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朝顔

選出作品 (投稿日時順 / 全25作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


息子よ

  朝顔

君は夕方、疲れた足を引きずって帰宅の道を急ぐ
二十五年ローンで購入したマンションの影が街路にまで長く伸びている
そのシルエットを見て
まるで家族の棺桶そっくりだと君は考え
いやいや俺は疲れているんだとつまらない妄想を吹き飛ばす

玄関を開けると疲れた顔の妻がいる
「今日はもう洗濯物を取り入れる元気がなかったの」と弱弱しく彼女は言う
君は腹立ちを抑えて
ネクタイを緩めながら食卓に着く
この部屋はどこもかしこも真っ白で四角いと君はつねに思う

ふと、部屋から息子が出てくる
髭は伸び放題で服にはカップ焼きそばの切れ端がくっついている
「お帰りなさい」と言う息子の声を無視して
君は鯵のアクアパッツアを食べ始めた
息子はあきらめたようにのろのろとベランダに出て
もう冷えたワイシャツや靴下を取り入れ始める

一週間前、君は父兄面談に行った
きちっと背筋を伸ばして肩を180°に張って
「不登校は息子の自己責任です」と言い切った君に
高校の担任はおびえたような薄笑いを浮かべて
「これ以上出席日数が足りないと停学になります」と呟いた

君は急に猛烈に腹が立って
洗濯物をていねいに仕分けして畳んでいる息子の背中を蹴とばす
「こんなことは男のやることじゃない」
妻は怯えた顔をして君に謝り
シャツを代わりにたたみはじめた

息子はまた無表情に戻り
部屋のドアをぱたんと閉めた

その夜、息子の部屋から大きな轟音が聞こえる
部屋の壁につぎつぎと大きな穴を開けているのだ
妻は君の手をベッド越しに握って
「もうここにいられなくなるかも知れない」と泣き声を出す
君は、いつもの行きつけの居酒屋の女店員のお尻をつかみたいと
脈絡なく思い

でもボトルをキープするだけの小遣いがないことが
腹立たしくなって唇を噛んで天井を見上げた
息子はドンドンドンと壁を叩いている
「息子さんは甘えたいんじゃないですか」と言う担任の声が耳にこだまし
結局君と妻が寝たのは夜更け過ぎだった

充血した目で朝君は玄関を出て
駅への道を少し年季の入った合成皮革の靴で歩き始める
君の息子はだらんと垂れている
息子よ、立て立て立てと呪文を唱えながら
君はラッシュアワーの雑踏に消えてゆく


五月に、潜水する         

  朝顔

冷蔵庫にはアイスクリームがいっぱい。風呂上がりの髪が濡れて重たい。あなたのメ
ッセンジャーはまだ黄色くONになっている。でも返事はせずブルーの綿フラノのシ
ーツに潜り込む。

昨今のコンドームの箱は、女子高校生のプレゼントするバレンタインディのチョコの
甘ったるい匂いがする。シリコーンのピンクの振動が私の中心に伝わる。ローターの
ヴァイブレーションは孤独の間隙を撃つ。

オナニーは蕩けかけたモッツアレラチーズのようだ。少し薄くなってきた私の陰毛が
微かにふるえる。男の声は浮き立っている。

昨夜、残り物の酢飯をドリアに仕立てたものに、妻がレンズ豆を入れた酸っぱい記憶
が、不倫中の男の中にふと蘇る。それは、俺の婚外恋愛は悪くないと考える大きな理
由のひとつ。倦怠期の夫婦にとって、飯がまずいのはSEXを拒否されるのと同じだ。

少し贅肉のついてきた私の臀部に、エメラルドグリーンのTバックと黒の網タイツが
喰いこむ。それが私の情人のお気に入り。同じく、黒いキャミソールを性交の時も脱
がないのは、腹部が忌わしいメタボリック・シンドロームに犯されてきたからだ。

ヘッドスパの指が蛇のように私の髪にからまりつく記憶がふと交錯する。PCで疲れ
た頭脳に膣に感応が走る。美容院は体のいい有閑マダムの明け暮れもない行きどころ
のない性欲の処理場である。

交合は奪われることだ。優しいペニスは嘘吐きだ。私は搾取されながら、ねばった粘
膜で貴男をインストールする。

ツイッターにもFBにもラインにも、人の孤独が溢れるように詰まっている。誰もが
わたしはここにいる、愛をくださいと叫んでいる。愛は、ほんとうは穿たれた真空の
ラムネの瓶なのに。


