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ヒダリテ

選出作品 (投稿日時順 / 全14作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


冬の夜、僕は悲しくて

  ロン毛パーマ

冬の夜、僕は悲しくて、
ひとり、港の桟橋で、
黒く、ゆらゆら揺れている海と、
そこに写った月の姿を眺めていた。

海上を漂い流れている
つるんとした
大きな物体が、あった。

月明かりに照らされた
その物体は、
仰向けに漂う全裸の中年男性、
僕の高校時代の恩師。
十年ぶりの
再会だった。

海上を漂う一糸纏わぬ五十男は、
見下ろす僕の、顔を見つめて、こう言った。
「勉強は、しよるのか?」
僕は何も言わなかった。

僕が泣いていることに気付いた先生は、
静かに僕にこう言った。
「園芸部に入らんか?」
僕は涙を拭いた。

少し波が強くなって、
先生は何度も桟橋の岸に体を強く打ち付けて、
その度に、上を向いたり、下を向いたりした。
上を向いたり、下を向いたりしながら、
てらてらと濡れ、輝く、その顔は、
笑っているのか、泣いているのか、
僕には分からなかった。
僕はタバコに火をつけた。
足下で先生が、
「こら、お前、タバコ!」
と言った。

僕は夜空を見上げて、
思いっきりタバコの煙を吸い込んだ。
そして、
それぞれの事情を想った。

「ごめんね」と言って、
電車の中に消えた彼女の事情、
その時僕らの横を通りすぎて行った
汚い身なりのおじさんの事情、
あの時、あの場所にいた何百人もの人間
それぞれの事情、
そして、
僕の足下をゆらゆら漂っている、
つるんとした大きな物体、
その、事情。

夜明けまで、そこにいても良かった。
けれどそうはしなかった。
一応、まだ僕にも、やるべきことが残されている。
そう思う事にした。少なくとも
部屋に溜まったゴミを出さなきゃならない。

僕は再び海を見た。
先生は少し沖の方に流されていた。
たくさんの小さな魚たちが、
先生の体毛をついばんでいた。
黒く光る海を漂いながら先生は
なにか鼻歌を唄っていた。
どこかで聞き覚えのある歌だった。

僕は家に帰り、
散らかったゴミをまとめて玄関に置いた。
明日の朝九時までに出さなきゃならない。

明け方、僕はベッドに入った。
ほんの数回、このベッドで彼女と
体を暖めあったこと、思い出していた。
そして、眠った。
眠る直前、先生の歌っていた鼻歌が
母校の校歌だったことを思い出して、
少し、むかついた。


こらこら、行くな

  ヒダリテ

 夏の夜も白々と明け始めた午前四時半、遅々として進まぬ書き仕事に嫌気がさした私は、何か楽しげな事はないかと、半ばやけになりつつ、ぐるぐるとさまざまな思考を巡らしていたところ、ふと、
「お、妻と、遊ぼう。」
 と思い至ったのである。
 そして、いまだ眠る妻のいる寝室のドアを勢いよく開けると、ベッドの上ですやすやと眠る妻に向かって比較的大声で、こう言ってやったのである。
「遊ぼう!」

 ぐるりと腰にヒモを結びつけた妻と、そのヒモの先を握る私とで、リビングの床に黙って、ただ座る。
「何ですの、これ?」
 と妻は言う。
「こらこら行くな遊びだ。」
 と私は答える。
「……行くな遊び? ……なんですの、それ?」
 と言いながら、腰を上げ、キッチンの方へ妻は向かおうとする。スルスルとヒモが伸びていき、私の手の中から逃れようとする。すかさず私はその先をしっかりと握り、少しこちらへ引き戻しながら、言う。
「こらこら、行くな。」

 う、と、小さくうなって妻は再び私の傍らへ引き戻され、座り込む。ぺたり。
 困った、みたいな顔をして私の顔を見る妻は無言で、しかし、確かに何かを言おうとしてためらっているらしいのが分かる。
「どうだい?」
 と言う私に、妻は何も言わない。
「こらこら行くな遊びだよ。妻。」
 と私はもう一度言ってきかせる。
「眠いのよ、あたし。」
 妻はそう言って立ち上がり寝室のドアノブに手をかける。すかさず、私はヒモを引っ張り、もう一度、言う。
「こらこら、行くな。」

 う、と、また小さくうなって、引き戻され、力なく、ぺたり、と、私の傍らに座り込んだ妻は、ひとつ大きなため息をつくと、無言で私の目を見つめる。
「どうだい?」
 と、また私は言う。……妻の、目。
 数秒間の沈黙のあと、妻は、小さな声、しかしきっぱりとした口調で、言う。
「おもしろくないわ。」
 そのまま妻は私が買ってきてしまったちいちゃな靴を見つめている。
 ちいちゃな靴。妻は言った。
「子供、……欲しかったの?」

 私は思う。生まれるはずだった命に、名付けられるはずだった名前がある、と。
 デパートの子供服売り場で、ちいちゃな、ちいちゃな靴を手に取りながら私は、「大人が殺さなきゃならないほどに、子供が溢れてるってわけでもないだろうに……」と、思った。
 市民プールから帰る子供たちがたくさん乗ったバスの車内で、思いがけず涙していた私を、ひとりの少年がじっと見つめていた。私は、ただただ聞いていた。きゃらきゃらと甲高く響く笑い声。その、にぎやかな車内、そこにも、たくさんの名前は行き交っていた。
 まさお、ゆき、とおる、かおる、ひでき、あいこ、めぐみ、さとし……。
 私は思う。たくさんの生まれるはずだった命に、たくさんの名付けられるはずだった名前がある、と。そのことを忘れちゃいけない。たくさん、たくさんの名付けられなかった名前が、あるのだ、と。

 私と妻は、リビングの冷たい床の上、そのままじっと何も言わず、いつまでも、ちいちゃな靴を眺めていた。
 すっかり朝陽も昇り、人々の朝がゆっくりと回転しはじめた。
「子供、欲しかったの?」
 と、また妻は言った。
 う、と、私は思わず、涙しそうになったが、それを堪え、
「しょうがないさ。誰のせいでもないのだし。」
 と、少し大げさに明るく振る舞ってみせると、妻はちょっと笑った。
「ちょっと早いけど、朝ご飯にしましょうか。」
 そう言いながら、キッチンへ向かおうとする妻の腰から伸びたヒモを、もう一度だけ、ぐっと引き寄せながら、私は言う。
「こらこら、行くな。」

 そして。
 う、と、妻はまた、ちょっとよろけて、ぺたり、と、今度は私の膝の上。妻の首、妻の肩、じっくりと、今、妻の体温。
 もう少し、このままが良い。


ボーマン嚢 経由 ランゲルハンス島 行き

  ヒダリテ


ここにいる人はみんな変です壁に貼り付けた遺体のようです壁に貼り付け損なった異体のようです犬を怖がる人に悪い人はいませんが、あなたはバカだから、そうやっていつも肘から折れ曲がっているのですね。なるほど、バカだから、そうやっていつもあなたは首からぶら下がっているのですね首からぶら下がった下の部分のことはお構いなしですか。けれどそんなに肘から折れ曲がっていては不便でしょう。いつからそんな風に折れ曲がってしまったのですか。さかりのついた犬のことをママと呼んでしまったからですか、かたことかたことと、老婆が押す車に轢かれてしまったからですか。火星の牛のことを考えてしまったからですか? 教えてください、今、地球には何本の毛が生えていますか?

