昨日はたいそう雪が降った。今年に入ってはじめての雪だそうだ。外では子供が雪合戦をしていてむやみに楽しそうなのだけれど、ただでさえ凍えそうな僕はちっとも楽しくない。ストーブに火を入れようとは思うけれど、石油を買うお金がないからどうすることもできず、仕方がないので布団に包まってタバコに火をつける。薄暗い部屋に煙がもうもうと立ち上って見通しを悪くする。何を見るでもなく、煙が昇っていくのを眺めていたら、その先になにか、亀裂が走っているのが見えた。初めは壁に入った裂け目か何かと思っていたのだけれど、よくよく見てみると、その裂け目はくっきりと宙に浮いていた。
ものめずらしくもあり、また一見卑猥にも見えるその亀裂はある種の威圧感を帯びているものの、何か人を虜にするような魅力を備えていたのだと思う。もともと穴とか亀裂の類を見るとものを突っ込みたくなる性分の僕はなおさらのこと、どうにもたまらなくなって、その亀裂に指を突っ込んだ。亀裂の中は妙に生暖かく濡れていた。指を一旦引っこ抜いて、今度は手を突っ込んでみたところなにかごつごつしたものに先が当たった。気になったのでそのごつごつしたものをしばらく拳骨で小突いていると、突然そのごつごつが僕の手に噛み付いて食いちぎってしまった。あわてて手を抜いたのだけれどそこには僕の腕はなかった。あまりに突然の出来事だったので最初はわけがわからず震えていたが、しばらくするとことの重大さがわかってきて、同時にさっきのごつごつしたものへの怒りがわいてきた。本来ならば、自分の腕が噛み千切られたのだからすぐに救急車を呼ぶのが当たり前なのだけれど、僕は残っているもう一方の手で包丁を持ち出してその亀裂の中に押し込んだ、先ほどと変わらず、中は生暖かくしとどに濡れていた。僕は包丁をごつごつしたものの直前のところまで押し込むとそこでごつごつを力いっぱい突き刺した。穴の中からゴプっという音がして中で何かが破れたようだった。石油の臭いが部屋中に広がって、亀裂からは真っ黒な血糊のようなものが溢れてきた。僕はそれを石油タンクに詰めて、ストーブのスイッチを入れると、血糊は勢いよく燃えあがった。僕はそれを見ながら裂け目の中に押し込んだ包丁を取り出すと、勃起した自分自身を割れ目にあてがい、ゆっくりと挿入した。中は相変わらず生あったかくて柔らかでピクピクと痙攣していた。しばらくすると、石油くさい血糊とごつごつした何かが亀裂の中で僕自身に纏わり付いて歯を立てているのがわかった。僕は激しく腰をグラインドさせ同時に部屋中にぶちまけられた血糊の一端に火をつけた。ボンっという音がして部屋中が粉々に砕け散ったと思う。一旦視界が真っ赤になったところで気を失った。
気が付くと僕は凍えきった部屋でストーブもつけず、煙草の煙をぼうっと見ていた。外では健全な親子が雪合戦をする声が聞こえた。噛み千切られた腕は元に戻っていて、パンツには白濁液がこびりついていた。そこには一緒にどす黒い血糊のようなものが混じっていて、かすかに石油の臭いがした。
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あなたは病院のベッドに寝ている。
わたしは10kmほどの道のりを、車で30分ばかりかけて、つい先ほど病院にお見舞いに来たばかりだ。
「大丈夫?」と声をかけると、あなたはやおらがばっと起きあがって、個室の病室の中をランニングして
駆け回る。
しばらくして、あなたが息を乱しながら、
「こんなに元気だから」
と、こちらを見ることもしない。
眠ってしまった。
あなたの意識は暗闇に覆われたよう、わたしもなぜか眠りたいような気分に駆られた、暗黒があたりを
覆った。
暗闇の中、わたしは一人である。子供の頃通った保育園のお昼寝の時間に夢の場面は移り、わたしは
布団の中で、これは夢の中の夢である。二重の夢の中で、わたしは絵本の中の情景を見ている。
高速道路、夜、街灯がいくつも両脇に並んでいる。ああ、なんて懐かしいんだ、と思ったとき、
わたしは永遠の情景にいることに気付き、もう戻れない、現実へは、と焦って、がばっと起きあがった。
目が覚め、現実の病室へと意識は戻った。あなたがりんごの皮をむいている。「おはよう」とあなたが言い、
わたしは、気遣いを見せたあなたが、ぶっきらぼうだけどほんとはやさしい心根であったと、昔からの
あなたとのつきあいを振り返った。
「ねえ」とあなたはわたしの注意をひき、「神様っているのかな」
わたしは、あなたが気弱になっているのか、何かの発見があったのかといぶかしく思い、
「なんで」と尋ねる。
「わたし、運が悪いのだけど、悪運が強いの、だから……気になってね、神様を信じてみたい
なんて」
わたしは、あなたの心をすこし知れたことがうれしくて、ついに感情を発散させてしまった。
「わたし、あなたのことが好きだったんです昔から。いつ好きになったか分からないけど、出会った
ときから、ずっと気になってた。神様がいるなら、わたしがあなたといい仲になりたいって思う
その思いが報われるんじゃないかなんて。」
「しってたわよ、あなたの気持ちなんとなく。べつにわたしは情深い訳じゃないけど、あなたが嫌いでも
ないから、ちょっとつきあってみるくらいならいいわよ。話はそれからね。」
病室で愛を語る二人。神様は天国で二人の仲を取り持ってやろうと微笑んで見守っているかもしれない。
病室の窓から帚星が見える。
わたしはあなたと星が見れたので、なんてロマンチックな現実なのかしら、って、思って、この上ない
幸福を感じる。
これからは、もう嫌な事なんて起こらない。
だって、わたしはあなたと二人なんだもの。
いつも、二人。
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あの日便所は泣いていた
幾筋もの涙を流して
絶え間のない読経が、私の背後を圧迫する
一面を埋め尽くす
黒々とした文字の羅列
「南無妙法蓮華経」が
上から下へ、下から上へと
反復してなだれ込み
右壁半ばで途切れた
ここで、男は救われたのか
しゃがんだ目前、ベニヤの華は
咲き乱れては塞がれる
小さな、キリで穴一つ開けば
翌朝には開花する天国の華
その穴の先に天使は見えるか
土砂降りに濡れて
私は一人飛び込んだ
顎を伝って滴る雫が
胸元を腹まで濡らす
髪は泉だ
身震いしながら用を足す私を
見つめる
壁の意識たち
水洗レバーに手を掛けるとふと
「おげんきですか」と丸文字の人
この女の子も泣いているのか
弱まらない雨足の前で
泣きあぐねる、私
いたたまれなくて
ガプガプと鳴る靴で外に飛び出す
一段
明るくなった雨雲は
いずれ晴れる
額に雨をひた受けながら
元気です、と太陽を呼ぶ
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20111001_417_5576p
>かもめさんなぜ「いい加減にしてね」の名前で書き込んでいたのに、即座に名前また元に戻したんですか?
>かもめ
> いい加減にしてねさんもかもめさんも何も分かってないし。
>使わないで下さい。貴方が使うと、詩がしょぼくなるのでやめてあげてください。貴方、自分の詩ですらまともに言葉を扱えていないのに、そもそも持ち物になてtないから、糞みたいな作品しか書けないわけなんだから、持ち物とか言ってる前に、まともな作品書いたらどうですか。
>全部私の悲しみとか元気にむかっていって、あぼんみたいな。
>落書きの文字は泣いている。便所に座る美女(私はそう読む事にした。)も悲しんでいる。何故悲しいのだろう。
体中の細胞ひとつひとつにさわやかな風が満ちあふれてくる朝、抜けるような青空が
広がっていた。
友だちと初めて会う日だった。
二人の友だちが、どうしても必要だった。
友だち探しを始めてちょうど一年になる。
アメブロのグルっぽに、「医療ダークサイト」というスレッドを立て、「医療ミスの全てを、いま!!」とのコメをつけた。
たくさんの人がレスしてきたが、友だちになれそうな人はなかなか見つからなかった。
新しいスレッドをたてようか、そう考えていた四ヶ月目、そのレスがあった。
<こんばんは、ゲンタです。ダークサイト好きです。オレ、医者、心底憎んでます。
今、ここで、詳しくはいいませんが、奴らにもオレが味わってる地獄を味わはせて やる。必ず。心からそう思います>
「心底」「心から」と、短いレスのなかに二度「心」が使われていることに、この人物の
医者に対する怨念が凝縮されているような気がして、ゲンタがどんな地獄をみているのかを確かめたくなった。同じような地獄のただ中で、ゲンタはもがいているんだ、と直感的に感じた。
<ゲンタさん、初めまして。いつかゲンタの地獄、お聞かせ願えませんか?>そうレスを返した。それが、一人目の友だちゲンタとの初めての接触だった。
二人目の友だちは、宅配業に従事している人なら誰でもよかった。いや、正確にいえば、宅配業従事者であり、かつ、性欲に満ちあふれた男性である必要があった。
ゲンタのレスがあった翌日
<竜馬で〜す。よろしくです。医者大嫌いです。特に、大学病院どうしようもネェ。
荷物届けても、ありがとうひとつ言いません。なんか、人種違うんだよって態度、チョー
ムカツク>
とのレスを見た。
これで、二人目の友だちが決まった。それは、計画実行の「その日」まであと四ヶ月となった、あの人の三十三歳の誕生日、八月九日だった。
〜 以下 2 へ
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マイミクのTEDさんの日記の詩に、また英語でコメントしたよん。
中学一年生程度の英語でごめんなさいね。
what's color in your mind?
black black white
white white blue
blue blue red
red red yellow
yellow yellow green
green green white
white white black
what's color in your mind?
what's color ?
color is what..............
