#目次

最新情報


浅井康浩 - 2007年分

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


「水性学」のためのジャンク群

  浅井康浩

鉄路

ひややかな夜明けはどこまでもぼくたちのやすらぎを束ねていってしまうから、かぎりあ
る鉄路はなにげない眼差しのまま見限ることとして、さりげなさからはすこし離れたよう
にばらまかれていた繊維質のしなやかさへと視線をそのままにして、けだるそうに逸らせ
てしまうことも、あなたとなら、できたにちがいない
たとえば、曇った日の午後、小鳥のさえずりが聴こえるなかで、

学区

眼を閉ざしてゆく
あなたのいない歴史の時間はつまらなくって、
ポーランドのポーっておとでねむりがはじまる。
教室でねむるあなたに会うために、
キャラメルのとろけるはやさのすこし遅めで、と、いいきかせつつ眠れ、わたくし。



あたしのやさしさを拠りどころにするまえのあなたを見ようとして、息をひそめてしまう
ごとのキュッっていう鳴き声は、空気にとけてゆくたびに、立ちくらみへと変わってしま
う。うとましくおもうこのからだの、そのすべてをめぐる酸素から、うるおいを消してし
まった水分の粒子を受けとってしまうあたらしい予感が、わたしをどこまでもうつむかせ
てやまない。はやく、みみたぶの裏側へと、だれにも知られることなくさみしさを溶け込
ませてゆくあまやかなそぶりに身をゆだねてしまいたい。

教会

祈るとき、あなたの咽喉からこぼれだすやさしいうたは風にほどけて、かぼそいほどの雨
だれとなる。そしたら、ゆるやかなあまさへと滴ってゆく調べからすこしずつとりのこさ
れる約束をして。そして、くちずさむ速度でちりばめてみて。

湖畔

ほとりへとしずかに、ながされてしまうことのおぼつかなさに、そっと、わたくしに芽生
えはじめていた襞はふっつりと消えいってしまって、もう、溺れおわったあとにあらわれ
てくる、あのいちめんの深さがなによりの眠りだと感じてしまうしかない弱さというもの
を受けとめることさえできなくなってしまう。ねぇ、いちどだけ、ふりかえりさえすれば、
こんなにもさりげなく口笛をふいてきたあかるさというものを見させてくれるような気が
するから、ねぇ、もうすこしだけ、


ヘヴンリーブルー

  浅井康浩

ずっと遠いむかしの、あのなつかしい序曲のひびきを聴けば、たよりないころのわたくし
にもどってしまいそうで、いまはおもいだせない名の、それがどうしようもなくめぐらせ
てしまう、わたくしのからだをひろがってゆくやさしさを歌えば、ひとはまた、さらさら
とこぼれおちてくる静けさをともなって、すぅ、といきを吸ったっきり、どこまでもうし
なってゆくことのやまない・・・



魚たちの表面に沿ってゆけば、やがて、ほどけるようにすいこまれてゆく
すこしずつこぼれてゆく酸素を、さらわれてしまう悲しみとして、いだきながら、ほとり
へと、ながれついてしまうそのときまで、しておくべきことをわすれてしまわないために
わたしのからだのすみずみへと、芽吹くほどのはやさで、やさしさを、しみこませるよう
にそっと、めぐらせてゆき、ひれを衰弱させてゆく。



やむことのない雨が水面にうちつけては、はじけて、雨の外側をおおっていた水の膜がは
がされてゆく。そうして、内側の水滴が均質にひろがった水面下へと降ってくるのだが、
しだいにその丸さも、まわりの海水へと拡散をはじめてゆき、そのわずかに沈潜してゆく
水のたゆたいが、わたくしの皮膚感覚のなかへと、ゆるやかにしみこもうとすることを知
るときがくる、そしたら、あとはにじみはじめるだけであとかたもなく溶けさってしまう
そのような不定形なひろがりの、その濃度のほんのすこしうすかった場所に沿って。



ねぇ、この閉ざされたガーデンで、水の記憶はどこまでもたゆたっていたのかもしれない
そっと、くるみこんでいたうるおいを、うちよせていたその場所が岸辺とも知らずに、く
りかえし、手渡そうとしていたのかもしれない



