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深尾貞一郎 - 2019年分

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


翡翠のペンダントをつけて

  深尾貞一郎

I昼
幼児が鏡の中に、
神からいただいた完璧を見いだし、小躍りして喜ぶ

田園のなか、緑の水辺に棲む
トゲウオのような{相互的ダンス}
そこには人間が生まれながらにもっている[触角]があって
これをさしのばし現実をつくりだしていく
マロニエの木の根っこのようなドロドロとした無意識を

フライパンで炒める


II夜
背もたれのついた古びた椅子
革張りの丸い座面に手を触れる
狭い部屋に突っ立ったままに想う
わたしのたましいは幾つも点在する
なめし革の光りを放つ整った鱗
ずっとそのままだ

陰影がわたしと踊った夜の草原
あれから待っている
それは感覚もなく肉を喰らう
体内を這いずる丸い目と巻きつく青黒いもの

シンメトリーの蛇たちは、わたしの首に絡まった人格
生きるとはわたしのものでしかないのなら
肉体は、ずっと星空も見ていないのに
この身体の容のなかで世界を創りはじめる 


スペイン

  深尾貞一郎

「インディアンは無知でも未開人でもなく、
 法律を持った国家である、
 キリストは偶像崇拝者すべてを
 殺せとはいっていない、
 キリストの教えを広めるために
 暴力を用いてはならない、
 食人や犠牲の習慣は
 それが行われている文化の中では
 必ずしも悪ではない、
 インディアンには正当防衛の権利がある」
 
 ドミニコ会の修道士 
 バルトメ・デ・ラス・カス
『インディアンのために弁護する』
(1553年頃のラテン語訳)から抜粋

{夕の食卓に、銀製の蓋骨をならべる倫理}
消費の極致は富を享受することでなく、
富を破壊することにあると、
スペインの紳士に云わせてみたい
街に吊るされたイベリコ豚たち、
われわれが完全に
機械的な存在にすぎないことを悟るために
神はわれわれを無慈悲に盲目にし、
スペイン王国の饗宴をよみがえらせる
小麦の種を荒地にまく、
いのちを費やす日々そのものをまく
われわれの単純さへの信仰、
われわれは豚の亡霊に足をつかまれ、
労働の末に得た富をしぼりとられやすい
朝の樹木のようなこころになりたいのなら、
すべての広告は見ないほうがよい


Sylvie with the light brown hair

  深尾貞一郎

──目の前に
木製のドアがあります。
重いドアをゆっくり押すと、
そこにはレンガ造りの、
長い、長い、長い下りの階段が続いています。
ゆっくり、
呼吸をととのえ、
下り始めます。

長い、長い、長い下りの階段は薄暗く、
行く先は、はっきりしませんが、
足元は、しっかりと安定しています。

今いる場所が何階であるのかは分かりませんが、
気分は落ち着いています。
ゆっくり、
呼吸をととのえ、下り続けます。
疲れは感じず、
降りて行くほどに、自然に、なぜか素直な気持ちになっていきます。
降りて行っても、行く先は薄暗く、はっきりしませんが、
足元は、しっかりと安定しています。

そっと、壁に耳をあてると、
なぜか、川のせせらぎの音が聞こえてきました。
懐かしい、
ずっと前に行ったことのある川の、心地よい、せせらぎの音です。

――心地よいせせらぎの音は、気のせいだったのでしょうか。
また、
素直な気持ちで、
長い、長い、長い下りの階段を降りています。
だんだんと
景色が変わってきました。
黄色がかった電球色のひかりが、だんだんと眩しくなってきます。
よく知っている台所に着きました。

気分は、懐かしいような
幸せに包まれています。
グラスに水を注いでゆっくり飲み干します。
ゴクリ、
ゴクリ、
ゴクリ、と
ゆっくり。
とても美味しい水です。
薔薇の香りのような味がしました。

清々しい気持ちのまま、
長い、長い、長い下りの階段を降りています。
降りて行くほどに自然に、
ますます、清々しい気持ちになっていきます。
ゆっくり、呼吸をととのえ、下り続けます。
長い、長い、長い下りの階段は薄暗く、
行く先は、はっきりしませんが、
足元は、しっかりと安定しています。

今いる場所が何階であるのかは分かりませんが、気分は落ち着いています。
今いる場所が何階であるのかは分かりませんが、
ゆっくりと呼吸をととのえ、下り続けると、
薔薇の香りが身体じゅうに満ちてきます。

懐かしい夏の日、
川のせせらぎに、華奢な女の子がいます。
気分は、もどかしいような
幸せに包まれています。

――以下略

文学極道

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