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霜田明 - 2017年分

選出作品 (投稿日時順 / 全17作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


労務の顔

  霜田明

今日の空には遂に
でくわさなかった
(僕の身体は空洞
 個人の来訪を妨げる)
  僕の身体は
  豊かな音の空洞

   来訪に
  現存在が
  現存在らしいみっともなさが

    僕の思想は感温の思想
    こんなときこそ緊張が要る
    関係上の思想の――
    朗らかさとはその緊張なので

   謝罪することよりも
   露呈することのほうが恐ろしい

  (その他人の顔)
  顔はいつでもごく個人的な
  三角関係を内包している

僕の若さはまだ信じられている
現実僕は明日の空に
(冬の電線 緑青の錆)
今日には少し出くわした


自責

  霜田明


こんな街角の
いつも歩いてくるほうを
帰り道から 反対側から眺めると
うつむきながら歩いている私の
なんて貧弱な歩き姿だろう

より良く苦い私であろうとして
それでもこんなに水っぽい
私の積み上げてきた
考え事の紙くずたちが
(大きな川へ向かう 生臭い総括の匂い
例えば浮浪者の鞄の底には水の溜まり)
風に乗って運ばれていく

  (生きているということに
   どれだけ浸透できるだろう
   この街に この暮らしに この人たちに
   どれだけ融和できるだろうと思う
   この木に この自動販売機に
   どれだけ親和できるだろうか
   この排水溝に この夕方に
   どれだけ同化できるだろう)

人が死んだら
自分がいずれ死ぬということさえ
わかったようになってしまったり

人が笑っていたら
自分が笑うということを
おぼえたようになってしまう

眠っているときには
まるでそのまま死んでしまうかのように
眠りに同化しきってしまうんだ あるいはきっと

  (僕が夕方の帰り道を
   こんなに静かでは
  あまり本気でないような
  自責とともに帰るとき)

生きているということに同化するということ
死んでいくということに同化するということ
ということが とても恋しくなってくる
とても恋しくなってくる
とても恋しくなってくる


一枚の写真

  霜田明

「一枚の写真へ」

分厚いカーテンの隙間から
失われた温度の差し込む朝
(朝の空は人の両手のひら)
過去という夢を見た(雨ひとしきり)

  (朝は天使の落とし物)
  冷えた小さなその物質を
  僕はこれからこの腕の中に
  暖めていなければならない

    (港町に流れる風の霊性)
    人混みを透り抜けながら
    過ごしていくことへの虚しい固着
    から詩は起こる
  
      「私は異常である」ということは
      少しも存在していない
      「私は異常だ」と思うときのそれは
      ただ罪悪感そのものだった
  
      一枚の写真が無層の現実を写すとき
      被写体の切なさが過剰すぎず
      それでも少し過剰であるとき

      写真は強い欲求である
      撮りたいという欲求でなく
      そこにあるそのもの自体への欲求
      (どの人間の側からでなければ
       どの被写体の側からでもない
       世界の側からの精神的な反重力)
  
    世界のような人体と
    行為のような物体と

街は反時計回りに渦巻くぜんまい
夢のような心的現実を退けて
自動機械は全く同じだけの
言葉の量を積み上げていく


冬の路地

  霜田明

人気のない路地を通り抜けながら僕は
世界につけられた沢山の言葉を
(ほとんど親愛の感情で)
一つずつ忘れていった
  バスドラムのように鼓動をうつ
  人待ちバスのアイドリング
  (だけどふしぎに音がない
   そこには行為がないからだ)

試験管でのような
下方沈着の閉塞感のなか
白息だけでわかりあうことに
期待を抱きかけていた
  (冬の文明開化は
   甚だしく)

この町の動力源は
誰かが回した8mmフィルム
   ジリジリジリと過去を刻んで
   人々の活気は送られる

僕らは素敵な登場人物だったから
勝つ喜びも
負けることの惨めさもよく知っていた
  僕らはほんの端役でしかなかったから
  たった少しの勝つことにも
  負けることにも
  関係がなかった

    (風、あるいは影)
僕はもう十分生きた
とおもっていた
    (固い足音)
     僕らは生きるよりずっと先に
     生まれてくるべきはずだった

あてもなく歩いていたわけじゃなくて
あてもなく歩いている僕ならば
世界の完成を崩すことはないと思っていた
だから
あてもなく歩いていたわけじゃなくて
世界と一緒に完成していたかった
僕は世界と仲直りしようとしていたんだ
世界と仲直りしようとしていたんだ


反芻

  霜田明

起床は昨日の生活の
続きの訪れではけしてない
僕は昨日の僕が
繰り返された僕ではない
起床は夢のようにゼロから織られた
新しい生命の訪れである

 (窓を開け放しにして寝ていたせいだ
  雨の匂いが強いから
  雨が降っていると勘違いしていた)

   窓からさしこむこの光
   いやいや光は幻想でなく
   液体のようにやわらかく
   たしかにふれうる具体物

     朝は大きな母の顔
     空の向うからやってきた

おだやかな時間が
幼い純潔が
こうして僕を訪れるとき

君のことをなにもかも
わかってしまえるようになる

言葉も交わさず暮らし合う
ぼくらの無意識はまるで
なにもかもわかり合ってしまった
そのあとのようにおもわれる

    (世界が見せるのよりずっと
     身体の内部は鮮やかに見せる)

    寂しさはなぜ尊いか
    寂しさなしに慈悲はないから
    慈悲はかならず自分の慈悲だ
    他人の慈悲は慈悲ではない

    世界にさんざん
    遠ざけられて
    ねぼけず暮らしていくことを
    能力なしで許せたときに
    それがまさしく慈悲なんだ

君との暮らしを反復するのと同時に
新たな生命を反芻している
そのどちらかに偏ってしか生きられない
この寂しさがもしもわかれば

  (「他者の言葉の硬さに怯むな
    なるだけ正しいことをしよう」)


