#目次

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浅井康浩

選出作品 (投稿日時順 / 全21作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


No Title

  浅井康浩

いまゆっくりと、散乱する光が微粒子の浮遊している器官を通り抜けるのを、眠りはじ
めた触覚をとおしてからだのどこかに感じながら、わたしはふっくらと水を包み込みは
じめていた。すると、透明な上層鱗によって花蜜の内部へと沈められた幾重もの無色の
光線たちは 澄みきった一瞬のみだらさに色付いて、紫、青や黄色へと幾筋かの束へと
結ばれることで、光としてみずからを散乱し、その向こうにある黒色鱗粉へと吸収され
てゆくのだった。この反復を繰り返し、色彩をなくした透明な光線の幾筋かをからまり
あわせながらわたしは網状の構造をつくっていった


蝶の翅に張り巡らされた器官としての気管支になった気分ったら、ないよね
こうしてとめどない充溢によって輪郭をもつことのない寒天質、その内部に閉じ込めら
れたBlue Lineを見ていると きみのなかで分泌されている羊水が、なによりも青くそ
して甘い蜜だとおもいこんでいたぼくの翅脈が透けはじめてきて、水溶性のひかりへと
なってゆけそうな気がしていた


Vivi、球根を踏みながら きみは いたずらに歪曲を拒みはじめた あの、交差路の
死体を覚えてはいないだろう おとぎ話にも似た いつでも「そこ」へと消え去る
ことのできる被膜が いつだって きみの語り口を心細さのうちに約束していたの
だから きみは 服飾というもののもつ色彩や その手ざわりの細部から 起こっ
た出来事の背景や そのすべてを読みとろうとするだけでよかった いまでも 
きみはあの物語を話したくはないのだろう 互いにわけあたえてきた、そんな甘い
芳香のもつひめやかさを軸として 何ひとつ痕跡を洩らさないまま 経験したこと
のない過去の中で輝こうとする そんなきみのゼリー状の夢のなかへなかへと 
流れ込む鱗粉の薄明るさが 仮象の翅脈となって ぼくたちの官能を満たしつづけ
てきたのだが

Vivi きみの 網膜へと降りつづく ゆっくりと侵されはじめたフォルテの感触が 
ほの白いばかりの残響に書き換えられようとするたび きみの 希薄さと静けさだけ
でつらなる 水明のような一面の空白は どこまでも不安で満たされていったというのに


わたしたちが満たされている、青をふくめた薄荷の匂う空間で、あなたはとろけながら侵
蝕しあう形態としての座標。

きみたちは言語の意味の転覆を、鮮やかな転覆として転覆の痕跡を残さないままに
語彙の反復として実践しようとするのだが、

(どのような地点へ行きつこうとも)
あてどない液状化へとたどり着いた、そのような言葉たちの漂っている都市へと
Vivi、きみは記号となって還ってくる


ゆるやかに水中を浮遊する、水沫を痕跡とした翅膜が、
ガラスの内側で満ちているかなしげな青の色にひたされてゆくとき、
つつまれる翅はポリフォニー
語り尽くされるということをしらない。
液体の総和としてもつ 透きとおっては散乱してゆくみずからの形状としての不安の記憶が
言葉として、花の器官として
表面のしなやかさへとなじむことのないひとつの仮象となって
触れることのない別の器官へと みえていたはずの終わりをずらされては
吸いこまれてゆく
その ほのじろくながれている水の微光のなかへと溶けこみはじめてゆく


No Title

  浅井康浩

わたしは添い寝をする あなたの
あどけないくちびるへと 甘酸っぱいやすらぎが染みこんでゆくように
わたしは添い寝をする あなたの
黒目がちの眼にかぶさるまぶたに 香ばしいほどの夢が降ってくるように

あなたはどこまでもどこまでも透明になろうとして
カーテンを閉めきったり 部屋の明かりをぜんぶ消したりして
誰もしることのできやしないどこか底の底のほうへと
カラダのすべてを使ってしずみこもうとしている そうやって
あなたは眠りこもうとしているのだけれど
あなたの横たわっているベットのまわりが暗ければ暗いほどわたしには
あなたのカラダの輪郭が人恋しさをともなってほの白く
この深いよるに 浮かび上がってくることを知っていのだから
いま、はじめて、
わたしはあなたの輪郭だけをすすり それが 今夜 あなたとちがう夢をみる夜の合図となって 
はじける 何かが、はじまるために、まず、
ほつれさせてゆく夢というものがあって、いま、わたしは添い寝をはじめる
もしかしたらあなたの
そのまぶた まつげ 頬 わたしの視線がなぞった先に
あなたがゆるやかに起きはじめてゆくのではないかとの不安はあるけれども


骨格捕り(習作)

  浅井康浩

いつの日からか やわらかな微光にとけこみはじめていたあのみなそこで
みずからの殻を閉じていったあなたの 透きとおっては満ちはじめた繊維質のその稀薄さを 
透過性がそのまま一面に降り散ってゆく青となって 見送っていたような気がした
水質とのどのようなかかわりでさえ あやまった動きとしてくりひろげられてしまうあなたの身体にあって
甲殻類の殻の一片としての 殻の成長、脱皮などにより分裂してゆく微細なものとしてのわたくしの響きを 
あなたに感じ取られることなどできはしないのだけれど。
かすかに残されたあかるさの痕跡に反応しては気泡にくるめて消し去ってしまう
ただそのためだけの存在であるわたくしは
あなたののぞんでやまない内骨格さえかたちづくることなどできはしないのだけれど





甲殻類、甲殻類、
切ないまでに正確に、あなたの甲殻をかたちづくってゆくことだけを
みずからの細胞質の運動に接続されたものにとって
甲殻という形態の痕跡をうずまき状に透かしだしてゆくあなたではなく
形態とその循環性が析出される前段階から消去していってしまうあなたを
記名する物質としての やわらかなむねのふくらみですらもつことはかなわないのだから
わすれちゃってゆくのだけれど
あなたがその先にみすえたままのみずからの肢体そのもの
のもつ内包性のカテゴリーのなかに
ザラザラって硬い甲殻なんてものはふくまれてはいないみたいだから
わたくしたちのもっている被膜性なんかももういらないみたいだから





蜜に包まれてゆくものたちの、そのエッジ、その突起や溝をみていたら
満ちはじめ、やがて消え去ってしまうようなみちすじが
そのさきのはじまりにかすかに、見えてしまった気がしたから
やがてあらわれてくるはずの隠喩としての水域を
そこにいるものすべてに絡み合う蜜の半透明な明るさに浸されてしまう水域を
ほぐれはじめることでなにものでもなくなってしまうような口ぶりで、はじめから語り始めようとしていた
でも いつだって
お互いにより添いながらながれてゆく液体は
拡がることで 触れ合うことで 織り合わさってゆくものだから
いまはただ
水世界/蜜世界というそれだけではまだうすあおいままの世界に身を浸しながら





ときとして、
かなしみのために透きとおってしまう指先があるように、
また、その桃のようにあまく伸びきったつめさきへと潜りこんだあたたかな予感が
とめどないほどの蜜の香りをしたたらせてしまうことがあるように





どこまでも蜜そのもののやわらかさのなかに溶けいってしまっては
しぃん、としたうすあおさにくるまれてしまう
くるまれることで
避けようもなくはじまってしまう中性化にあやかってしまうことの
その気はずかしさにほてっては
頬をそめるほどの微熱でもって蜜との結び目がうるんでしまう





けれども どうしてあなたはそんなにもやわらかに
零れはじめて とけだすばかりで
かなうなら
みずからのなかに血脈をこえた本能を隠し持ちながら
くるおしく繰りかえされてきた連鎖を生きはじめてしまう甲殻類たちへ


NO TITLE

  浅井康浩

                        RIRI SWITZERLAND Style

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
                                    


                                   
                                   充さ
                                   溢さ
                                   しや
                                   てか
                                   しな
                                   まう
                                   うる
                                   こみ
                                   とで
                                   のも
                                    っ
                                    て



                                             NO TITLE NO SCENE




繊維質の輪郭       わたしが「蜜につつまれていった」という文字でしめくくられるはずの言葉を記すために
をどこまでも       これから書きはじめようとしている序章でありまた中間にも位置する言葉たちの成立をお
なぞってゆき       もえばどうにもいたたまれなくなってわたしたちにとって甲板とよばれる場所へとたどり


