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芦野 夕狩 - 2017年分

選出作品 (投稿日時順 / 全14作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


カンパネルラ!

  芦野 夕狩

カンパネルラかもしれない
同僚はそう呟いて冬の街に消えたきり
もう会社には二度と現れなかった
僕はカンパネルラ症候群だと思った
けどもそれはまだカンパネルラ症候でしかなかった

同棲していた彼女が
カンパネルラかもしれない
そう呟いていなくなった時
それは確かにカンパネルラ症候群になった

ロヒプノールの錠剤が青くなったことと
関連しているのかもしれない
明るさと上手くやっていけず
活字を読みとるためだけの
デスクライトに照らされた部屋には
ペットボトルや靴下や
なんのために存在したかもはやわからない
紙がちらばっている
砕いたロヒプノールの錠剤が
絨毯の隙間に滑り込んでいる
このまま滑り込み続けて
この部屋が取り返しのつかない青に
染まればいいのに

僕は人間である前に
一塊の鉄である
果たして本当に必要なのかもわからない仕事を
毎日こなすためには
そうでなくてはならない、ということだ
たまに昔読んだ活字を手に取るが
それはカンパネルラではなかった
ロックミュージックをかけても
それはカンパネルラではない

ある人は人生は累乗されうるという
僕にもその意味がわかっていた頃があった
僕がまだ物語であった頃の話だ
ロヒプノールがまだ雪のように白かった頃の話だ

雪の降る日。まだ白い雪。僕は確かにキリマンジャロの山頂付近にいた! となりで豹が凍り、カンパネルラ、と叫んだはずだ。そして子供たちがそれぞれ独特のやり方でミルクをこぼし始め、世界怪獣がそれを見て笑っている。女の子たちは風の歌をうたい、男の子たちはそれに乗ってみんな海賊になってしまった。ミルクは一杯の地球では収まり切らずに、僕の部屋になだれ込んで来る! カンパネルラ! 叫ぶと青色職人が女の子たちを一人ずつ凍らせていき、風を失った男の子たちが陸に行き着き平凡な生活を始める! カンパネルラ! 今日から収入と支出の記録をつけて、将来老いてから病気をやっちまってもなんとかなるようにしようと思います! ミルクはブクブク泡を立ててホットミルクになってしまった。これでもう誰も凍りつかない! 僕のとなりでは決して凍りつかないような健全な女が寝ている。カンパネルラ! 叫んでも凍りつかない。なんて健康なんだ! もう誰も凍らない、凍らせない、凍れない! 男の子たちは絶望する! 女の子たちも絶望する! 世界怪獣は凍っちまえよ ベイビーを歌い始め、それと同時に凍らない ゆえに ビューリフォーを奏で始める! 僕は一塊の鉄だ! カンパネルラ! 僕は凍らなかった、僕のとなりで豹が凍った、僕は海賊だった、僕はカンパネルラじゃない、僕はミルクをこぼした、女の子が凍った、僕はホットミルクの中で凍った、みんな凍った! らい病研究者になった世界怪獣がそれを見て美しいと言った、美しくないよ、と言った


スーパーソニックウーマン

  芦野 夕狩

気づいたら ふりだしに戻る
がっかりして めそめそして
あの子の背景はいつも満月が写っていて
サイコーってどんな気分なのかわからないから
生きていくうちにわたしはいつの間にか200度くらいで燃える虎になっているかしら

友達といっしょに 野原で 草原で 枯野で
もてるものすべてを持ち寄ってピクニックに行き
道すがら目に入ったおいしいワッフルを食べることができるカフェに入る
たぶんベルギー産 目をつむってもベルギー産
フランスでもイギリスでもスペインでもないスペシャルな感じに浮かれながら
ポップゆえに死す

死んだら一緒になろうね
死なない蛸になろうね
みんな大豆ペプチドを摂取しながら
そんな言葉をうたいながら
唐突にエリンギになってしまえばいいのに
あぜ道に生えてしまえばいいのに
つくしみたいに
つくしみたいなエリンギになってしまえばいいのに!!