僕の病気

  霜田明

    ・ 2013.12.11

はてしないような 
このおそろしい道だというのに
いざ 私にせまるときには
幼子の 足元に縋りつくように 
かなしい障害である さかみち

    ・ 2014.03.01

そうか このさかみちは
遠い昔に実体を持っていて

すがりつくような
足元の悲しい障害として
今だけに本当であるはずはない

陽光も気味悪く滑らかであるし
(じゃあ、本当は、今だけの本当は何だろう)
影もしいんとしてるし
(それなら、空も 雲も
 こんなに明るくては本当でないようだ)

    ・ 2014.10.16

これは秋の匂い
(散歩にわずか
 こころのなかで一人ごち)
力なく蹴る石がころがると
秋のせいだと思っている

    ・ 2015.01.25

眠たい心には
眠たい毒がある
死に際の瞳孔のように
暗く広がり
世界を明るくみせようとする
(こころには)
寂しい毒がある

    ・ 2015.05.16

おちこんで 一日眠く
一日眠く 過ごしていると
僕は植物、 だろうか 
部屋はほの黄色く
夕方にさしかかるころ
僕の心もぼうっと点滅し
動きのように反応している

    ・ 2015.11.09

なにをしてすごしてきたか
一日ふりかえってみたけれど
あまりに今日はぼんやりしていて
想えば僕は 僕の暮らしは
0歳のころから今日までずっと
ぼんやりしていたんじゃないか

    ・ 2015.11.19

薄暗がりを暮らしの
生活十分とするならば
いつでも光りすぎる電球の
小さな傘を見つめていた

(もし僕が大男ならば
 落ちる影にも みしみしとした
 暮らしの音があるのだろうか)

生きた木の匂いのある天井の下
この部屋をしか知らない光に富んで
今日 ありついた夕飯に
白米も秋刀魚も眩しく

    ・ 2015.11.28

僕がぼうっと光りながら
黒い傘をさす 植物になって
世界に影のある雨をふらせている

 車は闇から闇へ
 追われる過去をひたはしり
 水たまりはぽしゃぽしゃぬれて
 雨の匂いはこげくさいまま
 すっかり夜へすべられる

先を行く後ろ姿の
あの人も もうすっかり
歩く人間の植物だ
(あの人の背中は耳
 音を聞かずに聞く
 あやしい純粋反応器官)

    ・ 2015.12.06

ほしいものが
たくさんある

肉体的なものもあれば
精神的なものもある
退屈しのぎのためのものもある

ほしいもののたくさんあるこころは
ぽっとした清きほてりにさえ通ずるが
ほしいものをほしがっているこころは
茶碗をしろく齧るような辛いこころだ

    ・ 2015.12.08

冬になると
他の季節にはとてもうまれない
覚悟のような音の広がりが
木のそれのように
血液をとおってくる

夏にはまったく無為な
どうでもいいくらしと
難解な哲学、
拭い切れない牛乳のような怠惰だ
そして投げやりの深刻さしかないが

冬には声があって、明暗わかれるな、
という気がしずかにしてくる
ほほえみも ゆるみも
積極的な肯定でないと生きていないような
するどい視が感じられる
道にある影を
あきらかに影と感じるようになる
誰かはなしていても
みんな黙りこくってしまっているようになる

口もまぶたも癒着してしまった
偉大な顔が訪れている

    ・ 2015.12.17

ここのところずっと
からだの血のめぐりがわるい
やさしいひとのてのひらより
神様の顔が恋しいみたいな
ここのところぼくの不健康が
まったくたたってきている

    ・ 2016.01.07

人にさわる為の両手で
さわられてきたものたち
木のふりをしたものや
鉄のふりをしたものたち

私の持て余す両手の火照りを
静かに受け止めながら
その不貞を咎めて ものたちは
ずしりとした重み

    ・ 2016.01.22

木々をゆらす風の音が
やんだり なったり している
その風が木の肌とおんなじに僕の肌を吹くとき
こころの窓のカーテンのふくらみを感じた

    ・ 2016.01.31

これほどあまい午後一時
わずかな火照りと寝転びながら
すけた窓越しに雲を見る

こんな五感がまったくふしぎで
退屈なのか憂鬱なのか
あるいは至福か わからない

ほしいものもなければ 望むこともなく
ゆるい眠気だけをまぶたにうかせている
こんなときこそ 死というものが 
ぽっかりと あるいはほかんと 思われてくる

    ・ 2016.02.07

そろそろ人生の半分を過ごしたと思う
もう思い出せない幼少期の
幼すぎる思い出を思えば
  (数十万の金は
   私のこころを憂鬱にさせるが
   数千円の 金は
   私のこころを躍らせる)

    ・ 2016.02.18

いちにちずっとねていたが
(いちどいけなくなったとき
 ひとはとたんにだめになる)
こんなひには ねたままみたいに
おきているあいだもすることがない
(まるで夢みたいなひとりきり)
ひとりでは ひとはとたんにだめになる
  (だめになっている眼でできた
   部屋の光景が煙に映り
   まるでいきいきはたらいている)

    ・ 2016.04.13

なんという蓄えだろう
果物をかじると
水をがぶがぶのんだのよりも
うるおうようだ

(朝の空気がおかしな両眼に
緑の水で 距離に応じて滲む
まるで感傷の屈折は
昨日も今日もかわらない)

