2013年3月3日 改訳しました。
シェリル・デュメニル
選ばれたのよ
埃と枯れ葉が、サッカー競技場を横切って吹きすさぶ、
信号灯の光が、競技場のポールに跳ね返り、
強い風が、突然、涼しく感じられる。
窓ガラスを上げて、物干し綱から掛け布団をぐいっと引っ張り抜くように
やや乱暴に、公園のなかに車を乗り入れ、ドライブウェイを素早く走らせる。
以前にも、それがやってくるのを目にしたことがあった ──
煙霧がうねりながら丘を越え、あたしたちのほうへと這うようにしてやってくるのを。
網戸はぴったりと縁まで付けられていて、
そこには、ベッドの上で身体を丸めて、あたしを待っている彼女の姿があった。
彼女が六歳だったとき、彼女の両親が、
世界は、こんなふうにして終わるだろうよと話した ──
いかめしいケダモノが空いっぱいにその翼をひろげて舞うと、
雷が窓ガラスをガタガタ言わせるだろうと。
彼女の父親は毛布を集め、瓶詰めの水を蓄え
自分のベッドの下に缶詰の豆を蓄えておいた。
彼は、彼女のランチボックスのなかに聖クリストファーのメダルを隠して
彼女を学校にやるときには、
彼女の首のまわりに肩衣(スカプラリオ)の擦り切れた撚り糸を掛けさせたのだった。
彼は彼女に言った。
「世界の終りがくると、そいつが閃光のようにして現われるだろう。
おまえは窓から離れなきゃいかん。
ただ選ばれた者だけが救われるだろうよ。」と。
あたしは掛け布団を床の上に落とす。
そして、彼女のそばに身を横たえ、
彼女の襟元から彼女の髪の毛をさっとなで上げ、
その汗で湿った首筋にキッスする。
雷が一閃した。
さいしょの真っ白に輝く稲光だった。
あたしは、彼女のシャツの下に手をすべらせ
そして、彼女の身体を抱きしめる。
そうよ、あたしたちは、選ばれたのよ、救われたのよ。
2013年2月16日 改訳しました。
シェリル・デュメニル
選ばれたのよ
埃と枯れ葉がサッカー競技場を横切って
吹きすさぶ、信号灯の光が
競技場のポールに跳ね返り、強い風が
突然、涼しく感じられる。窓ガラスを上げて
物干し綱から掛け布団をぐいっと引っ張り抜くように
やや乱暴に公園のなかに車を乗り入れ、ドライブウェイを素早く走らせる。
以前にもそれがやってくるのを目にしたことがあった ── 煙霧が
うねりながら丘を越え、あたしたちのほうへと這うようにしてやってくるのを。
網戸はぴったりと縁まで付けられていて
そしてそこには、ベッドの上で身体を丸めて、あたしを待っている彼女の姿があった。
彼女が六歳だったとき、彼女の両親が、世界は
こんなふうにして終わるだろうよと話した ──
いかめしいケダモノが空いっぱいにその翼をひろげて舞うと、雷が
窓ガラスをガタガタ言わせるだろうと。彼女の父親は
毛布を集め、瓶詰めの水を蓄え
自分のベッドの下に缶詰の豆を蓄えておいた。彼は
彼女のランチボックスのなかに聖クリストファーのメダルを隠して
彼女を学校にやるときには、彼女の首のまわりに
肩衣(スカプラリオ)の擦り切れた撚り糸を掛けさせたのだった。
彼は彼女に言った。「世界の終りがくると、そいつが
閃光のようにして現われるだろう。おまえは窓から離れなきゃいかん。
ただ選ばれた者だけが救われるだろうよ。」と。
あたしは掛け布団を床の上に落とす。
そして、彼女のそばに身を横たえ、彼女の襟元から
彼女の髪の毛をさっとなで上げ、その汗で湿った首筋にキッスする。
雷が一閃した。さいしょの真っ白に輝く稲光だった。
あたしは、彼女のシャツの下に手をすべらせ
彼女の身体を抱きしめる。そうよ、あたしたちは、選ばれたのよ、救われたのよ。
シェリル・デュメニル
選ばれたのよ
埃と枯れ葉がサッカー競技場を横切って
吹きすさぶ、車のライトが
競技場のポールに跳ね返り、強い風が
突然、涼しく感じられる。窓ガラスを上げて
物干し綱から掛け布団をぐいっと引っ張り抜くように
やや乱暴に公園のなかに車を乗り入れ、ドライブウェイを素早く走らせる。
それがやってくるのを目にした ── 煙霧が
うねりながら丘を越え、あたしたちのほうへと這うようにしてやってくるのを。
衝立の扉はぴったりと縁に付けられていて
そして、そこには、ベッドの上で身体を丸めて、あたしを待っている彼女の姿があった。
彼女が六歳だったとき、彼女の両親が、世界は
こんなふうにして終わるだろうよと話した ──
いかめしい獣が空いっぱいにその翼をひろげて舞うと、雷が
窓ガラスをガタガタ言わせるだろうと。彼女の父親は
毛布を集め、瓶詰めの水を蓄え
自分のベッドの下に缶詰の豆を蓄えておいた。彼は
彼女のランチボックスのなかに聖クリストファーのメダルを隠して
彼女を学校にやるときには、彼女の首のまわりの
肩甲骨のところに擦り切れた紐を掛けさせたのだった。
彼は彼女に言った。「世界の終りがくると、そいつが
閃光のようにして現われるだろう。おまえは窓から離れなきゃいかん。
ただ選ばれた者だけが救われるだろう。」と。
あたしは掛け布団を床の上に落とす。
そして、彼女のそばに身を横たえ、彼女の襟元から
彼女の髪の毛をさっとなで上げ、その汗で湿った首筋にキッスする。
雷が一閃した。さいしょの真っ白に輝く稲光だった。
あたしは、彼女のシャツの下に手をすべらせ
そして、彼女の身体を抱きしめる。そうよ、あたしたちは、選ばれたのよ、救われたのよ。
Cheryl Dumesnil
Chosen
Dust and brown leaves blowing across
the soccer field, a traffic light
bouncing on its pole, the gusting wind
suddenly cool, I roll up the window,
slam the car into park, run up the driveway,
yanking quilts off the clothesline.
I had seen it coming ── smoky clouds
billowing over the hill, crawling our way.
The screen door slaps in its frame,
and I find her curled on the bed, waiting.
When she was six years old they told her
the world would end like this ──
a muscled beast filling her sky, thunder
rattling glass panes, Her father
hoarded blankets, stashed bottled water,
canned beans under his bed. He packed
a St. Christopher medal in her lunch box,
hung the worn thread of a scapular
around her neck as she left for school.
He told her: When it happens, He will
appear as a bright light, turn away
from windows, only the chosen will be
saved. I drop the quilts on the floor
and lie down beside her, sweep
hair from her collar, kiss her damp neck.
A thunder blast. The first white bolt.
I slide my hands inside her shirt
and hold her. Yes, chosen. Yes,saved.