わたし、おとこのこに生まれたかった
自分より優れたものに商業的とか大衆的とか
そういうレッテルを貼って、いつまでも魂のとなりにいられる気がする
ブスの生きる道はアフィリエイトしかないと知った6月

ウィッチャー3ばかりやっていたから
口調がゲラルトさんみたいになってしまいました。
会社で男の子に食事に誘われると
いつもなら、思わせぶりに微笑んでみたりしていたのですが
断るには余りにも魅力的な誘いだ
なんて口をついてしまって
どうしたらいいでしょうか、婚期が逃げていきます


あの滅亡、この滅亡。

  芦野 夕狩

みんな絶望しているだろうか。地球からはるか何億光年離れた宇宙船の中で、鳩時計が顔を出す。みんな絶望しているだろうか。テリーは顔に空いている全ての穴から血を流しながら、多分、歌っている。滅亡に関する歌だ。野菜を収穫しすぎて逆に貧乏になった農家の歌ではない。我々はいつも旅の始まりに立っていて、過ぎ去ったものは全てウタになる。多段式ロケットがいつだってそれを証明している。そういうふうに優しさを一つ一つ切り離していったのが僕たちだよ。火星あたりでそう微笑んで見せたのを覚えている。パセリ。答えがないってことは僕たちが考える以上に大切なことなんだよ。それがその歌の決まり文句だった。テリーは飽きもせずにその歌を繰り返し歌っていたけれど、実際のところ何が言いたいのかさっぱりわからなかった。告白しよう。テリーのことみんな馬鹿だと思っていた。そんなテリーが出血している。出血なんて言葉じゃ片付けられない。はるかさんがそのだらし無くぶら下がった手を握っている。テリーは滅亡の歌を歌っている。鳩時計が顔を出す。みんな絶望しているだろうか。はるかさんの夢は一人前のパティシエになること。そのためにはどんな努力も犠牲も惜しまなかった。人一倍卵白をかき混ぜていたし、人一倍酵母について考えていた。つまり、人一倍酵母について考えながら卵白をかき混ぜていた。多段式ロケットの4回目の切り離しのときもそうだった。その切り離されたロケットの中に彼女のフィアンセが乗っていたことを最初に知ったのが他ならぬテリーだった。テリーは農家の歌を一時中断して、ジャガイモは地面に埋めると増えるんだよ、という話をして彼女を励ました。人一倍酵母について考えながら卵白をかき混ぜていたはるかさんは、確かに、と思った。だから手を握って死んでいる。多段式ロケットがいつだってそれを証明している。そういうふうに優しさを一つ一つ切り離していったのが僕たちだよ。木星あたりでもそう微笑んで見せたのを覚えている。二人はジャガイモみたいだった。セックスを媒体とせず、ただ土の中で眠るように増えていく。というのが彼らの描く軌道となって土星まで辿り着いた。置いてきたものは全てケーキになるの。そんなふうに微笑んで見せたのを覚えている。誰も彼もがあの滅亡で心が傷んでしまった。だからはるかさんのことを悪く取らないで欲しい。人類はいつだって未来へと向かわなければならない絶望の隣で立ち竦んでいるのだから、と。鳩時計が顔を出す。みんな絶望しているのだろうか。そのような疑問をこの宇宙船で初めて抱いたのがピッコだった。ピッコははるかさんの中身から生まれてきた。土の中で眠るようにセックスを繰り返した二人の子。ピッコはいつも宇宙船の窓から景色を眺めていた。丁度天王星が見えていた頃かもしれない。ピッコはあの滅亡を知らない。だから通り過ぎていく色々なことがウタやケーキだなんてとても思えなかったのかもしれない。数知れぬ星々の間には見えない橋が架かっていて、互いに惹かれあったり、遠ざけあう。幼い彼はそんなことを発見した。そして天体を舐める焔の波も、氷のざらつきも、覆う気体の曖昧さも、その全てに優しさを含んでいて、それゆえに滅亡を繰り返す我々をどう肯定すればいいのかわからなかった。みんな絶望しているだろうか。鳩時計が顔を出す。8回目の切り離しが行われると知ったとき。それが今までとは異なることを意味しているのを知ったとき、幼い彼の瞳はとても大きく見開かれた。それは安易に死を意味していたわけではないし、驚きや悲しみや、そんな甘いケーキみたいなものでもなかった。とにかく幼い彼の瞳はとても大きく見開かれた、という事実だけがあった。