あめつぶにとけこんで、すいめんにしずんでゆくものたちをながめていれば、すこしずつ
消えたようにしてこぼれてゆく花粉は、砂のかたちをとりはじめて、みずうみの底はゆっ
くりと揺らいでゆく。いつの日にかこの湖畔で、あなたは産卵するのだと、人はいうけれ
ど、そうでなくても、ここにいることが、なんとなく好きだったから、みずうみが消えて
しまう日だって、わたくしはなつかしんでしまうこともできた。そのために、いずれくる
孵化という日が、かかえきれないほどのくるしさをともなってしまうのだとしても、「い
け」や「ぬま」へと、その姿をかえたっていいよ、みずうみ。



たしかに還流は、わたしたちをつつみこんで、わたしたちのすすむべき進路をどこまでも
見えなくしてしまっているのかもしれない。たしかに、潮流にながされてしまうこと/そ
うでないことは、いまこの夜のなかを泳ぐものたちにとって、ひきかえすことのない変化
へとみちびいてゆくことになるのかもしれない。けれどもわたしたちは、知ることのない
ままに、知っていたとしてもこの夜の潮の流れのままにひれを濡らしてゆく。そこにはも
う、水脈との交流がはじまっているのだし、流れに沿ってゆくことだけに賭けることしか
できないわたしたちの過程もそこにしかないのだから。



つつましく消えてしまうものたちのなかで、すこしずつときはなたれてゆく自然の水系
うっすらとほどけてゆく時間は、さやさやと響くうすあおい音楽とともに、みずうみの
底へと遍在してゆく。



そして、水中に乙女座、獅子座の浮かぶ夜、軌跡の消え去る音さえ聞こえなくなったあな
たに、恩寵のようにソネットは降るのだろう、やさしそうにゆるやかにあなたのひれをす
りつぶすように。



湖畔にて、悼むことをやめない小鳥であることも、あまいかおりの眠りにほどけて。
それでも、小鳥のくちばしをつつみこむように、しずかに水はあふれはじめる


アゲハのジャム

  浅井康浩

どんなによわよわしくたって、見つめられているということの、その不思議な感触だけが
のこされていた。あなたはねむりに沈みこんでゆくけれど、塩のように、わたしとの記憶
を煮つめてきたのだから、そっと、さらさらとしたたってゆくものが、とめどないほどに、
みえてしまったとしても、わたしはもう、どうしようもないのでしょう。だから、そう、
あなたのからだが朽ちてゆくのを待っているのだとしても、わたしとの思い出がほつれて
しまうおとずれを、まつげをふるえさせるかすかなしぐさとして、あなたはそっと、わた
しにだけおしえてくれる。そうして、ともに、あなたから溢れだす、しょっぱい記憶の海
のなかへ、はからずも息をすることができてはじめて、わたしたちはこれから、どこへも
たどりつくことなく、ながされてゆくことができるのでしょう




教室で、わたしばかりを抱いてはほほえんでいたあのひとのやさしさのなかへ、ひかりに
さらされたままのすがたで、くるしさを告げようとしていたことの、それをだれもが告白
だというけれど、ささやくことのできなかったことばの、その手触りのひとつひとつが、
手のひらからゆっくりと消えてゆくことを知っていたからこそ、あのときの雨は、ふたり
を閉ざして、しんしんと降りしきることをやめなかったのだろう。





たとえ、なにもできなかったとしても、わたしはこの静けさのなかをあゆんでいける、そ
んな気がしていた。たとえ、あなたのかんじているだろうくるしみが、わたしに近づくこ
とをこばんでやまないのだとしても、あなたはやってきたのだから。ときには水のなかを
もぐって、こどもだったころの記憶にゆられながら。あなたはやってきたのだから、この
場所へ。こうして、見つめつづけているわたしのまわりの酸素は、どこまでも透きとおっ
てゆくのをやめなかったから、あなたにはなそうとしていた言葉たちは、みみもとをかす
めるようなささやきにしかならなかったけれど、それでもそっと、わたしを、つぼみのよ
うにやわらかく、つつみこんでくれていた。あなたのなかで、すこしずつうしなわれてゆ
くわたくしという記憶。それでも、こうしてかんじていられるあなたへのあたたかなまな
ざし。そして、この場所で、うまれてはじめて、きれいだといってくれたあなたとともに