はい。ありませんから僕は、決して犯罪者では。ありませんから犯罪者では。どうかここから逃がしてください服を着たくはありませんから、これ以上あんな服は着ていたくはありませんから、ここは暗くて狭くて、鉄筋コンクリートの床から壁からにじみ出たあとで染み渡る骨の痛みに立体的な亀がいつも僕を空中で貼り付ける縄ばしごを僕に下さい、そして三つ編みの少女の髪を掴んで、僕は、逃げるのですが、逃げるのは苦手ですが、逃げなくては逃げられませんから、逃げるのですが、逃げるより前に逃げ出すことはできませんから、逃げるのですが、けれど逃げる前より前に逃げ出すことはできるかもしれませんから、僕は逃げる前より前に逃げ出しますから、あなたは、逃げる前より前の、そのあとに逃げるのです。だからあなたはカバを背負ってください。僕が目玉をくりぬきますから。そしたら僕が空気を入れて目玉を膨らませますから、その間にあなたは、壁に掛かった半ズボンに目配せしてください。それが合図ですから。今はたっぷりとヨーグルトの詰まったあの看守のでっぷりとしたシカバネを叩くための長い棒があなたには必要ですがラの音で叩くと三点というルールにしてください。なぜならドレミのラはラッパのラであることより先に、ドレミのラであったはずなのにいつもラッパのラであることを強要され続けて少し悲しいからです。その黒い鞄には僕の糞がたっぷり詰まっていますので大切にしてください。最後、僕の糞の合図によって大統領の部屋の赤いランプがぽっと灯りましたら、すべての戦争が終わりますから大切にしてください。もちろん現存する一部のアメリカ大統領は僕の奥歯の間に挟んでありますので、安心してください。僕はもうじき増えます。増えたらちょっと面倒ですから、増える前にやるべき事をやるのです。

まあ、一体どうしたというのですか、またあなたはあのピンクのラクダを失望させる気ですか。分からないのですか、世界が壊れて、世界中至る所で、ヘルメットが不足しているのですよ! 地球上あらゆるところで、ヘルメットが、ヘルメットが不足しているって言うのに、なのに、なぜあなたは、そうやってあごの下からひっくり返って、肘や膝から折れ曲がりながら、首からぶら下がっているのですか、ヘルメットが、ヘルメットが、不足しているというのに!

ぼ、ぼ、くあ、あ、あた、たた、あ、たしの。あたしの彼はあの人たちのボーマン嚢を経由してランゲルハンス島へ行ってしまいましたのであたしはいつも、あたし自身を隠し損なうキッチンのフライパンの下で、彼を待っていました。
彼に会ったら。
あたしが彼の内臓を引きずり出しますので、あたしが彼の内臓を引きずり出すスピードで、あなたは壊れていいです。彼らはエスカルゴを殻ごと平らげますが、とてもいい人たちです。どちらかというとナイスですから。ナイスですから。ナイスナイスナイスな人たちですから。
それでは取りかかりましょうか。


たんのう

  ヒダリテ


少なくとも
胆嚢は
愛ではないと思う

真剣な顔の彼が
突然、自分のおなかに
手を突っ込んで
どす黒く血に濡れた
胆嚢を取り出す

汗びっしょり
息を切らしながら
胆嚢を
あたしの顔の前
差し出しながら
「これが僕の愛だ」
なんて事を言う

「いいえ、これは胆嚢よ」
と、あたしが言うと
「そうか」
と、彼はちょっと
残念そうな顔をした後
「間違えた」
なんて言って笑う

「胆嚢は、いらないか?」
と、言う彼に
「間に合ってるわ」
と、あたしが言うと
「じゃ、冷やしといて」
と、彼はあたしに
それを手渡す

「確かこの辺に、あったはずだが」

そう言いながら
彼はまた
おなかの中に
手を突っ込む

あたしは彼の胆嚢を
ラップに包んで
冷蔵庫に入れる

「胆嚢なくて平気?」
と、あたしが言うと
「死ぬかな?」
なんて言って彼は笑う

「君は愛がなくても平気なの?」
と、彼が訊くので
「愛なんて、どうでも良いのよ」
と、あたしが言うと

彼は
ぽっくり
死んでいる

冷蔵庫には
彼の胆嚢
部屋には、あたしと
彼の死体
少しだけ開けた窓
ひらひらと
カーテンが揺れている

「愛を、探しに行ってくる」

彼の声が聞こえた気がした


ちきゅうのふもとで、犬と暮らす

  ヒダリテ

君の柔らかな陰毛の生える
丘のふもとに
小さな家を建てて
大きな犬と暮らしたい

そして毎日、朝から晩まで
絵を描いて暮らしたい

君のなだらかな肌の起伏は
いつも僕の霊感を刺激して
つきる事のない創作意欲に
駆り立てられた僕は
飽きることなくキャンバスに
絵筆を走らせるだろう

朝には朝の君がいて
夜には夜の君がいて
君のちきゅうを中心とする世界は
1秒も止まることなく変化を続け
いつも、いつでも
黄金に輝く君の肌に、僕は
黄色い絵の具をたくさん使うだろう

ヴァン・ゴッホと名付けた僕の犬は
君の柔らかな肌の上を
ぽんぽんと跳ねながら
てんとう虫なんかを追いかけ回すだろう

そして時には気晴らしに
あの遠くに見える二つの山に登って
その頂上から湧き出るミルクを汲みに行こう
おへそと呼ばれる
小さな凹みに降りていくのも良い
そこでお弁当を広げて、陽が沈むまで
鱒釣りなんかをしても良い

リチャード・ブローティガンと名付けた僕の犬は
その時の僕の最高の
サンドイッチとなるだろう

そうだ、君の左の鎖骨のあたりに
ちょっぴり栄えた街があるから
ウィスキー片手にのんびりと
ヒッチハイクでもしながら街まで行って
さびれた酒場で
一日を台無しにしてみるのも良いかもしれない