という、TEDの詩に、こんな言葉を書きました。
coffee makes us ease when we drink with our friends
night makes us happy when we meet with our lovers
handkerchief makes us sad when we say goodbye to them
sky makes our minds clear when we look up it
blood makes our hearts hot when we live
field makes us relax when we sit down on it
but they don't have one color
they have many colors as we have many minds
that is the fact for us
that fact is so cruel for us
that fact is so tender for us
beause we are the fact to each others
because we are so cruel to each others
because we are so tender to each others
そしたら、TEDから、こんなコメントが
you are red
he is yellow
she is green
they are black
black is white white black
I am Blue
だから、ぼくは、こう返事した
Dear TED
sorry not to realize what you said
i should have the notice that colors are made from
the same two colors and another one
your words didn't tell me the reason quickly
i will have the effort to know the meaning of your words
TEDの言葉
とても深かったのに
ぼくの早合点で、調子ぶっこいてバビロン
ごめんなさいでした。
二つの同じ色と一つの違う色
ここがポイントだったのですね
ひゃ〜 恥ずかしい
TEDの言葉
深い意味がありました
文脈からすると
形容詞・形容詞・形容詞
形容詞・形容詞・名詞
と捉えるのと
名詞・動詞・形容詞
名詞・動詞・名詞
とするのと
4通りに考えると
すごいことになりそう
(3単現のSがないけどね)
black black white
黒い黒い白
黒い黒い白い
黒は白く黒くする
黒は白を黒くする
すごい面白い
しかも、上のTEDのコメントには
black is white white black
なんてのも出てきて
黒は白い白い黒
黒は白い白い黒い
になってしまって、ほとんど迷宮
人生だ
blue blue red
red red yellow
yellow yellow green
green green white
なんてなると、もう・・・
true color
って、ことかな。
北園克衛さん、いらっしゃい
って、感じだなあ。
TEDのこころ
傷つけたかも
ごめんね
ぼくが浅かった
別のマイミクの方が、こんなコメントをくださって
不思議な並び方…って思ったけれど
詩的表現ですね!
脳がパァーッと
色に染まったような感覚です。
で、ぼくは
脳がパーッと色に染まる
うひゃ
その様子を想像しちゃいました
って返事を書いて
単純な自分が恥ずかしいです
TEDのこころを傷つけたのでは
と、いまはそれだけが気がかりです
TEDの言葉
きーたんさんがおっしゃるように
不思議な並び方ですね
音が
いまさら言うのもなんですが
とてもうつくしい
ううううん
ぼくの詩のなかに引用しようっと
ていうか
この日記
すべて『詩人の役目』に入れる予定なのですが。
うん
音がきれい
きれいです
こころが澄んできます
違った!
円環構造になってるんだ
style shows me your words are cyclic
the color changes another one
finally the all of colors are black
and those words are good sound
like the current of water
そしたら、TEDから
あなたはほめすぎでした
とても驚くあなたは好きなことができ(ありえ)ます
ありがとうございます
TED
って
ああ
ぜんぜん違った解釈してたみたい
きのうのTEDの日記の詩に書いたぼくのコメント
ぜんぶ削除しました
ひゃ〜
言葉は難しいぞよ
ぼくは浅くて軽いから
こんな失敗ばかりしてる
*
恋する四角 恋する資格
あるひとへのメッセージに
恋する資格と書くつもりが
恋する四角になってしまって
自分で笑っちゃいました。
で
恋する視覚と書いて、またぐぐっときて
恋する刺客もいいし
恋する死角もいいかなって、笑。
こんな言葉が書きつらねられるのも
こういったパソコンのワード的な機能のおかげかなって思いました。
ぼくは
30才くらいで死んじゃうような気がしていたので
こんなことが書きつらねていけるなんて
想像もしてなかった。
まだまだ
想像もしていなかったことが
起きるかもね。
恋する四角
恋する視覚
恋する死角
恋する刺客
なる〜。
おもろい。
*
エコーズ。 ──りょうくんの思い出に。
いちごになりたい。
ぼく、バカやから、いちごになられへん。
いちごにやったら、なれるで。
そうかなあ。
そうや。
といったような会話からはじまったのではなかった。
メガネ、きょう、かけてへんのや。
うん。
まっ黒やんか。
まえに会うたときと、ぜんぜんちゃうから、違うかもしれへん思うた。
海でも行ったん?
うん。
どこ?
若狭。
ああ、ぼくも、学生時代に行ったわ。
3、4時間、かかるんちゃう?
うん? 2時間。
えっ? 2時間?
道路事情が違うんやろか。
まあ、ぼくの学生時代って、30年くらいまえやけど、笑。
横に坐ってもええかな?
うん。
髪の毛も短くして
髪も染めたんや。
うん。
コンタクト?
いや。
コンタクトせんでも見えんの?
見えへん。
見えんでもええの?
(笑って、うつむく)
目、どれぐらい?
0.2
ぼくも学生時代、そのぐらいやったよ。
でも、15センチくらいまでやったら見えるやろ?
乱視やから。
そか。
ぼくかて、乱視で、月がにじんで見えてた。
そやけど、齢とったら、ちょうどええくらいの視力になったで。
?
ほんと。
いま、1.0と0.7。
これ、タイルあらへんね。
でも、ええ味してるんちゃうかな。
なんかね。
このしみがね。
はじめて会うたのは、1年くらいまえかなあ。
笑顔がめっちゃかわいいねん。
すごいスタイルよかったのに
きょうは、ちょこっとおなかが出てて
おなか、出た?
うん。
って
ずっと、ほとんど
うん。
って、かわいい。
名前きいてへんかったね。
うん。
ほんとの名前でなくてええんやけど。
りょう。
*
2010年6月4日のメモ
帰りに韓国語の先生と興戸の駅で会う。
いつもと違うファンデーション。
紫外線よけかな。
ぼくは年収の半分を詩集を出すのに使ったり
本を買うのに使っているのですが
先生は、何かにたくさんお金を使われることがありますか?
エクササイズに。
2年前の体型に戻りたくて。
以前の服が着れません。
*
若いことが意味を持つか?
若いときには、若さについては何も考えなかった。
齢をとってから、ますます、若さについては考えなくなった。
そもそも、若さとは、「他人事」だったのだ。
他人が、若かろうが、年寄りだろうが、関係ない。
まあ、それは、ぼくが知識の源泉を、
死んだ人たちの多くに求めていたからだろう。
だから、びっくりするのだ。
世代や年齢で、詩人や作家を見ることに。
意味があるのは、「他者の思考に影響を与えるほどのものを書いているか、
それを発表しているか」だけなのだ。
年齢ではなく、才能が問題なのだ。
影響力は才能に比例する。
作り手と享受者の。
ただそれだけのことなのだ。
若いとか齢とったとか関係ないのにね。
ぼくは、一生過激でありたいわ。
*
神が、わたくしである確率。
人間のだれか一人は神である。
それは一人の連続した生のなかでの存在であるとは限らない。
いったい、イエス・キリストのいつからいつまでが神であったのか
つまびらかにした書物は1冊も読んだことがない。
「切れ切れ」なのだ。
神が、わたくしである確率は、どれぐらいあるのだろう。
わたくしが神であると困る人間が、だれかほかにいるであろうか。
わたくしは、ほかのだれが、どのときに神であっても当惑しないだろう。
わたくしには、
あらゆる瞬間の人間の行いが神のそれに思えるからである。
神が、わたくしである。
わたくしの短い生のあいだに、
神が、わたくしであった瞬間はあったのであろうか。
あったかもしれない。
自分が神であったという自覚があるとは限らないからである。
忘我のわたくしについては、
わたくしは、いっさい目隠しされているからである。
これを現在形で語りなおしてもよい。
わたくしは、神が、いつ、わたくしであっても、
いっこうにかまいはしないのだ。
*
そして、だれもがナポレオン
という詩句が
だれの詩句であったか、思い出せない。
持ってる詩集にはなかった。
どなたか、ご存知の方がいらっしゃったら
教えてくださらないかしら?
*
あ
さっき思いついた言葉
甕はこわれるが、甕という概念はこわれない。
われながら、いい詩句になりそうと思ったのだけれど
「われながら」も、しゃれになっていることに気がついた。
しゃれ、ううううん。
だじゃれかな、笑。
意図せず。
*
とってもかわいかった市会議員。
さっきまで、30年来のオカマの友だちと飲んでいました。
居酒屋の出入口で、そのオカマの友だちの市会議員に会いました。
ぼくとオカマの友だちが帰るところで
市会議員夫婦が入るところでした。
とてもかわいいので、手をにぎにぎして
「かわいい、かわいい」と連発してしまいました。
彼の奥さん、横で笑っていました。
世のなかには
かわいい市会議員さんもいるのだなあって思いました。
まる。
ほんとにかわいかった。
*
校正中のゲラを読んでいて、きょう、3時間、考え込んでいた一行の詩句。
両方のハサミのないものもいて
これを
両方、ハサミのないものもいて
にするまで、3回書き直して
断続的に、計3時間、考えていた。
途中のものをつぎに列挙する
両方ともハサミのないものがいて
両方、ハサミのないものもいて
両方のハサミがなくなっているものもいて
両方ともハサミがなくなっているものもいて
いまだに、再検討ありの付箋をつけている。
というのも、前後の詩句の音調とのバランスがあって
意味だけではなくて
イメージや印象だけではなくて
とりわけ、音調的なバランスがむずかしくて
はっきり決められないのである。
まあ、今週中に、この部分、決定しなければならないが。
さっき、塾に行く前に、自分の日記に
どの作品も、ぼくの魂が言葉に導かれた作品であると思う。
という言葉を書いたのだが
塾のアルバイトが終わって、帰ってくる途中の道で、
歩きながら、ふと考えていた。
まさしくそうじゃないかと。
才能とは、言葉の魅力を引き出す能力のことを言ってるのであって
個人の才能などというものは、ほんとに矮小なもので
偉大なのは、ただ言葉だけなのだと。
これは、わざとレトリカルに表現した部分もあって
誇張法的なものの言い方だが、言えてると思う。
どれほど偉大な作家も
ただ一つの言葉よりも文学に貢献した者はいないと思う。
シェイクスピアでさえ
ゲーテでさえ
いや、わたしの方が、とは決して言わないだろう。
詩誌や雑誌を読んでいて、よく思わせられる。
なんと、勘違いしている現代詩人の多いこと、多いこと、と、笑。
ほんま、辟易とさせられるわ。
*
能天気グッズ
休日
すぐれた詩集
公園
ベンチ
木陰
*
闇を投げかける。
比喩的にではなくて
現象的にありえるのかどうか
アルバイト先の塾からの帰り道、考えていた。
『舞姫』と『The Gates of Delirium。』をくっつける
いくつかの系列の作品で、使おうかなと思っているアイデアがあって
リゲルからの「帰還者たち」が持ち帰ったものからつくったもの
という設定で。
しかし、現象的に説明できそうにないので
比喩的に用いる程度にするかもしれない。
ホムンクルスを捕獲する者たちが装着するゴーグルで
使おうと思っていたのだけれど
「闇をより深く闇にする」装置と
「闇がより深く闇になるので見えるようになる」ものを考えたかったのだけれど
2、30分の考察では無理だった。
まあ、またいつか、考え直してみようと思った。
*
あらちゃんとのおしゃべり。
きのうは、電話でしゃべくっていて
とても貴重な見解にいたることができて、うれしかった。
きょうは、部屋に遊びにきてくれて
また、くっちゃべっていました。
あ、このあいだ、漂白剤での失敗のことで心配してくれて
上等のポロシャツ3枚、いただきました。
ふだん、ぼくが着ないような上等のもので
また、色あいも、ぼくが着ない感じで
とてもフレッシュな気がした。
あらちゃん、ありがとう。
きょうも、詩の話がおもしろかった。
きのう出た、貴重な見解って
それは、引用詩のことなんだけど
引用詩をつくっているときに
あるいは、自分のメモも、そうなんだけど
それをくっつけているときに
いちばん自我が強く働いているという気がする
というところを延長して考えると
引用詩には、モロに、ぼくの自我の構成力が発揮されていて
それが投射されているので
読む人につよい反発感を抱かせる
という可能性があるのではないか、ということだった。
可能性は大きいね。
というのが、きのうの電話での内容だった。
しかし、他者の自我に飲み込まれて
ここちよいこともあるわけで
けっきょく、相性
好みの問題かな、っていうのが、きょうのお話。
まあ、このことは、すこしだけのやりとりで
あとは、詩のこと。
そして、雑談と、笑。
楽しかった。
あらちゃん、ありがとうね。
チュ!