    ・ 2016.06.02

 (毎日の身代謝が動物的課題であれば
  毎日の光代謝が人間的課題である)

このところ 一週間は
よくおきて よくねることができている
光の素直な受容状態と
その内的な錯乱状態とを
きちんと行き交うことができている

  (この 広い道
   あれが 青空)

だけれどなんだ
ここではくらしが
いちばんつらい
小銭を支払うだけなのに
手が震えてくる

    ・ 2016.11.17

すべての疑問は
自分の中でほどかれるのを待っているのに
部屋を出て街をうろついて
架空の顔ばかり覗き込んでいる

  (秋のショーウィンドウの透明さ)
  病的な時期を除けば
  暮らしの殆どの場面は詩にならない

疑問は深い水準を装った
地平に現れるのに
苦悩はいつでもすぐそばで
親しげな顔をする

 (明日という日が信じられないんだ
  今日という日を信じられないから
  誰一人信用できやしないんだ
  自分を信用できないんだから)

  孤独というのは自分との距離だ

    暮らしは詩のように
    安心を与えてくれない

    (暮らしは液体だ
     透明な液体を飲み続ける
     その排泄も液体だ)

曖昧に関係しているつもりでは
(秋の噴水の拙い上昇志向)
気を狂わずに この街の中で
暮らしていくことはできないらしい

    ・ 2016.12.07

ほとんど対人の親しみだった
妙な膨らみとの時季を越え
冬は たしかにそれとわかる季節
  冬の匂いは瞳を通り
  世界はまるで小石の細部を
  全体性の規範にする

  現在とは(紺色のナイロンジャケット
  死んだ植物の脚 均等という意識)
  過去という現実の
  地道な反復の現前
  という幻想の地平で
  自己意識の中へ
  鮮やかに疎外された
  空間と時間

(我々はたしかに冬をだけ知っていて
 未来は全て他人の顔の中へ送られる)
  
ジャケットのポケットには
もう3000円しか余っていない
  たりる たりる
これから家へ帰り着くためには


勤勉

  霜田明

秋刀魚のお腹に箸を押し当てる
お祭りの夜に塗られた銀色が
硬い箸に響いて
現実の硬さに屈してしまう

怠惰なふたりは座っている
ああ とでも おお とでも
言おうと思えば言えたから
けして無能だったわけではない
  
    言おうと思えば言えたのに
    それが ふしぎに難しかった 

  感じられたと
  感じられてきたものが
  何でもなかったような気がして

ただ言うことがそれだけで
くらいことのように思われた

 (秋刀魚の腹の柔らかさ
  多く蓄えていた証)

    どんな画家なら絵を描けただろう
    どう描けば関係を描けるだろう

    もし神様にあえたとしても
    僕と君では
    ものの頼み方がわからない

秋刀魚のお腹に箸を押し当てる
豊かさは
いつでも圧力に屈してしまう

済んだ後に似た魚を前に
僕らは無能をやめて
勤勉になっていた

  僕も君も ずっと
  生きてきたわけではなかった

  今日か昨日の朝に
  生まれてきたばかりだった

  今日か昨日の朝だったのに
  なんと言われて生まれてきたのか
  もう思い出せないままだった

     視えない母に手を握られて
     幼い僕らは連れられていた

     視えない背中を追いかけて
     知らないところへ老いていく

ふたりは 悲しい音ではないのに
他に音ひとつ生まれなくて

僕らが勤勉になっていたのは
もう しばらくのことだった


窓辺

  霜田明

座っているだけの
カフェテラスの窓辺
ぼくはいつだって
平和でいたかった

  窓の桟に
  ハエトリグモが一匹
  アルミ製の桟は
  彼の橋ではなく

    登ろうとしては
    滑り落ちる
    ひっくり返って
    宙を掻くようにもがいている

     (ただ満足でないのなら
      どうやっても満足はありえない)

        僕の悔いや妬みがああやって
        着飾って歩く人々の姿をとるならば
        きっともう それは
        僕の内部ではないんだ

     (短く明けるコーヒーの黒)
      着飾ることを羨んでいた

    窓の桟に
    ハエトリグモが一匹 

     (登ろうとしては
      滑り落ちる
      ひっくり返って
      宙を掻くようにもがいている)

       (僕の無能を限ることで
        温もる冬のカフェテラス)

        見つめることの無邪気さが
        ハエトリグモを重大にする

         (彼らのように有能でありたかった)
         (ぼくらはみんな虚しいと思っていたのに)

            わずかな賞賛さえ恋しかった
            あなたの愛を勝ち取りたかった

              このクモに対する僕のように
              誰も僕を励ますことはできない

               (君は世界が怖くはないか
                僕らはいつでも人が怖い)

              このクモの生命は
              僕の生命と同じ

            僕らはきっと同じところにいて
            きっと同じことを知っている

         (それでも
          僕は いけないんだ)

      僕は必死に
      怠惰を暮らす

   差し込む夕陽の眩しさに        
   明日を信じてしまいそうになる

 僕らの吹かれる共同を
(どうして生命に置いたのか)


1/3(欲望/三者関係)

  霜田明

「幼児は飲み尽きることのない乳房がつねに自分のところに存在していることをのぞむが…この衝迫はもともと不安に根ざしているものなのである…出産によってひきおこされる激しい被害的な不安…自己と対象が…破滅してしまうのではないかというおびえ…」[1]



君は 不可能だから
美しいんだ

  ぼくらのかわりを吹いている
  均等の口笛が流れると
  
   (遠くで目覚めていることが
    僕の背中を優しくする)
    
