#目次

最新情報


ゆえづ - 2008年分

選出作品 (投稿日時順 / 全4作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ビオトープ

  ゆえづ

庭は母があらたに植えた花々で賑やかだったけれど
ガーゴイルと仲良く膝を抱える花壇脇
日がな枯れたヒナゲシを眺めて過ごした僕は
言葉に忘れられた詩人のよう
横たわる風景に多くを望まなくなって
ただじっとひそかな企みを抱いている
くすぐったさが底から込み上げてくるような腹の中で今日も
君と僕が生み出した大きな悲しみを育てている

ひとりきりの夜は眠った
破かれる事もない白紙を抱いて
休まる時を知らない秒針だけがチクタクと笑っていた
僕のありったけを押し込んだ寝床で
こころというこころを殺しながら

こっそり君と待ち合わせた放生池へと
パン屑を片手に迎う真夜中には
目を細めた月が僕を見逃した
いつの日もたくさんの鯉が僕らの影を待っていた
君の黒髪に光るヘアピンが夜の森に走り消える星のようだとか
透けて見える静脈が街灯に浮かび上がる水中の河骨そっくりだとか
とりとめのないお喋りに夢中になっている僕を
虚ろな返事を水鏡に濁しながら
プリンのシール蓋を剥がす時の軽やかな手つきで君は
ヒナゲシの実をひらりと裂きちいさく笑った

そうして時間がどこまでも透けてゆくのを待った
二人して石像のように青ざめて
やがて息を殺した朝靄の中
鯉が水面に散らばる言葉を縫ってゆく
千切れる顔は掬うもたやすく舞い落ちて
音もなく沈みゆくパン屑のひらひらと招くその息づきを
死んでいるように見つめ合う池端
野犬の一吠えに水面が凍る

こぽりと洩らした君のあくびが
水面に伸びやかな円を描いてゆくのをただ
薄い胸びれの隙で待っていたんだ
眠たいフロストガラスに響き渡る声
胸びれに見え隠れして
ためらいがちに揺れる光彩の中
夢見のままに華やいで君
静寂の青さにくすぐられていた夏休み

(いつしか僕の庭は見慣れぬ花でいっぱいだった)

ちょうど吹き抜けた風に乗って
少年の胸ポケットへするりと忍び込んできた君を
僕はまた大層大事に育て始める


めくるめく角質

  ゆえづ

世界中のぬるみがピンヒールの尖先に削られて
壊れたスピーカーから途切れがちに
繰り返される気疎い脈動
カンカンカン
踏み切りの向こうには昨日がいる
明日とまったく同じ顔の

カラスが飛び立った電柱では
剥がれかけたチラシがひらりと揺れる
コンタクトをつまんで視界を剥がすが
なおも空は濁っている
ガリガリ
強ばる呼吸を追いかけ
スケジュール帳で割かれている
この不都合な身を
ひときわ四角い我が家へ再び押し込める

マンションの門扉には切れかけた灯り
夕闇のなか白々と
不規則に明滅するエントランス
剥き出しのコンクリートを一層不気味に見せて
体温は
階段のそれぞれのステップから
したたるように次々と
腕時計の秒針に刎ねられて次々と
ずり落ちる
ぬめらかに夜は肌へ垂れさがり

少し内側にへこんだドアを開けると
ブシュッと音をたて飛んでいく物
換気扇のフィルターか除湿剤か理性か
ゴキブリの一匹すら見かけぬこの部屋だ
はたして健康的なんだろうかね
クローゼットに本棚にはらわたと
あらゆる収納の中身は
すべてがゴミだったというのに

パソコンの隣で
ついにはサボテンがひからびる
メールの文字がパラパラと崩れ落ち
バランスを失った角質層みたい
くたびれた三十女が一人笑う
笑うも一層ひび割れて
褪せて乾く秋口の
スキンコンディションは最悪だ

だから一つ
ネズミの通路にも使えないその隙に
正しい言葉を一つ挟むなら
なるべく軽くて薄いものをと
じわりじわりと漏洩する私を
多い日でも安心ですと
両腕を広げて迎えてくれるような
そんなしなやかな朝を
腫れぼったい目でシュレッダーの中
今夜も探している

やがてゴミ山でのた打つ朝が
バインダーのとじ具から逃れ
やっとのことで這い出してきた本能
まだかろうじて使い物になるだろうそいつでもって
私の日常をめぐる
世界のメンテナンスは行われていた

