#目次

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2010年01月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


塩小路

  津島ことこ

*化石

ならない電話をのみこんで
渦まくコードの
耳から漏れる
おとのかたまりを見つめてた。


*氷菓

たて波の断面のように
歯こぼれしていた、
底冷えのあさ
薄切りのきゅうりを
しおもみする
あなたの手なれたてつきは
迷いひとつなく

(ちそうをてさぐる
(はりめぐらされた地下鉄
(ぼうぜんとしながら、とおりすぎてゆく
(息つぎの しろい
(雑踏

おどろくほどかるい
すかすかの骨を並べて
路線図を模すと
せいぜんとした、標本のように
収められてゆきます


*流木

しもやけが
路肩のあたり
いちめんを覆う
わきたつ感触

まざまざとあらわれる
干渉縞の
波うち際で
(かつて根があり、気孔があった)
幹は
流線をとどめたまま

交錯する袋小路で
削ぎ、おとされた
受話器を置く


THE GATES OF DELIRIUM。

  田中宏輔

 
 間違って、鳥の巣のなかで目を覚ますこともあった。間違って? あなたが間違うことはない。Ghost、あなたは間違わない。転位につぐ転位。さまざまな時間と場所と出来事のあいだを。結合につぐ結合。さまざまな時間と場所と出来事の。Ghost、あなたは仮定の存在である。にもかかわらず、わたしたちは、あなたがそばにいれば気がつく。あなたが近づいてくるときにも、あなたが離れていくときにも、わたしたちには、そのことがわかる。Ghostは足音をさせて近づいてくることがある。Ghostは足音をさせて離れていくことがある。Ghost、あなたは仮定の存在である。かつて詩人が、あなたについて、こういっていた。あなたは、わたしたちが眠っているときにも存在している。わたしたちの夢のなかにもいる。そうして、わたしたちの夢のなかで、さまざまな時間と場所と出来事を結びつけたり、ほどいたりしているのだ、と。Ghost、二つの夜が一つの夜となる。いくつもの夜が、ただ一つの夜となる。いくつもの情景が、ただ一つの情景となる。何人もの恋人たちの顔が、ただ一人の恋人の顔となる。結ばれては、ほどかれ、ほどかれては、結ばれる、いくつもの時間、いくつもの場所、いくつもの出来事。Ghost、あなたは、つねに十分に準備されたものの前にいる。あなたにとって、十分に準備されていないものなど、どのような時間のなかにも、どのような場所のなかにも、どのような出来事のなかにも存在しないからである。Ghost、あなたはけっして間違うことがない。わたしたちはつねに機会を逃す。あなたはあらゆる機会を的確に捉える。Ghost、わたしたちはためらう。あなたはためらわない。わたしたちは嘘をつく。あなたは嘘をつかない。Ghost、わたしたちは否定する。あなたは否定しない。わたしたちは拒絶する。あなたは拒絶しない。Ghost、わたしたちは、ゆがめてものを見る。あなたは、ゆがめてものを見ない。わたしたちは、何事にも値打ちをつける。あなたは、何事にも値打ちをつけない。しかし、Ghost、わたしたちは、わたしたち自身について考えることができる。たとえ、それが間違ったものであっても。あなたは、あなた自身について考えることができない。そもそも、考えるということ自体、あなたにはできないのだから。それにしても、Ghost、わたしたちが夢を見ているときのわたしたちとは、いったい、何ものなのだろうか。それは、目が覚めているときのわたしたちと同じわたしたちなのだろうか。わたしたちは夢と同じものでできているという。何かあるものが、夢になったり、わたしたちになったりするということなのであろうか。しかし、Ghost、あなたは夢ではない。あなたは夢をつくりだすものである。夢を見ているわたしたちと、あなたが結びつけるものとは、同じものからできているのだが、あなたは、その同じものからできているのではないからだ。Ghost、あなたは夢ではない。夢をつくりだすものなのだ。ときに、あなたが結びつけるものが、わたしたちを驚かすことがある。べつに、あなたは、わたしたちを驚かそうとしたわけではない。ただ結びつこうとするものたちを結びつかせただけなのだ。Ghost、ときに、あなたに結びつけられたものが、わたしたちに、わたしたちが見なかったものを見させることがある。わたしたちに、わたしたちが感じなかったことを感じさせることがある。それは、あなたが片時も眠らず起きていて、ずっと、目を見開いているからだ。Ghost、ときに、あなたが結びつけたものに対して、不可解な印象を、わたしたちが持つことがある。そういったものの印象は、結びつけられたものとともに、しばしばすぐに忘れられる。わたしたちには思い出すことができない。あなたは、すべてのことを思い出すことができる。結びつけられるすべての時間と場所と出来事を、それらのものが醸し出すすべての些細な印象までをも。おそらく、わたしたちは、あなたが結びつけた時間や場所や出来事でいっぱいなのだろう。そのうち、どれだけのものをわたしたちが記憶しているのかはわからない。Ghost、あなたが、わたしたちの夢のなかで見せてくれるものが、いくら不可解なものであっても、それはきっと、わたしたちにとって必要なものなのだろう。しかし、どのような結びつきも、あなたにとっては意味のあるものではないのであろう。Ghost、ときおり、あなたのほうが実在の存在で、わたしたちのほうが仮定の存在ではないのかと思わせられる。ときに、わたしたちは、あなたに問いかける。しかし、あなたは、わたしたちに答えない。わたしたちは、わたしたちの問いかけに、みずから答えるしかないのだ。あなたは、わたしたちに問いかけない。そもそも、あなたは問いかけでもなければ、答えでもないからだ。しいていえば、問いかけと答えのあいだに架け渡された橋のようなものだ。Ghostは目ではあるが口ではない。見ることはできるが、しゃべることができない。あなたは、わたしたちの魂の目に、あなたが結んだ時間や場所や出来事を見せてくれるだけだ。Ghost、あなたにとって、あらゆる時間と場所と出来事は素材である。わたしたちには思い出せないことがある。あなたには思い出せないことがない。Ghost、あなたは言葉ではない。しかし、言葉と似ている。言葉というものは、名詞や動詞や形容詞といったものに分類されているが、これらは身長と体重と体温といったもののように、まったく異なるものである。一つのビルディングが建築資材や設計図や施工手順といったものからできているように、Ghostによって、さまざまな時間と場所と出来事が結びつけられる。わたしたちのなかには、わたしたち自身がけっして覗き見ることのできない深い深い深淵がある。あなたは、その深淵のなかからやってきたのであろう。Ghost、詩人は、あなたのことを、あなたがたとはいわなかった。たとえ、たくさんのあなたがいるとしても、結局、それはただ一人のあなただからだ。あらゆる集合の部分集合である空集合φが、ただ一つの空集合φであるように。そうだ、あなたは、あらゆる時間と空間と出来事の背後にいて、あるいは、そのすぐそば、その傍らにいて、それらを結びつけるのだ。既知→未知→既知→未知、あるいは、未知→既知→未知→既知の、出自の異なる別々の連鎖が、いつの間にか一つの輪になってループする。この矢印が自我であろうか。言葉から言葉へと推移するこの矢印。概念から概念へと推移するこの矢印。Ghostは、詩人によって、自我と対比させて考え出された仮定の存在である。わたしたちの身体は、同時にさまざまな場所に存在することができない。あなたは、同時にさまざまな場所に存在することができる。ここだけではなく、他のいかなる場所にも同時に存在することができる。Ghost、わたしたちの身体は、現在というただ一つの時間に拘束されている。あなたは、いくつもの時間に同時に存在することができる。あなたはさまざまな時間や場所や出来事を瞬時に結びつける。それとも、Ghost、さまざまな時間や場所や出来事が瞬時に結びつくということ、そのこと自体が、あなた自身のことなのであろうか、それとも、さまざまな時間や場所や出来事が瞬時に結びつくということ、そのことが、あなたというものを存在させているということなのであろうか。image after image。結ぼれ。結ぼれがつくられること。夢の一部が現実となり、現実の一部が夢となる。真実の一部が虚偽となり、虚偽の一部が真実となるように。Ghost、いつの日か、夢のすべてが現実となることはないのであろうか。いつの日か、現実のすべてが夢となることはないのであろうか。一度存在したものは、いつまでも存在する。いつまでも存在する。ときに、わたしたちは、わたしたちの喜びのために、わたしたちの悲しみのために、何事かをするということがある。あなたは、あるもののために、何事かをするということがない。いっさいない。あなたは、ただ時間と場所と出来事を結びつけるだけだ。それが、あなたのできることのすべてだからだ。Ghost、わたしたちは驚くこともあれば、喜ぶこともある。そして、わたしたちが驚くのも、わたしたちが喜ぶのも、すべて、あなたがつくった結ぼれを通してのことなのだが、あなたは、驚くこともなければ、喜ぶこともない。いっさいないのだ。しかし、Ghost、わたしたちの驚きが大きければ大きいほど、わたしたちの喜びが大きければ大きいほど、わたしたちは、わたしたちがあなたに似たものになるような気がするのだ。なぜなら、わたしたちには、ときによって、あなたが、まるで、驚きそのものであるかのように、喜びそのものであるかのように思われるからである。Ghost、間違って、鳥の巣のなかで眠ることもあった。間違って? あなたが間違うことはない。眠ることもない。けっして、けっして。