ジャック・ケルアックと名付けた僕の犬は
僕のくだらない冗談にも
快活に応えてくれるだろう

君のおっぱいの山の谷間に
夕陽が沈み
部屋の中いっぱいに広がる
オレンジ色の夕陽の中で
ロッキンチェアーに揺られながら
僕はお気に入りの詩集を読もう
そして簡単な夕食のあとは
気の向くままにギターを弾こう
歌を歌おう

その時の犬の名前は
ボブ・ディランにしようか
ミック・ジャガーでもいいな

君の柔らかな陰毛の生える丘に
柔らかな風が吹き
そうやって何年も、何十年も
過ぎたあと

君のその素晴らしいちきゅうの上に
僕と犬とで、寝っ転がって
黄金の午後の陽を浴びながら
子供の頃、母親が指に刺さったとげを
すっと引き抜いてくれたように
死神が
僕の魂をそっと引き抜いて……

そんな風に僕の命が終わればいい

君のその永遠のちきゅうの上
寝っ転がった僕と犬は
永遠の日なたぼっこで
僕も犬も気がつかないうちに
そうやって、静かに
僕の命が終わればいい


猥褻物陳列罪の王様

  ヒダリテ

 昔々の遠い国、僕がいました。
 僕は昔々の遠い国で、昔々の遠い国の王様でした。
 僕はたいそう立派な王様で、たいそう立派な柴犬にまたがって、たいそう立派なラッパを吹きました。
 僕は王様でした、王様は僕でした。僕はたいそうお金持ちで、たいそう立派な柴犬はジステンパーで死にました。
 王様は悲しみに暮れました。王様は王様のちょっとしたイタズラ心から、たいそう立派な柴犬のたいそう立派なお尻の穴に突き刺したたいそう新鮮なトウモロコシがたいそう立派な柴犬のジステンパーを引き起こしたのではないかと思い、たいそうショックを受け、自分を責め、泣きました。
 泣いた後、おやつにエクレアを食べました。エクレアは王様の大好物で、「これなしじゃ生きていてもしょうがないね」と言ってました王様は僕でした。
 たいそう立派な柴犬亡き後の王様は、ヤドカリの去ってしまった巻き貝のように虚ろで、エクレアをたくさん食べてちょっぴり太りました。そんな王様に王様のあまり立派ではないお母さんは「ダイエットが必要よ」と忠告しましたが、たいそう立派な王様はたいそう立派な大型テレビで「ドリフ大爆笑」を見ていたので「ダイエットが必要」であることを理解しませんでした。
 そんなこんなで少しずつ太り続けた王様は、ある日とうとう糖尿病と診断されました。糖尿病とはそれはそれは恐ろしい病気です。やがて王様は迫り来る死の恐怖に耐えきれなくなり、少しずつへロインをやるようになりました。
 ヘロインの効果はてきめんで、王様は人間として、終わりました。
 人間として終わってしまった王様はもう立派ではなくなってしまいました。だから王様は全裸で果物ナイフを持って近所のコンビニへ行きました。エクレアのある陳列棚を物色しているところを、警察に通報され、王様は逮捕され、右手に持っていたエクレアのカスタードが飛び散りました。
 王様はその後、いろんな形の建物の、いろんな色の鉄格子に閉じこめられたりしましたが、王様は人間として終わっていたので、いつも何だか気分が良かったのでした。だから王様は幸せでした。時々知らない人が王様を殴ったりしましたが、王様は何もかもすべて、面白くて、笑いました。笑って笑って、大笑いでした。うんこ洩らしたりしましたが、気持ちがいいのでそのままでした。

おしまい。


子供の病院

  ヒダ・リテ


「自分のことが突然信じられなくなるっていうのは、疲れた大人には、よく見られる症状ですよ。」と言って子供の医者は僕に薬代わりのあめ玉をくれる。「少し安静にして青い空を眺めていれば、すぐに良くなりますよ。」丸椅子に腰掛けた小さな足をぷらんぷらんさせながら、子供の医者はうれしそうに僕を見る。

 子供の看護婦さんたちは床に落書きしたわっかをけんけんぱしたり、塗り絵を塗ったりして遊んでいる。だぶだぶの白衣を着た子供の医者のカルテには怪獣の絵が描いてあったり、なんだかよく分からない謎の暗号が描かれてあったりする。廊下にはおなかを出して昼寝してる子供の院長先生もいる。

「次の方どうぞ。」
 診察室を出て行く僕と入れ違いでやってくる次の大人もまた僕のように疲れた顔をしている。
「どうしましたか?」
「最近、悲しいときに涙が出ないんです。」
「それはいけませんね、早速手術です。」
 そう言って子供の医者と看護婦は水色のサインペンで患者の目の下にいくつもの涙を描いていく。

 たくさんご飯を食べて、最低三日間は犬と遊んでください。一生懸命、泥団子を握りなさい。公園の滑り台を修理してください。力尽きるまで昆虫を追いかけてみましょう。ずる休みして動物園に行きなさい。新しい恐竜の絵を描いて過ごしてください。家族に内緒で秘密基地を作りなさい。ロボットを発明してください。

 子供の医者がくれるアドバイスはいつもそんな感じだったけれど、漠然とした悩みを抱えてやってくる大人たちの心はいつも子供の病院で癒される。それはきっとこの世には子供たちにしか癒すことのできないものがあるからなのだろう。


暴力とタルタルソース

  ヒダ・リテ


もちろんそれがいつもキリンやクジラである必要なんてないし、肩口から入ってくる緩いカーブを打ち返す技術を君が身に付けていようといまいとそんなことは関係ない。君がアナコンダを首に巻き付けることによって誰も君のことを「イシュメイル」と呼んだりしないし、誰の鼻もとれたりしない。そもそも暴力やタルタルソースによって僕らを律する事など不可能なのだ。

戦車を買ったら家を失った、なんて良くある話。世の中には食べられないちくわもあるってことだ。それに土曜日の次の日が毎回決まって日曜日だからってそんなに悲しむことはない。今じゃそれが当たり前のようにトマトがキャベツとして売られる世の中なのだ。偽りのキリンの法則で作り上げた男女共同参画社会が全力で液化するアザラシを食い止めることができたとしても、僕らの不揃いな関係にやたらとチーズを挟みたがるおじいちゃんの治療費を払ってくれるなんてあり得ないし、それにバカだってカバにならない訳じゃない。君の見る鮮明な夢の中で繰り返し出されるチョキみたいにいつまでも同じチョキじゃいられない。もはや僕らに新鮮なチョキの感動なんて存在しないのだ。

