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岩尾忍

選出作品 (投稿日時順 / 全9作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


壁の裏側

  岩尾忍

壁の裏側にいます
私は
いつもその壁の裏側にいるのです

あなたが生まれた時
片眼をひらいた時
まちがって 立ちあがった時
歩きはじめた時
戸口から薄い光が
さしていたあの時
夏の午後
小暗い台所の
こぼれた油の中で しずかに
蟻が死んでいた時
誰かが叫んだ時 血の流れた後に
女がやって来た時
みぞれの日
子供の泣きじゃくったその夜
ありふれた翌朝
皿が割れた時 ふたたび みたび
皿が割れた時 低く
咳のひびいていた週末
誰もいなくなった時 からっぽの部屋でラジオが
鳴りつづけていた時
途切れなかった時
十二月
あなたがまだそこにいて
寝床が軋んだ時
しばらく軋んでいて
やがて
もう誰の息もそこから
聞こえなくなった時

いつも私はその壁の裏側にいました
そしてもちろん 今も

ただひとつ これまでと違って
これからはあなたのいるそちらが
裏側なのですけれど


かききづの

  岩尾忍

枕詞。月、過去、対話、在る、等にかかる。例、「たちまちに手は雪を解くかききづの在ることをなほ解きあへずして」

というように、現実の直視を避ける。それは二畳の独房でも可能だ。まして六畳の子供部屋でなら

(三倍可能だったよ)。


思い出さないで語ろう。嘘が最後まで嘘であるように。たとえば、

あんなに愛されては生きた心地もしない。手になったような気がした。また網膜か脳になったような。すでに一時間以上、あなたが洗い続けてるそれ。それって手じゃなくて私だと思うんですが。(と言うための必要最低限の、

言うたらまあ、暴力。)


またたとえば、そこにいる限り、何を思っても無害であるしかない。そういう場所がある。街を歩いていても、道の両側はたいていそういう場所だ、と。

「私」を含む文すべてが、現実的には偽だと。一人称なんて言語の中にしかないと。そしてまた、

一冊の古語辞典の砦。三十一音の地下室。ココア。(誰も知ろうともしていないことを、秘密にしてどうする。)と。


(そしてまた覚えてもいないことを言うなら、)「それは、

可愛いものだった。言葉は

とても無害だと思った。まるで私のように。」


真夏でも長袖を着ていた、一人の同級生がいた。誰もが知っていた。彼がその下に何を隠しているか。何がまるっきり隠されていないのか。

私は健康で理性的だったので、皮膚をひっかいたりしたことはなかった。つまり存在が長袖。書くならばその下に隠して。

と思うほど馬鹿だった。殴ったりする方が賢い、となかなか気づかなかった。


かききづの

過去 淡雪の袖解けてなほ



*自注:「かききづの」の「きづ」の表記は、正しくは「きず」。しかしいくつかの理由によって、この誤記のままにしておく。


マルタおばさんは言った

  岩尾忍

マルタおばさんは言った
絶望ってどういうものか
見せてあげようか

そしておばさんは大きな黒檀の箪笥の
一段目のひきだしをあけて
真赤な布を出した
その布を出すと 下には
薄青い水玉の散った
紫の布があった
おばさんはその布も出した すると下には
オレンジの幾何学模様の
黄色い布があった それも出すと
その下には 黒い縞の入った
白い布 その下には
ピンクのはなびらの模様の
緑の布があった 

そうやっておばさんは 一枚 また一枚
取り出して広げてみせた
縫い目もしみもない
裁たれたそのままの布を

これは絹 これはキャラコ これは麻
これはびろうど これはジョーゼット
一日に一枚 一年で三百六十五枚
十年で三千六百五十二枚
三十年で
一万と九百五十七枚
それでもこのたった一つの箪笥が まだ
いっぱいになりそうにないの

(目をあけてぼくは見ていた じっと
 見ている目の中に
 色がゆれ もようがあふれ
 ぼうっと ぼうっとして なんだか
 ゆめみているみたいになった
 ゆめみたいにきれいな
 きれいな
 きれいな布のかさなり)