Sun In An Empty Room

  ヒダ・リテ


大型犬の 散策する 
優しい 午後の マヨネーズ 
黄色く 伸びた 煙突から 
はみ出した 
無口な暮らし 
「黄色いね」 

幼い君と 幼い僕が 
樽の係と 風の係で 遊んだ庭に 
今は 四足歩行の 毛むくじゃら 
眺める 君の 腕の中 
幸福の王子は 
「居眠りばかり」 
と君が言う

デタラメの 
ヘブライ語で 書かれた 
紙切れの 父は 
「人間です」 
いつも 
悲しい 理由で 
風変わりな 戦争をしている 
虫たちが 
機関車で 引きずり倒す 
豊かな 世界 
僕は 
寝ぼけ眼で 武器を取る

週末 
あちこちで 
タイプライターの 音がする 
並木道 
床屋では 
世界中の 淋しい子犬を 
走らせる 
新しくて 愉快な 実験 
振り返って 君は言う 
「あなたって テトラポッドのような 人ですね」

やがて君は くたびれた 
毛沢東に 敬意を表し 
楕円形の プールで 
午後を過ごす 
僕は 芝生に 寝っ転がって 
ぼんやりと 見える 
健全な 窓から 
見覚えのない 足が 
ふわり 
風に吹かれて 父が 
ふわり

個性的な 自殺について 
論議する 
素晴らしい 手紙を 待っている 
たくさんの 子犬たちと 過剰に戯れ 
父の 精神状態は 
今は 安定している 
たぶん 僕と君は 知っていた 
とてつもなく 高い天井の 
医者のこない 完璧な一日


冬の散歩

  鈴屋


マフラーを首にひとまき
「タバコを買いに」と妻の背に告げ、おもてに出る

真新しい電柱がならぶ新開地を行く
鉄線柵にかこわれた休耕地の角をまがる
雨戸を閉めた住宅の庭で、黒い犬がはげしく吼えている
私の鼻先で輝く巨大な牙と舌
遠近をうまく調整できないでいる
光と影がすさぶ
どこかでプラスティックが燃えている
駅のほうへ向かう                   
                   
   消火栓の標識のかたわら
   妻が私のほうを見て笑っている、レジ袋を下げている
   引っ越し屋のトラックが過ぎ、軽油の焼ける臭いが吹きすさぶ
   まだ笑っている、瞬くように笑っている
   手を振るわけでもない  
   私が見えないのか、それとも私を忘れかけているのか
   ふらつく視線でえんえんと笑いながら遠のいていく   
   妻の名をなんども呼ぶのだが
   その声が当の私にも聴こえない

   *
   
駅前のコンビニでタバコとライターを買う
通常の帰り道をそれてみる
集合住宅が2棟並んでいる
二階のベランダで一枚の黄色いシャツがコメディアンを演じている
クリーム色の壁面に貼りついた矩形のよそよそしい青空
明るい飛行機雲が斜めにかかっている

   閉じられた窓、二度とそよがないレースのカーテン
   テーブルの上では、飲みのこしの紅茶が、時をかけゆっくりと乾ききる
   音のない部屋、鏡にうつっている真鍮のノブ
   そこにある一点の暗い光が、いわれもなくどこまでもこびりつく

   * 
   
来たことのない単線の踏み切りを渡る、道は畑野に入る
せっせと歩いている自分が可笑しい
途中、誰もいないバス停のベンチでタバコを喫う
目の前に冬枯れの桑畑が広がる
いじけた子どもの頭のような瘤が無数ならんでいる

ふたたび歩きはじめる
傾きはじめた日のほうへ向かう 
ひと筋のびている道が地から剥がれ、遠くの林のうえにしろじろ浮いている
褐色の丘陵を越えていく送電塔の列、斜めに刺さっているくさび型の雲
さびしさは方位にもとり憑く
立ちどまり、しばらくは行く手の茫漠を見つめ、踵を返す
   
   深夜
   地平の果てで、世間は冷え切っている

   凍りつく星座の下
   裸の妻が山脈の尾根を駆けぬける   
   膣からつややかな液体がいく筋も垂れて、私を誘う
   裸の私が追いかける      
   背後に追いすがり、抱き合ったままころげ落ち、乾いた朽ち葉に埋もれる
   妻の慟哭がこだまする
   「かわいそ」と妻のうなじにいう、「かわいそ」と妻も私にいう

   *   

疲れたのか、黒い犬が今にも吼えそうに鼻づらをもたげている
ちらと私を見る、吼えるわけでもない
郵便受けには役所からのハガキが一枚ある
居間に入ると、妻が庭にしゃがみこんで、パンくずを雀に投げ与えている
「ただいま」をいう
唇に人さし指をおいて、ゆっくりふり向く
「キジバトもくるのよ」と小声でいうのをタバコに火を点けながら聞く


SENAKA

  debaser

田中、どうしたんだよ、さえない顔して

て、おまえだれだよ、おれ田中じゃねーし

え、おまえ田中だろ、どこからどうみても田中のはずだろ

田中のはずってなんだよ、おまえのこと知らねーし

じゃ、鈴木さ、おまえ久しぶりじゃん

手当たりしだいにありがちな名前で呼ぶのやめろって

なにごちゃごちゃ言ってんだよ、猪木

そういうことじゃねーよ、おまえのこと知らないから

知らないわけないだろ、おれだよ、おれ

いや、絶対おまえなんか知らねって

おれだよ、忘れたのか、おれだよ、猪木じゃないほうの

そんなのどっちでもいいよ、おまえのこと知らないから

あごのほうだぜ

猪木じゃないほうのあごのほうってややこしすぎるだろ

猪木じゃないほうのあごのほうを忘れたのか

いや、だからぜんぜん知らないって言ってるの

猪木じゃないほうのあごじゃないほうは忘れてないくせに

なんだよ、それ

いい加減、思い出せよ、おれだよ、おまえだよ、稲尾様だよ

途中からよくわかんねーし

おまえ、すっかり感じが変わったな、髪切れた?

髪は切れてねーよ

うそつけ、髪切れたでしょ?

切れてねーって

おまえ、どこで髪切れてんの?

しつこいって、

いい加減に思い出してくれよ、おれだよ、おまえだよ、八時だよ

全員集、って絶対言わないから

また、今度おれの家の風呂だけに入りに来いよ

絶対行かねーし、なんで知らねーやつの家に行ってわざわざ風呂だけに入らなきゃいけねーんだよ

親父の背中でも流してみるか?

流すわけねーだろ

親父の背中、めちゃくちゃきったねーぞ

余計いやだっての

親父のちんこくっせーぞ

ここにきて下ネタかよ

じゃ、親父にはうまいこと言っとくから

うまいこと言う必要ねーから

ごめん、親父がくわしい理由を教えろって言ってるから、ちょっと出てくれる?

