深夜
交通量の少ない山道を
車で帰る
トンネルの手前で
カーラジオの電波がおかしくなって
崖側のガードレールの後ろに立つ
白い人影が見えた
あっ
て思ってそのまま通りすぎて
トンネルの中を逃げるように走っていると
だんだん背筋が寒くなってきて
あー嫌だなー嫌だなーって心臓がドキドキバクバクなって
身体中から冷たい汗がドワーっと吹き出してきて
バックミラーをちらりと見ると
後部座席に
びしょ濡れの女のひとが座っている
バッチリ目が合ってしまったので
無視するわけにもいかず
舌打ちしながら
雑巾のような勇気を振り絞り
「お客さん、どちらまで?」
と聞くとびしょ濡れの女のひとは
長い髪をかきあげて
「おまえタクシーちゃうやろ!!」
と怒って消えた
それを言うなら正しくは
タクシードライバーだとは思ったが
私は霊媒師ではないので
地縛霊の考えることはようわからん
でも
見えてまう
別に見たないけど
見えてまうねん
いつまでたっても
成仏できへん
びしょ濡れの女のひとが
タクシーじゃなかったら
いったい何を待ってんねやろ
私の車の後部座席が
いつもひんやり冷たく感じられるのは
おおよそそんな理由です
そうです
ちょうど今あなたが
右手で撫でているそのあたりです
(運転手はそう言って低く笑った)
ひんやりしているでしょう?
しっとり濡れているでしょう?
お客さんわかりますかそのシートの染みに込められた
びしょ濡れの女の
行き場のないかなしみが
毎晩のようにその道を通り
その度にびしょ濡れの女を後ろに乗せて
なんだか私は女に親近感すら抱くようになったのですよ
恋
と言ってもよかったかもしれません
いつだったか私が
今夜も濡れてるね
グショグショだね
って言うと女は
一瞬ギョッとした表情をしてそれから
少しはにかんだまま
「おまえタクシーちゃうやろ!」
ってもうそれが口癖なんですね
あなたはイエローキャブなんですか?
ってくだらない冗談で私は返して‥‥‥‥
(なにヤダこの運転手さん気持ち悪い‥‥‥)
わたしは身の危険を感じて口を開いた
「すみません、ここで止めてください、降ります!」
運転手は無言のまま振り向きもしない
タクシーはますますスピードを上げ深夜のカーブをタイヤをギュルギュル軋ませながら曲がって行った
「止めてください! 止めて! 今すぐ降ろして!」
キキーーーッッッッッ!!!!
突然の急ブレーキで車は止まった
わたしは助手席の背もたれに頭をぶつけた
恐怖とパニックで慌てふためき
ガチャガチャとドアを開けようとしたが
ロックされているのかなかなか開かない
ゆっくりと運転手がこちらを振り返った時
わたしは男が正気でないことを悟った‥‥‥
わたしはハッキリと見たのだった
黒い沼のように澱んだ男の瞳に
ポエム
と
書かれてあるのを‥‥‥‥‥‥
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150907_716_8297p
>山人さん
>アラメルモさん
>北さん
そぼ降る雨を
推し並べて
シオシオと
最合いのなかで
傘の柄を回した
ワイパーワイパー坊やが
透明なビニル傘を
水車のよに回す
帰路の途の
木立のとっかかり
梢が口を開け
大樹の頭のなかを
くるっくるっ
回す傘の柄
そぼ降る雨に
おしなべて
シオシオと
声に聴こえる
子仲
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150901_547_8286p
しずかに君が置かれた死都に
つたえたいことを密封した片割れの卵子が
いまや空気とよべない息を立てていた
昼のあとに訪れる朝が
風音ばかりのなかの道なき地肌に
おそくなって夜とともにやって来る
加重つづける天秤の上皿に
びっしり君の踵の皮が抜け落ち
孑孑(ぼうふら)の胸背のめざめの音が
むき出しになった君の視界を蓋うだろう
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150907_725_8300p
今年の春から
高校生になった僕は
まるで詩人のような雰囲気で
電車通学をしています
窓の向こう
花々は
きれいです
新しい友達は
まだできていないけれど
新しい花々は
もう咲いています
とても
きれいです
僕は
みんなの名前
おぼえられるのでしょうか
最近
駅でよく見かける
きれいな目をした
ショートカットの女の子と
やたら目が合います
でも
よく考えてみれば
僕が
その女の子を
見ているだけなのかもしれない
夏の風が吹いて
僕は映画の主人公になりきって
女の子に
話しかけてみた
女の子は
詩集を読んでいた
チャンスなりっ
僕は
詩なんて読んだこともないし
まして書いたこともないけれど
まるで詩人のような雰囲気で
詩人が主人公の
映画のワンシーンのように
(詩が好きなんですか?
と聞いてみた
女の子は黙ったまま
僕を見つめて
一瞬
笑ってから
僕の顔を殴りつけてきました
そして
僕は前歯が折れました
自分に
いったい何が起こったのか
その時は
何もわかりませんでした
女の子は
空手黒帯で
関東大会二連覇をしているらしい
駅員と警察官が
僕に
苦笑いしながら教えてくれました
悲惨なりっ
誤解がとけて
女の子は
僕に
ひたすら謝ってくれたけれど
僕の前歯は
ぐらぐらして
心は静かに
もう止まっている
冷静なりっ
僕は学校へも病院へも行かず
近くの河原へ歩いて行った
リア充って言葉
誰が言いはじめたんだろう
やりきれない想い
いつもこうじゃん
いっつもこうじゃん
告白する前に
こうなるじゃん
告白さえ
僕はさせてもらえないのか
ツイッターなんて
童貞にとって
本当につぶやきたいことは
おっぱいもみたい。
とかばかり
毎日
同じことばっかり
だから僕は
この想いを込めて
生まれてはじめて詩を書いた
そして
ブログに載せた
中学の友達から
イイネ!と言われた
何がいいのかわからない
なにが、イイネ!だ、ばかっ。
詩なんて
もっとわからない
たぶん
僕が書いたのは詩ではない
そう思った
イイネ!なんて言われたら
終わりだ
川の向こう
花々が咲いている
名前なんて知らない
あの子
誰の詩集を読んでいたのだろう
夕暮れ
もう秋の気配がする夕暮れ
遠くで学校のチャイムがきこえる、
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150831_436_8275p
>いつもこうじゃん
>いっつもこうじゃん
>告白する前に
>こうなるじゃん
ビックバンツアーに行ってきたんですけどね、
要所各所の星や惑星を見物したら、後はタイムワープでした。
そして1週間ほどかけて到着するのですけど、
その景色ときたら、ガスがウネウネ浮遊しているだけで、
これは実際のところ宇宙誕生の瞬間から幾億年か経ってますわ。
それでも、「ああ、僕が今こうして生きている原因はこれ?」
なんて一応理解した素振りを飲み込んでみても、
ほんまのところ時空を超えているから実感が涌かないのですよ。
そんで写メ撮ってフェイスブックに投稿して、
『一切の過去から・・・』
なんて言葉を添えておくのですけど、
投稿した瞬間に「やっぱりタイムラインから消したろか?」
と思うくらい、実に面白くない。僕は爆発の瞬間が見たかったのですよ。
レンズに収まりきらない虚無なんて黒でも白でも闇は闇なんですよ。
真実なんてお口で語れませんからね。そもそもチュッパチャップスですよ。
来年は6500万年くらい前の、KT絶滅を見にいくのですけどね、
「いいね」いっぱいつきますよ。恐竜とか写せますからねー。
日曜日の雨
雑草の服はありません。
でも、彼らの喜び。
明るい水滴。
ここ、京都で日曜日の雨。
大丈夫っすよ、めっちゃ安全なんですよ。新幹線なんか目じゃないですよ。
不運は飛行機が堕ちる確立の137億年よりも低いですから。
守れた事実を見に行く鳥、その翼が僕の真実です。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150907_717_8298p
>「弁護士の苦悩」が書かれていると思いました。
>梅干だと思いました。
>甘い梅干だと思いました。
二〇一四年十一月一日 「She’s Gone。」
風水って、よう考えてあるえ。
そなの?
