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福島 "The Happy Island" by天才詩人(コントラ)

Posted By 文学極道スタッフ On 2011-10-31 (月) @ 20:32 In コラム | No Comments

福島 "The Happy Island" (改稿後新コラム)

日本において日本語で詩を書き続ける選択肢はありえない。詩人はぜんぶ負け犬だ。その負け犬、いかいか的に言えば自らのどぶねずみ的な醜態を、自覚した上で、ゼッケンくんみたいにそれを戯画化していく。せいぜいその程度の抜け道しかないだろう。しかし俺は天才なので、その道は選べなかった。海外でのうのうとしやがって気楽なやつだといわれるかもしれないが、すくなくともおれはどぶねずみではない。いや、どぶねずみかもしれないが、少なくともどぶに住まねばならないという不幸は免れている。さっき、暇つぶしに福島市のホームページをざっと見てきた。外国メディアの報道で、福島市内はもはやチェルノブイリ周辺と同じかそれより悪い状態だというのが明白なのにもかかわらず、市当局ウェブサイトには市民に正しい情報を伝えようする誠意がみじんもない。日本酒3合飲んだら発ガン率は1.6倍だから、放射能これだけ浴びたのと変わらないとか、人をナメきった情報ばっかりだ。(注1)暗に、放射能はたいした問題ではないですよ、と言いたいにしてももっと頭をつかったお茶の濁し方があるだろう。ふざんけんな。さかんに議論されているので繰り返したくないが、あまたの政府機関を擁する福島市を閉鎖するとなると、東北以北への大動脈が遮断され、日本の経済活動に甚大な支障をきたすと言われている。YouTubeにある無数の映像ではNGOの活動家がインタヴューに対し、これだけ放射能汚染のレベルが高いのにもかかわらず、復興プロジェクトのすぐそのわきに、学校やオフィスの平和な日常生活が営まれているのは、シュールで不気味だ、と話していた。日本政府は見てみぬふりをする。市民は、何事もないと自分に言い聞かせながら、「そのまま」の日常を維持しようとする。ある南米出身の友人によれば、彼が関わるボランティアグループが福島入りしようとしたとき、地元のひとに「わたしたちはこのままでいいんだから」と現地入りを拒否されたという。この話の信憑性はよくわからないが、似たような話はよく聞く。地元の公開質問会などでも、手をあげて質問しにくい雰囲気があり(株主総会かよ)、母親が、うちの子のリンパ腺が・・と切り出せば、医者から「お母さん、あまり神経質になりすぎないように」とつっこまれる (なかには、こんな非常識な発言まで出回っている。注2)。たいへんな親日家である(しかし日本に行ったことはない)、ある南米出身の友人と福島のことを話していたとき、彼がいきなりヘンなことを言った。「これだから日本の文化はすばらしい。人々は生と死を超越した美学をいまでも生きてるんじゃないか」。思わず唖然としたが、福島市民の昨今の平静を、武士道や割腹自殺のメンタリティと結びつける、オリエンタリズムのコピーのそのまたコピーみたいな流言は、わりと見かける。南米の革命家エルネスト・ゲバラの有名な言葉に、Prefiero morir de pie que vivir de rodillas (腰をかがめて生きつづけるよりも、堂々と立ったまま死んだほうがいい)というのがあるが、福島の場合はまったく逆で、彼らは「座ったまま」死を待つ道を選んでいる。ともあれ、21世紀になっても、外国人(とくに非アジア人)のイマジネーションのなかで、日本人の行動が謎のベールに包まれてつづけている、というのは、自覚しておいて損はないだろう。

