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Migikata (右肩) - 2016年分

選出作品 (投稿日時順 / 全4作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


図形

  Migikata

 飛び散らかる腸を腹の裂け目から戻そうとして、かき集めていた人のこと。
 その人のことを戦争体験者の手記で読んだ。それが忘れられないまま、十数年を過ごした。
 今日は十月二十七日。何の日でもない。広大な時空間に穿たれた任意の一点としての十月二十七日、ここ。起伏のない平野の町、町のホームセンターの駐車場のはずれ。大看板の下、セールの幟の列の横。空を仰ぐと、遠い山脈の裾を下り、雨雲が低く、なお低く近づいてくる。早い。
 タンスの抽斗から溢れるシャツのために、収納ボックスを買いに来た。買わなければ。そうするつもりで大きく開口した店の入り口、ガラス扉へ向けて歩いている。

 そのとき雷光が雲の一角で静かに光を放ち、天上と地上のあり得べからざるものが唐突に照らし出されたのだった。ここの総ては、つまり、あり得べからざるもの。

 湿気た空気の塊が肩を並べて両脇に立つ。視界の中を、ごく小さな蟻の列が、奇妙なほどにゆっくり、通り過ぎようとしている。そして草。アスファルトの裂け目の草。こぼれ出た小石。
 視界を百台ほどの車が取り巻いており、人の気配が何もない。あらゆるものが何かの予兆であるにも関わらず、この先何も起こらないことはわかっている。
 
 すべてはもう起こってしまった。

 今ここは、そのはるか後の時間に位置している。列を作るごく小さな蟻よりも、さらに小さなキューブで構成された、密度の薄い世界が遠くまで広がっている。

 行かなければ。ホームセンターではない場所へ行く。
 だが。
 引き戻されるのだ。世の人は皆、戦場へと。あの、腸をかき集めていた臨終のときに。
 夢でいい、平穏な生活に身を置きたい。そう思った死に際に見せられた今という夢。夢のこの日に、やがて目覚めの時がやって来るだろう。

 その時。のたうち回る戦死者を、つまり我々の最期を、見届ける者がいる。両目が大きく開いている。硝煙にむせながら、メモ帳を取り出す。何かの言語を記す。何かの絵も書き添えるか知れない。

 簡単で不正確な線描だ。

 メモ帳は泥と手垢にまみれている。別の何かに変質している。彼はそれを上着のポケットにねじ込む。やがて歩き始める。
 時間とモノが織りなす非連続的な階調の変化。「歩く」とは彼にとって、そこをあてどもなく漂流することだ。彼は湿気た空気の塊として認識される。だが、漂着したところに、ひとつの次元が創設され、そこにひとつの手記が残されるはずだ。

 彼は我々とは違う。薄い布団にくるまり、夜の寒さを凌ぎながら、退屈な手順でさして快感も伴わぬセックスをし、愛憎の絡み合った子を成し、愛憎の絡み合った育児を成し遂げ、財産を譲って死ぬ。それが彼の為すべきことだ。

 世界は大きく変わる。

 発光からしばらく遅れ、駐車場に雷鳴が轟く。車と車の間に、無数の空気の塊が立ち上がり、ゆらゆらと揺れ始める。
 雷鳴と重なり聞こえにくかったが、合成音声のような声が、
「わたくしたちはみな不死身です」
とアナウンスしていた。そんなことはわかっている。不死身とは、一瞬を永遠として捉える特殊能力に過ぎない。

 頭が痛い。裂けた腹が猛烈に痛い。喉を吹きこぼれる血塊が塞ぎ、悲鳴が上がらない。呼吸も出来ない。何も考えられず目を剥く。黄色く変色した空、牛丼の「すき屋」の建物のやや左。そこに、ひとつだけ赤い星が灯る。

 星の形が不等辺七角形だ。


驚くべきこと

  Migikata

枝から飛び立つ鳥の腹を見たら、何か感じ入るものがあった。
それから動物園に行って、プールでくるくる回りながら泳ぐビーバーの腹も見た。ちゃんと見た。鳥を見た次の日か、その次の日。
生きている血と肉の動くときのその生臭い重さがね。どうも。
僕は鳥とビーバーを生きながらにして、丸呑みにしたのだった。
だから行き会う誰とも口をきけず、目を合わすこともできない。
いやだな。
いやだな。
「あたしなんか、ほんとは変態だよ」
と今年四十三になる南敬子さんが落ちこむ僕に言ってくれたのを思い出した。
ありがとう敬子さん、僕は一生あなたのことを忘れない。
それでも、いやなものは。
いや。
敬子さん、ええとうまく言えないけど世界は暗黒だ。
お腹の中の蛇の中の鳥とビーバー。
腹黒い、ってよりも腹暗黒だよ。

こし暗とつぶ暗

インドの古代哲学をもってしても、暗黒はこの二様にしか分類されないんだって。


流離譚

  Migikata

毛皮の一部のようだったけど、それの
裏にまだ柔らかい肉が分厚く付着していた。それが
上下の嘴に挟まれ、鴉に攫われていく光景を
僕は見ていて。
道ばたの草むらに残った僅かな
犬の遺骸が今は、空にある肉片と
俄に見えにくい、事のいきさつで繋がっているんだよね。
この、未来の光景をはっきり予感しながら
四日前の晩、ラム肉のカツレツをフォークで口に運ぶ高津さんを
見ていた。彼女は同じ皿の上にある
付け合わせのパセリまできちんと食べ終えて話を続ける
例の装置に着けるアダプターは高額すぎるから
決裁を待っても承認されないよ、きっと
購入してしまったからには仕方ないし、佐藤くんの考えも分かる
別の物品の割引分に本体価格を五分の一、上乗せしてその分を
減額して伝票を切って貰うようにN社の矢部さんに頼むしかない
それでも足りないようなら
と言って高津さんは手に持ったままのフォークの先を
くいっと上に向けたんだった
三叉の金属の構造体の先端は特に光りはしなかったと思う
外から雷が響いた(ぴりっとウインドーが共振した)
噛み砕かれたカツレツの感触と味覚の刺激が
僕の口の中に残っていたけど、それは
たぶん高津さんも同じだろう
捕食というものが、直接と間接との差から分岐して
さらにいくつかの分岐を繰り返し
野生とはまったく別の文脈で成立する過程が
何だか、官能的に思えてため息がでたっけ
僕がそれから一時間くらい後、いつもするように
裸の高津さんの乳首を吸っていて
佐藤くんちょっと痛いと甘い声で言われた、そのことも
同じものの文脈の違いなんだよな。たぶん
その時まだ犬は生きていて
僕は犬の種類も形も色も声も癖も知らないのに
草むらで腐ってばらばらになる彼の未来と
それを見る僕自身の未来を予感した

ねえ
ねえねえ
佐藤くん
佐藤くん佐藤くん
それ
それそれそれ
うん
うんううんううん
佐藤くん
佐藤くん

佐藤
くん


手紙

  Migikata

手紙を書く
お菓子の国から 
死んでしまった君へ宛てて
 (僕は元気です
  大きなシュークリームの皮が破れて
  溢れた生クリームの川を
  今、板チョコと一緒に流されています)

文学極道

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