文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

年間各賞・総評3(織田和彦)2009文学極道

2010-04-10 (土) 21:44 by 文学極道スタッフ

【実存大賞】 受賞者 
鈴屋

侘び住まい・六月

「私が鈴屋さんを推すのは、今年この作品を書いたからです。
時空を生活の中に描ききり、生と死と無から有へ、物象の形態変化、感受の変化、 それらを日常から取り出し提起した。
このことは書き手として非常に困難な位置と素材であり、 それをこなすだけでも賞賛に値し、さらに殻に留まらない筆を動かし続ける熱量が作品を凌駕の情宣へ達し、伸び続けていると断言できます。 」(平川氏の評)

また鈴屋さんそのほかの方をめぐった議論の中で、ダーザイン氏からは次のような発言もありました。

「<実存>という言葉の意味をご存じなのだろうかと疑念に思います。
ただ単に人間の現実存在を指す言葉ではありません。
(中略) 非‐本来的(「存在に根付かない、存在論的な思考から生まれていない」)なお喋りを実存論的とは言わない。空疎なお喋り、存在の怠落態です。
ハイデガーの根本哲学ではなくてサルトル流儀の主観主義三文思想からみても、冗漫なお喋りは現実へのコミットではない(以下略) 」
(blogにミドリさんの記事を貼りながらダーザイン注。これは鈴屋さんへ向けられた批判の言葉ではない。実存・世界性にかかわることで意見が合わず袂を分かった人と、山ほどいる世間知らずの言語遊戯の連中に向けられた言葉であり、誤解なきように。この(かっこ)内ダーザイン)

例年、実存大賞は年齢的にいって比較的、上の層の方が多い。実存大賞の対象となる人と作品は「人間・人生が良く描けていた者に」と謳われております。詩や文学なのだから人間や人生を織り込んで書くのは当たり前なのではないか? 残念ながら、特に現代詩と冠された書き物の中には、少なからず言葉上の遊びに終始しているものがみられます。
こうした「流行」が詩を書くものと読むもの間に溝を作り、詩文学という文化を衰退に向かわせている。だとしたらそれは是正されなければならない。これが文学極道のもう一つのコンセプトです。

たとえば上記(平川氏の評)でも触れられている鈴屋氏の作品「侘び住い・六月」から引用してみましょう。

「雨期がつづく 
耳のうしろで河が鳴っていて、困る
部屋にひとり座し
壁など見つめていれば
列島を捨てて大陸へ行きたく、はや 
赤錆びたディーゼル機関車が原野を這う」

作品の中の男は梅雨の最中、一人部屋に座し、せせこましい日本を発って大陸へ向かうことを空想します。男は「赤錆びたディーゼル機関車」それに乗って旅をしているのです。空想の中で、笑。
我々も通勤の満員電車にギュウギュウに詰め込まれて、日経新聞などを読んでいると”ウランバートル”という記事を目にすることがあります。別にそこに取引先がなくたって、次の駅がもしかしたらウランバートルで、ドアが開けばスーツから開放されて、少し行けば馬と草原と澄んだ空があり、今抱えてる日常の雑事から開放されることを偶には空想してみることもできるのではないか?
この作品の作者、鈴屋氏は、心の換気も必要だということを説いているのです。

「流し台の蛇口の先から
蛇がこちらを覗いている 
かわいい
縞蛇の女かもしれない」

などと男はさらにめんどくさい空想を広げていきますが、ここまでくるとかなり。上級クラス(部長コース・1時間3万円)だという感じになってきます。
受賞おめでとうございます。

【実存大賞】 受賞者
右肩

今回の実存大賞の選考にあたって、右肩氏を推挙したのがダーザイン氏、コントラ氏と、私の3名です。まだ誰も読んでいないと思うので、まずはコントラ氏のコラムに話を向けることから始めたいと思います。

「詩なり<作品>と呼ばれうるものは、世界に強烈に根ざそうとすること、根ざしていたことを呼び起こすこと。その地点からしか生まれてこない。これは、書き手にとっては多くの選択肢のひとつであるはず、しかし僕自身にとっては、それは唯一の立場である。」(コントラ氏のコラムより抜粋)

