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井上優 - 2017年分

選出作品 (投稿日時順 / 全1作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


赤い風鈴

  井上優

赤い風鈴


   序

『本当のことを言おうとして、芸術は嘘をつく。』
 こんな、あたり前にも思えることが、分っていない。
文芸に於いてさえ。

『生命(いのち)の宿らない芸術は、芸術ではない。』
言い換えれば
『本当の芸術は、生命(せいめい)である。あるいは、本当の芸術は生命(いのち)を受胎する。』
 こんな、あたり前にも思えることが、分っていない。

 純粋芸術に於いては、まさにフィクションこそが本当のノンフィクションである。人間の本質に触れたくて人は、ノンフィクションではなく小説を読むのだから。
 いや、詩・小説はメタ・ノンフィクションと言うべきだろうか? 俗世間的現実を越えた現実、生身の人間、赤裸々な剥き出し(むきだし)の人間がそこに立ち現れるからである。
 プラトンは、この世は影の世界であると言う。イデアの世界、すなわち真実の世界を映し出すこと、醸し出すこと、薫らせることこそ、本当の芸術の使命ではないだろうか?
 そこには、潤沢な血流と鼓動が寄り添う。
 二十年以上も詩を書いてきて得た、ささやかな真理だ。

 現実は複雑に錯綜し、真実を見る目は、繁栄という仮初め(かりそめ)の表層に奪われ流されてしまう。

 真実の自己を見つめることさえ、酷(ひど)く困難を極める、時代。
 時代が、来るべき破極と再生を、自ら望んでいるようだ。

 僕のつく嘘は、どれだけ真理であり生命(いのち)を宿しているだろう?



   *

甘すぎるんじゃないか? 晃が笑った。
月刊詩誌の投稿欄に載った作品だ。不思議なインスピレーションで、一気に書き上げた。

   *

『完全自殺マニュアル』が東京都で発禁になった頃だろう。悪名高い本で、いかに自殺するのが一番楽かという内容だった。その本を使って自殺する若者が後を絶たなかった。

その頃から、僕は有償のボランティア・センターに通い詰めていた。その頃始まったばかりの制度で、今はボラバイトというのだろうか。それとも介護保険に組み込まれているのだろうか?
 ボランティア・センターには、色とりどりの若者が溢れていた。社会人入試で入学した三十二歳の医学部生から、予備校生やフリーター。家事手伝いや、若い主婦。閑を持て余した大学生。
 僕はボランティア・センターから、脳性マヒ児のリハビリの派遣先を紹介された。
 小さな子供なので、手足の運動の補助をして、筋肉が固まってしまわないようにするボランティアだった。そうしないと、将来歩けるようにもならないばかりか、骨の成長を阻害してしまう要因にもなるという。
 派遣先は、小さな一軒家だった。
分厚い眼鏡をかけたオバサンがその子のお母さんだった。会った初日、そのオバサンは唐突に言った。
「あなたみたいな雰囲気の人が、この前自殺したの。」
それから新興宗教の教義と○○先生の人柄を延々と説かれた。
通い始めて、二ヶ月目のことだった。奥の部屋から、自殺した青年より暗いのではないかという公務員らしき父親が出てきて、駄目だしといった風に言う。
「○○先生の本だよ。千円の本だけど、学生さんだから五百円にしておくよ。」
 本を買うことだけは、僕は断れなかった。もちろん入信はしないけど。

   *

「池袋の献血センター、いいぜ。」
「何がいいんだよ。」
「ピンクの制服の、眼鏡(めがね)っ(っ)娘(こ)看護婦さんがいるんだぜ。」
「それは、垂涎(すいぜん)ものだな。」
「そうだろう。その上、森(もり)高脚(たかあし)だぜ。今度一緒にいこうぜ。」
その頃、森高千里の美脚は有名になりつつあった。フィギュアというオタクのリカちゃん人形がある。そのフィギュアで森高千里をモデルにした人形が発売され、密かなブームにまでなっていた。

 現代詩に憧れ、漫画を読み、チョコッと勉強する。ニートのはしりのようだったのだろうか?