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20130204_364_6672p
- ほかけ :
こんにちは、田中宏輔さん、
英語の詩は日本語にはない表現もあって、難しいです。
この詩はサッカー場の風景描写から入って、過去へと記憶が遡りそしてまた現在へと向かう流れの様に思われたのですが、
読み進んで行くと、親が子どもを売って金を稼ぐ、という光景が頭に浮かびまして、何とも言えないやるせなさと言うか。結局、題にもありますが、>Chosen 生き方を選ぶ自由が許されない悲哀のようなものを感じました。間の描写は牢屋の中なのでしょうか。親が子供に死ぬことが救われる唯一の道だ、と話して聞かせる社会、身体を売ってでも気にいられなければチャンスのない世の中、でもそれで彼女は生き延びる事が出来たのですから。厳しい現実に言葉を失ってしまうのですけど。誤読ならよいのですが、どなたか他の方の意見も伺いたいものです。
失礼します。 ('13/02/05 14:06:25 *6)
- 田中宏輔 :
ほかけさんへ
どこを、どう読んで、「親が子どもを売って金を稼ぐ、という光景が頭に浮かびまして」という感想が出てくるのか、まったく理解できません。原文を読まれましたか? ぼくの翻訳から、そのような解釈がなされたのですか? いったい、どの詩句から、そのように解釈されたのですか? わたくしには、まったく不明です。「間の描写は牢屋の中なのでしょうか。」 だいじょうぶですか? ('13/02/05 20:27:39 *4)
- ほかけ :
こんばんは、田中宏輔さん、
回想の部分なのですが、
>a muscled beast filling her sky
とあったので、6歳の彼女を満たしたものの正体は何だったのかと言う想像をしました。次に、>Her father の後は空白で切れており改行という形だったので、何かしらそこに口にすることが躊躇われるものがあったのではないか、と考えたのです。
>牢獄の中 と言うのは、自分でもかなりの飛躍があるかとは思ったのですが、原文に、
>The first white bolt. とあったので、これが現実に繋ぎとめる最初のチャンスだったので、恐ろしさを押し隠して例えば女性看守などを誘ったのだろうか、等と憶測を逞しくしたわけです。病院等も考えたのですが、どうしても自ら誘わなければならない理由がない様な気が致しまして、誤読かもしれないと思ったので、他の方のご意見も伺いたかったのです。
失礼します。 ('13/02/05 23:09:57 *2)
- 田中宏輔 :
ほかけさんへ
うううん。誤読というレヴェルをこえて、錯誤とか妄想のレヴェルになっていますよ。ぼくも、ほかの方のご意見が知りたい。 ('13/02/05 23:28:31)
- 黒髪 :
友情の、物語は最も僕が好きなものです。僕には友達と言える友達がいないから。恋愛にしても友情にしても、高められた精神性やヒロイズムは、気軽に構築できるという点で、優れていると思います。
さて、この詩では、車のかっこいいドライブから始まって、夜の雰囲気を残したまま(ベッドで丸くなっていると後述があったので、夜と推定しました)過去の回想へ、と進み、父親の話が出てきて、父に相当影響された、少し特殊な境遇であることがわかります。端折ってあるのでわかりませんが、多分相当若い頃から、レズビアンの体験をしたのでしょう。14歳くらいかな、と目星をつけました。というのも、ある小説家の人が、それくらいの年齢で、宗教的に背徳の行為を行なった、という経歴があったからです。そして、この詩の行為の場面も、ベッドで丸くなっているという、子供らしい受身さが感じられるからです。
精神が、環境や自然より根源的に早く答えを出すものだとすれば、この作者の選択は、まず人(相手)があって、それに雰囲気を与えるために嵐の場面を選んだのでしょうか。でも、選ばれるべき終末の場面がやってきて、それを踏ん切りにして行為を行なったとも読めますね。後者だとすると、車で乗りつけた描写は、決意の行為の最中であり、決意の行為だったことになって、それだと凄く上手い筋立てです。
ちょっと訳に気づいたところがあるのですが、traffic lightは信号機、screen doorは網戸だと思います。あと、"I had seen it coming"は、「以前にもやってくるのを見たことがあった」、という意味ではないかと思われました。
レズビアンの作家だと、ジャネットウィンターソンと、レベッカブラウンを知ってます。 ('13/02/05 23:30:51)
- 田中宏輔 :
黒髪さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。「traffic lightは信号機、screen doorは網戸だと思います。あと、"I had seen it coming"は、「以前にもやってくるのを見たことがあった」、という意味ではないかと思われました。」そうですね。ぼくの訳文、のちに手直しします。アドヴァイスくださり、ありがとうございました。ただ、解釈は、ぼくのものとは違うところがいくつもあり、いまさらながら、驚いています。宗教的にちょっといっちゃってる親に育てられたレズビアンの女性がいて、その相方のところに車で乗り付ける恋人のレズビアンの女性の情動が描かれていると思っているのですが、ところで、ぼくは、ここに出てくる、いかれちゃってる父親は、眠っている女性の父親だと思うのですが、黒髪さんのコメントでは、車を運転している女性の父親になっています。どちらなんでしょう。 ('13/02/05 23:47:13)
- 黒髪 :
田中さんへ
そうですね、父親は恋人のでしょうね。僕がそう捉えられなかった要因として、即物的な描写方法しか僕の頭に無かったからです(ようするに、想像力の柔軟さを欠いていた)。恋人同士で、以前父親についての話し合いをしていたという想像ができなかった。父親の場面が、時間的に、そういう、柔軟な詩句なんだと読み取った場合、最後の方の描写が、つながることと、助け出すことの両方を含み、雷との相乗効果もあって、すごく緊迫感と一緒に読めます。 ('13/02/05 23:58:24)
- み かえる :
今晩は。
作者を知ればもう少し理解も容易くなるのでしょうが。
性的宗教的な洞察を昇華したような、奥の深い素晴らしい内容の詩だと思いますね。
もっとも、この田中さんによる翻訳が正に的を得たものなのかは、語学力皆無の私どもにはちょっと図りかねます。
タイトルは奥ゆかしく、普通に「選ばれし者」(えらばれしもの)ではダメなのでしょうか?…「聖クリストファーのメダル…」と記述があるので、この詩からは何やら背徳的な意味合いをどうしても感じてしまいますね。
単純にレズビアンを示唆した内容ではなく、もっと奥の深い意識がメタに組み込まれている気がします。
六歳の彼女とはおそらく自身の回想を物語るもので、前述の背景から閃光のように想起されたものでしょう。
愛撫を受け入れる後半の表現は、その性的な目覚め(或いはレズビアンによる不純)原罪をキリストつまり神に救いを求め癒しを渇望する自身の姿。
宗教的な狭義により苦悶する自身の葛藤を感じたのですが 。 ('13/02/06 04:03:25 *2)
- 田中宏輔 :
みかえるさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。六歳のころからの彼女の家庭事情が、車を運転していた女性のものとは、ぼくには思えないのですが、宗教に凝り固まった、しかも、オカルト的な方向で極端に凝り固まった家庭に育った者が、その環境から抜け出すことができたのだということも書いてあると思います。たとえ、レズビアンであっても、十分な愛を育むことができた勝利感のようなものを感じます。翻訳、もっとうまくなりたいです。気が付くところがありましたら、またコメントくださいませ。アドヴァイスをいただいての書き直しは、もうコメントをいただくなったころにいたします。 ('13/02/06 06:04:05 *1)
- るるりら :
こんにちわ。田中さんの詩を とてもひさしぶりに読ませていただいております。
せっかくですので、私が受け取った詩がとのようなものであったかを書かせていただきます。わたしは英語が苦手ですし 英語は はなから読みませんでした。
正しい正しくないではなく、一読者が このように受け取ることもあるのだという程度の参考になれば幸いです。
一連目 竜巻が突然 おとすれるみたいに 近づいてきた魔物
二連目 登場人物たちの説明
わたしと 彼女と 魔物の関係の説明。
なぜだか わたしは彼女が幼いころ父親に聞いた話を自分の聞いた話のように受け止めている。彼女の父親はキリスト教徒。
彼女の父親の言っていた話のそのままに 魔物はおとずれた。しかし
ふたりは 不安をふりはらうように神を信じ ただただ 抱き合う。
***********
以上のようなあらすじで翻訳をされたのだと 受け取りました。
この詩は 登場人物のキャラが不確定だと個人的には 思いました。
田中さんの詩なので同性愛と熱かった詩群から 選んで翻訳しようとおもわれた可能性があるなあとは 思ったのですが、
一読者の私は同性愛傾向が無いので、中盤では 私と彼女の関係は 子供と母親という関係として 読みました。父親とは わたしという主人公にとって祖父であるかもしれないと 思いました。
でも 詩の終盤では やはり 睦みあうのですね。はふ
しっかし 怪奇映画のオープニングみたいだなとも思いました。
登場人物に不確定要素があり、私という主人公が異星人とか 吸血鬼とかといった 異形の者という読みも 許される詩として 私には 受け取りました。
母親のように 彼女に いままでの道とは誓う道をしめすもの。私という主人公の性別は女とは限らないと思いました。語尾が「選ばれたのよ、救われたのよ。」の箇所が おねぇ言葉になっているから 女と思ったほうが良いのかもしれないけど
それだけでは私の場合は この詩の軸にあるものが同性愛と 思えなかったのです。
ふたりのセックスを 神の導きとして つまり良いこととして 彼女たちは 必至に受け止めようとしているが、
されは そうではないという受け止め方です。
この詩のあとのストーリーは なにか良からぬことが続くといったような 受け取り方をしました。
あくまで 個人的な 読みを そのままに書かせていただきました。
つまり、ほかけさんがおっしゃっている 、親が子どもを売って金を稼ぐ、という光景もこの後のストーリー展開としてはありえると 私の場合は 思いました。 ('13/02/06 13:37:05 *6)