たとえば憲法の保障する全てのバスケットボールに意味やメッセージがある、だなんて飛んだダンゴムシも良いところ。のらりくらりとジャブをかわしながら市長が向かって行くその先で困ったパンダが笹を食べ過ぎるからといって、無実のマヨネーズを青く染めあげるなんて事は不可能なのだ。たった一片のイマジネーションもなしに作られる途方もないショッピングセンターのために夜ごと悲しみを樽に注ぎ、優しい手つきでミドリガメをラップに包む、あのゴリラの母親に一体どんな生物的自覚を期待できるだろう? 君や君たちが、黄色いベッドの上で恋人や牛の心配をしている頃、夜空の全ての星座が流産したとしても僕らには僕らの愛があり、愛、そのものはアルカリ性の美しい肝臓のごとき輝きを決して失ったりはしないのだ。

もちろん難聴の目覚まし時計を克服することは難しい。夕暮れ、貯金箱の佇まいで不可能な帽子の可能性を感じながら双子と双子の間にあるべきゴルフクラブの不在を嘆く事ほど愚かなことはない。たとえそれが消費者の購買意欲を掻き立てたとしてもそのシロクマの入れ墨はけっして消えることはないし、限られたシステムキッチンで最大級の冒険をするには痙攣性の発作が不可欠なのだ。

巧みな金歯に惑わされてはいけない。仮に眼鏡をかけずに、その恐竜を倒せたとしてもそれは一時的な右折に過ぎず、本物の混迷状態から抜け出し、誰よりも正確なパスタをゆであげるのは未来を担う君たちなのだ。ありったけの想像力とユーモアで立ち向かえ。世界はおむつを取り替える時期に来ているし、僕らにはまだ語るべき言葉があるはずなのだ。

さあ、もう一度僕らの切り取られた切り取り線をつなぎ合わせて注意深く観察しよう。なんなら僕を強姦してくれても構わない。目下三連勝中の中国人によくありがちな、社交や、筋肉注射について、それが人生で得られた最大の教訓だったとしても、大通りを行くいくつもの傘の下では今も不誠実な舌が乱交目的でニーチェと同じ事を言っているとすれば、それを僕らは演劇的な方法を用いる代わりに、朝食のバターナイフで鮮やかにくりぬくやり方を学んだのだ。できる、できないではなく、やるか、やらないか、だ。君たちが君たちの訳の分からない動物園の訳の分からない殉教者となりはてる前に、もう一度よく考えて欲しい。もはや永遠に機能しない医者の介護に疲れはてた君たちの貴重な棒を棒に振るな。


Sun In An Empty Room

  ヒダ・リテ


大型犬の 散策する 
優しい 午後の マヨネーズ 
黄色く 伸びた 煙突から 
はみ出した 
無口な暮らし 
「黄色いね」 

幼い君と 幼い僕が 
樽の係と 風の係で 遊んだ庭に 
今は 四足歩行の 毛むくじゃら 
眺める 君の 腕の中 
幸福の王子は 
「居眠りばかり」 
と君が言う

デタラメの 
ヘブライ語で 書かれた 
紙切れの 父は 
「人間です」 
いつも 
悲しい 理由で 
風変わりな 戦争をしている 
虫たちが 
機関車で 引きずり倒す 
豊かな 世界 
僕は 
寝ぼけ眼で 武器を取る

週末 
あちこちで 
タイプライターの 音がする 
並木道 
床屋では 
世界中の 淋しい子犬を 
走らせる 
新しくて 愉快な 実験 
振り返って 君は言う 
「あなたって テトラポッドのような 人ですね」

やがて君は くたびれた 
毛沢東に 敬意を表し 
楕円形の プールで 
午後を過ごす 
僕は 芝生に 寝っ転がって 
ぼんやりと 見える 
健全な 窓から 
見覚えのない 足が 
ふわり 
風に吹かれて 父が 
ふわり

個性的な 自殺について 
論議する 
素晴らしい 手紙を 待っている 
たくさんの 子犬たちと 過剰に戯れ 
父の 精神状態は 
今は 安定している 
たぶん 僕と君は 知っていた 
とてつもなく 高い天井の 
医者のこない 完璧な一日


I Need It Now.

  ヒダリテ

さて、昨夜から首相官邸でじっくりことこと煮込まれる見通しであったとされる一見カレーに見えるとされたカレー状のカレーに含まれる見込みであったとされるある具材について包括的内容を盛り込むかについて、じっくりとした話し合いがもたれる見込みであったとされるある会合において、決定的に不足しているとされたある種のタマネギの一部が便宜的に不条理な井の頭公園内のゴミ箱で見つかった事件で、第一発見者の男性は我々の取材に対し、自分はゲイであると告白し賛否両論を巻き起こしています。
「一部の農家で行き遅れた娘たちの失踪騒ぎに便乗した悪質なファンの嫌がらせではないでしょうか。私はゲイです。」
通報をうけて真っ先に駆けつけた無関係な外国人はダイナミックに卒倒し、泥の中で美しく悶絶しながら、このように話しています。
「幼い頃テレビで見た美しい景色のヨーロッパを、いつか私も見に行きたいと思っていました。私もゲイです。」
事件で警察は調べを進める一方、この農家からさほど遠くないところで元気よく吠える犬の肛門に新鮮なタマネギがねじ込まれるという奇怪な事件が連続して起きており、これらの事件との関連性についても調べを進める一方、この犬に対する任意での事情聴取の際に、興奮して吠え続ける犬の尻の穴から飛び出してきた天津甘栗状の物体を誤って飲み込んだ捜査員の救命活動が行われる最中、犬の態度に腹を立てた近所の住民が無差別にチーズフォンデュを振る舞う騒ぎを起こし、直ちに別の捜査員に取り押さえられましたが、一命を取り留めた捜査員は、犬の尻の穴から飛び出してきた天津甘栗状の物体を指さし、このように語ったということです。
「気をつけろ、そいつは天津甘栗なんかじゃない。」

また神奈川県内を中心に架空の男性器を持ちかけ架空の顧客を募り、大量の架空の男性器を売りつけようとしたペルー人の二人組が昨夜めでたく結ばれました。普段からフルチンでいることが多かったというこの二人の男は、二年前謎の飛行物体に乗って空から飛来し、瞬く間に相撲界を席巻し、にんじんとジャガイモを使った卑猥な一発ギャグで一世を風靡した、と自画自賛気味に話していますが、近所ではたびたび異臭騒ぎを起こすなど、決して評判は良いものではなかったようです。趣味は金属バットの素振りと話す彼らは、深夜に庭先で金属バットをフルスイングしたり、近所の犬の肛門にタマネギをねじ込むなど、そのほほえましい姿がたびたび近所の住人に目撃されていますが、昨年、「だって牛が可愛そう」をスローガンに肉用牛の解放を訴えていた牛解放運動のリーダーが変死体で見つかった際も、二人そろって刃物と牛肉を持ってカメラの前に現れ、フルチンでインタビューを受けるなど、端から見れば本当に仲の良い双子のようだった、と語る近所の住民は、来年は孫が一年生になります、と、うれしそうに話しながら、顔をほころばせていた、ということです。