*
きょう、一日の気になること、いくつか。
授業で、ぼくの声が大きかった。
どこか、はしゃいでいたといった感じが、自分でもする。
躁状態なのだ。
欠席とか遅刻を記入する紙に書いた自分の文字のうち
ひとつの「す」が、これまでの人生でもっともうつくしい「す」
であったことに感動し、職員室で、宗教学の先生に、それを見てもらった。
「田中先生、字、ふだんから、きれいですよ。」と言われたのだが
その「す」は、ぼくがこれまでに自分の書いた「す」で
もっともうつくしかったのだ。
記念にとっておいて、書き換えたものを提出すればよかった。
アルバイト先の塾で、「先生、ぼくのしゃべり方になってる。」
と生徒に言われた。
人格の転移が容易になっているようだ。
気がつくと、ふだんの自分ではなかった。
生徒そっくりのしゃべり方をしていたのだった。
これも、躁状態のはっきりした兆しである。
あまり躁状態がつづくと
そのあとの欝がこわいのだが
まあ、いい。
数ヶ月はもつだろう。
*
イデアの概念って
共通認識っぽいものだと思っていたのだけれど
文脈によって変わるんなら
ずいぶん個人的なものなのだと思った。
それならイデアではなく
イデアを求めるというほうがずっと重要なのではないか?
いや、意味概念が変わるという
個々の瞬間こそ大事なのだ。
瞬間に思いを馳せる芸術の技こそ見もの。
時々刻々あらゆるものがその意味概念を変え
あらゆる事物・事象の意味概念が変わるものならば。
きのうの微笑みは
きょうにはもう意味を変えているのだ。
とどめておいた思い出も
思い出すたびに違ったものになっているとしたら
いったい思い出とは何か?
形が何であるか?
わたしたちは語るであろうけれど
語るわたしたち、ひとりひとりの胸のうちで
その意味概念が異なるものとしたら
いったい形とは何であろうか?
形を
言葉、わたし、わたしたち、あなたと言い換えてもよい。
「その形が何であるか
何という形か
コンテキストのなかで異なるものなのですよ」
「たとえば三角形ですね」
「そうです」
「いや、ぼくがお聞きしたいのは
形というもののイデアなのです」
「ですから、その形が何であるかを
ある形についてのもののイデアなら存在しますよ」
「そうではなく、形式や形という語彙について
その語意の対象となるもののイデアなのです」
「そんなものはありません」
「ええっ?」
ある形のイデアを
幾何学でいうところの定義としてしか認識できないぼくには
チンプンカンプンであった。
*
その言葉は、周囲のあらゆる言葉の意味を変えながら旋回していたのだった。
*
2010年6月4日のメモ
形式のイデアってありますか?
職員室で哲学の先生たち3人に、そうたずねた。
「文脈によって異なります」
「どういう形式かによって異なります」
と言われて、ぼくにはチンプンカンプン。
ぼくのイデアについて考えてた語義は
プラトンが書いてたイデアだったのだけれど
プラトンのイデア自体、単純なものではなさそうだった。
*
存在するのに形式は必要か?
形式が存在するためには、存在するものが必要であるが
存在が存在するためには形式を必要としていないのではないか?
そうだろうか?
形は目のなかだけではなく
耳のなかにもある。
感覚が捉え得ない形式もあるのではないか?
それを形式と認識もできないのに、形式と呼ぶってこと?
ぼくのなかのひとりの声が言うのだった。
存在するためには形式が必要である。
それが物質であっても、概念であっても。
存在は形式を求めると言ってもよいだろう。
形式を、そのつどつくらなければならない詩と違って
短歌や俳句がこんなに盛んなのも肯ける。
愛する対象を求めるぼくの気持ちも
愛する対象を求めやまないぼくの気持ちも
たんに形式を求めてのことに過ぎないのかもしれない。
しかし、愛は同時に自他の存在を相補っているものでもある。
自己の形式と他者の形式を。
よい詩人は語義を拡げ、語義を深める。
形式がひとつの限界なら
限界のひとつならば
よい詩人は新しい形式を開発し
それを定着させなければならないだろう。
*
案山子
風を着たり脱いだり
日を着たり脱いだりと
忙しい
*
しあわせの形、かなしみの形
こころは形を持たないから
すぐにしあわせの形をとりたがる。
こころは形を持たないから
すぐにかなしみの形をとりたがる。
*
チマチョゴリ ディラン・トマス書簡集の不誠実な校正と翻訳の誤植の多さについて
このことは、以前に書いたかな?
何週間か前に
韓国語の先生と帰りに興戸の駅でお会いして
いっしょに話をしながら帰ったときのこと。
紫外線よけのためだろうか。
ファンデーションが、少し濃い色のもののような気がしたのだ。
きょうは、職員室で
ぼくが帰るときに
きょうもごいっしょしようかなと思っていると
ノート・パソコンを開けてらっしゃったので
あいさつもせず先に退室したのだけれど
興戸の駅で
ベンチに腰かけて
ディラン・トマスの書簡集を読んでいると
ひとの気配がしたので顔をあげると
その先生がサングラスを外されるところだった。
「先生、韓国でも、外国の書籍をよく翻訳していますか?」
「よくしていますよ。日本のものも多いです」
「日本の詩は、訳されていますか?」
「いいえ。小説ばかりですね」
「とくにだれでしょう?」
「村上春樹ですね」
「ノーベル賞候補でしたね?」
「ええ」
「いま読んでいるのは、ディラン・トマスという詩人の
書簡集なんですが、もう誤植が多くて
校正ミスが10箇所以上あって
びっくりしています。
4200円もするのに
まともな校正もしないなんて
ほんとに不誠実な出版社ですよ」
電車がきた。
座席に空きがなかったので
ふたりは立ちながら
「こんなミスを見逃すのですよ」
と言って、そのページを見せると
「信じられないミスですね」
「でしょう?
ください
が
くだい
ですよ」
もっとひどいところがあるのだが
あとで、列記するね。
「ぼくって、こういうのってゆるせないんですよ。
出版社と著者や翻訳者に直接手紙を書きます」
「わたしも、出版社に手紙を書いたことがありました。
チマチョゴリの写真が表紙に載っていたのですが
リボンが蝶々結びになっていたのです。
チマチョゴリは
まるひとつです。
こうするのです」
とおっしゃって
右手をご自分の左胸のところで
架空の服のなかに差し込むようなしぐさをされて
「なるほど」
「蝶々結びだと
まるふたつになります」
それから、翻訳の訳文について少し話をして
「韓国語にも敬語があるんですよね?」
「あります」
「日本では、年下の人間が年上の人間にタメ口をきくことがありますが
韓国でもありますか?」
「ありません」
「えっ? まったくないんですか?」
「ありません。
日本にきて、びっくりしました。
電車のなかで(とおっしゃって、電車のなかを振り返り)
修学旅行の学生が、先生に向かって
つぎ、どこでおりるの? って言うのを聞いたとき
カッとしました」
とおっしゃって、怒った顔をつくられて
「もう、いまはなれましたけれど」
笑われました。
「ぼくなんか、廊下で
生徒に「あつすけ」って呼び捨てにされていますよ」
「ええっ?」
「あっ、一部の女の子たちにです」
「ダメですよ」
「ええ。
ほかの先生がいらっしゃるときには
呼び捨てにしちゃだめだよって言ってます」
そんなことを話しているうちに
ぼくが下りる竹田に着いた。
東洋書林 ディラン・トマス書簡集 徳永暢三・太田直也訳 誤植一覧
p.106 l.5 あな(、、)→あなた(、、、)
p.122 l.2 克服し来たって→克服したって
p.138 l.13 その原稿のばかに→その原稿のなかに
p.181 l.6 書いてくだい。→書いてください。
p.217 l.11 にところに今は→のところに今は
p.255 l.7 ということ気づいたか、→というところに気づいたか、
p.256 l.14 前に済んでいた敷地→前に住んでいた敷地
p.289 l.14 その話しを→その話を
p.290 l.5 カーボーイ→カウボーイ(ほかのページではカウボーイ)
p.299 l.7 待っていているのです→待っていてくれるのです
p.323 l.13 そうであるか、まぬけ面かどちらでしたよ
→そうであるか、まぬけ面であるかどちらかでしたよ
p.324 l.5 ひどくよい男で→ひじょうによい男で
p.381 l.8 ハイフンの位置がずれている
p.394 l.11 スランゴレン帰って→スランゴレンに帰って
これ以外にも、訳文のおかしいところがいっぱいあって、びっくりした。
ぼくのアイドルのディラン・トマスが汚されたような気がした。
出版社には、いま手紙を書いたけれど、
訳者のひとりは亡くなっているそうで
生きている訳者のほうに、後日、手紙を送る予定。
なぜこんなレベルの翻訳しかできないのに
ディラン・トマスに手をつけたのか疑問である。
*
機会に弱い。
kikainiyowai と打ち込んだら
機会に弱いと、笑。
もちろん
器械にも
棋界にも
奇怪にもだわさっ!
