第1回 21世紀新鋭詩文学グランド・チャンピオン決定戦


でたらめ
  泉ムジ


猫のにゃん太郎は鳴いた。不愉快である、と。ベランダに降りこんでくる雨に、ではない。
彼はひなたぼっこなどというお遊戯に興味はない。彼のもっぱらの楽しみは、のぞきであ
る。向かいのアパートでは、最近越してきたばかりの若い男が一心不乱にポエムを書いて
いて、それがまったく気に入らないのだった。前に住んでいた女はよかった。昼間は仕事
でほとんどいなかったが、夜は一人暮らしの孤独を慰めようと必死になっていて、安いワ
インに溺れてみたり、用もなく電話をかけてみたり、時には男を引きずりこんでみたり、
あげくの果てには手首を切ってみたり、それでも次の朝には平気な顔で仕事に出かけた。
ところが今のヤツときたら、レースのカーテンがなくなったのはいいが、何の起伏もなく、
馬鹿みたいなスピードでポエムを書いている。ただそれだけである。いや、ポエムかどう
かはわからないが、どうせ気づかれまいと、いちど近くまで忍びよってみたら、でたらめ
を書きつけているだけだったので、こんなものはおそらくポエムに違いないと判断したの
だった。しかしこの男、飯も食わずに眠りもせず、トイレに立つことさえせずに、朝から
晩までもう3日間こんな生活を続けている。不思議と言えば不思議だ。こっちだって極力、
生理的欲求を抑制して、ほとんど看守のような気分で見張っているし、まさかそれに気づ
いてこっそり済ますことなどできるはずがない。そこまで考えて、彼ははたと気づいた。
そして鳴いた。不愉快である、と。途端に降りしきる雨が雨でなくなり、みにくい文字列
となって次第に消滅していった。彼が慌ててベランダから飛び立つと、間一髪でベランダ
がラベンダーに変わり、落ち着いた芳香を漂わせながら消えた。空中を落下しながら、彼
は鳴いた。私はにゃん太郎である。どうかイメージして欲しい。一点の曇りもないつやや
かな黒毛、サファイアのように冷徹に透きとおる青い瞳、かたくぴんと尖った元気いっぱ
いの短い耳、それと対照にやわらかく気品のある長い尻尾。こんなでたらめは許せない。
にゃあ。男はポエムを書き終えた。息を詰まらせながら伸びをすれば、もう3日くらい書
き続けていたような気がした。無精ひげをさする手のひらが心地いい。いつの間にか雨が
すっかり止んでいて、今年の梅雨が明けたことを知り、窓を開けると、猫が飛びこんでき
た。なんだ、かわいい黒猫じゃないか。よし、お前は今日からにゃん太郎だ。男は笑った。
にゃん太郎は目を細め、ごろごろとのどを鳴らした。


第1回 21世紀新鋭詩文学グランド・チャンピオン決定戦
月刊 未詳24 × 文学極道