さて、その後行方不明となっていた例の犬が衆議院本会議場に闖入し、国会議員を巻き込んでの上へ下への大騒ぎとなり一斉にマスコミによって「晩秋の珍事、国会に犬乱入!」などと報じられた事は、よく知られていますが、今回の犬騒動で著しくその名誉を傷つけられたとして政府に対し多額の損害賠償を求める訴えを起こしていた杉並区に住むある主婦が事件当夜カレーを調理する際に使ったとされる刃渡り二十五センチの文化包丁によって切り取られたとされる被害者の一部が便宜的に不条理な井の頭公園内のゴミ箱で見つかったタマネギの一部と酷似していることなどから警察はこの主婦の元夫で現在はペットとしてこの家に住む男性の男性器に任意で事情を聞いたところ、この男性の男性器が裏筋で容疑を認める発言をしたことなどから警察はこの男性の男性器を逮捕し身柄を拘束したとの発表がなされました。以前からこの男性については、その男性器の所有権を巡って近所の住民との間でトラブルになるなど、男性は自身の男性器について深刻な悩みを抱えているようだったと言い、「いつもコレが自分のものではないような気がしていた」「時々俺に黙って居なくなることがある」「コレが誰の物かわからない」などと話すなど、自身が自身の陰茎とは無関係であると主張する発言を繰り返しているということですが、しかしその一方、他人の男性器については並々ならぬ関心を示しているとも言われ、護送中、捜査員の「(陰茎が)すぐにいるか?」との問いかけに対し「すぐにいる(陰茎が)」と即答するなど、積極的に取り調べに応じる姿勢を見せているということです。また取調室でも猥談に応じるなど次第にリラックスした様子を見せていると言い、ある捜査員の鼻について延々とその形状などについて独自の見解を述べるなど饒舌な一面も見せていますが、別の捜査員が容疑者に対し、一粒の豆を見せたとたん逆上し飛びかかってくるという凶暴な面も見せていると言われ、また、めがねをかけた捜査員に対して「日本に最初にめがねを伝えたのは、宣教師フランシスコ・ザビエルだ」などと知的な面を披露している最中にも、再び捜査員が豆を見せると、逆上し飛びかかってくる事などから、この男性の豆に対する異常な警戒心が、あのような凶行につながったのではないか? と見て、警察は何らかの形で何らかの豆がこの事件の背景にあるとして植物学的な見地や犯罪心理学の観点からも、性犯罪と豆との関係性を明らかにすることを急ぐ方針だ、ということです。

さて、一方これら一連の警察側の捜査に一部の「動物愛護団体」「性感染症予防団体」「全国剣道連盟」などが激しくこれに反発し、これが男性器の「人権侵害」に当たるとして、この男性の男性器の返還を要求するなど、事件は泥沼化の様相を見せていますが、中でも「全国剣道連盟」の反発は強く、彼らは警察による一連の捜査が「剣道的に正しくない」「剣道的に美しくない」「胴も小手もあったもんじゃない」などと、怒りをあらわにする一方、その発言の根拠には事件との明確な関連性がなく、下火になりつつある剣道人気に危機感を募らせた一部急進的な構成員による売名行為だとする意見も多く寄せられるなか、そもそもこの男性の男性器による単独犯行とする警察側の主張は一貫性を欠いたものであるという一部アダルトビデオ関係者などの証言もあり、さらにこの男性の男性器の責任能力にはなんら問題がないとする警察側の責任能力にそもそも問題があるのではないかという小学六年の男児からの投書が寄せられるに至り、警察署員全員の精神鑑定を求める動きも起こり今も内部捜査が続けられていますが、このように、この男性とこの男性の男性器には共犯関係はないとする見方が次第に強まるなか、さらにこの男性とこの男性の男性器のDNAが一致しない点など、不自然な点はあまりにも多く、これが警察による誤認逮捕という事態に至る可能性は極めて強く、そうなると、またしても「全国剣道連盟」の横やりが入るであろう事は必至であり、これら度重なる警察の不祥事に業を煮やした大臣は昨夜会見を開き、得意のパントマイムで「抜本的対策に乗り出す構え」を存分に見せつけた後、やがて「暗礁に乗り上げる」など次々に斬新なパントマイムを繰り出し取材陣を爆笑の渦に巻き込んだものの、二人組のペルー人男性との不適切な関係に追求が及ぶと、大臣は記者団の前で自らの玉袋のしわを丁寧に伸ばしながら、「遺憾の意を表明」する、という珍妙なパフォーマンスで記者たちの追及をかわすと、ひからびたタマネギの一部を残し会見場を後にしました。さて、いよいよ、この男性とこの男性の男性器が別人である可能性が濃厚になる中、今も首相官邸でじっくりことこと煮込まれているとされるカレーに含まれるとされる具材について、政府関係者は堅く口を閉ざしていますが、今やテロ組織化した「全国剣道連盟」は……。


死神

  ヒダリテ


長い間空き部屋だったアパートの隣の部屋に、死神が越してくる。
倉庫でのアルバイトから帰ってきた男は、いつもは消えている隣の部屋の明かりが灯っているのを見つける。

「死神」

扉に貼り付けられたプラスチック製の小さな表札には確かにそう書かれてある。アパートの駐輪場には昨日まではなかった古ぼけたスクーターが一台停まっていて、それが死神の乗り物なのだろうと男は思う。

引っ越しの挨拶には来ない。けれど、ありがたい、と男は思う。引っ越しの挨拶は、この世との永遠のお別れの挨拶になってしまう。だからもしも死神が挨拶に来ても、決してドアを開けるべきじゃない、と男は思う。
薄い壁の向こうでは、確かに誰かが生活しているような音がする。バラエティ番組を放送するテレビの音、それを見て笑う男の低い笑い声、トイレの水が流れる音。

何事もなく幾日かが過ぎ、ある晩、部屋でビールを飲みながら野球中継を見ていた男の部屋の電話が鳴る。青ざめた顔をして受話器を置いた男は、ばたばたとあわてた様子で部屋を出て行く。あわてた男が蹴飛ばしてしまった枝豆が畳の上に散乱する。