東西南北すべてに地上があって宇宙があるのよ。
東に赤いもんを置くのは、あれは、お日さんがあがってきはるからやし
西に黄色いもんを置くのは、あれは、お月さんの明かりを表してあるのんえ。
へえ。
ちょっと、きょう撮ったこの花見てえな。
なになに。
これ、冬桜。
へえ、大きいの?
アップで撮ったから大き見えるけど、こんなもんえ。
と言って、右手の人差し指と親指のあいだをつづめて2、3センチにして見せる。
藤とザクロと枇杷は、家の敷地のなかには植えたらあかんえ。
なんで?
根がものすごう張るし、上も繁殖するから、家のなかに光が入らへんのえ。
そだよね。
藤の花って、きれいだよね。
むかし、船くだりして見た藤の花の美しさには、びっくりした。
トモくんといっしょに、船で川くだりしてたときに見たんだけど
船頭さんの話を聞かされながら川をくだってたんだけど
がくんとなって、はっとして見上げたら
数十メートル先の岩頭に、藤の花がまといつくように
いっぱい咲いていて、あの紫色の花が
太陽光線の光で、きらきらきらめいて、ほんとにきれいやった。
突然、ふっと目に見えるところに姿を現わしたってことも
その美しさをより増させたように思う。
こころの準備のないときに、ふっと姿を現わすということ。
このことは、ぼくにヴァレリーの、つぎのような言葉を思い起こさせた。
それとも、つぎのようなヴァレリーの言葉が、ぼくにこのような感慨を抱かせたのか。
兎は、われわれを怯えさせはしない。しかし、兎が、思いがけず、だし抜けに飛び出して来ると、われわれも逃げ出しかねない。
われわれに取って抜き打ちだったために、われわれを驚嘆させたり、熱狂させたりする観念についても、同じことが言える。そういうものは、少し経つと、──その本来の姿に戻る……
(『倫理的考察』川口 篤訳)
二〇一四年十一月二日 「Sara Smile。」
ずいぶん、むかし、ゲイ・スナックにきてた
花屋の店員が言ったことだったかどうか
忘れてしまったのだけれど
切花を生き生きとさせたいために
わざと、切り口を水につけないで
何日か、ほっぽっておいて、かわかしておくんだって。
それから、切り口を水にさらすんだって。
すると、茎が急に目を醒ましたように水を吸って
花を生き生きと咲かせるんですって。
さいしょから
たっぷりと水をやったりしてはいけないんですって。
そうね。
花に水をやるって感じじゃなくって
あくまでも、花のほうから水を求めるって感じでって。
なるほどね。
ぼくが作品をつくるときにも
さあ、つくるぞって感じじゃなくて
自然に、言葉と言葉がくっついていくのを待つことが多いもんね。
あるいは、さいきん多いんだけど
偶然の出会いとか、会話がもとに
いろいろな思い出や言葉が自動的に結びついていくっていうね。
ああ
なんだか
いまは、なにもかもが、詩とか詩論になっちゃうって感じかな。
書くもの、書くもの、みんなね。
すると、マイミクの剛くんからコメントが
たしか
水の代わりに炭酸水をやるといいらしいですよ
これも
ストレスみたいなものでしょうね
ぼくのお返事
初耳でした。
ショック療法かしらん。
すると、またまた、剛くんからコメントが
ヴァレリーの兎みたいですね。
ぼくのお返事
そうね。
そして、その驚きが長続きしないように
切花も
ポエジーも
瞬間的沸騰をしたあとは
じょじょに
あるいは
急激にさめていくという点でも酷似してますね。
ふたたび熱されることはあってもね。
まえより熱せられることは
まれですね。
シェイクスピアや
ゲーテくらいかな。
ここに
パウンドをくわえてもいいかな。
あと
ボードレールくらいかな。
きのう
おとつい
ずいぶんむかしの自分のメモを読み返して
ボードレールのすごさに
感服してました。
すると、またまた、剛くんからコメントが
あつすけさんは、ボードレールをどの本でどの訳で読みますか?
ぼくのお返事
人文書院の全集を持ってるから、それで。
詩は文庫で堀口さんと三好達治だよ。
マイミクの阿部嘉昭さんからもコメントが、じつは、うえの剛くんとの応答の前に
水で蘇るというのは
やはり魔法ですね。
花田清輝『復興期の精神』の
「クラヴェリナ」は
はたして実在の生物なんだろうか。
ぼくのお返事
花だ性器ですね。
読んだことがないのですが
ああ
まだまだ読んだことのないものだらけです。
読むリストに入れておきます。
二〇一四年十一月三日 「If That’s What Makes You Happy。」
ときおりボーッとしているときがあるのだが
放心と言うのだろうけれど
わたしはときどきそういう状態になるが
起きているあいだにも
自我が休息したいのだろう
魂が思考対象と共有する部分を形成しないときがあるようだ
孫引きされたマルセル・モースの『身体技法』を読んで
こんなことを思った
たしかにそうだ
人間は食べることを学んで食べることができるのだ
話すことを学んで話すことができるのだ
愛することも学ばなければ愛せないだろう
愛することのはじめは愛されること
また他人がどう愛し愛されているかを知ることも大事
自分とは違った人間が
自分とは違った愛され方をし
愛し方をしていることを知るのも大事
食べ方が違う
話す言葉が違う
愛し方が違う
いま同じ日本にいる人間でも
ひとりひとりどれだけ違うか考えると
人間というものがいかに孤独な存在かわかる
かといって
同じ食べ方
同じ言葉
同じ愛し方
これは孤独ではないが
とてもじゃないけれど
受け入れがたいことだ
まるでミツバチのようだ
マルセル・モースの『身体技法』から
ずいぶん離れたかもしれないけれど
ふと思ったのだが
愛もまたわたしという体験からなにかを学ぶのかもしれない
神がわたしという体験を通じて学ぶように
エドモンド・ハミルトンの『蛇の女神』(中村 融訳)を読んでいると
「音には目をくらませる力がある」とあったのでメモしていたら
ジミーちゃんから電話があって
「あなたの詩は
リズムによって
理性が崩壊するところがよい。」
と言われて
ものすごい偶然だと思った
あ
正確に言うと
電話があったのは
メモをルーズリーフに清書しているときにだけど
その花は肛門をひろげたりすぼめたりしていた。
二〇一四年十一月四日 「シャロンの花」
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『輝くもの天より堕ち』を読み終わった。ぼくが満点をつけるSFは10冊から20冊のあいだの数だと思う。けっして少ない数ではないが、これは満点以上のものだった。本文517ページに、「シャロン」あるいは「シャローン」は「そこらの女」という意味の俗語だという割注があったのだけれど、ぼくの辞書やネットで調べても、そういう意味がなかったが、シャロンというのはイスラエル西部の肥沃な場所で、もとは「森」の意とあった。俗語に詳しくないし、ネイティヴでもないので、「シャロンの花」とかいった言葉が聖書にあるが、そういったものが転用されて、俗語化して卑俗な意味になったのかもしれない。これは、いつか、ネイティヴの知り合いに話す機会があれば、訊いてみようかなと思う。物語に夢中になって、引用メモすることをいっさいせずに読み切ってしまったので、これから印象に残った言葉を探さなければならない。一か所だけだけど。内容はだいたいこういうもの。「すべてのもとは、子どもの時代になにをしたかということ。」もちろん、ぼくは、「なにをしなかったか。」ということも大事だと思うけれど、いまからできることも大事だとも思う。数時間前の読書なのに、記憶が違っていた。本文497ページ「もしもあなたが年を経た金言を聞きたければ、わたしはこういいたい。幼いころにあなたがやるすべての行動、そして起きるあらゆることが重要だと。」(浅倉久志訳)
二〇一四年十一月五日 「お風呂場」
お風呂場でおしっこしたり、セックスしたり、本を読んだり、ご飯を食べたり、自転車に乗ったり、家族会議を開いたり、忙しいお風呂場だ。
二〇一四年十一月六日 「言葉」
言葉にも食物連鎖がある。
言葉にも熱力学の第2法則がある。
言葉にもブラウン運動がある。
言葉にも屈光性がある。
言葉にも右ねじの法則がある。
言葉にもフックの法則がある。
二〇一四年十一月七日 「ヴォネガットの『国のない男』を読んで」
人間というのは、何かの間違いなのだ。
(ヴォネガット『国のない男』2、金原瑞人訳)
たまには、本当のことを書いてみたらどうなの?