いつの間に電話したんだよ

なんか親父ちょっと怒ってる

知らねーよ、おまえが勝手なことするからだろ、おまえで処理しろよ

まじで、まじで、やばいって

おまえが謝れよ

親父めっちゃ怖いんだって

知らないって

半殺しの刑だぜ

半殺しの刑かよ、やっべえな

だからやっべえって言ってるだろ、早く出ろ


  あ、初めまして、わたし息子さんの、息子さんの友、友、では、なくてその知り合いといいますか、その、つい最近知り合いになりまして、はい、それで、息子さんが、ぜひ家に風呂だけに入りにこいと、ええ、はい、さようでございます。はい、で、息子さんが、ぜひ、お父様の、はい、ええ、背中を、そのお父様の背中をですね、いえ、そういことではなくて、お父様の背中がきったないとか、そういうことでは、はい、まったくなくてですね、いえ、そういうことは申しておりません、風呂だけに入りにこい、と、ええ、息子さんが仰られましてですね、はい、さようでございます、はい、ぜひともに、お父様の背中を、はい、申しました、知り合ったばかりなのに、お父様の背中をわたしみたいなものが本当に、その流していいものかと、息子さんには、はい、申しました、ええ、息子様がですね、ぜひともに、はい、ひえっ、ひとこともそのようなことは、ただ、わたしは、その、背中流しについては、その、てめえどもの父親の背中を何度も、はい、やっておりましたので、お父様の背中においても、そそなくやれるのではなかろうかと、はい、考えておるしだいでありまして、はい、それは重々承知しておりまして、はい、見ず知らずのかたの背中を流すという、前代未聞といいますか、その、はい、仰るとおりでございます、ただ、息子さんが是非ともにと、半ば強引にといいますか、いえ、そういうことではなく、息子様のお気遣いで、わたしのようなものにお父様の貴重な背中を、ええ、ええ、さようでございます、とはいえ、わたしのようなものが、お父様のようなかたの尊い背中を本当に、ええ、流していいものかというのは、お父様のご気分もございますでしょうし、わたしどもとしましては、無理にとは、はい、いえ、今すぐにでも、わたしは今すぐにでもお邪魔して、お父様の背中を、はい、つもりでございます、お父様の背中様のお調子とも相談されてですね、はい、ええ、おります、息子様は隣でわたしどもの話をお聞きになっておられます、はい、とても真剣に、はい、立派なお子様にお育ちになられて、はい、わたしどもも、ええ、そうですね、ひとえにお父様の、仰るとおりでございます、子供というのものは、父の背中を見て育ちますから、わたし、息子様にお会いしたときにですね、はい、すぐに、はい、この人のお父様はきっと立派なかたであろうと、はい、思いまして、それで、こうやって電話で確認させて頂いている次第でございます、ええ、はい、素晴らしいです、わたし、長年、こっち方面に携わっておりますが、はい、これほどまでに立派なといいますか、はい、素晴らしい親子様とこうやってですね、ええ、はい、仰るとおりでございます、お父様の立派な背中様をですね、早く、早くお目にかかりたいと思ってる次第であります、はい、となりに、おられます、とても立派な面持ちであられます、背筋もきちっとですね、伸びております、ええ、お父様を尊敬されておられるのでしょう、はい、それは充分に伝わっております、もちろん、もちろんですとも、お父様あっての息子様ですから、はい、あ、さようでございますか、ありがとうございます、もちろんです、なにがあっても伺います、明日でございますね、お父様、わたし泣いております、こんな幸せなことがあっていいんだろうかと、はい、わたしのようなものが、ええ、お父様の背中様を、流してもいいのだろうかと、はい、ありがとうございます、明日、明日になれば、はりきって、はりきってお父様の背中様を流させていただきます!


  リリィ

ころころと青い梅の実
明け方の静寂になだめられ
きゅうっと一声
氷砂糖の腹に生る

おいしくなあれ

女が腹をさすり
あたたかくあたたかく
臍から溢れる羊水は
ほのかに甘く、舌先で確かめると
頭をごろり
山吹のあおさ

みみずが障子戸に張り付く
陽炎の日を過ぎると
どうしようもなく匂う
薄い腹を押さえ
ふやけた実を
男が一つ食んでゆく
すっぺえなぁ、すっぺえなぁ
また一つ、また一つ

ひとしきりの蝉時雨に
酒の香がなびき
ようやく静まると
水脹れが手の甲に並んでいた

頬の汗を拭う
転んだ一つを食むと
トロトロと流れる
紅い種が割れ
オギャアと一声
腹の音が鳴る


韓国人のキムさん

  debaser



韓国人のキムさんがくれる
キムさんのキムチは
毎年味が違う
キムさんの家では
キムさんがプラスティックの容器に保管され
保管されたキムさんをキムさんの知り合いが毎日食べる
今年のキムさんの味は
去年のキムチに似ていて
来年のキムチの味は
今年のキムさんに似ている
来年のキムさんは
きっと祖国へ帰っているだろう
それで
なんとなく近くの銀行に行って
ありったけのおキムを金さん宛てに振り込んだ
封筒に感謝の気持ちを
さりげなく記して
それから発作的に
ぼくは飲み屋で発作した



一方午後になると小学生が
一斉下校して
うん千万するマンションのそばで
一斉下血した
小学生が一斉下血した知らせは
誰かが改札口を通るたんびに
一斉配信され
人々は一斉に悲嘆にくれた
たとえば中村君が改札口を抜けると
小学生は一斉下血し
その知らせは一斉配信され
山岡さんが改札口を抜けると
中村君が一斉下血した
中村君が一斉下血した知らせは
一斉配信されなかった
一斉配信されなかった中村君が
もういちど改札口を抜けると
山岡さんが一斉下血した
その知らせは一斉配信されたが
それは中村君の意図したものではなかった




話はキムさんに戻る
ぼくはまだキムさんについてのキムチを
キムさんとキムチ以外にキムさんのことを語り合うほど
そんなに多くは知らない 
708号室に住んでいるキムさんは
ときたま707号室の人に怒鳴られ
今日は301号室の人に怒鳴られている
キムさんの家の間取りは
ぼくが知る限り2LDKだけど
たしかキムさんが入居した時には
2LDKではなかったはずだ
ぼくがキムさんのキムチについて
キムさん以外の人とキムさんの知り合いの食べる
キムチについてキムさんが
多くを語ることはないだろう
それでも中村君が恥ずかしそうな顔で
キムさんの家のベランダにやってきた時のことは
たぶん忘れないだろうし
小学生が一斉下血したことももちろん忘れない
そして山岡さんのことだって
ときには思い出していい



スチロールが発泡している
若者は公園の
噴水から放出され
農業用トラクターのミニチュアが
坂道をどこまでも無人で転がっていく
それで植えられた稲が
本当に実るかどうかは誰も考えなかった
それから行く場所のない
住所不定の若者は
こぞって
次々に廃棄される電動自転車のバッテリーの
電気残量を丹念に調べ上げ
まったくのボランティアで
各自パソコンに入力している
その数値の合計は
裏通りの出版社が昨年出版した書籍の売上部数に
リンクしている
若者の仕事は
ヘンなとこでそんなものにもつながっている



ぼくがもしももう一度キムさんについて
話すことがあるなら
ぼくはまず誰も知らないキムさんについてキムさんの話をするだろう
キムさんの知り合いには
それは本当のキムさんじゃないよと笑われるかもしれないけども
キムさんがいなくなる前に
ぼくは本当のキムさんとそういう約束をした
そして今年のキムさんのキムチについて
ひとことだけ言ってもいいのなら
それはとてもいい感じがする


折檻夫妻

  ゼッケン

アンパンマン撮影会でバイトのぼくは
アンパンマンの着ぐるみのまま
あんたがたに拉致された

タバコくさい!この人、アンパンマンのくせにタバコくさい!
ぼくの右隣に立ってピースサインを出していた女のほうが騒ぎ出したとき、
ぼくの左隣に立っていた男の右腕はすぐさまぼくの首に回された
おまえはアンパンマンに謝れ
ぼくの首に食い込んだ男の腕に力が込められ
ぼくは失神した

アンパンマンのかぶりものの中で目を覚ましたとき
ぼくは首から下を裸にされていることを知った
立ったままコンクリートの壁にはりつけにされているらしい
背中と尻が冷たく、固かった
きつく引っ張られた手首を動かすとじゃらりと鎖が鳴った
やめてください
ぼくは言った
足の裏が濡れる感触があった
床に水を撒いたようだった
やめ、めめめめめ
あんたがたは中途で切断して銅線をむき出しにした電気コードを
あんたがたはアンパンマンの裸踊りを
あんたがたの鋭く煌く歓喜が
ぼくはもういちど失神するまでをとても長く感じていた

