に暮しているクマだ
人間で云えば
もう初老の歳
片目は緑内障で視力を失い
左ひざの関節を痛め
びっこを引く

ヘンドリック!

耳も遠くなり
食事もあんまり摂らなくなった
布団から出てこない日も
随分と多くなった


というものを
生命は運んでいる

ヘンドリックと差し向かい
エスプレッソの珈琲を飲んでいる時だ
彼は喘息のような苦しそうな声で
こう云った


もしもこの夢から覚めることができるのなら
俺はもう一度
クマの姿で
人間の社会で生まれたい
俺はこういう姿のせいで
随分
傷ついてきたりしたものだが
得たものも多い

なァ
君という友達や
この深い傷のせいで
感じられるものも
とても多いんだ

彼はまるで哲学者のような面持ちで
人生について語りだした

俺が生まれたとき
母親は俺を殺そうとしたらしい
生まれた瞬間
望まれなかったんだよ

生きるって
辛いよな
特に俺のような見た目じゃ
傷つかずにはいられない

2階の窓から
青い空が見えた


死ぬって悪くないね
俺のことは
もう思い出さなくてもいい
俺たちの思い出には
痛みしかないからな

そういうと
ヘンドリックは
随分と皺の増えた指先で
珈琲カップの縁をたたいた


境界線を爪弾く指先
青い空
ヘンドリックとの思い出
それは確かに
痛みを伴った記憶には違いない

でも
いったい何に
何について語り
触れてきたことなのかを
語りつくすことはできない
何故なら
ぼくらの世界は
不完全なまま
そこに存在し続け
どうやらこの遥かなる球体は

誰の願いも
届かない場所へと飛んでいくものらしい
それを理解したとき
人は泣いたのだ
まるで頭の先から血を抜かれるような強さで
狂おしい青空が

今日も真昼間から広がっていて
クマのヘンドリックと
珈琲カップと
エスプレッソと
指と世界と
それらを巡る僕らの世界を
回し続けているのだ


2017年5月4日GW抄

  尾田和彦


http://nonoyu.daa.jp/
少し眠っただろうか?
26歳のぼくは
真夏の新宿西早稲田の路上で
パニック発作を発症し
倒れていたのだ
狭い路地裏に体を押し込み
ぼくはこのまま
死んでいくのだと
目を閉じた
まるで生命を
閉じようとするかのように

42歳のぼくは
湯治場の温泉にいた
野乃湯温泉
目を閉じていた
露天風呂の外は
霧島の大自然が広がっている
生きているのか
死んでいるのか
感じている暇もないほど
深く
疲労していた

疲労は
世界を縮小させ
夢を見る力も失った
くたびれた中年
昨日
同僚と牟田町で飲んだ
アルコールがまだ少し残っている気がした
26歳のホステスの
吐息が
まだ耳元に残っている
あたし北郷の山生まれ
イノシシって
罠で獲るより
銃で殺した方が臭みがなくていいのよ
イノシシ
食べたことある?

タバコは吸わないの?
ううん吸わない
〇ンコなら咥えるよ
そういうこと言うなよ

まだ9時だもんね
そういう問題じゃなくてさ
淑女がそういうことを言うもんじゃない
失敗したな

歌手の
JUJUに似ている気がした
http://www.sonymusic.co.jp/artist/JUJU/
あるいは
それほど似ているってほどじゃないのかもしれない
他の客のテーブルのところへ行き
えんえんと下ネタを話題にしている彼女を見ていた
男たちはそれを聞いて
喜んでいるのだと
彼女は思っているのだろう

この日6件
クラブやキャバクラをはしごし
十数人くらいの女の子とお酒を飲み
お喋りしたが
どの子も饒舌だった
気に入られようとしているのか
仕事を全うしようとしているのか
傷を癒そうとしているのか
8割くらいがバツ付きの
シングルマザーだったような気がする
そして誰もが
不器用に生きているように見えた夜

その夜の街は
矛盾を抱え込んでいる
いや
人間を最後に救う
「希望」がそこには
あるのかもしれないナ
ぼくは良き洞察者ではない
単なる酔っ払いでもないさ
エゴを抱え込んだ
疲れたサラリーマンに過ぎない
だが彼女たちの良き話し相手になれただろうか?
一瞬でもそう思えたことに
良心の呵責に対する
慰めを感じているのだろうか
いや違うな