(ヴォネガット『国のない男』2、金原瑞人訳)
ご存じのように、事実はじつに大きな力を持つことがある。われわれが望んでいないほどの力を。
(ヴォネガット『国のない男』2、金原瑞人訳)
〇
いくつか全行引用詩に使えそうなものを抜き書きしてみた。しかし、読んだ記憶がある文章も書いてあった。もしかしたら、読んだ本かもしれない。つぎのような個所である。
〇
思い切り親にショックを与えてやりたいけど、ゲイになるほどの勇気はないとき、せめてできそうなことといえば、芸術家になることだ。これは冗談ではない。
(ヴォネガット『国のない男』3、金原瑞人訳)
〇
そいえば、ヴォネガットも専攻は化学だったらしい。ぼくと同じで、親近感が増すけど、ヴォネガットのような経験もやさしさや思いやりも、ぼくにはないので、人間はぜんぜん違う。ヴォネガットは、こうも書く。
〇
詩を書く。どんなに下手でもかまわない。ただ、できる限りよいものをと心がけること。
(ヴォネガット『国のない男』3、金原瑞人訳)
〇
「できるだけよいものをと心がけること。」これは、もちろん、ぼくもいつも思っていること。
二〇一四年十一月八日 「ヴォネガットの『青ひげ』を読んで」
たまにする失敗。本のうえで、開けたページのうえで、メモをとっているときに、ペンがすべって、メモしてる紙からはみ出して、本のページのうえを、ペンがちょろっと走ること。いま、ヴォネガットの『青ひげ』184ページのうえで起こった。2行+***+2行目の下のほう、「途中ずっと」の左横で。読書が趣味なだけではなくて、うつくしい表紙の本のコレクターでもあるぼくは、以前なら、本のページがちょっとでも汚れたりしたら、発狂した人間がとる行為のような勢いで部屋のすみに本を投げつけたりしたものだけれど、きょうはおとなしかった。どうしてだろうか。いや、むしろ落ち着いておとなしい、いまのぼくの精神状態のほうが、以前の精神状態よりも狂っているような気がする。ちょっとしたインクの汚れ、これが数時間後に、あるいは、数日後に、頭のなかで、巨大な汚れとなって発狂したような状況を引き起こすかもしれない。などと、ふと考えた。いったい、ぜんたい、ぼくは、本の価値をどこに置いているのだろうか。内容だろうか。文字の書かれた紙という物質だろうか。その紙面の美しさだろうか。表紙の絵の好ましさだろうか。いや、そのすべてに価値がある。ぼくには価値があるのだった。そうだ。ぼくのメモの走り書きがなぜ、印刷された文字の左横に存在するのか説明していなかった。ふだんのメモや文章は、すべて横書きにしているのだが、このときのメモにはもう余白がほとんどなく、メモ用紙の下から引き出し線をちょこっと上に書いて、そのあと、メモ用紙の右の残された少ない余白に、それは縦2cm、横5mmほどのものだったのだが、そこに「縦書き」で変更メモを書いたのだった。それが、本のページに縦にペンの走った跡が残される理由だったのである。ちなみにその少ない余白に書いたぼくの言葉は、「別の現実の」であった。ここだけ赤色のインクである。なぜなら、まえの言葉「ある事柄の」のうえを赤線を引いて書いたものだからである。それまでのメモは、そのメモ用紙に関しては、黒インクだけで書いていたからであった。ちなみに、メモ用紙のした3分の1を訂正含めて書き写すと、「p.184うしろ l.6-7参照 現実の出来事が象徴そのものとなることがある。あるいは、現実が別の現実のメタファーとなることがある。(自作メモ)」である。もとの本にはこうある。「ときには人生そのものが象徴的になることがある。」(浅倉久志訳)さて、ぼくがいったい、ふだん、本を読んでなにをしているのか、その一端を披露したのだけれど、本を読んで、その本に書かれた事柄をさらにひねったものにしたり、逆にしたり、拡げたり、一般化したり、パーソナルなものにしたりして、変形しているということなのだ。初期の読書では、詩人や作家の書いたものの解釈をしていたのだが、あるときから、本に書かれた内容以外のものも含めて「読書」に参加するようになったのだった。いわば読みながら創作に関与しているのだった。これを正当な読書だと言うつもりはない。ぼくの読み方だ。ところで、つまらない作品だと思うものに大量のメモをすることもあれば、傑作だけれど、いっさいメモができなかったものもあるのだが、おそらくさきほど書いたような経緯もあるのだろう。あまりに完璧すぎてメモができなかったものにP・D・ジェイムズの『正義』がある。いや、『正義』からもメモをした記憶がよみがえった。しかし、ぼくの頭は不完全なので、あったことのない記憶もあれば、なかったことのある記憶もあるらしい。メモしていなかったかもしれない。読書に戻ろう。ヴォネガットの『青ひげ』への感情移入度がきわめて高い。ふと思ったのだが、「現実が別の現実のメタファーとなることがある。」は、「ある一つの現実がそれとは別の一つの、あるいは、いくつかの現実のメタファーとなることがある。」にしたほうがいいだろうか。いじりすぎだろうか。まあ、状況に合わせて変形すればよいか。そいえば、さっき、ヴォネガットの『青ひげ』(浅倉久志訳)を読んでいて、「「まちがいね」と彼女は言った。」を、さいしょ、「「きちがいね」と彼女は言った。」と読んでいた。ルーズリーフにメモしようと思って再読して勘違いに気がついた。疲れているのだろうか。きのうもほとんど眠っていない。クスリの効きが落ちてきたようだ。
二〇一四年十一月九日 「アップダイクの『走れウサギ』を読んで」
ジョン・アップダイクの『走れウサギ』の冒頭の2ページを読んで、あれっと思い、さらに2ページを読んで確信した。これ、まえに読んで退屈だと思って、捨てた本だった。しかし、いま読むとメモ取りまくりなのである。ぼくの言葉の捉え方が変わったのだと思う。こういったことも、ぼくの場合、めずらしくないんだな。
二〇一四年十一月十日 「amazon」
こんなやつに笑われたひとは、こんな連中にも笑われています。
二〇一四年十一月十一日 「おれの乳首さわってみ。」
ふざけ合った。
「ほらほら、おれの乳首さわってみ。」
ケンコバが、ぼくに彼の脇のしたをさわらせた。
「これ、イボやん。」
「オレ、乳首3つあるねん。」
「こそばったら、あかんて。」
ああ、楽し、と思ったら目が覚めた。
二〇一四年十一月十二日 「かわいいおっちゃん」
きょう、近所のスーパー「フレスコ」で晩ご飯を買ってたら、ちょっと年下かなと思えるかわいいおっちゃんがいて、見たら、見つめ返されたので、目線をそらしてしまった。目線をそらしても、まだ見てくるから、近所だからダメだよと思って、顔を上げないで買い物をつづけたけど、帰ってから後悔した。こういうときに、勇気がないから、ときめく出会いができないんやな、と思った。数か月に1度くらいある、稀な機会やのに。また会うかなあ。ここに住んで10年くらいで、はじめて見た顔やったから、もう会わへん確率が高い。もったいないことをしてしまった。ちょっと声をかけるだけでよかったのに。
二〇一四年十一月十三日 「卵は廻る」
一本の指が卵の周りをなぞって一周する
一台の自転車が地球のまわりを一周する
二〇一四年十一月十四日 「マイミクの方のブックレビューで見つけた、ぼくの大好きな詩句。」
マイミクの方のブックレビューで見つけた、ぼくの大好きな詩句。
Jean Cocteau
の
「赤い包み」
という詩にある詩句
Je suis un mensonge qui dit toujours la vérité .