たとえば、わたしがとしをとって、そっと、いまのわたしをふりかえれば、ここは、たど
りつけない場所になっていて、もういないあなたのそばで透きとおる、記憶のなかのわた
しがいるあの場所へ、ほつほつと、アゲハのジャムを煮るように溶けあう手はずをととの
えている、そのようなおさないわたしが、みえてくるのでしょう。思い出は、そっと霧の
ように降りそそいで、やさしく、時間のながれをゆるめてくれるから、ときには意味もな
く、隣でカタコト揺れながら、ほこりをかぶったままの空き瓶となって、あくびもし、え
いえんに、詰められることのないジャムの、あわいラベルを貼られたりもする。そうやっ
てすごすひとときが、しずかに夏のおわりをつげて





そういえば、あたたかかった夕食と、ぴちょん、とスプーンを鳴らすのがクセの、あなた
のいたずらっぽいまなざしの記憶に、部屋をでてゆこうとするわたくしの気持ちは、うっ
かりと染まりきってしまうのだった。やんわりと、気持ちがほどけてゆくのをみとどける
のを待っているかのように、思い出はやさしく、わたくしのうしろから手をふってくれて
いる。泣きたくなる、その一歩手前のさみしさを、ふりかえろうとする感傷のいいわけに
して、じぶんをどこまでもはぐらかすために、世界はつまり、ひとさじのたまねぎのあつ
いスープなのだとおもう。そして、忘れないでいよう。そのどれもが、かけがえのないも
のであったということを。


ヒバリもスズメも

  浅井康浩

ねぇ、この石段をのぼれば、なにもかもが風にさそわれているような朝になるから、って、
でも、あんまりとおいから、いつもの朝がみえるね、って、くちずさむものだから、ほら、
あなたの息がそっと、わたしのリズムにまどわされてもつれてしまう、そんなひとときに
わたしはときほぐされて、なんのうたがいもなくなって、草のようにあざやかなよろこび
でうるおってしまっていたね。そして、あまりにもあしおとが静かだったから、ふたりの
まわりの景色からは、すうっと音が消えてしまって、その消されてゆく音のはやさに、寝
ぼけたヒバリもスズメも溺れてしまうのが、なんとなく、おかしかったりもするあのころ
のゆきみちだったね。



ここでしか、聴けない音があるために、わたしはわたしを好きであることができた。あの
ころは、ゆっくりと、ことばをついばんでは、あそんでいたけれど、それでも、ふるふる
と、くちぶえだけは、うそ泣きのようにさざめくことをやめはしなかった。それはきっと、
ひたよせるためいきの消えてゆくまでにゆるされている、ひとときのやさしい気持ちだっ
たのだろう



ねぇ、くりかえす季節がよっつあるために、あなたのくちびるをくすぐっていた花言葉の、
その声のやわらかさがそっと、わたしと、すごしてきたふたりという時間を、とても、あ
まい思い出にかえてくれることを、わたしは、すごく感謝している。そう、すくわれてい
る、といってもいいくらいのかなしみの果てで、きみは、いまでも、はなもものいわれを、
おぼえてくれているのだろうか。忘れてはいけないことを、わすれないままにゆっくりと
たずさえてあるけば、きっと、どこかでくるくると、茎へとつたう水滴のように、あのこ
ろの自分にもどってしまうこともあるから、春といえば摘み草しかおもいつかなかったあ
のころのふたりに戻ってゆきたい、と、そんな気持ちになることがあれば、そのときはそ
っと、教えてください



いつからだろう、そっと、頬をつたうような、やさしい予感にふるえて、こんなにもやわ
らかく、ほどかれてしまって、せせらぎのように、しんしんとながれてゆく、しずかな夜
はゆるやかに、わたしをひとり、とりのこしてゆくけれど、その場所で、ささやかに、き
みに、感謝をつたえ、このまますすんで、くるっとまわって、そんなふうにして、いまの
わたしのままで、かなしい音楽をひとしきり、かなではじめて、そんなことさえゆるされ
てしまうような、そんな感じで。