YUICHI SAITO

  朝顔

なぐり書きの線
力強いストローク
一つ覚えと言えばそうかも知れない
どらえもん



ももももも

繰り返し繰り返し書くうちに
それは円になり波になり噴水になり
藍色の叫び

ああ
この叫びはどこかで聞いた
四分の一世紀前
八街のスイカ畑の真ん中の隔離病棟で聞いた
最初はこわくてこわくてうずくまっていた   
十畳の部屋に十二人が布団を敷きつめて寝た
エガワサンは時々飴をくれた
ちゃーちゃんは時々頭からカップ焼きそばをぶっかけた
金さんは機嫌が悪いと髪をわしづかみにして
床を引っ張りまわした

それでもみんなみんな同じ釜の飯を食った仲間だった
セクハラをする施設員を
「Hな
ことされなかったかぁい」
と少し喋れるサトウさんは忠告した

言葉のない世界に八か月いて慣れた頃
突然解放された私は教会に行って
「聖書を読めば救われます」と聞いて
じゃあエガワサンはちゃーちゃんは金さんは
どうやって救われるのかと混乱した

あの頃は
光のない世界に戻されるのが怖くて
ただただ怖くてずうっと自分の部屋にいた
 
二十年経った後、北川口に
知的障害者のアトリエがあると知って
父親と訪ねて行った

工房集
あの時とおんなじ人たちがいた
挨拶ができない人にどしどしぶつかってくる人たちが
だけれどきれいなマフラーが壁の棚にあり
画集が幾つかテーブルに置いてあった
それはそれは明るい光に包まれて
職員の人は根気強く書や織を教えていて
カフェーは陽だまりの中に居心地よくあって

神よ
あなたが救わない人たちが   
ここでは救われています
NYでも高く評価された
青い噴水のような
まあるい母親のような
どらえももももも


          

*齋藤裕一。アールブリュットの画家として世界的に活躍する。          


  朝顔

あなたの腕は大きくて細かった
抱きしめられて暫く二人でじっとしていた
部屋にはイランイランの香りがたち込めていて
カーテンは静かな薄緑色だった

それから私は見た
あなたの腕が四方八方に伸びて
パキラの木のようにどんどん大きくなって
部屋中をジャングルのように覆ってゆくのを

すっかりマイナスイオンに包まれた寝室で
私とあなたは安心して睦みあった
父ライオンと子ライオンのように

外は森閑としていて紺色だった
時々上の部屋の人の寝息が聞こえた
充電中の携帯のシグナルが二台枕の上で赤く灯っていた


Chiffoncake

  朝顔

したたる音
茶色いメープルシロップの
まだ蒼いバナナの房の
滑り落ちる
ボウルに
バターの傲慢が融けてゆく
白砂糖はよろこび
黄身の唇が歪み
粉々になる

清冽な卵の殻が
罅割れてゆくプライド
卵白の恐れは泡立ち
ハンドミキサーのモーター音がびりびりと響いて
ふるわれた小麦粉は軋み
ホイップクリームは躍り
膨らんでゆく
どろりとした素材が
銀色のステンレスの型に嵌め込まれ
やがてターンテーブルは
回旋曲を重ね
リフレインのように
ラム酒の滴りが欲望をかきたて
チョコレートの破片の混ざり合った
Chiffoncake

女が
完成する
蜜の匂いが
キッチンに充満し
私が
壊れる


甘き香りの扉が開く


Initiation

  朝顔

それはまだ夏と言うには早い漆黒の夜
私はとある迷宮に足を踏み入れた
羅針盤は狂っていた
館の真ん中の部屋で目を覚ますと
開かれたいくつもの扉から
あなたの愛人たちが私を凝視している
大理石の上に横たえられた私の躰を
あなたはジャックナイフで何度となく突きさす
私の悲鳴が完璧な円形のこの部屋に反響する
あなたは私に叫べと強いる
「あなたが私の唯一の神です」
「あなたが私の唯一の神です」
「あなたが私の唯一の神です」
逞しい両腕にはあなたの愛人たちが
ひとつずつ花をタトゥーしているかに見え
誇らしげにその刺青を威武しながら
なおも悪鬼のような表情で
あなたは私の胸を切りひらく
私の断末魔のような悲鳴に
女たちは苦悶の嗚咽を押し殺しつつ
沈黙の眼でささやいている
よく透る声は供物
あなたは銀縁の眼鏡を掛けなおし
「これでジ・エンドだ」と
渇いた声で呟く
三角形の月が天窓を照らす
氷点下の初夏が終わらないままに
生贄を求め続けている


