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朝顔 - 2017年分

選出作品 (投稿日時順 / 全10作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


五月に、潜水する         

  朝顔

冷蔵庫にはアイスクリームがいっぱい。風呂上がりの髪が濡れて重たい。あなたのメ
ッセンジャーはまだ黄色くONになっている。でも返事はせずブルーの綿フラノのシ
ーツに潜り込む。

昨今のコンドームの箱は、女子高校生のプレゼントするバレンタインディのチョコの
甘ったるい匂いがする。シリコーンのピンクの振動が私の中心に伝わる。ローターの
ヴァイブレーションは孤独の間隙を撃つ。

オナニーは蕩けかけたモッツアレラチーズのようだ。少し薄くなってきた私の陰毛が
微かにふるえる。男の声は浮き立っている。

昨夜、残り物の酢飯をドリアに仕立てたものに、妻がレンズ豆を入れた酸っぱい記憶
が、不倫中の男の中にふと蘇る。それは、俺の婚外恋愛は悪くないと考える大きな理
由のひとつ。倦怠期の夫婦にとって、飯がまずいのはSEXを拒否されるのと同じだ。

少し贅肉のついてきた私の臀部に、エメラルドグリーンのTバックと黒の網タイツが
喰いこむ。それが私の情人のお気に入り。同じく、黒いキャミソールを性交の時も脱
がないのは、腹部が忌わしいメタボリック・シンドロームに犯されてきたからだ。

ヘッドスパの指が蛇のように私の髪にからまりつく記憶がふと交錯する。PCで疲れ
た頭脳に膣に感応が走る。美容院は体のいい有閑マダムの明け暮れもない行きどころ
のない性欲の処理場である。

交合は奪われることだ。優しいペニスは嘘吐きだ。私は搾取されながら、ねばった粘
膜で貴男をインストールする。

ツイッターにもFBにもラインにも、人の孤独が溢れるように詰まっている。誰もが
わたしはここにいる、愛をくださいと叫んでいる。愛は、ほんとうは穿たれた真空の
ラムネの瓶なのに。


YUICHI SAITO

  朝顔

なぐり書きの線
力強いストローク
一つ覚えと言えばそうかも知れない
どらえもん



ももももも

繰り返し繰り返し書くうちに
それは円になり波になり噴水になり
藍色の叫び

ああ
この叫びはどこかで聞いた
四分の一世紀前
八街のスイカ畑の真ん中の隔離病棟で聞いた
最初はこわくてこわくてうずくまっていた   
十畳の部屋に十二人が布団を敷きつめて寝た
エガワサンは時々飴をくれた
ちゃーちゃんは時々頭からカップ焼きそばをぶっかけた
金さんは機嫌が悪いと髪をわしづかみにして
床を引っ張りまわした

それでもみんなみんな同じ釜の飯を食った仲間だった
セクハラをする施設員を
「Hな
ことされなかったかぁい」
と少し喋れるサトウさんは忠告した

言葉のない世界に八か月いて慣れた頃
突然解放された私は教会に行って
「聖書を読めば救われます」と聞いて
じゃあエガワサンはちゃーちゃんは金さんは
どうやって救われるのかと混乱した

あの頃は
光のない世界に戻されるのが怖くて
ただただ怖くてずうっと自分の部屋にいた
 
二十年経った後、北川口に
知的障害者のアトリエがあると知って
父親と訪ねて行った

工房集
あの時とおんなじ人たちがいた
挨拶ができない人にどしどしぶつかってくる人たちが
だけれどきれいなマフラーが壁の棚にあり
画集が幾つかテーブルに置いてあった
それはそれは明るい光に包まれて
職員の人は根気強く書や織を教えていて
カフェーは陽だまりの中に居心地よくあって

神よ
あなたが救わない人たちが   
ここでは救われています
NYでも高く評価された
青い噴水のような
まあるい母親のような
どらえももももも


          

*齋藤裕一。アールブリュットの画家として世界的に活躍する。          


  朝顔

あなたの腕は大きくて細かった
抱きしめられて暫く二人でじっとしていた
部屋にはイランイランの香りがたち込めていて
カーテンは静かな薄緑色だった

それから私は見た
あなたの腕が四方八方に伸びて
パキラの木のようにどんどん大きくなって
部屋中をジャングルのように覆ってゆくのを

すっかりマイナスイオンに包まれた寝室で
私とあなたは安心して睦みあった
父ライオンと子ライオンのように

外は森閑としていて紺色だった
時々上の部屋の人の寝息が聞こえた
充電中の携帯のシグナルが二台枕の上で赤く灯っていた


Chiffoncake

  朝顔

したたる音
茶色いメープルシロップの
まだ蒼いバナナの房の
滑り落ちる
ボウルに
バターの傲慢が融けてゆく
白砂糖はよろこび
黄身の唇が歪み
粉々になる

清冽な卵の殻が
罅割れてゆくプライド
卵白の恐れは泡立ち
ハンドミキサーのモーター音がびりびりと響いて
ふるわれた小麦粉は軋み
ホイップクリームは躍り
膨らんでゆく
どろりとした素材が
銀色のステンレスの型に嵌め込まれ
やがてターンテーブルは
回旋曲を重ね
リフレインのように
ラム酒の滴りが欲望をかきたて
チョコレートの破片の混ざり合った
Chiffoncake