ゲーテ時代

  芦野 夕狩

君に会うことがなくなってから
いくつかのかなしい出来事と
いくつかのたのしい出来事が
あった
たまに思い出すこともある
君と僕とがゲーテとシラーのように生きていたこととか
君と僕とは足してもゲーテやシラーにもなれなかったこととか
イエナの君の隠れ家でおこなわれた
うつくしい研究のきれはし
その全てを焼き払ったことは
君の預かり知らぬところかも知れない
その炎は未だ燃えているのかも知れないし
そうでは無いのかも知れない
いずれにせよ僕たちは断片であることを望み
僕たちは断片のように未完成のままだった
閉ざされていないことが、君が言うところの
真なる完成、と信じるのならば
話は違ってくるのかもしれないね

こんな風景のことをいつも考えるんだ
僕は放浪の旅の果てにどこかの公爵の命とか名誉だかを救い
その方にささやかな領地を賜り
そこには口汚いけれど
蜜蜂の世話をこれから一生していくことにうんざりせず
むしろその蜜をたまに味わえることがこの世の全ての
喜びに勝ると思っているような
そんなささやかな人たちが暮らしていて
干し草の匂いが胸の奥をからからとさせるような
そんな牧歌的な村に
いつだか消えてしまった君がひょっこり現れて
村を見下ろせる丘にある一本の樫の木陰に座っている
もちろん後ろ姿で君のことはわかる
だってその髪の結わえ方は昔と何も変わらないし
髪の結わえ方以外で人はそう変わるものではないし
僕は君に何というだろうか
元気か、とか久しぶりだな、とか
そんな月並みな言葉を君にかけて
君もまた
そうだね、とか色々あったな、とか
そんな月並みなことを
僕に言って
それからしばらく話をして
ここにいてもいいんだぜ、と言うと
是非そうしたいね、と君が言い
それでも君はたぶんここに留まることなんて
無いだろうと思いながら
耳をすますと
農家の人たちの声も疎らになっていて
ニワトリや馬も牛も静かになっていて
その世界の一日の
終わりを告げるように
太陽がゆっくりと
沈んでいくところを


僕は彼女を抱きしめたかった

  芦野 夕狩

会社から帰る途中に
空き缶が転がっていて
道路の傍に
コロコロと転がっていくんだよね

誰かを
例えば上司を
無能だ、と心の中で罵ってみて
その空き缶の転がる道を歩いてく

剥がれていく
仕事中に書類で指を切って
そこに貼り付けた絆創膏が
ほの暖かい湯に浸って
だらしなく剥がれていく

僕が僕である悲しみ
という言葉の反対として
僕じゃないよろこび
というものがあるとしたら
主語はなんだろうね
絆創膏だろうか

鬱病になってしまった後輩からラインが来る
無理はしないでね(無理をしない程度に世の中に貢献してね
後輩は絆創膏のように剥がれていってしまったのかもしれない
君が君じゃないよろこび

空き缶の転がる道を歩く
歩く
何度も歩く
たぶん
無能だと思っていた人たちは
皆等しく無力なだけなのかもしれない
僕と同じように

剥がれていく
あさ鏡を見るたびに
耳が小さくなっている気がする
口が四角になっている気がする
僕が僕じゃない喜び(?)

鬱病になってしまった後輩にラインを送る
なんかさ、結局
世の中が全部悪い気がする
よくわかんないけど
俺頭悪いから難しいことわかんないけど
お前がお前のこと責めるのを俺が許せないっていうか
俺がフツーに働けてて
こういうこというのもすげー無責任だと思うから
お前がお前のこと責めるのを俺が許せない証拠に
会社辞めようと思うわ
まじ
止めないでくれよ

返事がない
ただの屍かもしれない(既読だけど
もしかしたら救えたはずの命を
見殺しにしたのかもしれない
遅すぎたのかもしれない

とりあえずセックスがしたくなった
愛とか恋とかそういうのじゃなく
ベッドの上で欲望の塊に成り果てて
なんかよくわからないけど
果てしなく意味のないセックスをしなければならなかった
そうすることが世界への復讐だった
意味や価値を求められて
失われていったものたちへの葬いだった

