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ヌンチャク - 2016年分

選出作品 (投稿日時順 / 全6作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


【祝エンタメ賞受賞!NCM参加作品】君はポエム。

  ヌンチャク

嘘みたいな3月の青空があって、
嘘みたいにたくさんの人が詩んだのに、
相も変わらず、
オワコンネットポエムで、
詩がどうとか、
芸術がどうとか、
もう辞めるとかどうとか喚いてる君。
そんなに詩を書くことが大事なら、
君の信じる詩の中で、
白目を剥いて詩ねばいい。
誰にも届きやしないんだ、
そんな言葉じゃ。
寝言の中で、
月を見たり、花を見たり、
クスリ、と笑ってみたりして、
詩が書けたつもりになってるだけさ。
嘘だと思うなら、今夜、
春爛漫、
君の咲かせた満開の詩の中で、
身震いしながら散るといい。
詩がどうとか言いながら、
今まで君が見殺詩にしてきた、
たくさんの人、
たくさんの言葉、
咲き乱れるはずだったその、
花びらの一枚一枚、
生き様が詩になるんだよ、
あの日あの時、
口をつぐんで言葉を捨てた、
愛すべきすべてのクズポエマーたちよ、
覚えておくがいい、
4月になっても嘘みたいな青空、
比喩でなく、
僕らはいつか言葉に復讐される。