あいつ おそら
がぽう く記号
ぽうと では下
鳴きだ 降線状
すのは にあら
決まっ わされ
て夜に るだろ
なって うシラ
からだ ブルの
とよう 内部へ
やく重 と滲ん
い口を だその
あけて マッス
しゃべ はここ
りはじ ちよく
めるた 耳にな
めのプ じんで
ロロー ゆくか
グとし とおも
ての船 えばす
長の話 ぐに浸
のその 透しは
とっか じめる
かりの のだけ
断片を れどふ
たしか わふわ
に聞い ぷにぷ ところどころで起こってしまうある種の変質をみとどけようと
たはず にとい 描写をこころみようとすれば
だった う質感 たちまち記述の線はみずからのゆびさきの指紋のきれはしとつながり
がその として あとはするするとあなたが指の先っちょのほうから内側へとなだれゆく変質そのものと
声とも しかあ なってしまってしまう
つかな らわす ときおり、
い語尾 ことの 
の発音 できな 
の余韻 い形態
だけが が固有
妙に耳 の名詞
の内側 という
になじ ものを
んだか 名付け
とおも えない
うまも という
なくわ 不気味
たしは さをじ



                    かこいこまれるためにあるものとしてうまれ落ちるあなたたちの
                         安堵ともあきらめともつかないあのさわやかな感謝は
                                           わたしたちを
                  つつみこんでゆくためにあるものとしてうまれさせてゆくこととなり
                                              同時に
                        うまれてくるわたしたちのうぶごえのひとつともなって
                                        わたしたちのなかに
               つつみこまれているものたちのもつ胎内のあおい羊水のなかへと静かに響き


さながら  
     あまい蜜  
          を体内に  
               ひめたる  
もののよ  
     うにふる  
          まうこと  
               ではから  
ずも溢れ  
     てしまう  
          液体によ
               ってみず  
からの身  
     体へとふ  
          るふるふ  
               るえるみ  
ずみずし  
     さが浸潤  
          するにま  
               かせてふ  
くませて  
     ゆくこの                    
          誘惑に。
                   



ささやかなうるみでもって充溢してしまう





中性化された地形図は
ふりかえられることない水脈で満たされ始めていて、よかった
拡張してゆく輪郭は
疾走し、直交して、あらゆる領域を座標化していって、好きだった
いつものように
夜明けともなれば、森林管理署の砂礫地から軋みの音が聞こえはじめて
あたりいちめんを湖沼の記号へと変換してしまうはずだった
ぼくたちの街の、あの地形図の白にまぎれながら
空間のなかの堅牢を記号として、液状の空隙へと写しかえているものがあるとすれば
それは灰色のオオカミだから
とめどない流出にさらされている地形図の
色彩を抹消することで全体の記号を溶解してゆく手際を見てしまう前に
[記録[分類[表象[配置[切断
析出という部位に隠された現実の繊細な手ざわりを受け止めながら、ぼくは、
あらゆる建築的質量を奪われてしまうだろう地点へと、
立ち戻ってしまわなければ、ならなかった


No Title

  浅井康浩

ほら、意味のない渦を巻き込みはじめて、浸透が始まったよ
ほら、透過性そのものとなった人だけが見ることのできるあまいあまい変化たちだよ



降ってくるシュガーロールのようなしろい粉をあつめては
やわらかな時計仕掛けにふりまいてあるこう
あのとききみが見ていたひんやりとした地形図の青い果樹園にみとれて
とろける蜜に包まれた僕の舌があまい予感にふるえている



だって、
きみの声帯をまねするのはいつだって
半音階をかすれていってはのぼる発音が
どのような輪郭でさえももつことのない幻想をだれもかれもの想像のなかに
抱かせるからだし、
きみの
その感じやすそうな発声を聞くたびに
みずからの存在の稀薄さの濃度そのものが
みずからの輪郭をはからずも規定してしまっている呼び名へと
にじりよってしまうことにかすかないらだちを隠すことさえもできないこのぼくを



円環状の流れ、しかも支流そのもののひとつとなって
水質へと寄り添うようにすべりだしていくことはなんとしても避けたかったのだし
溶け込むように、包み込まれるように、などといって
ゆっくりと、そしてしなやかに滲みだしてゆく甲殻の表面の変化なんかに
うっとりと魅入られてしまう、なんて素振りは、できるはずもなかった
どのようなかたちであったにせよ
繊維質からなる身体の機能の、その逸脱からはじまる変容そのものとは
いつだって
甲殻の模様のかたちというものを
すこしずつ変化させてゆくことなのだが、
生身としてのみずからの言葉をその模様へと託すことへと繋がってゆく兆しもみえず
また、そのかたちから、何かを語ることではじまる、などということさえできないのだから
変容する甲殻にそっくりと覆われてしまうであろうわたくしの繊維質の身体そのものよりも
変容しているわたくし自身をどこまでも覆ってしまっているであろう液体とのつながり、
まといつくはずの透けた気泡との肌触りを、
滲み込もうとするだろうその浸透圧のなめらかさを、
そして、わずかに触れ合う箇所と、そのすべての余白との関係を
液体でさえ包み込むだろう空間へと共振するための「響き」へとむかって吹き込んでゆくということだけを。



小鳥をはなしてあげましょう、
孤島、葉脈、分泌液。あなたのくちびるへとのぼる、そのささやかな息づかいで
そっと ねがいのなかに やさしさをふきこんでゆこうとする
そんな かよわく ほつれやすい祈りの行為を
くちびると舌さきのふれることない [e]音の隙間へと
ひそませてゆきましょう
そして
しずかに祈りへとたどりつくそのまえに
言葉は声をうしなうのでしょう


No Title

  浅井康浩

やさしさを帯びてはあふれだす蜜という蜜のただよいのなかで交わされていった
質感としてではなく透過性そのもののやわらかさとなったあなたへの糸状の思い巡らしの
その内実へと、ありったけのファムな香りを含ませておけ
                       眠らないことでつぐなおうとする夜に
              あなたの呼気につつまれて、うっすらとあおくなりながら
           わたしはわたしの呼吸をあふれさせてゆくことになるのでしょう



青に満たされた空間にあって
蜜の蕊を震わせて、しかしまだ響きだけがかすかにきこえていることの
その不思議さになじみはじめるわたくしがいて
あるときは音のぬくもりなんかに抱かれて
甘ったるい体温へかたむいてゆくことの不思議さをゆるすわたくしがいる



いつかの気象図面がここいらの時間軸との交わりによって
いらいらと泡立ってゆくのが見えるよ
ここの地形図の一点からの風景は
平面としての図の想像を越えた高低の差でいっぱい
いつかのヘクトパスカルも
ここでは質量を四方にはりめぐらせたラウンドスケープそのものとなって
生成してしまうのだから
ときに土砂となり
ときに果樹園の果実となって
みずからが高低の差として現されるべき斜面をころがりおちたりもするのでしょう



また、ほつれることではじまってゆく変化をおもえば
最後に、濡れ尽くしたものたちへ、もうなにものでさえ
濡らすことのなくなってしまった水そのものたちへと
いまひとたびのささやかな感謝を。



どうしたって きみの眼と蜜とあおさに浸されてしまう
きみだったなら「海洋」なんてそっけないひとことで言い表してしまうはずの領域で
明るさやその翳りをもなくして
けれど色彩を忘れ去ってしまったものたちだけがみたすことのできる透きとおった哀しみだけが
かつて世界が青色だったころのなごりのように 遠くへ


No Title

  浅井康浩

そういえば明日、カントール忌だけの展翅
あかるい鱗粉をしたたらせゆくきみのために
こどものためのソルフェージュを。さぁ、




染みこんでしまうほうがいい。ここは、やはり潜れぬままに終わってしまった水泳のあと
の、あの午後のけだるさが満ちはじめてきた教室だから、そこにはきっと、どうしようも
ないねむたさにかたむいてゆくあなたがいるし、うっすらとあおいままの浮力に包まれて
いた、息をすることがみだらにおもえたそんなあなたであるために、からだじゅうをめぐ
るあのやわらかな酸素からこぼれ落ちたまどろみが、かなしみとなってほどけはじめて、
あなたのあかるい裸体そのものへとあふれだしてゆくその感触を、どこまでも手にとるよ
うにみつめることのできたあなたの視線のやさしさもあった。きっと、うすらいでゆくの
でしょうね、そう、きっとだれかにねむりをひきのばされてゆくのでしょうね、あわくて
きずつきやすいひとつの気管支となって。ひとしきり、あなたを想ううつくしいひとの視
野のなかへとおさまりながら。




dim.または dimin.音量を次第に弱めることを指示するディミヌエンドは、いま鳴り終え
たばかりの音域の消尽点をときほぐしてゆくかのようにして、かすかにひろがろうとして
はまた消えてゆくためだけのささやきをあかるいままに透きとおらせてしまうことがある。
それは、ほのかにひろがってゆくレモンピールのかろやかなあまさへと招かれて、どこま
でもやすらかに溶けいってしまうから、ときとして、その移ろいやすさが静謐さの変奏と
して鳴り響いてしまうこともあったりもした。ときに、そのようなしずけさに包みこまれ
るあなたの、しんしんとはきだすあおい息づかいにあわせながら、喉やくちびるをふるわ
せているささやきの、そのかすかないいよどみを聴きとることができたのなら、それはや
がて星辰のたわむれめいた航跡のきしみへと似てゆくことになるのだろう