だが、底なしに冷徹な眼を持つ俺にいわせたら、福島の現状は日本の伝統的美学とかカミカゼ特攻隊とかとは、はっきり言って何の関係もない。そこに見ねばならないのは、戦後のアメリカ占領時の洗脳で、手塚治虫の漫画にでてくるロボットのごとく人造人間に改造された日本人、歴史的記憶を空白に還元され、東西冷戦下のマシュマロのような甘い繭のなかで消費立国として完成してしまった日本の、『現在』もとい「終わりなき日常」へのおそるべき執着である。日本は江戸時代からポストモダンだったと真剣に議論する学者もいるが、戦後のアメリカによる洗脳政策のトラップから抜け出せない現状を考慮して言えば、1945年以後の日本のポストモダンとは、白痴と同義である。そこには過去への視点や、未来へのヴィジョンなどあるはずもなく、社会学者ジェームソンがいみじくも「現在へのノスタルジー」と呼んだ世界にしがみつくほかはない。いまから考えたらあまりにも遠い昔だが、戦争終結後数年のあいだ、一部の知識人たちは、日本に革命が起きることを本気で期待していたという。だが、彼らの考えた「民主主義」「民衆」主義革命はあまりに頭脳的にすぎた。日本では、明治以降のトップダウン型近代化政策を経て、大正時代には文学や芸術のモダニズムが花開き、自己と社会、個人主義、そして日本の文化アイデンティティを自問した白樺派や、前衛芸術集団MAVOのようなグループも現れた。しかし、戦後になって、東西冷戦下の日本が直面した数々の社会問題―管理教育、環境汚染、家庭崩壊―に対処するとき、日本人は、おきまりの「民主主義」の未発達、産業化にともなう社会の「非人間化」、アーバナイゼーションによる自然景観の喪失とか、あまりにナイーヴな思想の枠組みを持ち出すことしができなったし、今回の福島のケースでも政府を「犯罪者」と呼んだり(それは感情の吐露としては正当だろう)、被災者の生きる「権利」「人権」を持ち出すくらいしか言葉を紡げず、日本人の思考がまったく進歩していないことを暴露している。大事なことだが、日本人は20世紀の初頭の大正時代に「モダン」を背負う主体として、すでに存在していた。何年前だったか、民主党のキャッチフレーズが『日本をあきらめない』だったが、われわれが諦める諦めないかとか、「歴史」はそんなおチャラけた発想とはまったくの別の次元で人々をインスパイアする。哲学のアポリアのひとつに、「誰もいないところで倒れた木は音をたてるか」というのがあるが、日本人は自らの歴史を、まさにその「木々」のように扱ってきたのである。

いぜん田中君とのバトルでも書いたとおり、俺はアメリカに住んで数年になるが、年が経つごとにこの国が嫌いになる。アメリカ人はスニッカーズやナチョスなどのジャンクフードで肥えさせられた家畜であり、鼻の前に人参をぶらさげられた豚のように、株式市場の成長とか、または神の意志のもとで、たえまなく「先」へと駆り立てられている「動物」である。だが、言いえて妙だが、『未来』を志向しているだけ、彼らは日本人よりもましなのだ。『未来』を志向するということは『危機管理』を怠らないことだ、と言い換えることができる。彼らは公私両方のレベルで、危機にどう対応するのか、誰を責任に問うのかを、いちおう了解していて(制度上、了解したことになっている)、自国が世界一洗練された危機管理システムを持っているとうことに、疑問をはさまない。アメリカが国連決議を無視してイラクに侵攻するのも、原爆を落とすのも、それが『危機管理』だというなら、ほとんど精神異常者の過剰防衛だが、そうした「危機管理」政策を公の場で、非難する人は少ない。それらはアメリカという国の「危機管理」のゆえに必要だと承認された以上、「民主主義」手続きで選んだ自国政府の政策を非難すると、人格矛盾をさらけ出してしまうからだ。民間や市政レベルで、廃墟と化したイラクやアフガンから難民を受け入れサポートすることはあっても、戦争の大義や外交関係はドライに割り切る。精神異常者や変態も、異常ななりに一貫してはいる、ということだ。一般化しすぎたが、少なくとも、「人殺しは倫理的に否」という子供でもわかる論理から、韓国や中国への戦後補償とか、国家と国家の問題にまでワンステップで飛躍してしまう戦後日本人の知力とは、横浜商科大学と河合塾くらいの偏差値の違いはある。戦後、ごく最近まで、日本人の多くは、国家さえもがマシュマロのように溶けてなくなってしまうことを望んできたが、予備校を卒業しても学歴には何の足しのもならない。だがしかし、おれはどうしてもアメリカがきらいだ。いま上で素描したような、日本の親米保守派が大好きそうなリアリスティックな防衛論に共感する、多くのアメリカ留学「経験組」のようになってしまうのには、俺は、あまりに経験を積みすぎていた。俺はアメリカ合州国に住む以前に、東南アジアや中東、中米、南米諸国などを時間をかけて歩き回り、多くの市井の人々や、ちょっぴり偉い人たちと出会い、彼らの多くが、心の底から親日的であり、アメリカ合衆国なんかよりも日本に、今後の世界を背負う覚悟決めてくれるのを期待しているのを、知ってしまった。俺はこれらの人々を鏡として、自分が日本人である、とういことの本当の意味を学んだ。パレスチナで、イランで、または南米コロンビアやミャンマーで出会った多くの人々の期待を裏切るわけにはいかないのだ。世界第二の経済大国は世界に対してそれなりの責任を負わねばならない。