人生は詩だから、
ただ生きろ、
愛も変わらず、
そこに在る。


「あ、ヌンチャクくん、
また目ぇ開けたまま寝てる……。」


詩賊、無礼派、ダサイ先生のこと。

  ヌンチャク

 〜登場人物〜

ダサイウザム
   無礼派(新愚作派)を代表するデカダン風詩人。
   太宰マニア。
   詩集『ぼくがさかなだったころ』で第一回詩賊賞受賞。

葛原徹哉
   詩誌『詩賊 Le Poerate』のアルバイト編集者。
   十代の頃は引きこもりで、
   ネットポエム依存症だった過去を持つ。








 ナポリを見てから死ね!
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』


「先生! ダサイ先生!」
「おや、まったく売れないマニアックな詩誌『詩賊 Le Poerate』の駆け出し編集者、葛原君じゃないか。一体どうしたと言うのかね、そんなに大きな声を出して?」
「どうしたもこうしたもありませんよ先生、今日が何の日かもちろんご存知ですよね?」
「六月十九日、桜桃忌だろ。」
「違います! 今日は締め切り日なんですよ! 原稿を頂きに上がりました! もちろん出来てますよね?」
「うむ、出来てない。」
「それでは困ります、今すぐ仕上げてください!」
「幸福は一夜遅れて来る。太宰の『女生徒』にある言葉だが、幸福ですら一日遅れてやって来るというのに、原稿が遅れているくらいでそんなに大騒ぎするものではないよ、みっともない。」
「騒ぎますよ、今日中に印刷所に原稿回さないと誌面に穴が開きますからね!」
「いいじゃないか開けておけば。雄弁は銀、沈黙は金、ましてや詩は、行間の空白を読む文学ではないのかね? なぁに、たかだか4ページくらい真っ白でも構いやしないさ。そうだ、ジョン・ケージだ。無言をそのまま作品にすればいいのさ。」
「先生それ、ネットポエムのちょっとイタイ人がたまにやる本文空白ポエムじゃないですか。」
「いいんだよ別に、どうせこんな三流詩誌、誰も読んでないんだから。」
「あ! それは言わない約束にしようってこないだ二人で決めたとこなのに! それ言い出すとお互い虚しくなるからって!」
「しかしそれが事実だからね。現実を直視する勇気がないのかね、君は?」
「現実を直視する前に、締め切りを直視してください先生、それこそ現実逃避じゃないですか。誰も読んでないだなんて、仮にも詩賊賞受賞者がそんな身も蓋もない事言ったらウチの編集長激怒しますよ。」
「怒らせておけばいいんだ。だいたい賞金どころか賞状ひとつない、授賞式も受賞の言葉も選評すらないような賞にいったい何の価値があるのかね。」
「あるのかね、ってもとはと言えば、ダサイ先生が授賞式メチャクチャにしたから次の年からなくなったんだって、ぼく先輩から聞きましたよ?」
「何の話だ? 記憶にないな私は。とにかくだね、詩賊賞なんて、詩誌としての体裁を整えるための、編集部の自己満足でしかないじゃないか。私ならそんな有り難みのない賞より、詩への対価として金一封でも貰うほうが余程うれしいがね。」
「先生、お言葉ですがそういう考え方は人として最低だと思いますよ。賞というのは、長い時間と議論を重ねて熟考した選考委員の労に心から敬意を払える人間にのみ、その価値が生まれるものです。」
「そうかも知らんね。私なんか端から受賞資格がないのさ。なんたってクズなんだからね。太宰ですら芥川賞を獲れずに死んでいったというのに、私みたいなキワモノが賞を貰ってそれがどうだと言うんだ。笑い話にもなりゃしない。」
「先生、今時自虐的ナルシシズムなんて流行りませんから。貰えるものは有り難く貰っておけばいいじゃないですか。それで箔も付くことですし。」
「そこなんだ問題は。世の中には権威になびく下劣な人種だっているんだぜ。それまで散々私の作品をコケにしてきた連中がさ、私が賞を貰った途端に掌を返し先生先生ってね、現金なものさ、本当にあいつらは本物のクズだな。」
「いいじゃないですか、別に。権威にクズが群がってきたとしても、どちらにしても先生にとっては名誉なことなんですから。無礼派の理念は『詩なんか書くヤツみんなクズ』なんでしょう?」
「そうだ。私だってクズには違いない。しかしだね、葛原君。一寸の虫にも五分のポエジー、クズにはクズなりの美学もあれば信念もあるし、誇りだってあってしかるべきだ、そうだろう? 権威を前に自分の意見をコロコロと変えるような、そんな風見鶏みたいなお調子者、私は断じて批評家とは認めないね!」
「はいはい、先生のお考えはこの葛原、未来永劫しっかと胸に刻み込みましたから、とりあえず今は原稿を仕上げることに専念していただけませんか? だいたい先生はデカダン過ぎますよ、仕事もせずにこんな明るいうちからお酒なんか飲んだりして!」
「そういう作風で売っているのだから仕方がないじゃないか。何を言ったってアル中の戯れ言と思われているのだから。モンスタークレーマーの絡み酒だってさ。読者のイメージを壊してしまったら申し訳ないだろう?」
「先生のプライベートなんか誰も興味ありませんよ。先生の人付き合いの悪さは編集部でも有名ですからね。ここだけの話ですけどね、ウチの先輩が皆、先生の担当になるの嫌がってぼくが任されることになったんですよ。先生、人嫌いのくせに、読者とTwitterフォローし合うわけでもあるまいし、イメージなんか気にしてどうするんですか?」
「作家の良心じゃないか。芸術というのはサーヴィスなんだ、作品に込めた自己犠牲の奉仕、心尽くしなんだよ。私だってこう見えて、自分に与えられた役割というものをだね……。」
「言い訳は結構ですから、その良心とやらがあるならまずはしっかり期日までに作品を仕上げていただければそれでいいんです。」
「そうは言ってもねぇ……。」
「先生! その頬杖ついてアンニュイな表情浮かべる太宰のモノマネやめてください!」
「似てるだろう? クラブの女の子にはウケるのだよ? 先生太宰にソックリねって言ってさ、去年の桜桃忌、小雨のパラつく日だったなぁ、先生食事でも連れて行ってくださいなんてことになって、やっべオレ結構モテるじゃんモノマネやってて良かった太宰ありがとう、って何だよただの同伴かよ人の恋心もてあそびやがって、っていうね。こっちは下心丸出しでちょっと奮発して高級ブランドの勝負パンツでキメて行ったっていうのにさ、普段はしまむらなんだぜ?」
「どうでもいいですよそんな話。ぼく、先生のファッションチェックしに来たわけじゃありませんから。作品はどうなってるんですか?」
「……ふぅん、そこなんだ、どうやら私のミューズはバカンスを取ってどこかへ旅行に出掛けたらしい。そうだ、私も原稿料前借りして伊豆にでも行こうかしら。露天風呂から富士でも眺めれば、いいポエジーが降りてくるかもしれない。」
「何を呑気に昭和の文豪みたいなことをおっしゃってるんですか。ウチみたいな零細出版社にそんな余裕ありませんよ。ぼくなんかボーナスどころか寸志すらなくなりましたからね。」
「そうかい、夢がないねぇ、詩の世界は。」
「先生がぼくらに夢を見させてくださいよ! 太宰どころかお笑い芸人が芥川賞獲ってベストセラー作家になるというこのご時世に、詩人は何をやっているんですか!?」
「お、今日はなかなか鋭いところを突くじゃないか。どうやら君も一人前の編集者の顔になってきたようだな。育てた私も鼻が高いよ。」
「茶化さないでください。さ、早く原稿仕上げて!」
「少年ギャングの編集者知ってるかね? ストーリーに意見を出し、ネームを会議にかけ、漫画家と二人三脚で一緒になって作品を作っていく、それこそがプロの編集者の姿というものだよ。作家と編集者というのは一蓮托生なのだ。それに引きかえ君ときたらどうだ、二言目には原稿寄こせ原稿寄こせと馬鹿の一つ覚えみたいにそれしか言わない。恥ずかしいとは思わんかね? 追いはぎじゃないかまるで。」
「……わかりました。そういうことでしたらぼくもお手伝いいたしますから、原稿を仕上げていきましょう。」
「手伝うって何をだね?」
「ダサイ先生は思い付くまま閃くまま、即興で詩を言葉にしてください。ぼくがそれをこのPCに打ち込んでいきますから。」
「口述筆記というやつか。いいね、大作家って感じがするよ。私と君のジャムセッションだ。やろう。」
「では早速、お願いします。」
「うむ、タイトルは、ええと、そうだな、ポエジーについて。」
「はい。ポエジーについて、と。」
「いつの時代も人々の心を魅了してやまない、ポエジーという得体の知れない神秘、果たしてその正体とはいったい何であろうか?」
「……何であろうか? ……先生、これ論文みたいですけど大丈夫ですか? 詩になりますか?」
「大丈夫だ、続けたまえ。ここから凄い展開になっていくから。ディスイズエンターテインメント、詩賊賞の真髄を見せてやるよ。口語自由詩の先駆け、萩原朔太郎は詩集『月に吠える』の序において、こう述べている。」
「……述べている。」
「『すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩のにほひといふ。』」
「……匂いと言う。」
「まさにこの『にほひ』こそがポエジーなるものの正体であろう。」
「……であろう。」
「まだ学生だった私はこの萩原朔太郎の言葉に触れ、非常に感銘を受けたものだ。」
「……受けたものだ。」
「ってか奇遇! ウチも朔ちゃんとおんなじこと思てたやーん!」
「……思てたやーん、……何これ?」
「やーんの後に顔文字を入れてくれたまえ。」
「顔文字ですか? 思てたやーん(*_*) こんな感じですか?」
「チガーウ、チガウヨ! もっと楽しそうなやつがあるだろう!」
「思てたやーん(^3^)/」
「それそれ、そういうのいいね。」
「さすがダサイ先生、顔文字使った詩なんて斬新ですね、って先生! 真面目にやってくださいよ! どこがエンターテインメントですか、何が詩賊賞の真髄ですか! いつもいつもふざけてばかりで、それでも芸術家のはしくれなんですか!?」
「生真面目だなあ、葛原君は。芸術なんて軽い気持ちで、適当にやればいいんだよ。君にとっての芸術とは何だい?」
「生き様です。」
「生き様ねぇ、若い、若いなぁ君は。所詮生活の苦労を知らんな。場末のスナックのしみったれたホステスと成り行きで結婚するハメになってさ、情にほだされてってやつよ、一人二人でも子供が出来てごらん、子供なんてすぐに熱を出す生き物だし、やれ薬代だ保育園料だとそりゃあ金がかかるのだから。生活の前にあっては、芸術なんて無力なものだよ。」
「やっぱり、そういうものでしょうか?」
「そうさ、こういう言葉があってね。『人間なんて、どんないい事を言ったってだめだ。生活のしっぽが、ぶらさがっていますよ。』」
「誰の言葉ですか? 先生ですか?」
「私じゃない。太宰さ。」
「やっぱり。」
「やっぱりって何だ、ちょくちょく失敬だな君は。」
「先生にとっての芸術って何ですか?」
「チュッパチャップスだね。」
「チュッパチャップスですか?」
「チュッパチャップスさ。」
「ペロペロキャンディーではダメなんですか?」
「どっちでもいいよ。」
「南天のど飴では?」
「そんな食いつくとこかね、ここ?」
「甘くないですか?」
「大甘さ。」
「舐めてるんですか?」
「大いに舐めてるし、しゃぶってるね。」
「……それが先生の芸術ですか?」
「不服かね?」
「そりゃあ不服ですよ。芸術がアメ玉だなんて。」
「たとえば君が山で遭難したとしよう。右も左もわからず身動きすら取れない、いつ救助が来るかもわからない状況に陥ったとして、芸術なんて一体何の役に立つのかね? アメ玉ひとつで繋がる命だってあるんじゃないのかね?」
「確かに理屈ではそうですけど……。」
「理屈じゃない、真実さ。詩が腹の足しになるのかい? 芸術なんていうのは、人生の余暇を持て余した暇人の道楽に過ぎない。いざという時には何の役にも立ちゃしない、詩なんて寝言戯言、虚言妄言だよ。そんなことすらわからずに純粋だの美しさだの傷みだの現実と戦うだの何だのと詩を賛美して回る馬鹿な連中がゴロゴロいるだろう? だから私は詩なんか書くヤツはみんなクズだって言うのさ。」
「そんなに詩が信じられないなら、もうお辞めになってはいかがですか?」
「私だって何度も何度も詩を辞めようと思ったさ。真っ当な勤め人になろうと努力もしたよ。皿洗いもしたし、清掃員も土方もやった。交通整理もしたし、黒服も工場のライン作業も訪問販売もした。どれも長続きしなかったがね。行く先々の職場で馬鹿にされ嘲笑され、小突き回され、結局私に出来ることと言えば、くだらない詩を書くこと、それしか残っていなかったのさ。それがどれだけ愚かで惨めなことか、君にわかるかい? 」
「…………。」
「それから私は、自身がくだらない詩を書くことしか出来ないクズであることを受け入れ、クズとして生きていく覚悟を決めたのさ。けれども世の中には相変わらず、詩を盲信し詩に酔いしれている連中が蔓延っているじゃないか。私が大声で詩なんか書くヤツはみんなクズだと叫ぶと、それこそ束になって集団で私を非難しに来る。私みたいな立ち位置の詩書きは目障りなんだとさ! コミュニティーの和をかき乱す害虫なんだと! ところがだ、普段は芸術がどうのポエジーがどうのと大騒ぎしているその連中がさ、十年前のあの大震災の時、まず何をしたか知っているか? いいか、誰よりも真っ先に口を噤んだんだぜ!? そんなことってあるか!? 詩人自ら言葉を殺したのさ! 語るべき言葉を持ち得なかった? ハッ! 自己保身の言い訳だけは立派だな! 人がぎゅうぎゅうに苦しんでいる時に言葉で寄り添ってやることが出来ずに何が詩人だクソ野郎! 誰一人救えないような芸術、自粛しなければならないようなポエジー、そんなものに一体何の価値がある? 奴ら現代詩かぶれが馬鹿にする『詩とメルヘン』やなせたかしのアンパンマンだって自分の顔をちぎって腹を空かせた子供たちに食べさせるんだぜ? なぜ詩人にそれが出来ない? 一生懸命自分の身体から心から言葉をちぎって配って歩いたらいいじゃねえか! なぜそれをしようとすらしないんだ! 詩ってその程度のものなのか! おまえらの言う芸術ってのはアンパン以下か!? 太宰も『畜犬談』の中でこう言っている、「芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」ってな! 私はあの時、奴らの薄汚い本性を見たと思ったね。作品をどれだけ美辞麗句で飾っていようと、私は奴らの言うことなど信じない。奴らこそ、弱者を見殺しにして今ものうのうと生きている、紛れもない真性のクズだ。詩書きというのは詩を書くことしかできない無能なのだから、地震が来ようと戦争になろうと身内が死のうと、詩なんていう非常事態には何の役にも立たないゴミみたいなものを、非難を受けながらでも書き続けなきゃいけない業を背負ってるんだ! 業を背負う覚悟がないなら今すぐ詩なんか辞めちまえ! 自分が傷付きたくなくて、自分が非難されたくなくて口を閉ざした薄汚いクズ共よ、私は自身の作品と言動でもって自らがクズであることを証明し、おまえらもまた同じようにクズであるということ、おまえらの欺瞞を暴いてやる! いいか、これは復讐なんだ! 私のポエジーとは、自ら言葉を殺しておきながら、今も何食わぬ顔で詩人面をして芸術がどうだのとほざいているイカサマ師、卑怯者たちへの、憎悪であり、憤怒であり、呪詛であり、殺意であり、宣戦布告であり、断罪なんだよ! 確かに私の言葉は何も生まない、誰も救わない、代わりに私が、誰よりも深く傷付いてやる!」
「…………。」
「聞くところによると君は若い頃、ひきこもりだったそうじゃないか。」
「……はい。」
「社会に何の不満があったのか知らないが、所詮は衣食住の心配などしたことのない親の脛かじりじゃないか。それがどうだ、ちょっと社会に出てきて職にありついた途端、すっかり人生を理解したような気になって芸術がアメ玉では不服だの何だの、浮かれ過ぎだとは思わんかね? 生きるというのは、そんな簡単なことなんですかねぇ葛原さんよ?」
「…………。」
「君は内心、私のことを馬鹿にしているのだろうけど、私からすれば君なんか、口先ばかりでまるで中身のない、ただ小生意気なだけの青二才だ。たとえるなら、素人童貞さ。金出してやらせてもらってるだけの腰抜けが、意気揚々と女心を語るんじゃねぇよ恥ずかしい。たくさん傷付いて傷付けて失敗して躓いて、それでもまだわからない、だからこそ抱く価値があるんじゃねえのか芸術ってやつは。」
「…………。」
「…………なァんてね(^-^)v。どうだい、今の小芝居は? なかなかの名演技だったろう? 実は高校の頃、演劇部だったのさ。」
「え? ……今の、全部嘘だったんですか?」
「当たり前だろ。私を誰だと思っているのかね? 太宰治の劣化コピー、ダサイウザムだぜ。嘘とポーズはお手の物さ。あと、道化もな。」
「なぁんだフィクションか、ぼくはてっきり……、良かった……。」
「良かぁねえよ。今ので約束の4ページ、来月号の作品が出来たと思ったら、すっかり手が止まっているじゃないか。」
「えっ? 今のも作品の一部だったんですか?」
「当然。モンスタークレーマーの絡み酒、凄い展開になるって言ったじゃねぇか。早く仕上げて編集部と印刷所にデータ送ってやれよ。そろそろ編集長もオカンムリだぜ。」
「はい! それにしても芸術って難しいんですね。ぼく、何だか、芸術がアメ玉でもいいような気がしてきましたよ。」
「人生なんて死ぬまでの間の壮大な暇潰しに過ぎんよ、君。日々、興醒めの連続さ。せめてたまにはアメでも舐めていないと、馬車馬だってムチで叩かれるばっかりじゃ、それこそ馬鹿馬鹿しくてやってられねえよ。世の人は皆毎日毎日クスリとも笑わず、いったい何が楽しくて生きているのかねぇ?」
「そうですねぇ……。」
「よし、仕事を終えたら行くぞ葛原君、付いてきたまえ!」
「行くってどこへですか?」
「興醒めの日々をブチ壊し、今ある生を享受しに行くのさ! いいポエジーにはいい酒がいる、そうだろう? いざ行かん、ポエムバー『北極』へ!」
「わかりました、お供します! もちろん先生の奢りですよね?」
「馬鹿野郎、甘ったれるない。旅は道連れ世はポエジー、煙草銭はめいめい持ちってね、覚えておきたまえ。」
「ちぇっ、夢がないなあ、プロの詩人が金欠なんて。」
「何だっていいさ。金なんか土台問題じゃない。どうせ死ぬまでの暇潰しなんだから。詩人なんてくだらねえ。一等星じゃないんだぜ、私たちは。せめて人生のほんの一瞬でも光輝くことができたら本望じゃないか。私は確かにクズに違いないが、そのうち必ず見知らぬ誰かに私の言葉、私の光が届くと信じているのさ。」
「先生……。」
「いいかい葛原君、声を上げることを怖れてはいけない、どんなことになろうと私たちだけは、言葉を諦めてはいけない、詩を棄ててはいけない、距離も時間も越えてまだ見ぬ人に呼びかけ続けるんだ。その小さな声がいつか誰かの心に届いた時、初めてそれが芸術と呼べるものになるんじゃないのかね?」
「……ダサイ先生、ぼく、先生のこと誤解し……。」
「なァんてね! (о´∀`о)」
「あっ! やっぱり! ご近所の皆さん! この先生、本当の本当にクズなんです!」
「そうです、わたすが、ダサイウザムです。」
「なんかぼく、先輩たちが先生の担当嫌がる気持ち、ちょっとわかってきました。」
「嫌え嫌え。男子たる者、人から恨まれるくらいじゃないと生きてても張り合いがねぇからな。アンチを踏みにじって私は行くのさ。私が詩賊賞を獲った時の、クソアンチ共のあのしみったれた不満面! どいつもこいつも、ざまぁ見さらせ、だ。文句があるならおまえが中也賞でもH氏賞でも貰って来いよ!」
「誰に言ってるんですか?」
「……誰って、脳内妄想における仮想アンチじゃないか。」
「……いくら友達いないからって先生……、それ、虚しくないんですか?」
「…………。仲間なんかいらねぇよ。詩は、孤独を深めるためにあるのさ。世界と私の間には大きく深い溝がある。私は、絆から零れ落ちた人間なんだ。しかし私はその断絶を埋めたいわけじゃない。橋を架けたいわけでもない。ただ私の断崖絶壁を世界に知らしめてやりたい、その一心でずっと向こう側へと紙飛行機を飛ばし続けているのさ。届くかどうかはわからない。谷底を覗いてみたまえ、墜ちた機体の残骸でいっぱいだから。」
「…………。」
「…………ん?」
「あれっ? そこは、なァんてねっていうオチじゃないんですか?」
「『人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。』っていう言葉知ってるかね?」
「いいえ。」
「これも太宰の言葉だがね、私はもう、十二分に墜ちてきたんだ。人生も、詩もね。今さらこれ以上どこにもオチようがないよ。冗談は置いといて葛原君、君には未来がある。いいかい、人の批判を怖れずに呼びかけ続けるんだ。」
「はい。」
「君にもきっと、いつか輝く時が来るよ。そしてその光を受け取ってくれる人が必ずいる。」
「……そうだといいんですけど……。」
「なァんてね! (ノ ̄∀ ̄)ノ====卍卍」
「うぅわ、クッソここで来たか! 嫌いだ先生なんかっ!」
「まあ、長生きしてみることだね。いずれわかる。」
「……先生。」
「なんだよ?」
「無礼派に、花は、咲きますか?」
「……咲くわけねぇだろ花なんか。嫌われるためにやってるんだから。徒花散らせて終わりだよ。」
「ぼくが無礼派継いでもいいですか? いつかきっと、ぼくが、大輪の花を咲かせて見せます。」
「……好きにしろくだらねぇ。そういう傑作意識が文学を駄目にするんだ。」
「素直じゃないなぁ、先生は。」
「うるせえな。太宰の『散華』っていう短編読んだことあるか?」
「いえ、ないです。」
「読めよ。戦争で散った若き詩人の物語なんだけどさ、その中に太宰のこういう言葉が出てくる。『私は、詩人というものを尊敬している。純粋の詩人とは、人間以上のもので、たしかに天使であると信じている。だから私は、世の中の詩人たちに対して期待も大きく、そうして、たいてい失望している。天使でもないのに詩人と自称して気取っているへんな人物が多いのである。』今の日本には、純粋の詩人なんてただの一人もいやしねぇ。ネットポエムを見てみろ、一丁前に詩人面したクズの見本市フリーマーケットだ。君は、大いなる文学のために死ねるのか?」
「…………。」
「私は駄目だ。天使でもないのに無駄死には御免だね。生きる覚悟と死ぬ覚悟、今の時代、どっちが重いんだろうな?」
「……。」
「……咲くのも散るのも同じこと、それがこの世に生きた証じゃねぇか。芸術は生き様なんだろ? やれよ葛原、おまえのやりたいように。」
「はい!」
「さあ、原稿も上がったことだし、……桜桃忌か。今夜も太宰の涙雨だ。太宰は愛人と心中したってのに野郎二人で飲んでちゃ世話ねぇな。」
「そうですね。」
「女心など私には皆目見当つかんし、詩と心中もできんとなったら、いよいよクズだが仕方ない、飲むぜ。浴びるほどな。」
「先生もうすっかり出来上がってる感じですけど。ボトル一本空けてるじゃないですか。」
「馬鹿野郎。もう駄目だと思ってからが人生なんだ。永遠の未完成交響曲。空白で終わらせてたまるかよ。先があるなら死ぬのは惜しい。いつとびきりの美人と出会うかわからんからな。諦めずに呼びかけ続けるんだ。あ、そうかわかった、詩ってのはあれだ、ラブレターだよ、一世一代の大勝負、勝負パンツだ! 全裸の一歩手前だよ、さあメタを剥いで私のすべてを受け入れてくれ私のミューズよ、ってな! 」
「先生。」
「なんだ?」
「早くいい奥さんが見つかるといいですね。」
「おう、『春の盗賊』、ロマンスの地獄に飛び込んでくたばるまでは、まだまだ足掻くぜ。人生も、詩もな。合言葉は?」
「ナポリを見てから死ね!」




