僕の涙が君の涙でもあった頃の
あれらの日々が輝いている
いつまで忘れず覚えておくのか
いつからともなくめくるべきページが現れて
僕はめくってゆく
どこが始まりなのか分からない
深夜
保守車両がそっと動き出す
僕が乗っている
そして線路の上を
とてもゆっくり進む
踏切が鳴って
乗客のいない一台の送迎バスが止まる
僕が乗った保守車両はなかなか進まない
待ちくたびれて苛立った送迎バスの運転手が外に出て
何が通過しようとするのかと線路の遠くをのぞく
恰好の悪い保守車両がのろのろと進んでいる
送迎バスの運転手の胸に
閉じた踏切がどうにもならない他人の心のようにぶつかってくるようで
ハアと息を吐いて煙草に火をつけるよりほかなかった
「すみませんね、お待たせしてしまって
速度が決められているので仕方ないのです
でもあなたもこんな時間、誰も乗せずにどこへ行くのですか?
送ってきたところでしょうか?
迎えに行くところでしょうか?
それとも別用で?」
深夜は誰もが一人ぼっちで
たまにこうやって出会う
そして誰もが忙しい
肉体、この安いもののために涙を流した過去の日々が鈍色に輝いている
過去、食べたくても食べられない貧しい人をたくさん見てきた
うまく大人の身体になれない人も少なからずいた
僕を恋敵だと思い込んで訪ねてきた早熟で愚かな少年もいた
寛大そうな魂の光を放つ人もたくさんいたが
魂だけがそうであっても暴力に走ることは止められない
僕が乗った保守車両がやっと踏切のところまで来た
送迎バスの運転手が運転席に戻る
遠い夜空に環境センターの高い煙突が暗く聳え立っている
見上げれば星々の間を雲が飛行している
愛すべき正気
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201020_941_12167p
- 菊西夕座 :
読み終えたとき、なにかホッとしますね。
>送迎バスの運転手の胸に
>閉じた踏切がどうにもならない他人の心のようにぶつかってくるようで
この辺の心の交差の妙が味わい深く、また対比が意外で新鮮でした。胸に、踏み切りが、ぶつかってくる。踏切ってのはふつう、ぶつかってこないための遮断機があるはずなんですが、遮断機でなく踏切っていうところに、なんともいえない進入不可侵な領域があるんでしょうね。
それから孤独者たちの静かな夜の交差。なんとも降りられないむずがゆさのなかで、ゆっくり進行してゆく無言の出合いと別れ。
「愛すべき正気」。これを私はどうしても、愛すべき席と読んでしまいますね。悪い癖で、音をずらしてしまうんです。でもなにか、お互いの席、保守車両の席と、バスの運転席。そこについているときだけが、正気でいられるというか、自分でいられるというか、もちろんそれ(仕事)によって縛られはするんだけれど、そこに静かな許された自分の空間があること、これがなにか救いのようになっているのではないか、と感じてしまって、それでホッとしたのだと思います。
「暴力」とか「環境センター」とか、もっと読み込んでいけばいろいろと解釈が深まりそうな、そんな気もしますが、まずはおつかれさまと缶コーヒーをひとつどうぞ、そんな感じで眠らない交差点を後にしたいと思います。 ('20/10/20 00:53:22)
- yasu.na :
菊西夕座様、コメントありがとうございます。
短く申しますと、私の胸中には、
詩に「狂気」ではなく「正気」を! 「精神」ではなく「肉体」を! 「天上」ではなく「地上」を!