- 田中宏輔 :
るるりらさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。いろいろな読みがあってもいいと思いますが、ぼくの解釈とはまったく異なったものなので、びっくりしています。ほかけさんのような解釈が可能であるとは、ぼくは微塵も思っていません。しかし、それは、この作品に不確定養素があるのではなく、この作品が信仰と愛についての深い物語のためだと思います。それは、とても稀なものなので、解読することが困難なものになっているのだと思います。みなさん、やさしく簡単な物語ばかり読んでらっしゃってて、読解力が浅くなってらっしゃるのではないでしょうか。そんな気がしました。わかりやすい短い作品が投稿されてて、たくさんコメントが寄せられていますが、ぼくは唖然とするばかりです。 ('13/02/06 16:30:52)
- 草野大悟 :
このような表現方式?をとること自体に異形才を感じます。
女も男もなく、ヒューマンレイスというくくりで地球上のあらゆる人が
生きているんだろう、そう感じさせる訳(詩)です。
いつも思うんですが
田中さんの詩に対する執念とでもいうものを
否応なしに感じさせる作品です。
それにしても
ダーザイン氏や
平川は
このサイトどうするんでしょうね。 ('13/02/06 20:43:01)
- 近江 駈 :
というかお二人とも、無理やりうがった読み方をしているように思えてならないのですが……。もっと素直に読みましょうよ。
まぁ自分はここまでのレスを見ながら読み返していたのですが。田中さん自身の解釈が一番腑に落ちるものでした。「選ばれたのよ、救われたのよ」ラストのこのフレーズ、存在感強いですね。初読時は正直内容を掴みかねたのですが、ここはすごく目を引きました。訳題は自分はこのままで良いと思います。 ('13/02/07 00:59:07)
- 泪 :
そういえばもうすぐバレンタインですよね。赤い糸をこの作品を目にして思いました。
激しく劣情的な情景をスピード感溢れる描写で纏められていると思いました。
車は激しい気性のペガサスを暗示されていると思いました。ペガサスは、乗る人を選ぶ天馬です。泉や水源を意味する古代ギリシア語。とてもロマンチックですね。ペガサスに選ばれた彼女は、何から救われたのか、
当初はゼウスの雷鳴と電光のみを運び、人間は誰も近づけようとせず、乗ろうと挑戦した者をことごとく振り落とそうとしたため、女神アテナが黄金の馬勒(手綱説もあり)をつけることで、ようやくコントロールできるようになったと言います。
彼女はペガサスに選ばれた方のようですね。ファンファーレを感じさせます。何かの始まりの予感。それを恋と結びつけるのならそれはそれで面白いけれど、其処は解釈が分かれるのかなと思いました。趣向が凝らされているすごく素敵な作品だと感じました。
このような作品を読ませて下さり、有難う御座います。失礼致します。
、、最期の審判、、飛ばしてしまっていました。飛ばしたら駄目ですね。私、全然読めていないですね。 ('13/02/07 03:08:23 *2)
- 右肩 :
田中さん、こんにちは。
遅い時間になってしまったので長い鑑賞は書けないのですが。
これも前作同様、「宗教的愛の体験」について書いたものとして僕は読みました。
レズビアンの恋人が父親からトラウマとしてすり込まれた「最後の審判」の怪物(当然それは「キリスト教の摂理」により同性愛者を選ばれざる者として地獄に落とすはずのものです)の強迫観念を「私」が抱擁によって逆転させる物語ではないのでしょうか。
>雷が一閃した。さいしょの真っ白に輝く稲光だった。
愛の奇跡、宗教的な奇跡の瞬間を描いた非常に美しい詩句でした。この後の「Yes, chosen. Yes,saved.」という、激しいような、静かなような、叫びのような、囁きのような結句が、長い苦悩の夜の中から稲妻に照らし出されて輝いています。
父親と彼女との関係、父親のどこか狂信的な振る舞いが物語に厚みを与えています。
僕はジョン・アーヴィングの『未亡人の一年』という小説を思い出しました。
ここで出てくる怪物はこの小説の中で女主人公の父親が書く童話に登場する怪物とどこか似ていますね。
もうお読みかもしれませんが、そうでなければここを御覧下さい。
http://sc.freehomepage.com/ted.html#dare ('13/02/07 03:13:06 *3)
- 田中宏輔 :
草野大悟さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。ぼくが訳してるレズビアンやゲイやバイセクシュアルのひとの詩は、かなり技巧的なものが多く、描かれているものも、経験を踏まえた深刻なものもあれば、それを突き抜けたユーモアのあるものもありますが、これは前者のものでしょうね。読む力が必要とされるレベルの作品ですが、ぼくがここに投稿している翻訳の原詩は、ぼくが傑作と思っているものしか投稿していません。それも、とびきり上等のものだけです。後世に残るような訳にしたいと思っています。足りないところを、みなさんに指摘していただいて、補いたいと思っております。ありがたいお言葉いただきました。ありがとうございます。 ('13/02/07 09:10:47)
- 田中宏輔 :
近江 駈さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。書く力のまえに、読む力が必要だと、ぼくも思います。それは、多様な解釈の可能性を否定するものではなく、解釈力の精度の向上の問題です。解釈の多様性の問題は、より高度な次元の話になりますものね。 ('13/02/07 09:15:03)
- 田中宏輔 :
泪さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。凝縮した文体の原文通りに訳せていたら、よりスピード感が増したと思います。この詩の原文は、ぼくにいろいろなことを教えてくれました。主題のもつおもしろさもさることながら、レトリックの冴えにすさまじいものがあり、勉強になりました。この詩の原文は、このあいだ、ぼくが投稿した英詩とともに、おそらく英詩の歴史に残るレベルのものだと思います。それほどの傑作を、ぼくのつたない訳でご紹介するのは申し訳ないとおもっています。しかし、だれも訳さないのですよ。日本の英詩の翻訳家たちは、なにを訳してるんでしょう? ('13/02/07 09:21:03)
- 田中宏輔 :
右肩さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。お読みくださった通りだと思います。この英詩の原作者のうまさに、ぼくも驚きました。このような傑作ばかり、30作近くを、ことしまとめて翻訳詩集「The Wasteless Land.VIII」として書肆山田から秋ごろに上梓するつもりですが、ここでアドヴァイスをいただくことは、たいへん有益なので、翻訳詩集に収録する予定のすべての作品を投稿してから上梓するかもしれません。すると、翻訳詩集の上梓は来年になりますね。それでもいいのですが、なるべくはやく出したい気持ちもあります。訳の出来とともに、そのことも気にかかっています。ジョン・アーヴィングも技巧家ですね。『未亡人の一年』、ご紹介くださり、ありがとうございます。読んでみます。 ('13/02/07 09:31:31)
- 田中宏輔 :
Cheryl Dumesnil さんのHPです。彼女について、多くのことを知れると思います。
http://www.cheryldumesnil.com/ ('13/02/07 11:15:32 *1)
- るるりら :
勉強不足なのかもしれません。しかしこの詩の場合は、性に対する意識や 読み手の父性に対する感覚の違いによって 読み取り方にも違いがでる作品だという気ばかりがいたしました。
まず「聖クリストファー」のメダルですが。父親と娘の宗教観をうかがいしるシーンはあそこだけです。そして、「聖クリストファー」のメダルを 持つことは あちらでは普通にいらっしゃるとても メジャーなメダルのようです。だから 厳格すきる父親とはおもいませんでした。日本でも 子供にお守りをもたせる親は 大勢いますが、あちらでは水難などから守るとされており たいへん人気のあるメダルだそうですね。
わたしがもし父親に メダルをもたせられると 素直に大切にするような子。それがこの作品にでてくる娘だと思いました。わたし自身も そんな人だから そんな読みをするのだと思います。
父親は、悪魔が来る日がくるからそのときは 窓から離れろといわれたら 素直にそうするような 私がそんな人であるからだと思います。 悪魔の存在も わたしの感覚ではあつらではメジャーに語られていることと 思っているところがあるのではないかと わたしの場合は認識しています。
馬の骨かわからない相手が、性の対象があらわれたとき それに応じるのは 普通の父親なら娘にはしてほしくないことですし、娘にとってもよくない。
性に対する感覚の違いが 読みの違いにでていると思います。
多くの女性は セックスの場面の背後の環境によって その後のゆくすえを図るようなところがあると思います。草原で押し倒すような 最初であるなら、先はたいしたことは望めないし、できるだけ安心する場が用意されていたら その先にも 多くを望む。
女性として この性の営みは安心できる点が欠落していると思いました。稲妻のような閃光は 怖いです。わたしには救われる感じがしませんでした。
わたしが多くの作品に触れていない勉強不足のために このような読みになのかもしれません。しかし、現在の私には、この読みの差は 女性の書く詩を女性が読むのと、男性が読むのとの違いによって できた違いと思えてなりませんでした。
生意気ですみません。そしもっとて素直に うがったモノの読み方でない読み方のできる読者になりたいと思います。わたしは 読書をするさいに 損をしているタイプかもしれないことを知りました。たいへん勉強させていただきました。ありがとうございました。 ('13/02/07 11:18:03 *1)
- 田中宏輔 :
ぼくは精神科医ではありませんが、つぎの記述から、父親が強迫障害にかかっていたことくらいは、わかります。「彼女の父親は/毛布を集め、瓶詰めの水を蓄え/自分のベッドの下に缶詰の豆を蓄えておいた。彼は/彼女のランチボックスのなかに聖クリストファーのメダルを隠して/彼女を学校にやるときには、彼女の首のまわりの/肩甲骨のところに擦り切れた紐を掛けさせたのだった。」狂信者の類でしょう。正常の域を逸していると思います。 ('13/02/07 11:38:54)