*
感情の発展過程で、ある点以上には絶対成長しない人がある。かれら
は、セックスの相手と、ふつうの気楽で自由な、そしてギブ・アンド・
テイクの関係をほんの短いあいだしか続けられない。内なる何かが、幸
福に耐えられないのだ。幸福になればなるほど、破壊せずにはおけなく
なる。
(フレデリック・ポール『ゲイトウエイ』20、矢野 徹訳)
同じような文章をほかでも読んだ経験がある。
ぼくや、エイジくんが、そういった性質なのだと思う。
どちらか一方ではなくて、両方とも、そうやったんやから
とうぜん、うまくいくわけなかったのだけれど。
*
人生は物語って、よく言うけど
物語を白紙にしていく作業が
ほんとうの人生なのかも
って思った。
さっき、マイミクのコメントを読んで
ふと、そう思った。
ひとりひとり
その物語の消し方が違うから
異なる生き方だってことね。
幸せが好きじゃないひとっているんだよね。
ぼくもそうだし
たぶん、エイジくんもそうだったと思う。
百億の嘘と千億のもしも、もしもで
いっぱい。
*
雨の日を選んできていた。
はじめて会ったのが雨の日だったから。
つねに知っていること以上のことを
あとで知ることになるぼくだった。
また会ったら、そう言おうと思っていた。
でも、まだ会えていないのだった。
雨の日を選んできていた。
ああ、なんだか、この一行が愛おしい。
ぼくの性格が出ているから?
たぶん。
雨の日を選んできていた。
ずっと。
*
音には意味がない。
音には意味がない。
なぜメロディーやリズムとなると
情感を催させるのか。
色にも形にも本来は意味がないのに
なぜ絵画や彫刻に
こころ動かされるのか。
なぜ言葉には意味が与えられたのだろうか。
意味には言葉が必要だったのだろうか。
人間には意味が必要だからかもしれない。
それは、おそらく人間自身が意味だからであろうけれど。
はたして、人間が意味を求めているのだろうか
意味が人間を求めているのだろうか
それとも、ただ単に意味が意味を求めているのだろうか
人間が人間を求めているのだろうか
意味が意味を知る
意味が人間を知る
人間が意味を知る
人間が人間を知る
意味が意味を通じて意味を知る
意味が意味を通じて人間を知る
意味が人間を通じて意味を知る
意味が人間を通じて人間を知る
人間が意味を通じて意味を知る
人間が意味を通じて人間を知る
人間が人間を通じて意味を知る
人間が人間を通じて人間を知る
詩人のうち、いくらかは意味を吟味することで人間を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは人間を吟味することで意味を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは意味を吟味することで意味を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは人間を吟味することで人間を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは意味を吟味することなく人間を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは人間を吟味することなく意味を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは意味を吟味することなく意味を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは人間を吟味することなく人間を知ろうとする
詩人のうち、いくらかは意味を吟味することもなく人間を知ろうともしない
詩人のうち、いくらかは人間を吟味することもなく意味を知ろうともしない
詩人のうち、いくらかは意味を吟味することもなく意味を知ろうともしない
詩人のうち、いくらかは人間を吟味することもなく人間を知ろうともしない
わたしは、これらのうちの、どの詩人なのだろうか
意味を吟味することで意味を知ることは
人間を吟味して人間を知ることとは違うような気がするが
もしかすると、それほど違うものではないものかもしれない。
人間を吟味することで意味を知ることと
意味を吟味することで人間を知ることとの違いは微妙な気がするが
ひょっとすると、まったく違うことかもしれない。
しかし、いずれにせよ、芸術とは吟味すること
詩とは吟味することなのだ。
吟味することは時間をかけることではないが
時間が吟味させるものではある。
時間が吟味させる
場所が吟味させる
出来事が吟味させる
これは怖いことである。
詩は
詩人は
時間に吟味され
場所に吟味され
出来事に吟味されるのだ。
*
これって
生まれてはじめての経験かも。
ぼくが歩いていると
後ろから歩いてきたひとがみんな
ぼくを横切って
ぼくの前を歩いてった。
なんだか
ぼくが後ろに
ゆっくりとさがっていってるような
そんな気もした。
なにもかもが
ゆっくり。
ぼくが見上げた空は
たしかにいつもよりゆっくりと
風景を変えていった
いつもより
たくさんのものに目がとまった
田んぼの周りに生えている雑草やゴミ
通り道にあった喫茶店のドアに張られたメニューのコピー
歩道橋の手すりについた、まだらになった埃
これって、きっと雨のせいだろうね。
ぼくは何度も
その埃が手のひらにくっついたかどうか
見た。
埃はしっかり、銀色に光った鋼鉄製の手すりにこびりついていて
(ステンレススティールだと思うけど、違うかな?)
ぼくの手のひらは、ぜんぜんきれいだった。
電車を乗り換えるとき
食べようと思って
ル・マンドというお菓子をリュックから出したら
そのお菓子を買ったときの領収書が道に落ちたので
拾おうとして、しゃがみかけたら
学生服姿の高校生の二人組のうちの一人が
さっと拾い上げて、ぼくに手渡してくれた。
ぼくの足が不自由だと思ったからだと思う。
人間のやさしさって
感じる機会ってあんまりなくって
あんまりなかったから
電車の扉がしまってからでも
その高校生たちの後ろ姿を
見えなくなるまで
ぼくの目は追っていた。
*
スニッカーズ
日知庵の帰り
セブンイレブンで
大好きなスニッカーズを買って
帰りしな
ドアのところで
すれ違った青年が
中国人青年そっくりだったので
びっくりしたら
その子が、ぼくとすれ違う時に
にっこりしてくれたので
びっくりした。
ドキドキした。
はずかしくて、振り返りもしなかったけど
きょう、夢で出てくれたら、めっちゃうれしい。
涙が出てきそうやった。
*
幸福の幾何学
倫理代数学
匿名歴史学
抒情保健体育
愛憎化学
錯覚地理
電気国語
苦悩美術
翻訳家庭科
冥福物理
最善地学
誰に外国語
摩擦哲学
無為技術
戦死美術
被爆音楽
擬似工作
微塵哲学
足の指天文学
虐待化学
超音波国語
暗闇体育
軽視哲学
自爆技術
奴隷美術
吐く地学
白痴学
顔面地理学
踏み絵保健体育
無言哲学
深夜地理
死亡生物学
忘恩倫理学
異常医学
白痴幾何学
高学歴地理
低所得者保健体育
踏み絵生物学
痛い化学
むごい芸術学
ひどい文学
よそ様哲学
モロだし幾何学
はみチン哲学
土人の家庭科
マクドナルドの土木建築
日本外交のお習字
無効哲学
向こう哲学
無光哲学
剝こう哲学
ふんどし家庭科
トップレス経済学
はみだし製図学
生乾き美術
なまはげ音楽
メリーゴーランド脱毛学
*
民主主義。
ひざまずくホッチキス。
不機嫌なビー玉。
気合いの入った無関係。
好きになれない壁際。
不器用な快楽。
霧雨の留守電。
趣味の書類。
率直な歩道橋。
寝る前の雑草。
気づまりな三面鏡。
粒立ちの苛立ち。
無制限の口紅。
時間につけるクスリ。
世界が、そこでけつまずく。
*
だれもが一度は考えること。
証拠より論。
へそから上の領分には、宗教も真実もある。
悪意の行き過ぎほど安全なものはない。
金銭は人の尊敬よりも確かな財産である。
恥ずかしいと思うことは恥ずかしがって言うべきだ。
我がふり見て人のふり直せ。
力のない無力は無であり、無のない無力は力である。
けなす非難もあれば、ほめる賞賛もある。
あって一癖。
淫して楽しまず。
一方美人。
鳴らねば打たぬ。
皿を食らわば毒まで。
蛇藪。(蛇から藪が出てくるのよ。)
仇を恩で返す。
あらゆる善いことをした人でも、わたしに悪いことをした人は悪人である。
生きているライオンは、死んだ犬にまさる。
袈裟が憎けりゃ坊主も憎い。
船多くして船頭山に登る。
薬につける阿呆がいる。
味方の味方は敵だ。
大事が辛抱。
貧乏人でさえ、友人はおぞましい。
所が同じなら、品も同じ。
棒から藪。
柱の家は息子たちである。
恋は常に有益であるが、友情は時には害である。
自分を好きたいなら人を忘れよ。
憎しみ多ければ愛に至る。
憎さ余って可愛さ百倍。
曲者の恋。
輪の知恵。
念仏の耳に馬。
金棒の鬼。
例外の規則。
*
徹夜してしまった。塾の生徒に読んでみてと言われて、その小説を読んだ。気分が悪くなった。悪意しか持たない人間がたくさん出てくる。現実とはあまりに違う感じがした。それとも現代においては、青年たちの感性は、悪意しか読みとれないものになっているのだろうか。
4:20 AM Dec 31st webから
悪意というよりは、自己本位性といってもいいかもしれない。もちろん、第一に自分のことを考えるものだろう。とりわけ自意識の高い人間は。自尊心の強い人間は、と言い換えてもよい。しかし、徳性といったものも、人間は持ち合わせているのだが、それが欠如しているのだ。
4:26 AM Dec 31st webから
キツネ狩りが貴族のスポーツであると本に書いてあって、それについて、長いあいだ疑問に思っていた。徳性がまったく感じられないのだ。人間同士がキツネ狩りをし合っているような小説だった。いま、P・D・ジェイムズを読みつづけている。人間が人間に対して残酷である事実を描いている。
4:31 AM Dec 31st webから
しかし、ジェイムズの小説には、人間が人間に残酷であると同時に、他者に情けをかけてやることができる動物であることをも、きちんと描き出しているのだった。生徒に、いきなりP・D・ジェイムズを読むように言うのはやめておこう。ある程度の生活年齢を過ぎていないと理解できないだろうから。
2010年12月31日 4:34:40 webから
ジャック・ヴァンスの魔王子シリーズの最終巻は、シェイクスピアの『オセロウ』に匹敵するぐらいの名作であった。P・D・ジェイムズを読んでいて、しばしば、シェイクスピアの悲劇が思いだされた。どこが共通しているのだろう。ああ、わかった。人間の魂の二重性である。
2010年12月31日 4:44:10 webから
『オセロウ』に出てくるイアーゴウにさえ、ぼくは人間の持つ厚みを感じるのだが、それは、シェイクスピアが巧みに、読み手であるぼくが感情移入できるように場面を配し、状況をつくりあげていく力があるからなのだろうけれど、読み手にも、それを受け取れる能力が必要であろう。
2010年12月31日 4:49:53 webから
魂の二重性、あるいは多重性は、ぼく自身が長いあいだ追及していたモチーフだけれど、人間のこころがいかに複雑なものであるかを知るには、やはり現実の生活年齢がある程度は必要であると思われる。ぼくは、あまり頭の出来がよくなかったから、30歳を過ぎてからだった。
2010年12月31日 4:53:19 webから
10代、20代は、SFやミステリーばかり読んでいた。純文学を読み出したのは、20代の半ばで、純文学はそれ以降だった。しかし、それでよかったと思う。おもしろいのだから。高校のときに読んだことがあったが、人間のことをあまり知らなかったので、よくわからなかった。