      僕は君を恋していた
      君という可能性を信じていたところで
    
    僕は君を恋している
    不可能性を 君そのものの可能性を
    
  君はいなくなってしまったんだ
  それ以来君は 君と僕の間に固定されてしまった
      
    ぼくらは膨らむ
    無際限を 有限のうちに孕もうとするから
      
     (正しさのせいで
      いつもより間違えてしまうことのないように)
     
        歴史が肩に包帯を巻いている
        水のように膨らんだ現存意識
       
          珠のような光が
          僕をじっとみつめている
      
            美しい関係を得るためには
            僕は自分でなくならねばならない
         
          むやみに満足しながらでなければ
          僕の帰り道はいつだって
          
           (不本意だと思いながら
            帰ることしかできなかった)
       
              不本意だという考えは
              セルフイメージからの落差によるものだから
             
                他者である僕が他者である僕に
                説教するのを眺めながら帰った
               
             (なにもかもが不本意なんだ
              こんなはずではなかったのに)
           
            もう取り返しのつかないものたちが
            春の細部に集っている
        
          いままでやろうとしてきたように
          不可能性へはあるいていけない
          
        僕が歩いていけるのは
        いつでも可能性の広がり方へだけなのだ
          
     (もう取り返しのつかないものたちが
      春の細部に集っている)
          
        確かだと感じられてきた過去を
        こんなに遠く感じるとは
        
         (不可能性は直線の道を想定したが
          可能性は散乱の様態を現した)
        
            未来と呼ばれるそのものを
            こんなにはっきり感じるとは
          
              僕は人間になれるはずだと
              いまならほとんどそう思える
          
                僕の孤独は不可能なものからの距離だと
                不可能なものの遠さが僕に教える

              君が愛おしいのは
              君が 不可能だから愛おしいんだ

           (ぼくらのかわりを吹いている
            均等の口笛が流れると)
  
          遠くで目覚めていることが
          僕の背中を優しくする
    
        ずっと君を恋していた
        君という可能性を信じていたところで
    
      今ははげしく羨望している
      僕にとっての不可能性 君そのものの可能性を

        触れられればいいのに 触れることができない
        触れた途端に 不本意にかわる
    
          不本意というのは
          現実性の二重の落差によるものだから
      
        何もかもが不本意なんだ
        朝目覚めてから夜眠るまで
  
      不本意なことが不本意なんだ
      可能なもののちかさが僕に教える
  
    僕は一体どこからきたのか
    君へのうらみにかさなる不安へ
  
     (ぼくらはどんどん膨らんでいく
      無秩序を 秩序のうちに孕もうとするから)
   
        関係を信ずることができないから
        おかしいな 僕はなに一つ信じてやしない
    
      だけど 不可能なものを離れさえすれば
      それでいいんだ これからは
  
        そうだ「死ねば死にきり」、だ
        不可能なものに触れる手を持っていない僕なのだから

      死ぬことは、
      不意にしかやってこない
 
      (「私が今日まで並べてきたもの」
        偶然としてあらわれるほかない現実性へ向かうこと)

          でも、なにを恐れることがあるだろうか
          いままでだって僕の世界は

            僕を散々
            遠ざけてきたじゃないか
 
          性的欲望は人間の形をした
          諸部分が非人間的に統合されることを願っている
  
            性的関係はお互いがお互いに対して
            人間同士であるところに成就する
      
              代理像同士の接触 性交渉に代表像される
              優劣と好悪の支配関係
    
                性的欲望の思い描く理想像は
                僕らが互いに人間でない関係である
      
              精神の異常性は共同性へ疎外された
             「歴史的現在」の平衡意識に依存する
    
            異常性はただしく異常性であるところに存在する
            平衡意識を得ていない狂人は狂人になりかわることができない
    
         (自分で自分を愛せなければ
          愛されることは虚しくないか)
          
       (愛されることを前提にして
        暮らしていくことは虚しくないか)
    
          異常性は他者と認める他者から
          異常と認められなければ存在できない

           (正常性は他者と認める他者から
            正常と認められることで存在できるように)

       「愛すべきものは不在である」[2]
       「私は密かにその無意味性に耐える」[3]

     受容と認識はすでに関係である
     関係はほかの関係たちと背反し合うことで主体を疎外する
     
       「欲望に居場所を与えてやること」[4]
        僕は顔のない僕自身が恐ろしくてたまらない
     
      僕は君を想像している
      顔を 身体を 君の言葉を 君を
  
  ひとりで暮らしていると どうして
  消え入ってしまうような恐怖を感じるのだろう     

   (孤独な君に依りたがることならば
    孤独というのはなんなのだろう)

これほど確かに存在しているのに どうして
生きているような気がしないのだろう



「伊豆で溺れたときも、やっぱり同じような体験をしました。やっぱり身体が冷たくなっちゃって、「経験上、このままいったら駄目だな」と思って、もうあがろうと思って岸のほうに向かって泳いで、もうすぐあがれるところで駄目になったんです。恐怖というのはその瞬間にはありませんでした。「これで終わりか」というだけで、その後のことはぜんぜんわからなくなった。ただ、周りはなんでもねえのに、俺だけ死ぬというのはおかしい」というか、おかしいってこともないんですけど、奇妙な感じになりました。」[5]
 
※1 メラニー・クライン「羨望と感謝」『羨望と感謝』(誠信書房)
※2 シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』(ちくま学芸文庫)
※3 新宮一成「言語という他者」『ラカンの精神分析』(講談社現代新書)
※4 フィリップ・ヒル『ラカン』(ちくま学芸文庫)
※5 吉本隆明「死を迎える心の準備なんて果たしてあるのか」『人生とは何か』弓立社


