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あやめ - 2018年分

選出作品 (投稿日時順 / 全2作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


冬のあいだ

  あやめ


ふきぬけのなかで どれだけ剥がしても立ち現れなかった 水差しにまとわりついた影や 宝石をふくめて ひらいた風景はうしろへ うしろへ流れていく だから 椅子にすわる そして 椅子をたたむ 湾曲したこの体が 過去なのか それとも現在なのか いつまでも わからない



とじた窓のちかく たむろする草花を掻きわけ 到達した光の斑は あかるかったか それとも ふかくつめたかったか くらい部屋のなかでおもては 眩むほどゆたかに錯綜し はいり込んできては すりぬけていってしまう 風の やわらかな裾の 水をたたえた浴槽のような 窓にむかってのびる廊下のてまえ 貝殻めいた 階段めいた 動悸がする



しろい壁にかけられた1枚の絵の 脈絡もなく 水鳥たちが飛びかう 鳴きごえはあらかじめ 録音されたものだったのに うつくしく響いた くりかえしくりかえし ひんやりとした室内で やわらかな猫を抱くということは こういうことなのだと 凝固ではないえいえんの 耳のようにふくざつな草花は やはり くりかえし 風になぎ倒されて 比較的ゆっくりと 沈静していく


密告

  あやめ


これはなんだろう


つきうごかされてようやっとうごいている先端 というかんじ


蝿につきまとわれて


蝿をおいはらうしぐさをゆめの中でもくりかえしている
右手をひらひらさせて、関節を鳴らす、プール している
それは、死んでしまった野鳩の目目のようであるが 食器と食器のぶつかりあう音とはほど遠く まひるの浴室にひってきする静けさをたえまなく滴らせている、くぐもらせている 、から、だから とてもよかった
とても しろい貝の
臓物)とでもいうのだろうか
ひかりに透ける襞を反芻して、そして、長いあいだ密閉されていたため 窓をあけた瞬間 以外のものはみなふき飛ばされてしまった
水にまつわる名前の広場で
いたずらに耳をすまして
ひとかたまりになった感覚たちは
夢やうつつのなかへ投げ落とされる、器
動物の骨でできた器、そのように生きることを強く希望していた
記憶
とおいとおいむかし
遭遇した
赤ちゃんや、友人や、モニュメントなどは今
どこで どうしているのだろう


どうしているのだろう、考える
ここにアーカイブされている文書の、せつないほどひろい平原に浮かぶ、あの、遊覧船のような雲は透きとおる、習慣である、確実に流れていく存在、であるから
滞留している
また そのような場所の


とても長い廊下に佇んでいる
等間隔にならんだ窓はすべて開けはなたれていて、流れこんでくる
もの たちはしなやかな未成熟の月であったし、水際のカーテンでもあった
だから、今が夜であり あれからとてもながい月日が経過したのだと、気づくことができた
気づく ことができて
ここにいるような気がしない
それでいて確実にここにいる
わたしは いつもひとに優しくすることができなかった いつも
月のひかりで明るい
窓の外には、誰もいないなだらかな丘が続いている
性的な夢のように なんの脈絡もなく
始まりがあって、そしてとうとつに終わる
やわらかな、しろい、次の場所、になりながら
とうとつに 終わる。


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2016年(多分)に石川史夫さん主催の賞に投稿した詩を少しいじったものです。

文学極道

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