というような気持ちがあって、この作品を作ったのでした。
この作品を投稿した後、コメントをいただく前に、実は本当に近くの自販機に行って缶コーヒーを飲んできたのでした。笑 ('20/10/20 18:50:47)
- 一輪車です :
もしこれがわたしの書いたものなら
すこし時間を置いてから見直して
剪定(せんてい)が必要だと判断するでしょうね。
剪定というのは植木屋が不要な枝葉を切り取るあの操作ですが。
剪定前の木の姿が、
人間の言葉で言えば、表現される直前の頭のなかにイメージされている
ことばであるとすれば
表現されたことばというのは剪定後のことばであると思うのですが
SNSに投稿される詩ファンのひとたちのうぶな表現には、
ほとんど剪定の跡がみられない。
それはおそらくじぶんのことばへの自愛というものが邪魔していて
頭のなかにあるイメージをぜんぶそのまま大切にしたいという気持ちが
働いているからではないかとおもう。
それはイメージだけではなく、思想のようなものもそうで、
頭のなかに浮かんだ思想を、詩もどきのようなものを書いて表現に定着
させようというとき
詩ファンのうぶな人たちは、それが何か他人にとっても重大なもので
あると思い込み、その思想めいたものを全面的に書き表わそうとする。
すると、
ことばはそのやわらかさや、Rhythmや、うつくしさを失って
骨ばった老女のような身体をもち、本来詩が包摂している
はずの芳醇なみずみずしさを失う。
ここで偉ぶっている「いかいか」とかいう荒らしの詩もどきがそうです。
ああいうふうになってはいけないとおもっています。
この詩などは三連目の書き方などにひとつの自立したポエジーを感じるのです。
つまり三連からはじめてもよかった。だけど、
いかんせん、剪定がなされていないので惜しい。
深夜
保守車両がそっと動き出す
僕が乗っている
そして線路の上を
とてもゆっくり進む
この三連の「そっと」とか「そして」とか「とても」とかは、植木でいえば
トビ枝といって木の姿全体、それから背景とは合わない長すぎる枝なわけです。
しかし木のほうからしてみればそれはそうしたいから伸ばした自然の枝です。
だから切られたくない。だけど全体への美意識という眼差しからすると、
それはわがままの表明でしかない。
深夜
僕が乗っている
保守車両が動き出し
線路の上を
ゆっくり進む
これが剪定されたあとの枝ぶりですが、書き手の感傷や願望のようなものが
削ぎ落とされている。つまりことばに空洞ができているわけです。
だからそこに読者の感傷や願望が充填されやすくなっている。
こうやって詩は書き手と読者が交感するのです。
これは思想のようなものもそうです。
>「狂気」ではなく「正気」を! 「精神」ではなく「肉体」を! 「天上」ではなく「地上」を!
こんなものはべつにわざわざ書くこともないし意識する必要もないのですよ。
あたなが考えているほどじつは大したことではないのです。
あなたが個人的に特別だと思い込んでいる思想だけのことをいってるのじゃないです。
たとえば、ここの常連で頭のおかしな
いかいかなる男が振り回している思想、そういうものは本人にとっては大切かも知れないけど
他人にとっては一種のどうでもいい妄想でしかない。
だから、もし、思想を詩で伝えたいのならそんなものを押し付けないでもことばから
自然に滲み出るものですから、意図的にならないほうがいいと思います。
意図的に思想を伝えたいとすればそりゃあたいへんですよ。
詩の〈方法〉を一からじぶんでこしらえなければならない。
それには一生がかかるのじゃないかと思いますね。 ('20/10/21 06:23:01 *11)
- 親切さん :
↑一輪車さんの最新作です。見事な剪定を参考になさって下さい!
さあ、かかってこいよ!
一輪車
ネット(自称)詩人なんてのはどいつもゾッとする存在だな。
いま、このときも、何かおれが失言しないか、ミスしないかとじっと
陰から伺っているやつらがいる。笑
東もそうだし、いかいかもそう。李なんとかいうやつもそう。
こいつら、ほんとじぶんが異常であることわかっているのだろうかね。
そういうやつらだから
詩まがいを書いたってクソなんだよ。それを批判されたからといって
2ちゃんねるでデマを振りまき、ここでは捨てハンで恨みを晴らしにくるのは
お角違いだと思うが。
ああ、アラガイさんもひでえ目にあったが、しょせん、まともな詩のたましいは
便所板では受け入れられないのか。笑
おう、来いよ! キチガイども、いつでも相手になってやるぜ。
さあ、来んかい! キチガイども!笑
姑息な自称詩人もどきども!
腐った蛆虫野郎ども! 来いよ! さあ、来いよ!