雨の秋刀魚

  朝顔

頭痛の酷い昼下がりに
あなたのために
シャツにアイロンをかける
一万円札の皺を伸ばして
さびれた小奇麗な郵便局へと
絵を受け取りにあてどなくあるく
あなたのために
柔らかいこのひざを折る
わたしはわたしで
ひとりのにんげんでいたいのに
嘶くような
あなたの叫びにまたしても負けて
あなたが描いた私の裸体を
頬を染めつつ
寝室の奥まったところに飾る
あなたは今どこで
すきっ腹を抱えながら
くらい川を眺めているのか
おんな一人で
しゃにむに
生きてきたわたしの在りようは
蟻のようなものと知り
せめてひかる台所に立ち
季節外れの秋刀魚を丁寧に焼く


  朝顔

マンションの林立する森で
とある扉を見つけた
思い切って開けてみると
煌々とした黒い部屋があった
私は迷っていた
その人は私の手を取って
よく眠ること
少し食べること
ときに出掛けることを教えてくれた

小さな器に
ミネラルウォーターを注がれて
喉をうるおし
その人に褒められて
ちゃんと間違いを注意されて
よいものを体に取り入れて
私の閉じた心が
突然
開き始めた

相手をよく見て
耳をすまし
表情がゆたかになり
口を尖らせたり
目尻で笑ったりできるようになった
私は
人と真摯に向き合うようになった
その人の幸せを
思うようになった

人を思い通りにしようとする事と
気持ちに寄り添う事は
全く別だった
私の中にも
愛はあった
すきとおった水の飛沫が
グラスの縁から
溢れて
溢れ出して

苦しいほどに
ほとばしる
いま
目の前にいる
あかるく笑って
落ち着いた声で
対等に話しかけてくれる
その人自身が
扉だった


開花

  朝顔

山を越えて
はるかにふたり。
父は死に
わたしはいきる。
ほんとうにだましたのは
どっち。

雪のように
怨念がつもる。
母の悪戯に
あなたの手がかさなり
わたしは女を
のみ込んだ。

激しく乳房を噛まれ
あなたに突き動かされて
薄紅色の
Baby―Gの文字盤が
わたしの咎を
計る。

わたしはどんどん
まあるい林檎になる。
苦しいような
間隙が
体にのこる。

円柱は
むなしくそこに立つ。
また一匹
蛇を
殺した。


成り上がり

  朝顔

横町の角をひとつ曲がる
薄鼠色のビルの1Fに
赤い屋根の小さな雑貨を兼ねたシフォンケーキ屋がある
ついこの間まで
自分が作っていた小間物を
しっとりとしてきた手に取って
「ああこれは
障がいのある可哀想な人たちが作っているんだ」
とふと思い
私は愕然とした
店に来た
あの同級生も
あの近所のおばさんも
そんな思いでレジに立つ私を見つめていた
のに違いない

私は
背筋をしゃんと伸ばして
かつての仲間の作った薄紫色の七宝焼きのイヤリングを買う
「三百円です」
長財布から
悠々とした素振りで一万円札を出して
私はそれを買う
耳たぶを偽のアメジストで飾って
なけなしの詩を片手に引っさげて
私は
華やかな引きこもり達の集まる
高級ホテルの詩会に
堂々と足を踏み入れて
ゆく


成人儀式

  朝顔

母方の叔母が、喪服を着た私にバナナチップ
スばかりたらふく食べていないで、紫色のア
イシャドウをもっと濃く目元に塗りなさいと
いきなり言った。それから、焼き場から呑み
屋にいざなって、鯨のたけりが食べられない
のかと嘲るように哂った。私が耐えられなく
なって泣き出すと、やさしく頭をハグしてく
れた。

桜が満開だったあくる日、しくしくとまだ啜
り泣いている私と叔母は花見に出掛けた。人
の群れはどこも哀しく蠢いていた。ふと気づ
くと、叔母は小さくなって、わたしのさえず
りにもうすべり込んでいた。あっと声をあげ
る間も無く、彼女の血液と私の血液は交換さ
れた。私はそれまでどこかでまだ怖れを抱え
た頑な少年だったのだ。

