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ピクルス - 2007年分

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


向川

  新長老

 

線を引くと生まれる空白、そのさみしさも
見送った朝にはありましたか

流れて届かない向川
船縁から落ちる枯れ枝
似合い過ぎる薄い唇の色が揺れて

絶望というものは
けして報われない才能です
きもちが無いから
ほら、
子供が虫の羽根をちぎっているじゃありませんか

もしも
で出来ている世界を
乗り越えようとするから
遺書を書くんだろうか
それならいい
逃げ遅れたのを嘆いて
猫を抱くんだろうか
それでもいい


向川に憧れて冷たい石を呑む
張り詰めた糸、その静寂の確かさに
緊張がほどかれてゆきます
溜息は諦めよりも
錆びた木馬の眼に似ていませんか
独りで座っている姿は神様が宿った蕾のようで
垂れた首を優しく絞めたら
マサカの花が咲きました
開いては仰いでまた咲いて
御覧なさいな
空が鳥になる、その碧を
凪いだ港が近いとわかるのは
汚い言葉から忘れてしまうからです
ほら、
花びらでいっぱいの川面です

見送った朝には
見えなくなっても手を振り続けました
新しい朝が
余白を埋めるには多過ぎる朝が
そこにはありました
ここにはありました


 


白梅

  ピクルス


かわいがっていた犬が死んだ夜に
新しい犬を飼おうと思う人がいました

家族、いなくなる為に準備をして
汚れた服を着るほかないのなら
いぶかしそうな視線に
それでも
違います、とは云えぬまま静かに会釈をして

手に入れた人は語り始める
喪った人は黙り込む
この人でしょうか
その人ではありません
手紙には感謝の言葉ばかりが並んでいたそうです

前髪に月が触れる帰り道
給水塔には鳥の神様がいらして
遠くの河を覗き込んでは
死ぬるよりマシだ、と呟かれた
そういうふうに出来ている

かわいがっていた犬が死んだ夜に
新しい犬を飼おうと思う人がいますか

笑ってる写真には見えない水が巡る
重なった祈りは唇から黒髪から滑るように溢れ
数を忘れた指先から散りゆく鳥達の色
綻び始めた春の星空に
安心したように灯りを消して
また、ひとひら浮かべては
未だ、触れられずにいる
たくさん謝って、こどもになった人達は
夢の中で
おかあさんの掌を探します
滲んだ溜息の最初からおしまいまでが
いっせいに、いっせいに許されてゆく

かわいがっていた犬が死んだ夜に
新しい犬を飼おうと思う人がいたとしても


鎌倉

  ピクルス


 
蝉の鳴かない朝でした
胸の端からほどけてゆくひかり
できたばかりの海は睫毛に乗る軽さ
静かに浮かぶ顔に人知れず声を燃やす

髪を結んで横たわる
約束、と呟いて水より生まれし数字を忘れてゆく
墨絵の空が一枚、句読点の雨に開く傘は
覚悟を秘めたまま決意までには少しだけ遠い
偽りあり
偽りなき
待合室の冷たい長椅子には
切手を真っ直ぐに貼れない男が座っている

まだ乙女達の脚が堅く閉じられていた頃
新しい靴が欲しかった
宝物みたいに切符を握りしめた改札口
桜を見下ろすレストラン
もう、手を洗った回数さえ思い出せない
いつの間にか誰かが九官鳥に悪い言葉を教えてしまう

薬を飲む度に
大切な名前を呼ばれた気がします
同じ話は同じ返事と寄り添っては
さほど残念そうでもなく、すれ違ってゆく
命乞いする顔色の男が咳払い、ひとつ、ふたつ
林檎を剥くのが巧い、知らない男だ

冷たい枕の下に眠れない瓜を冷やす
夜具に問いかけては
心臓のところ、指を伸ばしたその先に乳房は無い
もう違うんだよ
まだ違うんだよ
あの花を取って
と、せがんだ鎌倉には
白い夏帽子がよく似合いました
どなたか存じませんが
いつもありがとうございます

文学極道

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