女が
完成する
蜜の匂いが
キッチンに充満し
私が
壊れる


甘き香りの扉が開く


Initiation

  朝顔

それはまだ夏と言うには早い漆黒の夜
私はとある迷宮に足を踏み入れた
羅針盤は狂っていた
館の真ん中の部屋で目を覚ますと
開かれたいくつもの扉から
あなたの愛人たちが私を凝視している
大理石の上に横たえられた私の躰を
あなたはジャックナイフで何度となく突きさす
私の悲鳴が完璧な円形のこの部屋に反響する
あなたは私に叫べと強いる
「あなたが私の唯一の神です」
「あなたが私の唯一の神です」
「あなたが私の唯一の神です」
逞しい両腕にはあなたの愛人たちが
ひとつずつ花をタトゥーしているかに見え
誇らしげにその刺青を威武しながら
なおも悪鬼のような表情で
あなたは私の胸を切りひらく
私の断末魔のような悲鳴に
女たちは苦悶の嗚咽を押し殺しつつ
沈黙の眼でささやいている
よく透る声は供物
あなたは銀縁の眼鏡を掛けなおし
「これでジ・エンドだ」と
渇いた声で呟く
三角形の月が天窓を照らす
氷点下の初夏が終わらないままに
生贄を求め続けている


雨の秋刀魚

  朝顔

頭痛の酷い昼下がりに
あなたのために
シャツにアイロンをかける
一万円札の皺を伸ばして
さびれた小奇麗な郵便局へと
絵を受け取りにあてどなくあるく
あなたのために
柔らかいこのひざを折る
わたしはわたしで
ひとりのにんげんでいたいのに
嘶くような
あなたの叫びにまたしても負けて
あなたが描いた私の裸体を
頬を染めつつ
寝室の奥まったところに飾る
あなたは今どこで
すきっ腹を抱えながら
くらい川を眺めているのか
おんな一人で
しゃにむに
生きてきたわたしの在りようは
蟻のようなものと知り
せめてひかる台所に立ち
季節外れの秋刀魚を丁寧に焼く


  朝顔

マンションの林立する森で
とある扉を見つけた
思い切って開けてみると
煌々とした黒い部屋があった
私は迷っていた
その人は私の手を取って
よく眠ること
少し食べること
ときに出掛けることを教えてくれた

小さな器に
ミネラルウォーターを注がれて
喉をうるおし
その人に褒められて
ちゃんと間違いを注意されて
よいものを体に取り入れて
私の閉じた心が
突然
開き始めた

相手をよく見て
耳をすまし
表情がゆたかになり
口を尖らせたり
目尻で笑ったりできるようになった
私は
人と真摯に向き合うようになった
その人の幸せを
思うようになった

人を思い通りにしようとする事と
気持ちに寄り添う事は
全く別だった
私の中にも
愛はあった
すきとおった水の飛沫が
グラスの縁から
溢れて
溢れ出して

苦しいほどに
ほとばしる
いま
目の前にいる
あかるく笑って
落ち着いた声で
対等に話しかけてくれる
その人自身が
扉だった


開花

  朝顔

山を越えて
はるかにふたり。
父は死に
わたしはいきる。
ほんとうにだましたのは
どっち。

雪のように
怨念がつもる。
母の悪戯に
あなたの手がかさなり
わたしは女を
のみ込んだ。

激しく乳房を噛まれ
あなたに突き動かされて
薄紅色の
Baby―Gの文字盤が
わたしの咎を
計る。

わたしはどんどん
まあるい林檎になる。
苦しいような
間隙が
体にのこる。

円柱は
むなしくそこに立つ。
また一匹
蛇を
殺した。


成り上がり

  朝顔

横町の角をひとつ曲がる
薄鼠色のビルの1Fに
赤い屋根の小さな雑貨を兼ねたシフォンケーキ屋がある
ついこの間まで
自分が作っていた小間物を
しっとりとしてきた手に取って
「ああこれは
障がいのある可哀想な人たちが作っているんだ」
とふと思い
私は愕然とした
店に来た
あの同級生も
あの近所のおばさんも
そんな思いでレジに立つ私を見つめていた
のに違いない

私は
背筋をしゃんと伸ばして
かつての仲間の作った薄紫色の七宝焼きのイヤリングを買う
「三百円です」
長財布から
悠々とした素振りで一万円札を出して
私はそれを買う
耳たぶを偽のアメジストで飾って
なけなしの詩を片手に引っさげて
私は
華やかな引きこもり達の集まる
高級ホテルの詩会に
堂々と足を踏み入れて
ゆく


成人儀式

  朝顔

母方の叔母が、喪服を着た私にバナナチップ
スばかりたらふく食べていないで、紫色のア
イシャドウをもっと濃く目元に塗りなさいと
いきなり言った。それから、焼き場から呑み
屋にいざなって、鯨のたけりが食べられない
のかと嘲るように哂った。私が耐えられなく
なって泣き出すと、やさしく頭をハグしてく
れた。

桜が満開だったあくる日、しくしくとまだ啜
り泣いている私と叔母は花見に出掛けた。人
の群れはどこも哀しく蠢いていた。ふと気づ
くと、叔母は小さくなって、わたしのさえず
りにもうすべり込んでいた。あっと声をあげ
る間も無く、彼女の血液と私の血液は交換さ
れた。私はそれまでどこかでまだ怖れを抱え
た頑な少年だったのだ。

屋台では明石焼きを焼く音がじゅうじゅうし
ていた。私は残酷に小腹がすいたと懐の貧し
い叔母に告げた。お勘定を待って小さくなっ
て震えている私に、叔母はたまごと出汁とタ
コの味はどうだったかいと訊ねた。美味しか
ったと答えると彼女は満足そうに微笑んで、
ふらりと沼の方角へ消えていった。明石焼き
はほんのりと舌の上できいろく甘かった。

その晩、わたしは初めて唇に深紅を乗せた。
窓の外の梟の声は、私をやさしく包むようで
ある。フローリングには脱ぎ捨てた黒い服が
無造作に散らばっている。しとしとと降る四
月の雨は、私の乳房をつよく柔らかく噛むの
であった。

文学極道

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