- るるりら :
そうなんてすね。でも わたしも 非常時のための用意をしています。乾パンとか水とか 缶詰とかも常備してます。
ランチボックスのなかには メダルに該当するものはかくしてないです。でも日本には
お守りをもたせる風習があり わたしの子供だったころ 私のランドセルの中に お守りが常に 入っていたり、ランドセルに吊るされていました。
父親の強迫観念思考を見逃してたいかもしれないです。私の家族が 幼い私にしたことと
似てましたので。 ('13/02/07 12:12:22 *1)
- R. :
田中さんへ
大変すばらしい詩だと感動いたしました。
田中さんの上記のレス、僕もまったく同じ箇所を何度も読み返しきっとこの父親は狂った精神をしているのだろう、と仮定しました。また、田中さんが指摘された上記の箇所を読めば、また、それだけで彼女の苦悩の道程が手にとるようにわかります。
スピード感というよりも落雷するような激しい闇が少しずつ少しずつ幕を開いてゆき、晴れ渡りはしないが、救われた場所にたどり着く……素晴らしい描写だと思いました。
僕はまったくのノーマルの性であります。同性愛癖の友もおりません。しかし、この詩の向こうには、確かに人間として通ずる闇と光を見たように思います。
深く読めば読むほど実に魂に響く詩、翻訳でした。この作品を選んだ田中さんはやはり、詩人だなあ…と、思いました。
素晴らしい作品を載せてくださりありがとうございました。 ('13/02/07 12:29:22)
- R. :
田中さんへ
間にひとつレスが入ってしまったので。
僕が指摘した田中さんの上記の箇所とは、
『彼女の父親は/毛布を集め、瓶詰めの水を蓄え/自分のベッドの下に缶詰の豆を蓄えておいた。彼は/彼女のランチボックスのなかに聖クリストファーのメダルを隠して/彼女を学校にやるときには、彼女の首のまわりの/肩甲骨のところに擦り切れた紐を掛けさせたのだった。』
ですね。まったく同じ箇所です。この箇所は僕にとってこの詩のすべてと言っても過言ではないぐらいの非常に重要かつ緊張したシーンでもありました。
再レス失礼いたしました。 ('13/02/07 12:36:37)
- 田中宏輔 :
R. さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。狂った親をもつことの恐怖は、ぼく自身が体験していますので、他人ごとではなかったのです。ぼくの実母は精神病者です。狂気の醜さとえげつなさは、身にしみて知っています。父親も正常ではなかったと思います。人間性のかけらもない異常者でした。いま、ツイッターで自伝を書きつづっていますが、ぼく自身にも、その二人の血が流れているのかと思うとぞっとするところがありますが、事実に即して書きつづっています。文学作品としてではなく、単に記録として。さて、この作品では、このあいだ投稿したものもそうですが、作者の体験としか思えないくらいの迫真性をもつものと思われるのですが、これは文学の力でもありますが、体験の力でもあるとも思われるのですが、どうでしょうか。体験を克服し、記録し、文学的表現にまでいたらせる原作者の執念と努力の賜物と思われるのですが、いかがでしょうか。 ('13/02/07 12:50:25 *1)
- 大ちゃん :
田中さん、今晩は。
この詩における舞台設定なのですが、オール車中ではないでしょうか。ひと気のないサッカー場のPARK=駐車場で車を止めて、後部座席で眠っている彼女を愛撫する・・・ステーションワゴンタイプの車なら可能な設定だと思うのですが。どうでしょうか、そのほうが訳がスムーズだと思われますが。つまり恋人に会いに行くのではなく、はじめから車に乗せている、だからsmoky clouds billowing over the hill, crawling 「our」 wayとここの部分でOURとなっているのではないですか。だからBEDとは後部座席で、FLOORとは車の床なのではないでしょうか?アメ車なので室内空間も広いはずで二人横たわる事も可能なんじゃないかな。これは車窓からゴスな景色を眺めながらのカーセックスなのではないでしょうか。ありがとう御座います。 ('13/02/07 18:54:39)
- 鳥 :
鳥です
一自然現象である雷の閃光をストロボにして、啓示的な一瞬を切り取った連続写真群という感じで、簡潔で力強い印象を残す作品ですね。
終末思想や宗教的信念などを幼い頃から吹き込まれたことによって、抑圧を抱えたり犠牲となるといった事象は、昔から珍しいことではないんでしょうね。
最後に示された言葉に、愛が証されたことへの爆発的な感情がこめられているように思いました。 ('13/02/07 22:04:04)
- 田中宏輔 :
大ちゃんへ
後半、現在形ですから、たぶん、車を運転している彼女がこれから見るであろうヴィジョンとするであろうヴィジョンについて語っているのでしょう。「our way」とあるのは、間もなく眠っている彼女のところに車がつくことを暗示しているのだと思いますが、主人公の女性が、家で眠っているであろう彼女と一体であるという意識が書かせたものだと思います。ぼくも、「our way」は、さいしょひっかかりましたが、いま書いたように解釈するとスムースに理解できました。どうでしょう。「すべてが車のなか」は半分あたっています。車を運転している女性の頭のなかの回想と、思いの吐露なのですから。しかし、眠っている女性がいるのは、車のなかではありません。ぼくはそう思います。ぼくの思うところの常識では、ということですが。 ('13/02/08 12:17:32)
- 田中宏輔 :
鳥さんへ
ぼくも、鳥さんがお書きくださったコメントと同じような感じを、この詩に感じています。お読みくださり、ありがとうございました。 ('13/02/08 12:52:43 *1)
- 大ちゃん :
田中さん、ありがとう御座います。OUR WAYとは車に乗っている女性とどこか部屋で彼女を待っている恋人との間の現実的かつ、イメージ的な隔たりって訳ですね。では The screen door slaps in its frame はその場所にたどり着いたと過程した上での導入部ということなのでしょうか。自分の勘違いがよく分かりました。 ('13/02/08 16:50:12)
- こひもともひこ :
面白い作品なんだけど、どう読むべきなのかは迷う作品でした。
内容という意味ではなく、印象が似てるという意味で、以前提出されたゴーレムの詩に似たものを感じます。
みなさんが書かれたコメントを読んでみて、「ああ、なるほどなあ」と、いろいろと気付いたことを書き出してみます。
まず、視点の面白さについて。
この作品の語り手は、この作品で語られている回想を持つ女性の同性の恋人です。こういった場合、普通なら、回想を持つ恋人自身が語るべき内容を、第三者である主人公が語っている。しかも、『〜という経験をした恋人の話を聞いて〜する私』というような書き方ではなく、最後に「あたしたちは」と書かれているように、回想部分を含めた恋人の経験が、語り手自身と混ざってしまったような書き方をしている。
同性愛者ということで味わったであろう苦痛や差別に同調する、あるいは同情するというのでしょうか、そういった印象を受けます。
次に、霧と閃光により啓示を感じさせることの面白さ。
七行目「煙霧が〜」は、現実世界で霧がかかってきたことと、回想するためにぼんやりと思い出を引き出すことに成功しています。そして、回想する女性が、かつて父に
>「世界の終りがくると、そいつが
閃光のようにして現われるだろう。おまえは窓から離れなきゃいかん。
ただ選ばれた者だけが救われるだろう。」
といって(おそらくは)怖がらせられた「そいつ」が、恋人(語り手)であるとして作品が終る。何故そう思ったのかの記述がないので、突然の展開に少し戸惑いますが、啓示ということを考えた場合には、とても納得のいく書き方です。
「そいつ」というのを、レズビアンの二人以外の存在(神・悪魔)として捉えることも可能でしょうが、個人的見解としては、自分(語り手)が「そいつ」なのだ、というほうがしっくりきます。強く自立するような印象。
父親の、
>おまえは窓から離れなきゃいかん。
ただ選ばれた者だけが救われるだろう。」
という発言の意図はよくわかりませんね。おそらく狂者の発言なのでしょうけれど、自分の6歳の娘に、おまえは選ばれない者だと言う親が存在することは、理解するのが難しい。 ('13/02/09 00:06:11 *4)
- 田中宏輔 :
こひもともひこさんへ
窓は、扉とともに、外界へ通じる道ですので、狂った父親が自分だけの言うことを聞くように洗脳するために、その道を閉ざす目的があったのでしょう。洗脳の手段に、「禁じる」というのがあります。オウム真理教が洗脳した方法にも似たものがありました。一般に宗教は何かを禁じることで、自分たちは他の人間と違うと思わせることがあります。ユダヤ教徒はブタを食べません。イスラム教徒は酒を飲みません。などなど。 ('13/02/09 08:26:10)
- るるりら :
わたしも幼いころ、非常袋を枕元に置いてました。そのころ私が住んでいたのは 天井川の土手沿いでした。したかって私の住まいも 川の決壊の危険にされされていました。
この詩の この父親が信仰していた クリストファーに 私はひかれます。検索したところ クリストファーは、少年に姿を変えたキリストをそうとは知らずに背負って川向こうまで運ぶ役割を担った人のようです。つまり父性の象徴と言えます。
この父親は、こどもを守る人を神を信仰していて、そのメダルを子供に大切にするように言ってきかせた。わたし自身の父が゛もし たまたま この地方に住んでいる人であったなら 私にも 同じメダルを 持たせたようにも思えます。
なぜなら おさないころの私は 大人とは違っていました。たとえ氾濫しそうな川を見たとしても楽しいできことでしかなかったからです。そんな私ですが、私も この詩の少女とおなじように おさないころ 私の場合は鬼の話をたくさん聞いて育ちました。
おさない私は 鬼のことは 怖くとも、社会的なことや天変地異は怖くなかったのです。
天変地異が起きると 人の心は荒みます。それは歴史を紐解けば例のあることです。あるとき人々の所業は、ほんとうに 悪魔がしでかすような所業を行うことを証明している実際の話は この世にあふれています。
ですが、こどもに それを説明することは簡単なことでしょうか?