夜の街で女を買い
僕が救えたはずの命が終わったことと
それと同時に世界が終わったことと
僕たちは銃弾が飛び交う戦場のようなところで
ただ剥き出しにセックスをしなければならないことを
伝えた
女は見るからに商売女で
トクホの烏龍茶を飲んでいた
お金を渡すまでは僕の話を聞いてくれた
お金を渡したあとはスマホをいじっている
でもさ
若者の貧困は世の中が悪いと思うんだよね
俺頭悪いから難しいことわかんないけど
ある意味君のために俺会社辞めたんだわ
まじで
女は先にシャワーを浴びると言って浴室に消え
僕は部屋で彼女の体を見ないように努めていた
だってそういうものは秘匿されてなければならないから
女と入れ違いにシャワーを浴び
女の言うままにベッドに寝かされ
手コキをされた
僕は彼女を抱きしめたかった
ただ彼女は乳首は痛いといった
だから裸で抱き合うことはできず
僕はしごかれていた
正常位でいい?
そう言われて
いいよ、と言って
そのまま彼女が横になって
ローションを塗られて
挿れた
僕は彼女を抱きしめたかった
けれど彼女は足開きすぎると痛いと言った
だからそれは無理だった
彼女はスッキリとした美人だと思っていたけど
お腹が出ていた
綺麗に三段に分かれていて
わずかばかりに足を開くとそれがより強調された
僕は彼女を抱きしめたかった
彼女は
なんか萎えてない?
と言った
僕は手でしてくれる?
と頼んだ
いいよ、と言った
そのまま目を瞑っているとすぐ射精した
お互いにすぐに着替えてホテルを出た
火災が発生しているビルから脱出するみたいに


侏儒

  芦野 夕狩

おれは朽ちた木に咲いた嘘だ
みずからを生け贄にして泣き叫ぶおんなたちの
あだの心臓をたずさえて一括りの
みずの隙間から産まれてきた
血まみれの嘘だ

錆びた鉄といにしえのうたと
おれの指のさきの硬いしこりと
眠ることのない木々の慟哭とを
額面いっぱいに塗りたくった
それがおれの全てではあるまいと信じながら

それが不幸か
これが不幸のありようならば
肥溜めのわきで眠る豚どもの腐臭にもおとる
おれの指にできた血のまめほどに
とるに足らぬことどもに
いにようされし侏儒のこえよ


変身

  芦野 夕狩

河は燃え
赤く染まった月をそのみなもに滑らせ
葦と井草に囲まれて
小さく開く苦悩がある
オオカナダモは呼吸をしている
月の光彩は河をほの赤く染め
染めながら流れて

湖面に開くかなしみがあり
鈴虫の声にみなもは揺れて
その声は夜をしつらえ、ただ揺れないものは
空の月ばかり、冷たい貌をみなもに映して
潰えていく命をわらいつつ
そのたびに揺れる

帰り路
アスファルトにへばりつくガムみたいに
流れる月を見ていたのは
狼男が見た夢の続き
ある夜、彼は狼ではない夢を見る
それは狼の姿で、鈴虫の声を聞きながら

そして満月を見上げる
役割を終えた交差点の真ん中で
何かに変身してしまうことの
どうしようもない宿命を呪って

なにものでも無かったものたちの
変身をつかさどるもの
リリオーペの花壇の隣で
仮面ライダーでもなく
ウルトラマンでもない
そんなポーズをとることを
余儀なくされたものたち
湖面に揺れるかなしみの数だけ

そしてどうしようもなく
変わっていってしまうものたちわらって
月は濁流に呑まれて、今夜も
たくさんの人を変身させたまま
姿を隠してしまうのだ。かたち
それがなんであろうと
そうであるかたちを押し付けて
そうであるかたちを許して

僕はなにものでもありたくはなかった
それは自分と許しあうことが出来ずに
湖面を揺らし続けるものの傲慢かもしれない
僕はなにものかであることを恐れて
オオカナダモの呼吸を真似て
その光を見つけ出せなければ良かった

濁流に呑まれて
見えなくなった月に
焦がした心を持て余しながら
缶コーヒーの蓋を開ける
やがて昇る朝日に
その光彩を
もう一度預けるための
顔の無い朝を待つための


革命

  芦野 夕狩

葛餅がうまく食べられない
あのきな粉と黒蜜の塩梅が、ね
諦めて、茣蓙を敷いた畳の上で寝転び
つまらない漫画を読んでいる
夏休みに浮かれた子供達の声ももう聞こえなくなってしまった
蟻の行列がわたしのからだの上を通り抜けていく
わたしはからだを横たえている
それは例えば、革命、という言葉からもっともかけ離れた姿勢なのかもしれない
そんなことはどうだっていいのだけれど

そういえばこれはどういう種類の蟻なのだろうか
つまらない漫画を眺めながら考える
これは多分、普通の蟻だろうな
そう思う
普通の蟻は葛餅を目指し
わたしはからだを横たえている
いつからだろうか
もう五日は過ぎたような気がする