しー。助けに来たよ、アンパンマン
と、ジャムおじさんは言った
さあ、すぐに新しいアンパンと取り替えよう
ジャムおじさんはビニールの袋を破ってヤマザキの小倉あんぱんを取り出す
自分で焼いている暇がなかったんでね
ジャムおじさんは片目をつぶってみせる
べりべりべり
アンパンマンの傷んだ頭部は取り外され
ジャムおじさんは買ってきたばかりの小倉あんぱんを
血を噴き出すぼくの左右の肩の間に
ぽん、と乗せた
小倉あんぱんを乗せたぼくの首から下の全裸の身体は
鎖を引きちぎり、口がないのでくぐもった唸り声を上げながら地下室から飛び出していった
床に転がったアンパンマンの頭の中のぼくの頭は思った
取り替えられた古いアンパンマンの頭はいつもどうなるんだろうとぼくはいつも思っていたものだ
ジャムおじさんに抱えられ、リビングに上がると
パジャマ姿のサタンが振り下ろした日本刀を小倉あんぱんマンが真剣白刃取りで掴んでいた
ソファの背もたれに登って奇声を発しつつ鎖鎌を振り回している女夢魔を横目で見ながら
ぼくの頭は館を出る
疲れたろう? さ、帰ろうよ
ぼくの頭は丸い丸いアンパンマンの頭の中にかくまわれている
ジャムおじさんの丸い手が
丸い丸いアンパンマンの頭を丸く撫でてくれる
ぼくの頭はもうタバコを吸わないだろう
気球はふわりと浮いて
静かな星座に針路を取る


キネマコンプレックス

  りす

電気由来の感傷を
どこまでも深く植えて

眼底で映画がはねる
フィルムを硝子体に仕舞う

ねぇ、あなた
エンドロールで拍手する癖
どうにかならないかしら

映画は見世物なんだから
拍手して いいんだよ

映画は偽物なんだから
拍手なんて しなくていいの

似せ者の女に恋する男の
終わらない眩暈をめぐる
映画を観ていた

なんかね、恥ずかしいの
いまどき誰も拍手なんて
しやしないのに

キャメラの定まらない視線が
抜き差しならない光ばかり
拾っては 患っている

ねぇ、帰りましょうよ
すっかり明るくなっちゃった

男は似せ者を追いかけて不意に
本物の女に出会ってしまう

ねぇ、帰りましょうよ
誰もいなくなっちゃった

偽物を追いつめると本物になる
そこで恋が終わり 女は死ぬ
上映が終わり 映画が生まれる

人にぐるぐる巻きついて
驚かす妖怪なんだって

誰が?
一反木綿が。

それは苦しそう

でも今は 不景気だから
映画館のスクリーンになりすまして
日銭を稼いでいるんだ

それも苦しそう

暗い空からふんわり舞い降りて
白い布が覆いかぶさってくる

こうやって
ぐるぐる君に巻きついて

ほら、
もう何も見えない


帰り道

  如月

夕方
もうすぐ保育所が終わる時間なので
僕は支度を始める

テレビでは
低周波シグナルで腹筋が鍛えられるという
いかがわしいダイエットマシーンのCMが
いかがわしく流され続けて
どこかのアスリートが
素晴らしい腹をさらし続けていて

どこの家の犬かは知らないが
いつも鳴いている犬がいて
保育所の駐車場は
お迎えの車と家族でいっぱいだ
誰のお母さんかは知らないが
いつもすれ違う
黒髪がしなやかになびく
綺麗なお母さんの事だけは覚えている

さようなら
さようなら

息子のいる小さな部屋
(いや、子供らにとっては広いのかもしれない)
に迎えにいくと
いつも息子はおもちゃに夢中で遊んでいるのだけど
僕を見つけるにつけ
泣き叫びながら走ってきて
抱き付かれると
やはり嬉しいのだけれど

いつも手を繋いで帰る
帰り道には
サビついた鉄塔と
給水塔があってそれらが
夕焼けに照らされて
いっそう美しくサビついて見えるのは
どこか僕らに似ていて
息子が何故いつも泣き叫ぶのか
という事について考えている
僕のとなりで息子は
覚えたてのアンパンマンマーチを
懸命に唄い続けている

もうすぐ
不妊症、のはずだった妻が
素晴らしい腹を抱えて
産婦人科から帰ってくるというので
僕らは一斉にあらゆる支度を始めて
息子はいつも新しい
覚えたての唄を懸命に唄い続けて
廃品回収の声が鳴る道を
僕ら
手を繋いで歩いている
 
 
 


初夏をどこまでも

  浅井康浩

作ってくれたデザートを、クリームとか舌触りのなめらかさでおぼえていないあなたには、
せめてモノクロ写真のようなあたたかさをあげたい。ジャムを煮るような、とまではいか
なくても、あなたにはいつだってくちどけのよい時間をあじわっていてほしい。だからこ
そいつも、セロリやナツメグの葉をプレートの端っこに添えて、ホワイトラムには気づか
れないよう、ねがいをかける。まいにちが、あたためたミルクの表面に生まれる膜のよう
なものに翻弄されてしまうあなたになら、生クリームやバターそのもののさわやかな口当
たりこそがふさわしい。



いつだってそう、はなす物語はいつだって誰かのはなしと似ているけれど、それでいて弱
火で煮始めるあんずのシロップのそのどれもが甘い香りをひろげてくれることを、わたし
はとても、ありふれた時間とはおもうことができないでいる。晴れた日の午後の、とろと
ろとながれるような陽ざしのやわらかさを、このジャムのなかにこめられますようにと、
焦げ付かないよう、時折、おもいかえしたようにホウロウの鍋をゆすりながら、わたしが
こしらえるひとさらのデザートも、あなたがはなしてくれる可笑しな童話も、せめて、心
をこめてつくられるものであってほしい。



初夏をどこまでも感じていたい。すぐりのはえた裏庭から、低気圧がひろがって南岸方面
の降雨の開始を早めてゆくのも、出掛けるうえでのたのしみにしたい。ふわっとした雨の
においを待ちながら、海岸をさくさくあるいて、フランボワーズもつまんでみたい。そう
やって過ごしながら、てのひらにつつまれたような、発酵したパン生地のような匂いに、
ふわっとからだをすくわれてみたい。気がついたころにはもう、雨の匂いにつつまれてい
て、ひとあしとびに、食卓へと歩をすすめている。あしどりはあかるく、あたたかな雨域
をやさしくよければ、生クリームとさっくり混ぜるころあいのような、そんな感じで木イ
スにすわってひといきをつく。そのようにして、誰からもわすれられていたようなオーブ
ンの水跡のように、しずけさを添えてたたずんでゆきたい。


骨の王

  右肩

 少年が黒いTシャツの上から羽織っているレモン色のパーカー。陽差し除けに母が着せたのだった。信号待ちをするタクシーの後部座席に並んで坐っている。
「お母さん。」と彼は呟くように言った。
「あそこ。犬かな。轢かれて内臓が飛び出している。」
本当は、それは毛布だった。
表がベージュ、裏の赤い毛布が路上に落ちて、捻れたまま通りすぎる車に轢かれているのだった。暗く汚れていた。

タクシーは動き出す。

彼にはもうその実体を検証する方法はない、永遠に。
そして現実に世界の何処かで、今も多くの犬が路上に骸をさらしている。
少年の殺意はレモン色のパーカーに包まれ、まったく見えないままだ。

 母親は彼の肩に手を回すようにして身体を引き寄せた。細く柔らかい髪の毛と頭皮をとおして、その子の頭蓋骨の形、それを掌の中に抱え込んでしまう。
シャンプーの甘い匂いがする。匂いが網の目のように母の意識を覆っていく。
好き。性の愉楽が身体を舐めに、記憶の底から舌を伸ばしてくる。あの夜のこと。この子を受胎した夜、列車のコンパーメントでの情事。

(もしこの子が病気から生き延びることができたら。
 生き延びて成長したら、父を殺し、わたしと交わるのかもしれない。
 いい。それでもいい。わたしも他の人もみんな苦しんで死んでいく。)

「犬のことは考えなくていいわ。犬は犬の天国に行った。今ごろはボールとじゃれてるの。」
だが、轢き潰され埃にまみれているあれは、犬ではなく毛布だ。

母も子もそのことを知らない。

 この子の父親は三年前に失踪した。
 二年前、元気ですと手紙が着いた。
 二年前は元気であった。
 三カ月前に死んだ。

母も子もそのことを知らない。

将来も知ることがない。知る方法がない。
子が知らないまま、父殺しは既に成就していた。
十歳のこの子が母を娶るのはいつか。
心臓が破れ、そうなる前に死ぬのか。

 ガラスの向こうに、初夏の危険な光が氾濫している。遠くの山上でショッピングセンターの廃墟が歪む。そこへ続く雑木の暗い緑。見えるところ、見えないところ、あちこちに絡んだ山藤の蔓から、枯れた花房が下がっている。いくつも。人生は隅々までくまなく恐ろしい。