2010年12月31日 4:56:45 webから
よくわからないものは、おもしろくなかった。あたりまえか。そうだ。わからないし、おもしろくなかったのだ。うん? わからなくてもおもしろいものはあるのだろうか。あるか。パウンドのピサ詩篇、知らないことがいっぱい出てくるけど、おもしろかった。知らないと、わからないは違うか。
2010年12月31日 5:00:11 webから
知らないことが書いてあっても、おもしろいのだから、知らないことと、わからないことは違うか。違うね。エリオットの『荒地』なんか、笑ってしまったものね。そういえば、このあいだ、岩波文庫から出たエリオットの詩集、ひさしぶりにエリオット読み直して、やっぱり笑ってしまったものね。
2010年12月31日 5:02:36 webから
あ、知らないことと、わからないことが違うって知れてよかった。わからないとおもしろくないけれど、知らないことがあってもおもしろいものはあるってことからね。引用だけで作品をつくってたとき、すごく反発するひとがいたけど、知らないことにコンプレックスがあったんだろうね。 2010年12月31日 5:06:03 webから
人によって読んでるものが違ってるんだし、自分が知らないことを人が知っててもあたりまえなのにね。ぼくなんか、人がぼくの知らないこと知ってて、当たり前だと思ってるし、そんなことコンプレックスに思わないんだけどね。
2010年12月31日 5:07:35 webから
P・D・ジェイムズの『神学校の死』、つづきでも読もう。まだ5分の1。92ページ。寝ちゃうかもしれないけれど。何日か前、本を投げ出して寝てた、笑。
2010年12月31日 5:11:48 webから
*
正しい現実は、どこにあるのか。記憶を正すのも記憶なのか。
文学極道に投稿していた詩を何度も読み直していた。
もう、何十回も読み直していたものなのだが
一か所の記述に、ふと目がとまった。
記憶がより克明によみがえって
あるひとりの青年の言葉が
●詩を書いていたときの言葉と違っていたことに
気がついたのである。わずか二文字なのだが。
つぎのところである。
●「こんどゆっくり男同士で話しましょう」と言われて 誤
●「こんどゆっくり男同士の話をしましょう」と言われて 正
誤ったのも記憶ならば
その過ちを正したのも記憶だと思うのだが
文脈的な齟齬がそれをうながした。
音調的には、正すまえのほうがよい。
ぼくは、音調的に記憶を引き出していたのだった。
正せてよかったのだけれど
このことは、ぼくに、ぼくの記憶が
より音調的な要素をもっていることを教えてくれた。
事実よりも、ということである。
映像でも記憶しているのだが
音が記憶に深く関与していることに驚いた。
自分の記憶をすべて正す必要はないが
とにかく、驚かされる出来事だった。
いや
より詳細に検討しなければならない。
ぼくが●詩を書く段階で
いや
●詩のまえに書いたミクシィの日記での記述の段階で
脳が
音調なうつくしさを優先して言葉を書かしめた可能性があるのだから。
記憶を出す段階で
記憶を言葉にする段階で
音調が深く関わっているということなのだ。
記憶は正しい。
正しいから正せたのだから。
記憶を抽出する段階で
事実をゆがめたのだ。
音調。
これは、ぼくにとって呼吸のようなもので
ふだんから、音楽のようにしゃべり
音楽のように書く癖があるので
思考も音楽に支配されている部分が大いにある。
まあそれが、ぼくに詩を書かせる駆動力になっているのだろうけれど。
大部分かもしれない。
音調。
恩寵でもあるのだけれど。
おんちょう。
*
それは、言葉ではなく、言葉と言葉をつなぐもののなかに吸収されていった。
*
彼は、まだ、わたしのなかに、わたしの喜びと悲しみのなかに存在していたのであった。
*
個々の人間の精神のなかにある「ことば」と、その個々の人間を取り巻く環境のなかにある「ことば」とは、つねに与え合い受け取り合っているものがあるはずだ。なぜ多くの詩人たちは、「ことば」をまるで変わらないものとしてしか扱えないのか。言葉は柔軟なのに、詩人はそうではないようだ。
花を見ようとして鼻を近づけるひともいれば、花を手折って匂いをかぐひともいる。詩を読もうとして、こころをそわせようとするひともいれば、詩を壊して、自分が理解できるものにつくりなおしてしまうひともいる。
どんなにすばらしい作品でも、それがひとの目に触れなければ、その作品が存在する意味がない。ひとの目に触れてはじめて、作品は作品になるといってもよいだろう。ネット上に作品を無尽蔵に発表できる時代だ。埋もれた才能などほとんど皆無の時代がやってきたのだ。歓迎すべきことではないか。
*
事物というのは、見たあとで、見えてくるものだ。
*
体験に勝る教えなし。
*
小学校時代に飼っていたカイコを思い出す。カイコは、飼っていた箱のなかに入れてやった毛糸の屑や色紙の紙片や布切れなんかをつかって、自分の繭をこしらえた。しかし、ぼくの自我は、万華鏡の鏡の筒だ。入れられたプラスチック片や毛糸の屑などを動かしては、いろいろなものに見えさせる。
どんな唇がいいって訊かれたら、やわらかい唇と答えると思う。だれもぼくに訊かないし、ぼくもひとにたずねたこともなかったけれど。このあいだキスをしていて、そう思ったのだった。そういえば、1年くらい前に、7時間近くしてたこともあった。いくら好きでもさすがに最後は吐き気がしたのだけれど。
醍醐中学校での思い出。デブの男の子で、顔も日に焼けて真っ黒だった子がいて、そいつんちは大きくてお金持ちだったのに、肘のところを縫い繕った学生服着てて、笑うと、並びの悪い歯がのぞいてた。この田舎者って思ってたけれど、ぼくがしんどくなったとき、「大丈夫か?」って言ってくれた。
子どものときの思い出からかな。ぶさいくで、デブで、バカっぽくて、というのが、ぼくが好きになるタイプのようだ。でも、ほんとにぶさいくなのはダメで、ブサカワでなくてはならないし、デブにも限度があるし(かなり広いとはいえ)、バカっぽくてもバカはだめだし、けっこうグルメだ、笑。
前彼に、「ぶさいく言うな。」と言われた。まあ、あたりまえか。ぼくなんか、ぶさいくって言われても平気なんやけど。デブも言わんといてと言われたけど、どこから見てもデブはデブだし。でも、感性はすごくよかった。絵も上手やったし(父親がプロの画家)、字もヘタウマでかわいかった。
ユニークなひとがいて、フォローしたのだが、「階段部」なる部活動をしているらしい。階段を上ったり下りたりするだけなのだろうか。ヘラクレイトスの言葉が思い浮かぶ。上るのも下りるのも一つの道であると。たしかに、上るのも下りるのも一つの階段ではある。(道は未知に、階段は怪談でもよい、笑)
*
あまり長いあいだ、自分の顔を鏡で見つめていると、別のものを見ることになる。
*
詩句を目にして、すごく感動することがあるが、忘れてはならないのは、その詩句の意味を受け取って解釈しているのは、読み手である自分であって、詩句のその力がつくり手によってもたらされたのではないことに注意すべきである。つまらない詩のなかの詩句にこころ動かされることがあるのだ。
*
自分の過ちを認めずに生きていくこと。これほど自己形成にマイナスなことはないだろう。
*
性格はほぼ無意識に形成されるもので、いったん決定的なものになると変わりようがないが、個性は意識的に洗濯したものからも形成されるものであり、本人の意志次第で、いくらでも変更や更新ができるものである。
思い出すことをやめたときにはじめて恋人は自分のもとから離れていく。それまでは思い出すたびに、その恋人の同じ顔を見ているのである。時がたち、自分が変わったり当時の状況の解釈が変わったりすると、恋人は別の顔を見せる。過去の状況で見受けられる恋人の別の顔ほど驚かすものはない。
*
彼には、あたたかみを感じられなかった。かれには、あたたかみなどなかったからである。
*
言葉は存在をくわだてる。存在の輪郭を明瞭にしようとし、存在の様態を語ろうとする。
*
詩は遭遇である。詩とは、遭遇の創造である。
*
自分が軽く見てバカにしていたことに、もっともよく教えられることがある。シリアスなほどに。
*
とくに詩人というものは、詩の読み方も、詩の書き方も知らないものなのだ。
*
まったく見たことのない数式を瞬時に理解するのは難しい。感情もまた同様に、まったく新しい感覚も、自分のものであっても、他人のものであっても、すぐに理解することは難しい。
ワーズワースの「この無制限の自由は私を疲れさせる。」と、ゲーテの「我々に自由を与え得るのは、ただ法則だけだ。」を読むと、「型が精神集中力を持続させるのではないか」と思った。たとえば、俳句や短歌のことだ。
*
見てもいない人間からも、ひとは影響を受ける。
ふと耳にした、まったく知らない他人の言葉にさえ、気にとめてもいない人間の言葉にさえ、影響を受けることがある。
*
その言葉には意味があった。たとえ真実であっても、真実ではなかっても。
*
永遠とは、つかの間の命しか与えられていない、われわれ人間のなかにしかないのだ。
*
どのような詩が求められているのか論じてばかりいないで、なぜ、求められている詩を書かないのだ。
*
人間を操っているのがロゴスである。
*
恋人が去り、自分の自我の一部となっていた恋人の存在が変質していく。時がたち、その存在の特徴が薄れ、自分の自我のどこかにおさめられ、その痕跡もわからなくなるときがくる。完全に吸収したのだ。それが、ひとと付き合うということのなかに大きな意味があると思われることのひとつだ。
*
時間を確実に徴収していく税務署のような、おまえ。気まぐれ坊主のおまえ、偶然よ。
*
「場所」である大地ガイアと、「時間」であるクロノスを両親とする神々は、「出来事」ということになるであろうか。ギリシア神話のさまざまなエピソードが思い出される。
*
わたしは自然も神もよく知らない。しかし、自然や神は、わたしのことをよく知っているようだ。わたしを生かし、愛させ、憎ませ、喜ばし、悲しませ、死なせるのだから。
*
彼は、なにごとにも句読点を打たなくてはすませない性格であった。
*
ぼくがふと口にしたその言葉は、彼のこころに反していただけではなかった、ぼくのこころにも反していたのだった。
*
彼の顔に答えをさがしていたが、いっこうに見つからなかった。
*
彼は自分の考えのなかで方向を失い、迷子になっていた。
*
他者がいるので、自分を映しださせて見れる。
*
音には映像をふくらませる力がある。
*
彼のほほ笑みは、ぼくに警戒心を起こさせるものだった。
*
ファミレスで友だちとしゃべっていると、近くの席で会話していた連中の間で交わされていた言葉が、自分の口からポロっと出てきた。無意識のうちに取り込んでいたのだろうけれど、その言葉はぼくたちの会話のなかに現われても違和感がちっともなかった。無意識が取り込むものがいかに多いか。
*
さまざまな時間が、ぼくのことを思い出す。さまざまな場所が、ぼくのことを思い出す。さまざまな出来事が、ぼくのことを思い出す。そうやって、思い出されるたびに、ぼくの輪郭が明瞭になっていく。
*
自分を破滅させるものを愛する人は多い。一部の人間は破滅すること自体を愛することもできるようだ。詩を愛するひとは多い。詩で破滅する人間の多さには驚かされる。ぼくもそのひとりだ。だが破滅するから詩を愛しているのではない。いずれ、すべてのものが破滅するのを知っているのだから。
*