乾いた生理の血をパンツにつけたまま
ボサボサ髪で恨みつらみの妄想を書き付けているキチガイ女も
エロ本と酒瓶で饐えた匂いのする狭い部屋で
矮小な夢を見ている小人のクソガキの精神異常者どもも、
さあ、来いよ! かかってこいよ、
箸にも棒にもかからない、ウジ虫にすら劣る自称詩人もどきども!
腐った人間ども、
なんの意味もない歪んだ妄想ども、
さあ、
かかってこい! その不潔な口臭のする文字で
ぶつぶつと文句をたれにこいよ、イカイカ!
腐ったイカイカの信奉者のアホ女ども。
どいつもこいつも、
重度精神病棟のブチ切れたクソであること自覚しているか?
さあ、来いよ!
大した詩も書けないくせに「迷惑」だとかいうイカイカ信者の
アホ女も来いよ! うん、こら。
2ちゃんねるでさんざん投稿者のデマを流している北も来いよ!
さあ、せいしん異常者ども、かかってこいよ!
おい、アンダンテよ
グリル付きの家に住んでるおまえはそんなに偉いのか。
いまだに炭火で魚を焼いているおれは
そんなに下劣なのか。
詩の批評の場に貧富を持ち込むな、
おまえが書いている源氏物語詩。
源氏物語ではグリルで魚を焼いているのか。
詩人もどきのクソばばあ。 ('20/10/21 11:26:48)
- イロキセイゴ :
思い出紀行が動き出して、保守車両が何度も顔を出し。僕の愛すべき正気は食べに出たがっているのかもしれません。 ('20/10/22 00:38:24)
- yasu.na :
一輪車です様、コメントありがとうございます。
>深夜
>保守車両がそっと動き出す
>僕が乗っている
>そして線路の上を
>とてもゆっくり進む
の箇所については私も切ったり加えたり順序を変えたりしたのです。剪定は、切ってゆくだけでしょうけれど、加えることや順序を変えることも大事だと思います。一輪車です様の剪定によれば、次のようになっています。
>深夜
>僕が乗っている
>保守車両が動き出し
>線路の上を
>ゆっくり進む
これであると、まず「僕が乗っている」が前に来ていて、私の心にある情景と合わないのです。私は読者にもまずは「保守車両がそっと動き出す」ことを思い浮かべて欲しかった。その上で「僕が乗っている」という情報を受け取って欲しかった。
また、剪定後の「動き出し」と「進む」という動詞の連続はくどいように感じられます。ここはいったん「動き出す」というように言い切って、少し離して「とてもゆっくり進む」と書いた方が良いと考えました。
あとは音的な点と精確な情景描写という点から、字数と副詞や接続詞をどうするか考えました。剪定後のものだと、どこかせっかちな感じがしませんか。
言われるところの、
>だから、もし、思想を詩で伝えたいのならそんなものを押し付けないでもことばから
>自然に滲み出るものですから、意図的にならないほうがいいと思います。
>意図的に思想を伝えたいとすればそりゃあたいへんですよ。
>詩の〈方法〉を一からじぶんでこしらえなければならない。
>それには一生がかかるのじゃないかと思いますね。
この箇所には教えられるところがありましたね。ありがとうございます。 ('20/10/22 00:57:54)
- 自由美学 :
>それには一生がかかるのじゃないかと思いますね。
一輪車さんの最新作『さあ、かかってこいよ!』、あの原生林っぷりはすごい。さすがにあれなら剪定に一生かかるのじゃないかと思いますね ('20/10/22 01:28:34)
- 一輪車です :
yasu.naさん なるほどね。
いや、こちらこそ勉強になりました。
なにぶん素人なもので、そういわれてみれば
そうだなとおもいます。笑
「読めない書けない」わたしのいうことなど真に受けず、
ああ、一読者はこんなふうに読むのかと、
参考にしていただけて幸いです。 ('20/10/22 01:47:29 *3)
- なまえをたべたなまえ :
ただの情景描写は退屈そのものだから早く卒業しようね。 ('20/10/22 22:16:46)