夏のはじまりの予感に、のどが渇きはじめたら、もう、わたし以外のだれにもなれなくな
る。そうすれば、きっと、あのころの記憶もあざやかさをとりもどすだろう。そうやって、
わたしは、どうしようもなく、忘れていた夏をおぼえつづけてゆく。きっと、うしなわれ
たセミの声によって、その夏が、これからくるどの夏よりもあつくあるように。いつか、
わたしは、のぼりきった石段のうえで、風にさそわれている朝につつまれているだろう。
「おはよう」ってくちずさむあなたが、そばにいても、いなくっても。


No Title

  浅井康浩

あした、チェンバロを野にかえそうかなとおもっています。なんというか、
場所ではないような気がします。野にかえすこと、それだけがたいせつな
意味をもつようにと、そうおもっています。こんなにもとりとめようのな
い朝でさえ、南瓜のスープはコトコト煮えてしまうのですから、案外、草
を編むことさえ、まだおぼえているのかもしれません。あしたはあゆ祭り
です。きっとセリ科の繊維のひとすじのなかに、編み上げるときのしなや
かさまで感じとれるでしょうから、いとおしいものとしてそっと、手のひ
らにつつみこんでしまうことさえも、ゆるされてしまうのかもしれません



きっと、そんなときでさえ、なにもわからないままからっぽになっていっ
たわたしのなかを、あくがれはよぎってゆくのだろう。はかなさがあなた
をうつくしくして、音もなく、たとえせつなさとはちがったとしても、あ
なたをいとおしくおもってしまうそのように、わからなくたって、ここに
いてもいいんだよって、ひとことでつたえられるような、そんなことばを。



あなたのつくってくれる、にんじんのスープが口にはいったら、そのひっ
そりとしたくちあたりにさえうるんで、じぶんの輪郭さえも、おぼつかな
くなって、そのまま、わすれられてゆけばよいのにと、ほどけるくらいの
あたたかさになる


ときおり、そらみみとはちがったような、そんな、なつかしいこえのひび
きにうたれて、ひとすじの、ささやかな記憶すらもたちどころにわすれさ
ってしまって、いつかしら、音もなく、とりあえずのおはなしは幕をひら
いてゆく。あなたのつくってくれる、にんじんのスープを口にふくめば、
そのひっそりとしたくちあたりにさえうるんで、じぶんの輪郭さえも、お
ぼつかなくなって、そのまま、わすれられてゆけばよいのにと、ほどける
くらいのあたたかさになる



きっと、あなたのことも思いだすのだろう
きっと、そのころになれば、どうやったかはわからないまま、たどりつ
いてもいるのだろう。いつかしら、あたりにはせつなささえも、そっと
ふりつもったままで、小さな寝息のように、このまま知らない場所へと
そっと漕ぎだしているのがみえるのだろう。そうすれば、閉ざされたよ
うなくらやみを、そっと、手のひらでさわって、なぜるようにそっとす
べりこませるしぐさが、まわりの空気をさわさわと、揺らしてゆくのが
みえるのだろう



きっと、たいせつなのは、かばってやれない、ということ。きっと、鳴
りやまなかった音楽も、わたしが持っている言葉がすくなすぎたから、
すうっ、と、さらさらと攫われてゆく歌声めいて、ひっそりと聴こえな
くなっていったのでしょう。♯のいとおしさは、きっと、かなしみとな
るための記憶にさえ、かたちをあたえてやれないほどのやさしさだから
すべての音を消し去ってしまう粉雪の夜に、わたしたちは、どのような
曲を、かなでようとしていたのでしょう。なにひとつ、かなできれなか
ったこの指で、あなたのためにそっと、スープをそそいで、ありふれた
笑顔で、おいしいというときの、とめどないやさしさに胸をうたれて、
そっと、素足のわたしは、ことばにかわりに、とてもしずかなすてっぷ
を踏もう。

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.