人間はすることがなければ、自分を苦しめるものでさえつくってしまうものである。
*
互いに見張り合って、言葉の意味をより狭い範囲のものにしばりつけようとする詩人たち。
*
しじゅう、言葉を出入り口として、さまざまなものが、ぼくの身体を出入りする。
*
思考対象がなければ自我は働かない。これは、実験済みだ。メモの断片が勝手にくっついていくことによって、自分が考えてもいなかった詩句が出来上がっていったのだ。自我を思考傾向のようなものとして捉えれば、思考対象がないときに自我が働かないのは当然のことのように思われる。
*
テニスンの『イノック・アーデン』をパン屋さんでランチを食べたあと読んだ。2時間弱で読み終わった。つくりものなのだけど、つくりものめいた作品なのだけど、ほとんど善人しか出てこないのだけれど、細部にわたって観察が行きとどいた叙述のため、物語として十分楽しめた。終わりのところで、涙がにじんだ。
*
醍醐にいたとき、よく自転車で冒険した。田舎道を自転車でいろいろなところに行った。ある道端に建っていたなんでも屋さんに、スイカの缶詰があった。と、そんな記憶があったのだが、詩を書くようになって、スイカの缶詰の話を友だちにしたら、そんなのないよと言われてショックやった。
しかし、もしかしたら、スイカの缶詰あったかもしれへんし、これからネットで検索してみる。
いまネットで「スイカの缶詰」を検索したら、あったみたい。でも、実物がすぐに出てこなかったけど。なんだか、くわしく知りたくなってきた。
*
恋なんていつかは必ず解ける魔法だけれど、齢をとっていろいろ経験すると、人生という魔法にかかって、なにもこころにかけていないひとのしぐさでさえ、いとしく思えることがある。これは、人生の魔法ともいうべきものであって、けっして解かれることはないものだ。
*
2011年4月13日のメモ
レックバリの小説には、そこかしこにユーモアがある。ユーモアこそ、知性のある証しだと思ってきた。皮肉には知性がない。皮肉は、愚か者が口にすることのできる唯一の武器だ。あまり威力がないのだが。ユーモアが愚か者によって口にされるのはまだ見たことがない。愚か者が口にする言葉をユーモアに解することはあっても。
2011年4月5日のメモ
自分の生が、生の瞬間が生き生きとするのは、真実の一部を虚偽の一部と交換するからではないかと書いたことがあるが、じつは、その大方を虚偽と交換するのではないかというのが、文芸や音楽に忘我となっているときのことを思い出してみて、考えたことだ。
日付のないメモ。
人格も、人柄も、その言葉も、その行動も、その微笑みも、その悲しみをたたえた瞳も、仮初めのもの、ただひとときのものに過ぎないというのに、なにをそんなに気にかけることがあるのだろうか。
日付のないメモ。
今陽子の「さよならの嵐」のシングルのB面「別れたあなた」を小学生のときに聴いて、どきどきしていた自分がいた。この曲のタイトルが思い出せずに、友だちの友だちにサーチしてもらった。A面のタイトルは憶えていたのだけれど。大事な方ではない方を記憶しているという、変な脳みそ。
2011年4月1日のメモ。
五条大宮の公園の入口に、コブシの木に白い花が咲いていた。六弁の花。咲きはじめて、二、三日で満開となるらしい。ぼくの目には三分咲き。しかし公園に入って行くと、満開のものもあり、ほとんど裸木のようなものもあり、つぼみをつけた緑葉樹とも混在していた。
2011年4月8日のメモ。
ひとの作品を評するときの言葉には気をつけること。ときには、いや、かならずだと言ってもいいだろう、それは、自分が自分の詩をどう思っているのかを表わしているのだから。
日付のないメモ。
その雨は顔となり、その顔は雨となった。
2011年4月16日のメモ。
お墓参り。お墓の場所 18区91 御影石の黒い石の墓。この区域に御影石のお墓は、うちと、もう一軒だけ。見晴らしの良い高いところだが、足腰が弱ったときには、登るのがつらいかもしれない。他の多くの墓を見下ろす場所に立って気持ちがよいのもなんだか。
2011年4月13日のメモ。
八雲さんに小物屋さんに連れて行ってもらう予定なのだが、いまべつに欲しい小物などひとつもないのだが、じっさい目にしたら、ああ、これ必要だな、などと思えるようなものに出合えるような気がする。と、ふと、思った。
日付のないメモ。
自転車に乗っていてトラックにはねられそうになったとき、時間がとまったような気がしたことがある。トラックの運転手たちだけではなく、横断歩道の向こう側にいたひとたちの顔、ひとつひとつまでもが鮮明に目に飛び込んできたのだ。
日付のないメモ。
飛び降り自殺する直前に、窓の外から覗く、さまざまな部屋のなかにいる人間のことを書くというのはどうか。トラックにひかれそうになったときの時間感覚のことを思い出して思いついたのだが。
日付のないメモ。
中学のときに、友だちの家に遊びに行ったのだが、友だちのお母さんが、友だちに、お父さんが浮気をして帰ってこないと言ったときに、友だちの顔がそれまで見たことのないような顔をしてたことがショックだった。瞬時に魂が抜けてゆくように表情がなくなっていったのだった。
2011年4月6日のメモ。
中学のときに、はじめて自分で服を買った。紺色のセーターだったのだが、腰のあたりがフリルのようになっていたのだ。パパに、「オカマみたいや。」と言われた。しかし、それを意地で着つづけていたわたしだった。もちろん、友だちにも「オカマ」と言われた、笑。
小学生のとき、ぼくは、身体が小さくて、身体の大きい級友に惹かれた。いちばん好きだった友だちは、三頭身で、足がめっちゃ短かったけれど、逞しい感じだった。いま、若い男の子たちがパンツずり落として歩いてるけど、彼は、なかみがそんな感じだった。いま、どうしてるだろう。
ぼくが中学のとき、親が祇園の家を改修するために、醍醐に家を買った。不良の友だちが自転車で遊びに来てくれた。中学でタバコ吸うような不良だったけど、そいつのことが好きだった。夜中にベランダでくっちゃべっていた。夜空がきれいやった。そのとき交わした話は何一つ憶えてないけど。
これが古典のもつ力なのか。テニスンの「イン・メモリアム」、派手なレトリックもなく、平坦な叙述が連続するのだが、読むのをやめさせないのだ。といっても、まだ半分ちょっと。このあいだ、ブックオフに、テニスンの分厚い詩集が105円であったのだが、買わなかった。買っておけばよかったかな。
きょう、タワレコ行って、びっくりした。パブロフズ・ドッグの新譜が出てた。あまりにこわくて、買わなかった。PFMは、買いたかったな。しかし、世のなかには、すばらしい音楽がありすぎる。文学もすばらしい作品ばかりだ。映画もよいし。芸術に文句がある人って、いったいなにを見ているのだろう。
フランスのプログレで、「夏色のナンシー」が聴きたいと、何年も前から、いろいろなところでたずねているけれど、返信はゼロ。兄と妹の2人組だったと思う。ぼくは、シングルレコード買ったのだけれど、30年以上も前の話。だれか、ぼくよりプログレに詳しくって、情報もってるひと、いないかしら?
*
言葉は、わたしをつかって、言葉をつくる。
*
神は愛であり道であり真理であると聖書にあったと思うけれど、愛こそ神であり、道こそ神であり、真理こそ神だと思う。
*
目をひらかされて、目がさめた。手を引っ張られて起き上がった。手に歯ブラシを持たされてチューブをひねらされて、歯を磨かされた。それから着替えさせられて、靴を履かされ、玄関で後ろから蹴られるようにして家を出ていかされた。
詩人や作家や芸術家が自分のつくった作品を見て何を考えるのか、ぼくは知らない。ひとそれぞれで、またひとりのひとにとっても、作品ごとに、また同じ作品でも見るときどきによって違うものかもしれない。ぼくの場合は、ぼくの無意識を見る。ぼくの無意識の在り処と、その働きを見る。
ぼくの詩は、振り返ってみたら、どの詩も、誰かと出会ってなければ、何かと出合ってなければ、つくられることがなかったものばかりだ。
*
Tシャツをガマン、それとも半ズボン。知らず知らずのうちに物干し竿の真似をする。そででは街灯を引きずる音。床は唾でヌチョヌチョだ。ところどころ画像がはっきりと映っている。エゴイスト。口でないと嫌だと言う。死ね。セブンイレブンでおでんを買う。レシートに買っていない大根の金額が。死ね。
死を裏返して生きる。みんながしていることだ。札の死を裏返して生きている。表を向いている顔を裏返して生きている。表を向いている葉っぱを裏返して生きている。表を向いている言葉を裏返して、みんな生きている。だから生はわかりやすいし単純だ。だれもが、死を裏返して生きている。或いはその逆。
やわらかいドアノブ。握ると硬くなる。冷たい兎。首をねじって息を吹き込む。とたんに熱を帯び、血液がめぐる。まるでドアノブのように。足裏を頬の上に置いて言ってきかす。まだ指があるのだと。指は緑の太い茎のようにポキポキ折れる。ドアノブもねじりもぎとることができる。と、きみに優しく言う。
せっかく答えの芽が出て葉を伸ばしても、実ができるまえに、問いかけの獣たちが食べてしまうので、答えの実が結んだことがない。答えは、いたるところに生えているのだけれど、いろいろな問いかけたちが、すぐに見つけて、食い散らかしてしまうのである。それでも、答えはたえず生えてくるのだけれど。
*
2011年10月2日のツイット
友だちが言った、「お母さんを郵便局に預けると利子がつくよ。」と。利子のついたお母さんって、いいなあって思った。あれっ? じゃあ、お母さんを借りると、お母さんが減ってくの? いや、それでも、お母さんは増えてくのかな。どっちだろ。ううううん。どっちにしろ、お母さんは増えてくのかなあ。
posted at 22:15:25
お母さんが増えるという前提で話をすると、お母さんのなにが増えるんだろう。ミニお母さんがついてくるのかな。それとも、お母さんの指が増えるとか、耳が増えるとか、部分的な増量だろうか。お母さんが20%増えてっていえば、ただ体重の増えたお母さんがいたって感じになるかな。指、増えてほしい。
posted at 22:18:13
それとも、お母さんが縦に増量する。首だけが二倍になったり、目と鼻の間が二倍になったりとかも、するのかもしれない。あっ、それとも、身体的な増量じゃなくて、お母さんの精神的な増量も考えていいかもしんない。お母さんが、ぼくだけのお母さんじゃなくなるのってのは、どうだろ。たとえば、タコ。
posted at 22:21:27
タコを産んだお母さんが、ぼくのお母さんでもあるとかね。コンパスが股を開いて、小さなコンパスを産むように、お母さんがタコを産んで、それから、ぼくを産んだことにするといい。お母さんは、なんだって産むんだ。いままでも産んできたし、これからも海つづける。いや、産みつづける。なんちゅうか。
posted at 22:24:19
それが出来上がったら作品はおしまいだ。お母さんといっしょ。ファックスの紙がなくなっていると、電話が告げているのだけれど、ぼくはファックスに切り替えたこともない。なんでも告げればいいというものではないと思う。もちろん、後ろでもかまわない。前でもかまわない。ファックスでさえなければ。
posted at 22:27:51
國文學の編集長が、ファックスないのですか、とたずねられたので、ないのですよ、と答えた。「だって、ファックスでは、美人かどうか、わからないじゃないですか。まあ、どこの海岸でもかまわないのですが、できれば海岸沿いのお化けが出る廃屋がいいですね。風がビュンビュン」ビュンビュン、なにが?