 紺絣の着物の裾を翻し、ダサイは千鳥足で夕闇の雨の中を街へと繰り出した。愛くるしいサーカスの子熊のようにビアンキのMTBにまたがって、ちょこちょこと後に付いていく葛原徹哉。
 それから三ヶ月後、詩誌『詩賊 Le Poerate』は誰にも知られぬままひっそりと廃刊になり、多少なりとも責任を感じたダサイは狂言自殺を企ててはみたものの、雨の玉川上水で一人上半身裸になり水浴びしていたところを、不審に思った住民に通報され未遂に終わった。後日、その時の体験を『ライフジャケット』という作品にして発表したが、片手で数えられるほどのコアな読者にさえ、一笑に付されただけであった。まさに新愚作派の面目躍如といったところである。
 一方、無礼派を継いだ若き編集者葛原徹哉は文学への夢を諦めず、忙しい仕事の合間をぬってコツコツと独学で作品を書き続けていた。数年後、日本最高峰の文芸サイト『頂上文学』に投稿した自伝的詩小説『ダメヤン』が年間賞に選出されることになるのだが、そのサクセスストーリーはまたの機会に譲るとして、この二人の物語は、ここで幕を閉じることにしよう。
 詩を愛する諸君、すべての孤独な魂に、ポエジーの幸あらんことを!