お嫁に来てからというもの あたしは
お金には困らなかった
だから朝御飯の片付けがすむと 毎日
この町に一軒だけの
服地屋に出かけていった
そして
流行の 新柄の 店主のご自慢の
とびきり上等の布地を 売子がすすめるままに
一着分 買って帰った 

お金には困らなかった
けれどもその店には なぜか
針と糸がなかった
よそまで買いに行こうにも なぜか
この町には外がなかった
それにたとえ 針と糸が買えても
無駄だった
あたしは
縫い方を知らなかったから

マルタおばさんは言った
緑の布をたたみ 白い布をたたみ
黄色い布をたたみ 紫の布をたたみ
真赤な布をたたんで
黒檀の箪笥の ひきだしに重ねて入れて
それから最後にそのひきだしを
ぴったりと閉めながら

マルタおばさんは言った 笑って

わかったかい 坊や
絶望ってこういうものさ


褐色の月

  岩尾忍

あの子は
砂糖の箱の中で死んだ

透明な滑らかな
傾斜95度のアクリルの坂を
あの子は繰り返し登った
一度目はほとんど
頂上に達するまで
そしてその端に爪をかけようとして ぽろっと
黒い雪の片のように落ちた

あの子は繰り返し登った
二度目は八分目まで
三度目は七分目まで
四度目は半ばまで
五度目はその半ばまで
そして登っては ぽろっと
音もなく落ちた
まるで
そういう遊びのように 

疲れると あの子は
足元の砂糖を舐めた
右にも左にも延々と続く
純白の砂糖を
砂糖は甘かった 腹は
いくらでも膨れた
しかしその後にやってくる渇きを
充たすものはなかった

外はよく見えた 見えすぎるほどに
あの子と同じ色 同じ形の
多くの影が過ぎた
近くを
そしてかぎりなく遠くを

それは長い三昼夜だった しかし
所詮は三昼夜だった

あの子が死んだ時
しらじらと起伏する砂糖の丘の彼方に 一つの
褐色の月が出ていた
そしてその月の光は あの子の
砂糖に埋れつつ砂糖に膨れきった影をも
かすかな虹色の暈の襞で飾った


このように言いたいのだ 私は
その月が もちろん
月などではなかったとしても
清潔な台所 その棚で翌朝
あの子の亡骸を見とがめて捨てる手
その同じ手が点した
一つの
褐色の豆電球に
すぎなかったとしても


不快とともに

  岩尾忍

この世ほど古いテーブルの周囲で、

食べては皿に吐き交換してまた食べ、あなたと私とXとの重量の、合計が一定の生活をしていた。秤が傾くと指先で戻して、しかも誰一人死なないので長い目で見るならばつまり、

目減りして全員が少しずつ痩せる。外からはわかりませんよ。むしろ新品の風船のように膨れて、いい色していました、みんな。時に私など手が滑ったふりして、ツン、

と隣に座っているあなたを、疑念の一端で突ついてみたかったのですが。しかしあなたが食べた後のものしか、私の所へは回ってこなかった。やわらかくなまぬるく

甘酸っぱく溶けかけたそれ、たとえばカレーライスを、私は私の滋養として育った。そういうのが「幸せ」でした。私の食べたカレーライスは、あなたの食べたカレーライスであり、あなたの食べたカレーライスであり、

あなたの食べたカレーライスであり、多くを学んだものです。ありがとう。あなたの記憶にも匙をつっこんで、あなたの知らないうちに、すくいとりなめるように知った。すくうと糸を引く。関係が生じる。ほら、生じた。そしてまたそうなってしまうと、

なかなか死にませんしね、意識までありますしね。どうにかするためには八月の油虫並みの、知恵も力も要る。そういうことでした。べとべとの、足の数だけある立脚点の上で。体を頭へと引きずって引きずって、

抜けた。ところであれは何月だったろうか。季節だけあったのに目に見えるすべては、常に一定で完全に矛盾していた。ガラスに描かれたガラスの外の風景。それで私も吐き気を催したのですが、知っていましたか。「自分の体ってのはさ、