それに似合う その子の成長と、大人たちの説明力がそろわなくてはなりません。
怖いものに備えたり 悪魔の存在について思ったりすることは陰気な習慣には ちがいありません。そこから 出たいという気持ちも私にも理解できます。
しかしわたしは、この父親のことを みなさんといっしょになって狂っているという気にははなれません。この父親も気の毒に思います。
選ばれたものだけが神に救われるという宗教は実際にあります。存在している宗教なのですから。それを口にする親がいても私にとっては不思議なことではないし、その方々を狂人だとは わたしは 思いません。 ('13/02/09 11:00:20 *1)
- 无 :
私自身、英語力がないので田中さんの翻訳だけが頼りなんですが、その上で言わせてもらえば父親に関してはるるりらさんと同意見です。この父親は娘を溺愛し、世界の終わりが来ても娘だけは生き残れるように聖クリストファーのメダルを持たせ、また災厄に対する備えを怠らなかったのではないでしょうか。聖クリストファーのメダルが旅人などを不慮の死などを防ぐものとして扱われてきたことを考えても、これから人生の旅人となる娘を様々な災難から守ってやりたいという思いがあったのでしょう。
確かにこの父親の行動は第三者から見れば大げさで、狂信的な奇行に思えるかも知れません。しかし、日本でも十数年前までは柘植久慶先生のサバイバル本は、半分ネタ本扱いでした。でも実際には、彼の複数の著作で描かれたような災害が何度も発生しました。それに、岡田あーみんのマンガのタイトルにもなったように、お父さんというのは心配性なんですよ。
「窓から離れる」とは、日々を注意深く生きて災難を事前に回避するようにとの戒めであり、愛する娘が「選ばれた者」として生き残ることを願っていたのだと、私は考えます。あくまでも個人的な感想であり、特にこうした翻訳作品は読み手の個人的事情が読み方にも強く影響を与えるものである気がします。 ('13/02/09 11:30:37)
- 田中宏輔 :
るるりらさんへ
るるりらさんは、ぼくの常識とは違う常識をお持ちなのでしょう。平行線です。 ('13/02/09 21:23:58)
- 田中宏輔 :
无さんへ
解釈の違いは、ひとそれぞれの常識の違いを露わにするのでしょうね。ぼくには、るるりらさんのように解釈することはできません。でも、るるりらさんの現実を否定しているのではないのです。ぼくの現実とは違うと思うだけなのです。ひと、それぞれに、自身の現実のなかで生きているのでしょう。 ('13/02/09 21:35:11)
- こひもともひこ :
るるりらさんの見方もアリかなとは思うのですが、地震や台風など、日常的に災害が起きる地域である日本に住む我々が非常袋を備えるのと、災害のあまり起こらない地域の人が、終末思想怖さに非常袋を備えるのとには、大きな違いがあるように私は思います。
それと、もし父親が、わが娘いとしさのために怖がらせる話をして、少女に何かを教えようとした話として本作品を読むとすると、逆に、語り手である主人公に狂気を感じる最後になるように思います。 ('13/02/10 00:45:13 *1)
- 田中宏輔 :
るるりらさんは、論理的に思考できないひとのようです。創作もそうですが、読解においても、広い知識と知能を有することが前提条件にあると思います。偏見にとらわれた精神は、こういった機微にすぐれた詩を理解する能力を持ちえません。知的であるためには、知的になる訓練をしなければなりません。もちろん、知的であるのと、知識があるのとは異なります。知識をもっていても、知識を有効に活用できないひともいます。たゆまぬ努力によって、知識の幅を拡げ、その中身を深くして、なおかつ、それを結びつけ、組織化し、働かせること、それが知的な人間の精神の在り方であり、それがまた、詩をほんとうに鑑賞する力を養う道であると思うのです。るるりらさんは、あまりにご自分の偏見にとらわれすぎています。平行線というのは、ぼくは、学ぶ気概と能力のあるひとにしか興味がないので、るるりらさんのように、ぼくが書いていることを一向に考察しないで、自分の見方だけを押し付けるひとには、いま以上に説明責任があるとは思えないということなのです。きびしいことを書きますが、ぼくの翻訳した詩は、かなり鑑賞力を要する詩のように思います。機微のきめこまやかなところに気がつかないと、まったく理解できないものでしょう。この詩の原作は傑作です。るるりらさんの鑑賞力のまずしさとはつりあいません。るるりらさんは、より多くの名詩や名作を読まれて、考える力を養わなければ、詩を書くどころか、詩を鑑賞するまっとうな力も持てないでしょう。勉強なさってくださいと言うほかありません。 ('13/02/11 13:32:23 *1)
- 右肩 :
田中さん、再コメント失礼します。
田中さん、この詩をUPする前に、一度別の翻訳作品をUPして取り消していらっしゃいませんでしたか?
ちらっと拝見しました。
確か、ゲイの集まる住宅が放火にあってたくさんの人々が焼死する、というショッキングな内容だったと思います。
この詩の背景には、そういう事件が起こるほど、長い間同性愛者を断罪し、差別してきたキリスト教世界の厳しい現実が背景としてあるのだ、と思います。
もちろん、真のキリスト教が差別を認めているとは思っていません。
しかし、多くの差別が聖書を曲解して、そこに根拠を求めてきたことは否めないように思うのです。
たとえば、ノアのエピソードが有色人種差別に結びついたり、自慰行為が神罰を受けたオナンに起源を持つとされ、タブーの対象となったり。
同性愛も、ソドム・ゴモラの腐敗と結びつけられているようですね。
平等の愛を説く新約聖書にもユダヤ人差別が結びつけられてしまっています。
欧米社会は自由平等が思想の基本となっていますが、逆に言えばそれが唱えられる以前の社会がいたたまれないほどの差別と抑圧に満ちた社会であって、その残滓は今に至るまで完全に払拭されていない、ということでしょう。
この詩に単純な父性愛のみを見ている方には、そこのところがわかっていらっしゃらないのだと思います。
宗教は外部から人を縛るだけでなく、内部からも人を縛ります。
どんなに同性を愛していて、それが自然な感情でも、保守的で古い宗教的な常識によって育てられた人は、自分が神の意志に背く存在である、という罪悪感から逃れられず苦悩しているのでしょう。
僕も、父親は狂信的な傾向を持つ、と読みましたが、たとえ、それが娘を思う純粋な愛情から出たものでも、この父親の宗教観は同性愛者である娘に幸せをもたらすとは思えません。
その娘からすべてを打ち明けられた恋人である「あたし」にも、彼女ほどではないにせよ、宗教的な呪縛はあると思います。
だから、彼女の苦しみは痛いほどわかるのでしょう。最後の審判の怪物に食い殺されても仕方のない、罪あるものとしての負い目。
それは、日常生活にも影を落とし、彼女の人生を暗くし、あるいはそれが壮絶ないじめを招いていた可能性もあります。
最後の審判は最終的な宗教の勝利です。滅ぼされる者にとっては恐怖の対象であり、信仰の篤いものにとっては勝利の法悦の時です。娘はすでにこの怪物に半分呑み込まれた状態にあったのだと思います。強風と煙霧の襲来は、最後の審判の到来と重ねられています。恋人はおそらく救いを求める連絡を受けて、罪悪感から発狂寸前となった娘の窮地を救いに現れたのでしょう。
だから、最後の白い閃光は、レズビアンの愛を肯定する天啓であり、二人の愛による回心、新たな精神世界への解放を暗示していると考えます。ただし、最後の「Yes, chosen. Yes,saved.」は救われた安堵ではなく、救われねばならぬ、という確信であり、恋人を救うのだ、という強い決意の叫びでもあると思います。 ('13/02/11 14:52:29 *1)
- R. :
田中さんへ
これほど震える詩を一部の各々の愚かさから生じる、様々な見解のレスを読むたびに僕はとても悲しくなる。
田中さん、僕はもう一度言います。この詩もそしてあの抱擁も、素晴らしい詩でした。これほど心震える詩は滅多に出逢えない。少なくとも僕は…ですが。
田中さん、人は感動すると言葉を失います。だから先にレスさせてもらった僕のコメントも拙いし感動が田中さんまでなかなか伝わらないかと思うと歯痒くて仕方ない、でも、僕は、あの抱擁という詩を読んだ時、泣けました。涙が溢れてきたのです。そしてこの詩もまた素晴らしい。
語り手の回想をこんなに短い言葉でこれほどまでに表現している、時の流れ、行きつ戻りつ立ち止まりその描写が見事です。