それから何時間も経った真夜中、男は酔いつぶれて帰ってくる。ふらふらと千鳥足でアパートの階段を上り、ふと、死神の部屋の前で男は立ち止まる。ひっそりと静まりかえった、明かりの消えた部屋の前に、男はしばらく立ち尽くす。
そして「死神」と書かれた扉にもたれかかり、男はそっとその扉をノックする。

……ねえ、ドアを開けてくれ、
話をしよう、
一杯やろう、
確か僕の友達がひとり、
そっちに行ったはずだが……、
ねえ……。


ばあちゃんのこと

  ヒダリテ

 ばあちゃんちは漬け物くさいから「僕は行かないよ」って僕は言った。けれどママは僕の言う事なんかちっとも聞いてくれた試しはなくて、漬け物くさいばあちゃんちまでの果てしなく遠い道のりを僕とママは車で走り、僕は山道で二回ゲロを吐いた。

 そもそも毎年、夏はばあちゃんちの漬け物くさい家で僕らは漬け物くさくなるばかりなのだ。家族三人、漬け物くさい話をし、漬け物くさいご飯を食べて……、そうやって僕ら自身、漬け物くさくなるばかりなので僕はとても退屈で、だいたいばあちゃんだって、せっかく僕らが見に来てやったのだから、タップを踏んだり、炎の輪っかをくぐったりして僕らを楽しませてくれればいいものを、最近のばあちゃんときたら、できる事と言ったら、せいぜい仏壇に線香をあげるか漬け物くさい漬け物を漬けるくらいで、年々ばあちゃんは動かなくなるし、話もしなくなる一方なので僕はママに「ママ、ばあちゃんという生き物には人生に対する積極性やユーモアの精神というものが著しく欠落しているよ!」と激しく非難してみたのだけれどママは鏡台の前で厚化粧をぺたぺた塗りたくりながら「ママは今日、同窓会で遅くなるから」と言って猛烈なスピードでよそ行きに着替えると重力も軽くトンでった。
 つまりママは同窓会で新しいパパを見つけてくるつもりなのだ。僕にはどうしてもなじめない香水の匂いを残して玄関を出ていくよそ行きのママは、いつもなんだか他人みたいに見えた。

 庭に面した縁側で僕はアイスを食べながらアリの行進を見つけては、そこにつばを垂らす、ということを何度も繰り返して長い午後を過ごしたのは僕がそれ以外の方法を知らなかったからだけれど障子の開け放たれた縁側に接した部屋では、ばあちゃんがまた仏壇の前に正座して線香をたてようとしていた。僕はその様子を眺めながら「ばあちゃんは亀の一種かもしれないぞ」なんてことを思ったりした。けれどちょうどその時、空から、ぶわわわっと、やって来たでっかいアブラゼミが一匹ばあちゃんの肩に、ぴたっと留まって、僕は驚いて、あ、と思った。僕は叫んだ。
「ストップばあちゃん、動かないで! アミ持ってくるから、動かないで!」
 線香をたてようとした右手を高く上げたまま正座して、そのままの格好で静止するばあちゃんをそこに残して僕は大急ぎで虫取りアミを取りに裏の納屋に回った。この夏一番の大物だ、って僕は思った。そして納屋の入り口に立てかけてあった虫取りアミを手にして、ばっと駈けだして行こうとしたんだけれど、そのとき塀の向こう側に知らない顔を見つけて、また僕は、あ、と思って足を止めた。

「あ、……知らない子。」
 って思った。塀の向こう側に知らない子の丸い顔があった。
 知らない子は青白い顔した河童みたいな奴だった。
「誰? 河童?」
 僕が声をかけると知らない子はにこりと笑った。

 帰り道、「世の中はもの凄いスピードで進化しているのだ。」って僕は思った。その日、僕は知らない子の家で、初めてファミコンに触れた。
「テクノロヂィの進歩によって、そのうち僕らは機械の体を手に入れるのだ。」
 僕は知らない子の家で知らない子とファミコンをやったり、知らない子の弟を泣かして遊んだ。知らない子の弟はとても弱くできていて、僕は弟の腹をグーでドォンってやる事によって三回も泣かす事に成功した。
 ばあちゃんちに帰った頃にはもう日は暮れかかっていた。ママはまだ帰っていなかった。僕はばあちゃんにファミコンのすばらしさを伝えようと思って仏壇のある部屋を覗いた。けれど驚いた事に、ばあちゃんはコッチコチだった。ばあちゃんはばあちゃんの肩にセミが留まった時の姿勢のままコッチコチに固まっていた。本当の本当に、カッチカチの、コッチコチだった。線香を持った右手を高く前に突き出して、ばあちゃんは静かに悶える亀みたいな格好で、コッチコチで、ぴくりとも動かなかった。
「大変だ。ばあちゃんがコッチコチだ。」
 って僕は思った。

 夏の夜は静かで、蛙のお腹みたいにひんやりしていて、なんだかそれ自体が死んでいるみたいに思えた。僕は隣の台所でテレビも点けずに静かにママの帰りを待った。冷蔵庫から麦茶を取り出して、飲みながら、僕はちょっと思い出して「ごめん、ばあちゃん、もう動いて良いよ。」と言ったけれど、ばあちゃんは動かなかった。

 ほとんど真夜中になろうとしていた頃、真っ赤な顔したママが帰ってきた。僕は眠くってしょうがなかったから簡単に説明した。
「仏壇に線香を上げようとしたばあちゃんの肩にでっかいセミが留まって、そんで、それから、……ばあちゃん、死んだ。」
 けれどそう簡単に説明してみると、なんだか自分がものすごく本当の事を言ってしまったような気がして僕はちょっと興奮した。だから僕は何度も繰り返した。
「仏壇に線香を上げようとしたばあちゃんの肩にでっかいセミが留まって、そんで、それから、……ばあちゃん、死んだ。……仏壇に、線香の、ばあちゃんの肩、セミが留まって、……ばあちゃん死んだ。仏壇のばあちゃん……、線香、セミで、……ばあちゃん死んだ。仏壇のばあちゃん……。」
「分かったから!」
 突然ママはわっと泣きだして、そのまましばらく泣き続けた。僕はやる事がなくなってしまったので布団に入って眠った。

 その後あまりにも何度もたくさんの大人たちが、ばあちゃんの事を聞いてくるので、だんだん面倒になった僕は「でっかいセミで、ばあちゃん、死んだ。」と言ったり、「ばあちゃん死んだ。でっかいセミが。」などと言ったりした。大人たちは一様に「ああ」なんて言った後で、気の毒そうな顔で僕を見たけれど、僕は「これが夏休みじゃなくて冬休みだったら、僕はたくさんのお年玉を貰ったに違いない。」と思った。「そしたらお年玉でファミコン買えるのに。」と。その夏、僕はたくさんの大人に会った。