言うまでもないが、世界が日本で注目するのは経済だけではなく、日本のアニメや漫画は世界の若者の共通言語となりつつある。5年ほど前に、ダーザインから、アニメはもはやサブカルチャーじゃない、れっきとした「文化」だという批判を受けたが、俺も、過去数年間現代美術の研究者として修行を積むなかで、アニメや漫画こそ、コンテンポラリーアートの最前線を思考していくうえで、欠かせないな出来事だというのを、人力車なみの遅れに恥入りなら認知してきたし、それが日本とアウターナショナルとの界面を交わらせていく「アツい」場になりつつあるのを、これも遅ればせながら覚醒させられた。じじつ、明治以降の、日本の現代美術史は、たいてい息のつまるような守旧的なヴィジョンで覆われており、フランスの印象派からキュビスム、フォーヴィズム、抽象表現主義までのモダニズムの運動を、アカデミックに骨抜きにしただけの作品しか生まれてこなかった。アニメの話はダーに任せて矛先を変えると、閉鎖的な日本の現代美術の流れにあって、例外的に「アツ」いのが、藤田嗣治である(1886-1968)。27歳でフランスに渡った藤田は、浮世絵や日本画を参照したハイブリッドなスタイルを独自に確立して、パリで超売れっ子になったが、それには飽き足らず、自らの足で中南米やアジア大陸を旅行し、貪欲にインスピレーションを吸収しようとした。女たらしで派手な生活をしたせいで日本の画壇からはさんざん叩かれ、無視されてきたが、彼の伝記を読むと、自分の祖国について、そして世界のなかの「日本」という問題について、彼が恐ろしく先鋭な意識で思考していたのが手にとるようにわかる。個人的には俺のアイドルだ。ポスト冷戦の90年代以降、アニメや漫画にインスピレーションを受けて、製作する現代美術家が増えているが、批評家のサワラギノイが言うように、彼らは、アウターナショナルな文化のすりきりに自らを投じていった藤田の軌跡をなぞっている、とも言えるわけだ。急に文学極道の話になるが、ダーザインのようにアニメや美少女に強い人間(もとい、変態)がトップにたったのはとてつもなく大きかった。俺は、ダーの20倍くらいは頭がよいが、世界レベルの政治や経済、カルチャーのフローを最先端までくまなく見据える彼のアンテナには敬服するほかない。俺は「詩」に興味は無いので、詩はもうどうでもいい。ただし、「詩」という元来メソメソした道教の陰陽論でいう、とことん「陰」(それは放射能がたまりやすい雨どいの下や、人の近寄らないくぼ地に住みたがる)であるメディアを武器にして、どこまで「アツい」ものができるのか(たぶんそれは無理だ)にちょっとだけ興味がある。

福島市は、一刻も早く全面閉鎖して、市民はすべて放射能の影響を受けない場所に避難すべく、手続きに移るべきだろう。日本には「未来」がなければならない。すくなくとも、アメリカの暴虐によって疲弊した世界のために、日本は未来を選び取らねばならない。その「未来」はアメリカが描く未来よりも、すくなくとも数倍くらいましだろうから。(予備校は、柔軟さが強みだろう。嫌になったらいつでもやめられるし、またもどってこれる、ケムリくん、おかえり)

俺のいうことが絵空事に聞こえるならば、お前はドブネズミだ、いや、お前はアフロだ。いますぐアウターナショナルに自分を放擲して3年くらい帰ってくんな。

(注1)http://shinsai.city.fukushima.fukushima.jp/wp-content/uploads/2011/10/329068e2cf1fcc9ba99b6e3bf98973ea6.pdf

(2)http://www.youtube.com/watch?v=6pZQbEIGkxA


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