彼、コントラ氏はそのコラムの中で「僕は中学校時代に世間で言うところの「いじめ」を受けた記憶がある。」と告白しておりますが、「誰もそんなこと興味ねえーよ!(><;)/」などと、皆さんが正しく突っ込んだくだりですが、「いじめる」ことで植物でも何でも、味がよくなったり、人間もそうです。いじめられて初めて一人前になれるものです。これは「いじめと根ざしの考察」から、作品論を説き起こした、はじめて論考と言えるでしょう。

では、右肩氏の作品にはそうした「根ざし」の問題と関わりのあるものがあるのでしょうか?

「女神」は2009年4月優良作品に選出されたテクストです。ここから一部引用してみましょう。

「木製の丸椅子に
坐って
その上からひとり
毛布の皺のような
世界を見ています。
裸の私は
若い。」

「愛とか何か
答えがないまま

スタバのカップに刷られた女神
かも
しれません。」

Martin Heideggerは芸術作品とは自己開示と自己隠蔽の闘争の場である論じていますが、この作品の話者はおそらく若い女性であり、自分は裸になっているのに世界の方が隠蔽されていることに不安を訴え、スターバックスの紙コップに印刷されたロゴほどの実存(根ざし)しかないことへの認識を口にすることで、現代を生きる命たちへの自覚を促す詩になっています。右肩氏のテクストには色んな仕掛けがさりげなく配置され、現象学から、Jacques Derridaのdeconstructionやコントラ氏の旅と帰郷論まで包括する現代詩の書き手の中でもっとも優れたオーソティーとして記憶されるべきでしょう。

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泉ムジさん年間総括・発起人就任

2010-04-08 (木) 20:44 by 文学極道スタッフ

最優秀抒情詩賞ツータイムチャンピオン泉ムジさんに発起人に就任していただきました。よろしくお願いいたします。
以下、泉ムジさんの年間総括です。

「戯れに」(敬称略)、

○私的創造大賞
 鈴屋 ひろかわ文緒
○次点
 いかいか ぱぱぱ・ららら 右肩 りす
○私的最優秀抒情詩賞
 鈴屋 ひろかわ文緒
次点
 DNA はなび リリィ
○私的実存大賞
 該当なし
○次点
 しょう子 黒沢 田中宏輔 ゆえづ
○私的新人賞
ひろかわ文緒
○次点
 はかいし
○私的最優秀レッサー賞
 浅井康浩 右肩
○次点
 朝倉ユライ
○私的エンターテインメント賞
 該当なし
○次点
 該当なし
○私的年間最優秀作品賞
 鈴屋「桃」
○次点
 右肩「砂漠の魚影(或いは「父のこと」)」

○追記
・個人的に、年間各賞は多くの受賞者が出たほうが、盛り上がって良いと思っている。
・各賞受賞者は50音順に並記されており、どちらがより、その賞に相応しいと思うかどうかは反映されない。
・「今後、文学極道には投稿しない」或いは「文学極道年間各賞の受賞は辞退したい」などの発言は、一切勘案しない。これは、私的な戯れである。
・「私的な戯れに名前を出さないで欲しい」などの発言については、考慮する余地があるが、出来れば、笑って許してくれると嬉しい。駄目だろうか。
・実存大賞受賞者が、該当なしである理由は、2009年度において、ひろかわ文緒、鈴屋に比肩すると思える実存大賞受賞相当の者が無かった為である。
・新人賞次点受賞者に、はかいしを選出したのは、2010年度は創造大賞を狙う作者になって欲しいという期待である。本来、新人賞に次点など無い。
・最優秀レッサー賞次点受賞者に、朝倉ユライを選出したのは、文学極道フォーラムにて、「「螺旋響」へのラブレター。」を書いた為であるところが大きい。2009年度の投稿ではないが、情熱的な批評者の存在は文学極道の生命線であると私は考える為、最優秀レッサー賞次点受賞とした。
・エンターテインメント賞受賞者、エンターテインメント賞次点受賞者が、該当なしである理由は、「読まれるものを書く」ことが文学極道最重要の指針であると考える私にとって、この賞が大事である為である。つまり、思い入れが邪魔をした結果、誰も残せなかった。恥である。
・エンターテインメント賞次点受賞者に、最も肉薄したのは角田寿星である。
・年間最優秀作品賞受賞作品、鈴屋「桃」について、また、年間最優秀作品賞次点受賞作品、右肩「砂漠の魚影(或いは「父のこと」)」については、ただ、好みを2作品掴み上げただけに過ぎない。と書くと怒るだろうか。しかし私はひとりで選んでいるのだ。頼りない直感(直観とは言わない)だとして、それ以外に優先すべきものが在るだろうか。
・私にとって、追記とは言い訳の別名である。
・戯れに付き合い、ここまで読んでいただいた方に深く感謝致します。