(ぼくはいつも本当の事を言う嘘つきだ)
原文を知らなかったので
とてもうれしい。
フランス語が読めないので
語音が楽しめないのだけれど。
あるサイトがあって
そこは英語で、コクトーの言葉が書いてあった。
上の詩句は
I am a lie who always speaks the truth.
でした。
ふつうやね、笑。
でも、lie を受けるのが who なんて、意外やわ。
へんなとこで感心してしまう、笑。
すると、マイミクの剛くんからコメントが
はじめてlieを習ったとき、
英語でこのことばを人に使うと、
ものすごい中傷になるので
日本語のように使ってはいけないといわれた記憶があります。
ジーニアスにも、
かつてはこのことばを使われたら、
決闘を申し込むほどだったとありました。
mensonge は〈嘘つき〉ではなく「嘘」
qui は英語でいうところの「who」ですから
「嘘」が人間のように修飾されているみたいです。
日本語では訳しづらいニュアンスですね。
ぼくのお返事
文法上は、擬人法的な扱われ方で
語意上は、擬人法的に訳したらダメってことね。
堀口大學さんの訳文って
たしか
「わたしとは真実を告げる偽りである。」
って訳していたような記憶があります。
いま
ネットで調べました。
ぼくという人間は虚偽(いつわり)だ、
真実を告げる虚偽(いつわり)だ。 (堀口大学訳)
たしかに、こうでしたね。
しかし、つぎのように訳しておられる方もおられますね。
「ぼくはつねに真実を語る嘘つきだ。」
ジャン・コクトー「赤い包み」末尾 1927 『オペラ』収録
ううううん。
「嘘つき」という訳には抵抗があるなあ。
堀口さんの訳が耳にこびりついてるからかなあ。
まあ、単なるメタファーなんやろうけど。
たしかに、微妙なメタファー。
そうだなあ。
たとえば
名詞の ruin なんてのは、ひとには使わない単語だけど
使うとしても、one's ruin って感じでだろうけど
He was a ruin.
で
彼は廃墟だった。
彼は破滅だった。
ってメタファーとして使えるってことやね。
たしかに、詩的な感じがするね。
すると、また剛くんからコメントが
嘘そのものってことね。
たんに
不定冠詞の un
数形容詞の un として
「一つの」
「一個の」
と、つけて訳しても、カッコいいかもね。
すると、ぼくがブックレビューで右の言葉を見つけた
当のマイミクのしーやさんからコメントが
そう、嘘つきではなく、正しくは、嘘なのだけれど
詩集ではなく、絵で知ったの
13,Novembre 1934
とあるので、詩集のほうが、先ね
挿絵として描かれたものなのでしょうか
いま、図録がすぐ手元にみつからなくて、あいまい
そう、オペラで括られて、展示されていた気もする
そのための作品だったかもしれない
おとこのこの顔が、描いてあったから
「嘘つき」と勝手に訳した嘘つきです
ちなみにその絵画のほうの英語訳は
I am a lie that always tells the truth
でした。
ぼくのお返事
that のほうが自然な感じがしますね。
で
「嘘つき」と訳されてあるものもありますね。
といいますか、いまネットで調べたら
堀口大學さんの訳以外、みんな、「嘘つき」になっています。
不思議!
Comprenne qui pourra:
Je suis un mensonge qui dit toujours la vérité.
わかる人にはわかって欲しい、
「ぼくはつねに真実を語る嘘つきだ」ということを。 (コクトー「赤い包み」 1927 )
どっちのほうがいいかは、もしかしたら好みによるのかもしれないですね。
二〇一四年十一月十五日 「重力」
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転したら
鉛筆は机の上で静止したままだ
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転し
それと同じ速さで建物が同じ向きで90度回転したら
鉛筆は机の上を逆向きに転がり落ちる
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転し
それと同じ速さで建物が机と同じ向きで90度回転し
それと同じ速さで地面が机と同じ向きで90度回転すると
鉛筆は机の上を逆向きに転がり落ち
机の下を転がり
机の脚元から上昇する
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が逆向きに90度回転したら
鉛筆は倍速で転がり落ち
机の下を転がる
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転し
それと同じ速さで建物が机と逆向きに90度回転すると
鉛筆は机の上から転がり落ちる
鉛筆が机の上から転がり落ちる速さと同じ速さで
机が同じ向きに90度回転し
それと同じ速さで建物が机と逆向きに90度回転し
それと同じ速さで地面が建物と同じ向きに90度回転すると
鉛筆は机の上に静止したままだ
二〇一四年十一月十六日 「本のうんこ」
本がうんこをするとしたら、自分より小さい本をうんこにして出すんやろうか。それとも、印刷された文字をうんこにして出すんやろうか。まあ、余白の紙をうんこにはしないだろうけれど。おなかをくだしてたら、文字がシャーって出てきたりして。本の出す固いうんこって文字がギューってからまってそう。
二〇一四年十一月十七日 「本のイメージ」
本のイメージって、鳥かな。魚っぽい形もしてるけど。虫じゃないだろし、猿や犬とも違ってっぽい。やっぱ、鳥かな。鳥は卵だし、本も卵から生まれるのかもしれない。そしたら本が先か卵が先かって話になるのかな。鳥かごのなかの止まり木に小さな本がちょこんと腰かけて、足をぶらぶらさせてる姿が目に浮かぶ。
二〇一四年十一月十八日 「本の料理」
本を料理する。煮たり、焼いたりするのもいいけど、サンドイッチもいいかな。細く切って、パスタにもできるし、厚く切って、おでんの具材にもいいかもしれない。ピザの生地にも使えるかな。でも、本って、さしみがいちばんおいしかったりして。和・洋・中華、なんにでも使える具材だね。
二〇一四年十一月十九日 「フューチャー・イズ・ワイルド」
塾の帰りに、五条堀川のブックオフで、『フューチャー・イズ・ワイルド』という本を買った。200000000年後の地球に生息しているかもしれない生物を予測してCGにした本。とてもきれい。108円。きのうも見たのだけれど、買わなかった。でも、気になって、きょう、あるかなと思って行った。200000000年後の世界なんて、関係ないじゃん、とか、きのうは思ってたのだけれど、きょう、通勤電車のなかで、5000000年後の風景とか、100000000年後の風景とか考えてたら、あ、参考になるかな〜と思って、あれ買わなきゃと思ったのだった。氷結した地上で、畳のうえに坐って、おかきをパリパリ食べてるぼくとか、焼けるような日差しのなか、ジャングルのなかで、そばでは巨獣が咆哮してるというのに、ヘッドフォンでゴキゲンな音楽聴きながら、友だちとピンポンしてるぼくとか、思い浮かべていたのだった。
二〇一四年十一月二十日 「ラルース 世界ことわざ名言辞典を読んで」
二兎を追うものは三兔を得る。
証拠より論。
我がふり見て人のふり直せ。
一方美人。
皿を食らわば毒まで。
仇を恩で返す。
三度目の掃除機。
あらゆる善いことをした人でも、わたしに悪いことをした人は悪人である。
金銭は人の尊敬よりも確かな財産である。
二〇一四年十一月二十一日 「円筒形のパパ」
ぼくが授業をしていると
円筒形のパパが
教室の真ん中に現われた
円筒形のパパは
くるくる回転していて
ぼくは授業中なので
驚いた顔をしてみせるわけにもいかず
黒板に向かって