きみがそっと目をさますまで、かすかにふるえることをゆるしておく
植物のえがかれたブルータイルにまぎれこむ卵殻めいた質感も
いつしか、水の銀河となってみずからを濡らしはじめるのだろう
針葉、群落、葉緑素。
ほどけゆく果皮をうすめるためだけに過ぎる時間はやがて洩れはじめるけれど、
きっと、かすれることで青としてのやさしい葉脈をとりもどしてゆくみちすじだから
きみには、いつか、プラネタリウムでみた星のはなしを


No Title

  浅井康浩

ゆるしあうりゆうはきっとわからないままだから、きゅっとなるむねのあたりからあふれ
だしてしまうかなしみにいつだってわたしはみたされてしまう、うしなってしまう。せめ
て、いだきあえたときくらい、ねむれるほどに、雪のかおりとなりますように。




もうすこしすればそこからあふれだすせつないみずにとけこんでしまう午後なのに
すっきりするほど泣いたからもうなにものこってやしなかったなんて、あなたがせなかを
むけたとしても告げただろうそんなつよがりがどこかでわたしをさびしくさせてしまうな
ら、はだけさせてあげるためのボタンをどうかうけとってくださいとためらったままのわ
たしには、やっぱりだれかのやわらかなてのひらがひつようであったりするのかもしれな
い。




あなたはもうふりかえることさえしないだろう。それなのに、いつものようにゆびさきへ
とひろがってゆく静脈にやさしさはあふれはじめて、みずうみに似てゆくあなたがこわい。




どこまでもしろいメンソレータムを塗ってあげるね。きっと、抱いたらすぐにしみこんで
くるあなたの傷のぬくもりが(いたい)。きっと、そんな場所にながいあいだいたふたり
だから、きっと、わたくしの体温はあなたのやさしさなんかに取り囲まれて、どうしよう
もなく、あい、とか、いろんなものにからまってしまう、そうしたきもちすべてがあなた
というものをどこまでもとうめいにしていってしまうから

そうやって、ささやかにみとどけてあげてほしいの。
かつてはそこにあってきらめいていた、いまはうしなわれてゆくものとして消えかかって
しまったすり傷までも、きみに。

あなたがやわらかなてのひらでひっかいてくれたきずあとは、どうかなくなりませんよう
に。なめらかだったまっさらであった、いままさになくなってしまってゆくわたくしとの
へだたりが、どこまでもいたみのなかでキラキラとしていますように。


「水性学」のためのジャンク群

  浅井康浩

鉄路

ひややかな夜明けはどこまでもぼくたちのやすらぎを束ねていってしまうから、かぎりあ
る鉄路はなにげない眼差しのまま見限ることとして、さりげなさからはすこし離れたよう
にばらまかれていた繊維質のしなやかさへと視線をそのままにして、けだるそうに逸らせ
てしまうことも、あなたとなら、できたにちがいない
たとえば、曇った日の午後、小鳥のさえずりが聴こえるなかで、

学区

眼を閉ざしてゆく
あなたのいない歴史の時間はつまらなくって、
ポーランドのポーっておとでねむりがはじまる。
教室でねむるあなたに会うために、
キャラメルのとろけるはやさのすこし遅めで、と、いいきかせつつ眠れ、わたくし。



あたしのやさしさを拠りどころにするまえのあなたを見ようとして、息をひそめてしまう
ごとのキュッっていう鳴き声は、空気にとけてゆくたびに、立ちくらみへと変わってしま
う。うとましくおもうこのからだの、そのすべてをめぐる酸素から、うるおいを消してし
まった水分の粒子を受けとってしまうあたらしい予感が、わたしをどこまでもうつむかせ
てやまない。はやく、みみたぶの裏側へと、だれにも知られることなくさみしさを溶け込
ませてゆくあまやかなそぶりに身をゆだねてしまいたい。

教会

祈るとき、あなたの咽喉からこぼれだすやさしいうたは風にほどけて、かぼそいほどの雨
だれとなる。そしたら、ゆるやかなあまさへと滴ってゆく調べからすこしずつとりのこさ
れる約束をして。そして、くちずさむ速度でちりばめてみて。

湖畔

ほとりへとしずかに、ながされてしまうことのおぼつかなさに、そっと、わたくしに芽生
えはじめていた襞はふっつりと消えいってしまって、もう、溺れおわったあとにあらわれ
てくる、あのいちめんの深さがなによりの眠りだと感じてしまうしかない弱さというもの
を受けとめることさえできなくなってしまう。ねぇ、いちどだけ、ふりかえりさえすれば、
こんなにもさりげなく口笛をふいてきたあかるさというものを見させてくれるような気が
するから、ねぇ、もうすこしだけ、


ヘヴンリーブルー

  浅井康浩

ずっと遠いむかしの、あのなつかしい序曲のひびきを聴けば、たよりないころのわたくし
にもどってしまいそうで、いまはおもいだせない名の、それがどうしようもなくめぐらせ
てしまう、わたくしのからだをひろがってゆくやさしさを歌えば、ひとはまた、さらさら
とこぼれおちてくる静けさをともなって、すぅ、といきを吸ったっきり、どこまでもうし
なってゆくことのやまない・・・



魚たちの表面に沿ってゆけば、やがて、ほどけるようにすいこまれてゆく
すこしずつこぼれてゆく酸素を、さらわれてしまう悲しみとして、いだきながら、ほとり
へと、ながれついてしまうそのときまで、しておくべきことをわすれてしまわないために
わたしのからだのすみずみへと、芽吹くほどのはやさで、やさしさを、しみこませるよう
にそっと、めぐらせてゆき、ひれを衰弱させてゆく。



やむことのない雨が水面にうちつけては、はじけて、雨の外側をおおっていた水の膜がは
がされてゆく。そうして、内側の水滴が均質にひろがった水面下へと降ってくるのだが、
しだいにその丸さも、まわりの海水へと拡散をはじめてゆき、そのわずかに沈潜してゆく
水のたゆたいが、わたくしの皮膚感覚のなかへと、ゆるやかにしみこもうとすることを知
るときがくる、そしたら、あとはにじみはじめるだけであとかたもなく溶けさってしまう
そのような不定形なひろがりの、その濃度のほんのすこしうすかった場所に沿って。



ねぇ、この閉ざされたガーデンで、水の記憶はどこまでもたゆたっていたのかもしれない
そっと、くるみこんでいたうるおいを、うちよせていたその場所が岸辺とも知らずに、く
りかえし、手渡そうとしていたのかもしれない



あめつぶにとけこんで、すいめんにしずんでゆくものたちをながめていれば、すこしずつ
消えたようにしてこぼれてゆく花粉は、砂のかたちをとりはじめて、みずうみの底はゆっ
くりと揺らいでゆく。いつの日にかこの湖畔で、あなたは産卵するのだと、人はいうけれ
ど、そうでなくても、ここにいることが、なんとなく好きだったから、みずうみが消えて
しまう日だって、わたくしはなつかしんでしまうこともできた。そのために、いずれくる
孵化という日が、かかえきれないほどのくるしさをともなってしまうのだとしても、「い
け」や「ぬま」へと、その姿をかえたっていいよ、みずうみ。



たしかに還流は、わたしたちをつつみこんで、わたしたちのすすむべき進路をどこまでも
見えなくしてしまっているのかもしれない。たしかに、潮流にながされてしまうこと/そ
うでないことは、いまこの夜のなかを泳ぐものたちにとって、ひきかえすことのない変化
へとみちびいてゆくことになるのかもしれない。けれどもわたしたちは、知ることのない
ままに、知っていたとしてもこの夜の潮の流れのままにひれを濡らしてゆく。そこにはも
う、水脈との交流がはじまっているのだし、流れに沿ってゆくことだけに賭けることしか
できないわたしたちの過程もそこにしかないのだから。