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黒沢氏の年間総評(黒沢氏=2008年創造大賞受賞者)

2010-04-06 (火) 00:56 by 文学極道スタッフ

わざと上から目線で、w。

年間賞ですが、ひろかわ文緒さんが、頭三つくらい抜きんでていたと思います。才能を感じるし、作品を仕上げる生真面目さも兼ね備えているし、この先のびていく逸材ですね。このひとは、詩をやめない限り、相当なレベルで大成するんじゃないかな。テーマの彫りこみ、くっきりした陰影の切り取りとか、まだまだ若いなあってところもあるんですが、いずれ克服する人でしょう。なによりいいのは、言葉が伸びやかなのに、ちゃんと緊張感も備えているところですね。これは、努力ではなかなか身に付かないものです。

鈴屋さんは、いったん今の詩風を破壊的にたたき壊してしまって、再構成する時期じゃないでしょうかね。特定の語の用法、語の余韻といったものに、寄りかかりすぎているのが気になります。現状、完成度は非常に高く、作品そのものに特に文句をつけるところはないんですが。なんだか、いまいち自由な飛翔、意外な「ぶつかり」のようなものが、ない。用例に流れている、印象。いいすぎかもしれないけど、つい高いものを、求めてしまう。それと昨年も思っていましたが、実存賞よりは抒情賞の書き手だと思います。

いかいかさんは、今のままではだめですね。賞をあげるべきではありません。そのレベルの作品を、書いてもいません。なかのひとも、書かれた言葉も、素材だけです。その素材だけというところが、自他共にブランド化している奇妙な倒錯状況。ぼくにはただ、書き手の業/臆病な矜持が、すけて見えるだけ。ああいった逃げ道を用意した書き方は、意外に模倣可能です。詰将棋をつめるまえに止めちゃって、それらしい余韻さえ残せばいいんだから。八方破れに見えて、絶対に敗北しない、自暴自棄的・安全運転。といえば、さすがに公平じゃない酷評なんだろうけど。

草野さんの今年の詩は、だめです。まったく成長していないのが、問題です。このひとはこの先、のびないんじゃないかと、心配です。わざと厳しく言いますが、切り捨てたくない書き手だけれど、いまのままじゃ、だめ。

泉さんも、今年はだめだな。精彩なし。気合いいれろ。 書き手のモチベーションが、作品に、言葉に、のっていない印象。期待しているから、きびしく言うよ。

りすさんの詩は、老獪といいたくなるような、堂に入ってきた印象があるけど、まだ過渡期なんじゃないかな。いまのままなら、昔の詩のほうがいい。ただしこの先、もっと時間が深まっていくと、すごい粋な詩を書ける人だと思う。いまは、詩の言葉が持つべき実体/強度と、全体の器となる語法との間に、アンバランスを感じます。

はなびさんは、まだ判断保留だな。大きな賞を与える気持になれない。なかのひとが、書かれた言葉に追い付いていない印象があります。言葉だけが成熟を装っていて、全体としてはとっちゃん坊やっぽい。女性なんだろうけど。ただし、間違いなく一番の成長株だし、数年後が非常に楽しみで、気になってしまう存在ですね。