屋台では明石焼きを焼く音がじゅうじゅうし
ていた。私は残酷に小腹がすいたと懐の貧し
い叔母に告げた。お勘定を待って小さくなっ
て震えている私に、叔母はたまごと出汁とタ
コの味はどうだったかいと訊ねた。美味しか
ったと答えると彼女は満足そうに微笑んで、
ふらりと沼の方角へ消えていった。明石焼き
はほんのりと舌の上できいろく甘かった。

その晩、わたしは初めて唇に深紅を乗せた。
窓の外の梟の声は、私をやさしく包むようで
ある。フローリングには脱ぎ捨てた黒い服が
無造作に散らばっている。しとしとと降る四
月の雨は、私の乳房をつよく柔らかく噛むの
であった。


朝の街灯

  朝顔

あなたの精液を根こそぎ搾り取った朝
井の頭公園の夏というより春めいた街灯を歩き
各停の始発はゆっくりとよろめき
セーラー服の少女の出立姿を見つめている学生服の少年の
視線にきらめくような陽光が浮かび上がり
そうあれはわたしでした
三十年前の予感がはっきりとした記憶になって
家の家紋は穂積です
歩くときはいつもスマートフォンはマナーモードに設定し
SEXの最中に携帯を見ないで下さいと言わずに
ゆるやかになだらかに背中に手をまわし
屹立した性器に手を触れ
導いてゆくのは私の方です
二人前のそばと帆立はおいしかったですか
と聞く間もなく古びた便器が目の前にあり
くずれてゆく腹部のシルエットが重なり
呑み込もうともしない喘ぎがたぶん階下にも聞こえていて
濃い桃のカクテルはバッドトリップしますよ
物事は安心感を持って一歩一歩対処しましょうという臨床医の声が響き
ああうるさいうるさいと
ネットサーフィンの中に水没してゆくわたしの快楽が
ありとあらゆる男根にも波及してゆく
デパスは頭痛薬の代わりにいつも携帯していて
五十代向けのアイシャドウで隠れた目元の皺が
あけひろげに開かれていて今も
早死にする前にもう一度お会いしましょうと
時候外れの挨拶を交わして
鳩尾のフィルムに焼き付いている
早朝の改札口に何事もなかったかのように消えてゆく男の影法師が
気がつけばいつもそこにあります


悪魔祓い

  朝顔

私の頑固な顎があなたを追い出してしまった。テーブルに
は、桃色のローストビーフが客の肥えた舌という祭壇に捧
げられるのを待っている。煌めくグラスの連なりが、被災
した悲劇のスピーチを細断する。曰く、「食べ物がありま
せん!どこにもありません!」。詩人たちは優雅に、己の
功績をお互いに裁断しつづける。

サーモンピンクのドレスで昨夜の情事による痣の付いた肢
を包みつつ、絢爛たるシャンデリアの光の下に、大学教授
の脹脛が上に乗っている有田焼のインディゴブルーの皿を
発見して私は世界と繋がれた。この瞬間、逆子で出生する
筈であった私の姪を流してしまった、あなたの暗緑色の臟
を思い切り壁に叩き付けたのである。

生きるべきか死すべきかと激しい論争を戦わせながら、あ
なたはロビーで隣のソファーに座った肩に漆黒のブラジャ
ーの紐の透けた淑女を犯したいという欲望と闘っているら
しい。窓の中の下弦の月は、どこまでも私を追いつつ検閲
している。遠く北東の汚染された海では、群れからただ一
匹離れた鮭が南へと泳いで行った。


揺れ、(る)

  朝顔



あなたの迷彩色のジーンズに
  指が触れ わたしの
    ついこの間切ったショートヘアをぐしゃぐしゃに 
      愛おしく掻き上げる手が
    わたしの小枝柄のワンピースの 裾を
  たぐりあげる 仕草に
    もれる あえぐような吐息が もれてもれていき
      二人してソファに 倒れて
        真っ白いフェイクレザーの上に
          肢のゆびがふたつ 絡まってゆき
            けいれんする 震えて


居酒屋の旨だれのついたキャベツをマヨネーズをたっぷり
つけて半分こして二人で勉強中の本を開きながら発達障害
の特性についてああでもないこうでもないと議論して一人
分の煙草の灰が銀色の皿にどんどん溜まって行ってファジ
ーネーブルと紅茶のサワーが喉をうるおしてビールを飲み
過ぎないように注意していた男が夜半の官庁街をふらふら
歩く女を送り届けて入り込んだ部屋のドアが閉まった途端
にその視線がきらりと牙をむき背中手にチェーンを掛ける