痩せるほど重くなるんだ。」

残留が。そこは七階の五号室でしたが、今まで誰もあけなかった窓を、あなたの腫瘍の一部として私が、成長して少しだけ揺すった。風が吹き込んで、あなたは凍えたが狂喜しましたよ、私は。これで誰かが消えるかもしれない、

と。実際はどういうことだったかといえば、単なる離脱です。肥大した風船がふらふら、ふらふらと春も近いある日に、窓からその外へ

ゆっくりと落ちて行ったのだ。あなたとXを残して。眼とひとふさの薄蒼い神経を、それだけをいただいてぶらさげておりました。だからテーブルに置き残した紙片も、たぶんもう誰も読む者がいない。あなたにXに読ませたかったのに、読ませたかったのに眼は

あの部屋にたった一つで、それは私のこの眼であるのだから。だから私が明かすしかないですね。こういうことだったよと、

こういうことなのだよと。たとえばあの紙に記されていたのは、この二行だけです。

「不快とともに想起させてやる。
 生ごみになってやる。」


How not to pray

  岩尾忍

祈ったら終りだとまだ思っているよ。そこはまだ持ちこたえているよ。約束は私と私との間に

交わしたのがすべてだ。ちぎられたレシートの菫色の印字の、それでも私には十分な余白に、「失敗です。けれど

あなたの失敗じゃ決してないのです。」と

記したのが第一日だった。今ここではじめて、生れたことにした。私から私が。このひとの神経の瞬きである私、あのひとの神経の戦きである私が。そして骨だとか灰だとかの中には、もういないことにした。手に取れるものの中には。抱けるものの中には。「骨」の中、「灰」の中、私たちの大脳の中の

すくいがたく儚いものの、
中にしか「私」はいない、

と。(ならばどうやって存在を続けよう? 瞬いたり戦いたりを。どうやって?)それは、

硬貨をまっすぐに投げ上げてみることだ。街に降らせることだ。たとえ総額九〇〇円ばかりの、五円玉一円玉の、哀しくも輝かしい混淆であろうと、

誰かを驚かせることだ。苦笑や嘲笑とともに、しかしいくつかはその手で拾わせることだ。異なる肌により隔てられた誰かに。そしてその指の湿りで、今一度錆を吹くことだ。純潔を保たないことだ。

そしてうつむいて口にしてみることだ。「これには一片の聖性もないです。人々の技術が造り、人々の手垢が汚し、人々の妄想がこれに価値を与えた。美しいわけもないです。五円玉一円玉に

魅入られた私とは人間の屑です。」と。

そうだろう? でもそれはこう言うのと同じだ。天上から何が降ろうが、

いつもあの角に百均スーパーがあって、雨傘を買えるなら私はそれでいい。時給九〇〇円の悪くない今日の仕事が、明日も明後日もあるなら。部屋に帰れるなら。部屋には朝に出た時のままに、脱ぎ捨てた靴下と文庫本が絡まり、どの神も来なかった、いかなる奇跡も起きなかったのだとわかり、そしてまさにそのことの自負と自由とをこうして、

言葉にできるなら。

「私」くらい私が
養ってやれるさ、

と。だからもう口には出さないけれど、眼をあげてあなたとはこのように別れる。「私に黙祷を求めないでください。祈りは言葉じゃない。地に墜ちない一円玉は。」それはまた街に出て空を見て、

その誰の姿もない空から、奇跡のように降りおちる硬貨を、銀色のアルミの硬貨、金色の真鍮の硬貨、その輝きを掌に受けとめ、数グラムの誇りにかけて、こう言うのと同じだ。

ね、こう言うのと同じなんだよ。「私はこの光、今走った震え、だから私にはもはや

聖なるものはいらない。

ただでくれたっていらない。
ティッシュとクーポン券を
一緒に手渡されたっていらない。」


ひとりごと

  岩尾忍

を、言ってしまうのですね。こんなふうにひとりでいると、ひとりごとを、声に出して。それで隣の部屋の人に聞かれる。いやもちろん聞かれたくはないので、隣の部屋の人がいない時にだけこうして、ひとりごとを言うように心がけてはいますが、しかし往々にしていないと思ったらいたり、いると思ってもこうしてひとりごとを言わずに、いられなかったりします。