右肩さんについては、公正で、とてもバランスのいい批評が書ける人です。読み口にインテリの嫌味さがないのが、なおいい。解読と観賞のあいだを、すんなり越境しながら作品が読めている。読む頭が、硬化していない。文句なしにレッサー賞ですね。ダーザインさんへの注文ですが、もっと彼の力を評価すべきだと思いますよ。それと、彼の最近の作品には、Break Throughを感じますね。もともと言葉の強さに課題のある書き手だと見ていましたが、それが最近、目立たないように思えてきたし、独特の素材感といのちが、言葉に表れてきたようにおもえるのは、方法論と書かれた内実の間に、幸福な和解が生まれるつつあるからかもしれません。

debaserさんは、今年はあまり目立たなかった印象。超初期の作品に感じられた言葉の不思議な粘度/強さのようなものも、「milk cow blues」のときの軽やかな凄みも、なんだかイマイチ感じられない。悪い意味で、うまくなっちゃたのだろうか。もうひと花、ふた花、咲かせることのできる、書き手だと思う。

最近の浅井康浩さんの詩は、全くだめだ。ぼくには理解できない。ぼくが読めていないだけなのかな。ひと言で言うと、信用できない。

凪葉さんは、しばらくスランプかなあ。ぼくはダーザインさんや平川さんたちの意見と違って、凪葉さんは、背後に大きなものを持ってくるような仕掛け、そうした構造で作品を書くのは、向いていないと思う。まず、作品に意味をあたえるまえに、その意味を疑ってほしい。次に、「いいえ、意味を与えているつもりはないです」というのがもし書き手側の反論なら、作品から徹底的に意味の痕跡を消しつくすくらいの気構えを持ちなさいと、いいたい。まだ、世界とか、そういう大きなものを作品に実体化/定着するのにふさわしい、時期じゃないんだと思う。身の回りのちいさなものを、へんな意味(/安っぽく見られてしまうかもしれない物語)が混入しないよう細心の注意を払いながら、丁寧にそのまま書くのがいいと思う。

田中智章さんの作品は、もっと評価されるべきだとぼくは思う。

頭に思いつくままに書いちゃっているので、もっといいひと、話題にするべき人を、取りこぼしちゃってるでしょうね。ああ、それと、直接、掲示板でやり取りをしたことのある人に、つい思い入れがあるので、わりと古参の方に偏ってコメントをしちゃっているのも、認めます。ぼくは、ふつうの人間だから。

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年間各賞・総評2(織田和彦)2009文学極道

2010-04-04 (日) 22:59 by 文学極道スタッフ

「年間各賞・総評1」の冒頭で、発起人各人の声を引用しました。2009年が文学極道にとってどういう年(運営サイドの認識)であったか?その一端に触れて頂てくことができたのではないでしょうか。さらにその総括に関わる部分の発言についても引用しておきます。

※注記:引用は、発表を意識して書かれたものでないことをお断りしておきます。

「詩を書こうという意図によって書かれた作品に対しては俺は全然興味ありません。それは結局技量で見せるだけの作品になるから。そこから何かが見えるもの、そういうものだけが残る場に、文学極道はなって欲しいと思います。その意味では、月間にしろ年間にしろ(年間は特に)、厳しい基準での選考であるべきだと考えます 。 」(いとう氏)

「叙情、実存、思いあたる作者は既に受賞歴のある初期からの常連であったため、削りました。おなじ賞をくりかえし授与しても作者にも場にも進展がないという判断です。多謝。今年はかなり小粒の印象なので、該当無しという決断も必要になってくるかもしれません。もちろん、ほかに強く推すべき作者がいるなら、それ がいいと考えています。」(石畑氏)

この辺りを読んで頂くと、色んなものを包含つつ、そこに伝わる非常に厳しい雰囲気がわかると思います。

それから月間選評などで大変なご助力を頂いた阿部氏からは、外部目線に立った地点から、文学極道に対する数多くの疑問や疑義、叱責などを頂いております。それがこうした選考の過程などで、きちんと反映されただろうか?そこにある努力の不足は、常に補っていかなければなりません。特に阿部氏が、田中宏輔氏、岩尾 忍氏の2名を強く推されていたのが印象に残っております。