肺胞

  霜田明


あなたがそこに生きていたとき
あなたに時間は流れていなかった
あなたがそこにいる光景が
いつでも私に流れていた

あなたがそこに死んでいたとき
あなたにかなう遺書はなかった
わたしの遺書はそこに決められた
もう誰にも開かれることのない


開放

  霜田明

  一

 生まれたときからその娘のことを知っていた。
 毎年春が来るたびに僕は年齢をひとつずつ更新していった。それでも僕は僕がゼロ歳のままの僕であるような気がしていた。
 それは毎朝目を覚まし、関係意識を取り戻すまでのほんの数秒間に存在する部屋だった。
 その部屋の中に存在できるものが「不在」である他に何でもないことは、僕がこれまで考えてきたかぎりでは確かなことだった。風が吹けばカーテンは膨らみ、コーヒーカップは机の上に置きざりにされていた。その後反復する僕は、むやみにカーテンを引き、昨晩飲み残したコーヒーを手に取った。そして、その娘は現実の僕やぬるいコーヒーがそうであったように不在ではなかった。
 僕の恋人が年齢をひとつ重ねるたびにマイナス方向へ歳を重ねていくらしかった。

  二

 社会が個人的な言葉を遠くすることがわかった時から個人的な言葉で話し考えようとするたびに、僕は僕自身からプラスの方向へ遠ざかり、それと同時にマイナスの方向に遠ざかるようになった。それは身体という実空間を僕が今存在しているこの中心で置き去りにするために、身体へのイメージが顔面側へ、そして同時に背中側へ、脱け出して酸欠のように色の薄い距離をとるのだった。君を嫌いになることと社会を嫌いになることが、まるで同じことのようになった。
 だからその日僕は部屋でぼーっとしていた。なのに部屋にはそこら中で「在ること」がたかっていた。僕はまたその娘を思い出していた。在ることにたかられるのは僕らがいないからなのではないかと思った。すると僕ら関係同士の間には明らかな物性が刻まれていた。

  三

 「誰も君を愛せない」とそのときだれが言ったんだろう。誰かがそれを君の妄想と決めつけるには明らかに君の表情に刻み込まれていた。どうして解読できない言葉で刻み込んだんだろう。でもその言葉が僕らの言葉のルーツであることは確かだった。僕はまるで既知のものであったように、その言葉をたどたどしく読んだのだから。
 君は君はかわいそうだから、みんながかわいそうに見えるのだと言った。僕はたしかにそうだと思った。君が一番かわいそうにも見えた。
 君が僕の想像のつかないところで存在しているところで君への愛情が水風船のように膨らんだ。だから君の僕への愛情は僕にとっては存在しなかった。ただ君はそこに存在していた。静止した時間が君の顔から表情を洗いさると君の顔は既知の言葉だけで書かれていた。

  四

 表情を拭い去れば君の顔を読み下すように街の中に散らばるすべての顔も読めるはずだと信じていた。そうしなければ君という意味はきっと一つのところに決められていたはずなのに。かわりに僕らはお互いというところに安住しはじめたのだった。お互いという場所だけが僕らに唯一共有された場所だった。それからの僕らは自分の顔ばかりが街中に散らばっているのを流れる玉音放送の中で見つけつづけた。

  五

 ときどき距離は水温のような接触に変わって僕らはそれを反復した。許されている限り完全に支配されているのだと歌いながら垂れて水は土壌へ染み込んでいった。僕らは支配することを認知できなかったから憧れていたけれどそれよりも目で見たものをなりふりかまわず羨望することで自己を維持しようとした。自分から遠ざかる自分を取り込むためにそれ以外のものから距離を取ろうとした。それが自己自身に属さないことを認めようとすることはすなわち羨望視することだった。それを切り離すことで取り込もうとするものを僕らは人格と呼んでだからそれを敬い特別視することにした。

  六

 マイナス五歳のその娘は笑いながら言葉を忘れていった。固定された顔を持って部屋の底で僕に愛情を示させようとした。
 どうして君を無力に仕立て上げようとしたこの目がそれをあの娘へ疎外して僕は無色の君へ接触を試み始めたのか。
 すべての反復行為は性的行為でありすべての性的行為は反復行為であった。破壊を信じない破壊と感謝を信じない感謝のやりとりで、接触は僕らの暮らしをどれだけ優しく織り上げていたことだろう。
 透明な夢の中で僕は僕の羨望を誰もに正確に伝えるための言葉を覚えたいと臆面もなく話していた。

  七

 無条件であることが僕らの満足の条件であったのに暮らしは幾つもの条件を僕が欲望したもののように突きつけた。今日幾つかの孤独死の中でどれだけマイナスの年齢が死んでいっただろう。「幸福」は物性行為を意味する言葉だと注ぐ日光を構成する粒子の動きのなかに見た。為すべき仕事さえあればと歌った啄木を僕は思っていた。誰もが維持するために働いていたのに維持されているものを変化させるためのように働き続けてきた。

  八

 未だあの戦争が避けられえたものだったかのように日本の夏が決められようとしていた。今年の花火大会は大雨で中止。集まった人たちは駅前で長いこと雨が止むのを待っていた。僕は部屋にいて何もすることがなくて蝉の声より青い空を作り出しイメージしてみようと思った。未来が条件付けられたもののように透明な電波をジャックしていた。君の顔を思い出さなければ世界には同じ顔しかないことを恐れていた。

  九

 この詩がここで終わっても僕の暮らしは生の無条件性を忘れずにいられるだろうか。僕は君との距離を不在と置き換えて表現したことを悔やんでいた。
 食わずに生きられないならば条件なしに食うべきだ。働かずに食えないのならば条件なしに働くべきだ。この類の理屈はどちらの方向へ連れて行っても僕らを条件で縛っていなかった。僕らを縛ってきたものはすべて現実の関係だったから。僕は欲望された世界の中で君と関係し始めた。その時部屋は開放されていた。長かった歴史は亡きものにされたようにみえた。細かいガラスの破片が床に散っているのが見えた。僕は時間の中にいなかった。