   *

 池袋の献血センターは、東口を出てすぐの処にある。
狂牛病やエイズの血液感染が騒がれる前だった。ちょうど成分献血が始まり、成人の採血量も200ccから400ccに変わった頃だったと思う。
僕と晃は『献血オタク』の世界に入っていった。

 献血で血を抜かれた後は、不思議な爽快感と陶酔感があった。
頭の風通しが良くなり、風がキラキラと光る。頭のてっぺんが、空に開かれたような開放感。少しふらつくところもいい。
『落とされる』というのだそうだが、柔道技で頚動脈を絞められる技がある。脳に血が廻らなくなり、気を失ってしまう技だ。それは、誰しも病みつきになるほどに気持ち好いらしい。僕も、同じ原理で気持ち良いのだろう。
ヤバイことに、どこの柔道部でも『落とす』のがうまい先輩は後輩の人気者になるというセオリーがあるようだ。風薫る五月。風光る五月。
眼鏡っ娘もかわいいし。
あ、詩のインスピレーションが湧いてきそうだ。

   *

 僕はメゲずにボランティア先にも通っていた。子供のリハビリを手伝うのは、何故か楽しい。何故だか分らないけれども、とにかく楽しい。自分も少しは他人のために出来ることがあることが、ちょっぴり自信にもなった。
そしてなんとか両親とも、巧く会話するコツをつかんだのだ。とにかく暗い話をするに限る。
「顔色がわるいわね。」
 と言われれば、
「血を売って、家計に入れているんです。」
泣きそうな顔をしながらうつむいて言うと、オバサンは満足そうに眼を細める。
オヤジさんも、
「○○先生の新刊が出たんだ。どう?」
 と畳み掛ける。
「最近参考書の読みすぎで、髄膜炎なんです。おまけにこの前鼻をかんだら、脳みそが垂れてきてたんです。脳みそ移植してもらわないと。あの、ちょっと脳みそ、分けてくれませんか?」
「あーまた出てきた。」と鼻をかむまねをして、ティッシュのビニールに仕込んでおいたナメクジに青海苔をふり掛けたものを鼻に詰め込んだ。
「あー僕の脳みそ、鼻から出て来てまだ動いてる! 」
 脳というキーワードがブラック過ぎたなと反省しつつも、それしか思いつかない僕の脳でもある。
 身を挺した演技のせいで、それ以降オヤジさんは僕に取り合わなくなった。

   *

「持たざる者は、更に奪われるであろうってな。」
 晃がしたり顔で言った。そのセリフがこの場合に、どうあてはまるのかは解らなかった。
「差別が差別を呼び、それが悲惨の連鎖を引き起こすのさ。」
「僕らは、何も出来ないのかい?」
「まあ、あまり考え過ぎず、気にせず、ボチボチやるんだな。」

   *

ボランティアを朴訥に続けて通ううちに、いつの間にか半年程の時間が流れていた。
初めのときより、オバサンの瞳が和らいできたと思うのは、僕の錯覚だろうか?
「ボウズ、続いてるな。」
 オヤジさんも、ぶっきら棒に、短く言葉をくれる。

 でも風が欲しい。心に風が。

   *

リハビリを手伝って、10ヶ月あまりたった。
「そういう子は寿命も短いのだから、無理に運動なんかさせても無駄よ。歩けるようにはならないのよ。」
 母親が分別ありげに言う。リハビリテーションの理念も概念も解っていないくせに。

「受験勉強は大丈夫なの?」
「そういうことじゃないだろう!」
 僕だって、その子が歩けるようになるとは思っていない。障害の重さを見ていると判ってしまう。だけど、歩けるか歩けないかだけが問題じゃないだろう。それ以上に。
「そういうことじゃないだろう!」
「そういうことじゃないだろう!」
人が生きていくっていうことは。

【灼熱の体温が欲しい】

自分を、極限まで追い詰めたかった。いや、自分の限界を見定めたかったのかもしれない。
 血がうねる。血が渦巻き、逆流しそうだ。薄らぼんやりしていた現実が、肉体と心から迸る情熱でリアルになる。初めて『血潮』という言葉を実感・実体験している。血潮がうねり、岸壁に波しぶきを打ち上げている。

  ***

 いつの間にか、病院のベッドで寝ていた。
 清潔な匂いのする、白いベッド。
そうだ、献血センターをハシゴして、400ccを3回、成分献血を1回混ぜて1・6リットルの血を抜いたのだった。
勿論弟の名義も使い、従兄弟二人の名前も使い献血センターを巡って、献血のハシゴをした。献血のチェックが、まだ甘い時代だった。
死にたかった訳ではないと思う。きちんと計算していたからだ。十八歳以上の体内血液量は、男性の場合、体重の約8パーセントだ。身長178cm体重65kgの、運動部で鍛えた体には約5・2リットルの健康な血液がある。その三分の一、1・73リットルが失われても死なない。
ギリギリまで自分を追い詰めたい衝動に駆られていただけなんだ。