 ちまたに雨が降る
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』

 こんなに雨が降っては、僕はきっと狂ってしまう。
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』

 きもちは ねつです。
 ことばは ひかりです。
 『くろひげききいっぱつ/ヌンチャク』

 私たちは、生きていさえいればいいのよ
 『ヴィヨンの妻/太宰治』

 幸福は一夜遅れて来る。
 『女生徒/太宰治』


命中しないあなた、でも愛してる(アンチ藝術としての詩)

  ヌンチャク

通天閣には、まだ上ったことがない。下から見上げるばっかりだ。あべのハルカスが出来るほんの15年ほど前、新世界と呼ばれるあの界隈のてっぺんは、通天閣だった。俺はWと、新今宮駅を降りる。高架下に出ると、8月のムッとした熱気の風に乗って、排ガスと生ゴミの臭気が漂う。いかにも昭和レトロな、錆びついた自転車の前と後ろに、潰れた空き缶のぎゅうぎゅうに詰まった汚いビニール袋を、3つも4つもくくり付けて、ギイギイと、痩せこけた爺さんが通りすぎていく。耳朶のないスキンヘッドの男が、個室ビデオの看板を持って、黙って立っている。新今宮から天王寺まで、交通量の多い直線道路沿いに、隙間なく一列に、ブルーシートを被せたダンボール小屋が長屋を形成し、悪臭を放ち、その前でホームレスと犬が、同じような呆けた表情で日向ぼっこしている。俺はWの手を取り、駅前の横断歩道を渡る。新世界の、フェスティバルゲート(Festival Gate)という、名前と外観だけはやたらと賑やかな複合施設、つまりは第三セクターの、夢見がちでありがちな失敗作に入っていく。施設の中と外を、2階から4階を、小さなジェットコースターが、客の来た時だけ、自暴自棄に駆け巡る。係員は欠伸をこらえていた。俺とWは、閑散とした廃墟の中をくぐり抜け、スパワールドへたどり着く。1000円キャンペーン。水着に着替え、エレベーターで上昇し、屋内プールで落ち合う。Hoopで二人で選んだコバルトブルーのビキニ。小さな惑星のように丸い乳房の膨らみ。水を湛え、新しい生命が生まれる。俺は彗星。いつか俺が燃え尽きた時、おまえの海に堕ちたい。オレンジ色の、大きな浮き輪にWを、座らせて、引っ張って、潜って、丸いお尻を見上げて、触って、流水プールを、流され、流れるままに、ぐるぐると回り続けた。スパワールドの裏には、天王寺動物園が広がっている。入場口を過ぎてすぐ右手に、チンパンジー舎がある。壁一面に描かれた密林の絵、作り物の大きな黒い木の枝に座り、チンパンジーは、いつも遠い空を見上げている。動物園の高い塀の向こう、立ち並ぶビルとネオン看板を越えて、スモッグで霞んだ空を、ぼんやり見ている。その頃、家族と絶縁し、一人暮らしであるにも関わらずバイトすら辞めてしまい、無職だった俺は、かつて自分が、美大生だったこと、詩を書いていたことなどすっかり忘れて、日々の生活のこと、これからの将来のこと、就職のこと、Wのこと、手枷足枷のように縛りつけてくる、ありとあらゆるもののことを、漠然と考え始めていた。動物園のチンパンジーと、ブルーシートの小屋で暮らすホームレスと、どちらがいい暮らしをしているだろう、そんなことを思ったりした。Wは、天然と言うか、アホというか、世間知らずというか、常識や物を知らないところがあった。この前、鉄筋バットでね。それ、金属バットやろ! バットに鉄筋入ってたら、野球やるたび、死人でるわ! Wは、自分の間違いをまるで恥ずかしがりもせず、俺がひとつひとつツッコミを入れると、楽しそうによく笑った。屋内プールから屋外ゾーンに出て、二人で露天のジャグジーに浸かった。他の客から見えないように、泡の中で、Wの丸い胸を下から支えながら、たわわに実った果実のような、その丸み、そのやわらかさ、その瑞々しさを、掌の中に抱きながら、俺は、空へといきり立つ、突き上げる、新世界のシンボル、通天閣を眺める。青いガラスの展望台から、何人かの人影がこちらを見ていた。その、新世界のてっぺんから、いったい何が見えるのだろう。俺からは、HITACHIの文字しか見えない。Idler's Dream。俺は想像する。新今宮。UNIQLO。たこ焼き。づぼらや。スマートボール。ヤンキー衣料。串カツ。ジャンジャン横丁。フェスティバルゲート。ジェットコースター。スパワールド。天王寺動物園。ブルーシート。ダンボール。茶臼山。美術館。青空カラオケ。公園。噴水。植物園。駅前広場。青空将棋。交差点。雑踏。ビッグイシュー。近頃の藝術家は、街も、人も、生活も、悲しみも、貧困も、藝術も、他人事みたいに、俯瞰するのがトレンドらしい。大風呂敷のように広げた地図の、どこか見えないところに、隠されたシナプスがあると言う。伝書鳩にでもなったつもりか。クルックー、クックルー、Googleアース、フラット・アース、新世界秩序、神の視座。馬鹿と煙はなんとやら。俺にはあの、いつも遠い空を見上げて、不満そうな面をしている、寡黙な類人猿が、ほんとうの藝術家に思えてならない。高い作り物の木の上に立って尚、届くはずのない空。自分で果実をもぎ取る自由すら、奪われてしまったあの、空っぽの頭の中に、ほんとうの詩が、その息吹が、衝動が、咆哮が、飼育員にも、客にも、仲間の群れにも、誰にも伝わらずに、世界から遮断され、隔絶され、無自覚なまま、蠢いている。彼は、表現する術を知らない。バナナは上手に剥けるだろう。否応なく飼い慣らされる、ワンワールド。俺もいつか、そうならなければならない。テクスト、ではない。アート、でもない。夢のケーブル? そんなものは、ぶった切れ。俺は誰ともシェアしない。藝術とは、生き様だ。ただ、生きることだ。偽物の世界で、覚悟を決めて、生きることだ。空を見上げればケムトレイル(chem trail)、ダダ漏れの放射能。これが人類の檻ではなくて何だというのか。たまには吠えろ、俺のチンパン。通天閣には、ビリケンさんという神様がいて、土踏まずのない足の裏をこすると、幸せになれるという。結婚式 ― wedding ― という、俺の人生にはおよそ縁がないと思っていた言葉が、突然脳裏をよぎり、不意を突かれ、狼狽し、のろまな牛のようにその言葉を、その意味を、その責任を、反芻しながら、俺は、扁平足で子供っぽいWの足の裏をくすぐった。Wは、目を細めて、屈託なく笑う。www。


ダサイウザム第一回詩賊賞受賞スピーチ全文

  ヌンチャク

「特別賞に引き続き、長らく、お待たせいたしました。いよいよ、栄えある詩賊賞の発表です。今回、初めて賞を創設するにあたり、今後の詩賊の方向性を決定付けることにもなるとあって、選考委員の方々はケンケンゴウゴウ、カンカンガクガク、議論に議論を重ねたと伺っております。……さあ、それでは参りましょう、第一回詩賊賞受賞、無礼派と自称する傍若無人な言動とそれに相反するユルい作風で賛否両論巻き起こしました、自称太宰治の劣化コピー、虚栄心と羞恥心のがっぷり四つせめぎ合い、近所迷惑この上なしフルスロットル空吹かし、マイコメディアン、皆様、盛大な拍手と嘲笑でお迎えください、詩なんか書くヤツみんなクズ、ダサイウザムさんです! どうぞ!」