 ルームミラーから後部座席を見ると、少年が黒目がちで大きな目を開き、こちらを見ていた。母親は目を閉じ、頭を傾けている。
あどけない。眠ってしまったのかも知れない。子どもを置いて親が眠ってはいけないのに。
運転手は自分が誰で何処へ行こうとしているのか、既に忘れようとしていた。
母親は眠り、子どものギザギザの縁の想像力は、浸食領域を広げつつある。

(死んでしまったものすべての上に、生きて君臨したい。ぼくは骨の王になる。骨の王は、大腿骨にチェーンを通し、いつも首から吊している人だ。)

 夢の坂を下り、夢の坂を上る。
 夢の交差点を右折し、夢の架橋をくぐる。
 夢の車輪は四つとも燃えている。
 夢の匂いが焦げ、夢の電話線が走り、夢の木造建築が三棟、地上から浮き上がり夢の炎を纏っている。
 夢の窓に覗く夢のひと影を確かめる間もなく、夢のタクシーは夢のような速度で首をもたげ、夢の天頂でああと鳴く。
 夢の鴉になる。

 母は目を開けながら、傾いていた頭を持ち上げる。子は背筋を伸ばして坐り、真っ直ぐ前を向いていた。運転手の目がミラーに映り、こちらを覗いていた。その目はこの子の父親に似ている。
だが、父親ではない。母の官能は冷め、斜めに揃える両脚の奥、性器は清潔に乾いていた。
「次の信号を左へ曲がって下さい。曲がったらすぐ次の信号のない交差点を左です。そこから五十メートルくらい行った先です。」
運転手は頷いた。終わりが近づいていることがわかった。

 終わりの先のことまではわからない。


  右肩

 ミシシッピ州からやってきた鰐がこちらを見ている。美しい鰐だ。愛している、という目で僕を見ている。いつか君を食べる時がきても、ゆったりとくつろいだ幸せな気分で、よく噛んで粗相の無いように食べます、とその目が言っている。それはいやだな、でも、もし逆に僕が君を食べることになったら、僕もよく噛んで食べることを忘れないようにしよう。黒々とした熱い鋳鉄の皿の上で、君の肉片は適度な大きさに切られ、焼かれているはずだ。落ち着いて、じっくり食べて、できれば食べながら声を上げずに泣こう。僕と鰐は愛し合っている。鰐の故郷、ミシシッピ川の丈高い草に覆われた川辺はとてもよいところだ。
 僕らは今、薄暮の霞んだ月を戴いたユーラシア大陸の一画、平原に並んで立っている。僕らしかいない。春の草花が一面に揺れて、幽かな、しかし嗅覚を超越して深い匂いを放っている。僕らは愛に包まれて、つまり眠りよりも濃い安心感に陶酔しながら、これからこの草地を歩いていくだろう。草の隙間からしらしらと輝くものが見える。かつて城壁を構成していた石積みの名残だ。断面の凹凸も角も磨り減り、柔らかく崩れた石の塊が、草花に隠れながら、紫や青や赤や黄色が暗い緑の中からにじんで浮き上がる空間にちらりちらりと見え隠れしながら、延々と連なっている。
 鰐よ、総ての喜びは記憶と、記憶にない歴史の隧道をたどってもたらされる。総ての苦しみは何も無い未来から光として流れ込んでくる。君とここにいるということは、その二つが無限の愛によって抱擁し合う場面を目の当たりにしているということだ。裸の肌と肌とが触れあって、冷たく燃え始める。赤い興奮が唇として重なり舌となって絡み合うと、その先は必ず充分な余裕を持って相手の核心に届いている。愉楽。射精は言葉をもたらし、受精はモノをもたらす。産まれてくるものは喜びの膣口と苦しみの肛門を突き破って足を伸ばし、その足が地面に触れるとソックスを生成し、スニーカーを生成し、下側から段々と日常のかたちを生成してそれは今僕として君とここに立つ。鰐よ、君と歩き始めようとしている。
 生きている意味ってなんでしょうか?と鰐が僕に問いかけているようだ。生きているものを生きたまま食べる時、口中にしぶく血、その感覚が質問の起点です。鰐は僕に問いかけの意味を解説し、すっと目を閉じる。その瞼から金色の波紋がさやさやと広がり、徐々に地表を夜で浸す。僕は答える。鰐よ、意味は言葉によってもたらされるものだ。しかし、言葉は発せられた時既に固有の意味を背負っている。意味によって意味を語ることは堂々巡りに他ならない。僕たちが人生に苦しむのは、この堂々巡りが未来から光となって僕たちを照射するからなのだ。過去に注意を向けるといい。この春先、この花野に降っていた最後の雪にだ。生きることの意味は日の当たる土地に降り注ぎ、たちまち消えていく雪片だ。百億千億の意味があり、等しく光の中で輝いている。総て言葉ではなく、総て正しく、総て瞬時に消えていく。僕たちに与えられた生きる意味がそこにあった。今それは一面の花として、冥界からの残光に喜び輝いている。喜びは記憶と過去とからやってくるんだ。鰐よ、僕らは予兆としての苦しみと、記憶や過去でしかない喜びから絶えず産み出されている。そのみどり児だ。愛している。僕も君を愛している。
 僕と鰐は古代の城壁に沿って延々と歩くだろう。歩くうちにもあちこちで積石は厚焼きビスケットのように割れ、割れ目から星が生まれ、意味は天に帰っていく。しゃりしゃりというかすかな音。絶えることのない美しさ。


瞳の奥10センチメートル

  snowworks

話をするとき
相手の瞳の奥10センチメートルぐらいを見るようにしています
そしてちょっと長めに見つめます
勇気が要るけど
その方がインパクトあるかな
なんて思いながら
とくに気になる人には


                  *

目があう人を探していた |鏡を見れば

教室や雑踏の中|もうここにいます

視線はだけど、我侭だから|自分の視線なら

思うようにはなりません|どうにかなります

7月のある日、出会いました|初対面かもしれません

JRお茶の水駅前の交差点|狭い洗面所ですが

横断歩道の向こう側に|そちら側で

僕と同じ探しものしてる彼女|一体どこ見てるの?

目があった時点で|俺?

鼓動が倍になった|驚かすなよ

信号が青になり|見つめあってみようか

歩き始めたのは良かったが|いや だけど

2人とも横断歩道の真ん中で立ち止まった|自分&静止の繰り返し

見つめあいながら|世話がやけます

青信号、点滅して ああ どうしよう|焦っても仕方ない

「ちょっと……おいでよ」|「そこのキミ!」

言葉をやっと胃底から出して|声に出してみる

彼女の手をとった|アナタが一体だれなのか

ゆっくり話すにはいつもの喫茶店がよかった|確かめる

「どういうつもり?」|「アー、」

席について二人の声が重なった|もう一度洗面所に響く

互いの瞳 約10センチ後ろをのぞいて|聞こえてるの? 俺

2つのコーヒーがきた|人の顔は様々変化していく

ブレンドとカプチーノ|だけど他人がみる顔と

僕はカプチーノをとった|鏡で見る顔は一緒なの?

