第2回 21世紀新鋭詩文学グランド・チャンピオン決定戦


シナガワ心中
  黒沢トシクニ


星が、縺れ
ひきつりながら後退していく
瞳の表てに 何かが
写り、
母と呼ばれる無限のそうしつの
暗いどよめき

― 私と貴方は、同じ階段を、べつべつに下りていく。
上空、どれほどの高さだったか。ほそ長い階段が、ぶきように延ばされた飴細
工のように、闇を伝い、宙づりの影を縫って、彼方の市街地へと下降している。
色とりどりの立体灯火。貴方は途中、何度も足をやすめながら、軌道の向こう、
滲んで見える品川の全景を、しつこく指差した。



もう 此処でいいですか
かあさん やはり違うんです

― 風が、うごく。
予想外の焦点のゆれ。遅れてきしむこの階段を、何時から下りはじめ、いつに
なったら、私と貴方は辿り終わるのか。それを考えるにつれ、謂れのない疲労
を感じた。

此処でいいですか



年老いた彼女は、汚れの目立つ手すりに掴まり、己れの足運びを何度も反芻し
て、思い返すみたいに、時間をかけて前へ進んだ。

息をのむ近さで、馬や、ラクダや、いて座や、近未来や、有り得ない生きもの
達の星座が流れ、右やひだりを遷移していく。母は時折、見えづらいはずの瞳
を伏せ、やみ雲に光りを追いかけて、名前を与える。



教えられる、
発話のしかた
事物の名称
世界のふところ
内奥、
ということ

― 父の顔を捜していた。
彼女に聞かされたその投影は、この上空の何処を求めてもない。あれは、ばら
色星雲ですか。私の声を受けて、母がかさねる。あれはお前に、ずっと昔にく
り返し教えた、にくの欠片。



かあさん やっぱり違うんです

階段は品川の、時代遅れのネオン街に下りたつ。地上で立ち止まると、却って
ぐらぐら視線がみだれた。かあさん、少し、よりすぎだよ。

― よりすぎですよ。
パチンコ屋の裏口が見えた。仕事を終えた勤めにんやら、休憩時間の店員やら
が、ごみのバケツを覗き込んでいる。電線の向うには、曲りくねった化学照明
が吊るされていて、夢の名残りを辺りにばら撒く。かあさん、ここではないで
すからね、私は先回りした。



明りのなかで見ると、貴方はぞっとするほどの生めいた瞳だ。水の淡いで星が
泳いでいて、ゆれやすい生きものを形作る。父ではない、他のにんげんの顔が
横切り、私は嫌悪からでなく、怖れのために先を急いだ。地下道にはいる。銀
の移動体が通りすぎていく。列車、だったか。

もう 此処ならいいでしょう
未だなのですか
はは、とは
彼女は
呼び名ではなく、



改札では、足もとの覚束なかった彼女が、今では黙って後ろを歩いている。地
下道は、線路を伝い、行方のわからない排水溝や、非常経路を縫って、もう暫
らく続くのだろう。見しらぬ花が、咲いている。私はそれに言及しない。綻び、
きえた風の見取り図。頭上で駅員のアナウンスが、ひずんだマイクで拡大され
た。

― 暗いどよめき。
終端にきて、地べたのマンホールをずらすと、また、内奥から闇があらわれた。
私と貴方のうす寒い目前に、べつの階段があり、それは飴細工のように、ぶき
ように引き延ばされて、さらに深くへ下降していく。かあさん、未だまだ、終
わりはこないようです。



星が、見える
生きものは
かたむき 死滅して
渦を巻いている
無限のそうしつと
発話したのは私だったか だれ、
だったのか

おそらく品川のビル群が見える。遥か足下で、識別灯が、気が遠くなるほどの
疎らさ、じれるような間隔で、明滅を続けていた。


第2回 21世紀新鋭詩文学グランド・チャンピオン決定戦
月刊 未詳24 × 文学極道