  十

 一方向へぞろぞろと家にたどり着こうとする集団は糸のように繋がれて見えた。その糸が僕を縫い合わせる代わりに長い眠りは汗だくの僕に変化した。そのとき窓は開け放たれ鳴き止まない蝉の声が仰向けになった僕の身体を太い腕で夜の底へ押し付けた。風が吹きもう一度僕が忘れ易くなるためにそれから少し長い時間があった。


秋の詩

  霜田明

長生きしているように
君は眠っていて
僕は冷たい牛乳を注いでいた

過ぎゆく季節の代わりに
君は眠っていて
窓辺のベゴニアが花を落とすと
突然風がやんだようになった

君に届かないことを愛していたから僕は
君にも愛されている気がしていた
過ぎ去った季節は
僕らの外で何度も繰り返され
そのなかで僕らにそっくりな
二人が暮らしていた

目を覚ませば鏡の中の君は
また誤解を解くために
過ちを探しはじめるだろう
どこにも間違いのなかったことがわかれば
忘れ去るためにまた長い眠りに入るだろう

僕が眠りかけていると
とつぜん君は電気を点けて 宵が
僕らの代わりに人格になろうとしているところだった

僕は僕らの間を過ごす
不思議な活気に気がついていた

優しさと 残酷さが
秋の瞳孔の透明な水の中を
行き交いしていた


恋の詩

  霜田明

今日の予定をすべてふいにして
一日中 目を覚ましている
観葉植物のふりをしていれば
切れた蛍光灯の代わりになるだろう

いつか君になることを願っていた
部屋の中で遥かに広い傘をさしたかった
顔を洗えばそのことが
君の長い髪の毛を濡らしていたらよかった

歴史以前そうだったように歴史の水は死んでいる
誰にも勇気がないのに切石を積み上げたように
偉大さだけが残されている

故郷のない僕らにとって低俗さとは何か
低俗さを知らない僕らにとってあこがれとは何か

開けた窓を隔て相対した僕らが互いに成り代わることでしか
爽やかな風を感じることはできないだろう
無口でなければ軽はずみにしか歩けないほどにまで
僕らの受容精神は荒廃しきっている

今日の予定をすべてふいにして
僕は一日中 耳を重ねている

僕らは一様にそう決められてしまう
憂鬱の中にはいなかった
時間の長さにも空間の広さにも
それらの距離の実感覚に
僕らの生活は救われ続けていたから


生命力

  霜田明

めをさましたのは
めざましどけいがなったから

めざましどけいのなる音が
近くてさわがしかったから

食べたいものならある
食べられないものなんかない

それでもおなかがすいたから
寝ぼけていることをやめにする

  

君も目を覚ましただろう
目覚まし時計をかけて

君は自分のちからでは
目覚めることができない

濡れたままの時間を
忘れ去られていくために

君は壁掛け時計のように
待つことだけで生きながらえている

  

あんまり眠たかったから
眠ったことだけ覚えている

僕には身体があって
一人ではおどけられなかった

君は待っていることでだけ
愛することが言えるのだろう

待っている人に恋することは
遠く離れていくことだった

  

悲しい言葉しか知らないのかと
思ったよ君は話さないから

僕が話し始めると言葉は
世界の背中の水を打つように響いた

君は冷たかったし
僕も冷たかっただろう

励まし合うなんて嘘だって
僕らは分かっていたはずだから

  

優しい気持ちになっている日には
いつもより君を遠く感じた

眩しい夕焼けが一瞬だけ
時間を止めたのを僕は見た

裸にされてしまったあとの身体は
分からないものだけで出来ていた

どうしても君がわからないと思っている時間が
君を愛している時間だった

  

それでも僕らは
お互いの場所にいたはずなんだ

そうでなければ二人でいても
一人でいるのと同じだっただろう

終わることさえも
何も分からない電信柱が立っていた

夜の端を断つ裁縫ばさみの
照り返す光の生命力よ

  

僕はもう身体を持つことに
耐えられなくなってしまったのかな

遠くへ出かけていくことだけが取り残されている
君はずっとわかりやすいだろう

距離につれて景色は広がっていくのに
僕の世界は変わらない

部屋に帰ると昨日の僕は
贈り物ばかり集めている


責任

  霜田明

 
    一

 猫を見ていると、生理的なものと精神的なものの距離が、人間においてよりも近くあるんじゃないかと感じることがある。
 座っている猫に愛情を示そうとすると、猫は僕が餌をくれるんじゃないかと思って立ち上がる。あるいは、座ったまま眠たそうにまばたきをすることもある。
 猫はきっと、生理的な優しさというものを知っている。

    一

 君を見ているとわかる
 覚えていることよりも
 忘れていくことのほうが
 つらい

    二

 フォークシンガーの高田渡に「山はしろガネ」という歌がある。「スキー」という唱歌の替え歌で、この歌が歌われると、聴衆からやじが飛んだり笑い声が起こったりする。

  借りたお金はウン百万を超えてきた
  眺める月日の風切る速さ
  困るよ困るよと言われちゃこっちが困る
  がたがた言うなよそのうち返す

           高田渡  『山はしろガネ』

 高田渡が金を借りたまま返さないというのは事実だったらしく、返ってこないと知りながら、それでも貸す人がいたというのも事実だったらしい。
 僕は昔、金を借りるというのは、立派な能力だと書いた記憶がある。高田渡は酒の飲みすぎで突然倒れて死んだ。56歳のことだったが、必然のように死んだ。