複雑な因数分解の解法について書き出した
式を書き終わったところで振り返ると
やっぱり円筒形のパパは
教室の真ん中で
くるくる回転していて
ぼくは生徒がノートをとり終わるのを待つふりをしながら
生徒の机と宙に浮かんだ円筒形のパパに
交互に目をやった
ほとんどの生徒のペンの動きがとまったことを確かめると
黒板に向かって式の解説をはじめた
黒板をみるときに
ちらっと目の端でとらえた円筒形のパパは
やっぱりくるくる回転していて
生徒といっしょに
せめて
じっとして
こっちを見ていて欲しいな
と思った
二〇一四年十一月二十二日 「パパ」
父親には恨みごとしかないと思っていたのだが、ひとつだけ、感謝していることがあった。ぼくの知るかぎり、一生のあいだ働かずに生きていた父親の趣味が文学や芸術であったことだ。映画のスティール写真を写真屋に言いつけて1メートル×2メートルくらいの大きなものにして寝室に飾っていたり、しかもそれは外国人俳優のヌード写真だった。たしか、『化石の森』という映画で、レイモンド・ラブロックがベッドのうえで、背中とお尻の半分を露出している白黒写真だった。書斎にはほとんどありとあらゆる本があった。ほとんど外国のもので、なかにはゲイ雑誌もあった。薔薇族やアドンやさぶやムルムといった日本の代表的なゲイ雑誌があった。生涯において、女性の愛人しか持たなかった父親だったが、精神的には、男性にも魅かれていたのかもしれない。あるいは、単なる文芸上の趣味だったのか。継母は、女の愛人には厳しかったが、ゲイ雑誌は、単なる趣味だったと思っていたようだ。ぼくが父親の本棚にあるゲイ雑誌について尋ねると、「単なる趣味でしょ?」と言って笑っていたから。ぼくが翻訳小説に親しんでいるのは、父親の影響だろう。音楽の趣味も、父親の趣味と同じだ。ポップス、ジャズ、ロック、ラテンといったものが好きだった。サンバやボサノバをよく錦市場のところにあった「木下」という喫茶店で聴いた。家でも聴いていたが、父親は、その喫茶店のアイスコーヒーが好きで、ぼくもよく連れて行ってもらった。「ここのママはレズビアン。」と言っていた。大学生のときに、「ママって、レズビアンなの?」って訊いたら、「よく言われますけど、レズビアンじゃありません。」と言っていた。どうだったんだろう。そのお店にはレズビアンって感じの女性や、見た目あきらかにゲイのカップルがよく行ってたから。父親は、そんな雰囲気が好きだったのだろう。父親の頭のなかでは、ゲイやレズビアンは、人生をちょっぴり違った味わいにしてくれるスパイスのようなものだったのだろうかと、いまとなってはそう思う。靴とかもすべてオーダーメイドのおしゃれな父親だった。錦市場のその喫茶店「木下」で飲んだアイスコーヒーはほんとにおいしかった。漏斗状のプラスティック容器を使って、アイスコーヒー用に焙煎されたコーヒー豆の粉を紙フィルターに入れ、氷をたっぷり入れたグラスのうえにそれを置いて、細く湯を注いでいったのだった。とても香り高くて、行くたびに、その香りのよさに目を見張ったものだった。その店のママもいまは亡くなり、その店もないらしい。ぼくも祇園に住んでいたころは、父親とよく行ったものだったが、家を出てからは、下鴨に住んでいたので、錦市場には足を運ばなくなった。きょう、武田先生に、錦市場のなかにある居酒屋さんに連れて行ってもらったのだ。以前は、そんな居酒屋などなかったのであるが、魚介類を目のまえで網焼きして出してくれる店が何軒もできていたのだった。錦市場の様子が、30年前とは、まったく変わっていることに驚かされたが、驚くことは何もないと、いまこの文章を書きながら、ふと思った。30年もたてば変わって当たり前だ。父親によく連れて行ってもらった喫茶店の「木下」もとっくになくなっていた。
二〇一四年十一月二十三日 「アスペルガー」
いま塾から帰ったんだけど、帰りに五条通りの北側を歩いていると、向かい側から素朴系の口髭ありのかわいい男の子が大きなバッグを背負いながらやってきたんだけど、かわいいなあと思って顔をみたら、近づいてきたから、ええっと思って避けて急ぎ足で通り過ぎたんだけど、振り返ったらふつうに歩いてたんで、べつにヨッパでもなく、なんだか、損した気分。声をかければよかった〜。こんなんばっかし。数年前には、電車のなかで、かわいいなあと思って顔を見たら、にこって微笑まれて、びっくりして、見なかったふりして、場所をかわったんだけど、それもあとでは損した気分。もっと積極的にせなあかんのになあと思いつつ、53才。もう一生、出会いはあらへん感じ、笑。「神々が味わいたいのは、動物の脂身と骨ではなく、人間の苦しみなのよ。」(マーガレット・アトウッド『ペネロピアド』XVI、鴻巣友季子訳、141ページ)そいえば、好きだった子に「言葉とちゃうやろ、好きやったら抱けや。」と言われたのだけれど、「言葉やと思うけど。」みたいなことを言ったような記憶がある。言語化されていないことがらについて解する能力が欠如していたのだと思う。アスペルガーの特徴の一つである。いまでも、そういうところがあるぼくである。
二〇一四年十一月二十四日 「詩の完全立方体」
この詩篇は
一辺が一行の詩行からなる立方体である
一行は一千文字からできている
八個の頂点には句点が置かれている
上面と下面に正方形がくるように置き
上面の正方形の各頂点を反時計回りにABCD
Aの下にEがくるようにして
下面の正方形の各頂点に反時計回りにEFGH
と仮に名づける
辺AE、BF、CG、DHの各中点を通る平面で
この立方体を切断すると
切断面の一方は男となり
もう一方は女となる
平面ABGHでこの立方体を切断すると
切断面の一方は夜となり
もう一方は昼となる
二つの頂点B、Hを通る平面で
体積の等しい四角すいを二つつくる平面で切断すると
切断面の一方は神の存在を証し
もう一方は神の不在を証す
このように
この立方体を分割する際に
同じ体積の立体が二つできるように切断すると
相反する事物・事象が切断面にできる
二〇一四年十一月二十五日 「小鳥」
猫の口のなかで
噛み砕かれた小鳥の死骸が
元の姿にもどって
猫の口から出て
地上から木の上にもどった
小鳥は
幾日も幾日も
平穏に暮らしていた
河川敷の
ベンチの後ろの
藪のなかに捨てられていた
錆びた鳥籠が
もとの金属光沢のある
きれいな姿になっていった
小鳥が
子供が待っている
鳥籠のなかに背中から入っていった
子供は鳥籠の扉を閉めて
後退りながら
鳥と鳥籠を家へ持ち帰った
二〇一四年十一月二十六日 「卵病」
卵の一部が
人間の顔になる病気がはやっているそうだ
大陸のほうから
海岸線のほうに向かって
一挙に感染区域が拡がっていったそうだ
きのう
冷蔵庫を開けると
卵のケースに入れておいた卵が
みんな
人間の顔になっていた
すぐにぜんぶ捨てたけど
一個、割ってしまったようで
きゃっ
という、小さな叫び声を耳にした気がした
こわくて
それから残りの卵はそっとおいて捨てた
二〇一四年十一月二十七日 「素数と俳句/素数と短歌」
ふと思ったのだけれど、俳句の5・7・5も、短歌の5・7・5・7・7も、音節数の17と31って、両方とも素数だよね。ただそれだけだけど。17と31の数字を入れ替えた71と13も素数だった。べつに、これまた、ただそれだけだけど。
二〇一四年十一月二十八日 「言葉でできた犬」
言葉でできた犬を
ぼくも飼ってる
仕事から帰ると
言葉が
わっと走りよってきてくれる
言葉といっしょに河原を散歩するのも気持ちいい
公園でも言葉といっしょに夕日を見ながら
ジーンとすることもある
いまも隣で
わけわからないながらも
ぼくといっしょに
言葉が
このパソコンの画面を
眺めている
二〇一四年十一月二十九日 「ペリコロール。」
ぺリコロールだったかな
お豆さん入りのパンを食べてたら
けさ、奥歯のブリッジがバキッ
って、割れた。
きょう一日、食べ物に気をつけないと
いや、食べ方に気をつけないと。
