エルニーニョは神の子だから、その呼応が悪魔であっては事であるからラニーニャと呼ばれた、少女は誰でもない。なんでもない、 
 エルドラドのラスドラダス。ケンタッキーへ行くと言いつづけて結局行かず三十年の蔵で、バーボンふうに内側を焼き焦がされたオークの樽に、まだ溜めこんでいるウィスキーが、南のトウモロコシのせいなのか黄色すぎて売れない。時おり某のスコットランド人が、内側の焦げ目の黄ばんだ古樽だけ買いつけに来るが、やつのスコッチも売れてはいないスラーンチェ・ヴァーアンナンバー、レピンチレアンマシェドホレ、 
 “Hey, miss, who’s there? I'm through there.” *
 某のスコッツ氏が放つ th は時おり、強すぎる息で舌のわきから t を跳ね飛ばしいっそ gale 語。西へ至った貿易風が東へ帰ると、町はずれのりんご園の、春にはあかない直売所のわきの、日本の「ふじ」の木からのぼる、ひらききった中心花の白い香り。どうせ間引かれる側花どもは、まだ赤らんでつぼみのまま。 
 どうせ用がなくとも、やりもしないブレンドのためのテイスティンググラスへ、十二年の熟成を注ぎだすと、 
「How mellow my yellows are!」 
 立ちのぼる黄ばみ。あから頬の小さな鼻に年を埋めて童顔を、蜜のいろの (O Fuji apple!) もやから剥きだし (my fair bananas!) 足はない。地につかない、 
「Too pissy truly,」 
 つぶやくと黄ばみが、 
「YOSEMITE am I,」 
 名のるので、こいつはミウォクに違いないと決めこんだ。ほかのアメリカインディアンを知らなかったからだ。ミウォクのことももちろん、知らなかったからだ、 
 “Time to get prolific with the whiz kid.” *
「Nip Nip’s Nipple lol」 
 町はずれのりんご園にもハングタウンの坑道にも、つらなる森の脈はもう白けたんだと亡霊がささやく。少女の震えを駆る西でうねる風へと跨れば、黄ばみすらブリトルブッシュが打つ砂漠の一点でしかない。点でしかない。49年、だったか45年だったか、それからずっとこんな感じさ。 
<*付きの英文は、Souls Of Mischief "93 'til Infinity" の歌詞から引用しました>
	
選出作品
作品 - 20120423_327_6044p
- [優] 49 ‘til Infinity - 澤 あづさ (2012-04)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
49 ‘til Infinity
  澤 あづさ