自分がどちらを注文したかも忘れて|考えるほど遠ざかり

彼女は残ったブレンドをとり口をつけた|足掻いたって

「もうやめようよ」|自分は自分だし

「そうしよう」|答えを見つける道のりは

鼓動が半減した|果てしなく



                       *

話をするとき
相手の瞳の奥10センチメートルぐらいを見るようにしています
どうしてって
少しでも同じ瞬間を共有したいからです
お互いが異なったものを見てるのは重々承知して


冬の果実

  藤本T

もはや運ばれるもののなくなった透明な冬の 
倉庫ではからみつくコトバの残骸が丹念にほ
どかれ錆びた銅や鉄線の軋む音が優しい切断
のうえをゆっくり歩いていく(導きの手はと
うに凍てついてしまったから 少しばかり重
力をおおく感じるの/だった 梢のきっさき
に刺さってしまったきみの額と 白い欲望と
のあいだで港に埋められた地図がいま燃えは
じめ 暗がりのなかで齧られた衝動は行く先
もなく砂の奥で鳴っているのだ 撓まないで。
そこかしこで固い指とポプラが順番に手折ら
れていく さかしまになった海辺に流れ着い
たきみの尺骨のなかではちいさくなった火種
がいまだ息をしており崩れ落ちた倉庫からわ
たしは解読できない手紙の束を拾い集め、ひ
とつひとつ冬の果実で燃していく 見定めら
れそこなった夜気の、海辺の街路で交差する
折れた指とポプラ ここにはもう夏百合がふ
たたび馨ることはなく遠さ、のあまりの短さ
に抗する術を探しあぐね 一杯の白い夜気を
わたしは暗い海へと返すのだった

   無数の
   碧い綿毛
   閉じて
   みどりの
   部屋の
   飛び交う
   穿たれた
   瞳
   強く
   撓まないで。
   手折れて
   発光し
   水面の
   溢れで
   数える
   固い
   指とポプラ
   すでに
   閉じられた
   部屋の
   奥では
   手折れて
   切断の
   地図、燃えている
   
   
    


人の名

  荒木時彦


スレートの下で
見捨てられたあなたは
見知らぬものの
記憶の中にいる


  坂口香野

ひとりがすき ひとりがすきとつぶやきながら
あなたはひっそりと歩み寄ってくる
いったいなにがしたいのですか

冬枯れの道を歩いてた
金色の光のなかを
前方からいろんなものが飛んできた
瀕死のルリタテハ
ぼさぼさ髪のヒヨドリ
最後尾よりまっしぐらに向かってきたのは
禿げ頭を赤銅色に輝かせたスズメバチが二匹
思わず顔をかばったところ
両手の甲をぶすり ぶすり
その切っ先は太く鈍くふとん針のごとしで
しびれた手はもげそうに重く
あたしは胴体までつめたくなりかけた
うう死ぬっすよこのままじゃ

ええ知ってますともあなたの言うとおり
ひとりはすてき
ひとりはごくらく
ひとりは100%クラウドウール製ハンモック
でも最後の瞬間だけはひとりじゃいやなのです
どうかそばにいてください
この冷え切った手をとってください
なんてね
しみじみと懇願
しじみと乾麺
椎の実とトースト

両手の穴は
まるで聖痕
あたしは殉教の聖女さま
といいたいところだが
どっちかっていうと粘土細工に開けた鉛筆の穴
まんまるで血の一滴も出てないし
なんのありがたみもありはしない
大丈夫? 大丈夫? 大丈夫?
心配そうにあたしの顔をのぞきこみながら
やれやれ、あなたはいま逃げ出したくてたまらない
それでいてあなたはいいひとでいたい
おばかさん
とっとと行っておしまい
ひとり乗り羊雲にのって行っておしまい

枯れ枝みたいなその手は火のように熱く
この世がぜんぶ消えてなくなっても
きっと忘れない
かつて、この手をぎゅっと握ってくれるひとがいて
その手をぎゅっと握り返したということを

ええとですね
できれば行く前に濃いめのコーヒーを淹れていってください
椎の実トーストによく合うんだから
うんわかった、とあのひとは仔細らしくうなずき
益子焼のマグカップになみなみとブラックコーヒーを注いでくれる
両手でマグを包んで温める
指先にかすかに血がかよって
手の穴をすきま風が通りぬける
羊雲がよろけながら目の前をはしる
(そのふちどりの黄金がつつましくひかる)
そんなにあわてなくたっていいのにね
ありがとう
さようなら


ダンス

  ぱぱぱ・ららら

わたしはダンサーなの

でも僕はきみが踊ってるのを見たことがないな

見つけたよ
なにを?
世界さ
 
世界は最初からあったでしょ?
 
違うよ
再発見したのさ
僕の世界を
 
そこには何があるの?
芸術さ
芸術?
そう、愛だよ
 
ねぇ、ダンスを踊ってくれないか
僕の世界のために

僕は調子外れなギターを弾いて
それから
詩を書くから
 
 
っていうかさ
僕は詩を書きたいんだ
きみのダンスのために


(無題)

  マキヤマ

まだ青いまま
棚引いているとしても
摘みとられたのなら
夜が明けたのだろう

五月の砂浜より
六月の遠浅がなお白いのは
太陽にうち砕かれた
おまえの白骨が
どの砂漠よりも速く
流れてゆくから

鴎たちの乳房に
偽りはつのり
甘みを帯びたころに
秋口の刈入れは始まる

海へ向かう
足あとの数だけ
星々は謎めき
謎めくほど
おまえの所在は
明白になる

首のない太陽も
おまえの首も
やがて草花に香り
むせかえる喜びは
夜明けまで続く


蒲公英の咲く散歩道

  はなび


昼間に起きて花江はドブ川に沿って散歩する
青い空 橙色に膨張している日光がまぶしい

目眩 ゆうべの会話 
もっと猥褻にもっと卑猥に
もっと生き物らしくぼくを愛して

腐りかけた林檎から漂う独特の香り
わたしは 冬の日射しに
ふらふらになって
フラン フラン 腐乱 と
ハミングする

窓辺に寝そべって
おとこをみている


その男は白いシーツの中で
キリストの様に痩せてゆく

ポルトガルの教会にあるような
黒く骨張った重たそうな四肢に
なにか可愛らしい装飾をしたく

心臓を象ったような深い葡萄色の壜から
パルファンを垂らした

それはいつか空港で
退屈まぎれに買い物した
クリスチャンディオールの
毒という名前の濃厚な香り

花江チャン、君にぴったりなおもしろいものを見つけたよ

当時退屈まぎれに付き合っていたポルトガル語の教授が
フランクフルトでルフトハンザに乗り換える時に言った

このひとは一体わたしの何を知っているというのだろう

それから何年も過ぎた今でも
教授は律儀にもわたしの誕生日に手紙をよこす
どのような仕事をしたか
どのような本を読んだか
仔細に綴ってある 
小さな字で

わたしは何年も過ぎた今でも何も変わらない
特別に何かが得意だとかできるとか知識があるとか何も持たず
このドブ川のような生活の汚水をたらたら流している

その沿道に蒲公英が咲いてるの
それがいかにも健気に見えて
涙がでてくるのよなんだか変ね

冬だというのに暑いじゃない
気候のせいだと思うけどふらふらする
フラン 腐乱 フラン と
ハミングが聞こえる

直射日光が膨張して背景が遠くなる
目眩を引きずる様に影ばかりが濃く長く伸び
地面に打ち捨てられた様に朽ち果てている

その影を踏んで歩く 
踏みつける様にして

蒲公英は黄色くて葉は濃い緑

空は青くて太陽は橙色に脹らんで

影は黒く色のあるものは皆ハッキリと

ドブ川の散歩道をうつくしくいろどり

猥褻な生命をかがやかしくおおっぴらにひけらかしながら

何か知っているのよ わたしのこと

このままいけばどこにたどりつくのか

いまさらさわいだってもうおそい

丁寧な手紙はちがった道へ誘導している

間違っていないのはよくわかる

蒲公英の様に健気なら

それだけでも価値があるもの


水たまりに

  荒木時彦


夏につまずき
空を歌った

いくつもの光が
アスファルトの水たまりに
反射していた

レターセットの光は
透き通って見えなかった


マルタおばさんは言った

  岩尾忍

マルタおばさんは言った
絶望ってどういうものか
見せてあげようか

そしておばさんは大きな黒檀の箪笥の
一段目のひきだしをあけて
真赤な布を出した
その布を出すと 下には
薄青い水玉の散った
紫の布があった
おばさんはその布も出した すると下には
オレンジの幾何学模様の
黄色い布があった それも出すと
その下には 黒い縞の入った
白い布 その下には
ピンクのはなびらの模様の
緑の布があった 

そうやっておばさんは 一枚 また一枚
取り出して広げてみせた
縫い目もしみもない
裁たれたそのままの布を

これは絹 これはキャラコ これは麻
これはびろうど これはジョーゼット
一日に一枚 一年で三百六十五枚
十年で三千六百五十二枚
三十年で
一万と九百五十七枚
それでもこのたった一つの箪笥が まだ
いっぱいになりそうにないの

(目をあけてぼくは見ていた じっと
 見ている目の中に
 色がゆれ もようがあふれ
 ぼうっと ぼうっとして なんだか
 ゆめみているみたいになった
 ゆめみたいにきれいな
 きれいな
 きれいな布のかさなり)