 司会者に促され、ふらふらと壇上に上がった蓬髪の男は、スタンドマイクの手前で一瞬躓きかけた。先程までしこたま飲んでいたのだろう、顔面は耳たぶの先まで京劇に出てくる孫悟空のように派手に紅潮し、窪んだ目は据わり、それでいて妖しく鈍い輝きを放っていた。
 華やかな授賞式にはおよそ似つかわしくない男の異様な雰囲気に、直に拍手もまばらになり、会場は一種の緊迫感のようなものに包まれ静まりかえった。
 男はそんなことは意に介さないとでもいうように、ただでさえ緩んでいるネクタイの結び目を右手で乱暴に引き伸ばしさらに緩め、マダムのネックレスのようにだらりと首からぶら下げ、前髪をグシャグシャとかき上げながら大きく鼻を啜った後、どこを見るというのでもなく中空の一点を睨み付け、口を開いた。その風貌に似合わず意外にも、甲高い声であった。

「いやいや、どうも、只今ご紹介にあずかりました、ダサイウザムです。今からちょうど二年前の夏、太宰の小説『ダス・ゲマイネ』に登場する詩誌『海賊 Le Pirate』を模した詩誌『詩賊 Le Poerate』が盛大に船出の日を迎え、太宰を愛する私もこんな詩誌を待っていたのだとさすがに嬉しく居ても立ってもいられず、私も船員の一人としてこの大義ある航海に加えて頂きたく、今まで参加してきたわけで、あれからまあ二年経ち、この度は、なんか、賞を頂けるということで、ノコノコやってきたんですけれども、まあ一体、なんと言うんですかね、ずらりとお並びの選考委員の皆々様に、面と向かってこんなことを言うのもあれなんですがね、単刀直入に言うと、あんた方、偉そうにふんぞり返って座ってらっしゃいますが、一般人、いわゆる世間の人たちにどれだけの知名度があるんですかね? あんたたちの詩って、誰が読んでいるんですかね? 詩集はどれほど売れました? そもそもどこに売ってます? 誰も知らんだろう? 今を生きる現代人にはまったく見向きもされないのに現代詩とは、なんとも皮肉なもんじゃないですか。最早誰にも必要とされていないんですよ、我々は。詩賊と名の付いたこの新造船も、出港直後の大層な熱意はどこへやら、世界に詩を届けるどころか、今や大海原のど真ん中で羅針盤を失い漂流中ときたもんだ、見渡す限りの水平線には大陸はおろか、たまにぶつかる小島ですら行けども行けども人っこ一人いない無人島ばかり、挙げ句の果てには甲板の上で仲間割れの大喧嘩、船員は次々遁走、死亡説まで流れる始末、風雨に晒され破れたマストは茶色く汚れ、ああ、こんなはずではなかったとジリジリと身を焼く灼熱の太陽を恨めしく見上げると、アホウ、アホウと鴎まで馬鹿にしやがる、いやいや失礼、口が滑ったすみません、いずれもご立派な経歴肩書きの詩人の皆様方、私みたいなクズが出る幕じゃねぇや、いやほんと、詩賊賞だってさ、笑っちまうぜ、現代詩なんていう狭い狭い村社会、どこに世界があるんだよ、学歴優先コネ優先の仲間内のくだらねぇ審査員ゴッコに付き合わされて、感謝感激、これで私の作品も海の藻屑とはならず文字通り浮かばれるってわけだ。溺れる者はポエムにもすがる、私の詩が、溺れる者のせめて浮き輪代わりにでもなれば幸い、どうせ直ぐに沈むけどな。沈め! 畜生、……最近、反省したことがひとつある。私は無礼派を名乗っているが、全然、無礼じゃない。むしろ人が好すぎるくらいだ。私はこんな賞を貰うために詩なんか書いているのではないのだ。嫌われるだけ嫌われてやろうと思っているのである。無頼どころか、無礼にすらなれずに何が文学か。己の美学のために猫でも女でも全てを振り払い、蹴り飛ばし、なぎ倒していくのである。詩賊賞? クソ食らえだそんなものは! お義理の拍手喝采などいらねぇよ腑抜けども、おっと、貰った以上は私のものだ。賞は返上しないぜ編集長。私に賞を与えたことを、生涯悔やめ。詩賊賞の汚点として語り継げ。本当の本当に詩を侮辱して嗤っているのは私じゃない、おまえたちだ! 詩を解放しろ! 私に言わせりゃ詩なんか書くヤツみんなクズ、詩書きを批判するためにわたしがこんなに声を荒げているってのに、肝心なおまえたちがそんな死に体でどうする! 金にも名誉にもならん仕事に命まで懸けて悔しくないのか! 懇意になるな、権威になれ! まるで倒しがいがないじゃないか! 私をブチのめしてみせろ! それから司会者! 黙って聞いてりゃてめぇディスりすぎだろ……。」

 ダサイはそこまで言うと、スタンドマイクを握りしめたまま、舞台の真ん中で仰向けに卒倒した。急性アルコール中毒である。すぐさま救急車で病院に運ばれ事なきを得たのだったが、ダサイにはその時の記憶はまったく残っていなかった。ダサイが倒れた時、客席は騒然となり、何事が起きたのかと皆総立ちで騒ぐ様は、さながらスタンディングオベーションのように見えなくもなかったと言う。拍手がまるでなかったことを除けば。


「ひょっとして倒れて運ばれるまでを含めた全てが彼なりのパフォーマンスだったのではないか?」
「本当は司会者と裏でネタ合わせが出来ていたのではないか?」
「救急隊員の話によると、ダサイは救急車の中で突然何事もなかったかのようにムックリと起き上がりひとこと、『酔拳……』と呟いたらしい。」
「第二回以降の詩賊賞の授賞式がなくなったのはダサイが原因だそうだ。」
「詩賊の編集者の間では、ストップ・ザ・ダサイがスローガンになっている。」
 それから数年間詩賊界隈では、そんな背びれ尾ひれの付いた噂がまことしやかに流れていたが、詩賊は既に廃刊となり、当時を知る関係者も雲散霧消、真相は今もって薮の中である。
 数々の問題行動で詩賊を廃刊へと追いやった張本人、ダサイウザムは、憎まれっ子世に憚るのことわざ通り、なぜか今も生き永らえ、くだらない詩を書き続けていた。
 ダサイ本人はデカダンを装い無礼派を名乗っているが、周囲からは嘲りを込め新愚作派と呼ばれていることを、彼は知らない。


痛ポエケット ブースNo.ヌ―69【百合イカエロイカ】

  百合花街リリ子

おおきに
ようおこしやす
同人誌月刊『百合イカエロイカ』編集長
百合花街リリ子どす
本名は宮沢いいますねん
宮沢ゆうても
りえ違いますえ
ケンヂどす
嫌やわぁデクノボーやおまへんえ
百合棒どす
幻想的なイマジネーションと
卑猥なオノマトペ駆使して
官能ロマンポルノ百合ポエム書くのが趣味どす
どうぞごゆるり見ていっておくんなはれ
おぶう如何どすか
せやせや聞いておくりやすこないだ
ベッドの下に隠したエロ本
サンタフェとか百合姫とかMY詩集とか最果とか
オカアハンに捨てられてもうたんどす
殺生どすやろ
もう恥ずかし過ぎて死んでしまう系
まあよろしおす
ほんまはもっとえげつないコレクションありますのや
若い頃はおつれらと隠れて
よう展覧会- exposicion - 開いたもんどす
アートどすえ
エロスとタナトスとペーソスとおいでやすとよろしおす
メルヘンチックなはんなりオナニーさせたら
プロ級どすえ
チェリーやけど
あ、
見てくれはりました?
あての代表作
『春画鉄道69の夜』
猫耳の女バンニと姦パネルラが
永遠の少女性
不老不死の身体を手に入れるため
深夜の京阪電車に乗って旅に出る
そうどす
京阪乗る人おけいはんどす
あ、
先言うときますけど
あての痛ポエム
罵倒もスルーもどこ吹く風
痛くも痒くもあらしまへん
心理分析しはっても
一筋縄ではいきまへんえ
亀甲縛りどす
これはギャグやと罵る前に
考えてもみてもらいたいのは
ハンネでしか本音を言われへん
自虐をギャグにするしかあれへん
屈折した哀しみの中にこそ
ポエジーは宿るということ
それがいわゆる
ハンネの日記……
なァんてね(^-^)v
だいぶ話が脱線してもた
鉄道だけに……
ガタンゴトン
ガタンゴトン
パンタグラフ!
ほんで女バンニと姦パネルラが
生八つ橋をポクポク食べながら
白鳥の頭を模したディルド使うて
出町柳から
パコパコ
パンパエコ
パンコパンコパン
天満橋で姦パネルラだけ
サウザンクロスに
昇天しはった後
どこからともなくダーさん来はって
「えいえんなんてなかった」
「知らんがな」
ゆうやつ
知りまへんか
もう、いけずぅ、あんたはんモテ系か羨ましいわぁ
それとか
『オプションの多いレズ風俗店』
名門女子高
聖宝塚カサブランカ女学院高等部に転入した
転校生(美少女)の設定で
演劇部のクラブ活動中
発声練習してたら知らん間に
部長(クールビューティー)に白いブラウス脱がされてもうて
姫百合のシロップ塗られてしもて
くぱぁ
あん、食べられてまう
お姉様そこはあきまへんえ(>_<)
堪忍しておくれやす
あっ、声出てしまいますえ
あっ、おぅ、いぃ、うん、えぇ、おぉ、あぁん、おおぅ
あそこが熱いなあいうえお
もっとさわさわしておくれやす
おねえさまああああ━━━━━っ!!
トロトロ
ゆうやつ
これも知りまへんのんか
いちびりどすえあんたはんリア充やおまへんか妬むわほんまに
いつやったかオトウハンに
「あてが死んだら
エロ本と百合ポエム
ぜんぶ燃やしておくれやす」
ゆうたらオトウハンが
「当たり前じゃこの恥さらしが
なに童貞と中二病ダブルでこじらせとんのや
手遅れやないかわれアホかボケカスブブヅケェ」
言わはって
いくつになっても有り難いのは
親の愛どすなぁ
ほんま