ああ、と思い立って
手紙を書こうか、と考える
若い頃にお世話になった大学の教授に
文を交わすのなら少しだけ距離のあいた人がいい
時候の挨拶を添えるような相手がいいに決まっている
畏まりたくて仕方がないじゃない
人間こうなってしまうと

拝啓、と頭の中で書いて
その後の言葉に詰まる
秋の初旬はどんな花が咲くのだろうか
彼岸花はまだ咲いていないだろうし
秋桜もまだ早いだろうし、何しろありきたりだ
そういえば近所に梯梧が咲いていた
梯梧なら畏まっている気がする
けどあれ、沖縄の梯梧とは違うんだろう
普通の梯梧じゃないと畏まれないなあ
そもそも梯梧は夏だよなあ
わたしが外に出ないうちに散ってしまっただろうか

季節の挨拶は後回しにして
何を書けばいいだろうか
先生に教えてもらった東ドイツのなんとかって詩人のこと書こうかな
先生、目下のところ、わたしの革命は葛餅に躓いています。
なんて、先生が可哀想になるなあ
つまらない漫画を逆さまに持って
こうすれば面白くなるんじゃないかと試している

普通の蟻がわたしの体の上を通り抜けていく
葛餅のあのきな粉と黒蜜の塩梅が、ね
そこらに落ちていたメモ用紙に
身代金、と書いてみる
こんな字だっただろうか
葛餅の隣にそれを置いて
蟻の行列を眺めている
どいつもこいつも身代金目当てか
そうつぶやいてみる


砂時計

  芦野 夕狩

ゆううつの広がりが壊れながら吸い込まれていくあなたの手をとり
携えたのが8月のあかい空に焦がれていく一粒一粒のはまべの砂が
あなたとわたくしの手の隙間からひとつぶひとつぶ零れていくのを
モンシロチョウの白い鱗粉のなかから数えあげたしろいかなしみの
浮遊のなかでするどく、

こうして窓から見える小さな海の中に波頭のしろいろが飲み込まれ
なんどくり返しても同じ青さのままで風は強く、朱にそまることも
なく、その見えない運動に目をこらしているままわたしたちはすな
のなかに埋もれていく、硬く

そして10月のまだあわいくれないのきせつに熊手のなかで終って
いくものたちのいのちを数えあげること、なまあたたかいふぶきに
抱かれるようにしあわせにこの手をたずさえたままこおってしまう
ためにきせつがうつろうそのみえないうんどうをいつまでもみるこ
ともなく、きくこともなく、だけど感じているのです

このくにでいちばんさむいふゆをください、といのるゆびさきから
こぼれおちるすなつぶのひとつひとつをかなしみとよびよろこびと
よび、とおりすぎるきせつ、かぜ、モンシロチョウのしろい浮遊を
うたいながら、そうです、うたいながら、


別れ

  芦野 夕狩

もうどうしようもないような
三角と四角がいた
季節よりも花よりも
アイスクリームを愛していた

ふいに二人は夕暮れに出会ってしまった
取り返しのつかない金色に
どうしようもなく染まりながら
互いの涙をぬぐってやることができなかった

そんなありふれた二人の話
カーテンのレースが風にそよぐ音よりも
小さな声で君に話したかった
話してあげることができなかった

三角はもうダメだった
人間が取り決めた社会的なあれこれに
もう返事をすることができなかった
分かるだろうか

四角は別れを告げた
まるで、世界で一番
さよなら、が得意なやつみたいに
クールに決めなければならなかった

もうどうしようもないような
三角と四角がいた
一緒にいればたちまち癒えてしまうような
痛みを頑なに守り続けている


比喩の練習

  芦野 夕狩

ましてや他人の子供だからさ。と、うつむけた額と額でキスをしたら、まるでニューロンが結びつき合って
強く、強く生きていけるね、と(信じてるみたいに)、二つの大きな影が、寝室へと消えていく
気を付けて その敷居は国境線だよ 声にしたくてもなりえない
夜の、夜の、夜の、夜の湖のように、ね。それなら、僕も
神様の見えない運動が僕を作ったんだと信じてもいいかい?