プールの底にしゅわしゅわ泡ぐ炭酸の匂いを
  ふと懐かしく思い出しながら
    ふたりはベッドの底に潜水してゆく
      およぐおよぐおよぐ
         やさしい胸ははだけられて
            あられもなくはずかしいように
平泳ぐ

スイートオレンジの香りがいんらんに空気清浄機から発光
する する するる

   あたたかく
      まどろ、む始発で帰ろうとするあなたを
         引き、とめる
     わたしのじゅっ、と跳ねるベーコン


部屋

  朝顔

私は塔に住んでいた
いろんな小人が
訪ねてきたけれども
みんな
どういうわけか
鈍色の
ひき蛙に
変身してしまう

ある時わたしは
母の娘を
部屋に招き入れた
それは私自身ではない
母が昔
美しい騎士と
身ごもったところの
はらからである

彼女はころころと笑い
豊満な乳房をして
私を太い腕で
ぎゅっと抱きしめた
塔の時計は左回りに
動き始め
壁のやもりは
こちらをじっと睨んでいる

私はいつのまにか
大声を上げて
涙を出して泣いた
彼女は満足そうに
りんごのような頬を
さらに丸くして
ワイングラスを傾けて
ぐいっと干した

気のいい
はらからが部屋に
居つくようになって
暫くして
私は塔を出て
皿洗いが特技のやもめの
王子様と
一緒に暮らし始めた

塔は
明るい燈火に
照らされ
荒野で逞しく育ったはらからと
連れ合いと
その連れ子が
平和に
末永く暮らした

私が
今ペンを取っているのは
街中の
狭い舗道に面した
朝日の入る窓に
洗濯もののなびく
平和で小さな
アパルトマンの
部屋である


詩五篇

  朝顔


   鏡
            
おれの中にお前がいて
お前の中におれがいて
時折すすり泣いたり
抱き合ったりため息をついたり
目から涙のようなものを
出したりしている



   脅迫

甘えてください私に
それがあなたの義務です
一度ごとに五百円いただきます
妻と言うものの仕事です



   夕方

ぐるぐる考えて
それが楽しくて
どこへも出て行かないで
スマホをつるつるして
とらわれていて
何時になっても
皿洗いが終わらない



   写真

一眼レフを向けて
お前を閉じ込めてみた
何枚ものうすぺらな
魂の欠けた
貼りついたほほえみが
俺を嘲笑っている



   教育

肩があって
右に少し傾いていて
足があって
正座が下手くそで
私がいて
倚りかかっていて
あなたがいて
硬い指先で
背筋をしゃんと元に戻す


収穫祭

  朝顔

私が幼稚園児から小学校にあがるかあがらな
いかの頃母親が狭い台所でお前なんか産みた
くなかったけどできちゃったおろしたかった
けど結婚する前にもうひとり遊んだ人とおろ
したしその時は産婦人科で両足をぱかっとひ
らかされてとてもこわくてでも胎児は無事に
えぐりだすことができてそのおかげでせっか
くお父さんと結婚できたのにまたできちゃっ
てめんどうだからまた一人おろしてあんたが
できてでももうあたしの体にも悪いし経済も
余裕が出来てきてたからなお世間体が悪いし
仕方なく産んだのよと憎々しげにわたしに言
ったその頃のわたしはもう書斎のむずかしい
文学全集に手を出し始めた頃でだいたいの意
味はとれたもともとその頃なにかに失敗する
と母親に納戸に連れ込まれてお仕置きに悪戯
をされていたからそんなことかとおもって泣
きもしなかったらなお怖い目でにらまれた母
親は料理を作ってどんとならべて夜はてきと
うにふとんをひくだけだったから弟とふたり
で適当にそのへんで寝た母親はべたべたのフ
ライドポテトくらいしかまともに作れなくて
顔の洗い方も靴の紐の結び方もなんにもおし
えなくて父親は仕事で忙しいと言って始終う
わきしていたらしくどこにいたのか全然覚え
ていないきっと母親の言うように社長の片腕
で接待されていたのだろうちゃんとしたおう
ちですねと外に出るとみんなわらうから適当
に合わせることしかできなくて学校ではどう
してどもるのかと叱られて帰って来たよるは
恐ろしい折檻が待っていた家はあったでもい
えはかぞくはかていはどこにもなかったです
裸のままで横たわる白い棘のある箱のなかに
あるとき私はとうとうははおやを殺して外に
出たさんざめく金色のひかりが満ちる秋に紫
色のピオーネを生まれて初めてわたしは齧る