 ばあちゃんの肩に留まったでっかいセミがどこへ行ったか僕は知らないし、ばあちゃんの魂がどこへ行ったかも僕は知らない。ママは「ばあちゃんは天国へ行ったのよ」って言ってたから、たぶん僕もそうだと思う。セミの命は短いらしいから、あのセミもすぐに死んで天国へ行ってしまったんだと思う。そんで今頃、あのセミは天国の空をぶわわわって飛んでいて、ばあちゃんは天国で相変わらず仏壇に線香を上げていているんだと思う。そんでまた天国のばあちゃんの肩に天国のセミがピタって留まったりしてるのかもしれない。だけどそしたら天国のばあちゃんはまたコッチコチになってしまうかもしれないぞって僕は心配になったけれど、ママが言うには「一度死んだ人間がそれ以上死ぬ事はない」らしく、だから「天国のばあちゃんが、またコッチコチになる事もない」んだそうだ。僕がママに「一度死んだら、それ以上死なないって良い事だよね。」って言うと、ママは「よく分からないわね。」って言ったけれど、僕はそれ以上死なないってのは、やっぱり良いことなんだと思う。ばあちゃんだって僕だって何度も死にたくないはずなのだ。

 長い夏も終わってしまったある朝、「ちょっとこっちに、いらっしゃい。」と僕を呼ぶママの声が聞こえて、寝ぼけまなこの僕が玄関口へ行くと、「この人が新しいパパよ。」とママが言って、ママの隣には変な色の背広を着込んだでっかいアブラセミが立っていて、「よろしく」とか言いながら、僕に向かってガシャガシャとお辞儀をした後、力一杯、僕のお腹をグーでドォーンってやった。
 そんないやな夢を見たりした。何度も。


サチコ

  ヒダリテ


真っ赤に燃えさかる火葬炉の中からナースのサチコを呼ぶと、ついたての向こうから、なんだい、はるひこ、と現れる喪服姿の母は純白のウェディングドレスで燃えさかる姉の寝室から逃げ遅れた僕の真っ赤な血に染まったパジャマ姿ですか? 分かりませんねえ、そう言ってカルテに目をやる主治医のてるひこは三年前に死んで以来三年間も死んだままの飼い犬の墓に右手を突っ込む僕の不完全な変態行為によって不完全に熟れた体を僕に押しつけるナースのサチコの顔面のおよそ七割が歯茎で形成されているのですね? もちろんそうよ、サチコは笑いながら今も瀕死で横たわる僕の病室のベッドに安置された僕のこんがりと焼けた体の上をぱっくりと割れたサチコの体が僕の出来損なったしこりのようにゆらゆらと天井は揺れながらさらに僕を病的にしこらせる僕の右手に握られた純白のパンティに見覚えはありませんか? そう言って刑事はポラロイドに納められたいくつかのパンチラ写真を僕に見せつけるのだ「とんでもない僕は勤勉な納税者ですよ」と発する僕の声が震えているのは

弟さんの事は残念でしたねパンチラ写真に納められた僕の弟は僕に僕のパンチラを見せつけながら刑事の目は架空のボールペンの先に詰まった架空の小さなボールをほじくり出そうと試みるように僕の目玉をほじくり出そうと試みながら心のどこかで僕の目玉をほじくり足りない気分でいるのが僕には分かるよサチコ、それはまるで僕の病的なしこりが僕を病的にしこらせているみたいな気分で僕はこの病院内で最も病的にしこっている患者として君臨している僕はいやらしいのね、あなたのココもうこんなに固くなってると言って僕の外くるぶしをなで回すサチコの肘がこんなにもカサカサしているなんて僕は知らなかったんですよ刑事さん、けれど車内で行われる痴漢行為は犯罪ですよと刑事はもはやしこる事もおぼつかない僕の右手に課せられた課外授業の男子生徒たちの引率の女教師の淫夢によって僕は何もかもがもはやすっかり手につかない彼らの粘性を帯びた黄色い液体が僕の全身にからみつくうどんのようです刑事さん勘弁してください刑事さん

あれは、と刑事が指さす先にある押し入れの中だけはサチコ見られてはいけないよ、だって押し入れの段ボール箱に詰まった僕の淫らな夢の中では七対の肩と九つの頭部を持つ主治医のてるひこがカルテに走らせたボールペンの先端からしみ出した僕の膿んだ傷口に出来たかさぶたをはがし続けたその長い年月の間にたっぷりと詰まった段ボール箱の中に収納された僕の弟はその小さな体を僕らしい人間の僕らしく運転する特急列車の下敷きにされたと噂される事もあったわ、けれどそれも今は良い想い出よ人生のベストパートナーはきっとここで見つかるわ、そう語った女の言葉に騙され詐欺まがいの結婚相談所に大金をつぎ込んだ日々を思えば歯茎からの出血なんてたいしたことではないさ、そう言ってサチコに笑いかける僕はサチコの手を握りオペ室へと続く病院の長い廊下を搬送される僕はサチコの手を握り僕の傷口は開きっぱなしのドアから眩しい光が漏れ出す僕のおむつを交換しにやってきたナースのサチコの手を握り僕はオペ室へと続く長いサチコの手を握りその長くいやらしいサチコの手を握り病院の長い廊下を搬送される僕はサチコのサチコの手を握り

例えば快適なコンドミニアムと人類の起源についてたいていの日本人は分かったような顔をしている事を知っている僕は黄色い線の内側でお待ち下さい、あはは、分かりました、当初セーフティバントの構えで3番ホームに突っ込んでくる特急列車を待つ事を約束されたナースのサチコのパンティラインのギリギリ内側で揺れる乗客たちの尻肉のおよそ七割が手すりやつり革にぶら下がりながら左右に揺れるサチコのパンチラする尻肉を遠い目をして眺め、かつてそこをコロコロと転がっていった僕の目玉はほじくり出されたフェアグラウンドのギリギリ内側で魅了される観客たちの期待と乗客たちの死体のなかで僕は極めて正確にコロコロと転がっていった事を覚えているよ、やがて空洞の目玉をした僕の運転する特急列車は猛然とパンチラする乗客たちを乗せて猛然と3番ホームに突っ込みやがて果てた僕らはあの日初めてひとつになったねサチコ赤く腫れ上がった空に赤く腫れ上がった僕らの愛と愛ではないもののおよそ七割が歯茎と歯茎でないもので形成されているんだサチコ、君は美しい、美しく美しい朝に僕が使った新品の検便容器よりも美しいサチコ、いつでも僕のあそこが焦げ臭いのは