つつましく消えてしまうものたちのなかで、すこしずつときはなたれてゆく自然の水系
うっすらとほどけてゆく時間は、さやさやと響くうすあおい音楽とともに、みずうみの
底へと遍在してゆく。



そして、水中に乙女座、獅子座の浮かぶ夜、軌跡の消え去る音さえ聞こえなくなったあな
たに、恩寵のようにソネットは降るのだろう、やさしそうにゆるやかにあなたのひれをす
りつぶすように。



湖畔にて、悼むことをやめない小鳥であることも、あまいかおりの眠りにほどけて。
それでも、小鳥のくちばしをつつみこむように、しずかに水はあふれはじめる


アゲハのジャム

  浅井康浩

どんなによわよわしくたって、見つめられているということの、その不思議な感触だけが
のこされていた。あなたはねむりに沈みこんでゆくけれど、塩のように、わたしとの記憶
を煮つめてきたのだから、そっと、さらさらとしたたってゆくものが、とめどないほどに、
みえてしまったとしても、わたしはもう、どうしようもないのでしょう。だから、そう、
あなたのからだが朽ちてゆくのを待っているのだとしても、わたしとの思い出がほつれて
しまうおとずれを、まつげをふるえさせるかすかなしぐさとして、あなたはそっと、わた
しにだけおしえてくれる。そうして、ともに、あなたから溢れだす、しょっぱい記憶の海
のなかへ、はからずも息をすることができてはじめて、わたしたちはこれから、どこへも
たどりつくことなく、ながされてゆくことができるのでしょう




教室で、わたしばかりを抱いてはほほえんでいたあのひとのやさしさのなかへ、ひかりに
さらされたままのすがたで、くるしさを告げようとしていたことの、それをだれもが告白
だというけれど、ささやくことのできなかったことばの、その手触りのひとつひとつが、
手のひらからゆっくりと消えてゆくことを知っていたからこそ、あのときの雨は、ふたり
を閉ざして、しんしんと降りしきることをやめなかったのだろう。





たとえ、なにもできなかったとしても、わたしはこの静けさのなかをあゆんでいける、そ
んな気がしていた。たとえ、あなたのかんじているだろうくるしみが、わたしに近づくこ
とをこばんでやまないのだとしても、あなたはやってきたのだから。ときには水のなかを
もぐって、こどもだったころの記憶にゆられながら。あなたはやってきたのだから、この
場所へ。こうして、見つめつづけているわたしのまわりの酸素は、どこまでも透きとおっ
てゆくのをやめなかったから、あなたにはなそうとしていた言葉たちは、みみもとをかす
めるようなささやきにしかならなかったけれど、それでもそっと、わたしを、つぼみのよ
うにやわらかく、つつみこんでくれていた。あなたのなかで、すこしずつうしなわれてゆ
くわたくしという記憶。それでも、こうしてかんじていられるあなたへのあたたかなまな
ざし。そして、この場所で、うまれてはじめて、きれいだといってくれたあなたとともに




たとえば、わたしがとしをとって、そっと、いまのわたしをふりかえれば、ここは、たど
りつけない場所になっていて、もういないあなたのそばで透きとおる、記憶のなかのわた
しがいるあの場所へ、ほつほつと、アゲハのジャムを煮るように溶けあう手はずをととの
えている、そのようなおさないわたしが、みえてくるのでしょう。思い出は、そっと霧の
ように降りそそいで、やさしく、時間のながれをゆるめてくれるから、ときには意味もな
く、隣でカタコト揺れながら、ほこりをかぶったままの空き瓶となって、あくびもし、え
いえんに、詰められることのないジャムの、あわいラベルを貼られたりもする。そうやっ
てすごすひとときが、しずかに夏のおわりをつげて





そういえば、あたたかかった夕食と、ぴちょん、とスプーンを鳴らすのがクセの、あなた
のいたずらっぽいまなざしの記憶に、部屋をでてゆこうとするわたくしの気持ちは、うっ
かりと染まりきってしまうのだった。やんわりと、気持ちがほどけてゆくのをみとどける
のを待っているかのように、思い出はやさしく、わたくしのうしろから手をふってくれて
いる。泣きたくなる、その一歩手前のさみしさを、ふりかえろうとする感傷のいいわけに
して、じぶんをどこまでもはぐらかすために、世界はつまり、ひとさじのたまねぎのあつ
いスープなのだとおもう。そして、忘れないでいよう。そのどれもが、かけがえのないも
のであったということを。


ヒバリもスズメも

  浅井康浩

ねぇ、この石段をのぼれば、なにもかもが風にさそわれているような朝になるから、って、
でも、あんまりとおいから、いつもの朝がみえるね、って、くちずさむものだから、ほら、
あなたの息がそっと、わたしのリズムにまどわされてもつれてしまう、そんなひとときに
わたしはときほぐされて、なんのうたがいもなくなって、草のようにあざやかなよろこび
でうるおってしまっていたね。そして、あまりにもあしおとが静かだったから、ふたりの
まわりの景色からは、すうっと音が消えてしまって、その消されてゆく音のはやさに、寝
ぼけたヒバリもスズメも溺れてしまうのが、なんとなく、おかしかったりもするあのころ
のゆきみちだったね。



ここでしか、聴けない音があるために、わたしはわたしを好きであることができた。あの
ころは、ゆっくりと、ことばをついばんでは、あそんでいたけれど、それでも、ふるふる
と、くちぶえだけは、うそ泣きのようにさざめくことをやめはしなかった。それはきっと、
ひたよせるためいきの消えてゆくまでにゆるされている、ひとときのやさしい気持ちだっ
たのだろう



ねぇ、くりかえす季節がよっつあるために、あなたのくちびるをくすぐっていた花言葉の、
その声のやわらかさがそっと、わたしと、すごしてきたふたりという時間を、とても、あ
まい思い出にかえてくれることを、わたしは、すごく感謝している。そう、すくわれてい
る、といってもいいくらいのかなしみの果てで、きみは、いまでも、はなもものいわれを、
おぼえてくれているのだろうか。忘れてはいけないことを、わすれないままにゆっくりと
たずさえてあるけば、きっと、どこかでくるくると、茎へとつたう水滴のように、あのこ
ろの自分にもどってしまうこともあるから、春といえば摘み草しかおもいつかなかったあ
のころのふたりに戻ってゆきたい、と、そんな気持ちになることがあれば、そのときはそ
っと、教えてください



いつからだろう、そっと、頬をつたうような、やさしい予感にふるえて、こんなにもやわ
らかく、ほどかれてしまって、せせらぎのように、しんしんとながれてゆく、しずかな夜
はゆるやかに、わたしをひとり、とりのこしてゆくけれど、その場所で、ささやかに、き
みに、感謝をつたえ、このまますすんで、くるっとまわって、そんなふうにして、いまの
わたしのままで、かなしい音楽をひとしきり、かなではじめて、そんなことさえゆるされ
てしまうような、そんな感じで。



夏のはじまりの予感に、のどが渇きはじめたら、もう、わたし以外のだれにもなれなくな
る。そうすれば、きっと、あのころの記憶もあざやかさをとりもどすだろう。そうやって、
わたしは、どうしようもなく、忘れていた夏をおぼえつづけてゆく。きっと、うしなわれ
たセミの声によって、その夏が、これからくるどの夏よりもあつくあるように。いつか、
わたしは、のぼりきった石段のうえで、風にさそわれている朝につつまれているだろう。
「おはよう」ってくちずさむあなたが、そばにいても、いなくっても。


No Title

  浅井康浩

あした、チェンバロを野にかえそうかなとおもっています。なんというか、
場所ではないような気がします。野にかえすこと、それだけがたいせつな
意味をもつようにと、そうおもっています。こんなにもとりとめようのな
い朝でさえ、南瓜のスープはコトコト煮えてしまうのですから、案外、草
を編むことさえ、まだおぼえているのかもしれません。あしたはあゆ祭り
です。きっとセリ科の繊維のひとすじのなかに、編み上げるときのしなや
かさまで感じとれるでしょうから、いとおしいものとしてそっと、手のひ
らにつつみこんでしまうことさえも、ゆるされてしまうのかもしれません



きっと、そんなときでさえ、なにもわからないままからっぽになっていっ
たわたしのなかを、あくがれはよぎってゆくのだろう。はかなさがあなた
をうつくしくして、音もなく、たとえせつなさとはちがったとしても、あ
なたをいとおしくおもってしまうそのように、わからなくたって、ここに
いてもいいんだよって、ひとことでつたえられるような、そんなことばを。