2012年の林檎 

  朝顔

                         
 暑い暑い夏。ロンドン五輪が終わろうとしている。
「ソーシャルワーカーの大村さん、最近姿が見えませんが」
「ああ、辞めたのよ」
「辞めた?」
「ええ」てきぱきしたチーフの万梨子さんは肘をついて言った。あたしは面談室から出た。旧型のクーラーが全開運転している。階段を降りるとあたしは1Fに足を向けた。ここはジャムを煮る香りで充満している。片隅に手芸のコーナーがある。
「林檎……売れたんですか?」
「ああ、敦美ちゃんの作ったパッチワークの林檎ね」枝川さんは話をそらすように言った。「一個、売れたわよ」
「敦美ちゃん、頑張ってるね」大村さんの声がフラッシュバックした。
「端切れで林檎作ってるの?」
「ええ、でもあたしまつり縫い苦手で。ぼこぼこで」
「はは、僕が一つ買うよ」大村さんは小声で言った。「ありがとうございます」

 マンションに自転車で帰り着くと冷蔵庫から麦茶を出して飲んだ。鶏肉を唐揚げにして、氷水に浸したレタスと胡瓜とプチトマトと一緒にガラス皿に盛ると味噌汁と白飯を用意して待った。
 父親は、いつものように五時半にやってきた。
「いらっしゃい」
 あたしと父親は、黙って狭いダイニングで夕食を食べ始めた。
「羽角君、ここに来たのかね」
「ええ」
「先週の土曜かい?」
「そうよ」
「やめとけ」唐揚げを噛みながら父親はぼそっと言った。「あれはいい子だが、金が目当てだ」
「わかってる」

 あたしはその晩、いつまでも体にまとわりつくような羽角の愛撫を思い出していた。羽角は彼の父親が、中学時代母親の鼓膜を破るほど殴って失踪した後、高校に進学する金がなかった。「そんな男がさ」
「え?」
「エリートになれる道がひとつだけあったんだ」
「何それ?」
「企業内学校だよ」
 あたしが大学を中退して家でごろごろと鬱を発症していた頃、羽角は「東京電力東電大学高等部」に入ったのだ。だからあたしたちには六歳の年の開きがある。
『この国の富増すために エネルギー源絶えずおくる
 大電力のこの学園 肩くみかわす君と僕 おおわれら東電の
 明日の担い手 明日の担い手』
「やめてよ、それ」
「だって、もう覚えちゃってるんだもの校歌」
 勘のいい羽角は震災の一年前に、福島原発に見切りをつけた。そして同時に精神保健福祉士の資格を取った。そこまではよかった。だがそこまでだった。
「敦美、お前のいる就労支援所で職員の空き、ないか」
「ないわよ。自分で探してよ」
「つれないな」

 あたしはまた面談室のドアを叩いていた。
「あたしの林檎、誰が買っていったんですか?」あたしは万梨子さんの目を真っ直ぐに見て言った。
「さあ」
「大村さんじゃ」
「あの人ね」昔証券ガールだった万梨子さんは急に椅子を引き付けて真剣に言った。「あなた、口が固いから言うけど、アルコール依存なの」
「……」
「やっぱり、この国の人じゃないから無理してたんじゃないかしら」万梨子さんははっとして口をつぐんだ。
 あたしはフェイスブックで大村さんの国籍はとっくに知っていた。職員の間で孤立している空気とか、お魚のホイル焼きにたっぷりキムチをかける姿を見てわかってはいたことだった。竹島事件が話題になりだしていた。

 金曜日は通院日だった。ハンサムな医師は無表情とも言える顔で言った。「僕もお父さんと同じ意見です。その羽角君を君のいる就労支援所に紹介しても、君が彼とのマンションの同居を強行する限り、彼がまっとうに働くとは思えません」
「……」
「それはやめなさい」医師はきつい語調で言った。
 医師はあたしの表情を見抜いたように言った。「君に必要なのはお父さんと距離を置くことです」