虚無に抵抗する
己の中の抗いを探しているのだ
単純に探している
探している
それが最も本質的な感覚だ

野乃湯温泉は霧島温泉郷の外れにある
丸尾交差点を折れ
山の中にむかっていくのだ
景色が段々良くなっていく
街にはない
風景が広がっていくのだ
つぶさに見れば
見慣れない動植物が見ることができるだろう
だが疲労を抱えた都会人が見るのは
そういったものじゃない

そういったものじゃない
見ることができるのは
力のあるものだけだ
己の内側と外側は
同じ質量でつながっている

わたし即世界
単純な理屈だ
わたしを「豊かに」すること以外に
方法はない
26歳の自我と
42歳の自我に隔たりはない

時間とは即いまの事だ
過去も未来もない空間の事を言うのだ
『思い出』というものほど残酷な概念はない
人間はそれに縛られ
そして苦悶する

そこから見えるものは死後のあなただ
野乃湯温泉の露天でぼくの背後から話しかけるものがいた
死んだあなたが100年分
あなたの中に存在している
過去は箱舟のようにあなたのエゴだけを乗せ
難破船のように漂うのだ


アフターマン

  尾田和彦





新聞紙の束に埋もれて眠る
バス停の前に立つ人々の群れ
中洲の路上には
生き埋めにされた感情が眠っている
到着したバスに乗り込む人々
バスに乗り遅れたぼく

生きていくという事は
隠すことだ
生き延びる為に
怖いほど奇麗な
秘密を抱いている人

人間とは
世界の終りを越境した集団だ
ターミナル駅の改札口
JRの地下鉄とは
世界の終りがあげた
弱々しい悲鳴の一つに過ぎない
例えば君の心を深く傷付けてしまう
人もまばらな海岸線
波打ち際を走る犬
ハイビスカスの花びらが
太陽と
恋人たちと
見つめあう
あの真っ白な砂浜の
オープンテラス席
心の傷とは
そんな砂浜の
痕跡の一つに過ぎない

新聞紙に埋もれて眠る
午前2時半
牟田町のホステスたちが
店から出てくる
金曜の夜の晩
土砂降りの雨の中
ぼくらはラーメンをすすった
見つかるわけでもないのに
見つけ出そうとしてるわけでもないのに

人々は
願わずにすんだ
夢の一つをポケットに押し込む
見てはいけないほど
来てはいけないほど
遠くの町に
もたらされた雨の
つかの間の歴史が
美しい

ぼくは歓楽街のホテルを出た
このまま旅を続けるべきか
何千万と
幾億万と
沈んでいく夜の
星屑の一粒となるべきか
520号室
扉を蹴破ると
そこには朝陽を浴びた
痩せこけた白い野良犬と
誰もいなくなった食堂を
通り抜けていく風が
オリーブの葉を
揺らしていた


  尾田和彦




昨晩
ぼくの中にあったものが
反転した
ちょうど地球ひとつ分の距離で
サザンホテルの
前の道
歩道で見かけた君は
昔のまんまだった

黒髪の
ショートヘア
どこか古風な
昔の日本の女性を思わせるような
身のこなし

「お母さん来てらっしゃるんですか?」

金曜日
5時半の定時にあがる
事務の女の子が
話しかけてきた
「いや・・
夏休みに入ったら
来ると思うけど」

そういったら
彼女の眼の中に
顔の端々に
女の性がにじみ出していた
ぼくはそういうシグナルを
見逃さない

鹿児島県の
甲突町の寂れた裏通りに
ソープランドが軒を連ねる
受付で一万円を支払い
部屋で女の子に1万1千円を払う仕組みだ

詩織って
いった女の子は
ぼくから2万円を受け取ると
9千円のお釣りを
自分の財布から取り出してくれた

ピンクの100角タイル張りの薄暗い部屋
とても清潔とは言えない
「マットプレイする?」
サービスは
どうやら全国共通らしい

ところでぼくは今日
女と会うかどうか
思案している

「運命」というものは
きっとあると思う
それは信じる
という
人の中にある
とても不可思議な行為だ

信じる
ということが
運命につながっていく
良いものと
悪いものとの
境目を
包丁のようなもので
ザクロのように
ザックリと
切り裂きながら

ぼくの体の中から
色んなものが飛び出していく

というものは
それはとてもよくできた比喩で
あの甲突町の裏通りで
体を売っていた
詩織なのかもしれないし

例えばスーパーで売られている
鹿児島県産の養殖マグロ398円の
刺身かもしれないのだ

体を売る行為には
それなりの世間の仕組みというものが必要となってくる
スーパーのマグロと
ソープランドの詩織が僕の中で融合していく

血とは
例えばそのような比喩だ

「君を探そう」と
誰かの事を思いはじめる
恋の始まりは
歴史の出発点だ
おそらく言語の始まりも
求愛行為の
唐突な変化によって生まれたに違いない

人間ほど変化を好む動物はいない
「退屈」というものが
人間のもっとも恐れるべき「天敵」である
奇妙なことに
世間では仕事の過労の為に
命を絶つ行為に走るものがいる