「大丈夫きっと弟は助かるよ」手術中の赤いランプが灯り僕は喪服姿で祈る母の粘土のような手を粘土のようにこねくり回しながら優しく語りかける僕が見守るオペ室の扉の向こう側では顔面のおよそ七割が歯茎で形成されたサチコがデリケートな手術だから麻酔はナシよと非情に言い放つサチコはとても良い体をしているくねくねと動く良い体をしているサチコはとてもデリケートで奇妙な良い体をしている良い体をした生き物のように良い体をしている、やがてオペ室の扉が開かれ白い光の中から七対の肩と九つの頭部を持つ主治医のてるひこが七足歩行で現れる今宵ディオニュソス的な執刀医となる主治医のてるひこは訳の分からない格好で訳の分からない事を叫びながら一列に並んだ新人ナースたちの丸い膝頭をハンマーのようなもので粉砕して行くそのたびにパカーン、パカーンと乾いた音で破裂していく僕の肩胛骨とその周辺住民たちによる懸命の捜索の甲斐もなくとうとう弟は見つからなかったよ母さん

炎天下焼けたレールの上で焼かれた僕の飼い犬の焦げた頭部が発見されたあの暑い夏の日母さん僕は家を出るよと僕は母の背中に語りかけ母は振り返りもせずテレビを眺める母の背中はパカーン、パカーンと乾いた爆発を繰り返しながら真っ赤に燃えさかる火葬炉を眺める僕の弟の手の中に握られた僕の目玉の中では毎晩のようにサチコサチコと呼ぶ声が聞こえる隣室の住人の通報によって運び出される干涸らびた僕のあの段ボール箱の中で干涸らびた僕の体の上に突如降り出した冷たい雨粒が落ちる、あら雨ねと急いで洗濯物を取り込むために庭へと出た母はそこにこんもりとした不審な土の盛り上がりに気付くに違いない、そして中から何かをほじくり出そうと土の中に右手を突っ込むに違いないよサチコ、バカね、そんなの杞憂よ、そう言って励ますサチコの肥大した歯茎を眺めるうちにうとうとと眠りについた僕は美しいサチコの手を握り

僕は目覚める白い病室のベッドの上で目覚める僕の手術は成功したよと告げられた僕は今、奇妙な円形をした病院の中庭をぐるりと回る僕は奇妙な円形をぐるりと回るよりも早くぐるりと回るリハビリに専念している僕は健康な成人男性のおよそ七割で埋め尽くされた病院の中庭をぐるりと回りながら本当は僕は不安で気が狂ってしまいそうなんだよサチコ、だってここを出た僕たちを待ち受けているきちんとした日本人たちはみな勤勉な納税者として先天的に眼鏡をかけた日本人たちに違いなくあんなにもきちんとした日本人たちの前ではサチコ、僕や君のあらゆる手違いが既に手遅れに違いないのだから


詩片1

  ヒダリテ

* 郵葬   

僕は生きたまま
棺桶の中
喪服姿の母が言う

「お手数ですが
 切手をお貼りください。」

たくさんの切手が
僕の顔に貼られる



* 儀式 その1

嫁入り前の娘が嫁入り前夜
シカゴカブスのヘルメットを目深にかぶり
鎖がまを体中に巻き付け、家々を回り
眠っている子供たちに
筆ペンを投げつける
という東北地方に古くから伝わる習わし



* 風景

冬の浜辺、曇天の空の下、
一組の若い男女が言い争っている。
と、突然、女は、傍らのテトラポッドをぎゅっと抱きしめ、
男に向かって叫ぶ。
「あたし、この人と一緒になるから!」



* 親切な昆虫図鑑

【キリギリス】
 バッタ目(直翅目)キリギリス科に分類される昆虫。
 広義にはキリギリス科の昆虫を総称して呼ぶこともある。
 リスではない。



* 儀式 その2

夕陽を浴びながら
下半身を露出した男が一人
ピラニア巣くう
アマゾン川の、その水面に
ゆっくりと
タマ袋を、浸す……



* デイ・トリッパー

君の去ってしまった
秋の夕暮れ
僕は ひとり
リビングで
君にもらった
苺のパンティー
頭にかぶって
ゆっくりと
タバコの煙を
くゆらしながら

デイ・トリッパー
ビートルズを聴いている



* 屋台にて

屋台の飲み屋に連れて行ってもらう。
屋台の親父が俺に言う。

「あんた息子に似てる。」
「俺が?」
「うん。」
「あんたの?」
「うん。あんた俺の息子に似てる。」
「息子って、あっちの意味の?」
「うん、あっちの意味の。あんた俺の息子に似てる。あっちの意味の。」
「俺が?」
「うん。俺の息子の亀頭の先端の割れ目あたりの、艶っぽい感じとか、色とか、雰囲気が、あんたの顔は何となく似ている。」
「光栄だよ、親父。熱燗をくれ。」
「はいよ。」



* 面倒くさいやりとり 「警官と主婦」編

「ご職業は?」
「主婦です。」
「ほう、主婦、ホントに?」
「はい。」
「あんた本当に主婦?」
「ええ。」
「はあ…。主婦ってのは、つまり、主に婦って事ですね。」
「いや、主に婦、っていうか、……まあ、そうです。」
「ん、つまり主に婦って事は、例外的に婦でないことをも意味してらっしゃる?」
「いや、そういうわけではなくて。」
「じゃあ、四六時中、寝ても覚めても、三百六十五日、年中無休で、例外なく、きわめて原理的に、婦、ってことですか?」
「……まあ、そうです。」
「じゃあ、婦って言いなさいよ。単に婦って。」
「え? 婦? どうして?」
「紛らわしいから。」
「そうですか?」
「そりゃ、ね、主婦、って言ったら、主に、婦です、って事でしょ。じゃあ、主に婦、であるあなたは、例外的には、何? なんて事を考えてしまって、紛らわしいでしょ。」
「はあ。」
「ペプシ飲む?」
「いえ、ペプシは。」
「おはぎ食べる?」
「いえ、おはぎも結構です。」
「あ、そう。」
「……あの、主人が待っているので。」
「主人?」
「はい、うちの旦那ですけど。」
「旦那が、主人?」
「はい。」
「主人ってのは、つまり主に人って事?」
「え、と。」
「おもにひとなの、あなたのだんな。」
「はい。っていうか、いつも人です。」
「ホントに? 例外的に犬であることなどなしに?」
「例外的に犬であることなどなしに。です。」
「いつもヒトなの。」
「はい。いつもヒトです。」
「じゃあ、人、って言いなさいよ。」
「いや、でも……。」
「ポッキー食べる?」
「……。」

文学極道

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