確かに空間(書かれていないものや事柄)を読むことは必要でしょう。だが我々は見えない空間を読むことは不可能であるはずです。違うでしょうか。人間の決して見えることのない内なるものを、言葉に起こしたものが詩であり、その隙間の見えないものが見えた時、はじめて作者が綴ろうとしたことが読み手に見えてくるように感じます。
僕は、ゲイではありません。異性を求め、異性を抱くまったくのノーマルであります。平凡な家庭で育ちごくごく普通の人生を歩んでいるいち人間であります。
僕も拙いながら詩を書きますし、こちらにも時折訪れもします。
経験の有無は詩を理解するには無用に思います。
ゲイだから、とかレズだから、とかましてやこの詩を語るにキリスト教またはその類いの宗教をこんなに掘り下げ抉り、語る必要など毛頭ないでしょう…。
確かにこの詩の背景には非凡な性や、宗教などがあります。しかしそれらは重大であったとしても、作者の言わんとするところは、それらをもっと凌駕したことではないでしょうか。うまく言えません、すみません、
確かに、レズビアンという前提のもとにこの詩はあるのでしょう、宗教も確かに存在してもいます、しかし、だから……というようなそんな浅い詩ではない。
僕はここの皆さんのように上手に説明をすることができないので歯痒いのですが、この詩も抱擁も、僕は震えました。静寂の語り口の彼らの生きるその姿に、また彼らの回想に、人間とは、生きる意味とは……僕は彼らの性を凌駕した生に、涙、溢れました。
抱擁で語る彼の回想……かつての恋人が堂々と可愛らしく肩に頭を乗せたりした、あそこの部分の、翻訳には、田中さんの生のすべての愛を強く強く感じました。
どちらも素晴らしい詩です。
僕の文章がもし、わかりずらかったらすみません。申し訳ないです。 ('13/02/11 18:31:59)
- 田中宏輔 :
右肩さんへ
右肩さんがごらんになったのは、「The Upstairs Lounge, New Orleans, June 24, 1973」というタイトルの詩で、史実にもとづいたものでした。その詩をひっこめたのは、それが長篇詩だったからでした。今月投稿させていただいた2作品は、両方とも、とても短い詩でした。しかも、その短い作品は、すぐれた英詩として文学史に残るくらいの傑作だと、ぼくが思っている詩でしたから、先に投稿することにしたのです。ちなみに、「The Upstairs Lounge, New Orleans, June 24, 1973」という詩が扱っている史実は、つぎのところをごらんくだされば載っていますし、また、この詩のタイトルで検索なさると、おびただしい記事に出合えると思います。http://en.wikipedia.org/wiki/UpStairs_Lounge_arson_attack 少なくないひとが、この詩の背景を把握できないのは仕方ないと思います。背景が理解できなければ、作品の理解も困難であったと思います。それは、日本という、市民革命も、宗教改革も経験していないような国に育ったということと共に、教育の場面で、西洋社会に対する十分な教養が培われなかったという理由からであろうと推測されます。ぼくのように、外国文学に大いに興味があり、ある程度、外国人との付き合いもある人間ばかりでないことは承知していますが、この詩作品に対する何人かの解釈には、正直、首を傾げました。 ('13/02/11 19:31:44 *1)
- やたからす :
はじめまして、はじめて書き込ませもらいます。
うーん、ある何らかの宗教的意味のもつ世界観への情操と生の喚起(ポジティブからでもネガティブからでも)からくる詩っていうのは、最高位にあげられる詩のジャンルのものかもしれませんね(世界的には特に)。
キリスト教は、同性愛を絶対に認めないですからね。ユダヤ教やキリスト教(イスラム教もだけど)の根本である絶対訓則(?)、十戒(the Ten Commandments)のひとつにも、姦淫を禁ずると、刻まれていますが、その中(姦淫)に同性愛も許さないと、定義されてしまっていますしね。これは、同性愛者にとってまさに宗教的・歴史的な受難のはじまりでしょう。現在に至るまでローマ・カトリック教会の頂点に立つバチカンのローマ法王も筆頭になって、同性愛を禁じているわけだし。
まず読解力うんぬんいう前に、さらっとでも外国の宗教観、文化の肌触りを知ろうとしてみないと(日本の現代詩のつもりで読んでいたら)、それらにシンクロするメタファーに気づきもせず通りすぎちゃうでしょうね。何ゆえアメリカ大統領選挙では、いつもゲイの同姓結婚(妊娠中絶・避妊問題なども)の是非を、公約やメディアで大きく取り上げるのか(それをさせる社会全体のあり方)を芸術作品の下地の思想に入れないと、作品本来が持っているリアルな緊縛感を理解の上でも生身の肌触りにもしみ込ませられない)。ローマ法王もバチカンもカトリックもプロテスタントもこれらをみなダメって堅く禁じている絶対事実くらいは、すぐぴんとこなくちゃまずい。
アメリカ合衆国っていう超大国は、世界一自由思想を掲げる国でもあるけれど、同時に一般日本人が考えている以上に、(特に南部、地方州では)恐々とするほどの保守・宗教国家であるってことを。そして、簡単に言えば同性愛に生まれたこと自体、悪。神の前では、そういう扱いは正義という見方は広くひろまっていることも事実であること。
英語っていう言語の言葉は、それぞれ象徴的というか、ある確定したイメージ(複数にも)にごく自然につながっていくことが多い。日本語よりあいまいにさせず、多義な意味あいに結びついているというか。これって文学極道的にいう「イメージの横滑り」というかんじの効果でもなくて、作品全体のひろがりある湖面から、至る所、イメージが影響・作用(ripple effect)しあって作品を重層的にしているとでもいおうか。注意しなきゃいけないし、知らなかったらアウトっていう世界だけに厳しい。たとえば、色についてのイメージ。brownひとつとっても、日本人は、ただ茶色としか思わないし、紅葉などからいいイメージにも連想しちゃうかもしれないのだけれど、基本、英語圏ではどこか汚さをあらわすイメージ感がわりと強かったり(名詞を修飾する場合など、dustがネガティブなイメージ(こういうイメージ規定は日本語よりかなり固定されると思う)の単語でandでつなげるとその後にくる単語は、ま逆なイメージや矛盾したものは使わないのが暗黙な基本ルールであることからも、このbrownはあまりいいイメージでは使われていないだろう)。言語の変換技術だけでなくそこまで西欧感覚・感触を浸透させていかないとプロの翻訳作業は極めれない。brown noseなんて最悪の言葉だし。
まとまめるなんて私にはとてもできないですが、ひとつずつ気になるところを自分なりに挙げてみたいと思います。読んでいった時に頭によぎった程度のことなので、断片的な感想ですが……独り言形式でいってみようと思います。 (ちょっと細かすぎたり遠すぎる連想の類も含む)
…… soccerはどうして、baseballじゃなくてsoccerとか。数十年前の当時は、アメリカ(soccerは米語だから舞台はアメリカだろう)で、このスポーツの競技場は少なかったんじゃないのかな、だとしたら、これは過去の回想部分と対比させた現在の状況(であること)を軽く暗示させているのかな、とか。A traffic light(信号機)がbouncingしているのは、行き先が不透明でわからなくなっている象徴だろうな、とか。parkは、ひょっとしたら、すごく広い敷地をもつ国立公園みたいなところじゃないかなとか、そこにドライブウェイがあるのかなとか、その後の文もカンマでつながっているから、次のquiltsはやはり、車の中の布賭け棒みたいなものからひっぱり抜いたんじゃないかとか。(quilts は後半にもでてくるから何かを象徴させているのか…?)
I had seen it coming.は、黒髪さんが書いているように、何度もそのフラッシュバックの経験があることを書いているんじゃないだろうか。そして、−−から−−の部分で、現在の目の前から過去の回想シーンへ世界が歪んでいく過程の異化描写なのかな、とか。The screen doorは、−−と−−内にあることや、その後の回想世界へ突入するための目の前のスクリーンの扉のことではないのか。そのフレームの中身が開いてしまうようslapしているのではないか(この詩の至るところから「音」が聞こえてくる)、とか。 幼子の姿とともに、カールしている体っていうのは、生まれる前の胎児の形のイメージかもな、考えすぎかな、とか(全世界から虐げられ怯えている(もしくは守られている))?それは、世界の終わりと、始まりをも同時に示唆しているのだろうか?とか)いや、6の数字?、それは妄想しすぎかな、とか?