さて、本賞受賞者の話題に戻ります。

【最優秀抒情詩賞】 受賞者
■りす氏

「りすさんは投稿作品数は多くありませんが、他に該当する書き手は見当たらないと私は思います。」(ピクルス氏の評)

2005年創造大賞・次点入選、2006年、2007年創造大賞を連続受賞。2008年最優秀叙情詩賞受賞に続き、2009年も最優秀抒情詩賞を連続受賞。こうして見てくると、そろそろ彼にも次のステージを用意しなければなりません。”生まれも育ちも”文学極道のりす氏ですが、これは文学極道というメディアの ステップアップと、全くパラレルな軌跡を辿った現象であることが読み取れます。

「自分はまだモノマネの域を出ない」

これはかつて彼自身が自分を作品を評して発言していた内容です。同時に、ライティングの際に、予め主題が目の前にあるわけではない。という発言も見られます。

冒頭のいとう氏の評言に注目しましょう。ここです。

「詩を書こうという意図によって書かれた作品に対しては俺は全然興味ありません。それは結局技量で見せるだけの作品になるから」

いとう氏が「見せかけ」のものとして“嫌う”作品の“質”と、りす氏自身が自らを語る言葉がここで重なってきます。
つまり、「モノマネ」を脱し、自ら求める世界を掴んだとき。彼の書く技術は初めて、真に生かされるのです。

とは言え、その卓越した表現世界は他にないものであることはすでに証明済みです。受賞おめでとうございます。

【最優秀抒情詩賞】 次点
■ゆえづ氏

「目線の親しみ易さと胸が苦しくなるような抒情を買いました。」(ピクルス氏の評)

彼女ももっと評価されて良い人だと思います。子供にも大人にもきっと一つや二つはあるだろう、チクっと胸に突き刺さるその“棘”の痛みや、その甘酸っぱい感情を、さりげないタッチで、常に上質なものに仕上げてくるその力量は、他に見当たらない才能だといえるでしょう。プロットの折込み方もよく考えられています 。おしむらくは主題の掘り下げや、意表を突く独創性。ここら辺りが今一歩欲しいところかもしれません。

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年間各賞・総評1(織田和彦)2009文学極道

2010-04-03 (土) 19:55 by 文学極道スタッフ

2009年の年間選考にあたって、発起人各人の口からまず漏れたのは総じて低調だった、という趣旨の感想及び見解でした。 まずは「2009年年間各賞選考ルーム」で交わされた、或いは日記やメールなどから引用された“生の声”を拾っていきたい。

「このところ文学極道は 投稿作のレベルが落ちているように感じるのですが、 その理由の第一は 低水準のコメント書き込みが横行して 書き手を育てていない(以下略)」(阿部氏)

「今年は実力者は少数であり、 現れた気鋭の新人は私的にはひろかわ文緒だけでした。」(ダーザイン氏)

「印象としては不作です。(中略)同じ人に何度も賞を与えても、そこには停滞が生まれるだけだ。」(いとう氏)

「今年はかなり小粒の印象」(石畑氏)

「今年は、突き抜けた傑作を質量ともに併せて書き上げる方が現れなかった。」(平川氏)

などです。サイトととしてはこれは恐らく憂うべきことなのでしょうが、ぼく個人の感想を述べさせて頂くとこれとは全く逆です。レベルは底上げされた、しかしもっと上を目指さなければならない。その為の施策はもちろん立てるべきだ。これです。

毎年のことですが、当然のことながら意見は割れる。しかし中には根本的に「詩観」そのものが違うんじゃないか?こういうケースすらあります。実はここが一番エキサイティングであり、今後の詩文学の可能性を俎上に乗せ、議論する上でキーポイントになってくる部分だと思います。これも今後の課題として掲げておくべき事柄でしょう。