あなたのつくってくれる、にんじんのスープが口にはいったら、そのひっ
そりとしたくちあたりにさえうるんで、じぶんの輪郭さえも、おぼつかな
くなって、そのまま、わすれられてゆけばよいのにと、ほどけるくらいの
あたたかさになる


ときおり、そらみみとはちがったような、そんな、なつかしいこえのひび
きにうたれて、ひとすじの、ささやかな記憶すらもたちどころにわすれさ
ってしまって、いつかしら、音もなく、とりあえずのおはなしは幕をひら
いてゆく。あなたのつくってくれる、にんじんのスープを口にふくめば、
そのひっそりとしたくちあたりにさえうるんで、じぶんの輪郭さえも、お
ぼつかなくなって、そのまま、わすれられてゆけばよいのにと、ほどける
くらいのあたたかさになる



きっと、あなたのことも思いだすのだろう
きっと、そのころになれば、どうやったかはわからないまま、たどりつ
いてもいるのだろう。いつかしら、あたりにはせつなささえも、そっと
ふりつもったままで、小さな寝息のように、このまま知らない場所へと
そっと漕ぎだしているのがみえるのだろう。そうすれば、閉ざされたよ
うなくらやみを、そっと、手のひらでさわって、なぜるようにそっとす
べりこませるしぐさが、まわりの空気をさわさわと、揺らしてゆくのが
みえるのだろう



きっと、たいせつなのは、かばってやれない、ということ。きっと、鳴
りやまなかった音楽も、わたしが持っている言葉がすくなすぎたから、
すうっ、と、さらさらと攫われてゆく歌声めいて、ひっそりと聴こえな
くなっていったのでしょう。♯のいとおしさは、きっと、かなしみとな
るための記憶にさえ、かたちをあたえてやれないほどのやさしさだから
すべての音を消し去ってしまう粉雪の夜に、わたしたちは、どのような
曲を、かなでようとしていたのでしょう。なにひとつ、かなできれなか
ったこの指で、あなたのためにそっと、スープをそそいで、ありふれた
笑顔で、おいしいというときの、とめどないやさしさに胸をうたれて、
そっと、素足のわたしは、ことばにかわりに、とてもしずかなすてっぷ
を踏もう。


No Title

  浅井康浩

初夏をどこまでも感じていたい。すぐりのはえた裏庭から、低気圧がひろがって南岸方面
の降雨の開始を早めてゆくのも、おでかけをするうえでのたのしみにしたい。ふわっとし
た雨のにおいを待ちながら、海岸をてくてくあるいて、フランボワーズだってつまんでみ
たい。そうやって過ごしながら、てのひらにつつまれたような、発酵したパン生地のよう
な匂いに、ふわっとからだをすくわれてみたい。気がついたころにはもう、雨の匂いにつ
つまれていて、ひとあしとびに、食卓へと歩をすすめている。あしどりはあかるく、あた
たかな雨域をやさしくよければ、生クリームとさっくり混ぜるころあいのような、そんな
感じで木イスにすわってひといきをつく。そのようにして、誰からもわすれられていたよ
うなオーブンの水跡のように、しずけさを添えてたたずんでゆきたい。



プレパラートはすぐに割れるだろう。ピントをあわすまえからの決まりごとだというのに、
ふわっとした水の粒子はいくつもの層を織りなしては消える。10倍×10倍程度での観
察ならカバーガラスをかけることもあるまい。グラニュー糖や水をはかったりしないで、
あっさりとかろやかに焼きあげるあなたのクラストをおもいながら、レボルバーを回転さ
せ高倍率レンズへかえてゆく。倍率を高くする前に,視野の中心に試料を動かし,ピント
をきちんと合わせることをわすれるのはいつものことだけれど、発芽するものたちの息づ
かいに耳をすませるものにとって、わすれてはいけないことなんてなにもないのだと、い
つだってそうおもっている。



写す、という気持ちをずっとわすれてしまっていた。かたちにはならないくらいの、かす
かな、あたたかなそれが、ただの一度だけ、わたしにはわからないくらいのゆるやかさで、
とおくにながれはじめるのをじっと見送ったまま、今日という日になった気もする。晴れ
た日の午後は、みずからの足跡をつけないように、そっと、あるく。シロツメクサを摘む
あなたを追いかけて、背中ごしにピントを合わせる。そうやって、あなたが見ているもの
とわたしが見ていないものが陽だまりのなかでまじわりつづけられるように、さらさらと
ながれる一日のなかに、これからの行き先をとじこめるために。



空気がそよぐように設計されたこの歩道の先につづいてゆくものが、どのような庭園術に
つながっていくのか、そのことを意識しない日はなかった。樹林にかこまれていることの、
そしてそのことによってうまれる直線へのささやかなしたしさを、環状へとつづく道筋や
写実的ともとれる水の流れでせきとめようとするたびに、庭園の空気には植物そのものが
ふくまれていことを知ってしまうから、しばらくは、この庭園の入口に視線をやって、息
をととのえなおしたりすることもあった。そうしておもうことは、a scene,a scene,a scene
それだけをたよりにここまでやってきたのだと。



ペーパーフィルターのミシン目にあわせて、かすかに底の角をなぞるように折ってゆけば、
あたたかな雨の湿り気がゆびさきへとつたわってくるようです。あまだれのようにおちて
ゆく82℃になるまでのしずけさは、缶の底にのこされたマンデリンの手触りをおもいう
かべるはじまりとなりますから、わたしの内側へと、耳をすませるように、かすかな弱音
としてさわやかな苦さがひろがってゆくことがわかります。もう知ることのできなくなっ
たあなたという人のひとときのすごしかたが、ドリップを通じてしずくとなってさみしい
響きをたててあらわれるなんて、そんなふしぎをあらためておもってしまうよゆうも、い
まのわたしにはあります。だから、もうあんしんしてください。そっと、ひとりぶんのソ
ーサーをよういして、ふちをつまむ。そうやって、いろんなものがすぎてゆきます。いつ
の日かこの珈琲がさらさらとこのからだを流れすぎてゆくことがあっても、それはささや
かないのちのひとしずくとなっているはずですから


No Title

  浅井 康浩


心臓の音を悼んでいると思ったら、わたし、祈っていたの。
そのままの姿で、くちずさむ調子で、鳥たちの声に。




なぜ自分のしていることが強姦になるのか、そのことがわかりません。ただ、相手にささ
やく言葉を知らなかっただけかもしれない。でも、どこかでふかい悲しみのようなものが
ふるえていて、言葉をつぐませてしまう、というか。そうやってなにも言うことができな
くなって、セックスから言葉や対象が失われてゆくのだとおもいます。静けさというもの
があったとしても、ひそやかな呼吸もなく、植物的なゆるやかさもないセックスのどこに
価値をみいだせばよいのか、それすらもわかりません。




せきとめられていたの、わたし、たおれこんでいたの、この川の辺へ、なんでもないよう
な呼吸のしかたもわすれてしまって。そうやって、そう、せきとめられている。湿り気を
もつハゼ科のように。じぶんの持っている輪郭をつよくととのえるまで。ひかりをいだく
ようにして。いつかはわからないけれど手をふるように。




この位置は、世界から聞こえてくるさまざまなものに耳をすましてゆける位置でもある。
だから、あなたが聞き出そうとしたことは、きっと、誰かがききたかった部分と重なって
いると思う。




そらみみだったのでしょう。こわれかけた鍵盤みたいにぽろぽろ流れこんでくるやすらぎ
にそらを見上げたのはわたし。そんなことをすれば、書けてしまった手紙のことばたちか
ら置き去りにされてしまうこともわかっていたはずなのに、はだしであるきましょう、は
だしであるきましょう、だなんてあなたが告げた声をわすれるともなしに朝をむかえてし
まえば、ひっそりと泣いてしまうことの準備さえできていないというのに。




どうしてそんなにねむることができるのか、そのことの不思議をおもっていた。あまりに
も透明といえそうな、あかるいひろがりに満たされていたから、しずけさにつつまれなが
ら眠ることもできるのかもしれないとも思っていた。




アスパラの茹でかた。喫茶店での過ごし方。待ちわびること。柳宗理の食器。シンプルな
生き方。ZARA、知床半島、マフラーの正しい巻き方。スーパーバタードッグ。上手なコー
ヒーの淹れ方。ヨットの原理。ラベンダー。ふるい絵本。琵琶湖。猫アレルギー。道端に
寝転がること。さつまいものタルト。感謝すること。奈良町。etc. 