悲劇とは
そうした人が作り出した
哀切にまみれた情景である

血が
浴槽の中にあふれ出す
これは一体誰の地(血/知)か?

ぼくか?
彼女か?
マグロか?
ペンギンか?

ペンギン?


そうだ
マジでペンギンだって
飛べない空の上を
見上げているじゃないか
あの冷たい南極の海辺で
まるでテラスでオープンカフェって
おもむきでさ
時代を宿すことは誰にでもできる容易い行為だが
1000年後の未来に
責任を負いたい人間がどのくらい存在するだろうか?

時代を宿すことは
とても容易いことだが

君の眼の中に映っている世界は
もう夏も近いというのに




梅雨の雨空しか

映っていないじゃないか


異邦人

  尾田和彦

「職人とブタ」2006年4月
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=35;uniqid=20060406_866_1142p#20060406_866_1142p
「センチュリーハイアットホテルとブタのブギ」2006年9月
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=57;uniqid=20060923_719_1565p#20060923_719_1565p
「あの日のブタと」2008年12月
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=155;uniqid=20081206_060_3198p#20081206_060_3198p
「マチ子とブタと病室で」2015年12月
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=448;uniqid=20151116_626_8428p#20151116_626_8428p

「Tシャツ」2008年8月
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=143;uniqid=20080814_869_2959p#20080814_869_2959p
「クマの名前はヘンドリック」2008年10月
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=148;uniqid=20081022_078_3096p#20081022_078_3096p



母さんが死んだ
2月の晴れた日
午後3時
牧場で除角作業をしているぼくのスマートフォンに着信がはいった
クリッパーで角を切ると
月齢3か月の仔牛の角から血が溢れた
焼きゴテで止血する
暴れる仔牛

「母さんが死んだんや」

父さんからの電話

「ああそう」

とぼくは言った
今から大阪行きの飛行機のチケットが取れるだろうか
ぎりぎりお通夜に間に合うかもしれない
会社の事務所に電話した
2日間の休暇願いを出した

実家は伊丹空港から大阪モノレールに乗り
阪急電鉄に乗り換え
1時間半の嵐山にある

今からしたくすれば17時の便の
宮崎空港発がとれるだろう
そうすれば19時のお通夜に間に合う
喪主は父さんが
つとめるだろう
翌日のお葬式と火葬が終われば
また飛行機で帰ればいい

事務所に電話すると
電報を打ってくれるといったSさんに
いいんです
内輪ですませますので
そういうとぼくは車にのって牧場を出た
よく晴れた
2月の日だった

宮崎空港に
17時前についた
足早に帰路につくだろう人々の群れ
部活と思わしき大学生たちが大声で
はしゃぎ
走りまわる

この飛行機は
どこへ向かうのだろうか?
とぼくは思った
夕暮れになり
指先が冷たくなる冷え込みが
ぼくのポケットの中にも差し込んだ

どこへいくんだい?
大きなクマが
話しかけてきた
ヘンドリックだ
やあ
久しぶりだね
君が落ち込んでると
出てくる仕組みなのさ
ヘンドリックは鼻くそを穿りながらいった

お前の母さん死んだんだってな
ヘンドリックは言った
パラソルをさしたブタがぼくの前を通りかかった
ハッとした
あのブタだ
マチ子と屠った
あのブタだ
おいブタ君!
ぼくはヘンドリックを押しのけ
ブタの姿を追った
空港は混んでいた
人込みの中に
ブタの後ろ姿が消えていった

知り合いか?
ヘンドリックが言った

知り合いじゃい
殺したんだよ
ぼくはヘンドリックに言った

おいおい
穏やかじゃないね
お前といて
穏やかだった日があるか?
それもそうだ
日焼けしたヘンドリックの横顔が
少し歪んだような気がした
太平洋に沈んでいく太陽
ぼくはRTJという
聞いたこともない飛行機に乗った
随分乗ってないうちに
飛行機の会社も変わったもんだ