***

 気づくと僕は、子供の頃の体になっていた。シングルのベッドが、やけに広々している。アソコも皮を被って、サナギ状態だ。鏡がないので顔は確認出来ないが、皮膚を触った感じは全く子供になっているとしか思えない。ツルリとしすぎている。
 隣のベッドの女の子には、見覚えがあった。誰だろう? 思い出せないが、懐かしい感じがする。

 女の子は、硝子のボトルに入った血液を輸血していた。
「今日は若いお兄さんの血ね。サラサラしていて、さわやかになりそう。」

 思い出した。ここは僕が小学校一年生のときに入院していた、カトリック系病院の小児科病棟だ。
あのときは原因不明の、43度高熱での入院だった。発熱したとき家の天井が近くなり、天井の木目がはっきり見えた。臨死体験というものをしたのだろうか?
 今、気がついた。僕は、あの当時に戻っている。正確には、僕は二十年近くの記憶を持ったままに、小学生の時の体に意識が戻っているんだ。いや、当時の意識が混ざった感覚。自分は十九歳なのか、九歳なのか定かでない。やたらに眠い。僕は眠り続けた。

   *

 病院は人里離れた高原の、小高い山の中腹にあった。重症の子供の多い、小児科専門の病院だった。
空気のきれいな自然環境の良い場所にある、古風な木造の洋館のような病院だった。回復に長期の療養が必要な子供の為の、家のような病院でもあるらしかった。僕は時折喘息の発作にも見舞われた為に入れられたらしいが、ここで完全に治癒した。*
「今日はオヤジの血ね。オヤジギャグばかり出てくる。血に苦労が沁み込んで、黒々(くろうぐろう)してる。」
 隣の女の子は、たしか重度の再生不良性貧血だったと、後に両親から聞いた覚えがある。僕より一才か二才年上の娘だった。小学校時代に、彼女と口を利いた記憶はまるでない。
 名前は、そう、ノエルだった。漢字を当てはめた名前では、奥原(おくはら) 野絵留(のえる)だった。

幼い頃の僕は、彼女の明るさが羨ましくて、看護婦さんとの会話に耳をウサギにしていただけだった。

 僕は学校で、むしろ明るい方だった気がする。背は低かったが、走るのが速くケンカも強くお調子者で、友達も多かった。友達も大勢見舞いに来てくれていた。病院生活は退屈だろうと、沢山の漫画本を友達それぞれが貸してくれた。

人間は、他人から評価されれば、自然と明るく振舞える。
彼女の明るさは、僕とは異質だった。彼女の友達がお見舞いに来たという記憶は無い。それどころか、両親の姿さえ見ることは稀(まれ)だった。

彼女の明るさは、内側から滲み出てくるようだった。『内在する生命』という言葉が頭をよぎる。“病気の彼女に内在する明るい健康な生命”現代詩にかぶれて培った、頭でっかちの悪い癖だ。


   *

 隣のベッドのノエルが話しかけてきた。そう、僕は確かにあの頃、ノエルと話しをしていたんだ。何故忘れていたのだろう?
 十二月半ばになっていたせいか、話題はクリスマスのことになった。ノエルもクリスマスは待ち遠しいようだった。
「だって私の名前は、クリスマスっていう意味なのよ。」
 彼女ははにかんだように笑った。
「私達、今年良い子だったかしら、心配だわ。あなたのことじゃないのよ。私の心の中が心配なの。」
「きっとサンタさんは、クリスマスプレゼントをくれるさ。君は良い子だと思うよ。」
*「ノエルの心の中が見たいな。僕よりは、ずっと良い子だと思うよ。」*