さて、本題の年間各賞受賞者の人と作品に触れていきたいと思います。

【創造大賞】 受賞者
 ■ひろかわ文緒氏
 
投稿欄を通読していくと彼女の作品を「批判的」に読む人が非常 に少ないことに驚かされます。文学極道は遠慮会釈なしの「罵倒」を“奨励”している変なサイトですから、作品をアップするのに、少しくらいは勇気がいるはずです。しかし彼女の作品は飄々とその壁を乗り越えていき、読む人の心にスイと届いていくかのように見えます。これは稀有な例でありましょう。

発起人各人の評をさっと拾っていきたいと思います。

「柔らかくも端的でかつ美しい場面の、その挿み方が素敵」(稲村氏の評)
「読み手を取り込む力が文体に宿っている稀有な書き手」(ピクルス氏の評)
「ひろかわさんには東京ポエケ時点でダー的にはぴか一だと宣告しています。」(ダーザイン氏の評)

一部、アホみたいな評(?)も混じっていますが、気にしないで進めていきます。

彼女の作品の中で特に注目を集めたのが年間最優秀作品賞・次点に入った「春」という作品です。

・ひろかわ文緒 「春」
「春」

今年も殿堂入りを果たした(?)一条氏がこの作品「春」めぐる投稿欄でのレスポンスで、素朴な感想を書き込んでいます。まずはその引用からはじめます。

一条 :

とても素敵な詩ですね。

>泳ぎながら眠る魚を
>ほほえみあって食べたい
>かなしくないうちに
>血液にしてしまえるように

ここがとてもいいのと、最後もとてもいいです。

最後というのはこのくだりです。

お母さん、
きっとあなたも
まだ見たことのない、
あなたです

確かに印象的な締めくくり方がなされている作品です。なぜ印象に残るのか?それまで家族に触れるフレーズや単語が“一切”出てこないのにも関わらず、最後に「お母さん」という呼びかけが為されています。しかもこの語りかけは、非常に複雑な親子関係を投影したものであり、且つ、アクチュアルな主題が基底あることが見て取れます。つまり。

きっとあなたも
まだ見たことのない、
あなたです

ここでは(娘の)母親に対する愛憎の感情が表出されています。母親に対する憎しみと慈しみの間で揺れる話者の心情が語られているのです。この作品は巧いだけではなく、現代に触れる主題を持ち、且つ共感を誘い、さらに書き手である、ひろかわ氏の筆からは、言葉に取り込みきれない切ない思いが溢れています。家族を描き、そしてその先にある生と死を見つめる。これがひろかわ作品に通底するテーマであり、そこが多くの共感を誘うゆえんでしょう。そしてその筆力は疑いべくもなく一級品です。
受賞、おめでとうございます。

【創造大賞】次点 
 ■いかいか氏 
 ■鈴屋氏

この二人に関して「常連組」であり、文学極道ユーザーには改めて解説するまでもないのかもしれませんが、選考の過程にあって物議かもした二人です。特に電脳詩壇のキングメーカー(ホンマか?)、いとう氏からは鈴屋氏の次点(次点すら)は認め難い。「いとうは鈴屋を一切認めない」という立場を明記しろ。という条件付きでの次点、という運びになったわけですが、まず、いかいか氏に触れていきたい思います。

■いかいか氏

相変わらず、彼のイマジネーションの力は他の追随を許さないものであり、その天才ぶりは健在です。
・いかいか「祝祭前夜」
「祝祭前夜」
闇と光を言葉によって自在に操る魔術師といってよいでしょう。彼の描き出す「魔境」は ぼくらの棲む世界のすぐ隣あるかごとく肉薄し、リアリズムの境界を横断してゆきます。

■鈴屋氏

「鈴屋氏の明確さに好感。緩急のある構成と読みやすい文体で、ありありと情感を描き出してくる。輪郭のない情感に作者なりの輪郭を与える作業は、詩のあるべき姿のひとつだと思います。」(稲村氏の評)
昨年の彼は月間賞受賞15作品のうち、14作品が優良に選出されるという安定した評価を受けています。その詩編は、ぼくらが普段何気なく直面する生活のドグマから紡ぎだされる言葉たちで溢れています。

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