お嫁に来てからというもの あたしは
お金には困らなかった
だから朝御飯の片付けがすむと 毎日
この町に一軒だけの
服地屋に出かけていった
そして
流行の 新柄の 店主のご自慢の
とびきり上等の布地を 売子がすすめるままに
一着分 買って帰った 

お金には困らなかった
けれどもその店には なぜか
針と糸がなかった
よそまで買いに行こうにも なぜか
この町には外がなかった
それにたとえ 針と糸が買えても
無駄だった
あたしは
縫い方を知らなかったから

マルタおばさんは言った
緑の布をたたみ 白い布をたたみ
黄色い布をたたみ 紫の布をたたみ
真赤な布をたたんで
黒檀の箪笥の ひきだしに重ねて入れて
それから最後にそのひきだしを
ぴったりと閉めながら

マルタおばさんは言った 笑って

わかったかい 坊や
絶望ってこういうものさ


リミット・オブ・コントロール

  ぱぱぱ・ららら

1、ウィリアムとジムへ
 
 先週、わたしたちは風邪をひいてトイレから一歩も出られなかった。わたしたちとは、わたしの心とわたしの体とわたしのこと。わたしの心は美術館に行っていた。そこには誰も見たことがない絵ばかりが飾ってある。なぜならその絵たちは芸術性の欠片もなければ、技術的にも見るべきところはなく、人気すらもなかった。わたしの心はその絵たちの中のひとつの前にずっと立っていた。『中性子』という題の絵だった。それは指揮者のいないオーケストラであり、ジャワのガムランであり、それはどこにも動かすことが出来ず、なににも変換不可能なものだった。わたしの心とは違い。
 わたしの体とわたしがどこに行ったのか語るのは難しい。わたしたちはそれについて語るつもりがないのだから。
 
2、語ることはなく、書かれることもないものへ
 
 美しくもなく、優しくもなく、儚くもない女の子が死んだとき、わたしたちは泣かなかった。わたしたちには泣くべき理由がなかった。涙の代わりに言葉が流れた。それはここでは書けない言葉。
 
3、変換
 
 わたしたちはわたしたちを変換させる。わたしたちはわたしたちの顔を整形し、体を長く細くする。わたしたちはわたしたちの論理を明瞭化し、思考を形式化する。わたしたちはわたしたちの性格を穏やかにし、生活を統一する。わたしたちはわたしたちのことをロボットと呼ぶことになる。
 
4、想像
 
 わたしたちが書くのはここまでだ。ここから先はわたしたちにとって、機械となったわたしたちにとって良くないことが起こるからだ。途中まではうまく行っていた。みんながわたしたちに憧れ、みんながわたしたちのようにロボットへと変換していった。世界全体ががロボットへと変換していった。なのに、ある種のものはロボットへの変換を拒絶した。彼らのことを話すつもりはない。彼らはわたしたちとは違うし、わたしたちは彼らとは違う。わたしたちは彼らを憎む。それ以上のことを言うつもりはない。


雪夜

  凪葉

 
 
覗き込むようにして道路を照らす、外灯の明かり。吐き出す息が夜の漆黒に際立ち、空からは絶えることなく雪が、ぽつぽつと明かりの縁から生まれるように落ちてくる。振り返ると、今歩いてきたわたしの足跡さえもうどこにも見当たらず、仄明るく続く、誰も居ない国道が真っすぐに伸びている。わたしは、その道に沿って歩いている。どれくらい歩いたのか。雪に埋もれていく道路。ざくざくと、歩く音だけが響いては沈む。降り積む雪は、わたしの温度で融け続け、首筋が、酷くつめたい。傘を持たないわたしは、このままこの国道のように熱を失い埋もれていくのだろうか。そんなことを幾度となく思う、思いは、またひとつ雪の軽さを纏っては、わたしの中に沈み、消えていった。
 
 
 
工事途中の交差点付近。あるはずの喧騒、が、遠のいていく電車の音に連れられて行く。左へと曲がる道が塞がれている。右へと曲がる道にはロードローラーが凍え、丸い足を横に向け寝転がっている。この先は、どこへ繋がっているのだろう。ちかちかと、赤く点滅する誘導棒をだらしなくぶらさげた人形が、雪をヘルメットにこちらを見つめている。片側交互通行。そう書かれた看板の骨格は不思議な角度で曲がり、身体ごと夜に傾いている。足元を見る。ひとり分の足跡が、これから向かう道の先へと続いている。それらは既にうっすらと真新しい雪に埋もれ消えかかっていた。(視界の端で赤い光が瞬いている。)もう一度、人形に目を向けてみる。変わらず、人形はまっすぐな瞳でわたしが歩いてきた方向をじっと見つめていた。平らな瞳。その先には、影を落としたような薄闇が遠くなる程濃くどこまでも伸び、おぼろげな輪郭線に目を奪われたまま、わたしの視界が、僅かに歪んだ気がした。


  
風が吹く。辺りの雪が粉のように舞い上がる。いつの間にか首筋は感覚を失い、今わたしはどのくらい埋もれているのだろう。また風が吹く。ポケットに突っ込んでいた両手を出し、頬に当ててみる。つめたい。手が氷のように、つめたかった。わたしはいつの間にか、温かさをうまく思い出せないでいる。屈みこみ、道に積もる雪を握りしめる。雪は思っていた以上に冷たく、手を開くと、その途中できしりと痛んだ。立ち上がる。等間隔に並ぶ外灯。斜め後ろから射す明かりで、わたしの影が白い道路に黒く滲んでいくような気がした。先へと続く足跡は、変わらず、薄っすらと真新しい雪に埋もれ、続いている。わたしはどこへ、どこまでいくのだろう。幾度となく振り返る。今、歩いてきたわたしの足跡はやはり無く、遠くの方ではちいさく、赤い光が明滅している。誰もいない交差点。音一つなく、顔のない後姿がすべてを黙殺している。わたしは、確かにあの時、触れようとしていたのか。温かさはやはりまだ、うまく思いだせないでいる。風が捻じれ、身体をえぐるように雪は視界を覆う。上を見れば、吸い込まれそうな夜がすぐそこまで落ちてきていた。目をつむり、遠くの方で明滅する光をぼんやりと思う。わたしが、わたしを呼ぶ声。思いは、雪の軽さに寄りかかり、そのまま深く、ふかく見えないところへと、沈んでいった。


 


砂抄‥ 或いは冬浜の枯れ木

  常悟郎


あの島の老木から
新しい芽吹きが生まれ
‥命はすべて
冬の海へ
帰依してゆく‥

砂浜に戯れる若い親子連れの
握りしめた小さな手のひらから
貝殻の笑い声が弾けて
便所の前に座り込んだ障害を背負う少女は
やさしいまなざしに支えられながら
折れ曲がった手で
必死に何かを‥語る‥
俺は冷めたアタマのなかから白いオムツをひとつ取り出して
海へ流してやる‥
砂浜の向こう
遠く霞む
青空を
ひとり見つめている
そして
脳幹を伝う
靴底の乾いた砂の感触‥ ‥幸せは零れゆく
海砂の残抄‥

たとえば老衰で死にかけた父の額に、真っ白なブラジャーをかけてやる
その後で俺は
痩せ衰えてくの字に折れ曲がったからだを、やさしく包容し、枯れた額に、ひとつキスをする
そんなことをして
本気で微笑みかける俺の歪んだ顔に
ひとすじの涙が
頬をつたう‥
窓枠の外
曇り空があけ
愚かモノが
はじめて血脈の何かを
語る



瀬戸は引き潮がひとり
残された砂浜の足跡
穏やかな緑色が映しだす
過ぎた日の
こころの歳磁器
むかし松林がゆれた
岸虚ろう朽ち木は
静かな冬の海へと
溶けてゆく


une fille une feuille

  はなび


ひとりのむすめ
いちまいの紙
ボールペンで綴られる
つらなる螺旋のような文字群で
それらは毛糸のように
セーターを形成せず
ほつれたまま
ひつじへと
逆行している


警察に通報します

  snowworks

警察に通報します
我慢し続けた30年間は何だったのでしょう
天井に住む蛇
何度殺してやりたいと思ったことか
すべて奪われました
作りかけのバタークッキー
手編みのマフラー
ボーイフレンドとの大切な時間
もう耐えられなくって
ハシゴかけて
出刃包丁持って
天井扉をあけました


警察に通報します
蛇は暗闇に絡みついて11匹はいました
とっさのことでした
光る包丁を振り回して血液が飛び散って
だけど
誰の血液かなんてどうでもよかったのです
これまでどれだけの時間を失ったんだろう
どれだけの私を失ったんだろう
そんな疑問符が宙を横切っていました


警察に通報します
ハシゴの下に卵が割れていました
蛇の子供たちです
我に返ってハシゴを降りました
黄色い亡骸にしゃがみこんで殻を片付けました
彼らの未来をも破壊してしまった
時間は私たちに意地悪ですね
凍えた水道で両手を洗い
ダイアルを回しました
天井にまだ気配を感じながら


I Need It Now.