左奥歯のブリッジが割れたので
右奥歯で食べないとね。
パンのなかに入ってた豆が硬くて
ふつうは柔らかいんだけど
生地の表面近くにあった豆だったから
焼き上げたときに乾燥して硬かったのね。
ひゃ〜
びっくらこきました。
でも、悪いことのあとには
いいことがあると思うからいいかな。
明日、歯医者に行こうっと。
午後から、もと彼とお食事の約束。
二〇一四年十一月三十日 「小子化」
きょう、ネットのニュースを見てびっくらこいた。小子化だって。不況のせいで、子どもに栄養が行き渡らないで、だんだん子どもの大きさが小さくなっていってるらしい。このまま不況がつづくと、21世紀の終わりには、5歳の子どもの身長が5cm。15歳の子どもが15cmになると予測されている。
二〇一四年十一月三十一日 「月間優良作品・次点佳作」
今月投稿された詩のなかで
もっとも驚かされたのは
吉田 誠さんの『吉田 誠参上!』でした
目にした瞬間に凍りつきました
高校3年生
体育会系男子
身長176センチメートル
体重67キログラムの吉田さんが
猛吹雪とともに
画面のなかから躍り出てきたからです
まあ、それからの一時間というもの
猛吹雪のなかで
ずっとしゃべりっぱなし
吉田 誠さんの饒舌さには呆れ果てました
というのも
吉田 誠さんは留学先の火星で整形手術をしたらしく
二つの口で同時に違う内容のことを
ずっとしゃべりつづけていたのですもの
しゃべり終わると
吉田 誠さんはすっと目の前から姿を消してしまいましたが
画面のなかをのぞいても何も出てこず
幻でも見たのかしら、などと思ってしまいました
(後で留学先の火星に帰られたことがわかりました)
今月、一番、驚かされたのは
この吉田 誠さんの『吉田 誠参上!』でしたが
つぎに驚かされたのが
吉田 満さんたちの『手』でした
画面を見ると
ぐにゅっと手がでてきて
ぼくの手をパチンってしばいたのです
それも一本の手ではなく
何十本もの手で
で
びっくりして画面を見ると
パソコンのスピーカーから「ナンじゃ、ワレッ」という怒鳴り声の合唱が聞こえたので
蹴りつけて踏んづけてやりました
ぎゅっ、ぎゅって踏んづけてやると
吉田 満さんたちの手はおとなしくなりました
つぎに驚かされたのは
吉田和樹さんの『ぺんぺん草』でした
画面を見ると
床一面にぺんぺん草が生えて
ぼくの部屋が河川敷の見慣れた景色になりました
毒気の強い作品が多いなかに
このような凡庸な作品もときにはよいのではと
みなさんも、こころ癒されてくださいね
発想は貧弱ですが、想念を現実化する確かな描写力には目を瞠りました
以上の3作品を、今月の優良作品に選びました。
いつものように
つぎに、次点佳作の方のお名前と作品名をあげておきますね
次点佳作
吉田めぐみ「フランケンシュタインとメグ・ライアン」
吉田裕哉「戦場の花嫁 あるいは 戦場は花嫁か?」
吉田ところてん「イカニモ・ガッツリ・発展場」
吉田ぼこぼこ「昼ご飯を食べるのを忘れて」
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150901_471_8277p
壁
コンクリートの高い壁に囲まれた道を一輪車で走っている。行き止まりまで行ってみる。見上げるほどの高い壁。行き着く手前でスパンと右の壁が切れているのに気づく。車輪の向きを90度変えて曲がる。
壁の道は遠く真っ直ぐに続いている。壁の上の空は夕方を思わせる灰色で、雲に隙間なく覆われてはいるがすぐに雨になりそうな気配はない。左手の壁は途切れなく先まで続いている。右側の壁には幾つもの切れ目があり、曲がれば違う道がひらけるはずだ。
一輪車はシャリシャリと回りつづけている。いっそ車輪の動きを止めて、じっくり辺りを観察してみようか。そんな思いが幽霊のように頭をかすめはするが、足の回転を止める命令を脳は出さない。進むのはごく自然なのだ。気がついたら漕いでいた。
部屋
結局僕は真っ直ぐに走っている。一輪車をクルクル漕いで。必然に身をまかせるのが気持ちよくて曲がる気にならない。
左側の壁に道がないのは、壁の外側が外界だからかもしれない。ならば出口はこの先にあるはずだ。饒舌に思考は回るけれども頭の隅ではわかっている。要するに僕は、真っ直ぐに漕ぎ続けたいんだ。
車輪が急に重くなる。道はいつの間にか沈み込むリノリウムに似た床に変わっている。力を入れて漕ぎ続けて足がだるくなった頃、部屋のように長方形にひらけた場所に出て一輪車を降りた。
部屋には入ってきた入り口とその向かい側に出口があって、いつでもまた漕ぎ続けられることが僕を安心させる。柔らかいソファーに深々と身を沈めると背後の二つの映写機が回り出し、壁に四角く一つの映像を写す。
下るのが好きだった
あの坂の上からの景色が見える
海と平行して走る道路が遠く白くきらめく
鳶がゆっくり輪をかいている
庭には水色と赤紫の西洋朝顔が毎日咲いて
玄関のスロープをいつも大股で登るんだ
乗りこなすことのなかった一輪車が
玄関の隅で錆を浮かせている
白い壁を背景に父と母の姿が見える
横切る手と影がある
中心
いつの間にか僕は眠っている。夢の中で夢見ている。中心へ中心へと曲がり続け、いつしか雲を貫く太い幹にたどりつく。樹木医のように耳をつけ、流れる水音を聴いている。一輪車はいつの間にかなくなっている。僕はもうどこへも行かない。
目を閉じて、ずっと聴いているんだ。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150907_734_8301p
線香をあげるとき
仏壇に飾られたあなたの遺影の中で
あなたは結晶化していた
あなたは若いままでもう歳をとらない
あなたはいかなる光も言葉も感情も透過する
温かく透明な結晶だ
あなたの作品の数だけ
あなたの結晶は作られた
どんな批評も解釈も砕くことのできない
それでいてどんな批評も解釈も虹色に変える
季節の巡りの証のような結晶
あなたの結晶は静かに鳴り響いている
遠くにある存在とも遥かな距離を経て共鳴する
存在することは共鳴することであり
あなたは常に無限の他者と交流している
私の中にもひとつ
あなたの結晶がある
私を映し出し私に問いかけるあなたの結晶
これから歳をとっていくにあたって
様々な側面を見せ様々な問いを発してくれるだろう
私が変化していく過程で
あなたの結晶の全てを明らかにすることはできない
あなたが謎のままであり続ける角度を前にして
あなたの取り返しのつかない不在に
せめて言葉だけでも捧げていいだろうか
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150908_768_8302p
>北さん
>はかいしさん
>草野さん
(欲情する樹々
蜘蛛が
雨糸をゆらすと、
針の穴ほどの
光たちが
きらきら
溶けあい、
うっすらと
午前十時五十分の星座が
現れる。
(白濁する森
目覚めている
、という夢をみていて
逃げ遅れた妖精が
尻尾を踏まれ
魔物、と
よばれるようになったとき、
環のまん中で
磔にされていた
太陽の骸がわれて
虹がうまれたんだ。
(充満するオゾン
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150908_777_8303p
ニーチェ、ヴァレリー、デリダの視線、法線、
オフセット印刷で仕上げた、歳食った男、
ちょん切った、ちんこ、流した、性器、
俺は傷害罪になっても構わない、
六法によれば自分は刑務所に入る、
執行猶予も付くかもしれない、
でもあいつは一生ちんちんない、
ニーチェの視線、
新たなる知識、それは新たなる挑戦、
強者の倫理、俺は勝つ、負ける、
殺したら殺人だ、だが傷害罪なら死刑はない、
ヴァレリーの目玉、
死んだあいつは一生忘れない、
あいつは一生死んだままだ、
デリダ、
そう、それは散種されている、
いや散種している、お前の勝ちだ!