六歳っていうのは、キリスト教的に悪魔の数字?A muscled beastていうのは、レズビアンにとって、ヘトロの男性を意味してるんじゃないかとか。でも、同じカンマ続きの文で、fatherにつながっているから、父親のことを指しているのか。いや、両方でしょ、とか。Thunder rattlingは稲光(thunderは視覚的なものでなく、雷鳴(音)の方で、激しい反響音の単語をrattlingと連続させて音の効果が強いけれど)の枝分かれするビジョンの様子とrattle snake(ガラガラヘビ)の言葉もあるように、キリスト教的に悪魔の象徴である蛇じゃないか、とか。田中さんが狂った父親と言っているfatherも、もしかしたら、The Father(三位一体でいう父なる神、ヤハウェ、つまりこの世界を創造した絶対神のことも匂わせているんじゃないかとか。ここは、もしかしたら、るるりらさんが感じ取った狂った父親だけのイメージとは別のものの根源であり、正体はここらへんのキリスト教、神の教えの全般に対する慈悲と残虐性が双方描かれているのではないか、とか。たぶん単純に善悪だけで線引きさせないのが神であり、象徴された詩だろうし。
田中さんが言うように父親の狂った行為の意味あいの他に...熱心な信者の父親の背後にキリスト教全般の教義・思想がリンクして見えやしないか、とか。father(父親)に、the Father(唯一絶対神・創造主)のイメージがうっすらとでもかかっているのなら、waterも聖水的魔よけtoolを用意するのを意味するのか、そして、いやblanket(秘密などを守るものの象徴)やbeansも性的な何かを象徴させていて、それをベッドの下に抑圧するようにしまい込んでいたのではないか(それは彼女自身であるかもしれないし、そうさせていたのは、神の教えであったかもしれない、なとか)。じゃなきゃ、St.Christopherが唐突に出てきやしないんじゃないだろうかとか。あと、a scapularは前にworn thread ofがあるから肩甲骨じゃなく、ローマカトリックで使うスカプラリオ(辞書によると、袖なし肩衣かたぎぬ;キリストの頚(くびき)の象徴;信心の印として修道士などが身につける、とある)、それの糸きれじゃないかとか。Lunch boxにメダルを入れるというのも、それを食べて宗教がいう(刷り込み)通りの教えを血肉化しようとするメタファーもかかっているんじゃないか、とか。 bright lightは雷の恐ろしい閃光でもあるけれど、どこか、旧約聖書の創世記にある「光あれ」、のような何かのはじまりの象徴でもあるかもしれない。The chosenもユダヤ的に言えば、ちょっと選民的な心理というか、そういう願望思想もうっすら感じさせるような(無意識的発想として)、それでいてもっと単純に普通に救われ生きていきたいという哀願のような。その後のレズビアン的、性的描写で、レズビアンとしての自覚(オーガズムも含む)の発露が愛を感じる。Yes chosen. Yes, saved.は、彼女たちが、強く「(神に)選ばれたい」と願う、懇求の想いがそう言わせているようにも、思えるし、心のどこかで、自分たちを潰そうとする神への信仰(いや慈悲深い神は自分たちを許してくれるだろうという一途の頼りにしたい想いみたいなもの)さえも捨ててはいない。そんな複雑な潜在意識も匂わせているんじゃないのだろうか、とか。
問題はやはり、七行目のourの捉え方と、後半のher(愛撫の相手)のいる場所空間ですが、実のところ車の中でも、herの家でも、モーテルでもどこでも読めちゃう?ような気はしますね。場所の問題は重要でないので、わざと蒸発させちゃったのかもしれない、詩の効果を高めるために……英語って実は、he とかherとか指示代名詞もそうですけど、誰何のこと?ていうあいまいなままのところがありますから、それをわざとそうしている可能性もなきにしもあらず。別個のイメージを重層的にダブルミーニングで読んでしまうと、詩を完璧に翻訳するのは不可能になってしまいそうですが、私としてはメタフィジックなまま読んで楽しませてもらいました。
拙い文で長々と申し訳ない。 ('13/02/11 19:44:20)
- 田中宏輔 :
R.さんへ
「抱擁」とともに、この詩も、原作の語の選択と配列の妙には凄まじいものがあると、ぼくも思います。こんなにすばらしい詩を、はじめて日本語にしたのが、ぼくであるということを、ぼくは、たいへん誇りに思っています。彼や彼女たちの生の在り方といいますか、体験したことと、その体験したことを自分たちの糧としたという自信や誇りといったものが、こういった傑作を書かせたのだと思います。どこかに書いたと思いますが、ぼくの詩など、残らなくてもいいとまで思いました。これらの詩の翻訳が、ひとの記憶に残るならば。この2つの詩で、はげまされるレズビアンやゲイは多いと思います。そして、またストレートのひともまた、愛というものに対する認識を新たにさせられることになるのではないかと思っています。この返信を書いているあいだに、ふと、ぼくの脳裏に、「愛」という言葉とともに、「勇気」という言葉がよぎりました。 ('13/02/11 19:51:56)
- 田中宏輔 :
やたからすさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。hung the worn thread of a scapular around her neck ここの訳、のちほど(もう、コメントをいただかなくなってから)書き直します。水は、エリオットの『荒地』の冒頭にも出てきますが、「信仰」のシンボルであると思います。 ('13/02/11 20:12:29)
- 田中宏輔 :
ちなみに、車のなかではないと判断したのは、I drop the quilts on the floor and lie down beside her, からだと思うけれど、(半年ほどまえの訳なので、なぜそう判断したか、正確にはわからないので)車のなかだと、いったん車を止める描写が入るはずだと思う。でないと、おかしなことになる。車のなかでの全回想だと思う。I had seen it coming を正しく訳してないと指摘をされて、そうかなとも思うのだけれど、なぜ had であって、have ではないのだろう。教えていただけたら、ありがたい. ('13/02/11 21:31:36)
- 田中宏輔 :
しかし、訳としては、「以前にもそれがやってくるのを目にした」というふうに、「以前にも」をつければよいのでしょうね。車のなかでの回想。部屋で待ってくれているはずの彼女との愛の確認を、主人公の女性が自分の頭のなかでしているということなのでしょうね。さまざまな方が、いろいろ振り返らせてくださるので、ぼくのなかでのこの詩のイメージも、ますます強くなっていきました。もともと、映画のワン・シーンのようなイメージをもっていましたが、「抱擁」と同じく、すぐれた詩は、映像喚起力がすごいのだなと再認識しました。 ('13/02/11 22:02:13 *1)
- GENKOU :
読みにくいレスで申し訳ない。
>両親が、“世界はこんなふうにして終わるだろうよ”と話した ──
>彼は彼女のランチボックスのなかに“聖クリストファーのメダル”を隠して彼女を学校にやるときには、彼女の首のまわりの肩甲骨のところに“擦り切れた”紐を掛けさせたのだった。
>彼は彼女に言った。「世界の終りがくると、そいつが閃光のようにして現われるだろう。おまえは窓から離れなきゃいかん。
ただ選ばれた者だけが救われるだろう。」と。
>あたしは“掛け布団を”床の上に落とす。
>彼女のそばに身を横たえ、彼女の“襟元から”
彼女の髪の毛をさっとなで上げ、その汗で湿った“首筋に”キッスする。
。…あたしは、彼女のシャツの下に手をすべらせ…
彼女の身体を抱きしめる。そうよ、あたしたちは、選ばれたのよ、救われたのよ。
生の途に予め(あらかじめ)備わっていたかのごとく、文中には力強い自信と、宿命論的運命愛。かの女にオチタ、選ばれた者のための総譜。
ヴェートーベン、交響曲第五番を聴きながら読みたいな。恐らく運命のあの交響曲も、私の抱いていたこれまでの印象をガラリと、変えてしまいそうだ。
2月作品で、こちらを断然素晴らしいと一押しし、これまでの翻訳詩でも一番好きだ。訳として「彼女の」が多く続いて記されている箇所は少し省いてもよいのではないだろうか、と思った。
詩解きはできない。社会的問題やテクストの背景でもって私は深読みの言及はできないが、作の語り主、その胸中、内心に読み手の私も深く入り、探りたくなるほど、また詩全体の秩序も凄まじいほどよく整っていて読みごたえがあった。とりわけ文の中で上記の連を抜粋しそれら“語”に注目した。
世界の終わりを親から娘子へ告げる、二度書かれている部分は見落とすことはできない。父が聖クリストファーのメダル、擦り切れた、(古く残していたものか、系譜の形見のように、“割り符”しるし/徴験は)最後の行まで肩身離さず首に懸け、落とさないでいる、ようだ
ただ
選ばれた者だけが救われるだろう。」と。
あたしは“掛け布団を”床の上に落とす。
…
彼女の“襟元から”
彼女の髪の毛をさっとなで上げ、その汗で湿った“首筋に”キッスする。
隣接させ、シンボリックに言語を次々と遷移させながらスリリングに展開していく、上手いなと感じるのは、行動描写がほとんど書かれておらず、行為の描き方しかしていないこと。
そうして彼女は告白する、父に、恋人に、結語する。>あたしたちは、選ばれたのよ、救われたのよ。
たった三十行に満たないの短い詩文中に、彼女の生一切を凝らし、落とし込み、懲らしめている。
ほんとに素晴らしい作品でした。読みにくいレス文で申し訳なかたったです。読ませてもらったお礼にレスさせていただきました。
ありがとう。 ('13/02/12 01:17:54)