これは昔からそうでして、もう死んだ人なのですが、留守中に、戸の隙間から、手紙を入れられたことがあります。××さん、頼むからひとりごとやめてくださいよ。私もこのとおり神経質なほうで、落ちこんでる時も多くて、そんな時いんうつなひとりごとが、あなたのひとりごとが隣から聞こえると、ますます気がめいるんだ。本当に、頼むから。この人は私のまあ友人といえば友人で高校の同級生で、同じ年に同じ大学に入って、私の住み始めたアパートの二階の、ちょうど隣室が空いていたのでそこへ、引越してきていたのでしたが、十二月、

二十一日、だったか、卒業の年、首を吊って死にました。私が見つけたのですがどんなふうに見つけたかといえば、そうですね、風で戸があいていた。鍵をかけないで死んでいたわけです。木造アパートの板一枚の戸で、窓から風が吹き込んだらひらく。私が出かけた時、もうひらいていて、部屋の奥にその人がこちらに背を向けて、立っているらしいのが見えました。ああいるな、ともたぶん思わなかった。見ただけで、そのまま階段を降りて出かけて、半日ほど外にいて、帰ってきて階段を昇って、見たら、部屋の奥にその人がこちらに背を向けて、

立っているらしいのが見えた。ずっと、立っていたわけか、半日、あ、

と声をかけたところもちろん、振り向きませんでした。返事はしませんでした。それからまあいろいろ、言うまでもないようなことがありましたが、ええと、延長コード、でしたよ。使っていたのはね。二つの本棚の間に、伸縮物干し竿、白い丸い棒一本渡して、そのままじゃ転がるからガムテープで両端を留めて、つまり本棚の天板にくっつけて、動かないようにして、そこに4メートルくらいの、延長コードを引っかけて巻きつけて、そうやって死んだわけです。左の耳元に、コンセント、と呼んでいいのかな、三個口の、あの四角いのが、ぶらん、と垂れさがっていました。顔は不思議にきれいだったのですが、まあ、やりかたは

美意識のかけらもなかった。着ていたセーターの袖口のほつれの、糸の青、それだけが何だか眼に沁みましたが、そんなの私の感傷にすぎません。遺書もありましたがノートの切っ端に鉛筆で汚い字で、雑な文章で、美意識のかけらもなかった。たぶん知らなかったんだな。私が知りすぎているほどにはきっと、知らなかったんだな。美しいものがどれだけ人間を騙して、

騙して、生きさせるものかを。

おまけにそのあと部屋の片付けをしていたら、なにやら荷造り用ビニール紐を十本くらい束ねて、せっせと編みかけてやめたようなのが出てきて、たぶんこの紐使おうとして、太さとか強さとか足りないと思って、こんなことしてみたんだろうけれど、もう、呆れるしかなかった。お前なあ、縄くらい買えよ。部屋は少しも整理されていなくて、荒れていた、と言ってもいいほどで、それでも机には人から借りた本がそれぞれ、輪ゴムでくくられて名札をつけられて、揃えて置かれていました。私のも二冊ほど。そういうの、律儀でしたね。

このへん現実にあったことなんですが、ところであなた、信じるんですか、こう言われたら。いくらでも言えますよ、これは現実にあったことなのです、なんて。



それはまあいいのですけれど、もう少し、言うまでもないようなことを言うなら、警察の調書ね、あれ、穴埋めなんですね。「二十一日」、「延長コード」、と穴を埋めてゆく。つまらない出来事の穴を埋めてそうして、完全につまらない出来事にしてゆく。埋めながら、警官のおっさんが、頼みもしないのにあれこれ話すのですよ。線が、きれいに出とりましたわ。首吊りの場合はね、こう、上の方へ赤く、線が出るんですわ。それが下から、無理に引っぱったりしたらね、きれいに出よらんのです。きれいに出とりましたから、これはもう、他殺ではないと。はあ、そうですか。うちにもね、似たような年頃の娘がおりまして。もう、なんともいえんですねえ。はあ。