デタラメなリズムで漕ぎだすくちぶえはめぐりめぐってHappy Birthdayを奏でてしまう。
だから、目はほそめたままでいましょう。眩しいから、って、そっと手のひらをかざして
こずえのみどりの影にゆっくりと埋もれてゆく。このような日々が終わらないままにつづ
いたとしても、それでもととのいはじめた呼吸のリズムのなかからマガロフのワルツの
音色を思いだすことはできるのだろうか




射精によって空間やへだたりが溶けてしまって、視界がひらけるように、ひとりきりでは
なく、あなたとともに交わっていたことを感じることが、ときにはあるかもしれない、ふ
たり、ということばのさざめきのなかに還ってゆけるかもしれないと感じることも、これ
からはあるかもしれない。発症にいたるまでの経緯をかたることはなんとしても避けると
ともに、わたしの言葉自体が崩されてゆくのを防ぐための努力に最大限の感謝を添える。
いつだって現実の直視からはじまることは疑いがない。そして、せかいは、わたしやあな
たの言葉に聞く耳をもたない。




ふたつのからだは、ひとつになれない。だからね、いとしいひとへの言葉をだきしめるな
んてことを、してはいけない。ましてや、満たすことなんて、してはいけない。


無伴奏組曲

  浅井康浩

星空をみたらあなたのゆびさきをおもう。蜜蜂をみたらあなたのまなざしをおもう。それ
ほど、しんそこだいすきでした。だから、ここへ、いっぴきだったころの、体育ずわりの
あたしをおきざりにします。あんなにも好きなひとをみていてあきない姿勢はなかった、
そんなあたしを忘れるために聴いていたいのは、なにものにもたよれなかったよわむしが
鳴らすひとふゆだけのヴィオラです。




あたりが静かになると、わたしの寝息にあわせるようにして、しずかに楽章はながれこん
でくる。そのやわらかい響きにつつまれながら、わたしは、こまかくふるえている音の粒
子のしずけさにもたれかかるようにしてしずんでゆく。いままでに聴いたことのないパー
トへと音がさしかかるころには、わたしはねむりのふかさそのもののなかにただよってい
て、その場所からはもう、音がながれでることもあふれだすこともなくなってしまってい
る。無伴奏組曲、この曲はどうして起きることとねむることのあわいにまよってしまった
ときに、わたしのからだへとながれついてくるのだろう。



しんぞうは、夜の冷気にくるまれて芯からこごえるキャベツのひかりのようだった。とり
あえず、たどりつけるべき明日があるいじょう、かわらないままでいい自分をゆるしてく
れるせかいはきれいだと思っていた。へらへらとわらってしまうたびに、透きとおった陽
射しのような水の粒子が満ちてしまう場所が自分のなかにあって、世界の涯は水だから、
けして枯れないポピーを植えてあるいてゆく、そんな夢をみていたいと泣いていたはずの
わたしにとって、そこではすべてのものがやわらかにわすれられてしまい、わたしもいつ
しかながれる時間とともに消えてしまっている。いまのわたしには、なにものにもこたえ
をみつけることができはしないだろうから、せいいっぱい、祈るようにいきよう。ゆきつ
けるところまでゆきついて、その場所で、やわらかくすべてのものがわすれられてゆく。
てのひらをかさねあわせることがなぜいのりへとつながるのか、てのひらをつつみこむこ
とがなぜねがいへとつうじるのか、というささやきにゆさぶられながら。



とぎれめをかんじることができなくなるほど、わたしのてのひらのなかには陽射しがあふ
れてゆくので、おくってほしいといわれたものがいまだに見つかりません。ほどいて、し
ばって、そういうことをくりかえしていたから、とおい日だけが恋しくって、すきとおっ
ていくんです、ことばが。なんとなく、つきつめてゆけば、おくってほしい、とあなたが
言ってきたものはわたしがおくってやりたい、とおもったものとかさなるのよな、そんな
気も、さらさらに、しないでもありません。そういう日には、やさぐれた気分でわたす檸
檬にふりかえりもしないうさぎがかたわらにいたりします。ここから、その場所へ。やさ
しいから、って、おとづれてゆくのは真昼です。ここをすぎるものは、すこやかにそだっ
た青麦たちにまぎれてしまって。


この場所で

  浅井康浩

もしもこの場所で語りつづけることがゆるされるのなら、まずはじめに音楽のことを。チ
ェロによる八小節のあとにひびいてくるオーボエのゆたかさをはなそう。誰にとっても静
けさというものがそうであるように、あるときにふと、音ともいえないかすかなゆらめき
がこめかみをかすめることがあるのだろう。どこからともなく洩れてくるその音が、ピス
トルが世界から消えてゆくあかるさであるよりも、だれかのメヌエットであることが望ま
しいひとたちへ、フィレンツェの春のすべてを持ち寄って、a・d・e・aの和音を鳴らそう




このままねむってしまうのなら、みずからの呼吸、そのまばたきやふるえとかそういった
すべてをわすれて、ただ耳をすましていたい。あなたの吐き出す息の、ただ意味もなくう
つくしい、ということ。いままできいてきた言葉の、そのどれもがよくわからなかったと、
今になっておもうこと。あしたになればまた、あらゆる人々とかかわりをもってしまって
ゆく。そんなくりかえしも夜になれば消えてしまって、ニワトリみたいに忘れさってしま
う。しんしんとしずまってゆくこの場所で、コクリと喉が鳴ったなら、あしたのそらは明
るいのだろう



また、くさむらにねころがってるあいだに君がきていた。なにを言っているのかはわから
なかったけれど、とてもやさしいまなざしをしていたので、たしかに何かがしずかに終わ
ったのだとわかってしまった。あたりには、昨日までは気づかなかった香りが空気にとけ
こんでいて、終わることのない陽射しの、とてもわかりやすい明るさにうながされて、世
界は音律をふくみはじめていた。まばたきの音がして、ハリビユのみどりがはじけて、い
くつかの小さな出来事なら忘れられそうな、とてもいい匂いがした。言い添えるよ、この
場所で。ねぇ、あかるいはなしをしよう。たとえばくさむらのみどりの。つゆくさのみど
りの。


初夏をどこまでも

  浅井康浩

作ってくれたデザートを、クリームとか舌触りのなめらかさでおぼえていないあなたには、
せめてモノクロ写真のようなあたたかさをあげたい。ジャムを煮るような、とまではいか
なくても、あなたにはいつだってくちどけのよい時間をあじわっていてほしい。だからこ
そいつも、セロリやナツメグの葉をプレートの端っこに添えて、ホワイトラムには気づか
れないよう、ねがいをかける。まいにちが、あたためたミルクの表面に生まれる膜のよう
なものに翻弄されてしまうあなたになら、生クリームやバターそのもののさわやかな口当
たりこそがふさわしい。



いつだってそう、はなす物語はいつだって誰かのはなしと似ているけれど、それでいて弱
火で煮始めるあんずのシロップのそのどれもが甘い香りをひろげてくれることを、わたし
はとても、ありふれた時間とはおもうことができないでいる。晴れた日の午後の、とろと
ろとながれるような陽ざしのやわらかさを、このジャムのなかにこめられますようにと、
焦げ付かないよう、時折、おもいかえしたようにホウロウの鍋をゆすりながら、わたしが
こしらえるひとさらのデザートも、あなたがはなしてくれる可笑しな童話も、せめて、心
をこめてつくられるものであってほしい。



初夏をどこまでも感じていたい。すぐりのはえた裏庭から、低気圧がひろがって南岸方面
の降雨の開始を早めてゆくのも、出掛けるうえでのたのしみにしたい。ふわっとした雨の
においを待ちながら、海岸をさくさくあるいて、フランボワーズもつまんでみたい。そう
やって過ごしながら、てのひらにつつまれたような、発酵したパン生地のような匂いに、
ふわっとからだをすくわれてみたい。気がついたころにはもう、雨の匂いにつつまれてい
て、ひとあしとびに、食卓へと歩をすすめている。あしどりはあかるく、あたたかな雨域
をやさしくよければ、生クリームとさっくり混ぜるころあいのような、そんな感じで木イ
スにすわってひといきをつく。そのようにして、誰からもわすれられていたようなオーブ
ンの水跡のように、しずけさを添えてたたずんでゆきたい。