客室乗務員が
ぼくに話しかけてきた
大丈夫ですか?
はい?
ぼくは訊き直した
具合悪そうなので
そういって一枚の紙きれを
彼女はぼくに渡した
眠かった
その紙きれを上着の胸ポケットに中身も見ずに
仕舞いこむと
ぼくは眠りに落ちた

眼を覚ますと
飛行機は雲の上を飛んでいた
さっきの彼女が
ぼくの目を見て笑った

おはようございます
悪戯っぽく
そういっているような気がした


『蟲』

  尾田和彦




2019年1月4日。
朝8時に起きた。
昨晩は10時に寝たので10時間睡眠。
このくらい寝ると楽だ。
朝は部屋の掃除と飼い猫のミーの体を洗った。

朝食を食べると、また眠気がきた。

ペドロ・アルモドバル監督・脚本
『オール・アバウト・マイマザー』をみる。
(1999製作スペイン)
人生は観客のいない演劇である。
台詞と沈黙、痛みが必要だ。

観客とは?『神』
演じるとは?『みせること』

新しい年がきた。
それにも関わらず、
昨晩、熊本で地震があった。
京都の実家から、父親が電話してきた。
ぼくは明日も仕事だった。

自分の人生は自分のものではない。
そういう「痛み」に届く、父親の声があった。

1月4日、今日、『オール・アバウト・マイマザー』を観る。
人生は拷問だ。
沢山の悲鳴がひしめき合って、言葉になる。

1月3日、
牛舎の見回りをしていた。
木造の牛舎の、和牛の一頭が倒れている。
牛は転倒するとひとりでは起きれない。
そのまま鼓張し、窒息死する。

夜中の11時30分。
さむい牛舎で、
ぼくは牛の背中に寄り添った。
空は満天の星で、
生命の寄り添い合いに無関心に輝いている。

畑と森に囲まれた大自然の中、
夜中に一人で歩いていると、
自分の呼吸しか感じられないことがある。
或いは心臓の音。
心臓の音に集中していると、
気が狂いそうになる。
傷口はやがて閉じるが、
狂ったものは、
もう戻らない。

様々な仕事をしてきた。
パン工場。
精密ガラスを研磨する仕事。
産業用チェーンの工場。
印刷塗料の卸の営業。
ホームセンターでの接客。
住み込みで白菜の収穫。
色々なところにも住んだ。
沖縄は特に気に入った。
分からないものは、置いて行け。
人生は「謎」を含み、
知識は忘れる為にある。

全てのことが、
語られているメディアのあった時代はなかったし、
これからもこないだろう。
愛を放ったり、受け入れたり、
ホロホロと、
何かを吠えている犬がいた。
そのコは、
壁に向かっているが、
もう、一粒の餌の為に、媚びないぞと、
言っているみたいだ。

俺の心はいったいどこに在るのか?
そういうことを、
少年時代、
詩を書きながら永延とやっていた気がする。
自分と他者の発見は同時でなければならず、
社会は俺たちをおいて勝手に暴走していく、
まるで生き物みたいじゃないか?
欲しいものは、
この町のどこを向いてもなかった。
恥ずかしい嘘を、
平気で言える人間ならば、
黙っていたりしないで、
そう言えるんだ。


眼と惑星

  尾田和彦





洗面器の中に
俺の一部が落ちた
果てしない鼓動とともに
突き動かされた空は
俺たちの海だ

失ったりしないために
手を握り合うのではなく
見せあうために
裸になるわけでもなく
自由になるために
語り合うわけでもない

俺たちは今
存在の限界を超えたところで
言葉を交わし合っているのだ
人間が狂っていく?
そういう瞬間は
詩に託すしか救いはない

人間を愛おしいと思うのなら
詩を書け
詩は場所をつくり
未来を生んで地球を守る
人間のものだ

真夜中のバス
京都から新宿へむかう
遠距離恋愛
彼女に会うため
恋は互いの魂を救い合うために捧げられる
祈りだと思った
最初の女
ネクタイを外し
俺は思う
彼女のことを
ただそれだけのことを

生きる事は
甘く呪われている
吹き飛ばされた
惑星の残骸の中に
取り遺された時間がこの世の果てにあるとして


ほんのひと時
伝染しあったものが人間なのだ
この暗闇に
決して目をひらくことがなかったもの
其れが人間なのだ

文学極道

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