それからこんなのも今、ふと思い出しましたが、その後まもない頃、道で、とある知り合いに会って、まあ、詩なんか書いている病気っぽい奴ですが、立ち話していたら、ほら、また切っちゃった、なんて、頼みもしないのに見せようとするわけだ。私はね、人を殴りたいとかね、めったに思わないんですけれど、あの時は、

あの時はぶんなぐってやろうかと思った。しかしいきなりぶんなぐったってあっちは、私の隣の人のことも知らない、何があったかも知らない、どうして殴られるかわからないだろうし、だいたい人を殴ったりするのはね、日頃からやっていて、やりなれて、練習してなかったらできないわけですよ。だからその時も私は、少しも殴ったりできずに、ふうん、と返事して見せられたものを見て、話の続きをして、そのまま別れたのでしたが。歩きながら考えました。これだから詩なんか、書くような奴はと。死ぬこともようせんのか、詩なんか、書くような馬鹿はと。私は、

詩なんかもう書かないで
生きられるはずだと、
愚かにも思っていた頃のことです。そして

それから一年ほど経って、隣の部屋には別の、知らない人が住み始めたのですが、その前に大家のおばさんが階段を昇ってきて、こんなこと言いました。××さん、隣な、この前うちの息子に言うて、方除けの神さんのお札もろてな、おはらいしてもらいましたさかいに、もう、大丈夫でっせ。はあ。大丈夫なのか、とぼんやり思いながら聞きましたが、視界が、すうっと、チラシ一枚の厚みになって見えた。ああ、こんなものか、この世は。

要するにこうですね。教訓を言うならね。一人だけ早く死んだら、こんなことされますよと。こんなふうにおもしろおかしく、語られてしまったりしますよ。詩にされてしまったりしますよと。何をどう語られようと書かれようとあなたには、もう訂正ができない、反論もできない、それでもいいんですかと、問いかけたらきっと、いい、と言うのだろうなあ、死んでゆく人たちは。けれど

私はそれだけはたえがたかったのです。私が私を語り終えるより先に、あいつらに、私を語らせてなるものかと思った。いつだったか、あれは、たしか十五の頃のことです。ようやく手に入れた、薄汚れた剃刀の刃を、量産の、安物の一人称を、それでもあいつらに手渡してなるものか。私が私を刻み尽くすより先に。



そしてそれからまた、かなり経ってから一度、一度だけその人の親の家に呼ばれて、行ったことがあります。葬式も法事も私は行きませんでしたが、一度だけ呼ばれて。二階の、仏壇のある部屋の壁に、その人の写真が、のっぺり引きのばされて、貼られてありました。どこかの山頂で、リュックサックしょって、へらへら笑っていた。へらへら、

へらへら笑ったまま、親の家の壁で、
と思ったら見ていられなかった。どこまで馬鹿なんだよお前は。そして

写真を見ながら涙ぐんでいる背中、その人のお母さんの背中、白いカーディガン着た、肩の狭い背中に、すみません、でも、言わずにはいられなかった。すいませんお母さん、酷いことを、でも、酷いことを言わせてください。聞こえないようにこうして、聞こえないように、言いますから、お母さん、

死んだ子は可愛いでしょう? たまらなく可愛いでしょう? そうやって見あげて、飽きもせず見つめて、そうやってとめどなく、やさしく、恍惚と涙ぐむことができるほど、それほど、死んだ子は可愛いでしょう? 可愛いにちがいない。可愛いはずなのだ。死んだ子は、

うらぎりませんから。さからいませんから。死んだ子は、

口応え一つしません。心配をさせません。警察沙汰訴訟沙汰、何一つ起こすことはないです。変な連中と関わりあうこともない、世間にご迷惑おかけすることもない、親の恥さらすこともないです。こんなに良い子はいない、可愛い子はいない、そうでしょう、お母さん、

私は、

あいにく生きていまして、

死んでくれ生むんじゃなかった、と、わめかれたことがあります。ちょうど二十の誕生日の頃です。あれは心地よかった。こんな日のために生きてきたんだと、思えるほど、ほんとうに、ほんとうに心地よかったです。ああやっと、こういう人間になれた。二十年生きてきて、やっと。死んだら、ねえ、