 なぁ、と詩子
 あてももうすぐそっち逝きますさかい
 一緒に食べよな
 生八つ橋
 三途の川で納涼床

 みんなの幸のためならば
 あてのからだなんか
 百ぺん抱かれてもかましまへん

 なぁ、と詩子

 おまはんひとり
 幸せに出来なんだあての
 ディルドみたいな痛ポエム
 何処に何を挿入しても
 ほんとうの天上へさえ行ける切符には
 ならしまへん
 あての心の処女膜は
 もう誰にも破れんのどす
 童貞と中二病だけやおまへん
 シスコンも入れてトリプルで
 銀河の果てまでこじらせてます
 せやから言いましたやろ
 これは詩やおまへん
 痛ポエムや
 ただの
 妄想スケッチや
 て


あ、お客はん、ちょいと待っておくれやす
『百合イカ』買うておくんなはれ
姉妹誌の季刊誌『百合詩ーズ』もありますえ……



 *****



『ジューンリリイブライズ(シックスナイン)』


 永遠を誓うなら6月
 雨に咲いて
 双子の様に死のうと決めた。
 ソックスガーターを脱がせ
 白い足首に
 口づけすると
 桜桃の匂いがしたから。

 ━━ねえ、姦パネルラ、何処を歩いて来たの?

 ━━薄氷。

 トゥシューズの乙女のように
 爪先立ちで歩いて来た
 私たち、
 白鳥の停車場まで

 ━━見て、女バンニ。

 姦パネルラの足首から脹ら脛
 膝の裏から内腿へと
 舌を這わす
 薄紅色の花芯の脇に
 小さな蟹のような痣がある。

 69

 ケンタウル、露を降らせ
 ケンタウル、露で濡らせ

 サウザンクロスへ
 一人で逝った姦パネルラ。

 残された私も一人
 そして迎えたSeptember
 〜サヨナラも言えずに〜

 らっこの上着を羽織り
 今夜も
 星めぐりの歌を歌う。


ぼくがさかなだったころ Returns

  ダサイウザム

 詩なんか書くヤツみんなクズ。
 これは十数年来揺らぐことのない私の持論である。
 私自身がクズであることは公言している周知の事実なのだから、類は友を呼ぶということなのだろうか、とにかく私の周りに集まる連中はクズが多い。
 渡る世間はクズばかり、世の中には二種類の人間がいる。
 クズか、より酷いクズか、その二種類しかない。
「ダサイ先生、ファンレター来てますよ。」
 昨日の夕方、しとしとと秋雨の降る中を編集者の葛原君が、詩賊の編集部に届いたという私宛の手紙を持って訪ねて来た。
 封筒を裏返して差出人を見ると、宮澤百合子という名前が書いてある。
「女性のファンが付くなんて、いよいよ先生も隅に置けませんね。」
「何を言ってやがる。いくら私がクズだからって、これでも物書きのはしくれなんだ、そりゃあ女の読者だって一人や二人くらいいるだろう。」
「ダメ男に惹かれる女性もいますからね。先生のその自虐的なところが母性本能をくすぐるんですかね? 私が付いていないとこの人ダメになるみたいな?」
「失敬だな君は。知らん。」
「恋に発展したりなんかして。」
「馬鹿言うな。自分で言うのも何だが、ダサイファンの女なんて気味が悪くて相手したくねえや。」
「そうですかねぇ。ぼくはもっと女性ファンが増えればいいと思ってるんですけど。いや、先生の魅力が読者に上手く伝わっていないということは、ぼくら編集部の責任ですね。」
「何だよ急に。ヨイショしたって原稿料はビタ一文まけねぇからな。」
「先生がもっと有名になってくれたら詩賊も売れるし、そうしたら先生の原稿料も、ぼくの給料だって上がるんですよ。」
「だからさ、わかんねぇかな。きょうび詩なんか誰も読んでないって。」
「そんなことないですよ。少なくともぼくは、先生の作品毎回毎回行間まで読んでますから。」
「当然だろ。担当なんだから。給料貰って詩が読めるってどんな身分だよ。」
「そう言われてみるとそうですね。お金払わなくても詩が読めて給料まで貰えるなんて、いい仕事ですね、編集者って。」
「ほんと単純だな、君は。ういヤツめ。君が女だったら抱いてやってもいいくらいだ。」
「いえ、それは固くお断りします。」
「もう! 徹哉ったら、イ、ジ、ワ、ル!」

 そんな馬鹿話をしながら二人で酒を飲み、先生来月こそは締め切り頼みますよ、おう、まかせとけ私はやる時はやる男なんだ、と、ほろ酔いの葛原君を送り出した後、真夜中、布団に潜り込んで一人でコッソリと手紙の封を開けた。
 ドキドキしていたのである。
 私には女性の読者など皆無であるから、不意に手紙などを貰い、まるで片想いをしている中学生のように年甲斐もなく、それこそギャグポエム『悪目くん』の主人公にでもなったようなソワソワした心持ちで、弱冠緊張もしていたし、まさか葛原君の言うことを真に受けたわけでもないが、妙な期待にあれやこれやと想像を膨らませつつ、丁寧に三つ折りに畳まれた便箋を広げたのだった。
 薄紅色の可愛らしい便箋に、小さく線の細い文字がびっしりと書き込まれている。
 中を読んで愕然とした。

 世の中には二種類のクズがいる。
 こいつは、酷いほうのクズだ。



 *****



 はじめまして、ですよね、ダサイ先生? それともどこかで、お会いしたことがあるのかしら。
 突然のお手紙、失礼いたします。
 ダサイ先生はなぜ、私のことをご存知なんですか? 詩賊6月号に掲載された先生の作品『開襟シャツ』、あれは私のことですよね? どうしてお会いしたこともないダサイ先生が私をモデルにして作品を書かれたのかわかりませんが、若い頃の私の気持ち、心情を余すところなく作品にしてくださり、なんとも気恥ずかしく、嬉しく拝見いたしました。
 どうしてだか先生は私のことをよくご存知のようですので、今さら自己紹介も必要ないこととは思いますが、今後の先生の創作のお役に立てるかもしれません、私の話を聞いてください。

 私は今年で三十になる女です。アラサーですね。ネットで詩を書いています。私はPCを持っていないので、それまでネットの世界というものをまったく知らないまま生きてきたのですが、三年前、携帯をスマホに替えたことを機に、ネットを見るようになり、色々と検索をしていくうちに、『現代詩日本ポエムレスリング』ですとか、『頂上文学』ですとか、様々な詩のサイトがあるということを初めて知ったのでした。
「こんなところに詩人がいる! 」
 大げさな言い方ですが、その発見は私にとっては、たとえばギリシャ、イオニア海の断崖絶壁、入り江の奥の奥にそこだけ陽の当たる白い砂浜、ナヴァイオビーチにたどり着いたような、思ってもみなかった衝撃、興奮でした。長らく眠っていた詩への思い、詩作への情熱が、ふつふつと甦ってくるのを感じました。お恥ずかしい話ですが、私にもこれでも若い頃、ぼんやりと詩人を夢見ていた時期があったのです。

