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りす - 2008年分

選出作品 (投稿日時順 / 全6作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


靴下

  りす

今日も何人かが旅に出て
靴だけが
ハの字に残された
僕は靴下を脱ぐついでに
膝を抱えようと思ったのに
今日は手が短い
ハハハ、おかしーなと 
頑張って肉を伸ばしても
手が短い
脱ぎたての靴下が
床でボーっとしている
足を抜かれたばかりで
やる瀬無いのはわかる
でも、もう少し
きちんとしてほしい
僕は膝を抱えて
裸足で行っちゃった人の
旅の無事を祈りたいんだ
でも、今日に限って
手が短い
足りない物は 身近な物で 補うべきだ
放心状態の靴下を拾って膝に回す
両端を持つとギリギリ、
膝を抱えることができた
靴下の爪先は 湿って冷たい
いやな匂いもする
でも、靴下のおかげで
今日はなんとか 祈ることができた
キッチンでは健康サンダルの妻が 
動物の肉を温めている


岸辺

  りす

母が岸であることをやめ
誰も橋を架けなくなった

水が溢れそうになる日は
父が対岸に先まわりした

父が見逃した水があれば
息子がその隙間を埋めた

母は岸に背を向けて
自分の醜さを恥じた

醜いから遠くへ行くのだと
母は岸であることをやめた


青い魚

  りす

部屋に水槽のある
暮らしがしたいと
僕は希望する
木目が清しい
床板で跳ねる
葉書大の
青い魚を
硝子の小部屋へ還したい

魚は
水を渇望すると自ら
腹を割いて披瀝する
泳げなければ
自負から自由になり時間に
抗議する権利があると
鱗の鎧で
半身を防御しながら
弱い腹を誇示する

飛び出した浮袋は
人目に触れても
容易に破裂には走らない
汚れた床を転がり
粘性の
もどかしい光を曳いて
あした浮かべる体を求める
落命しないのなら
周遊しなければならないと

溺れない
華奢な保証に宛てて
今日も一枚の魚が
この部屋に配達される
水槽が無い
想像もできない不始末が
魚を苦しめるとしても

君は
片膝をついて
床の汚れを拭きとる
ウェットティッシュが三枚
魚の内臓のために消費される
君はため息をついて
暮らし向きなど尋ね
足早に部屋を出て行った
きれいな床と
魚の青い部分だけを残して


新車

  りす

君が死にに行くというので
僕は道々に立って案内をした
長いつきあいだというのに
君は他人行儀に礼を言って
重たい頭を下げて通りすぎた
君の髪の甘やかな香りを
僕が覚えていようと思った

隣の斉藤さんは新車を買ったので
誰かを乗せたくて仕方がない
なんなら送ってくよ
ナビだってあるし
そう言って君を誘うけれど
車ではちょっと早すぎるので、と
君は丁重にお断りした

街灯に照らされる君の顔は
年々若返って青白くなり
薄暮と黄昏のあいだに溶けて
ときどき見失うようになった
それでも君が迷いそうな時間に
僕は標識のように道々に立ち
君の行くべき方向を
ひとさし指で示した

君が通りそうな道を
僕はどうして知っていたのか
後日、斉藤さんに尋ねられたけれど
それは僕にも分からなかった
僕のひとさし指がピストルに見えたと
後日、君は言っていたけれど
それは斉藤さんには言わなかった
新車の匂いってたまんねーな。
どっか行きたいとこあるかい?
斉藤さんはまた新車を買ったので
誰かを乗せたくて仕方がない


仔鹿

  りす

引き摺っていた仔鹿が抵抗するのだ
細い前脚を踏んばって前へ
前へ前へと歩み求める
張り切った臀部の若い筋肉
いま、一本の針があれば
仔鹿の表皮は破裂する
裂けた勢いで生まれた風は
想像力の遥か前方へ
千切れた仔鹿を運ぶ動力だろう、破れ、
破ってくれ、破れ、と
アスファルトを掻き毟る耳障りな命よ
仔鹿よ 
私はまだ迷っている
いま、一本の縄だけが
仔鹿と私を繋いでいる
ある少々の手応えの為に
私はこいつの首に縄をかけ
どこへでも引き摺って歩いた
これは何という動物かと
人々は尋ねたが
見ればわかる
という答えが逆に
問いかけになるのかいつも
人々の顔は不満そうだ
そんなとき私は
仔鹿を偽善的に道から抱き上げて
足早に街を去るのだ
仔鹿の名前は
アー、とか 
ウー、とか
およそ価値のない反射の集合で
恥ずかしい結合を実現している
恥ずかしくて走り出したい
そうなんだろう、仔鹿よ
前へ前へと逃げたい仔鹿よ
あいにく
そっちは後ろなのだ
さいわい
仔鹿が重荷なのか私が重荷なのか
誰にもわからない
したがって
どちらが前なのか後ろなのか
決める自由が残されている
おや、角が、と言って
仔鹿の頭を指さす他人がいて
その一本の指によって
私の蒙昧は破られ
破れ目から時間が鋭く流れ込む
角は何度も生えかわるが
仔鹿はいつまでも仔鹿のままだ
角は生えかわるたびに違う角度を持ち
何かをしきりに狙っているようだが
狙っているという構えが
仔鹿を仔鹿のままに留め置くのか
いつの日か仔鹿はその角で
私を破裂させるのだろうか
仔鹿よ、お前もまだ迷っているのか
私はいつまでもいつまでも喋っていたい
この少々の手応えがあるうちは
お前と私は離れられない
お前が抵抗を続ければ
お互いに消耗もするが
逞しい筋肉もつくだろう
筋力と想像力を天秤にかけて
どちらの膨張に賭けるべきなのか
そんな勇ましい決断を
私とお前の軽いユニットで分かちあう頃には
私の頭にも一本の角が生えて他人が
おや、角が、と指をさしてくれたらいいと思う


冷製の夜

  りす

さめてしまう眠りのなかに
鉄のスプーンをさし入れ
夢のとろみをまわす
まだ温かい
液状のわたしはどこへでも流れ
私をすくう匙加減は
夢のなかでも 夢ではない

夜という浅瀬を破り
小舟たちが眠りへと漕ぎだす
数人の仮死と袖が触れあう
夢をみたと言えば許される人の
口を摘みにやってきたという
青く錆びたスプーンを
口元に強く押しつけられて

寝苦しい夜のふちに手を掛け
眠りを傾ける
唇を寄せて
冷めた夢を啜る
水っぽい私の味がして
暗闇でじわりと
喉が鳴る

華奢な小舟の腹を噛むと
甘い血が舌を走った
まだ温かい
わたしが手足に運ばれ
夜半 
満ちるように
ふいに上体を起こす

文学極道

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