 あたしはその晩フェイスブックからも姿をくらました大村さんの事を考えていた。
「今日、皆が打った讃岐うどんなの。残ったから二つ持って帰って」
 大村さんが自立支援法の施行以来、ぎすぎすしてゆく支援所の人間関係の緩衝材になっていることをあたしは知っていた。
「精神障害者全員の就労を目的とします」万梨子さんがそう宣言してから支援所の半数が辞めた。四分の一はもっと実入りのいいA型就労支援に移った。そして羊のように大人しく支援員の言う事を右から左へ聞く四分の一だけが残った。
「あなたたち見てると、本当に自分は幸せだと思うのよ」
 新しい裁縫担当の支援員は平気でそんなことを言った。長年の重篤患者の苦痛に黙っていつまでも耳を傾けているのは大村さんだけだった。あたしは寝返りを打ってはっと気が付いた。今までのBFは皆、あたしの体かお金かそれとも食事を作ってくれるヘルパーが欲しかったのだと言うことに。
 だけど大村さんは閉鎖病棟の中であたしの作った五百円のパッチワークの林檎と一緒にいる。
(大村さん!)
 あたしは生まれて初めて赤子のように激しく泣いた。

 土曜日、あたしはいつものように部屋で昼食を食べている羽角に言った。
「純一。空き、出来たわよ、支援所に」
「ほんとか?」
「ええ。……あたし、あそこやめるわ。それで絵本に集中する」

 朝。起きると、ベッドサイドに飾ってあった売れてしまった林檎とお揃いのパッチワークの林檎がなかった。
「ここにあった林檎、知らない?」
「げ、俺の服と一緒に洗濯機に放り込んだかも」
 あたしは慌てて洗濯機を覗いた。林檎は勢いよく服と一緒に回っていた。取り出そうと手を差し伸べた瞬間、林檎はぱあんと音を立ててばらばらになった。
「うああん」
「どうしたよ敦美」
「林檎が……」あたしは子供のように泣きじゃくった。
「ごめん、大事なものだって知らなくって」羽角はパンツを穿きながら言った。「いったいなんなの?」
「なんでもない……なんでもない」あたしは洗濯機の縁をつかんでむせび泣いた。
 林檎はばらばらの端切れに戻った。
「羽角、ごめん。服、林檎に詰まってた綿だらけになっちゃって」
「いいよ俺のせいでもあるし」羽角は服を自分で干しながら言った。「それより大丈夫?」
「うん」
「何か思い出のものだったの?」
「ちがうよ」
 羽角はばつの悪そうな顔をした。あたしははっと気づいて言った。「ごめんね」
「いいんだよ」
 羽角はいつものようにあたしが落ち着くまで、ずうっとハグをすると帰って行った。あたしはドアをぱたんと閉めて思った。
(わるいことした)
 あたしは羽角が帰った後にその端切れを拾い集めて袋に入れてクローゼットの一番奥にしまった。

 あたしは万梨子さんに正式に挨拶をして支援所を辞めた。「うちの羽角をよろしくお願いいたします」。
 帰り道、この区の雑居ビルにある支援所をあたしは眺めていた。1F2Fに精神障害者支援所、3Fに同和関係の事務所、4Fに共産党の議員の事務所のあるそのビルは立派なマンションのそろった街路に不釣り合いだった。
 この国からはみだした、いや邪魔者にされた世間にうまく顔を向けられないあたしたちがこのビルの片隅でかろうじて息を吸ったり吐いたりして僅かなお金を貰って生きている。フリマの時には食べ残しの菓子パンが平気でパック十円で売られているこのビル。g.u.で買い物したって言うと妬まれるから言い出せないここの住人。どこにもいくところがなくってでもどこかへ行きたくてたまらないのにその力のない人間の居場所になっている小汚いビル。
 あたしは交差点を一度渡って、もう一度引き返して、息を大きく吸ってビルに向かって最敬礼した。
 ありがとうございました。
 
 羽角は近くにアパートを借りて支援員をしている。もう寒い土日は少し肩幅の厚くなった彼と二人で毛布にくるまって丸くなって寝る。羽角はあたしのことを病人扱いしなくなった。あたしはと言えばなけなしの自費で自分の絵本をやっと出した。休みの日には羽角が持ってくるもう冬に向かいだした支援所の煮ているジャム用の林檎の余り分を芯をくりぬいてバターで煮てコンポートにする。
 その現実の林檎は虫食いがしたり茶色に変色したりしているけれども、台所で見つめていると不思議な光をあたしに放ってくるのだった。


立秋

  朝顔


小玉すいかを半分食べて
洗濯機をまわす
ワンピースやTシャツや下着を皺を広げて
並べて干す
ビルの向こうに夕焼けが落ちると
涼しくなったベランダに出て
ぱりんと乾いた服をたたむ
一枚一枚ていねいに箪笥にしまう