  ヒダリテ

さて、昨夜から首相官邸でじっくりことこと煮込まれる見通しであったとされる一見カレーに見えるとされたカレー状のカレーに含まれる見込みであったとされるある具材について包括的内容を盛り込むかについて、じっくりとした話し合いがもたれる見込みであったとされるある会合において、決定的に不足しているとされたある種のタマネギの一部が便宜的に不条理な井の頭公園内のゴミ箱で見つかった事件で、第一発見者の男性は我々の取材に対し、自分はゲイであると告白し賛否両論を巻き起こしています。
「一部の農家で行き遅れた娘たちの失踪騒ぎに便乗した悪質なファンの嫌がらせではないでしょうか。私はゲイです。」
通報をうけて真っ先に駆けつけた無関係な外国人はダイナミックに卒倒し、泥の中で美しく悶絶しながら、このように話しています。
「幼い頃テレビで見た美しい景色のヨーロッパを、いつか私も見に行きたいと思っていました。私もゲイです。」
事件で警察は調べを進める一方、この農家からさほど遠くないところで元気よく吠える犬の肛門に新鮮なタマネギがねじ込まれるという奇怪な事件が連続して起きており、これらの事件との関連性についても調べを進める一方、この犬に対する任意での事情聴取の際に、興奮して吠え続ける犬の尻の穴から飛び出してきた天津甘栗状の物体を誤って飲み込んだ捜査員の救命活動が行われる最中、犬の態度に腹を立てた近所の住民が無差別にチーズフォンデュを振る舞う騒ぎを起こし、直ちに別の捜査員に取り押さえられましたが、一命を取り留めた捜査員は、犬の尻の穴から飛び出してきた天津甘栗状の物体を指さし、このように語ったということです。
「気をつけろ、そいつは天津甘栗なんかじゃない。」

また神奈川県内を中心に架空の男性器を持ちかけ架空の顧客を募り、大量の架空の男性器を売りつけようとしたペルー人の二人組が昨夜めでたく結ばれました。普段からフルチンでいることが多かったというこの二人の男は、二年前謎の飛行物体に乗って空から飛来し、瞬く間に相撲界を席巻し、にんじんとジャガイモを使った卑猥な一発ギャグで一世を風靡した、と自画自賛気味に話していますが、近所ではたびたび異臭騒ぎを起こすなど、決して評判は良いものではなかったようです。趣味は金属バットの素振りと話す彼らは、深夜に庭先で金属バットをフルスイングしたり、近所の犬の肛門にタマネギをねじ込むなど、そのほほえましい姿がたびたび近所の住人に目撃されていますが、昨年、「だって牛が可愛そう」をスローガンに肉用牛の解放を訴えていた牛解放運動のリーダーが変死体で見つかった際も、二人そろって刃物と牛肉を持ってカメラの前に現れ、フルチンでインタビューを受けるなど、端から見れば本当に仲の良い双子のようだった、と語る近所の住民は、来年は孫が一年生になります、と、うれしそうに話しながら、顔をほころばせていた、ということです。

さて、その後行方不明となっていた例の犬が衆議院本会議場に闖入し、国会議員を巻き込んでの上へ下への大騒ぎとなり一斉にマスコミによって「晩秋の珍事、国会に犬乱入!」などと報じられた事は、よく知られていますが、今回の犬騒動で著しくその名誉を傷つけられたとして政府に対し多額の損害賠償を求める訴えを起こしていた杉並区に住むある主婦が事件当夜カレーを調理する際に使ったとされる刃渡り二十五センチの文化包丁によって切り取られたとされる被害者の一部が便宜的に不条理な井の頭公園内のゴミ箱で見つかったタマネギの一部と酷似していることなどから警察はこの主婦の元夫で現在はペットとしてこの家に住む男性の男性器に任意で事情を聞いたところ、この男性の男性器が裏筋で容疑を認める発言をしたことなどから警察はこの男性の男性器を逮捕し身柄を拘束したとの発表がなされました。以前からこの男性については、その男性器の所有権を巡って近所の住民との間でトラブルになるなど、男性は自身の男性器について深刻な悩みを抱えているようだったと言い、「いつもコレが自分のものではないような気がしていた」「時々俺に黙って居なくなることがある」「コレが誰の物かわからない」などと話すなど、自身が自身の陰茎とは無関係であると主張する発言を繰り返しているということですが、しかしその一方、他人の男性器については並々ならぬ関心を示しているとも言われ、護送中、捜査員の「(陰茎が)すぐにいるか?」との問いかけに対し「すぐにいる(陰茎が)」と即答するなど、積極的に取り調べに応じる姿勢を見せているということです。また取調室でも猥談に応じるなど次第にリラックスした様子を見せていると言い、ある捜査員の鼻について延々とその形状などについて独自の見解を述べるなど饒舌な一面も見せていますが、別の捜査員が容疑者に対し、一粒の豆を見せたとたん逆上し飛びかかってくるという凶暴な面も見せていると言われ、また、めがねをかけた捜査員に対して「日本に最初にめがねを伝えたのは、宣教師フランシスコ・ザビエルだ」などと知的な面を披露している最中にも、再び捜査員が豆を見せると、逆上し飛びかかってくる事などから、この男性の豆に対する異常な警戒心が、あのような凶行につながったのではないか? と見て、警察は何らかの形で何らかの豆がこの事件の背景にあるとして植物学的な見地や犯罪心理学の観点からも、性犯罪と豆との関係性を明らかにすることを急ぐ方針だ、ということです。

さて、一方これら一連の警察側の捜査に一部の「動物愛護団体」「性感染症予防団体」「全国剣道連盟」などが激しくこれに反発し、これが男性器の「人権侵害」に当たるとして、この男性の男性器の返還を要求するなど、事件は泥沼化の様相を見せていますが、中でも「全国剣道連盟」の反発は強く、彼らは警察による一連の捜査が「剣道的に正しくない」「剣道的に美しくない」「胴も小手もあったもんじゃない」などと、怒りをあらわにする一方、その発言の根拠には事件との明確な関連性がなく、下火になりつつある剣道人気に危機感を募らせた一部急進的な構成員による売名行為だとする意見も多く寄せられるなか、そもそもこの男性の男性器による単独犯行とする警察側の主張は一貫性を欠いたものであるという一部アダルトビデオ関係者などの証言もあり、さらにこの男性の男性器の責任能力にはなんら問題がないとする警察側の責任能力にそもそも問題があるのではないかという小学六年の男児からの投書が寄せられるに至り、警察署員全員の精神鑑定を求める動きも起こり今も内部捜査が続けられていますが、このように、この男性とこの男性の男性器には共犯関係はないとする見方が次第に強まるなか、さらにこの男性とこの男性の男性器のDNAが一致しない点など、不自然な点はあまりにも多く、これが警察による誤認逮捕という事態に至る可能性は極めて強く、そうなると、またしても「全国剣道連盟」の横やりが入るであろう事は必至であり、これら度重なる警察の不祥事に業を煮やした大臣は昨夜会見を開き、得意のパントマイムで「抜本的対策に乗り出す構え」を存分に見せつけた後、やがて「暗礁に乗り上げる」など次々に斬新なパントマイムを繰り出し取材陣を爆笑の渦に巻き込んだものの、二人組のペルー人男性との不適切な関係に追求が及ぶと、大臣は記者団の前で自らの玉袋のしわを丁寧に伸ばしながら、「遺憾の意を表明」する、という珍妙なパフォーマンスで記者たちの追及をかわすと、ひからびたタマネギの一部を残し会見場を後にしました。さて、いよいよ、この男性とこの男性の男性器が別人である可能性が濃厚になる中、今も首相官邸でじっくりことこと煮込まれているとされるカレーに含まれるとされる具材について、政府関係者は堅く口を閉ざしていますが、今やテロ組織化した「全国剣道連盟」は……。

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