    二

 歩くために歩いたことなんか
 一度もなかった
 でも、愛するために愛したことは
 なんどもあったという気がする

    三

 ソファーに寝転びながら本を読んでいると、猫がやってきて、僕の上に乗ろうとしたが、上手く行かずにそのまま立ち去っていった。冬になると、猫は人肌が恋しくなるらしい。
 僕はニュース番組を見ていた。九人の首を切ってクーラーボックスに保管していた男が逮捕された。
 最近、天気予報の外れることがなくなった。友部正人の「ぼくらは同時に存在している」という曲の歌詞に、「天気予報は外れたけれど」とあるが、これからは通用しなくなるんだなと思った。
 僕は猟奇的という言葉がこの頃、嘘のようにしかテレビのテロップを飾れないことを見ていた。

    三

 倫理性というのは
 自分がどう振舞えるかという問題だ
 他人がどう振舞ったかを
 裁くためのものではない

    四

 最近になって、息子というのは母親の作品なんだと真剣に思うようになってきた。でも、この言葉はいろんな意味で反発を食ったり、誤解されるだろうと思って、どこにも書かなかったし、誰にも言わなかった。
 僕はものを書く機会さえあれば、何度も何度も、爽やかだという言葉を使ってきた。それは朗らかという言葉の上位概念だと、何度も書いた。天気予報が当たるようになると、新聞の見出しの言葉は「ソフトバンク優勝」の一言さえ嘘のように思われるのは、爽やかなことだと感じていた。

    四

 他人を裁くときには
 無責任に裁くしかないのに
 自分自身が裁かれるときには
 責任を負う形で裁かれる

    五

 紙幣は価値を持っていないのに、お金は価値を持っている。それは、人間が価値に対して臆病なことに関係しているのではないかと思う。
 僕はお金を使うのが怖いという感覚を、詩的現実として信じているが、暮らしの中でその感覚を持ったことがなく、むしろお金を持っているという意識のほうに恐怖を感じることがある。
 それはどちらも、通帳に乗っている文字のような抽象的な意味合いでのお金ではなく、実際にお札の手触りを感じているような、具体的な意味合いでの「お金」の話である。

    五

 エゴイズムは自分が存在することに
 責任を負わねばならないからこそ起こるのだから
 善悪は、意味を持っていても
 なんの価値も持ってはいない

    六

「鬱病は心の疾患ではなく、脳の伝達機能の疾患です。」
「批評を読むのはよしなさい、美を台無しにしてしまうから」
 僕は思う、現実は、想像される価値と、思考される意味という、二枚の合わせ鏡の生み出す像のようなものだ、想像されることも、考えられることも、掴むことのできない領域として、個別性として立ち現れるのが現実自体なのだと。
 本物の母親というのは、個別の母親なんだ。母親という価値でも、他者という意味でも、掴むことのできない現実の「あなた」が、本物の母親ということなんだ。

    六

 関係することは
 一人でいることではない
 それでも君に出会ったとき
 僕はどこにもいなかった

    七

 二人でいることには内部がない。君といる時、僕は君と隔たっているから。
 僕は「僕といる君」と一緒にいて、君は「君といる僕」と一緒にいる。それらは完全に隔たっている。
 でも、そこには二人でいることがある。二人でいることには内部がない。でも、そこには二人でいるということ自体が、僕らよりもたしかに存在している。
 
    七

 身体が君より先にあって
 世界には誰もいなかった
 鈴の細い音が身体からこぼれようとする液体の
 君の落下を止めようとするのを聞いた

    八

 僕は君と出会うことでもっとも強く現実を意識する。それは君が明らかに個別の君だからだろうか。

    八

 出会うことの冷たさと
 別れることの冷たさは似ている
 出会っている間の暖かさより
 ずっと深いところで触れる冷たさがある

    九

 平等という言葉の流行とともに父権が消えていく。新米の寿司職人が十年間もシャリを握れないことの無駄な時間が、父権を育てることの空間だったのではないかと思う。
 父権がなくなってしまった今、誰が誰を叱ってあげられるだろう。
 現代を憂えているわけではない。
 ただ、死んだ人をかえってはっきりと目に見ることがある。

    九

 死にながら生きているという言葉の
 解釈の冷たい底に触れたとき
 僕は僕を取り巻く羨望たちの
 優しい声を聞いた

    十

 冬と君の身体は似ていると思うことがある。僕がそばにいてほしいときに君がいないということだけが優しさだと感じられることがある。

    十

 意味はいつも遠くて
 価値は重たい
 君を遠ざけることは
 僕にとって重たい

    十一

 吉本隆明の「フランシス子へ」という本を昨日読み返した。吉本隆明は政治的な意味合いで、とても胡散臭いところに位置づけられてしまっているように感じる。

  ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる
  もたれあうことをきらった反抗がたおれる

             吉本隆明  『ちいさな群への挨拶』

 僕は彼から「思想」の二字を学んだ。それから彼が書いた言葉は全面的に正しいと思いこんでいた時期を経て、次第に誤りの多いことを学んできた。そして振り返れば、それが僕の学びの全てだった。

    十一

 存在することよりも先に
 君に欲望されることがあったから
 冬の街を目的もなく存在し暮らしていくことが
 責任のように反芻される

    十二

 吉本隆明は死ぬ直前に口述したその本の中で、死んでしまった猫について話していた。吉本隆明の長女曰く、その猫が死んでしまって、その後を追うように、彼自身も死んで行ってしまったらしい。
 遊ぶわけでもなく、ただじっとそばにくっついている猫が自分の「うつし」のように感じられる。自分にそっくりだと感じられながら、人間と猫の間の微妙な誤差が振る舞いの中にどうしても出てきて、その誤差に猫のたまらないかわいさがかえって出てくるんだって書いてあった。