きちんとたたんで
引き出しにしまい込む
想い出がだんだんふえて来た

鱗雲がまぶしい


まあちゃん

  朝顔

ハチ公の前でまあちゃんと会った
切れ長の目のまあちゃんは
虫眼鏡みたいなメガネをかけた
気の強そうな旦那さんと
女の子の赤ちゃんを連れていた
まあちゃんのワイドパンツはゆったりしていて
初夏の風にひらひら揺れる

一生懸命次から次へと喋る私に
まあちゃんはにこっとして
「もうちょっとゆっくり」と言う
つばめグリルの真ん丸のトマトを
口いっぱいにほおばりながら
まあちゃんは泣き出しそうな娘さんを
よしよしとあやしている

まあちゃんと出会ってからの私は
いろんな男の人を追っかけなくなった
代わりに電車で三駅の作業所で
リバティプリントのきれっぱしを選びながら
お人形を作るようになっていた
男の人は結局私を救わなかった
頑固で意地っ張りの自分の中に力はある

トマトのようなまあちゃんに
昔は私は僻んで凹んだけど
まあちゃんは私の詩が素敵だと言う
私はもう俯かないで
背筋をしゃんとして歩いて行く
昨日は自分がなりたい人形を縫った
まあちゃんに似たお人形を明日作ろう


椅子

  朝顔

このひとといると
わたしのこころの中に
小さな部屋があって
そこに
一人の少女が膝を揃えて座っている。

実家には
椅子はひとつもなかった。

あぐらをかいて
鶴見俊輔が
サリンジャーが
モオツアルトがと
談笑していた


ここに
椅子がある。

行儀よく
背筋をはっている。


うどん

  朝顔


賞に落ちた日
夕暮れが迫って来る台所で
トマトを手でつぶして
うどんと煮込んで
小葱と
つんとするラー油をかけたのを
泣きながら啜った

ダイニングに置いてある
開きすぎた
チュウリップが

自分の顔を
呑み込みそうだ


生きる

  朝顔


夕陽の見える
だらだら坂を下って
新しいパン屋で
食パンを一斤買うこと
花をテーブルに生けること
クーラーのスイッチを切ること
窓を開けて
空気をいれること
友だちの
誕生日を祝うこと
そうめんとトマトと大葉を和えて
冷やした紅茶と
お昼にすること
ドラッグストアーの
シャンプーを抱えて
髪をあらうこと
ノートに日記をつけること
自転車で
ピラティスの教室に通うこと
穏やかな
音楽を聴くこと
夜は
糊のきいたシーツにくるまって
早く寝ること
自分を大切にすること
家族を大事にすること
人を
愛すること


母の一周忌

  朝顔

今日の午前中、お医者さんへ行った。私のことをいじめている臨床心理士さんのカウンセリングは、しばらくお休みします。と言ってキャンセルして、お医者さんと初めて真面目に話をした。

「私は、私なりに頑張って、母のことを愛情持って世話していました。でも、母はどんどんどんどん大きくなって、食虫花になってしまい、私のことも呑み込もうとしたので、私は走って遠くの安全な場所に逃げました。弟も同じこと言っています。『お母さんはカオナシみたいだ』と。私、詩集出して以来、みんなにお母さんのこと受け入れられないの?と言われます。でも、私はまず自分の身を守らないといけないですし、それに私、食虫花あんまり好きじゃありません。」と。

お医者さんは、余計なことを言わないで黙って話を聞いてくれて、来週のお薬を出した。帰り道にスーパーでお豆腐のハンバーグと南瓜のサラダと牛乳みかんかんを買った。夕焼け坂を下りながら、私は自分のことをもう許してあげて、好きになってもいいような気がした。

母は、本当に綺麗で残酷で獰猛な食中花だった。私が、一生懸命に水遣りして育てた花だった。でも、枯れてしまってもう二度と生き返らない。母が死んで一年経った夏至の夜に、私ははじめて膝を抱えて、体を折り曲げるようにして泣きじゃくった。

どうして泣いているのかはよくわからなかった。窓の外は藍色に林立したビルの灯りが消え、いつの間にか白み始めていた。


骨壺

  朝顔



ひっそりとした夜長に
母の骨壺を抱えて
一本一本白い骨を取り出し
この人に滅茶苦茶に折られた私の脚に
添え木をする。
母は本当に女であった。
母親である前に一人の女であった
この人の
白い白い骨で
私の傷ついた足を立て直す
白く
柔らかで
底のない
夜。

文学極道

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