 ノエルは、何も答えなかった。そして話題をずらした。*
「キリスト教っていうと、クリスマスが最大のお祭りとおもっている人が多いけれど、本当はちがうのよ。」
「え! クリスマスじゃないの? 」
 ノエルは淡々と語りだした。
「イースター(復活祭)は、イエス・キリスト様が十字架にかけられて死んで、三日目によみがえったことを記念しているの。一番重要なお祝いの日なのよ。」*
「知らなかったよ。」
 ノエルは続けて語った。
「その日は、クリスマスが十二月二十五日って決まっているようには、きまってないの。」
「どうやって、決めるの? 」
 ノエルの本当に語りたいことが分らずに、ぼんやりと訊いた。
「イースターは春分の日の後の、最初の満月の次の日曜日なの。」
「難しいんだね。」
「神秘的でしょう? クリスマスよりも深い、なにか秘密があるのよ、きっと。」
「そうなのかな。」*
「もっとすごい、神秘があるのよ。」
「この世は、次の世界に生まれるための、お母さんのお腹の中の世界なんだって。神父様がそう言っていたわ。」
「でも、苦しい世界ね。私達をお腹に宿している神様もお辛いでしょうけれど。」

   *

 小児病棟では、風呂に入れないほど病状の重い子のために、看護婦さんが3日毎に身体を熱いタオルで拭く。
 ノエルの胸は、乳首とそのまわりがチョンとふくらんでいて、つぼみのようだった。ベッドが隣なので、自然に見えてしまう。
 彼女の中の生命の息吹は、身体にも芽吹いている。肉体は病魔に蝕まれてしまっているけれど。
生動する生と性。そして聖。そこには、絶えず相克が待ち構えている。

   *

 街の浮かれた喧騒とは隔絶されて、白い病室はいつもの通り静かだった。ただ、看護婦さん(当時はまだ看護師という呼び方はなかった)が、仕事の合間にクリスマスらしい飾りつけをし、ささやかなパーティーを開いてくれた。

病状の比較的軽い慢性病の子供は、一時帰宅を許される。残されるのは、病状が重い子供か、急性病で入院している子供だ。残された子供の中には、僕たちより小さな子供達もいた。
クリスマス会は、両親の参加も許されていた。そのせいではしゃいでいる子供もいたが、両親がなんらかの理由で来ないので、泣きじゃくる子供も何人かいた。彼女は、泣く子をあやすだけで、パーティーには参加しなかった。
いや、出来なかったのだと思う。あとになって考えてみれば。そして彼女は、自分がもらったクリスマス・プレゼントのお菓子を、泣いている小さな子供達に、分けてあげていた。
 僕の両親は、寿司折を持ってきてくれた。回転寿司ではない、比較的高級な店の寿司だった。僕は祖父と行く回転寿司の方が、口に合ったのだけれども。
「お父さんお母さん、十分遅刻したから罰金千円ちょうだい。」
 気づくと僕は、九歳の頃言っていた言葉を思い出し、その通り言っていた。
 そのときノエルは、両親の来ない小さな子供たちに話しをしていた。
いつもベッドで寝ている重い身体をおして、何を話しているのだろう?
 よく聴いてみると、小さな子にお祈りのしかたを教えているのだった。

『天におられる私達の父よ 御名が聖とされますように 御国が来ますように 御心が天に行われるように地でも行われますように 今日わたしたちの日ごとの糧をお与えください わたしたちが人を許すように わたしたちの罪をお許し下さい わたしたちを試みにあわせず 悪からお救いください。」 
私達の本当のお父様は、天国にいらっしゃるのよ。イエス様もお父様なの。ちょっとむずかしいお話しだけど。

『恵みあふれる聖マリア 主はあなたと共におられます 主はあなたをえらび祝福し
あなたの子イエスも祝福されました 神の母聖マリア 罪深いわたくしたちのために 今も死を迎えるときも 祈ってください。』
マリア様が、本当のお母さんなのよ。いつも、私達をみまもり、助けてくれているの。

 ノエルの頬に、熱いものが流れていた。それは、涙だろうか。本当の海の香りがした。*

 深夜、ふと目が覚めてしまった。すると隣のベッドで寝ているはずの彼女がいない。僕は夢遊病者のように、病院内を探索に出かけた。病院の廊下がきしむ音が、夢の中のように遠くで聞こえた。
 次第にはっきりして来る意識のなかで、途方にくれる自分がいた。どこから探せばいいのだろう。小さな身体に夜の病院は、途方も無く大きく広く感じられた。
 仕方なく、ナース・ステーションを避けながら、一階から順番に探していった。木製のドアを軋ませないように注意しながら、一つずつ病室を見回し、トイレから用具要れの部屋まで開けて探した。けれども、どこにも姿はみあたらなかった。
 ふと閃いて、一番上の階にある、礼拝堂に昇ってみた。