 中学生の頃から私は、学校の授業や全校朝礼など、時間的空間的に自由を制限されるような状況や集団行動に対して、動悸、目眩など、一種のパニック障害、不安神経症のような症状を持っていました。息苦しくなるといつも、死にかけの金魚のように空気を求めてパクパクと大きな口を開けて深呼吸していました。おまけに色黒で目が大きかったので、男子からは『デメキン』というあだ名で呼ばれ、肩を小突かれたりノートを隠されたり、虐められることもしょっちゅうでした。

 高校に入ってからもますますひどく、授業に集中できない状態は続き、教師の目には「やる気の感じられない怠惰な生徒」として映っていたのでしょう、日本史の授業中でした、私は態度を注意されました。
「日本の歴史も学べないとはおまえは非国民か。窓から飛べ。」
 先生は笑いながら言って、もちろんクラス全員、それがブラックユーモアであることは理解していましたが、私は瞬間的に頭に血が昇ってしまい、無言のまま窓枠に飛びついたところで、数名のクラスメートに引きずり下ろされました。こいつなら本当にやりかねん、普段からそう思われていたのでしょう、私は誰とも目を合わせることができず、そのまま黙って教室を飛び出しました。誰も追っては来ませんでした。

 高校二年の秋、十七才。私は修学旅行を欠席しました。二時間、三時間に渡る新幹線やバスでの団体移動は、私にとっては拷問に等しいものだったのです。旅行前日まで担任には何度も職員室に呼び出され説得され理由を聞かれましたが、私は黙秘権を行使する犯罪者のようにひたすら無言を貫きました。私の弁護をしてくれる奇特な人などどこにもいないと思っていました。

 クラスメートが修学旅行へ行っている間、課題を命じられてはいましたが、私はそれにはまったく手をつけず図書室で一人、やなせたかし先生の『詩とメルヘン』を読んでいました。大きな見開きページの一面、きれいなイラストに飾らない詩が添えられ、私はすっかりその世界に魅了されてしまいました。それが、私の詩との出会いです。それ以来、胸の奥に溜まっていく泥を、溢れる血を、グチャグチャにノートにぶちまけることが、私の日課になりました。

 父と母は私が物心付いた頃にはもう折り合いが悪く、毎日のように言い争いばかりしていましたが、私が高三に上がる春休み、口論の最中に母は台所から包丁を持ち出し、手首を切り自殺を計りました。父がすぐに取り押さえ、たいした傷ではなかったようでしたが、私は何だか夢の中の出来事のように、ぼんやりと醒めた目で二人を眺めていました。家族というものは、いえ、人間というものは、バカバカしいほど滑稽で、惨めで、くだらないことに一喜一憂している、顔の前をうるさく飛び回る羽虫のようなものですね。その日を境に母は家を出て実家に戻り、その後、精神病院に入院したと聞かされました。

 それからしばらくして、私はふとしたことから拒食症になり、一日にビスケットを三枚しか食べない日々が続き、二学期が始まる頃にはその反動が来たのか、過食症になっていました。誰もいない家の中で、胃がはち切れそうになるまで無理矢理食べ物を流し込み、トイレで喉の奥まで指を入れて吐きました。けれども、いくら吐いても胸の奥の泥は吐き出すことは出来ず、吐けば吐くほどますます深く、底なし沼のように沈みこんでいくのでした。やがて生理は止まり、体重は41kgくらいまで落ち、体重が減れば減るほどどこかほっとして、浮き出たあばら骨を撫でながらつかの間の安心感を得てはいましたが、それでもどうしても自分のことを好きになれず、周囲の人間とも馴染めず、馴染む気すらなく、自分は人とは違う、人よりも数段劣った人間なのだ、と思っていました。これ以上父親の世話にはなりたくない、顔も見たくない、早く家を出たい家を出たいと願いながら、けれども、人並みに社会に出てOLをする自信もなく、かと言って風俗や水商売には生理的な嫌悪感がありましたし、『生活』という言葉の息苦しさに押し潰されそうで、出来るだけ早く死ななければいけない、いずれ死ぬことが私に出来る唯一の責任、私に与えられた使命なのだと、今思えばなんともバカバカしい青臭い病的な考えですが、当時の私は真剣にそう信じ、思い詰めていました。

 二学期も中頃、秋も深まり校庭の木々が赤く染まっていくように、クラスメートの話題も受験一色になり、皆次々と将来を見据えた進路を決めそれに向かい受験勉強をしている中、私は一人焦っていました。どうせいずれは死ななければならないのだから勉強なんてしたくない、かと言って出来損ないの私には就職などは到底無理だ、今やりたいことと言えばしいて言うなら詩を書くことぐらいだろうか、どこかに学科試験も面接もなく受験できる、詩を書くための大学でもあればいいのに。いくらなんでもそんな虫のいい話あるわけないと思っていたら、あったのです。推薦入試は小論文だけ、O芸術大学文芸学部でした。

 K駅を降りて学生専用のバスに乗り、細く曲がりくねった路地を抜けたところに大学はありました。桜並木の坂道を上りキャンパスに入ると、そこは高校とはまったく違う、自由な華やかさで溢れていました。無事に高校を卒業し大学生になった私は、その伸びやかで開放的な雰囲気の中で人目をあまり気にすることもなく、他人と足並みを揃える必要もなくなり、広場恐怖のような緊張感もだいぶやわらいでいくように感じて、これが何か自分を変えるきっかけになるかもしれないと思い、新しい学生生活に期待もしていたのですが、そこでもやはり私は馴染むことが出来ませんでした。周囲を見渡すと、スキンヘッドで全身黒ずくめの女やサザエさんのような髪型で薄汚い破れたTシャツを着た無精髭の男、個性的でなければ芸術家ではないとでも言いたげな奇抜な格好をした者も多く、地元では『丘の上の精神病院』と揶揄されるほどで、作品そのものではなく外見や言動を少しでもエキセントリックに見せようと張り合っているような馬鹿者たちや、芸術よりも合コンが大事といったようなスーパーフリーさながらの獣たちもいましたし、真摯な芸術家の集団と言うよりはむしろ世間からは相手にされない奇人変人の吹き溜まりといった様相で、もちろん私自身もそういう出来損ないの一人ではありましたが、まだ若く芸術に対して憧れもあった私にはどうしてもそれが許せず、その吹き溜まりに自ら安らぎを求めるのも嫌でしたので、作品を創る者が自ら作品になってどうする、芸術家はただ黙って芸術だけを創ればいいのだと、一人で憤っていました。芸術なんて程遠い、所詮私たちは美術館の片隅で誰にも見られることもないまま錆びていくオブジェに過ぎないのだ、いや、そのオブジェにすらなれない私はいったい何なんだ、と思うと無性に虚しくなり、そのまま授業に出るのもやめてしまいました。昼前に大学に来て、誰もいないところで煙草を吸ったり、夕暮れ、四階の廊下から地面を見下ろし、散ってしまった桜の花びらのようにヒラヒラ舞い落ちてしまいたい、今飛び降りたら明日の朝までは見つからずにいられるだろうかなどと、頭から血を流して地面に倒れる自分の姿を想像したりしました。

 そんな短い学生生活の中で、ひとつだけ記憶に残っている授業があります。文芸学部らしく、創作の授業があったのです。眼鏡をかけたまだ若い准教授から与えられたテーマにそって、原稿用紙二枚の散文を書き、次週、准教授がそれを寸評していくというゼミ形式の授業でした。第一回目のテーマは「自己紹介」でした。小さな教室で准教授を囲むようにして向かいあって座る十五人ほどの学生は皆、作家や編集者を志しているような者ばかりですから、自己紹介程度の散文などお手の物とでも言いたげに、始めの合図と共に、競い合うようにして一斉に筆を走らせ始めました。人生や人付き合いにおいてすっかり卑屈になっていた私は、自己紹介などする気も起こらず、何を書いたらいいものか、しばらく周りの学生が何やら真剣にカリカリと音を立てて書いているのをぼんやりと眺めていました。けれども私もこのまま何も書かないというわけにもいかず仕方なく、自己紹介とはまったく関係のない『ぼくがさかなだったころ』という空白だらけの詩を即興で書き提出しました。次の週、返ってきた原稿用紙を見ると、タイトルの横に赤いインクで、『A+』と書かれていました。最高点でした。A+は二名だけ、と准教授は言い、スティーブン・キングが好きだと言うもう一人のA+である男子学生の原稿用紙のコピー(私は霊を見たことがある、という書き出しで始まるその学生の散文は、段落分けするのも惜しい、というくらいにぎっしりと最後まで文字で埋め尽くされていました。)を皆に配り、それを見ながら講義を進めていきました。最後まで私の名前も、私の詩も、話に出てくることはありませんでした。