経血を、しのばせる

  浅井康浩

見知らぬ人から、虚構の物語は忘れろと言われ、きみはそれを手放す。ほんの3,4世紀以前の、まざまな年代記や聖人の覚書が忘れられることになるだろう。受難伝、聖人伝、そして教会史。活版印刷術の揺籃期におけるさまざまな挿絵もそこにふくめなければならないだろう。きみに伝えられた記憶は、時間の波にさらされ、いささか伝説めいた言葉で、過去の出来事を飾ろうとしているだろう。水溶性鉱物によってつくられるインクは、羊皮紙に刻まれた瞬間の淡緑色をとどめてはいないだろう。野蛮なルーン文字はトネリコの薄い板に書かれ、ゴティック・アルファベットに喩えられるだろう。だからこそ、オーレ・ウォルムは、畦<Rynner>を起源とする文字をもって反駁したのではなかったか。あるいは垂直軸,輪状部,水平軸のすべてを2本の罫線内に収めた大文字体の衰退について、きみは、速記によりうしなわれる文字の明瞭さと引き換えに、前後の文字のなめらかな接続によって特徴づけられる小文字体の書き手である写字生たちの手付きを、けっしてうらやみはしなかっただろう。だが、きみが犯すこととなる誤写―≪ad basilica≫を≪Abbas Ileca≫―は原本と異なるテクストの出現となって、さまざまな解釈をひきだすだろう。あるいは、そうならなくても構わない。徴税官、そして尚書官が残す手写本の権利証書が、小作人の訴訟、開墾の方法、課せられた領主権のかずかずを書きとどめていれば、それでいい。そうすれば、ゆるやかにたちのぼってくるだろう。万聖節の施与にパンがふるまわれる、刺繍屋にハリネズミの看板が掲げられた、媚薬として初潮の経血をしのばせていた娘のいるきみの村が。あるいは虚構の物語となるための出来事が。


petit motet

  浅井康浩

蛮族の世紀から、幾世紀か離れてみる。物語りたいのは、定期市の話にすぎない。ささや
かな。期間にすると、沈黙の交易の世紀から接触の交易の世紀へと移行したあとの幾世期
か。だけれども、忘れてはいけない。これは定期市の物語で、それはつまり人々の交流の
物語でもある。だから、圧政や、戦争や略奪の世紀から離れ、平穏な場所で、平穏な時間
に起こる物語にすぎない。だから、何も物語ることのない、記録にさえ残らない世紀の、
残っていたとしても、その土地のわずかな年貢の帳簿に記された数字だけかもしれない。
そう、平和は交易が盛んにおこなわれるための必須の条件だからだ。蛮族の世紀から、ほ
んの2世紀か3世紀。そうすればもう、ヨーロッパ各地から商人が集まってきて定期市が
開かれる世紀に入る。平和が、交通の安全が確保し、それにともなって陸路で商品を運ぶ
ための施設が整備される。いくつもの条件と偶然が重なり、シャンパーニュでそれは起こ
る。そして、世紀の経済はシャンパーニュを中心に位置付ける。それから幾世紀か飛ぶ。
すると、経済の中心は動いている。どこへ。ブリュージュ、ヴェネツィア、ジェノヴァへ。
これらが港の、つまり貿易を巡ってヨーロッパが足場を固めてゆく世紀の、いくらか前に
位置する定期市の移り変わりを示すことになる



あなたは凌辱されるに違いない。だってあの街の女は、市の期間は洗濯女であれ召使であ
れ娼婦となるのだから。そして、押し寄せる商人の数に見合うだけの女の数は、洗濯女や
召使の女だけでは足りないのだから。女はあなたに近づく。サラダを盛り付けるときの、
玉ねぎやスミレをちぎる手付きを隠したままで。自分が値踏みされる恐れのない無知な男
だという匂いを嗅ぎわけて。だが、安心していい。なぜなら、あなたがこの大市で取引す
る羊毛や香辛料、黒壇の価格や規模を、女たちは想像すらできないのだから。金銭的な痛
手を負う事はない。銀貨という価値を、アナウサギに付けられた5ドゥニエや、野兎に付
けられた12ドゥニエというスケールでしか計ることができない女たちに囲まれて、あなた
は癒しがたい不健康な間違いを犯す。あるいは、そうなるよう願う



定期市が発生する。そこで交わるのは商品だけでない。言語もそのひとつとなる。シャン
パーニュが、11世紀以降フランドルとロンバルディアを陸路で結び、北と南の貿易軸上の
交錯点に位置している、という地理上の大きな括りが、まずある。そこではほとんどすべ
ての商人がフランス語で用を済ませる。ついで、規模が大きくなるにつれて、無数の小さ
な交錯点が発生する。つまり東方との交易が。もちろん、シャンパーニュでの出会いでは
なく、前段階での。ヴェネツィア商人とアラビア商人の交錯は、北緯41度線、東経28度
線の交差する都市で起こる。すると、ヴェネツィア商人の符牒に、新たな単語が生まれる。
砂糖、シナモン、香辛料。見たことのないそれらを名指すための単語が。ヴェネツィア商
人は、それらに高値を付け、そしてすぐにもうひとつの「交易地」をめざし、北上する。
移動が、ナツメグに似た香辛料メ―ス450gの価値を羊3頭分へと高騰させる。それととも
に名指された単語が流入する。イタリアがアラビアとの交易によって吸収した東方の言葉
たちが。douane関税、gabelle間接税、recif暗礁。新しいフランスの言葉が生まれる



オイルランプの燃える音、羽ペンの摩擦音、鐘の音。同室で眠ることとなる男は、勧める
だろう。あなたに眠ることを。せめて明け方のキリエ・エレイソンの祈りが聴こえるまで
は、と。消え入りそうな声で。取引に支障がでてはかなわないから、と申し訳なさそうに。
だがあなたは、筆写しつづけることを選ぶほかない。暗黙の、徒弟としての数々の規則が
あなたを縛りつけ、それは幾世代かあとに反故にされるのだが、いまのところ時代がそれ
を許すことはない。セーヌ川をルーアンまで下り、船底が浅い舟に乗り換え、7月の第一週
までに内陸へと到達する。そのために必要となる荷物を運ぶ家畜が集まらないなかで、あ
なたは羊皮紙を刻みつけるほかない。いままでの経過、そして損失の額。やがてリボンを
挟み、蝋で封印することになる手紙は、アレルヤ唱に至っても中断されることはなく



定期市は衰退する。衰退?時系列の歴史にまとめようとすれば確かに。13世紀の終わりに
徴候が現われる。だが、シャンパーニュの金融システムは衰退の予兆さえ示さない。なぜ
なら、簿記、為替、そして両替によって生み出される利潤が一方的に増殖を続けているの
だから。ここでは、さらなる発展の確信を抱くしかない。衰退があるとすれば、その金融
システムの発展がまねく事態。たとえば、誰もが市へ集まる徒歩の時代が終わり、周辺の
都市に代理人だけが駐在する、そのような自らの首を絞めた形。あるいは14世紀初頭、ヴ
ェネツィアが英仏海峡経由でブリュージュに行くルートを開拓し、陸路交易そのものの衰
退が決定的となるのだが、13世紀の人間は誰一人、衰退の予兆すら抱くことはない



あなたが苦しんでいるのを見つめる。商品の欠陥を目ざとく指摘されて。織物の染料が摩
擦によって色移りしていること。緯糸が、経糸に対して垂直でなく斜行をおこしているこ
と。あるいは、色の境目において濃色部分の染料が淡色部分に滲み出していること。誠実
なあなたは、聖女リディアを引き合いにだす言いがかりともいえる少額の取引にも、根気
強い説明を続ける。どの街も、この大市での信頼を守るために厳しい検査を経て運ばれて
いることを。あるいは、ハンザ17都市から運ばれてきたことを。説明するあなたの額に、
汗が滲みはじめて、わたしは悦びを隠しきれなくなる。わたしはのぞきみる。ブルゴーニ
ュ、ロンバルディア、シシリア。さまざまな言語が飛びかう中で定められた共通語―フラ
ンス語―が拙いために、とぎれとぎれに痙攣するあなたのくちびるを。わたしは想像する。
夜になれば葡萄酒を含んで、そのくちびるからあらゆる卑猥な悪態がとめどなく吐きださ
れることを。罵り声がわたしへと向けられ、昼間、織物を扱っていたあなたの手が唐突に、
わたしの頬をぶつ手に反転することを望みさえする



ナポリ、ジェノヴァ、ブリュージュ。そのいずれの港湾都市も経済の核となることがあっ
ても、定期市の中心となることはない。けっしてなめらかに流れようとしない気まぐれな
うず潮のように、ときにシリアのジュバイルの海洋都市に、ときになにもない空間―ダマ
スカス砂漠の真ん中に、キャラバンが集い、隊商宿がたち、ラバの通り道が地図の上に記
されてゆく。無数の生糸やチーズ、豚の脂身や出来のわるいワインが飛び交う交易をつく
りだしては消えてゆく。正規の商業ルートをはずれたささやかな交易の境界に都市が手を
伸ばすのは自然なことだ。だが、摘みとれば摘み取るほど、ひもとかれてゆくように、と
きの震えよりも淡い、流星のような交流が各地にばらまかれてゆくことになる