posted at 22:32:05
だから、ファックスが。ビュンビュン、なにが。でね、お化けがいいところは、それが場所を選ぶからなのです。時間も選びますね。シチュエーションも選ぶことが多いのです。写真に写りますか? ビュンビュン写ります。お化けが自分の出る時間や場所を選ぶのですか? いいえ、時間や場所が選ぶのです。
posted at 22:36:55
時間や場所のほうが、お化けを選ぶのです。そこに生きている人間を適当に配して。そうそう。そこ。ほら。そこと、そこ。あっ、あっちも。いい感じですね。お化けは、もうすこし、こちらに。こちらに来て。ええ、ええ。いい感じです。ほら、ビュンビュン、風が写ります。風が写ります。そこ、と、そこ。
posted at 22:39:56
後ろにまわって。はい。チョキンと切りますよ。だいじょうぶですよ。こわがらないで。痛いのは一瞬です。目をつぶって。ハイ。どうです? 一瞬だったでしょう? あなたも風とビュンビュン、写りますからね。あ、ちょっと待って。間違えてました。あなたは、ここで突き落とされるはずだったのです。
posted at 22:42:55
一度してしまったことは訂正できないのです。あなたは、その姿で、出てきてください。髪をすこし濡らして。そう。そういう感じ。いいですよ。違った死に方も悪くはないでしょう。あなたは、自分のどんな死に方を、頭に思い描いていましたか? わたしも、まったく思ってもみなかった死に方でしたよ。
*
ひとは雨雲を覚えていて、思い出すだろうか。
(モーパッサン『ピエールとジャン』5、杉 捷夫訳)
雲は過ぎさるが、天はとどまる。
(アウグスティヌス『告白』第十三巻・第十五章・一八、山田 晶訳)
「すべては流れる」
と賢者ヘラクレートスは言う。
(エズラ・パウンド『「わが墓をたてるために」E・Pのオード』III、新倉俊一訳)
私はある男を知っていました。彼はミツバチの羽音はその死後には響かないと確信していました。
(ヴォルテールの書簡、ドフォン公宛、一七七二年、池内 紀訳)
読んだこともない詩の一節が
(フィリップ・K・ディック『ユービック』5、浅倉久志訳)
その詩の最後の行を忘れることが出来ない。
(カポーティ『最後の扉を閉めて』2、川本三郎訳)
もしあのとき……もしあのとき。
(三島由紀夫『遠乗会』)
ぼくの白い柵、ぼくの家の囲いの格子垣、ぼくの樹々、ぼくの芝生、ぼくの生まれた家、そして玉撞き部屋の窓ガラス、それらは本当にそこにあったのだろうか?
(コクトー『ぼく自身あるいは困難な存在』ぼくの幼年時代について、秋山和夫訳)
みんなそこで生まれたの。
(マルグリット・デュラス『北の愛人』清水 徹訳)
空の上には一片の雲も掠(かす)め飛んだことはなかった。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも怜悧なのか・5、西尾幹二訳)
*
魂とはなにものか?
(ジャン・ジュネ『葬儀』生田耕作訳)
人間とはいったいなんでしょう、
(ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙』檜山哲彦訳)
まことに人間そのものが大きな深淵だ。
(アウグスティヌス『告白』第四巻・第十四章・二二、山田 晶訳)
われわれの内部には、じつに奇怪で神秘的なものがあるんだ。いったい、自分自身のなかにいるのは自分だけだろうか?
(アンリ・ド・レニエ『生きている過去』11、窪田般彌訳)
僕たちの背後で嘲笑している何かがあるのだ。
(ヴァージニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)
死んだ腹から聞こえる笑い
(エズラ・パウンド『「わが墓をたてるために」E・Pのオード』IV、新倉俊一訳)
俺は死人たちを腹の中に埋葬した。
(ランボオ『地獄の季節』悪胤、小林秀雄訳)
魂を究極的に満たすのは魂自身のほかにはない、
(ホイットマン『草の葉』分別の歌、酒本雅之訳)
深淵と深淵とが相對しているのであつた。
(バルザック『セラフィタ』一、蛯原徳夫訳)
*
詩は言葉のために言葉を語る。
(ホフマンスタール『詩についての対話』檜山哲彦訳)
無限に語りつづける、
(ボルヘス『伝奇集』結末、篠田一士訳)
この書物はまだ終わったわけではない。
(ジャン・ジュネ『葬儀』生田耕作訳)
まだずいぶんかかるの、詩を仕上げるのに?
(レイナルド・アレナス『夜明け前のセレスティーノ』安藤哲行訳)
小さな森の中に、ひとりの贋詩人が現われる。
(アポリネール『虐殺された詩人』12、鈴木 豊訳)
君は、詩が好きかい?
(ジイド『一粒の麦もし死なずば』第一部・八、堀口大學訳)
でもこれがほんとに詩なんですか、それよりも判じ物じゃないかしら?
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラ、井上究一郎訳)
ある晩、帰りがけに小石をいっぱい包んだハンケチを、背中にぶつけられました。
(バルザック『谷間の百合』二つの幼児、小西茂也訳)
民衆があなたに石を投げつけてもちっとも不思議はない。
(ペトロニウス『サテュリコン』90、国原吉之助訳)
半分は嘘で、半分はふざけてるんだから
(ロバート・A・ハインライン『地球の脅威』福島正実訳)
おっしゃるとおりです、まったく。
(テネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』第三場、小田島雄志訳)
*
ぼくたちは
(L・P・ハートリイ『ポドロ島』宇野利泰訳)
置いてあったサンドイッチに手を伸ばした。
(ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』5、金子 司訳)
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>思い出すことをやめたときにはじめて恋人は自分のもとから離れていく。それまでは思い出すたびに、その恋人の同じ顔を見ているのである。時がたち、自分が変わったり当時の状況の解釈が変わったりすると、恋人は別の顔を見せる。過去の状況で見受けられる恋人の別の顔ほど驚かすものはない。
朝
レノンを聴き猫を轢き、雨のバイパスを海へと、今日を始める、僕は。
君はヴィーナス。海から拾った石と無為の年月を君へ渡すよ。
白い燈台の朝をめくり雨のページへ。「愛しているよ」と言わないために。
人と人と。こうして僕が五指で掴む未来という虚空を君に。
硬貨よりむしろ石に近い言葉をばらまいている僕、モナリザの目を持つ少女へ。
失われていることを知らないのかと君に問う、何度も。海を見る君に
車のミラーの遥か向こうへ歩く君の後ろ姿。何処へいくのか僕が遠ざかる。
昼
人の運命の流転を川岸で見ている。君は何が楽しい?
高層ビルに高く窓ガラスの人影、横雲移る物語の空。
空の雲へ爪痕を付ける、と。濁っている暖かい血にくるまれていても
足に腕に歯車回り、肺の中、影だけでまだ生まれぬ言葉
キリマンジャロを飲む時にきちんと過ぎている人生を清潔というのか!
夜
もう僕は一生を終えてしまったと言ってしまい君には嫌われてしまっている夜。
薄闇の安い演歌の恨み節恨むあてなく迷う裏路地、今日の日はさようなら。
スカイラークのパーキング、夜の震えに感染し果てなくタバコの煙は流れ。
雪の夜、どこかで渦巻いている銀河。傘の下から君と別れた。
夜の地球が初めての朝を待っている。街灯が人の眠りを照らし続けて。
ニュートンの法則どおり真っ直ぐに眠りたい、宇宙の隅に落ちた身体は。
この場所で所在なく立つ肉体が夢の記録簿インクのにおい
反歌
朝夕の社の森に鳥多し なおつつがなくいませ我が君
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>短歌詩人は、せいぜい汎神論
>神は理論を持つてはしなかつたからである
さくらんぼ軍団が攻めてくる
わたしは築城して守りに入る
さくらんぼ軍団がお堀の周りを埋め尽くす
兵糧攻めを開始する
わたしはこんなことじゃめげないもん!
涙目になってスイカバーが食べられないことを我慢する
「スイカバー食べたいよ………」
禁断症状がうずきだす
うー
イライライラ
「姫、これ以上スイカバーを断つと姫の生命が危険ですぞ」
爺が言う
「わかってる」
でも無いものは無いし
我慢するしかない
ガマン?
ああ、わたしが一番キライな言葉じゃないか
わたしは城に残されていた兵士たちに命令を出した
「とつげきいいいい」
誰も突撃しなかった
しーん
わたしは顔を真っ赤にさせて怒った
「なんでいかないのよお!」
側近の一人がしゃがみ、床に顔を近づけ言った
「姫………我が軍の約半数がすでにさくらんぼ軍団に寝返っております」
なんだってえええ
側近がお堀の方を指さした
わたしもそっちを見た
さくらんぼ軍団のすぐ隣りに竹ヤリを持った人間が直立していた
はや
寝返ると同時にさっきまでの味方に攻撃準備
(………もう、わたしも寝返っちゃっていいかなあ?)
それで空っぽの城をみんなで攻めるのだ
でもそんなこと口に出したら側近にぶっ殺されるんだろうなーって思って何も言えない
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1.