いや、それはむしろ宇宙の摂理だよ
と神父さんが笑う。わかりやすく言えば宇宙だって
朝、目が覚めて腸が動いていないうちに朝飯をかっくらって
10分そこらで髭を剃って歯を磨いて家を出て
KAWASAKIの250ccにまたがれば、その振動でいやでも糞をしたくなる
君を作ったのはたぶんそのKAWASAKIの250ccの振動だし
糞だっておしとやかに言えば、神様の見えない運動とも言えなくもない
神父さんは神を冒涜するのが好きだ
そして孤独だった
2005-06シーズンのフィラデルフィア76ersのアレンアイバーソンみたいに孤独だった
寸分の狂いもなく正確に客席に狙いを定められた3ポイントシュートみたいに
無意味だったし
その軌道を愛していた

あなた知らないの?
とエミリーは8頭身の人形がたくさん置かれた部屋で目を丸くしていた
ある人形はぴたりと腰に右手をのせ、もう一方の手でその金色の長い髪を払っているところだった
知らないなら教えてあげましょうか?
僕にはそのポーズが何を表しているのかわからなかった、けど
何かを表していることはわかった
神様の見えない運動
エミリーがそう耳元で囁いたとき、たぶん、世界は止まっていたと思う

家の門を開けて
玄関にたどり着くまでのあいだには
必ずフリックが駆け寄ってきて、僕の帰路を少しだけ遅らせてくれる
庭の脇におかれたフリスビーを投げると
フリックは一直線にその軌道の先を捕まえようと走り出す
僕はその後姿が好きだ
迷いもなく駆け出せる足が好きだ
遠くで、太陽が沈んでいる
まるで寸分の狂いもなく正確に客席に狙いを定められた3ポイントシュートみたいに
いつまでも得点は入らない

あまり遅くなるとパパとママが心配するからね
フリックをおとなしくさせて、家のドアを開ける
果たして僕は、彼らの子供に似ていられるだろうか


非詩の試み

  芦野 夕狩

よくされる話だけど、僕と君とは何か使命をもってこの世に生まれてきたわけではない。
世界平和も戦争も町内会の清掃活動も、僕らの運命とは何らかかわりのないことだ。
そして、言ってしまえば、僕が君を愛することも、その逆も、僕らの運命とは無関係である。

運命とはつまり自らを導く道程を信ずるかどうかによってその性質を変え、
一度空虚を味わった人間は、運命とは空虚そのものである、と知るのだ。

フランスのアランという哲学者が、
愛は感情に属するものではなく意志に属するものである
と記した書物があったはずだ。
この言説はいささか現代的ではないかもしれない。
というのも、この言葉の内部には人間のどうしようもない自己承認欲求を満たせない何かがある。
愛が感情によるものではないのだとしたら、
自身に愛をそそぐ者は意志によってその行為を貫いているのであり、
結論として、どうしようもなく、空虚な答えを導き出してしまう。
つまり、愛する者の対象は決して自分でなくともかまわないのではないか、という結論を。

コーヒーを淹れようとした手が震える
雲雀の声だけがどこまでも遠く響き渡ってゆく朝

ただ、僕らはどうしようもなく時間的に、空間的に、制限されており、
例えば地球の裏側にぴったりとお互いの隙間を補い合える相手が存在すると仮定したとしても、
その相手と出会うことはとても面倒な話だろう。
たとえ同じ町内いたとしても、そんな悲劇とも呼べぬ悲劇はざらに起こりうるのだから。

選び選んで選び抜いた相手ではなければこそ、それが我々が呼ぶ運命とは似つかない代物であるからこそ、
愛はたえざる意志によって選び取らなければならないものだということを知る。
それは多分に空虚なものであり、ときに愛されるものの心に、遅効性の毒を植え付けてしまう。

けれども、お互いなにかの間違いで、
ちょっとした空調の誤差かなにかで生まれおち、
賽子の偶然によって隣に居合わせ、それを少しだけ心地よいと感じたこと。
愛するという選択と、そうではない選択の扉が、
合わせ鏡のように延々とゆくさきを遮っている

と、ここまで書いて、これでは詩とは呼べないね、と笑っていられる朝
これが詩でないのなら、詩ってつまらないものね、と君が笑ってくれる朝


letters

  芦野 夕狩

寝室の床、木目をうえへうえへと辿っていくと
色萎えたすみれの花びらへと突き当たる
これは紗代ちゃんのおめかしなの、と
あや子が摘んできたものだ
その花びらに刻み込まれた皺の一つを辿り
幾重にも錯綜する筋に多くのまちがいを繰り返して
やがて最初の皺がすみれの一枚の花びらを横断したころ
昇ってきたのが朝陽だった