わたしは想像する。あなたがゆっくりと言葉を書きはじめることを。その手紙が、幼少期
に村を離れた理由―例年より早く訪れた冬がひきおこす食料の不足―から感傷的に書きだ
されることを、わたしは望まない。僕は汚れてしまいました。そうはじめに綴られること
になる手紙。それぞれの土地に聖女の名が与えられ記憶されるように、みずからの身体に
罪深い女の記憶が残り続けるような、そのような慰めのない余生はまっとうできませんと
でもいうような調子での。そのように書けばいい。文章から意味が失われていくように、
この平原の中央に位置する、キャラバンであふれた、ちいさな橋のかけられた、わたした
ちの街よりも夏のながい、降り注ぐ太陽の光が繊維を柔らかくみせる街での出来事の意味
も、感じなくなるだろう。明日の朝、食卓に供されるパンの味や、澄んだ空気の匂いから
も、よろこびを感じなくなるだろう。わたしの口から吐きだす気遣いに、いつものあたた
かみを感じることができず、その感じなさにたいする自身への痛みもなくなってしまうこ
ろ、わたしはひとり、小さな嗚咽を、とめどなく漏らしはじめるだろう


They talk of my drinking but never my thirst

  浅井康浩

温めたグラスにコーヒーを入れる。そこに泡立てたホイップクリームを浮かべ
て、さて、「一頭立て馬車の御者」が出来上がる。19世紀の冬の夜、恩寵として
降る雪を見上げ、御者たちが啜った飲み物をおぼえているだろうか。今の僕な
ら、アイリッシュ・ウイスキーを30ml、加える。幼かったわたしたちの身体に、
あたたかで繊細な時間が流れますよう。淡いブラウンのまなざしに、そっけな
いグレーの空。あかるくてやさしいばかりの空間を無為にするためでなく、た
だ、あの頃とひとつの境界線をしるすため。


ひとつの修道会が生まれ、それとおなじ世紀にひとつの蒸留所が生まれる。ア
イルランドにとって、12世紀とはそのような世紀となる。いくつもの戒律が修
道士に課され、多くの若者が掟を守る。ひとつ挙げるならば、沈黙。修道院の
流儀として、余計なことは言わず、寡黙に過ごす。言葉を交わすことは許され
ないなかで、修道士は幾重もの指文字の文法を洗練させてゆく。傍らで、あり
がちなように、ひとりの半端ものが蒸留酒に手を出し、のめり込んでゆく。そ
して数世紀のち、ひとつの半端な王国が蒸留技術に手を出してしまう。


主要生産品が蒸留酒である王国で、ひとりの男が密輸に手を出す。東に湾が突
き出し、西に岬がそびえるこの地では、洞窟だけが密造と密売の舞台にふさわ
しい。寡黙な密輸仲介者が、輸入、輸出、製造、交換取引すべてに実入りを求
め組織同士が情け容赦なく殺し合う世紀まで時間はある。一世紀以上のうさん
くさい噂をブレンドし、荷揚げされた時点で、ギャンブルとアルコールに溺れ
る男たちの喉に流れるという単調なプロセスのために男は土地の流儀をわきま
え、粛々と荷詰めをこなす。


この土地の文学は繰り返し語る。母語を失うことと別種の痛みを。過去を現在
形で語り、過去から現在に戻った者が過去をよみがえらせつつ未来を告げる物
語は、幾重にも過去と現在を折り重ねた果てに循環させようとする洗練された
リトルネッロとなり、だが、わたしたちの発する言葉はもはや、正確に翻訳さ
れることもないまま無気味なものへと転化する。あなたなら、1900年、泥炭が
暖炉にくべられていた頃の物語を思い描いてみることもできるかもしれない。
さまざまな蒸留所の物語。いくつもの聖パトリックの奇跡。聞き取ることさえ
できないゲール語のさざめき。ひそやかに沈澱されてゆく時間に身をよせあい、
過去の時間の流れに交差するように、いくつかの時間が流れだすこともあるか
もしれない。あるいは、その声は、聴こえない。よどみなく連なる発音が、あ
なたを言葉そのもののなかに閉じこめてしまい、ときおり訪れる息継ぎの不思
議さから語り手の魅惑的なくちびるをあらぬ方に想像してしまうように、入り
混じり飛び交う言葉のあかるさが、うしなう意味をことほぐだろう。だが、あ
なたは知っている。この島嶼の書物が、しあわせな死者を描くことがなかった
ことを。ひとすじにつらなるこの土地の歴史をながめ、そこから死者がひっそ
りと消えてゆくあいだ、この土地の曝されてゆくもののなかに―キリスト教の
伝播、大英帝国の支配―死ぬことと蘇ることの感覚が停止して死の世界から生
の世界へ回帰してくる幾篇かの物語を読みとろうと努めているだろう。


スコッチが衰退へとシフトしてゆく、そのような戸惑いの感覚はいずれにせよ、
ロマンティシズムとして、あるいはダンディズムとして埠頭のビストロの内側
に溶け込み、旅人の一杯のグラスのなかへ沈んでゆかざるをえない。島で生き
ざるをえず、時間の満ち引きのなかで減衰を受け入れるとき、島嶼の記憶へと
刷りこまれてゆく際に、たえず復誦される二つの記憶がある。ひとつはすべて
の住民がウイスキーの密造業者となり、もちろん羊泥棒でもありつづけ、治安
判事裁判所に持ちこまれた密造事件が4201件にのぼる1819年、そこではロバ
ート・バーンズが「最も哀れな酒」とよんだ蒸留時間のきわめて短いウイスキ
ーさながら不道徳な年であり、島に腐敗のシステムの基礎を築く。この場面に
続くように別のイメージが現れる。スコッチの歴史を諳んじる人があれば、わ
かるだろう。蒸留所の樽からわずかながらバタースコッチの匂いが浸みだし、
モルトを嗅げば、果実臭と甘い香りが立ちのぼってきたあとで、燻蒸した麦芽
からくるピート香が開きはじめる記憶。それはセント・アンドリュー・クロス
を白馬が掲げるには早すぎた当時でさえ甘すぎる反復であり、島の歴史を記述
する際に必要な勅令や禁令、刑の執行、生産物や貨幣の公定価格が濃密に流れ
てくるトゥイード川の南をスコティシュ・ボーダーズはどうしようもなく酔い
つぶれながらしか、見ることができなかったのである。琥珀色のなかには亡霊
のように現れ出でた過去のさまざまな物語があるだけだ。川を越え国境をへだ
てたどんな町にでも行くことができ、そのどこでも樽という樽が、この場所よ
りも高い湿度や気温に埋め尽くされ、呼吸するように揮発成分が樽の外へ蒸散
し、明るく輝くような色を帯びてゆくのを眺めることができる、そのような物
語はいっさい存在しないのだ。


ノルマンディー・コーヒーのレシピが、世界大戦さなかのアイルランドの港町
フォインズで生まれたことを憶えている人であれば、飛行艇が水上で給油する
間、コクピットに忘れ去られたままの沿岸測量部発行の大西洋横断航空図に曳
かれた数々の線をなつかしく思い浮かべることもできるだろう。そして、カル
バドスをめぐる記憶は、さらにささやかなものとなるだろう。たとえば原料と
なる林檎の貯蔵法のような。あるいは発酵させた果実の蒸留法のような。だが、
「飲む」ということ以上に、その土地への、あるいは時間への関わり方がある
だろうか。その土地がもたらすもの、大地に密植させることで栽培される樹木、
受粉する蜜蜂の飛行、雨とともに訪れる6月の降雨量と昼夜の温度差、あるい
はオーク材の樽における蒸留から熟成までの流れをそのまま受け取るように、
記憶するように関わることは。気候、土壌、日照。そのどれもが肥沃であるが
ゆえに葡萄の、そしてブランデーの製造に適さずにいたこの平野部が、穏やか
な湿気と粘土質の土をもって「アップル・ブランデー」カルバドスをつくりあ
げた16世紀には、聖パトリックの島嶼においてさえ、果実酒へと発酵してゆ
くための繊細でおおらかな時間が流れはじめる。爪先にまでしみる寒さのなか、
ただ待つだけの空隙をなぐさめることになるささやかなレシピを整える準備が、
じんわりと人々の気持ちに行きとどいてゆく

文学極道

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