きゅうしょに あたった!▼
こうかは ばつぐんだ!▼
昔のこととか覚えてる?
りんな:そんなに昔かな?笑
ちんこを切られてショック死する輩もいる
死ななかったのは幸運なことだ(笑)
笑 笑 笑 笑
笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑
笑楽楽勝もとい楽笑
我々は成長しているのです
彼らと同様に、
じゃない、
彼らも成長しているのです、
ベルグソン「笑いを散種する」
雨よ降れ、雨よ降れ、
伝承者、人文科学の悲劇、
マルクスのために、アルチュセール、
amefurashi、
1.月食
ソナタが告げる、網タイの
太股に突き立てた、刃の
青いことよ。恐怖症
だってさ、先っちょが
いつも震えてる!
2.褐色
暗澹たるトンネルで、
明るさを語ろう、誘って、
誘って、青の光たちが、
裂け目から無数に濡れ出て
くる幻想の中。つながりのない
物語を重ねて、いくつも
いくつも、これで二つめ。
3.結晶
ほむらがほむらんだ、と
紫の稲穂の群が斑、斑、
蒸らした穂の上に落ち、
弔んだ。
そうまでして死語は続く。
ほむらんだ、という動詞のもと
に包みをそっとおこう。
ほむら、群がって、
しゅん、お香典のにおい。
4.
貝殻は海岸に咲く花だ。海の知らない言葉も知っている。どこからも流れてはこないのだけど。むらさきの貝殻を、河にさらす。風に梳けば凪、指は紫に染まる、ほむらが群がる爪先には風薫る、吹き消せば爪のいろはあかるい。
5.最後に
爪に火を燈すような日々……
爪を火に投げ込め、
葬り去れ!
死体は燈る、
火を払って、登る、
木を払って、払っては波、
拭っては涙、拾ってはしかばね、
浮かばね、浮かばね。
もう二度と来るもんか。
この海のもとには。
★
ニーソ、ニーチェ、ニーハイ、ニース、
おフランスしながら神奈川を渡る、
雨雪を捨てた、洞穴のような孤独を、
僕らはたっぷりと味わっている、
早く早く早く早く早く早く早く早く、
一刻も早く、カタツムリのように早く、
リミッター解除をしなさい、
表現というものは、詩も絵画も音楽もその他のものもすべて、ひとつのものになってしまうだろう byある詩書き
僕は絵画を読むように音楽を読み絵画を書くように音楽を書くように詩を聞くように詩を読み絵画を描き音楽を聴いた、
二つの耳が重なる時はまたいつか遠くに行ってしまう前だ、
マダンテ、魔弾の射手のように、
あるいはファルファレルロ、カニャッツォのように、
くぐもりってなに、
いった、しった、みた、シッダールタ、
いいさ どんな言葉でも 受けるよ
心が涙でいっぱいになってしまっても
まだカラダというため池があるから
カラダというため池が涙でいっぱいになったら
そしたら本当の涙が出てくる
これ以上はないというほど涙になる
それは涙のクレッシェンド
デクレッシェンド、
いいか、そういうことだ、よく聞きたまえ、音楽を、
現在/原罪
群発的思考と原発的嗜好の境界線に立ち
現在について思考する原罪について思考する原罪/現在
分解された言葉は、ままならないまま、ままならなかったままで、ままならなかった
魔魔ならなかった、ママならなかった、わがままならなかった、
二項対立の形式と洗濯/選択を見誤った僕らは、
見事に現れる/表れる/洗われる、
ジョージ・オーウェルの詰まった本棚の整理をしていると、
いつしか僕らのカタルシスが語る死す、
人は酸素を吸い込むが、名前は酸素を吸い込まない、
命題と真理の狭間にある扉を開けよ、
ミシェル、フーコーの振り子は風で揺れたかどうか、
壁ぎわに寄って確かめてくれ、
「モヤシは爬虫類である」という一文の指す方角に、
僕をそっと連れていっておくれ、
見つめないでくれ、あなたの幻に
僕という天才(災)が震えるような日には。
なるべく、鳴るベクレル、鳴るベクトルが違う、
彼方の空から少女が落ちてきて、
僕は驚く、踊る、舞い踊る、花のように、
笑って、笑って、はいどうぞ、ハイドン、
俺も草原と青空で麦わら帽子が飛ぶ絵を描かなくてはいけない、
白いワンピースがふわり、舞う
ふらり、夜空になる、
星空が舞う、バイオエタノールで、
発電された時刻、
地球をおならで破壊したい、
宝石のような星、星のような宝石、星のような星、宝石のような宝石。
定時退社する僕たちにとっての、
夢の宝石箱、夢のような宝石、宝石のような夢、箱のような夢、夢のような箱。
今日病院のエレベーターの中で、患者さんが手を差し伸べてきた、
握手したがっていたのかもしれない、汚い手だった。
しかしそばにいた付き添いの看護師が、やめなさい、と一言言った。
僕はそれを見ていて、握手してやればよかった、と思った。
エレベーターという箱の中で、それは夢のような箱だった、
僕たちは一階にたどり着き、そして降りた。
笑 笑 笑 笑笑笑笑笑
僕たちを出迎えた笑いの数々を笑え、あの明るさの中で、
僕は暑かった、熱かった、厚かったを扱った、
清々しい一日が始まる、
病院を出て、僕はそう思った、
なぜならあの手に触れなかったから、
神よ神よと繰り返した吉増剛造のように、
僕は笑いを繰り返したい
スキーマ、隙間、スキマスイッチ、
僕を止めるのは誰か、
止めるとはどのようなことか、
まだわからない、
言語をスキップして、零度の中で、ケルビン、
理解させる、そのことが、まだ、
マダンテ、まだまだ、
(´・ω・`)
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150901_492_8281p
>ニーソ、ニーチェ、ニーハイ、ニース、
>おフランスしながら神奈川を渡る
ムカデが沢山の手を動かす 人は人を欲する
単細胞生物は分裂して数を増やす 生きている意味を知りたがる
自然に与えられた自己増幅 子孫を残したいと思わない人間が異性を望む
動きは適正 邪魔な感情に苦しめられる無駄
産卵が終わると死ぬ鮭 病気を治したいと願うのは操られているから
委ねる無心 知恵は奇形
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150909_792_8304p
>人は人を欲する
>生きている意味を知りたがる
>子孫を残したいと思わない人間が異性を望む
>邪魔な感情に
>病気を治したいと願うのは操られているから
お世話になりました。
ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150912_849_8310p
どれだけ我慢していようと
知らないところで振れる錘(おもり)が
私の心を揺らすのです
その長さが近いほど
揺れは激しくなります
誰がいつどこでどの錘を触るのか
あなたに推し量れましょうか
籠から出たばかりの頃は
見るモノすべてに網の目のように
私の糸を張り巡らせていました
それだけならまだしも
飽き足りない私は
大きさ長さの不揃いな錘を
手当たり次第ぶら下げていったのでした
やがて
糸は時の流れを取り込んで
ぐんぐんと育ち
錘は待ちかまえていたかのように
次々に糸から生えていきました
今日も夜が更けようというのに
振れは止まってくれそうにありません
未だ張り巡らせた糸を
我が子のように思う故に
私はこの期に及んで
錘を為すがままにしていました
根元から切れてしまうまで
そう長くはないでしょう
その瞬間まで
見届け
そのまま鍵をかけて
閉じ込めてしまおうと思うのです
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150912_858_8311p
>あなたに推し量れましょうか
>あなたに推し量れましょうか
>見るモノすべてに網の目のように
>錘は待ちかまえていたかのように
>錘は待ちかまえていたかのように
>無言が最良の批評なんていう言葉もあるから求めすぎないほうがいい
気付かぬうちに足の甲から血が出て君は死ぬる
今日も誰かの誕生日であることを思いながら父と母は性交したため
そのために、僕は死ぬる。
秋が地底から沸き起こって
ずっと寝て居たくなるだろう。
だだっ広く白い部屋に一人
関係も無ければ意味あいも無く
薄めになってしまった音だけが
赤く鳴り響いていれば。
あなたのいわれのない孤独とか絶望は
お菓子の夕闇に抱かれてじっと
シクシクと笑っているでしょう。
君は死ぬる。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20150916_918_8316p
美を積分して極限値を出す。
彼女にペニスをぶっさす。
貫いて屈辱を与える。
これがリアリティ。
だから真実は殺戮。
愛がすべて
でもあなたが考える愛じゃない。
俺のペニスは再び立つだろう
re surrect
つまり復活するだろう。
破壊する!