紗代ちゃん、とは春にあや子が拾ってきた石であり
紗代ちゃん、とは僕らが迎え入れようとした
新しい家族に与えられるはずの名でもあった
まだ朝が多くを語ろうとしないうちに
それを一瞥し、居間のソファーに腰掛ける
カーテンの隙間から細い光が食卓へ伸びているのを眺めながら
昨晩義母からあった電話のことを考えていた
 呼吸をするときにね
 できるだけ吸う息と吐く息を同じくらいにするの
 そうしたらもう勝手にお腹が膨らんだりしないのよ
あや子の言葉を深刻そうに繰り返す義母を宥めて
細い、ひらすらに細い糸を両腕で抱くような
夜はいつの間にか明けていたのだ

空気清浄機のにおい、とほこり、が
一度も点灯せぬ間に太陽は高くに昇り
鋭く差し込んでいた陽光がちょうど
居間と食卓の境目で戸惑っている
何かを思い出したかのように
湯沸かし器の中の水が沸騰をはじめたとき
玄関が開いた音がした
一晩見なかっただけのあや子は
拍子抜けするほど明るく
僕にただいま、と言い
紗代ちゃんも、とわらった
その明るさの意味を知ってしまうのが怖かった
そういえば爪を一か月ほど切っていないことに気が付いた

伸びきった陽光をカーテンで遮り
振りむきざまに目に入った寝台のランプ
薄暗い光に照らされたあや子の華奢なからだ
それは封筒にいれられていない便箋のようだった
暴力的なほどに剥き出しであるのに
厳しい戒めのもとに秘匿されている
宛てられたものだけに明かされるはずの秘密は
読まなければ誰に宛てられたものか分からないという矛盾に
頑なに隠されていた
夜も更けていくころ
あや子を抱いているのに
もがいているようだった
無数の糸にからだ中絡めとられて
それを振りほどくために

寝室に置かれた
もう何も泳いでいないはずの水槽に
何かが着水したような音とともに目が覚めた
あや子は居間のソファーに寝転んでいた
何か食べるかい、と聞くと
食べたら紗代ちゃんを返しにいかないとね、と言った
それは奇妙な驚きであり
僕はそれをうまく隠し果せたはずだ
近くの河原まで二人きりで歩く道中
あや子はちらちらと僕の方を覗き見ているようだった
ここね、という合図で立ち止まった先の風景は
見知った河原であったがもう緑に乏しく
それ故に僕は痛ましい気持ちを抱いたのかもしれない
水辺まで降りていくと
朝陽に煌かされた水が
無数のたくらみを蜂起させると同時に
それを悉く無に帰する運動のもとに
無限に流れていくのであった
あや子が隣で手を合わせていることに気が付き
僕も同じように手を合わせて目を瞑った
しばらくの時間が経って
急にあや子の手が僕の手に触れたのを感じ目を開いた
 ねえ
その声の響きはどこか新鮮で驚きに満ちていた
 あなたの手ってまるですみれみたいなのね
意味などなかったのかもしれないが
僕がその意味をわかりかねて
ふとあや子のわらっている顔に目をやると
ひとすじの涙が頬をつたった痕がある
すみれ、でなくともいい
す、と み、と れ、と 
その全部で君に咲いていたいと
そう思ったのだ


やがてかなしき病かな

  芦野 夕狩

生きることは苦痛ですらなく
秒針のひとつひとつの歩みを数えることで
風はほとんど意味もなく透きとおってしまうのですよ

このアスファルトに雪が積もるためには
地熱で溶けてしまう雪よりも
新たに積もりゆく雪が多くなければならない
誰かがもう名づけたのかしら
雪が積もりだすそのとき
その瞬間の雪の深さを

肺の中に一秒一秒を感じるのです
その一粒一粒を吐き出すたびに
生気を失った時間が
きっと赤紫色をした病の水に
だんだんと浸されていく

だからそのひとつひとつが
ただ無抵抗に溶けていかないで
仮に意味として降り積もることができるのなら
その最小単位の生を
紙一重の深さでいいから
あなたに残ることができるのなら

夕べ
時計の止まる音を聞いた
壊れた、とか
落とした、とかじゃないから
誰も信じてくれないかもしれないけれど
確かに聞こえた

文学極道

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