死んだら、こういう人間であることができません。もう誰も、裏切ることができない。傷つけることができない。私たちを生んだ者への、復讐を、もう何も為すことができません。為そうとして為しえずにこうして、泣くことができません。その悲哀、その屈辱をこうして、言葉にしつづけてゆくことができません。こうして語りつぐことが。こうして

ひとりごとを言いつづけることが。



あの時、留守中に手紙を入れられて、私はそれを読みましたが、そしてしばらくはなるべく、ひとりごとを言わないように、心がけてみましたがそれでも、結局のところ私は、ひとりごとを言わずに、いられなかったのです。隣であの人が十本のビニール紐を、せっせと編みかけてやめかけていたのかもしれない、その時にもきっと、私は一枚の壁のこちらで、こうしていんうつなひとりごとを言っていた。もちろんあの人に聞かせたくはなかった、なかったけれどそれでも、言わずにはいられなかった。聞こえたのでますます気がめいって死にたく、なったかもしれないですね。もちろん私のひとりごとのせいで死んだとは、もちろんそうは思いませんけれど、しかし私にはさらさらと降る砂が見える。角のない細かい、吹けば舞うほどに軽い砂がさらさら、さらさらと降りそそぎ降りつもってある時、その底に埋もれた一つの

雲雀の卵が音もなく砕ける。そのように

時として人は死にますから。私がひとりごとを言いつづけたことも、私が生きていてそこにいたことも、そして結局のところ私が、こうして生きていてここにいるほどには、あの死んだ人のようには、死んでいった人たちのようには、あんなには弱くなかった、まさにそのことがさらさらと降る砂の、そのひとすくいでなかったとは言えない。四月、

一羽の雲雀が空にあがり囀る。踏み砕いた千の卵の、血に濡れて輝く声で。あの声が美しく聞こえるならそれは、

それは、砕かれた卵の

血が美しいのだ。



ぶきみですいません。暗くて。でも、

それでも私はひとりごとを言いたい。こうして隣の部屋の人に聞かれて、あなたにも聞かれて、あなたも私より弱い人で神経質なほうで、落ちこんでいる時も多くて、私のいんうつなひとりごとが聞こえるとますます気がめいって十二月二十一日に、延長コードで首を吊るのかもしれない。そうやって私の住む部屋の隣では次々と人が死に、方除けの神さんのお札が次々と貼られてははがされ、やさしい母親が一人また一人と、写真を引きのばしその写真を見あげて、とめどなく涙ぐみつづけるかもしれない。詩なんか書くような馬鹿野郎がこうして、好きなようにおもしろおかしく書いて、あることないこと書いて、自分の作品にしてしまうかもしれない。くだらない言葉の山に、してしまうかもしれない。あなたがもう何も、ひとことも言えなくなった後に。それでも、

それでも私はひとりごとを言いたい。だからひとりごとを、

ひとりごとを言わせてください。生きさせてください。言いたくてひとりごとを言うのではないと、思っていましたけれど今は、こう言わなければいけない、私は、

ひとりごとを言いたいのだと。ひとりごとを言いながらこうして生きたいのだと。私がこれまでのどの冬の十二月にも、どの二十一日にも延長コードで物干し竿でガムテープで、首を吊らなかったのがなぜだろうと考えてみるならばもしかしたらそれは私がこうして、ひとりごとを言いつづけていたからかもしれない。こうしてひとりでいる時にひとりごとを、ひとりで。だから私は言わなければいけない。声に出して今はこうして、言わなければいけません。言わなければいけないのです、こうして。あなたを何度殺そうとも何人殺そうとも私は、ひとりごとを言いたいのだと。ひとりごとを言いながらこうして、私は生きたいのだと。だから言わせてください、ひとりごとを、こうして言いながらひとりごとをこうして、生きさせてください。ひとりごとを言うために、生きさせてください、ひとりごとを、こうして。こうして生きさせて、言わせて、ください、ひとりごとを、言ってこうして、言って、ひとりごとを、ひとりごとを、ひとりごとを、生きて、こうして、


as a carrier

  岩尾忍

風の流れる音だけがしている。もう死なず、死ぬはずがなく、膝を抱えて笑いながら彼は、交互に訪れる悪寒と高熱を数える。どちらにも用途がある。それから全身を埋めてゆく発疹を、こよない恍惚の表情で認める。春。太陽に無縁の花期。