胸につかえた昨日は
ぬるいエビアンで流し込み
くすんだ鏡の前
きゅっとリップクリームを一塗り
入り組んだ雑踏の中
携帯もタバコも砂利銭も
この皮膚のようなポケットに
よく馴染むってことの
何が悲しくて泣かなければならない

 飛んでいったペットボトルのキャップは
 誰かの日常を挟んでいただろうか

仰いだ空は晴れあがり
飛行機雲がただ白い
背筋をぴんと伸ばしたまま
今日も私は健やかで
プリーツスカートのまっすぐな折り目を
それは美しく歩く


イエネコ

  ゆえづ

僕は倒れやすいけれど折れにくい
世間ではそれを図太いともいうらしい
僕は角じゃなく円
線じゃなく点
この肉球を見れば分かるだろう

君はなかなか倒れないけれど折れやすい
世間ではそれを人間というらしい
君は水平じゃなく垂直
曲線じゃなく直線
それもなぜかって知っているよ
君は
たとえその肉体が果てようとも
立っていなければならなかったからだろう
ああそうともさ
それは僕を守るためにでもあったね

だけれどね
そんな君が倒れるような日は
とても修復の利かない

確実にラストだと思うのだよ
そのときクッション代わりになれるのは
僕しかいないじゃないか
なぜかってそれは
バランスを取ることが僕の特技だからさ
こう
尻尾をうまく使ってね
サーカスの玉乗りのように
空間をグニャリとひん曲げてやるのさ

食っているか寝ているか
そうでなければ毛繕いしているだけだって
のんきなことを言うのじゃないよ
それもこれもれっきとした僕の務めじゃないか
君を包み込むための
にんげんをにんげんたらしめるための
僕は
そのためにやってきた神様の使いなのだからね


そう
君が倒れるような日は
君が倒れるような日は


こんな夢を見ているのだ
窓辺でひなたぼっこしながらね
だけれどまだ内緒だよ
だってこれきっと愛だもの
救いようもなく転んじゃっているのは
僕かもしれないからね

はじめから寝転がっていたけれど


ハイプ

  ゆえづ

洗面台で蛇口をひねる午前5時
鳥のさえずりは黄色に跳ね
カルキ臭が洗面ボウルにつうんと鳴り渡る
窓から眺めるアパート前の公園は
つけっぱなしのパソコン画面そっくりに
生臭い陶酔とわずかばかりの現実感を持って
うす暗い浴室をしらじらと照らしあげる

8時の窓から眺める公園はハレムだ
垣根のトケイソウ群が
しなやかな手足をぐねぐねと金網に絡ませ
大きな瞳をしばたたかせている
擦れ合うながい睫毛から立ちあがる
甘く切なげな香りが
今にもこちらまで漂ってきそうだった
私はうやうやしく髪を結いながら
窓枠にもたれかかり
通りを過ぎる大きなランドセルを背負った少女達の
その痛ましいほどの細い身体を
ただ口惜しげに見送っている

午後になるとすり鉢の錠剤を砕く
それから完全に粉末になったこれを
スプーンで瓶口からさらさらと落としていく
瓶を片手に画面をスクロールする
ミルクシェイクをあおるたび
並んだ文字列がガラスの中を落ちていく
タバコの先で腕に印をつける
今日で253個目となるそれらは
皮膚で規則的な模様をつくっていた

廊下に散乱するビデオカセットを蹴り退け
再び浴室へ引っ込む午後4時には
充満する蒸した藁のような匂いが
柔らかな雨を知らせていた
全身に泡立てたボディソープを塗りたくる
眉から脚にかけての体毛という体毛を
執念深く剃り落としていくカミソリ
刃は大抵1週間で駄目になる
キャビネットの香水の空き瓶には
錆びた刃が累々と積みあがり
青臭い感傷という名のこのオブジェを眺めながら
浴槽のクレゾール石鹸液に沈むあいだ
私はしばらく死体のふりをしている
窓をびたびたと打ちつける雨
吹き溜まる妄想
常に苛まれている私が
なによりあなたを高揚させただろう

つなぎ寝巻の袖から伸びたごつごつした手指が
静かに録画ボタンを押す午後6時
窓ガラスにぼやりと映るおさげ髪の中年男
これはまた派手にやらかしてくれたね
蹴りあげた鉄格子の向こう
7時の面会にやって来たあなたが微笑む

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.