- 田中宏輔 :
GENKOUさんへ
そう、たった三十行に満たない短い詩のなかに、彼女の半生が映し出されている。こんなすぐれた詩は稀だと、ぼくも思います。お読みくださり、ありがとうございました。よりよい訳にしたいなって思います。 ('13/02/12 20:02:58)
- 无 :
再度の書き込みをお許し下さい。あれから何度かこの詩を読み返し、他の方々の感想を読んだ上で、先の意見の補足を書かせてください。この父親は、やはり狂信者と言うよりも、保守的なキリスト教信者の範囲に入る人物ではないかと思います。彼を狂信者としてしまうと、逆に彼の娘が持っている罪悪感や恐れの感情がありきたりなものになってしまうのではないでしょうか。彼の父親は年齢的に冷戦時代を経験しており、彼にとっての『閃光を伴う世界の終わり』とは当時リアルな恐怖であった核戦争を表しているのではないか。欧米において核戦争を想定して常に水や食料を備蓄する家庭は珍しくなく、中には庭にシェルターを作っている者もいます。彼女の父は娘を愛し、世界の終わりにも彼女が生き残れるように宗教面でも現実面でも守ろうとする。しかし、経験なキリスト教信者である彼の娘は、父親が自分を愛するがゆえに自身が同性愛者であるという事実に、より深い罪悪感を憶えているのではないか。彼女が恐れているのは父親ではなく、自らの行為に対する罪悪感ではないでしょうか。窓の外では稲妻が閃きます。田中さんも御存知と思いますが、キリスト教では罪人は雷に打たれて死ぬという考えがあります。語り手の恋人とって、幼い頃の記憶の中と今この瞬間に閃く雷は、どれほど恐ろしいものでしょうか。
そんな彼女を語り手は抱きしめ、自分たちは選ばれた者であり、救われたのだと言い聞かせる。同じ宗教観を持ちながらも、彼女はより前向きで力強く宗教や世界を解釈して生きて行こうとする。そんな彼女の姿は、例えば森茉莉の「日曜日には僕は行かない」のラストシーンにおける主人公を思い起こさせます。しかし、田中さんが訳された詩を読む限り、この詩の語り手の方がさらにタフな印象を受けます。以上、あくまでも個人的な解釈と感想です。長々と失礼しました。 ('13/02/12 20:50:50)
- 田中宏輔 :
无さんへ
なるほど、核ですか。そこにまでは、思い至りませんでした。核シェルターは、日本では稀ですが、アメリカでは、そう稀なものではなかったかもしれません。そういう状況を描いたSFもいくつもありましたものね。新しい見方をご教示くださって、ありがとうございます。「語り手の恋人とって、幼い頃の記憶の中と今この瞬間に閃く雷は、どれほど恐ろしいものでしょうか。」いまの雷が、そう恐ろしくはないものであってほしいと願っています。この詩の主人公がそばにいてくれているかぎり、こころおだやかに、少なくとも、幼少時よりは、こころおだやかにいてられるだろうな、と思います。そう希望しています。 ('13/02/12 21:07:13)
- やたからす :
あくまで推測の域をでませんが、I had seen it coming. は、過去(の)完了形であり、車の中にいる現在からきっぱりと断絶した過去のあるどこか一点の時間(過去の現在)において、少なくとも一回は、完了・経験しているということを強調しているんじゃないでしょうか。今回が少なくとも二回目(一回目ではない)ということもあわせてわかるし。もし後の文が全部、回想シーン(もしくは回想に関わるシーン)であるなら、彼女が6歳の頃から、まわりの終末思想(?)、父親の奇行、父親の預言めいた発言、父親のthe chosen思想、娘の束縛(ここまでは回想の中の過去形か、He told her: 以下は直接話法だから形上は現在形だがtoldと同じ時間、そして、この後からが回想の中の現在か?だけど車の中にいる時間からすると過去なのか?)、彼女との愛撫、レズビアンとしての愛の確信、Yes chosen. Yes saved. の達成(はかない願望であれ、世と戦う強さの芽生えであれひとつの完結の形)の一連の流れが、すでに以前に一回は(おそらく何回も)起こっている。ひとつのパックのようにそのプロセスとしてえんえんと何度も繰り返されている可能性があります。悪夢がまた起こり、最後に、選ばれた救われたと思うことまでが再生され続ける。それを俯瞰して見てみるなら、彼女(恋人も)が、未だトラウマから逃れていないことも、I had seen it coming. を使うことで示唆されているのかもしれません。
これが本当にこういう狙いなら、これは注目したいです。映画のシーンを連想させるような一種の「語りの進行」のような表現は確かにあるものの、この”I had seen it coming.”のたった一文で、言葉というものが、映像だけでは(セリフや字幕はなしとして)、どうあがいても、装置として扱えない、(回想再生効果を自覚させる)差別的機能として有効活用されている、のではないかなとも思います。
どこからどこまでが回想シーンなのかっていうのが、はっきりしないと場合によってはこの効果も薄れてしまうのでしょうけれど…… ただ、I had seen it coming.の再生効果を一番引き立たせるのは、全部回想シーンでしょうね。
ただ、The screen door slaps in its fame.の訳が状況を読者に知らせるまずはじめに重要な箇所の気がします。これが本物の建物の扉か網戸なのか、実体のない回想を映すフレーム(にはまったscreen door)なのか。そして、次のベッドの上でカールして寝ているのは、現在の本物の(成人した)女性なのか、回想の中の6歳の子なのか。ここらへんの訳いかんで、作品全体に影響がでてくるのかなとも思いますので、I had seeen it coming.の再生効果の強さの加減も変わってくる可能性もあり、結局、この時点では、私の仮説としかいいようがなくなってしまうのですが。 ('13/02/12 22:30:18)
- 田中宏輔 :
やたからすさんへ
ご返信くださって、ありがとうございました。ご返信を読ませていただいて、ぼくが、すごい巧みな詩と出合ったのだと、あらためて思いました。そして、さらに検討して、訳をよいものにしなければと思いました。 ('13/02/13 00:01:42)
- 寒月 :
題と最終行を読んで、いまさら何を言っているのだろうと思いました。誰が誰を選んだのか、何が何を選び救うのか。可能な限り正確に言えば「(私はあなたを)愛している」そして「(私があなたを)守る」でしょう。手を差しのべる神は便利な妄想です(ホントは実在するのですが、人間と決して対峙はしない。添い寝するくらいでしょう。彼には想像力がない。必要としないから神なのですが)。疑い拒絶した?父の信じる神を利用している。キリスト教は未知の領域ですし、英語は高校のとき留学生の金髪の娘を口説いたとき以来忘れてます。だから田中さんの翻訳を基にしました。田中さんは自分の詩を書けばいいのに。 ('13/02/13 10:27:15)
- 田中宏輔 :
寒月さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。「誰が誰を選んだのか、何が何を選び救うのか。」たしかに、そういう意味のほうが強いかもしれませんね。というか、そういう意味なんだと、ぼくも思います。ぼくの詩は、とうぶん、投稿しません。英詩翻訳を投稿していきます。ことしの秋に一冊目の翻訳詩集を出版する予定ですが、つづけて、何年間かは、翻訳詩集を出しつづけていく予定です。したがって、数年間は、翻訳をのみ投稿していく予定です。 ('13/02/13 18:00:05)
- いぶき :
こんばんは 田中さん
僕はあなたの信奉者です。でも、この詩の訳はひどいと思いました。田中さんの訳はこの詩の素晴らしさを伝えていない、と。
原文では滑らかにスムーズに(重複です)映画のパニングするように、視点が滑っていきます。断片の集合ではないと思います。
田中さんの後頭部が涼しくなるような、そんな叙情が好きでした。柔らかく、滑らかで、騙されてしまうような。
この訳文を読むと、その滑らかさはなく、ゴツゴツと引っかかってしまいます。魅力を伝えられていない。
父親が狂信者かどうかは、問題ではない。彼が狂信者であるという表現が伝えられなかったその訳に問題があると思います。他言語を訳すということは、他言語で表現されたその方の意を伝える役目を持ちます。その点で田中さんは田中さんらしさを失った力なき残念な作品であると考えます。
原文を読むに(不充分な英語知識ですが)音律を取り払った、その上であくまで映像的に表現した素晴らしい詩であると思います。
返す返すも残念です。はやく、田中さんのほんとうの言葉で再構築された、この詩が読みたいと思いました。
ファンからの切なる願いです。(取るに足らない僕のこの垂れ流しの感情に左右されません様に…あなたの言葉はうつくしい、のですから)
失礼しました。 ('13/02/14 05:00:21)
- 田中宏輔 :
いぶきさんへ
3月には、こなれた翻訳のものをと考えています。1作は原作者も訳文を読んでくださって、「かわいらしい日本語にしてくださって、ありがとう。」と言ってくださったものです。アメリカ人にも日本語のできる詩人が何人もいるのですね。翻訳詩集を出したら、ぜひ送りたいと思っています。日本語のできるアメリカの出版社の編集者に、ぼくの詩集を送っていますが、好評でした。翻訳詩集をことしの秋に出す予定ですが、たくさんのアメリカ人に送る予定で、反響が楽しみです。もちろん、この詩も、出版するまでに、よりよくこなれた日本語にしたいなと思っています。なにかアドヴァイスくださいましたら、うれしいです。ぼくの訳がひどいとお書きになられるくらいですから、ひとつでも教えていただければ、と思います。 ('13/02/14 11:37:47 *1)