  『開襟シャツ』


  人生というのは死ぬまでの間の
  壮大な暇つぶしに過ぎんよ、君

  と助教授は笑った
  日々は青葉のように眩しくて

  言葉はいつも僕に寄り添い
  いつでも僕を置き去りにする

  初夏、汗ばんだシャツの胸元を開け
  風を迎え入れる

  身震いするほど美しい詩を一篇書いて
  死んでやろうと思ってた




(ダサイ先生のこの詩、読んだ時思わず息が止まりました。これはまるっきり私のことですもんね。心臓まで止まりそうなほど驚きましたが、大ファンであるダサイ先生に私のことを書いていただけた喜び、どうしてもお伝えしなくてはと思い、このお手紙を書いています。)

 授業にも試験にも出ないまま一年が過ぎ春休みに入り、私は父に呼ばれました。大きな黒い座卓の上に、不可とすら書かれていない白紙の成績表を広げ、父は言いました。「詩人になるっていう夢は諦めたのか」 いつ私が会話もなかった父に「詩人になりたい」などと告白したのか、それは今となってはわかりませんが、私は恥ずかしさと悔しさで、芸術は人から教わるものではない、自らが感じるものだ、勉強なら大学でなくても出来る、と負け惜しみを言いました。父は呆れたのか諦めた様子で、それ以上何も言いませんでした。学生という肩書きを失い、ひっそりと社会に放り出され、今こそいよいよ死ぬべき時が来たように思いました。母と同じく手首を切ることも考えましたが、今私に必要なのは手段でも方法でもない、死ぬ覚悟なのだ、と思い真夜中、マンションの非常階段を上り地面を見下ろし、煙草に火を付け、それから遠くの灯りをぼんやり眺めたりしました。

 結局いつまでたっても死ねないまま、私は二十歳になり、バイトで貯めたお金をもとに、念願の一人暮らしを始めることになりました。築三十年はたつであろう、ボロボロのアパートでしたが、日当たりの悪い薄暗い四畳半の部屋で一人私は、もう二度と誰の言うことも聞かない、と決意しました。カサカサ、と背後で音がして振り向くと、ザラザラした土壁の上のほうで、赤茶色のゴキブリのつがいが交尾しているのでした。

 バイトの給料が月十万程度の、PCどころかエアコンもテレビも冷蔵庫もない貧相な生活の中、ネットの片隅で新たな詩の世界が広がっていたことなど知る由もなく、私は次第に詩から離れ音楽に傾倒するようになりました。詩は音楽に負けたのだ。詩は歌詞に負けたのだ。本当はただ、私の才能がなかっただけなのですが、どうしてもそれを認めたくなかったのです。『elf』という占いの月刊誌がありそこの読者投稿欄に、ricoというPNでイラストを添えたポエムを投稿し常連になっていましたが、その雑誌もしばらくして休刊となり、また私自身の生活も、フリーターとして何度か転職を繰り返した後にようやく正社員の仕事に就くことができ、あれだけ怖れていた『社会人』というごく普通のありきたりで忙しない日常を送る中で、次第に私は、詩を忘れていきました。詩を忘れることでようやく私もかつての、いずれは死ななければならない出来損ないなどではなく、『普通の人』として生きていく資格を得た、今となってはそんな気もするのですが、果たしてそれが本当に良かったのか悪かったのか、たった二枚の原稿用紙ですら埋めることのできなかった空白だらけの私の詩は、そのまま私の生き方のようでもありました。




  『雨空』

  生まれ変わったら詩はもうやめて
  絵描きになろうと私は思う

  小さな屋根裏をアトリエにして
  来る日も雨の絵ばかりを描こうと思う

  灰青色の絵の中で
  雨に打たれている少女は

  何かを叫ぼうとするのだけれど
  私は詩はもうやめたのだ

  晴れることない雨空で
  いつも私の胸は濡れている  




 詩を書かなくなってからも、完全に詩を諦めてしまったわけではなく、心のどこかで、誰にも読まれなくてもいい、自己満足でもいい、この詩を書くために生まれてきた、この詩があれば生きていける、そんな詩を死ぬまでに一篇だけ書いてみたい、もしかしたら心のどこかにそんな淡い思いがまだ残っていたのかもしれません。空白を抱えたまま月日を過ごし三年前、初めて詩のサイトを見つけた時の私の喜び、おわかりいただけるでしょうか。私はすぐにネットポエムにのめり込みました。今では数人の詩友ができ、皆で同人誌を発行しています。ダサイ先生のことは、そのお友達の一人に教えてもらいました。「詩賊っていう詩誌ができたよ」って。そこで初めてダサイ先生の作品に触れ、すぐに魅了されました。いつかは先生にお会いしてお話ししてみたいと思っていましたが、まさか先生も私のことを思ってくださっていたとは!

 自己紹介のつもりで書き始めたのですが、結局いつもの、感傷的な自己憐憫、自分語りになってしまいましたね。ダサイ先生にはそんなこともすべてお見通しでしょうから、恥ずかしいですが、このまま投函します。

 寒くなって来ましたので、お体には気をつけて。これからも、いい作品を楽しみにしています。MC、マイコメディアン、ダサイ先生。

 それでは、また。おやすみなさい。



 *****


 何が、「それでは、また」だ。
 私はとにかく不快だった。
 今まで、これほど薄気味の悪いファンレターをもらったことは一度もない。
 ろくに眠れないまま一夜明け、日中もあれやこれやと煩悶しながら家の中をうろうろ歩き回り夕方、「どうでしたファンレター?」と嬉しそうにやって来た葛原君にこの手紙を見せると、いつもは場を和ませようと口下手な癖に無理して明るく振る舞う彼もさすがに、「いや、まあ……」と言ったきり苦笑いを浮かべて黙りこんでしまった。
 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ。
 どちらからというのでもなく、これではどうもやりきれねぇ、酒でも飲むか、自然とそういう流れになった。

 詩なんか書くヤツみんなクズ。
 詩なんか書いてもクズはクズ。
 残念ながら、詩は、あなたを悲劇から救わない。
 むしろ、喜劇を増すだけだ。

 どうして私にはこうもクズばかりが寄ってくるのだろう。
 認めたくはないが仕方がない。
 自らクズを招き寄せ、クズを糾弾し続けること、どうやらそれが、私のライフワークとなるらしい。
 因果応報。
 死ぬまでやってろ。
 これが喜劇ではなくて何だと言うのか。

 私はちびちびと飲みながら考える。
 葛原君は、名前にこそクズが付いてはいるが、人の幸せを願い、人の不幸を共に悲しむことが出来る、のび太みたいないいヤツだ。
 今はしがないアルバイト編集者として、編集長や先輩たちにパシリのように鼻で使われてはいるけれども、将来的には作家を目指し、内緒で小説を書いていることを私は知っている。
 いつかコイツを、私のようなクズのもとから巣立たせて、立派に羽ばたかせてやりたい。
 私は物書きの先輩として、それは、けして、とても誉められた先輩ではないのだし、反面教師にしかなれないのだが、私には私の背負ってきた美学がある。
 黙って、男の背中を見せてやるつもりだ。
 最近では葛原君も、私が良からぬことを考えていると、勘が働くようになってきたらしい。
 帰り際、振り向き様にこう言った。
「あんまり変に刺激しないほうがいいですよ、先生。どんな相手だかわかりませんから。」
 言わずもがな、そんなことは百も承知、こういう、作品と自身の現実の区別が付かない異常者が、いずれ悪質なストーカーへと変貌するのだろう。
 心配ありがとう、しかし私は、痩せても枯れても無礼派だ。
 無礼の道を突っ走る。
 私は彼女に返事を書いた。

「初めまして。
私はあなたのことなど知りません。
私があなたをモデルにしたなどと、つまらん言いがかりはやめて頂きたい。
大層な身の上話をご披露してくださったようですが、ずいぶん陳腐なフィクションですね。
あなたのような詩に溺れたクズが、私は死ぬほど嫌いです。
酒が不味くなる。
詩は、いや、人生は、私小説くずれの慰みものであってはならないと思います。
ただ、生きてあれ!
ぼくがさかなだったころ?
およげたいやきくんかおまえは!」

 深夜、時計の針はもう一時を回っている。
 返信を封筒に入れ、丁寧に糊付けし、〆、を書こうとしたその時だった。
 突然、携帯の着信音(燃えよドラゴンのテーマ)がけたたましく鳴り響いた。
 こんな時間に誰なのだろうか……。
 妙な胸騒ぎがする。
 葛原君ではない、直感でそう思った。
 まさか━━?
 私は封筒を表に返し、先ほど書いた宛名をじっと見つめた。
『宮澤百合子様』
 この胸騒ぎは、間違っても、恋、などではない。
 得体の知れない恐怖に、私は思わず身震いした。

文学極道

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