第1回 21世紀新鋭詩文学グランド・チャンピオン決定戦


水を捨てる
  宮下倉庫


水捨て場に人々は集い、列を作り、声を奪われたみたいに、ただの一言も発せず、順番に水
を捨てていく。たいていはどの家の食器棚にもひとつはある茶碗を、でなければグラスの類
を、切り立った崖の縁に似た場所から、傾けて。しかし中には、手足を折りたためば人ひと
り収まってしまいそうな、ポリバケツを傾ける人もある。片手で軽々と持ち上げられるあた
り、だが、恐らく、水は容器の底に、申し訳程度にしか、湛えられていないのだろう。

どうしてここが水捨て場になったのか、恐らくは誰も知らない。捨てた人たちが、その後ど
うなるのか、それも、恐らくは。捨て場の端で、空になった茶碗やグラスは積み重ねられ、
人の背丈ほどの高さの塔がいくつも立っている。

それにしてもなんて営為だろう。他ならぬ水を捨てるために僕たちは行列を作り、時には横
断歩道を渡らなければならないことさえある。捨て水を満載した収集車は、歩きはじめたば
かりの幼子のように頭が重く、転んではよろよろと立ち上がり、またふらふらと駆けていく。

その後ろ姿だけを撮りつづけている写真家の展覧会に行ったことがある。それらは確かに僕
らの後ろ姿のようでもあり、その分だけ見る者は注意を怠るらしく、みな無防備で、そこに
湛えられているかのように見えたことをよく覚えている。僕はすぐに展覧会を後にした。背
後でフラッシュが焚かれた気がしたけど、振り返らずに歩くと身体中が、よろよろと力なく
こぼれそうになり、慌てて僕は抱きしめた。それからずっと抱きしめている。そうやって、
僕らは水と分かたれがたくなり、あらかじめ決めてしまわないと、捨てることさえ、上手に
できない。


 僕は並んでいる。僕は捨てている。確かに僕らの後ろ姿のようでもあった。とても緩ん
 でしまう。僕は僕の背中をつうと押し出すように器を傾ける。よろよろと歩きつづける。
 水は名づけられた。この向こうで誰かが両手を広げて待っているかもしれない。無数の
 名前がゆっくり落下していく。僕たち程の背丈の塔が、倒れることもなく、大きく傾げ
 ていく。現像液の中で後ろ姿が浮かび上がっては消える。ひらいた暗室の扉から、テー
 ルランプの赤い光が漏れ、遥か昔に飽きることなく耳をすましていた、下水道の流れる
 音が聞こえてくる。それは今なお耳の奥でかすかに響き、湛えられている。


最後に、半券の話をしておこうと思う。僕の財布はいつも、捨てられなくなったなにかの半
券ではちきれそうになっていて、切り離されたもう半分の行く末を、あいにく僕は知らない。
あの日、やっとの思いでたどり着いたレストランで注文した冷製の一皿の上には、もう半分
がぺらりとした屈葬の姿勢で、横たえられていた。僕は無言で、ありったけの半券を財布か
ら引き抜き、ふりほどいた。ひらひらとそれは、深い崖の底へと舞い落ちてゆき、あるべき
場所にあるべきものが還っていくのが見えた。そう、見えない場所で水が、洗って、還して
いくように。


第1回 21世紀新鋭詩文学グランド・チャンピオン決定戦
月刊 未詳24 × 文学極道