黒魔術師たちが喉から手が出るほどほしい、不死鳥の生き血
しかし彼らは一体どうやって久遠の愛を知って不死になるのだろう?
女を科学する。
女は左脳と左右の橋が発達しており地に足がついている
女を心理学する。
女はいない。
女を哲学する。
女神よ 誠にあなたはシヴァです。
霊は物質に違いない。
色即是空
物質は霊だろう
空即是色
ならば、男そのものが女なのだ!・・・
以上ウパニシャッドの高等数学
遠く離れて! 目を覚ませないで!
うつくしき人妻よ!
罪の淪落した愛の芳香に眩暈がした。
ある日、犬の散歩をするあなたは着飾って優雅だった。
愛の涙のように雨がふる。
私はタントラの王 大梵天の弟子
カーリーよ。マハーチョーハンよ。
昇る朝日と沈む夕日の灼熱の赤
敵を撃滅せよ。
フーム トラット
金剛の劫火よ! 切断せよ!切断せよ! スフォータヤ
我はヴァジュラサットヴァなり!我は金剛のそのものなり!
vajrasattva vajra amko ham
chinna! chinna!
カーリーよあなたは悪の撃滅者!
牙をむいた鋭い破壊の閃光!
焼き尽くす火!
シャンバラの大王は普賢のなかの普賢 金剛の中の金剛
偉大の中の偉大。
勝利あれ! 成就者に!
勝利あれ! 絶対的暴力に!
勝利あれ! 至高なる権力に!
ff birilliante stretta molto agitato
生はどんな秘密もなく、何の儀式もなく、
病的な愛の幻想もなく
ありのままで厳しく険しく強いのでした。
マグダラのマリアはイエスに恋していた。
弟子は言った。主よなぜ彼女を特別扱いするのですか?
イエスは言った。私はなぜ彼女が私を愛するようにあなたたちを愛せないのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・
詩人よ。芸術家よ!
恋愛病の目立ちたがりの馬鹿よ。
お前たちの仲間はテレビの芸能人だぞ。
なにも価値あることのできないエゴイスト。
畜生!
人間め!今に見てろよ!
もともとたらりとこぼれた精液一滴だったくせに。
調子に乗るなよ!
偉そうにしやがって。
一日数回小便大便する惨めで醜悪な人間どもよ!
気づいたら猛烈な雨の音にあわせて彼女の尻を激しくファックしていた。
彼女の顔は屈辱に甘くとろけてかぼそく雌鹿のような声を出した。
君たちはライオンが美女を見る目が悲しいのをしっているか・・・?
なぜならライオンを食べるのは美女であって逆では決してないから。
彼が救われるにはそれしかないのだ。第三次世界大戦だ!
krim krim hrim hrim hum hum bhadrakalike hum hum hrim hrim krim krim
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>生はどんな秘密もなく、何の儀式もなく、
>病的な愛の幻想もなく
>ありのままで厳しく険しく強いのでした。
>マグダラのマリアはイエスに恋していた。
>弟子は言った。主よなぜ彼女を特別扱いするのですか?
>イエスは言った。私はなぜ彼女が私を愛するようにあなたたちを愛せないのだろう。
>最近露出が趣味です。大きいペニスを見て少女たちが驚きます。今さっき、はしって逃げられました。
この場ももう終わりだな。
最初にダーザインはいったんだ、既存の文芸誌はくさってるってな。でもみてみろよ、やつら、そのくさってるやからとおなじことをしてるんだぜ。てまえらのなまえも連絡先も載せずによ、おやまの大将気取りだ。文責もなにもあったもんじゃない。金魚鉢を覘いてる無責任な飼い主じゃないか。月間優良作品? いったいだれがどんな基準で撰んでるんだ? 教えやがれよ、くそったれめ! 運営の野郎どもはフリーメイソンか? ユダヤか創価学会か? それともアカなのか? なまえをだせよ! 気持ちのわるい、ふざけたペンネームじゃなくてよ、固定した筆名をだしやがってんだよ。おかまめ! ふざけるな! おれたちは観察用の実験動物じゃねえんだよ、みんなシャーマンでみんな生きてる人間なんだよ。なにが優劣か決めたけりゃ、いちどみずからが優劣を決めれる立場にたってみろよ、おかまめ。たしかにおれはいいやつじゃねえ。13歳でひとを刺したよ、盗みをやったよ、乞食もやったし、ルンペンもやった。旅役者も坊さんもドカタもやったよ。初恋のムラカミユカコがいうには、おれはALSのかわいそうなひとらしい。それにきょうは親に絶縁されたよ。さんざ虐待かましといてこれだぜ。へ、でもな、おれを笑う権利はおまえらにない。さっさと消えろよ。おれはな、魂しいのつながりだけを信じるね。どうやらおれみたいなばかちょんのかたわは、ひとを好きになっちゃいけないんだっけな、おまえらがいうにはよ。へぇ、いつまでもネットの桶水のなかで遊んでるがいいぜ。くたばりやがれ、どいつこいつもはかいしも。はかいしよ、おれに失礼なメール送って、恥ぢらいもない、「詩論が読みたいです。タダじゃなければ結構です」だってよ。ふざけんなよ。なんでもタダで手に入るとおもうなよ、くそがきめ。おまえなんかオナニーしてろよ。返信もかえさねえで気取るなよ、小僧め。どいつもこいつもキャラクター演じるのはやめろ、おれはおまえら自身の言葉が読みたい。役を棄てろよ、いいかげんによ。文学極道なんてネット弁慶のセンズリだ。覚悟のあるやつはおれについてこい、090-***-***** 精神障碍者三級の中田満帆だ。現世利益なんてけつくらえ、千年後の世界のために書こうぜ。
ソレダケ。
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