夏の夜がひとつずつ明け
きょうもまた
薄ら笑いで迎えた
なにが可笑しいのか
闇雲に過去を
終わらせてみたい
と思った
断ち切るには
じゅうぶんに
必死の顔つきだが
ことばと技術が
だぶついて
過去のほうから
笑い声と
すすり泣きが
合唱しながら
近づいて
くる
こうなったらもう
とか云って
非常口を探している
2.
冷水を飲み干し
今夜も
こんがらがった
青い糸だけの
世界を想像する
おまえはまただ
胡座のかきかたを
間違えて
さいしょから
骨のありかを
確認しだす
忘れてしまった
香りとかで
卒倒できるのだから
おれとはそもそも
仕組みが異なるのだろう
見違えたように
夏の夢を
やりなおせば
そこには
悪意が香っている
悪意がつきれば
わたしたち、滅んでしまう
なので
腕と腕を組み
指先に
血文字を貼付けて
行進するのだ
滴る音楽が
遠くのほうで
鳴っていて
わたしたち
とは関係のない
終曲がはじまった
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>こうなったらもう
>とか云って
>わたしたち、滅んでしまう
>なので
>腕と腕を組み
窓から空を仰げば、今朝の土砂降りの雨も、大木を揺らすつよい風も嘘のようにピタリと止んでいる。
この営業所の職員たちは昼の休憩時、食い入るように台風の状況を告げるテレビに見入っている。
「今、丁度台風の目の中にいます。また酷くなる前に午後の仕事は無しにして
本日は帰宅することにしましょう」
皆、名残惜しいような、嬉しいような、という表情をして、テレビの前から散り散りに去っていった。
白いセダンのシートに乗り込むと、鞄から、ピースの煙草を取り出し、咥え、火を点ける。
私は職場でも家庭でも煙草は吸わないが、帰宅の際に車の中で一本だけ吸う。
特に趣味もなく、それだけが唯一の楽しみだった。
「あれ、煙草があるな、お吸いになられるんですか」
「うん、ときどきね」
私の秘密を知った只ひとりの若手社員は、いつか理由も告げず、職場から消えた。
すっかり渋滞をしている道の途中、娘のことを考えた。
幼いときは手が掛かったが、最近は一緒に食事も摂らなくなった。
衣類を私のものと、一緒に洗濯機に入れることを嫌がった。
洗濯カゴの中に娘の洗濯物が溜まると私は深夜、
娘が寝入ったのを確認してから、隣の街のコイン・ランドリーまで車を走らせた。
私は何かにつけ、怒るということはない。
同僚に「できている方だ」と言われたことがあるが、私には怒りという感情自体なかった。
グラスに赤ワインをとくとくと注ぐ。
目の前の妻は、しきりに私のいいところを褒めてくれる。
私も妻のいいとおもうところを褒める。
やがて会話が無くなって、気がつくとこのバーは長いため息の中にある。
ガラス窓の向こうに目をやると、街路樹がざわざわ揺れているのが見えた。
妻は席を立って、この店から出て行く。
とても大切な仕事があるらしい。
テーブルの上には結婚指輪と、判の押された離婚届が残されていた。
しかし少しも悲しくなかったのは、昨日の晩のこと。
ふと、そのまま帰る気になれず、左折しなければならないところを直進し、2時間くらい車を走らせた。
いろいろなことをとりとめもなく、考えて走っていたとも言えるし、何も考えず走っていたとも言える。
郊外から更にとおく、林の中に車を停める。
鞄から煙草を取り出し、胸ポケットに刺して、林の更にふかく歩いてゆけば、そこには白い砂浜が広がっていた。
台風のためか、海岸線は折れた木や、ペットボトルなどのごみ、海草で一杯だった。
私の頭の中のようだとおもう。
ピースに火を点け、すっと甘く、苦く、辛い煙を肺一杯にふかく吸い込みゆっくりと吐く。
少しずつ、つよくなっていく風は、かすかに濡れている。
そしてこの夕日。
やさしく、物悲しく、暮れなずむ、浜へと、ひとり、のこされて
気がつくと、私は泣いている。
ぽろぽろと涙は溢れ出たが、それは私の感情と比して、少なすぎた。
「きえてしまいたいっ!きえてしまいたいっ!」
ポケットから落ちたピースのプラスチックに夕日の光が反射してうつくしく
見渡せば花ももみじもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ 藤原定家
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20111001_419_5577p
行くと行くのあいだを
干渉しないように
通り抜ける
行くが
はずむ
あしのしたの面に
風ではこばれて
割れた子猫が
腹をすかせている
ひがん花の
かおりをかぐ
と
死ぬから気をつけて
と
当時の本当
が
まっていた
来るは
まつことなく
そのくせ
整然とした顔に
気づかず
軽々と
ぎんなんを拾っていく
手
軽々しく
血がおりて
空洞がすける
行くに
あきが来れば
からの身を
うずめる穴をまつ
あしのしたの子猫
すくわれる
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20110930_401_5570p
>ぎんなんを拾っていく
>手
>軽々しく
>血がおりて
>空洞がすける
>あしのしたの子猫
>すくわれる
> すすきのひかりさえぎるものなし 山頭火 最近好きで読んでいるのです。('11/10/03 05:46:36 *2)
>割れた子猫
>ひがん花の
>かおりをかぐ
>と
>死ぬから気をつけて
そう、散らかった部屋。僕の体重に沈むクッション。回転する夜の底から、聞こえてくる羽ばたきの音。反響するサイレンと、赤い光に祀られた地球儀。骨の浮きそうな、肩。世界をデッサンする指先が、背中に子午線を引いて。ねえきみ?こんな夜に生まれてくる、僕の半身。
暗がりで数を数えているだれかの指が、絶えまなく折られ、開かれ、瞳の奥底を流れていく赤い河が擦り切れたフィルムを焼いた。記憶され、失われ続ける思考が、自らの尾羽を引き抜いていく。川面には、数えられるものだけが浮かび上がって見える。湿った堤防をずり落ちていく足跡。あらゆる名前と、その内包する断層が、象徴を結実していく夜。ベランダで星を弾いて遊ぶ、足元が見えない。
暗闇に溶け込んだグラス。机の上に投げ出されたコンパス。地図上を広げられ痛む羽は、僕のものではない。彼のものでもない。腱と紐が断たれ、崩れていく線形。はずされた意味のくびき。
計量線が揺れて。増殖していく、影に境目はなく、一人ではない、二人でもない、細胞のかたまり。動的な平衡に抱かれ、柔かな心臓を握り潰した、両親は雪像になっていく。触れた指先の熱い、溶けだした水を飲み込むこれは、僕か。流れる体液の甘みは、誰のものだったか。名前が僕たちを裁断して、排泄された永遠。雹が窓を叩く、その音が神経を焼き切っていく。だれでもいいからはやく!僕たちの名を呼んで?ください!
暗がりで数を数えているだれかの指が、絶えまなく折られ、開かれ、回り続ける映写機はだくだくと流れていく。焦点が浅い写真と、欠損した完成図。粉々になったガラス。冷えた惑星の記憶を、辿る指先。地図に方角は記されておらず、これは僕か、君か、人間のレプリカがふたつ、涙を模して並んでいる、窓辺。飛び立つものだけが生きている。
羽ばたきの影が裂けて!さかしまの傷口を、象った護岸。質量だけ窪んだ部屋に、流れこむ密度。点滅する血飛沫の音。両腕を重ね、その骨を折り、朝が来るたび祈りの形を真似た。冷たい対称から、たなびく甘い煙。鬣の白い馬が、音もなく翔け上がっていく。雪解けを待たずに産まれ、死んでいった、僕。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20110928_317_5563p
>>厳しいことを言いますが、何か、読者に手渡したい核みたいな物や、主張したいことなどがあれば、ずいぶん全体の印象も違ってくると思います。
>暗がりで数を数えているだれか
>ベランダで星を弾いて遊ぶ
>はずされた意味のくびき。
>影に境目はなく、一人ではない、二人でもない、細胞のかたまり。
>涙を模して並んでいる
>>説明していただけますか?
>>ここに作者の隠された心があるような気がする。
>>たかが性別。女性が男性の気持ちを歌うし、男性が女性の思いにいたすではないか。まったくその通り。
>>だがこういった性の倒錯、というと大げさなと苦笑いの人もいようが、その奥にある、秘密にしたい物と表出させたい物に、興味深い心理があると思う。
>>しかしそこまで作者の意識にもぐらなければ、詩作品なんてわかりっこない。
>>「雪解けを待たずに産まれ、死んでいった」
>>と消滅してしまう僕とは、何者か、
>>あなたが、もしも女で、作品に男性の主語を使いたいと思った時、よく考えてください。
>>結論として、生きることと死ぬこと、にまつわる、雰囲気みたいな物、がクローズアップされて主張されているように思いました。かなり若い女性が抱く、生と死についての観念。
>>yukoさんの声が、あまりに静かで、イメージよりも前面に出てこないので、なかなか主張が読みづらいです
>>とりあえず、yukoさんの作品は、ぐだぐだです。
>>改稿前の作品の方が、強い意志を感じられたけど、改稿後は、それが失われてしまった気がする。そういう意味では、改稿前の意志すらもぐだぐだと流れちゃった、
>>詩の登場人物に 読者に集中して ほしかったからこそ、筆者の性別を はっきりと くどくど聴くなと yukoさんは おっしゃっているように 思いました。どうなんでしょ。そこらへんのことは?
>>存在していることと そうでないことを みつめれば この詩のように 線引きは本当は難しいことなのかもしれないです
>>「自分の弱さを表現する」というそこ一点に着眼して
>>女性がそれを使用したとしてもぼくはあまり不思議には思わず
>>むしろ、なるほどなと納得する。
>>この詩に描かれた多様に飛び交うイメージ。その趣向を筆者は一体どこに連れてゆこうとしているのか…それが読み手にはいまひとつわかりにくくしている要因ではないかと、わたしには思われます 。
>僕の半身。
>足元が見えない。
>増殖していく、影に境目はなく、一人ではない、二人でもない、細胞の
>かたまり。
>これは僕か、君か、人間のレプリカがふたつ、
>涙を模して並んでいる、窓辺。飛び立つものだけが生きている。
>雪解けを待たずに産まれ、死んでいった、僕。
>だれでもいいからはやく!僕たちの名を呼んで?ください!
>>この詩は、改訂版らしいけれど、前作より、内面にむかって、より鋭角に
>>なっていると思います。
>>?は、存在としての幽霊のような半身の僕に、果たして名前などあるのだろうか。という?に思える
>>ときに、エロスを含んで。
>>「統括イメージ」もしくは「作品構造」あるいは「寓意」。ポンポン飛んでいくイメージを一つの作品として成立させるために、ぼくはこの三つの持ち合わせがある。