彼女は礼拝堂に一人でいた。後ろ姿は淋しそうだった。何かお祈りをしているらしい。そのうち、彼女の鳴き声が礼拝堂を満たした。
「お父さん、お母さん。」その言葉だけ、聞き取れた。
 でも、その声は、何故か心が休まる、不思議に温かい泣き声だった。

   *

「今日は若い女の人の血ね。つやがあるわ。今日は私、綺麗でしょう。」
 彼女は、いつもの調子に戻っていた。実際彼女は可愛らしかった。
彼女の瞳は、泉の湧き出している湖水のようにいつも澄んでいた。それは、ベッドから降りられないのが不思議なくらい、はつらつとした瞳でもあった。
ただ、彼女の病気がはっきりしてしまうのは、肌の色が日本人離れして抜けるように白いことだった。言い換えれば、蒼白な肌の色。
再生不良性貧血は、骨髄中の造血幹細胞が減少することによって、骨髄の造血能力が低下し、末梢血中の全ての系統の血球が減少してしまう病気なのだ。血液の赤色をつくる、赤血球中の赤い色素でもあるヘモグロビンも、当然減ってしまう。それが、彼女を蒼白にしている。美しいほどに。

彼女のベッドの脇には、赤い風鈴があった。ベッドが窓際だったせいだろうか。僕には、その赤い風鈴と、輸血用の赤い血液ボトルが同じもののように感じられた。彼女の肉体に、新鮮な風を送る、輸血用の血液ボトル。

看護婦さんと無邪気に、生き生きと戯れている彼女は、僕には眩しかった。
 彼女が悪戯に、看護婦さんから体温計を奪った。

「看護婦さん、検温やり直し。体温計クン、機嫌が悪くて、頭をカッカさせてるみたいなの。きっと友達とケンカしたのよ。」
 ノエルは熱が高いと、わざと体温計を脇からずらし、周囲の人を心配させないようにする。でもそれに失敗すると、言い訳がまだ幼いのだった。小学校3年生か4年生の少女の素顔を覗かせてしまう。

 僕も看護婦さんと仲良くなりたくて、ノエルの真似をして看護婦さんから体温計を奪おうとした。でもそれは僕のガサツな手から滑り落ち、床に散った。ガラスと水銀が散乱した。
「大丈夫よ、心配しなくていいのよ。」
看護婦さんは優しく言ったが、目は悲しかった。

 彼女は、何もなかったかのように、話を変えた。その場の空気を柔らかにするように。
「私、今日で何人の人達とお話ししたかしら。何人の人の人生を生きたかしら。出合った人は今日で1095人ね。何度も同じ人と出会っているだろうけど。」

   *

 彼女のベッドの風鈴は、夏が終わってもしまわれることなく飾ってあった。冬でもその硝子の風鈴は、窓辺にあった。ヒーターの温かい風が時折触れ、音を奏でた。

突然に、百合の花の香りがした。カサブランカだろうか? 香りがふくよかだ。百合はマリア様をあらわす花だ。
ふと、なにかの暗示を感じた。*そして、そよ風が吹いた。やさしい風だ。
 赤い風鈴が、涼しい音色で響き渡った。

「風って、見えるのね。イエス様のお姿も見えたわ。そして命は光なのね。色々な人たちとお話しして分ったの。昨夜(ゆうべ)は、マリア様ともお話しできたわ。」
彼女が折り紙で作った天使が、白いカーテンに鮮やかに映えていた。
 温もりは、流れるように部屋を満たしてゆく。
新約聖書の、山上の垂訓(すいくん)が頭をよぎった。
『心清き者は幸いである。汝は神を見るであろう。』

彼女は本当に神様を見たのだろう。

「クリスマスが終わると、復活祭が待ち遠しくなるの。」
 彼女は、幸せそうにはしゃぎながら、いつのまにか眠りについた。

 次の朝目覚めると、僕の隣は真っ白なベッドだった。そこには、清潔さだけがあった。残酷なまでの清潔さ。彼女は、何も残さなかった。窓際の赤い風鈴を除いては。たった一つ僕に残されたのは、爪痕だった。僕の心臓に、赤く潤んだ爪痕が残った。

   *

 忘れていた、物語があった。潜在した意識の中に。
彼女に、あのときの僕の血を輸血できたとしたら、彼女はなんて言っただろう?
現実という無理解と背徳と欲望の渦巻く世界の中で、僕らの愛は収縮し萎縮し、鉄鎖に繋がれている。きっと。

文学極道

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