「ここは病院だった、昔は。」「今は何?」「さあ、電波塔かな。」

その日から記憶は始まる。以前には何もない。あの秋の空の澄み切った午後、ここに来て、停止した大小の計器と、塵を浴びたシーツと、観念でしかない死者たちを片寄せ、一人分の空間を作った。そして待ち始めた。最初の症候を。

戸の裏は一枚の鏡。戸をとざす彼の手の平凡な五裂が映り、

(誰がいたのかは知らない。)

「ここ」と呼ばれた点が

散乱し、

最初の発熱の中、頬を紅くして、彼はその鏡の面に中指の先で書いた。彼の経血で。Welcome to the world of―― だが指はその位置で止まる。彼は彼の病名を知らない。いや、誰も知らないのだ。今ようやく破綻する嚢、摂氏三九度五分の培地に、彼が今咲きこぼすものを。

「宇宙がある、包帯がある、目がある、不在がある、これで永久に遊べる。」

知りうる限り、部屋には通気口が一つあり、一つしかない。それは彼の頭上、天井の一角にあり、人の顔ほどのパイプの断面だ。その円周には細く刻まれた白い紙が貼られ、びらびらと靡いている。常に靡いている。外へと。

知りうる限り、部屋には通気口が一つあり、一つしかない。にもかかわらず、風は吹いている。吹き続けている。風は彼の体表に触れ、ひしめく疹丘の一々をたどり、その頂に滲み出すものを、熱い舌先で舐めつくすようにして吹く。そして彼を過ぎ、白い紙切れを軽く震わせて抜ける。

彼は笑っている。とうに正気など必要ではないから、と医師ならば言うだろうが彼には彼の理由がある。笑うべき理由が。

風は吹いている。外へ。彼は笑っている。笑っている。その声は音節を成し、薊の冠毛が吹きちぎられるように、やがて、一連の言葉として洩れる。ユケチノハツルマデ。


20120116

  岩尾忍

 いつもと同じで重力があって歩く。そして駅だと思う。監視中なのだと。ホームの端に立って、子供だから、盗んだ液体を舌に届くまで吸った。匂いや味。知っておいた方がいいこと。それからおもむろにストローを引き抜いて、呼気を詰め込んでばかげた球をつくる。これなら確実に浮く。何を言われても返す言葉がない。いやあの、口がふさがってまして。非常な高速で流動する虹色、その合間に製造業が見える。走りだし、走ってきた電車に乗って、その電車が走りすぎるのを見送る。それから私はどうしたかと言いますと、死んでも息だけしつづけていました。と後から報告された。てめえまじめにやれや。
 県立図書館の地下一階と一階の間のやる気のない階段通路で、行き交う金属と金属探知機に挟まれ、昨日と明日の雨模様について座学。旅行とはどうすることだろう。365ページ目の後にね、あるんですよ。野球のできそうなだだっぴろい空地が。いまどき珍しく。そして片隅の曲がった木の下には、誰にも言わないでくださいよ、実は・・・ しかし冷静に思い出してみても、だ。パラパラまんがが描かれてたりしたぜ。生物の教科書の、最初のページから最後のページまで。
 夕方に帰宅して、米を炊いて食う。幸せだ。
 標識がありすぎて、毎日誰かが頭からぶつかって死ぬ。車より人間が多い。「電子レンジにかけないでください」の中で、最も正しいと思うものに○をつけなさい。それから手足のたたみ方を習う。ああきっとあの穴にはいれる、君だってはいれる、と祖父母のグループがテレビで歌っている。墓ならいりませんよ。ごみになるだけだし。ようやく口をあけて言えたが、あいにく私がいない。なんでそう、そんなに、みんな、そうやって地面から生えるの、とひとしきり泣いてもみたが、時間になったので適当に切り上げた。盗んだってってもさ、トイレにあったんだ。そのくらいいいよね、と人生が有意義だ。

文学極道

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