    十二

  誰かと一緒に話していても、話を聞いてくれる人は
  死んでしまった人ばかりだという気がしてくる
  死にながら生きているという言葉を
  口をつぐんだことの冷たさに覚える


優しさの領域

  霜田明

退屈は
ついえることでははかれない

世界中の遺伝子に告げたい
君たちに決められるものなんて
ほんのちっぽけなことだったよ

扉は澄んだ透明だから
敲いてもその向こう側の世界へ
知られることにはならない

清らかであり続けることで映す者が
ひとりの顔と呟けば済むような
分断された部分だけで実存している

触れることは
背中の方角を知ることだ

憂鬱は
服することでははかれない

みんな見ただろう
きれいな顔を
誰も触れることができなかっただろう

僕にはなにもわからなかった
触れることのできる手のひらは
過ごしていくことの眩しさに飢えていた

実在の君に触れることさえ
能力に瀕する水面のように
複雑な光の途を落とすのに

裸足の足跡を残すために
待てますか
生きているままで、

清らかでありたいと思うことが
君を無口にするのと似ている
だから僕らの恋はいつまでも
片想いにしか過ごされない

幸福だよ
僕らはとてもよく似ていた
つまり僕らが繰り返したかったのは
同じ言葉だと信じられたから

反応することは
優しさではなかった
存在することまでが
優しさの領域だった

若さに出口はない
という言葉の
意味が分かったよ

反応することは
寂しさだった
反復することが
寂しさの答えだった

ひとすじの煙がたちあがる
僕は寂しい言葉を聞いていた
それでも君だって綺麗なままだ
服することが夕空に触れていた

明日というほんの小さなことばさえ
僕は君に渡せない
「また一日が終わってしまう」
言葉はそこまでだったから


果てしないさよなら

  霜田明

   一

どうしてさよならしたのに
また会わないとならないんだろう

この頃言おうとしたことが言えない
自由という言葉に制約されるんだ

僕のことばを聞く人に
要求と取り違えられることが恐ろしい

向こう側があると思うことが
存在することの影だった

積み上げられる量が恐ろしいんだ
距離は空間のひずみのことだったから

それが偽りだと思うのよりも
悲しいことだと思うんだ

  二

どうしてさよならしたのに
また会わないとならないのか、と

言おうとするのに言えなかった
寂しさからしか語れなかったから

消えていくものだけが美しいという意味に
取り違えられることが恐ろしかった

生まれて死んでいくことの道程ではなかった
人は死んでいることの溜まりだった

持続しているわけではなかった
死んでしまっているから静止しているんだ

だから歩いていることに
心の底の無感覚だけが触れるものがある

覚えることのできない足音の冷たさに
僕らの実存性はときどき触れる

沢山の人が生きていることの
心の共同を信じる気持ちになる

でもそれは水のように死んで
溜まっていることだった

澄んだ湖面を
魂の風がなでるように

過ごしていくことがある
思想の入り込めない領域が

それは共有されないことが共同だという
僕らの生命の中核だ

だからさよならと言うことは
果てしないさよならを響かせる

それは生命の核なんだ
さよならをけして誤解しないもの

優しさの領域に
気がついたんだ

それからは僕の言おうとすることが
みんな嘘のように感じられるようになった

  三

たった一回 触れられたことが
脳裏のどこかで永遠を響かせる

何百回愛されても
何千回愛しても

永遠に辿り着くことはないのに

信じることは
信じられないからこそ起こるもの

現在はいつでも
距離へ意識を失っているから

現実はいつでも
もう存在しないもの

過去はいつでも
信用に値しないのに

歴史はいつでも
世界に色を与えてしまう

愛に
私があなたを愛することはなかった

愛は
あなたが私を愛することだった

それでも僕は邂逅を見つけた
たった一回きりの現実の中に

無限へ広がるふたつの影が
ひとつの影ではなかったことを

(だからさよならと言うことは
 果てしないさよならを響かせる)

僕がさよならと言うことは
自分を見捨てることではなかった

  四

これからという言葉はありえないだろう
明日は僕の予定する明日に過ぎないだろう

君はきっと一つの線上で我を失うことに安心しているだろう
僕はあらゆる関係を差異とだけ誤解しているかもしれない

君は男でも女でもありえないだろう
君はあなたであるよりも私であることを免れえないだろう

寂しい言葉はたやすく抵触するだろう
でも世界はそれらを拒むことを覚えている

拒むことが顔のように現前することはない
でもそれは色に対する無色のように実存する

だから僕の真実性は二重化するだろう
それが僕が君の気持ちに気づいているということの根拠なんだ

こんな夜中に目が覚めている
僕は僕の身体の中でひとりの顔をもって発語しようとする

それが僕の顔でないことを見咎める君の顔の内部で
発語しようとする言葉が反響しているのを聞いている

  五

世界中が同じ色で塗られていると思うのなら
そう思っていればいい きっと爽やかでいられるから

二本の電線に集う烏の
人間の顔のひとつやふたつ

だって
それは明日を想うことにそっくりじゃないか

自分に向かう視線のような方向性の
差異を過大評価しすぎているんだ

君の優しさに気がついてから

果てしないさよならは
細部を持つ身体のように実感を持った

そこには二人があったから
離別は喪失ではありえない

僕がさよならと言うことが
果てしないさよならを響かせることは

二人でなければならない場所が
陰で充ちるのをみとめることだ

文学極道

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